●囮作戦
砂穴の縁から高飛び込みのように綺麗な姿勢で少女が宙に舞う。
そのまま砂の中へと思いきや、少女の身体はふわりと風に乗る。輝く翼を広げ砂穴を旋回する天使の少女――。メレク(
jb2528)は底の方へと滑空する。
その天使の体からはロープが伸びていた。ロープの先には長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)、オルタ・サンシトゥ(
jb2790)、御堂・玲獅(
ja0388)、央崎 枢(
ja1472)らが居る。ロープを引く姿はまるで凧揚げでもしているかのようだった。
凧揚げの横にはヒズミ・クロフォード(
ja1473)、フラッペ・ブルーハワイ(
ja0022)。そこから離れた位置で番場論子(
jb2861)が周囲の警戒にあたっていた。
メレクは携帯音楽プレイヤーを操作し、音楽を再生する。スピーカーからは学生達に流行の歌が響いた。
数十分前。
「私が囮になりましょう」
メレクの発言に長谷川は思わず立ち上がる。
「そんなっ! 危険すぎるわ」
砂穴の中からディアボロをおびき出さない事には、有効な攻撃は出来ない。そういう話になり、メレクが囮役に手を挙げた所であった。深い砂穴の砂に足を取られないようにするには、確かに飛行できる者が適任だろう。
「もちろん、危険は承知です。私が敵に捕捉される可能性もあります。ですから、皆さんには私の命綱をお願いしようかと……」
「……分かったわ。でも、事前準備は怠らないようにしましょう」
御堂がメレクに微笑みかけた。もちろん心配していない訳ではない。寧ろ他の誰よりも心配だろう。しかし、微笑んだのだ。それは信頼しているからこそのものだったのだろう。
それからの皆の動きは迅速であった。作戦のための綱を調達し、敵の攻撃から身を守るために御堂がアウルの鎧で防御を固めた。
「くれぐれもご無理は為さらないで下さいませ」
長谷川の言葉に頷くと、メレクは飛び立ったのだ。
砂の中に音楽プレイヤーが沈み、音が途切れ始めて、ハッとメレクは我に返る。砂穴に変化は無い。小さな質量だけではおびき出せないのかと、もう一つの仕掛けを砂底に向けて投げ入れた。それは発煙筒などを駆使して作った囮用の細工。音と煙と光が混ぜこぜになり、砂が爆ぜる。
ようやく囮につられたのか、砂穴全体の砂が渦を巻き始めた。音楽プレイヤーが、砂底に到達しそうになるとともに巨大な虫の足が飛び出してきた。
「っ! かかった」
蟻地獄は音楽プレイヤーを周囲の砂ごと巨大な顎に招きよせ粉々に粉砕した。砂底から数本の足と頭が露になる。
メレクはその周囲をパイオンを持って旋回。目に見えぬほど細い金属糸が蟻地獄の体を絡め取った。蟻地獄はもがき足を動かそうとするが、金属糸が邪魔をする。
「これで、あとは引き寄せるだけ……。敵、捕縛しました! 引っ張り上……」
作戦通り上手く行ったという一瞬の油断が、メレクの回避動作を遅らせた。蟻地獄は絡め取られていない数本の足で砂を掘り起こし、メレクに浴びせかけたのだ。
逆に視界を奪われバランスを崩したメレクに蟻地獄の太い足が振り下ろされた。
●獲物がかかり……
――衝撃!
