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四国劫天の流れ


 プロローグ ―焼滅― 


 第1フェイズ ―灰の街― 


 Episode.1 ―椿の決意、太珀の鬼胎― 


 第2フェイズ ―神隠し― 


 Episode.2 ―繋がる点と点― 


 幕間 ―参謀の憂鬱― 


 Episode.3 ―雫の行方― 


 第3フェイズ ―天襲 I― 


 Episode.4-1 ―燐光の宵― 


 第3フェイズ ―天襲 II― 


 Episode.4-2 ―水謐の楯― 


 運命の岐路 ―抗天― 


 Episode.4-3 ―冷厳の雨を超えて― 


 幕間2 ―『妹』の叛逆―  


 第4フェイズ―劫天―  


 Episode.4-4 ―新たな光― 



 高知市北部、山中。
 ゴライアスゲートが消失したことで撃退士の巡回がなくなり、ひっそり静かな本来の空気を取り戻しつつあるその地を仄朱い蝶がひらりと先導する。

「まだ、先なのか――」

 従士ソールは軽やかに闇を泳ぐ蝶を見ながら毒づき、次いで、自分を支えに歩を進める騎士団長オグンの姿を見た。
 豊かな白髭は血でしとどに濡れ、ごわごわと固まってしまった。
 歴戦をくぐり抜けてなお矍鑠な身を彩るボルドーの外套も、まるで襤褸のよう。
 ――悔しかった。
 それはオグンを援護しきれなかった未熟さへか、敵に心魂を折られてしまった不甲斐なさへか、分からないけれど。
 唇を噛み締め前をむくと、
「オグン様、ソール様! お迎えに参りました」
「なかなか来ねぇから手伝いに来てやったぜ‥‥です」
 丁度リュクスとロベルが姿を見せる。ソールは一瞬安堵に顔を綻ばせたが、すぐに顔を横に背けた。
 まともに顔をあわせる事など、できなかった。


 その夜。
「ウリエル様。少々よろしいですかな」
 臨時兵站地――と表するのも憚られる山小屋の中、クランとキアーラによる治癒を受けながら、老将は口を開く。
 その目には未だ絶えぬ、未だ揺れぬ、意思に満ち満ちたものだった。



「団長の任を返上する――、だと?」
「いかにも」

 小屋の周囲を巡回していた最中、漏れ聞いた言葉。
 周囲を慎重に伺ってから、アセナスはにわかに信じがたいその会話に耳をそばだてた。

「連結陣を用いてまで展開したゲートを陥とされたのですからな。責任は――」
「オグン‥‥いや、『爺』。貴方はそんな殊勝な性格ではないだろう。本心を話せ。でなければ私は承諾しない」
 数百年は耳にしていなかった呼び名に、オグンは苦く笑った。
 我が王は、よくわかっておいでだ、と。
「では久々に軍事学の勉強と参りましょうか、『お嬢様』。ウリエル様は、此度の作戦をどうお考えですかな」
「‥‥一言で言うならば、『無謀』だ。撃退士なる人間は片手間で潰せるほど小さな脅威ではない」
「そうです。しかし、机上で戦を語る『上』の方々は、いまだ一方的に搾取できる弱い存在だと考えている。だからこそ、こんな無茶な作戦が下されるわけです。さて、認識を改めさせるためにはどうすればよいか」
 逡巡の後、つと、ウリエルが眉根を寄せる。
 もし自分が声を大に訴えたらと考えたが、大凡の反応が浮かんだからだ。
 『箱入り育ちの小娘風情が、原住民に恐れをなした』――と。
「結果で認めさせるしかないだろう。が、何かを失うまで真実を受け入れる事は到底ないだろうな‥‥」
「いかにも。そして損失が大きいほど、己の過ちと事の重大性に気付くでしょう」
 一呼吸。
 そして深い赤の瞳が、ウリエルの双眸を捉える。
「私が、天界の未来のため『損失』になりましょう」
「‥‥っ、確かに爺が斃されたとなれば上も穏やかにはいられまい。しかし――!」

「リネリアが、泣いておったのですよ」

 突然切りだされた話題にウリエルが面を喰らうと、視線を外しオグンは悲しげに笑う。
「あれの状態は悲惨なものです。恋人を失い、兄をも失った。憎しみに駆り立てられるのが道理でしょう。‥‥しかし、あれを苦しめているのは、大切な者を奪った者らへの憎しみと、その者達への少なからぬ情の板挟みだ」
 秋桜のように愛らしくこぼれる笑顔は、もうどれくらい見ていないか。
「撃退士は、刃を収め言葉で――話し合いで戦うべき、と言っておりました。それが憎しみの循環を断つ方法だと。至極もっともであるのに、我らはその勇気ある提案に応じる手段さえない」
「個人の天使レベルならいざしらず、軍の作戦として出兵しているからな。上が動かない限り、我らに選択肢はない」
「上の目が覚めぬ限り、リネリアのような苦悩はこれから先も続くでしょう。儂は、その未来を変えたいのです」

