●その心の炎に従い
「……本当に、蟻を率いているのですね」
メレク(
jb2528)は翼を広げて天に舞うと、蟻たちの動きを見て呟いた。彼女自身もかのヴァニタス・カゲロウの行動に疑問を感じる一人であったが、いざ目の当たりにしてしまうと認めなければならない。
彼もまた、人に仇なす魔の一員なのだと……。
遠く、紅く染まる空にカゲロウが飛んでいる。
日中だと言うのに、赤蟻の群れで空が紅いのだ。
「こうなっては致し方ありません……」
メレクの隣を飛ぶ番場論子(
jb2861)が目を伏せる。彼女自身も些か解せぬという事なのだろう、言葉にはやや躊躇いがあるようだ。
地上の仲間達の心境も複雑だろう……。と、メレクは眼下の光景へと視線を移した。
「Holy shit!」
天に舞うカゲロウの姿に、央崎 枢(
ja1472)は悪態をつかずにはいられない。
はじめは敵としか思って居なかった。しかし、何度も刃を重ね、時に共闘する事で、相手が人の心を”残している”と知りそれを惜しむようになった。
故に、今のカゲロウに違和感を感じ、苛立ちを隠せない。
「……央崎君。集中しなさい。そんな揺らいだ気持ちで彼を止められるのかい?」
ヒズミ・クロフォード(
ja1473)が珍しく厳しい口調で嗜める。
「……分かってる。そんな事、俺が……」
央崎は言葉を飲み込み、その葛藤と戦う。その姿を見て、ヒズミは柔らかく微笑む。
この少年はぶっきらぼうな所はあるが、仲間にもそして敵であっても、その者を認め、戦うことが出来る強さを持っていると……。
ヒズミは帽子を押さえ自らの表情を隠す。
(あの男が、復讐を諦めるとは思えなかったのですが……やはり、これはおかしい?)
ヒズミは、カゲロウがヴァニタスであるにも関わらず、悪魔に対して復讐心を抱いている事を感じていた。それは同じく復讐を誓った者が感じるシンパシーであり、同時に反面教師としての葛藤でもあった。
「その……報告書などを見た所、変わったヴァニタスであるとは思います。ですが、私にもまだよく分からないんです……皆さんがそこまで心配するような相手なのでしょうか?」
知楽 琉命(
jb5410)が疑問を口にした。彼女にとっては因縁の無い相手だ、書面上の記録しか接点が無い。
しかし、仲間達の話を聞くと、ヴァニタスという括りで、括れないような気もするのだ。
「心配? そんな事はしていませんわ」
長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)はウォーミングアップとばかりに、拳をリズム良く突き出す。
「ただ、あの方を止めるだけ……それは心配だとか、同情とかではありませんわ。そう、あの方の人としての心と約束をしたのです」
呼吸を整え、長谷川は自らの意志を言葉にする。それは貫き通す決意だ。
「オラも前に一度さあっただけだけど……なんだぁ、カゲロウさー泣いてるようにも見えるんだべ?」
御供 瞳(
jb6018)は感じたままを言った。
「オラぁ、長谷川さんとはぁ、違って約束さしてネェけんど、止めてやりたいってぇ思うんだべ」
感情からの言葉に、理由など要らない。
それぞれに思う所はあれど、それが一つでなければならないわけではないのだ。
誰もが、自分の思う何かのために戦う。
―― 自分の心に火を灯せ!