「メレクさん!」
砂底へと叩き落とされたメレクを見て、咄嗟にオルタは白い翼を広げて穴底へと飛翔した。
「アトっ! ロープを運んで」
と、同時にオルタはヒリュウ。アトルムに新しいロープを咥えさせる。
蟻地獄の足が再びメレクに叩き込まれアウルの鎧が砕け散る。巨大な顎が今にも捕食しようと迫った。
「させないっ!」
番場も翼を広げ飛ぶと蟻地獄への射線を確保。放たれた魔力による衝撃波が蟻地獄の足を弾き、メレク目掛けて振り下ろされた足の軌道をずらしたのだ。
オルタは砂に沈みそうになっているメレクを抱きかかえ、引き抜こうと羽ばたく。その無防備な姿を蟻地獄は逃さない。番場やヒズミたちもその動きを妨害するように遠距離からの射撃で蟻地獄を牽制する。
「砂の枷に縛られるような疾風に、なるつもりはないのだ!」
フラッペは数枚の板を砂穴に放り込むと、それを足場に蟻地獄目掛けて疾走した。砂に沈む寸前の板を蹴り、蟻地獄へと迫るフラッペ。蟻地獄は近づいて来た脅威と思われる存在目掛け足を振り下ろす。
刹那、フラッペの上体が低く沈み込む。そして縮んだバネが弾けるように加速。左手で帽子が飛ばないように抑えつつ。蟻地獄の足をすり抜けた。オルタとメレクのもとへと走った。
「フラッペさん! お願いします」
オルタは抱え上げたメレクを駆け寄るフラッペに預ける。
「OK! ボクに任せなっ」
フラッペはメレクを肩に担ぐと、立ち止まる事無く砂穴を駆け上がった。
オルタはアトルムからロープを受け取る。まだ、メレクのパイオンが絡みついたままである。その隙にと、飛翔しながら蟻地獄の動かなくなった足にロープを繋ぐ。
「引いてくださいっ!」
蟻地獄がもがいて足を振り上げた瞬間、オルタは合図を送る。その合図と共に長谷川たちがロープを引いた。
足を上げたせいで、踏ん張りが利かなくなっていた蟻地獄は、砂底から引きずり出されたのだった。
●釣られたのは?
「メレクっ……」
御堂はフラッペに担がれてきたメレクに駆け寄ると、癒しの力を使う。暖かな光がメレクの身体を包み込んだ。
「すみません。玲獅」
「いいのよ。まだ動かないで……」
御堂の言葉に、メレクは起こしかけた体を再び横たわらせた。
アスファルトまで引きずり出された蟻地獄は、ようやく身体を縛る糸を振りほどいた。蟻地獄は無数の足で上体を起こす。腹部の上、背にあたる部分にある半球が露になり、日の光に照らされ黒く光る。
ヒズミはすかさず、半球目掛けて銃弾を放つ。蟻地獄はその弾丸を身体を震わせて弾いた。背面部分は強固で単純な射撃攻撃では致命傷を与えるのは難しいようだ。
「いくぜっ!」
央崎が飛び込んだ。獲物が来たとばかりに、蟻地獄は右前足を高く振り上げ、央崎目掛けて振り下ろす。
頭上からの巨大な質量を央崎は両手の剣を交差させて受ける。すでに何度も見た単調な攻撃だ。央崎は蟻地獄の前足を受け流し、身体を回転させ懐に飛び込む。
「こいつでどうだっ!」
央崎はからだを回転させた勢いで、蟻地獄の頭を蹴り上げた。上顎が天を仰ぎ、両前足が浮く。頭と胴が仰け反る。
そこにすかさず、ヒズミが弾丸を浴びせる。大抵の生物は内側、つまり背よりも腹の部分の方が弱い。仰け反った蟻地獄の身体に、今度は弾丸がめり込む。
思わず蟻地獄は体を反転させ穴へと戻ろうとする。
しかし、地上に降りたオルタと、回り込んだ長谷川がその行く手を阻んだ。
蟻地獄は構わず二人に突進する。振り下ろした足がアスファルトを砕き、蟻地獄が走る。迫る脅威に長谷川は拳を構える。
