●閉ざされた世界
ブゥゥゥゥゥウウウン――。
空調の低い振動音。頭上と壁面に備え付けられた明かりは、半分ほど役割を果たさずに点滅を繰り返し、室内は薄暗い。
金庫の奥には半球を抱えたディアボロ。狭い空間に犇く【蟻】ディアボロの女王。扉の前には、影のような黒い羽を持つサーヴァント。そして、撃退士たちの前に佇む。刀を持ったヴァニタスの男・カゲロウ。
一体、このような展開を誰が想像しただろう……。
「閉じ込めぇられたでがしょ?」
御供 瞳(
jb6018)は自分の置かれた状況を整理しようと周囲に尋ねる。もちろん、そんな事はわかっている。ただ、確認せずには居られなかったのだ。
「の、ようですねぇ」
帽子で目線を隠したヒズミ・クロフォード(
ja1473)が、やれやれとため息をついた。
蟻たちは、壁や天井へと昇り、獲物を囲む。退路は閉ざされており、門番まで居る。
「おいおい……随分とHOTなパーティー会場じゃねェか」
蟻たちの動きをサングラス越しに鋭く睨み、デニス・トールマン(
jb2314)が豪快に笑った。
「パーティーなら、ドレスでも着てくれば良かったわ」
その笑い声に長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)がため息交じりに答える。
「えぇ、本当に。それならば、楽しめたかしらね」
優しい微笑みで御堂・玲獅(
ja0388)も続ける。ただ、決して余裕から発せられた言葉。と、いう事ではない。彼女はアウルを体内で練り、周りの皆を守る結界を作る準備をしていた。
「パーティー……なら、よかったですね」
御堂を護るように、メレク(
jb2528)もその背の翼を広げる。
「旦那も大概だが、皆も結構いかれてるぜ」
彼独特のスタイルで央崎 枢(
ja1472)は、二本の剣を構える。
「まったく、皆さん余裕ですね……。来ますっ!」
番場論子(
jb2861)が眼鏡を指で押し上げ、叫ぶ。
次の瞬間、蟻たちは一斉に飛び掛る。撃退士たちもそれに応戦した。
「透過……も、防がれているか」
カゲロウが呟く。どうやら、透過で脱出できるかを試したようだった。
蟻は撃退士だけでなく、カゲロウやサーヴァントにも襲いかかる。サーヴァントはその翼で影に潜み、蟻たちをやり過ごした。
カゲロウは炎を纏った刀で蟻たちを切り裂く。
「ふん……はじめから、焼き尽くすつもりだ。やることは変らないっ!」
数匹の蟻を斬ったカゲロウは、その刃でサーヴァントにも斬り付ける。しかし、サーヴァントは再び影に潜むと、姿を消したまま攻撃してきた。見えない敵からの攻撃に、カゲロウは咄嗟に距離をとるが、伸縮自在な影の翼は鋭くカゲロウの手足を切り裂いた。
蟻たちは思わぬ反撃に動きを止める。女王が取り囲んで様子を見る様、指示を出したようだ。
大群の蟻。
この閉ざされた空間では、奴らのアドバンテージは計り知れない。
「カゲロウッ」
ディアボロとサーヴァントから距離をとったカゲロウに、央崎が声を掛けた。周囲では番場やヒズミらが蟻を牽制しつつ戦っている。
「人間……確か、央崎……だったか」
カゲロウは央崎に向き直り、刀を構える。
「あぁ。……カゲロウ……、一時休戦しないか?」
「休戦だと?」
カゲロウの殺気が高まる。その威圧感は並みの人間ならば、竦み上がっていただろう。だが、央崎は何度もこの男と対峙してきたのだ。ここで、引き下がる事は無い。
「そうだっ!」
「ふざけたことをっ」
カゲロウは央崎の返事に、間髪居れずに間合いを詰めて刃を振り下ろす。
しかし、その刃は届かない。