「ごちゃごちゃ何言ってんだ。敵はヴァニタスだろ? ディアボロを率いるのは普通の事じゃねぇか」
臨戦態勢を整えたデニス・トールマン(
jb2314)が、声を上げる。
蟻たちが動きを見せ始めたのだ。戦場では、優雅に物思いに耽っている暇など無い。
空ではメレクと番場が蟻たちと衝突を開始した。
そして、遠く紅の空には刃を抜くカゲロウの姿があった。
●未来へと繋ぐ道筋を
「捌ききれない……数が多すぎますっ」
敵に囲まれる前に、番場は羽蟻たちから距離をとった。蟻たちは遠距離からの魔法攻撃でも苦労する事無く落すことができる。
脆いのだ。
しかし、群れと言う絶対的な数の力の前では、その脆ささえも弱点足り得ない。
番場が距離をとると、蟻たちはそれを追うように飛行する。
「……もう少し……」
蟻の群れの中に孤立してしまえば、いくら撃退士や天魔でもひとたまりも無い。番場は相手に捕まらないように飛ぶ。
「うおりゃぁぁぁあっ!」
大声とともに御供は大剣を振り回して、番場が引き連れてきた蟻の群れへと突撃した。
御供の一見、無策にも思える特攻だが、それに合わせて後方から銃弾と魔力攻撃が飛ぶ。
ヒズミと番場だ。
振り回した剣が扇風機のように回って、敵を巻き込んでいく。
その攻撃が取りこぼした蟻を天空から番場の魔法が引き裂き、地上からのヒズミの銃弾が打ち抜く。
羽や体を分断された蟻は大地に落ち、燃え上がって灰となった。
「あ、あっじぃ……燃えるかと思ったべ」
御供は思わず汗をぬぐった。
羽蟻たちの体は非常に高温で、ただ近くで戦うだけでも生身には負担が掛かるのだ。
「……思った以上に、彼の元に辿り着くのは難しいのですね」
メレクは蟻たちの群れを撃ち落としながら呟いた。番場らのように群れを一箇所にまとめて討ち滅ぼすのは、数を減らすという観点からは、理にかなっている。しかし、前に進む方法ではない。
「央崎さん、私が道を開きます。続いてください!」
メレクは地上の仲間に告げると、その翼をはためかせた。
「――っ!?」
央崎の制止の言葉はメレクには届かない。
彼女もまた、心に秘めていた。
人と天魔が手をとる未来。
その可能性を信じているのだ。
そう、天使である自分と、自分が敬愛する人間が手を取ることができたのだ。
ヴァニタスとだって、心が通じることがあるはずだと。
故に、今のカゲロウの姿には違和感を抱いていた。
メレクは蟻の群れに向かって、全身の魔力を込めた一撃を放つ。
黒い光の衝撃波は、蟻たちを屠って、群れに穴を開けた。
それは暗い闇夜に挿す灯台の光り。
カゲロウへの道標。
メレクは蟻の群れにできた穴を突き進む央崎たちの姿を見て、そして彼らを頭上から守るため蟻の群れへと向き直る。
同じように、番場やヒズミたちも支援に回った。
だが、まだ彼らは気づいていない。
蟻たちの数が最初から減っていない事に……。いや、寧ろ数が増えているという事に……。
●地獄か極楽か
蟻の群れに空いた穴を突き進み、真っ先にカゲロウへと辿り着いたのは央崎だった。
央崎は空中にいるカゲロウに向かって刃を振るう。高速で振るわれた両の刃から衝撃波が生まれる。
カゲロウも自らの手の刀を高速で振るう。
空中で、衝撃波が炎とぶつかり弾けた。
「カゲロウさんっ! あなたは人のはずです。どうか聞いてください!」
長谷川がカゲロウに訴えかける。
一度は言葉を交わし、そして共に戦ったのだ。
自分の言葉が届くと信じて、彼女は語りかける。
「あなたは何に突き動かされているのですか? 目標があったはずです。信念があったはずです」
長谷川の言葉に、カゲロウは一瞬戸惑った。
「俺の……信念……」
「そうです。信念です。それにそぐわないのならば、このような無益なことは止めて、刃を下ろしてください!」