突撃してきた蟻地獄に、オルタはヒリュウを突撃させる。それにあわせるように番場の魔力の衝撃波が打ち込まれる。衝撃に身を震わせたが、蟻地獄の歩みは止まらない。
突っ込んできた蟻地獄を軽快なステップでかわした長谷川は、側面からストレートを打ちこんだ。その衝撃で蟻地獄は横転した。
●奈落に散る
横転した蟻地獄は足をじたばたと動かし、身体を起こす。穴への移動を諦めたのか蟻地獄はその場に止まった。否、蟻地獄はまだ諦めていない。その証拠に足先が徐々にアスファルトへと沈んでく。透過能力を使用して逃げようとしているのだ。
「逃がしません」
地面へ阻霊符を貼り、御堂がアウルの力を流し込む。僅かに沈んでいた蟻地獄の体が強制的に弾かれた。それでも、執拗に足を振り下ろし、潜ろうとする。蟻地獄は潜る事に重きを置いたディアボロだ。その執拗なまでの透過への本能は、阻霊符の力を弾こうとする。
その度に御堂は符に力を送り込んだ。
戦線に復帰したメレクが再び、パイオンで蟻地獄の左足を絡め取る。糸の縛りを無視して無理やり動かした左足が散れる。
「じゃぁな……エィメン」
動きが止まった蟻地獄に、央崎の両の刃が高速で振るわれ衝撃波が放たれた。その鋭い斬撃により、蟻地獄の右前足が斬り飛ばされる。
続いて、フラッペが銃から斧に持ち替えて、右後ろ足を斬り飛ばした。片側の足を失い、蟻地獄の身体は崩れ落ちる。なんとかバランスを取ろうとするが、体を持ち上げると同時に、体が揺らいで倒れてしまう。
その崩れ落ちた蟻地獄の背。半球目掛けてヒズミは銃弾を打ち込む。オルタと番場もそれに続いた。集中攻撃を受けた半球に小さな亀裂が入る。
そして、長谷川が跳ぶ。その姿は、アウルの光が背中から放出され蝶のようだった。しなやかな体の中で、アウルの力が爆発する。肩から肘、そして拳へ連動した回転を伴う拳が、半球に繰り出された。
ついに半球はその衝撃を受けて砕け散ったのだった。
足の半数と半球を失った蟻地獄は、地に伏せ絶命しようとしていた。止めを刺すまでも無いだろう。長谷川は蟻地獄に背を向け、仲間のもとへと歩く。
突如、背後の蟻地獄が燃え上がった!
●陽炎再び
「こ……これは一体?」
振り返った長谷川は灼熱の炎で焼かれ、燃え尽きる蟻地獄に驚愕を隠せない。
「こいつは……まさか?」
央崎は思い起こした。かつて出会った、あの男を。
「甘いな……撃退士たち。」
燃え尽きた蟻地獄の残骸を踏みつけ、刀を持った男が現われた。
「おやおや、またお会いましたか。たしか……害虫駆除の業者さんでしたっけ?」
ヒズミの口調は丁寧だが、その目はまったく笑って居なかった。
「えっと……誰なの?」
オルタは恐ろしい気配を感じ、ヒリュウを抱きしめる。オルタだけではない、メレクと番場もその気配の恐ろしさを感じていた。自分達天使とは相容れない存在の気配。
悪魔の眷属たるヴァニタスの気配だ。
「あなた、以前お会いしたヴァニタスですね」
御堂の声も緊張を孕む。
「ヴァニタスですって? でも何故、同じ悪魔を攻撃するような真似を……」
長谷川が疑問を口にする。その疑問は当然だろう。ヴァニタスもディアボロも同じ悪魔の勢力のはずなのだから……。
しかし、男は違った。
「同族だと? ふざけるなよ。俺は人間だ……そんな、蟲と一緒にされたくはない」
突然、男は声を荒げた。
魔力が溢れ、灼熱へと代わる。それは、怒りだ。男のどうにもなら無い程の怒りが具現化しているのだ。
「人……間?」
フラッペは呟く。悪魔と天使を人間と同じように考えてしまう彼女にとって、その男の言葉はいっそ正しく聞こえた。