「落ち着けよ。別に仲良くしてくれなんて言ってるワケじゃ無ェんだ……首が繋がったままこの地獄を出る、今はそれで十分だと思わねェか?」
割り込んだデニスは刀ごと押し返す。カゲロウは力に逆らわず後ろに飛び退く。着地と同時に膝を着き、刀を地面に突き立てて勢いを殺す。
「……別に、貴様ら全てを殺してから出ればいいだけだ」
低い姿勢のまま、カゲロウの視線が眼光鋭くデニスを射抜く。
「お待ちなさいな」
二人の間に長谷川が割って入った。
「……女……」
「どうやら、覚えてくださっていたようですわね」
カゲロウの反応に、長谷川は何か満足げに頷き、言葉を続けた。
「言いましたよね。わたくしは一歩間違えればあなたと同じようになる、と。ならばあなたが一歩踏みとどまれば、共に歩めるのではないかと思うのです」
その自信はどこからくるのか。長谷川は疑いなく、カゲロウへと手を差し出す。
カゲロウは無言で頭を抑える。
ヴァニタスの男は逡巡していた。彼にとって人間も天魔も等しく憎悪の対象なのだ。
(……記憶が曖昧だ。力が必要。何故? 復讐……そのはずだ。だが、何故? 人間も憎むのだ?)
苦悩する男に御堂が歩み寄っていく。
「玲獅っ、危険です」
メレクの制止に、首を振ってカゲロウの元へと歩み寄った。
「……この金庫から出るまでの間だけで構いません。私達に力を貸してください」
御堂は苦しむカゲロウの手を取ると、アウルの力で傷を癒す。
「何を……? 俺は……敵だぞ」
「いいえ、あなたが了承してくれるのならば、私達は”仲間”です」
御堂ははっきりと、仲間と口にした。
メレクはその姿に、かつての自分を重ねる。天使である自分を……傷ついて倒れた自分を救ってくれた優しい人間、御堂 玲獅。彼女なら、重ならない人と天魔をいつか繋げるのではないか? そんな未来を夢想した。
「カゲロウ。俺達が必ず外へ出る方法を見つけ出す。外に出たら戦ったっていい」
央崎も長谷川とともに手を差し出す。
「……ふん。奴らを殺すまでだ。それ以上は待たん」
カゲロウは立ち上がると、二人の手は取らずに間を通り抜ける。
「あぁ、あいつらを倒すまでにそれができなかったら、その時は好きにすればいい」
央崎は通り抜けていくカゲロウに視線を向けずに言った。
交差することのない人と魔の使いの視線。
やはり、分かり合うことは無いのだろう……。だが、長谷川にはすれ違った瞬間。カゲロウが僅かに笑っていたように見えた。
●未来への鍵
翼をはためかせた番場は、蟻の大群目掛けてアウルで作った光球を放った。薄暗い室内がパッと明るく照らされると、既に蟻との激闘を繰り広げていた御供やメレクたちの姿が浮かび上がった。
「今です、ヒズミさんっ!」
番場の合図で、ヒズミは銃撃。放たれた弾丸は味方と敵が入り乱れる中、寸分たがわず蟻の頭に命中した。ヒズミはそんな芸当を顔色一つ変えずにやってのけたのだ。しかし、その内心は決して穏やかではない。
絶体絶命なこの場面をかつて経験した、味方が全滅した戦いと重ねてしまったのだ。
時折、フラッシュバックする過去を振り払い、ヒズミは未来へと目を向ける。
(仲間の誰も死なせないために、自身が鉄壁の迎撃システムに徹する……)
心の中で、誰に聞かせるでもなく決意した。
「御供さん、一旦引いて体勢を立て直しましょう。メレクさんは天井の蟻を落としてくださいっ!」
的確な指示で番場が、戦場を指揮する。
(数が多いですね。挟撃に警戒。味方の孤立分断に注意……)
箱の中は、空が狭い。天井や壁を這う蟻たちとの戦闘では、空中にいるアドバンテージが意味を成さないのだ。
(出来れば、波状攻撃の後に女王を叩きたい……っ!?)
