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降り逝く雪はやがて勢いを増して一面を白く染めていく。人形の手の中で燃える蝋燭の火。
其の炎に触れた雪は音も無く消えていった。
両面から近付いてくるディアボロ。其の主である女悪魔はビルに腰掛けて、退屈そうに足を泳がせていた。
「ねぇ、誰が幸せになれるのかしら? 教えて頂戴《英雄(ヒーロー)》気取り?」
「ハッピーエンドが何かなんて、何が幸せかなんて……私には分かりません。分からないですし、答えも出せないと思いますけれど!」
女悪魔の言葉に何かを堪える様子を見せる蒼井 明良(
jb0930)。震える肩と声。拳をきゅっと握りしめて顔を上げる。
「あなたの勝手で、哀しい人が増えるなんて、私は許せません!」
「勝手では無いわよ。これは彼と私のとても滑稽で愚かな《遊戯(ゲーム)》。貴女達に邪魔をされる筋合いは無いわ……」
「んー、格好いい事言うつもりはないんだよ。けど、目の前に糞ゲー置かれたら台バンしたくなるでしょ? そゆこと」
悪魔の言葉に米田 一機(
jb7387)はごく自然に返す。
「……え、何この悪魔中二病拗らせちゃってるの?」
「何?」
軽口混じりに吐き出されたのは白銀 抗(
jb8385)の呟き。悪魔は意味が解らず聞き返したが抗は薄ら笑いを返すだけ。
透は自分達の言葉を呑み、悪魔の誘いを蹴った。それが悪魔の逆鱗に触れることも予測はしていた。故に現在の状況は端的に言うと――凄く拙い。
「透君は覚悟を決めた。その覚悟をこれ以上穢させないわよ!」
「その、大切な想いを……悪魔に救いだなんていって邪魔させたりしないっ」
だけれど、だからこそ言い放ったエレクトラ・マイヤー(
jb8244)に続くように蓮城 真緋呂(
jb6120)が言葉を発すが、その瞳あ何処か昏く。
「じゃあ、精々抗って見せなさいな。あなた達の言う想いを私に見せてご覧為さい。じゃないとつまらないわ……」
私の遊戯の盤を引っ繰り返した代償。ちゃんと支払って貰おうじゃないの。傲慢で愚かな人の子よ。
(救えるのは自分だけ、なんて君の方が傲慢だよ)
見下す悪魔の視線に桜木 真里(
ja5827)は想いは言葉にせず透に振り返る。
「守るから。彼女とのクリスマス楽しみにしててね」
「そしたら、ちゃんと杏樹に素直に好きって伝えるんだぞ! 約束なんだぞ!」
迫り来るディアボロにも持ち前の穏やかさを崩さず、微笑みながら告げた真里の隣。またも念を推すように彪姫 千代(
jb0742)に透は少しはにかみながらも頷いた。
「おー! じゃー、こんな奴らはさっさと倒して杏樹のところに行くんだぞ!!」
透の様子に満足そうに笑顔を浮かべた千代は腕をあげて、士気を高める。
7人の撃退士は光を纏った。
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真っ先に動いたのは《蝋燭の人形(アリステラ)》。
ゆらりと無機質に手を動かせば透目掛けて炎が舞い出る。しかし、咄嗟に明良が割り込んで透を庇った。
「例え神様にだってやらせません……私は、私達は貴方達の遊び道具じゃないんです!」
蝋燭の火はじんわりと明良の身を蝕む。心配そうな表情を浮かべる透にこれくらい大丈夫ですよと瞳で言い凛と告げる。
「絶対、私達が護りますから! クリスマス、絶対壊させたりなんてしません!」
「射程長めの攻撃は厄介だね、そちらを優先して倒そう。槌の方は近接型みたいだから、頼めるかな?」
「任せておいて! 行こう、一機君」
真里の言葉に返した真緋呂は友人の方へと顔を向けた。一機は頷いて。
「ま、時間もあんまりないし、ちゃきちゃき頑張りますかね……でも、見られてるから切り札は切らずに7割で行こう」