しかし、その意味するところは違う。
フラッペは同一視して好意的な解釈を持っているのだ。どうしても、敵として割り切れないというように。
だが、男は……。
「悪魔も天使も……そして、お前達撃退士も許すつもりは無い」
全てを憎んでいるのだ。
「撃退士も許さないだと?」
央崎が前に出る。
「そうだ。お前達は今の今まで同族を見捨てていたのだからな!」
「俺達が……人間を見捨てていた……だと?」
男の言葉にその場にいた撃退士たちは、少なからず動揺した。
「そうだ、お前達は力を持ちながら、我が故郷。 ”群馬の存在を無かった事”にしていた!」
男は続ける。
「その間に、かの地の多くの人々は死んだ。俺もだ……。だが、俺は地獄から蘇った」
男は刀を抜く。
「全てに復讐するためだ」
●灼熱の傷跡は揺らめき
「違う! 私達は決して見捨てた訳じゃない。無かった事にされていたのよ!」
御堂の言葉は、男には届かない。
ヴァニタスには届かない。なぜなら、ヴァニタスは己の欲望に忠実な存在なのだから。
男の欲望は、”復讐する”という事を欲しているのだから。
「うるさいっ!」
一歩踏み込んだ男は、炎を纏った刀を振り下ろす。央崎はその刀を受ける。先ほどの蟻地獄の足よりも重い一撃に、膝が沈む。
「どうも、話は決裂のようですよ」
ヒズミが銃弾を打ち込んだ。以前の経験上、弾丸は炎で焼かれてしまうだろう。しかし、その隙があれば央崎が間合いを取る事ができる。
弾丸に意識を向けた男の隙に、央崎は刃を払って後ろへと跳ぶ。
それと入れ替わるように、長谷川が直進して男に拳を打ち込む。それは恐れの無い、純粋な直線を描く力。
男は鞘でもって、その拳を受ける。
「……女。死にたいのか?」
男は静かに、確かな殺意を持って問いかける。
「いいえ。わたくしは生きます。あなたとは違う人間になるために」
長谷川のまっすぐな視線が男の瞳に映る。
「強くなることにしか目的を見出せず、人としての理性を捨て、殺戮衝動に身を任せる……。わたくしも一歩間違えればあなたと同じになるのでしょう。ですから、わたくしはそうならない」
その強い瞳と意志に、男は眉をひそめる。
男は灼熱を纏い鞘を振りぬく。その勢いで長谷川の拳ごと、体を吹き飛ばした。
「人として……」
男の顔に苦悶の相が映る。頭を抑え、フラッシュバックに苦しんでいるかのようだった。しかし、すぐに頭を振ってそれを振り払う。
押し返された長谷川は、地面を転がると受身をとり立ち上がる。
「宣言しますわ! わたくし、長谷川アレクサンドラみずほが、必ずあなたを鎮めてみせますわ」
煤けた制服をものともせず、長谷川は男を指差す。
「……まったく、前回といい今回といい。どうして学園の女子たちは突っ込みたがるんだ」
央崎がやれやれと手を広げる。
戦闘中は冷静を心がける央崎らしからぬ言動ではある。しかし、ふざけているのではない……。
「俺も名乗ってやるよ。央崎だ。……俺らの仲間を斬ったこと、忘れたワケじゃねェだろ? 俺は忘れてねぇぜ。だから絶対にお前を倒してやる」
強敵だと分かってなお、央崎の戦意は衰えない。
そして、その後ろにいる撃退士たちからも強い意志を感じる。
「……そうか。長谷川、そして央崎。覚えてやろう……」
男は刀を鞘に納めた。
「……俺は……か……げ……ろう。そう……俺の名は、陽炎だ」
男、陽炎はそう言い残して、炎とともにその場から去っていった。
結界を作る半球の一つは破壊したが、未だ魔の群れなす地に纏わる戦いは続く。