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火は踊る。
雷霆の槍は物言わぬ鬼を穿ち、涙を流す女は赤空の彼方を睨む。
紅蓮の鉄火は宙空に軌跡を描き、時の断章が生まれ、背信者の塔が回転する。無尽の光は何かを思い、あるいは思わず、その都を目指し、あるいは目指さなかった。
時は戻らない。一度限りの青春に幸運を。
風が吼えていた。風が吼えていた。風が吼えていた。
神の剣がやってくる。
●
その晩は嵐だった。
中京城の天守閣、空になった玉座の前に、三人の男が膝を詰めて向き合っていた。
状況は最悪だった。
八つの要塞は砕け、主は討たれ、四方を敵に囲まれている。だが、
「畏れる事はない」
まだ若い、少年のあどけなさを顔立ちに残した青年は、昂然と首を上げてそう言った。
「正義は僕達にある。必ずや天の援けがある筈だ」
中倉洋介、赤髪の使徒。南の戦いでは群がる撃退士達を瞬く間に斬り伏せた剛剣使い。なるほど、強い。天使にも勝るという評判は伊達ではなかったらしい。
「正義な」
蘆夜葦輝は中倉を一瞥すると、酒盃を呷り、喉を一つ鳴らした。嘲るような笑みが洩れたのは、性格のせいだろう、己の事ながらそう思った。
「何か?」
赤髪の青年が仏頂面で問いかけてくる。
「いや、異論は無い、然りだとも小僧。俺達には俺達の正義がある」
蘆夜は青年の歪んでいる程に真っ直ぐな視線を受け止めると、頷いてみせた。
「豚に人の正義が解らぬように、ヒトに天使の正義など解りはしない。屠殺場の豚を絞めて悪と叫ぶ人間がいないように、屠殺場の人間を絞めて悪と叫ぶ天使はいない――」
――普通の人間、普通の天使の感性ならば、だがな。
普通とは何か? 多数派だ。蘆夜は思う、嫌いな言葉だ。
「――元人間から言わせて貰うなら、この腐った世は一度滅するべきだ。故に正義は我に有り。事ここに至った我等に、天よりの援けがあるかどうかは知らぬがな」
酔いどれの陰陽師は自嘲し、中倉は片眉をあげ、痩躯の男が口を開いた。
「耐え続ければ、援けは来る」
米倉創平、六星の長にして最強の枝将。男は相変わらず淡々としていた。無駄な言葉は言わず、やるべき事をやる。面白味の無い男だ。
蘆夜は紅色の盃で酒を胃に流し込むと、昏い目をした壮年の男を一瞥した。
「そう言い続けた俺の主は死んだぞ」
言葉が虚空に響いた。
そして、そのまま消えてゆく。
誰も返事をしなかった。
静寂への苛立ちを抑えこみながら蘆夜は続ける。
「…………【目】の報告によれば、京の撃退士どもは日に日に数を増してきている。敵の司令の首は貴公等が獲ったようだが、こちらも要塞は総て陥とされている。サーバントも最早残り少ない。来るはずの援けは何時まで経っても来ず、そしてダレス様は死んだ。城を枕に討ち死にするなら、最早主なきこの身、付き合うにやぶさかではないが、中倉も貴公もまだ退ける場所はあるのではないか? 西国では天界軍は旺盛だと聞くぞ?」
「退ける場所などありはしない」
枝将の長は答えた。
「必要も無い。僕達は勝つ」
赤髪の枝将もまたそう述べる。
米倉は言った。
「俺達は勝つ、何度でもな。何度でも勝つ。攻め寄せて来る敵は皆殺しだ。援けは来る。ザインエル様が信じられぬなら、ダレス=エルサメクの言葉を信じろ。神の剣は必ず帰って来る」
男の言葉は、何処か預言者めいた語りだった。
「それは……信仰か?」
――若しくは意地か。