長谷川は自らの言葉が届いたと、喜び続ける。
「俺……コロス……アクマ……テンシ……俺達を忘れた……ニンゲン……も……ダァァァアア!」
再び刀を振るい、揺らめき見えざる炎の刃が長谷川たちを襲う。
「チッ! お嬢ちゃん。どうも駄目みたいだぜ」
炎から長谷川を守ったのはデニスだった。
「なるほどな…様子がおかしいってのは、こういう事か……あいつ、何かに洗脳されてるんじゃねぇか?」
「っ、洗脳!?」
デニスの言葉に長谷川は驚きと、ともに何か安堵を感じた。
「そのようですね。今なら分かります。皆さんがなぜあのヴァニタスに心を傾けていたのか」
知楽がデニスの傷を癒しつつ、長谷川に笑いかけた。
「洗脳だと……、そんな風になったアンタを倒したかったわけじゃねぇ!」
央崎が叫んだ。
「……ならば、本当のあの方へ言葉が届くまで訴え続けます」
長谷川は意を決し、拳を握った。
一方、蟻の群れを抑えていた御供が弱気な声を上げた。
「キリがねぇんだべさ〜!」
先ほどから倒しても、倒しても、蟻たちの数が減らないのだ。
「これは……」
流石に不信に思った番場も、言葉を詰らせる。
『志方です……重要なデータを……お伝えいたします」
通信端末から、オペレータの志方 優沙(jz0125)の声がノイズ交じりに聞こえてきた。その内容は、彼らに戦慄を走らせる内容だった。
「……なるほど、ほぼ無限に増殖するのですか……」
『はい、前回、金庫に居た女王と同じように自らの兵士を分裂によって生み出せる個体が、その場にも潜んでいるようなのです……』
志方の声に、番場は腕を組む。
「つまり、女王を倒さないとこのイタチゴッコに我々が負けるという事ですね」
ヒズミは飄々と言うが、その目は笑っていなかった。
「私が見つけます」
通信を聞いた知楽が他の撃退士たちに声をかけた。
彼女は精神を統一し、周囲の生命反応を探る。女王が分裂をする瞬間、その時、一箇所に極端に生命反応が集まっているはずなのだ。
隠れた女王を探す。
「――っ、見つけました!」
知楽が女王蟻の姿を捉えた。
「邪魔もんは吹き飛ぶべ!」
その指示に従って、御供は女王蟻の周囲の蟻たちを吹き飛ばす。
女王は、孤立すると再び分身を作ろうと身を蠢かす。しかし、それでは遅いのだ。
天空からメラクが女王の頭上に舞い降り、雷を落とした。
蟻の女王は、その光に撃たれ沈黙した。
●幻の炎は消えて
「カゲロウさんっ!」
長谷川が拳をストレートに突き出した。カゲロウはそれを寸でのところでかわす。
かわした先に、央崎の刃が閃く。
カゲロウはそれを刀と、背の炎の羽を使っていなす。
「チッ」
央崎はバランスを崩しながらも、蹴りを入れる。
カゲロウはそれを受け、衝撃を殺すように横に飛んだ。
そして、着地と同時に刃を収め。居合いの構えを取った。
「させるかよっ!」
「させませんわっ!」
カゲロウが居合いの間合いに離れると、央崎は一瞬で間合いを詰めて剣を振るう。同じように、央崎が間に合わないタイミングは長谷川がカゲロウの懐へと飛び込む。
数合の後、カゲロウの背からは炎の羽が失われ、小さな羽根一枚となった。
「今度こそ、いくぜっ!」
央崎が飛び込む。しかし、その大振りの刃はカゲロウには届かなかった。
カゲロウはそれを待っていたかというばかりに、跳躍したのだ。そして、魔力を練り上げ炎の羽を4枚にまで回復させた。
カゲロウの口元から血が流れ出た。そう、この力には無理があるのだ。命の炎を燃やすと言う制約が。
血を吐くカゲロウを見て、長谷川が目を伏せる。
「そんな無茶をして……、すぐに止めて見せますわ!」
決意と共に長谷川が飛び込んだ。
カゲロウはその背の羽の炎を長谷川に向けて飛ばす。炎は円弧を描き、長谷川の周りを囲もうとした。
「長谷川っ」