「了解。手札を明かすのはまだ刻じゃない」
一機と真緋呂。ふたりは《槌の人形(デクシラ)》へと銀糸を伸ばし駆けだしてゆく。
「一気にいくよっ!」
アリステラの元へと駆け出した抗。風切り音が鳴る。細雪の如く冷たい凛光を放つ双刀が人形の身体を斬る。
「二人の邪魔するなら俺許さないんだぞ!」
千代の影が虎の形を取る。光さえ飲み込む冥虎は蝋燭の炎を目掛け疾走すると、喰らい付く。
「虎からは逃げられないんだぞ!! がおー!」
千代の攻撃で生まれた隙。真里の手から放たれた雷の魔法がアリステラの意識を刈り取る。
「こういうのは市街地戦の実地訓練で慣れてるのよ!」
物陰に身を隠していたエレクトラが黒銃で人形を撃ち抜く。
「今なんだぞ!」
「はい! いきましょうっ」
アリステラが倒れ空いた道。千代の声に促され透の手をひき駆け出す明良。
「逃がすわけないじゃない」
ふわりとまるでステップを踏むように、優雅に降り立つ女悪魔。明良は透を背に庇う。
「踊って貰うもの。悪夢の如く美しき舞。其の演者、私が見付けた最高の駒。舞台を降りるだなんて、私が赦さないわ――」
もし舞台を降りるようなものだったら、溶かしてあげようかしら。壊してあげようかしら。エレオスの血のような瞳が妖しく輝く。
「……如何してですか?」
「面白いからよ。私は退屈は嫌いなの。飽きてしまうことは棄ててしまいたいの。其れでもやがては飽きてしまう――だから、私は常に新しい玩具を求めるの。当たり前のことでしょう?」
「君のそれは当たり前じゃない、理解するつもりもないよ」
真里のそんな言葉さえ気にしないエレクトラ。明良は溜まらず声を上げた。
「ちょっと色々できる……それだけの人が、今生きてる人に悲しいことをさせる理由になんてなりません!」
「あら、私の誘いを喜んで受けたのは少年の方よ。其れを勝手に裏切ったのも少年の方。流石に身勝手過ぎないかしらねぇ」
はぁと溜息を吐く悪魔。
「私自ら手を下さなかった分、私は優しい悪魔だと想うわ。むしろ、横から割り込んできて頁を破り棄てたあなた達の方が無粋ね」
「そもそも何が幸せかなんて当人が決めるもので、他の誰かが決めるものじゃないって思うけどね」
抗の言葉は耳に届いていたのか否か。悪魔は冷たい嗤いを浮かべていた。
「お待たせなんだぞ!」
千代の声だった。アリステラを倒した仲間が駆け付けてきた。
真緋呂が機動力を奪い、一機が傷を癒す。仲間達が人形の片割れを撃破するまで互いを支えながら2人きりでデクシラを抑えていた。
「さあ、カードを切る時間よ」
援護のように放たれたた千代の漆黒の隼。真緋呂はワイヤーを操る。
「よく見ててご覧。これがもう一つの選択の末路だ」
「蝋に還りなさいな、お人形さん」
背を向けたままの一機の声に顔を上げればデクシラに襲い掛かるのは轟雷宿す真緋呂の銀糸。其れは絡め取るように命を絶った。
「飽きちゃったわ、帰りましょ」
「……あなた、名前は?」
地より飛び去ろうとする悪魔に鋭く刺さるエレクトラの声。
「ふふ、名を尋ねる時は自分から名乗るのが礼儀でなくて?」
享楽的な性格の悪魔。名乗らなければ名乗るつもりはないのだろう、だから。
「私は、エレクトラ。さぁ、名乗ったわ。あなたの名前を訊かせなさい」
「《憐れむ者(エレオス)》。名はおかしいと他人は云うけれど……ふふ、私は気にいっているわ」
「戯れ言なんてどうでも良いわ――エレオス、私はあなたの様な愉快犯を認める気はない」
「思い上がらないで頂戴、人間。あなた達は所詮、私達の《道具(ドール)》に過ぎない。人間に認められるつもりも道理も必要も無いわね」
エレオスの視線は完全に自分達を見下している。
気付けば真緋呂は強く自らの手を握っていた。食い込んだ爪に傷付けられた肌からぽつりと赤い雫が垂れる。