 だから。
 未来の、次の世代のために。僕達のために。
(団長が、死ぬ――だって‥‥?)
 会話を聞いたアセナスは、衝動に任せるがまま、草木の葉ずれを抑える事もなく駆け出した。
「‥‥アセナスか。聞かれておったことに気づかんとは、儂も耄碌したもんですな」
「よく言う。そう言って本当に衰えた老獪を見たことがない」
 呵呵と笑うと、オグンは鎧の胸元に誂えられた徽章を外し、「これを」とウリエルへと差し出した。
「騎士団とウリエル様へご迷惑はお掛けしませぬ」
「馬鹿を言うな‥‥貴方を失う以上の迷惑があるものか」
 その顔がひどく穏やかだったから。
 それ以上何も言わず、ウリエルは銀色のバングルを渡し、受け取った徽章を握りしめた。

「では――我らの未来をしかと頼みましたぞ、ウリエル様」



「団長が‥‥? それは本当なのか、アセナス!」
 話を聞き、一も二もなく飛び出そうとするハントレイを、アセナスは手で制した。
「‥‥ッ! 何故止める! 死地とわかっていて、むざむざ行かせるのか!」
「ハントレイ落ち着け、お前らしくもない。俺だって団長をただ行かせるつもりなんてない!」
 叫ぶ声が夜の山林に溶けていく。
 冬の木枯らしが足元の枯れ葉をさらい、がさがさとノイズをたてた。
「俺たちがただ追いかけても、恐らくどうにもならない。‥‥撃退士の強さは俺達が一番身にしみてるだろ?」
 ひくりとハントレイの目頭が細まる。
 【封水】で、【天襲】で、そして【劫天】枝門戦で。
 2人は幾度も撃退士と刃を交え、そして辛酸を舐めさせられた。
「俺はこれから団長を追いかけるけど、一人で戦うつもりはないよ。ハントレイは――リネリアに、事態を伝えて欲しい」
「‥‥いいのか」
 言わんとする事を理解し、アセナスは頷く。
「後から知ったほうが、辛いと思うから」

「リネリアが行くとなれば、ロベルとリュクスはついていくだろうな」
「俺も、キアーラに付き合ってもらうつもりだ」
「‥‥クランはどうするかな」
「恐らくウリエル様は撤退命令を出すだろうから、俺達全員規律違反だな」
「たまにはいいだろう」
「はは、珍しいな。真面目なお前がそんなこと言うなんて」
 ひりついた空気が解け、ハントレイの口元にも薄く笑みが浮かぶ。
 大丈夫だ。いつもの冷静で誰より信頼のおける彼に戻ってる。
「じゃあ、俺はキアーラを連れて先にいくよ」
「ああ」



「団長、どちらへ?」
「ぬ」
 山を降りたオグンの背後から、ふいに投げかけられた女の声。
 それは民家の屋根に座り、夜風にたゆたう赤火の髪をかきあげた。
「おお、アブサールか。よくぞわかったな」
「工作兵を侮らないで下さいね。狭い範囲の人の出入りを察知するくらい――団長?」
 オグンの鎧を飾っていた徽章がなくなっている事に気づくと、アブサールは屋根からオグンの傍らへと降り立った。
「儂はもう騎士団長ではない。さらばだアブサール、お前はウリエル様と共に生きろ」
 端的な挨拶。
 何故そうなったのか、何故そうするのか、何一つ理由はわからない。
 しかし――。
「ならば、私も騎士を棄てます」
「アブサール」
「私は‥‥オグン様の信念に義を感じるからこそオグン様に忠誠を誓い、オグン様の手足となるべく騎士団に入った。貴方をおいて他、優先するものなど何もありません」
 どんなにこの身を削ろうとも、信ずる者のためならば。
 語らずとも、信ずる者の決断ならば。
 そう言外に訴える瞳は、オグンのそれと同じく決して揺れる事はなかった。
「そうか」
「はい」
 更に言葉を重ねようとした時、何かに気付きオグンは己の来た方角を振り返る。
 アセナスが追いついて来たのだろう。
「時間が惜しい。未来への路を作りに往く」


 戦場を駆け、他の命を代償に生きてきた。
 なればこそこの命も、他の為に捧げよう。

――劫の天威に楔を穿ち、新たな光を次代に示さん


(執筆 : 由貴 珪花、コトノハ凛)

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