言った直後にそれは無いか、と思い直す。米倉創平は執着という言葉からは最も遠い使徒だ。少なくとも蘆夜にはそう見えた。
「……単なる事実だ」
陰陽師の考えの証左のように米倉は淡々と答えた。
その時だった。
重く低い音が鈍く、玉座の間に響いていた。
蘆夜が視線をやれば、ゲートから――異空間へと繋がる天の門、玉座の裏に広がる円形のそれから――赤黒い色に染まった甲冑に身を包んだ男が、無造作に板張りの間へと降り立っていた。
空間が凍りついたような気が、蘆夜にはした。
「……間に合った、と言っても良いものか?」
何時の間に、と蘆夜は目を見張り、米倉と中倉が弾かれたように振り返る。
この容姿、知っている、聞いている、この男こそが――
「――……ダレス様は、死にましたぞ」
――貴方が戻って来るのを待ち続けて。
蘆夜は震える声で言った。
「聞いている。怨むなとは言わん」
力天使ザインエルは淡々と答えた。
「…………よくぞ、お戻りくださいました……代将も、浮かばれましょう」
米倉が跪いて述べた。
「だと、良いがな」
「力天使様……その、大丈夫なのですか?」
中倉は顔を青ざめさせながら言った。あるいは無礼な物言いとされる物かもしれなかったが、それは蘆夜にとっても疑問だった。表情には出していないが、米倉にとってもだろう。
「問題ない。掠り傷だ」
全身をドス黒い血で染め上げた凄惨な様子の大男は、さらに鎧にもあちこちに大穴があいていたが、顔色も足取りもしっかりとしたものだった。その様に、多少は安心する。
「状況は?」
主の問いに米倉創平が答えた。
「……八要塞は残念ながら総て人間達の手に落ちました。しかし、四大収容所は全て健在です。ですが、代将の死を受けてか、撃退士どもが集結してきています。既に千に迫る勢いです」
「そうか。それくらいならどうとでもなる。御前達、御苦労だった。彼の地の冥魔の軍勢は蹴散らした。後は残党を狩るだけだ。俺は先行してきたが、じきに俺が率いていたサーバント隊の生き残りがこちらに来る」
ザインエルが対冥魔の戦線で率いていたサーバントとなれば精鋭だ。潜り抜けてきた戦の量と規模が違う。連戦に疲弊しているとしても、強大な事は間違いがなかった。
「ダレスの死の報せにメタトロン様も重い腰をあげてくださった。人間を相手に何をやっているとお叱りも受けたがな。ギメル・ツァダイとレギュリアの二柱を短期間だがこちらに戻していただける」
ギメル・ツァダイとレギュリアが京都に戻って来る。
それは朗報だった。
蘆夜は直接顔を会わせた事はなかったが、話には聞いている。明らかに階級以上の力を持つと称されるギメルは言うに及ばず、レギュリアもまた強大な力を誇る天使の筈だった。
「まずは守りを固めるぞ」
京都の真の総大将は、そう宣言した。
「守り、ですか?」
蘆夜は違和感を覚えた。確かにこちらの戦力は集結しきっていないと言えるが、同時に敵の方も集結しきっていない。ダレスから伝え聞いていたザインエルならば今のうちに敵本陣を一叩きしてくる、くらい言いそうなものだが。
「そうだ、態勢を立て直す為の時を稼ぐ」
しかし、神の剣は大儀そうに頷いてみせた。
ザインエルにそう述べられれば蘆夜に是非はなかった。守りを固めるのもそう悪い手ではない。
だが、
「……承知いたしました」
男は首を下げつつ、ザインエルの足元へと視線をやる。
明らかに赤黒い血溜まりが出来ていた。
――掠り傷。本当に、掠り傷なのだろうか?