真緋呂の一機が手で包み込み淡き光で癒す。落ち着かせるように困ったような笑いを浮かべながら。
「次会うときは、その体に銃弾を叩き付けてあげるわ!」
「あらあら、怖いわぁ。これだから戦うことにしか能の無い連中は嫌いなのよ」
エレクトラの言葉に相変わらず冗談めかしてエレオスが言う。
「僕はアラガ。白銀 抗だ。次に会ったら、今度はちゃんと殺し合おう?」
立ち去る背。にこやかにヒラヒラと手を振る抗に、クスリと笑いを立て微笑むエレオス。
「あら、随分と野蛮な誘いをする男性ね? でも愛憎の殺しあいと言うのも良いわよねぇ……。さて、次はどんな《遊戯(パーティー)》を用意しようかしら?」
飽くまでも愉快に。奇怪に。滑稽に。悪魔は笑いを浮かべステップを踏むように雪の中へと消えていった。
そして、夜が明ける。
空は白く染まって、希望の色の暁光が絶望の夜を拭い去ってゆく。
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「さあ、透さんは杏樹さんに笑顔を贈ってね」
真緋呂の声に透は顔を上げた。其の隣の一機が軽い調子で訊ねる。
「ま、落ち着いたらゲームでもしようよ。今度は悪魔のふざけたものじゃなく、格闘ゲームなんかさ。それとも、音ゲーの方が良い?」
「いや、俺はアクションレースゲーム派」
だから、透の返しも自然なもので。
「そういえば、彼女へのプレゼント如何するの?」
「……さすがに、今から行ってたんじゃ遅れちまうかな」
エレクトラの問いかけに想いだした透はスマートフォンの画面に視線を落とす。
待ち受け画面に表示された時刻は多少の余裕はあれど、目的の店へ行く余裕は無いだろう。繁華街のお店は未だ開店前だろうし、がっくりと肩を落とす。。
「コンビニとかで何か、売ってるかな」
「コンビニでなんて無粋ですよ! クリスマスは女の子にとって特別な日なんです! だから、はいっ」
明良が差し出したのは、透き通る水辺で戯れる《天使(アンジュ)》の意匠が施されたシルバーリング。
「街を歩いてたら可愛いなーって思ってつい衝動買いしちゃったんです。私は売ってるお店知ってますから!」
「え、けど……」
ぐいっと押しつけるように明良。透あ困ったような表情を浮かべていたが明良は退かない。
「いいんです! 私は今すぐ必要ってわけじゃないですし!」
「受け取っておくといいよ。年上の厚意は素直に受け取っておくこと。これ、結構重要な社会の処世術」
「……ありがとう」
一機の援護射撃も受けてついに折れた透。ぶさくさと少し照れくさいのか俯き顔を赤くしていた。
「……っと、口頭で言っても忘れてしまうだろうから。花なんて贈ってみるのはどう? 花言葉も添えて、ね」
適当な紙にペンを走らせ、透へと渡す。
『バラ あなたを愛しています
スターチス 変わらぬ誓い、永遠に変わらぬ心』
早速、受け取ったメモに目を通した透は思わず腕をいっぱいに伸ばしてメモを遠ざけようとした。
「なっ……これは、流石に。てか、こんなロマンチックっつーかアレなことは俺らしくもねぇっつーか!」
「けれど、女の子ってそういうのを喜ぶんだよね」
にっこりと穏やかに言う真里。ある意味有無を言わせないような説得力。そんな彼の笑顔に諭されるように透はメモを大切に折りたたみポケットに仕舞う。
「……バラは照れくさいから今度、見舞いに行く時に買ってくよ」
折角だし送っていくよ。そんな撃退士の誘いに透は頷いて道を歩く。
街の雑踏、人々の喧噪。特別で、或いは何も変わらない一日の始まり。
何も変わりやしない。こからも当たり前のような日々が続いていく世界を。
「……後、どれだけ一緒に居られるんだろうな」