咄嗟に、央崎が長谷川を突き飛ばした。
炎の円は閉じると、そのまま中に居た央崎とカゲロウの二人を閉じる牢獄となった。
「央崎くん!」
ヒズミが炎の檻を壊そうと銃弾を浴びせ、番場が魔法を撃ちこむ。それでも檻は未だ健在だ。
中では、背の炎を刀に込めてゆっくりとカゲロウが上段の構えを取る。
「……いいぜ、来いよ!」
唾を飲み、央崎が両手の刃を強く握り締める。あの一撃を受ければ一たまりもないだろう。それでも、央崎は構えた。
「カゲロウさんっ! 殺戮衝動に身を任せ、目の前の敵を破壊しては駄目っ!」
長谷川の叫びは懇願にも近かった。
「……駄目だ。壊れないっ」
ヒズミの声にも焦りが混じる。
「……この、わからずや!」
長谷川は叫ぶと同時に、炎の檻に拳を打ち込んだ。
驚異的な速度で放たれたそれは、黄金の輝きを見せ。インパクトと同時に檻を破砕した。
「あとは、任せましたよ」
長谷川の声と共に爆発が彼女を飲み込んだ。
カゲロウは檻が破られたのを察知すると、全身全霊をかけて刀を振り下ろした。
その刃は央崎の命を焼き尽くすだろう。
だが、
「やっと……捕まえたぜ!」
央崎を斬るはずの刃は、デニスの身体に埋まりその軌道を止めた。長谷川が檻を破壊しなければ間に合わなかっただろう。
デニスは、刀が刺さったままの身体で、拳を振り上げカゲロウに叩き付けた。
完全に意表を突かれたカゲロウは、刀を放して吹き飛んだ。
カゲロウが起き上がると、ゆっくりとデニスは地に臥した。
「アンタにはいずれ勝ちたい。そう思ってた。だから、仲間たちの作ってくれたチャンス、決めてやるぜ!」
央崎の刃はカゲロウを切り裂いた。
そして、ゆっくりと、カゲロウは仰向けに倒れたのだった。
●揺らぐ世界
「……ここは……」
カゲロウが目を覚ました時、何故か人間たちがディアボロから自分を守っていた。
「目が、覚めましたか」
癒しの力を使っていたのは知楽である。
カゲロウは無言で頷く。
「良かった、どうやら正気に戻ったのですね。あなたには人間の心を持ったままで居て欲しい」
負傷し立ち上がる事は出来ないが、横たわった長谷川が微笑む。
カゲロウはその笑顔に目を伏せる。
「……お前達は本当に、お人好しだ……」
彼の脳裏に映ったのは、群馬の故郷と家族、友人達の姿だった。
誰も彼もが平和に、暮らしていたのだ。
「俺は、復讐を諦めては居ない。その復讐の相手には、天魔だけでなく、故郷の事を忘れた人間たちも入っている。
だから、今、ここで、
―― 俺を殺せ」
「嫌だね。またいつか闘おうぜ。真正面で刃を向け合うか、背を預けて別のを共に討つか、どっちでもいい」
最後の蟻を切り伏せ、央崎が歩いて来た。
「今度は、本当の一対一で戦えるくらい、俺は強くなってやる」
央崎が手を差し出した。
その言葉に、カゲロウは再び。
「お人好しだ……」
と呟き。手を伸ばす。
互いに差し出した手が、重なる……事は無かった。
カゲロウの手は空を切り、そして倒れた。
その胸には槍が突き通ったかのごとき風穴。
誰もが言葉を失った。
そこに天から言葉が降ってきた。
「所詮、出来損ないのヴァニタスか……まぁ、それなりの余興にはなったか」
悪魔、トゥラハウスは自ら止めを刺したヴァニタスを一瞥すると、直ぐに興味を失った。
彼にとっては、本当に取るに足らない存在だったのだ。
「テメェ!」
央崎が怒りを露に剣を振るった。その衝撃波をトゥラハウスはなんなくかわし、腕を組み撃退士たちを見下した。
「そうだ、人間ども! 折角、群馬の結界を開けてやったのだ。せいぜい、ぶざまにあがくがいい!」
それだけ言い残し、悪魔は去っていった。
撃退士たちはついに遭遇したのだ。
群馬を統べる悪魔に……そして、かの悪魔は今なお、悪意の策謀を練り続けている――。