その疑問は、結局口に出す事はできなかった。
●
「ウワハハハハハハハハハハッ! この地の空を飛ぶのも久しぶりよな!!」
筋骨逞しい剃髪の男が嵐に舞っていた。
「およそ一年と少しか。しかし、猛将殿も存外にだらしなかったな。人間相手に僅か一年で追い込まれ命まで落とすとは」
緋色の髪の女天使が言う。
「なぁに、剛剣の使い手とはいえ単純な男だったからな。戦というのは頭を使わねばならん。このギメル=ツァダイが戻るからには撃退士どもなど一撃で粉砕してくれるわ!」
「…………何時ぞやのように油断だけはしてくれるなよ」
「フンッ、相変わらず小うるさい奴だ。貴様こそせいぜいヘマをやらぬようにするのだな小娘!」
二柱の天使は翼から光を噴出すると嵐の空を矢の如くに飛んでゆくのだった。
●
京都。
中京城から大量のサーバントが出現し、それはゲートを通じての増援と考えられた。
四方の大収容所へと向かう異形の軍団の先頭には、それぞれ西にレギュリア、東にギメル、北に中倉と蘆夜の姿があった。
「――そして南にザインエル」
白樺のように血の気を引かせた顔で神楽坂茜が呟いた。
「……いやぁ、こりゃまいったね。僕の予想は外れてしまったようだ」
大塔寺源九郎が嘆息して言う。
「源九郎、あんた、今回の予想には絶対の自信がある言うてたよな……?」
大鳥南が斥候から入ってきた報告に身体を戦慄かせている。
「すまない」
心底申し訳なさそうに青年は頭を下げた。
「済まないですんだら――!」
「源九郎さん」
茜が南の言葉を遮るように言った。
「予想外、なんですね?」
「ああ、確率は低いと見ていた。だが、こんな事もあろうかと、策は用意してある。ザインエルが出てこようとも慌てる必要はない。斥候からの報告によれば、ザインエルは本調子じゃなさそうだし、これはむしろチャンスだ」
「そうですか」
神楽坂茜は悲しそうに笑った。
「確かに、ザインエルが京都を捨てる気がないのなら、いつかは必ずぶつからなければならない相手なのでしょうね。ザインエルが弱っている今にあたれるというのは、むしろ千載一遇の好機なのかもしれません。だから――」
沈黙。
やや経ってから暗い目をした女は言った。
「――だから、もしもこれで結果がだせなかったら、私は貴方を斬り殺すしかないようですね」
「異議はない。失敗したら僕の首は君が獲れ。ただ、言われずとも京都は必ず取り戻してみせるよ」
「……ザインエルが本調子ではないというのは知っていたのですか?」
「僕らが動くまでは彼は本調子だった筈だ、だから、正直に答えるなら、博打だったね。何処で気付いた?」
「輸送物資の中に聖槍があると知った時に。ザインエルが来ないなら、無理をしてまで持ち出すべき状態ではありません。確信したのは、流石の貴方でもザインエルは不意にでてきたら、もっと深刻になるべき相手です」
「なるほど」
「…………何故?」
「京都を取り返すなら今しかない。万全のザインエルが油断も隙も無く本気で出張ってきたらどう計算しても詰みだ。そうなる前にやるしかない。けれど君は出目の少ない目に皆の命を賭けてルーレット回すのが嫌いだからね、許可はしないだろうと思った」
「正しい認識ですね。命を賭けるのは、現場で戦う人達なんですよ」
言って、女は額を手で抑え、嘆息した。
「……今、この時ほど、失神できたら楽なのに、と思った事はない」
「悪いな剣のお姫様、君は踏ん張ってくれるから頼りになるよ。作戦を話しても?」
「どうぞ、時間は待ってくれませんから」
「あー……でもちょっと待ってぇな、その前にやる事あるで」
大鳥南が言った。
「なんでしょう?」
会長が問い、赤毛の少女は言った。
「源九郎、歯ァ喰いしばれ」
●
「一発で決める」
破損した眼鏡をかけ直しながら大塔寺源九郎はそう述べた。
「方針は速攻だ」
「理由を聞いても?」
神楽坂茜が問いかける。
「一つ、そもそも今の人類側に大規模戦力を一所に長期間張りつけておけるだけの余力はない。
二つ、ザインエルに回復の間を与えてはならない。
三つ、恐らく、負傷した上であっても神の剣はまともに勝負できる相手じゃない、これを出し抜くには意表を突くしかない」
「具体的な手段は?」
「過去にも言った気がするけれど、敵が最も守らなければならない対象は市民だ。つまり大収容所。彼等の目的は人間から精神を吸い上げる事だから、人間がいなくなった不毛の土地を支配していても意味が無い。ザハークみたいに大規模捕獲生物を生み出すような技術力があるのなら、結界の外から人間をさらって来るって方法もあるんだろうけど、京都では今のところそういう気配はない。あるのなら一気に吸い尽くして新しい人間を補充しようとする動きをしている筈だ。