一ヶ月後? それとも、明日? そんな、当たり前の未来にアイツは居ない。涙こそ出ないが、今にも泣き出しそうな透。
真里は変わらずに暖かな微笑みを浮かべ。
「きっと、これからも一緒に居られる。心の中でなんて有り触れた言葉でしかないけれど、何時の日か向こうの世界で彼女に逢うことが在れば胸を張って話せるように……っと、俺達は此処まで」
あの角を曲がったら杏樹が居る病院。その手前で真里は立ち止まった。
「……行かないのか?」
「こっからは透、君がひとりで行くべきだ。もう僕達の腕は必要無いだろ?」
真里に代わり口を開いたのは抗。
「あ、それと、さっきはイラついて言葉きっつくなっちゃってごめん。……君は、強いね」
「いや、別にいいけど……お前、何かあったのか?」
「子どもは知らなくて良いこと。さ、行った行った」
少し含みのある言い方に透は少し首を傾げる。けれど、抗は変わらない表情のままぽんっと透の背を押した。
透は危うく転びかけるが何とか踏みとどまって振り向く。
「そんな年変わんねーじゃん」
「いや、結構離れてるけど……てか、中学生はまだまだがきんちょだから。解ったらとっとと行く。時間を無駄にするつもりなの?」
余りにも的確な指摘に、透は少し不機嫌そう
「透……ちゃんと自分の気持ち、杏樹に伝えるんだぞ!」
千代に透は恥ずかしそうに少し顔を逸らしながらも頷いた。
「メリークリスマス。いってらっしゃい」
「ん、メリークリスマスっ」
穏やかな笑顔で手を振る真里に透はぎこちなくも笑顔を浮かべて、手を振り走って行った。
「なーに、焦る事は無いさ。今はまだその時じゃないっていうだけの話」
「え……」
一機の言葉に立ち竦むように透の背中を見つめていた真緋呂は振り返る。
「ほれ、思い詰めてないで帰るよ」
彼はそれ以上は何も言わず、促すように真緋呂に背を向け歩き出した。
そうして、撃退士達は踵を返す。彼らの日常へと帰ってゆく。
真新しく降り積もった雪に、朝の陽がきらきらと優しく輝いていた。
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扉を開けるとアイツが居た。
でも、何だかやっぱり照れくさくって俺は無言で銀の指輪をアイツの手に嵌めた。
痩せ細ったアイツの指には少し大きすぎる。だけれど、大切そうに指で抱くもんだから俺は恥ずかしくて目を逸らしたんだ。
窓の外には降り積もった白雪。眩しすぎる朝陽が鏡のような銀世界に反射してきらきらと輝いている。
「何だか、宝石みたいで綺麗だね……」
ゆらゆらと揺れる白いカーテン。朝の白い光に溶けてしまいそうなアイツの横顔。
前はこんな儚いものでは無かった。だけれど、確かに俺が好きになったアイツの姿。
握り拳に力が籠もる。俺は、ただ。
「……好きだ」
「私も」
俺の言葉にいつも通り短く返したアイツがやや頬を赤らめて笑う。それは、心から幸せそうな微笑みだった。
もう、滴る血も、悪魔が囁いた永遠なんてものもいらない。
だって、本当に欲しかったのは――。
(そうだ。俺が欲しかったのは、こいつの笑顔だったんだ……)
たとえば、悪戯で大切なコイツの命を奪おうとする神様なんてふざけた野郎が居たら殴り飛ばす。
だけれど、それ以上に大切なコイツに巡り逢えた運命をくれた神様に。そして、それを教えてくれた彼らに『ありがとう』と言いたい。
――俺はただ、素直にそう想ったんだ。
正しい解を選んだ世界が、避けられない別離を連れてきたとしても大丈夫。
決して消えせぬことのない大切な想いに殉じて、俺は生きてゆこう。
いつの日か先に逝ったアイツに、この世界のことをもっと伝えられるように。
全てを零に戻す雪。消えせぬ雪は無く、全ては春の歓びへと繋がることを――。
そんな世界の小さくて、ありふれた何よりも大切なお話。