蟻の群れから距離をとったところで、番場の足を黒い影が掴んだ。
「しまっ……」
た。と言うこともできずに、番場は影によって地面へと落とされる。サーヴァントの影の羽だ。
「っと! 嬢ちゃん軽いな」
衝撃に備え、目を瞑った番場は、落下寸前にデニスによって抱きかかえられた。
「デニスさん……助かりました」
「無事で何よりだ」
デニスは豪快に笑う。そのサングラスの奥、隠された瞳はとても優しい事を多くのものは知らない。
番場は床に下ろされると、周囲の見回す。
今まさに攻撃してきたサーヴァントを目掛け、長谷川が鋭いストレートを打ち込んだ。サーヴァントは影の羽を器用に緩衝材にして、長谷川の攻撃をいなした。長谷川の体勢を崩すと、影の羽を無数に伸ばして刃のように細い刃として、斬りつける。
回避動作が遅れた長谷川は腕をクロスしてガードの体勢を取る。
しかし、その影を炎を纏った刃が切り裂いた。
驚く長谷川の前に、央崎が走りこみ。サーヴァントに両手の剣を叩き込む。
サーヴァントは影に溶け込むようにしながら後退し、央崎はそれを追う。
後に残った長谷川の横には、カゲロウが立っていた。
「カゲロウさん、助けてくださってありがとうございます」
「……勘違いするな。ただ、奴にはこの傷の借りがあるだけだ」
刀を鞘に収め、カゲロウが淡々と言った。
「それでも、ですわ」
「……。可笑しな奴らだ……、奴は俺が斬る。お前達は蟻を潰すがいい」
微笑む長谷川に、カゲロウは視線を逸らす。
「……ヴァニタスとの交渉は……成功したのですね」
その光景を見て、番場は驚きとともに呟いた。
(央崎さんの提案には、驚かされましたが……、一時手を結ぶならあの方しか居りませんものね)
番場はまさかヴァニタスと手を結ぶとは。と、思ったものの、それならば人に組した天使の私も可笑しいのですね。と、思い直した。
カゲロウがサーヴァントを引き付けたため、御堂は扉へと辿り着いた。コンソールには奇妙な文字盤とともに、数字による入力キーが備え付けられていた。
「パスワード……」
コンソールへと伸ばされた御堂の手が止まる。
「御堂さんっ!」
番場の声に、御堂は天井を仰ぎ見る。天井から蟻が一匹落下してきたのだ。
「玲獅っ!」
メレクの悲鳴にも似た声が響く。
「どりゃぁぁあっ!」
雷のアウルを身に纏い。御供が蟻を蹴り飛ばした。
「大丈夫でがしょ?」
「えぇ、ありがとう」
御堂の元に、御供と番場が駆けつけた。
メレクは御堂の無事を確認すると、一瞬だけ頬を緩めた。しかし、すぐさま翼を広げ、天井に残った蟻たちを撃退する。
蟻の群れの中、長谷川は一直線に女王のもとへと走った。カゲロウのあの言葉は、自分に蟻たちは任せたと、いう事だ。と、長谷川はそう捉えた。故に、突き進む。
女王蟻は近づく長谷川に、自分の分身たる蟻たちを壁とした。その蟻目掛けてメレクの雷撃の魔法が天から降り、ヒズミの弾丸が撃ち込まれる。
長谷川は二人の援護で開いた道を、ひたすらに駆け抜ける。アウルが背から放出され、加速。体内の力を拳一点に乗せ、女王の持つ半球にまっすぐに打ち抜く。
「やぁぁぁあっ!」
長谷川の裂帛の気合と共に、女王の半球にヒビが入った。
●箱庭の外へ
「ちっ! また隠れやがったか」
央崎の刃が空を切り、サーヴァントは影に沈んだ。
本気で隠れられると、位置をつかめない非常に厄介なサーヴァントなのだ。