つまり、彼等にとって優先順位は、一に大収容所、二にゲートを維持するコアだ。実際、ザインエルは中京城から出て、南の大収容所の守りに出てきている。だが、コアさえ破壊すれば、ゲートはその力を失う。こちらとしては、市民を全て救出するか、ゲートを破壊するか、どちらかを達成すれば良い。だから、手段はこうだ」
源九郎は言った。
「四方の大収容所全てを攻めて敵を釘付けにし、その間に精鋭の一部隊をゲートに突貫させてこれを破壊する」
「……それは、博打というより鉄砲玉と言いませんかっ?」
神楽坂茜が悲鳴をあげるように叫んだ。
「そもそも四方を攻めてゲートにも突貫って、それってつまり全部を同時攻撃するって事じゃないですか? デタラメです、ゲートに突貫て、それはもう決死隊です。今までゲートを直撃する作戦が採用されなかったのは何故です? ゲートの中ではこちらの力が多大に制限されるからです。過去に行われた事がまったく無い訳ではありませんが、やはり多くは失敗しました。敵だってゲートの守りを空にする訳がないんです。今回ならきっと姿が見えていない米倉創平が待ち構えている。敵にとって有利でこちらにとって不利な要衝で、強敵が手ぐすね引いて待ち構えているのですよ? 正気ですかっ?」
「それでもザインエルとまともにやりあうよりはずっと分が良い」
源九郎は断言した。
「あれは神の剣だ。槍や大砲でないだけマシなのかもしれないけどね、勝ち目が見えない。僕も直接対決した事があるから知ってるが、あのザハークよりもさらに、意味不明な程に強い。封都の時、死体の山が築かれなかったのが不思議なくらいだ。けれど、敵にとって守るべき点が二つ以上あり、ザインエルは一人しかいないなら、狙う目はある。奴がいない場所を狙えば良い。というか、出し抜くにはそれしかない」
「……危険すぎます」
「ここを見逃すのなら、京都の奪還自体をすっぱり諦めた方が良い。撃退士全体が信じられないくらい強く急成長できるなら、あるいは二年くらい後にならまた勝負できるかもしれない。けれど、その頃には京都市民は全滅させられているだろう。元と余力を回収したら吸い尽くして別の土地に向かう筈だ。救出する機会が次もあるとは僕は思わない。恐らく、今回が最後の機会だ」
神楽坂茜が唸った。
「敵だって、それくらいは想定にある筈です。使徒達やギメル、レギュリアはまだ良いでしょう、しかし貴方が言うようにザインエルは規格外に強い、あれを足止めできるとは思えません。もったとしても僅かな時間でしょう。ザインエルが攻め手を蹴散らし、コアにとって返したらどうするのですか? ゲートへと突貫した部隊は、能力が大幅に減る異空間内で正面を米倉に抑えられ後背からザインエルに突撃されるというどう考えても全滅をまぬがれえない事態になります。というか、良く良く考えれば、敵はそういう構え、誘いなのではありませんか?」
「ダレスの師匠がザインエルであるのなら、そういう可能性はあるね。わざと隙を見せて喰らいついて来た所を嵌めるのが好きな連中だ。西要塞も南大収容所もそれでやられた」
「だったら!」
「けれど、こちらの突破力と足止めの力が敵の予想より上回っていたらどうか?」
「狂気の沙汰です……」
「正気でやって鬼島さんは死んだよ。コアの防御は厚いだろう。けれど、聖槍の攻撃力ならどうだろうか?」
「神器ですか」
「それでザインエルをなんとしても仕留める事も考えた。けれど、科学室からの報告によると、聖槍は先にザハーク・オルスが置き土産してくれたせいで連続使用にはもう耐えられない。撃てて一発、二発は撃てない。ザハーク・オルスにでさえあれだけ叩き込んでやっと倒したのにあのザインエルだ、手負いだとしても一発で倒せるとは考えにくい。でもザインエルは一発で倒せなくても、ゲートのコアにならどうだ? やれる筈だ。神器を以って速攻で障壁を粉砕しザインエルがゲートに戻ってくるまでにコアの破壊を完了させて突貫隊は脱出する」
「……米倉創平とサーバントは?」
「そこは真っ向勝負だ。皆の実力に賭ける。及ばずながら、僕も突貫隊に加わるつもりだ。聖槍を使う者が必要だろうからね、希望者が他にもいればそちらに譲るけど」
「生きて帰れるんですか本当にそれ…………予想成功率を聞いても?」
「六割」
「本当ですか?」
「蘆夜、中倉、ギメル、レギュリア、これらを抑え込んだ上での見込みだけどね、どっか失敗したら終わりだ。でも正直言うなら、ゲート破壊に失敗したとしても、最悪、北、西、東、これらの市民だけでも救助したい。ゲートがいけるかどうかは、米倉を迅速に撃破できるかどうかにかかってる」
源九郎は言った。
「そこさえなんとか出来れば、後は君だ」
「……私、ですか?」
「ザインエルの抑えを頼む、一秒でも多く時間を稼いでくれ。皆が生還できるかどうかを、大きく左右する」
(執筆 : 望月誠司)