「苦戦しているな、央崎」
「そいつは、あんたもだろっ!」
央崎とカゲロウは背中合わせになり、見えざる位置から伸びてきた影を、手にした刃で弾いた。
「攻撃の瞬間は、姿を現す……」
「つまり、そこを狙えって言いたいんだな。いいぜ、乗ってやる!」
閉ざされた箱の中だけのタッグは、まるで百年来の戦友のように、同時に飛び出した。
「パスワードですか……」
番場もコンソールの前で、考えを巡らす。
この扉が開かなければ、事態は最悪のシナリオに移行するのだ。
「おらには、パスワードわがる気がするべ」
「御供さん?」
「あの部屋さあっだ、メッセージが妖しいべ」
御供が言っているのは、屋敷の主の書斎と思われる場所に書き残されたメッセージの事だ。
「確か、天使も……」
「……悪魔も殺せでしたね」
御堂と番場もその言葉には、引っかかっていた。
「でも、それが一体どう関わってくるのでしょ……うか……?」
疑問を口にした御堂だったが、その途中である事に気がついた。
コンソールに並ぶ文字列が、天使と悪魔の英語のスペルになっているのだ。
「なるほど、では、殺せというのは……」
「消せばいいんだべ」
番場の問いに御供が答えた。
「天使と悪魔、つまり「ANGEL」と「DEVIL」を縦、横、スペルが逆、折れ曲がって表示、スペル重複、も可として考えそれらを除去した結果。残った文字をなぞっていくと……」
御堂は二人に頷くと、文字列の上に指を置きスペルをなぞった。
「5」
「4」
「3だべ」
三人は顔を見合わせ、そしてコンソールのキーに手を伸ばした。
女王蟻の持つ半球の破砕とほぼ同時に、金庫の扉は鈍い音を立てて開錠されたのだった。
「……奴らめ……本当に、開いたか」
鈍く響く開錠音を聞き、カゲロウは扉の方を向いた。一瞬の隙を逃さず、身を潜めていたサーヴァントは、その影の翼を伸ばした。
「見えているぞ。そろそろ、燃え尽きろっ!」
炎を纏ったカゲロウの刃が、サーヴァントの翼を斬り裂く。
影の翼を根こそぎ斬られ、サーヴァントの姿が闇の中から現われる。
「こいつで、ジ・エンドだ!」
すかさず、央崎の二振りの剣がサーヴァントを捕らえた。
切り裂かれたサーヴァントは、空中で炎に焼かれて灰と化したのだった。
「……行ってしまったのね」
ディアボロとサーヴァントを倒した一同は、金庫の扉を開いて外へと出ることに成功した。
しかし、その時にはすでにカゲロウの姿は無かった。
「えぇ、分かり合えたと思ったのですけど」
長谷川は少し残念そうだ。
「……だが、これで終わりってわけじゃねぇだろ。また、必ずぶつかる時がくる」
央崎の言葉に、皆が静まった。
「さっ、今はさっさとここをでるのが肝心だべ」
沈黙を破り、御供が階段を上る。
皆もそれに続く。
地上への階段を昇りきった先。開かれた扉の先に進むために――。
●世界は続く
「くっそー、またやられたのかよーっ!」
金髪の悪魔少女がなにやら難しい顔をしている。それもそのはず。最近、彼女の大切な半球がいくつも破壊されているのだ。
「あっ! そういえば隠してたのがあったんだよねー」
かつて、自分が隠した半球を思い出して少女の表情が明るくなる。
「……あ、あのドクサ様」
「ん?」
少女の配下はとてつもなく言いにくそうな顔だった。
「それ、先日、壊されましたよ……」
「なっ、なんだってーっ!」