●1F
真夏の陽射しが照りつける中、建設中のビルの中は暗く日陰になり多少涼しい。扉も付いていない入り口から、奥へと続く細い通路を抜けると、建設用資材が雑多に積み上げられていた。所々、折れ曲がり、切断された鉄パイプやボロボロになった断熱材、既に穴の開いた化粧板など見るも無残な光景である。
鉄パイプの切断面は荒々しく、蟻ディアボロたちの強靭な顎によって噛み切られた事が想像できる。
「情報によると、この先が電源室だね」
資材の前に立った龍崎海(
ja0565)は、閉ざされた入り口の先にあるはずの電源装置を指差した。
「入り口は塞がってしまっていますね。どうしましょう」
白く細い指を顎にあてて考えているのは御堂・玲獅(
ja0388)だ。
「簡単よ。邪魔なものは壊しちゃえばいいわァ……」
黒百合(
ja0422)はさも当たり前のように言う。
「実際、それがいいかもしれませんね。下手に隙間を探すよりも効率的ですね」
黒のスーツに身を固めた長身の男、ヒズミ・クロフォード(
ja1473)は黒百合の意見に賛同した。
「じゃぁ、さっさと壊しちまおうぜ」
央崎 枢(
ja1472)は、両の手にトンファーのように持った双剣で攻撃しようと構える。
「待って……私がやるわ」
鴉守 凛(
ja5462)が央崎を制止する。
「そうだね。中にはおそらく蟻たちが居る。凛さんが入り口を確保したら、枢さん、黒百合さんが突入して欲しい」
龍崎は仲間の連携を高めるため、行動を提案する。
「いいぜ。まかせろっ」
「さてさてェ……害虫退治の時間だわァ……蟲共は残らず叩き潰さないとねェ……」
央崎、黒百合は得物を構える。
「それで、俺たちが後方から援護するって事ですかねえ?」
「あぁ、そうして欲しい。ヒズミさん、玲獅さんには前に出る二人の援護射撃を頼みたい」
ヒズミの意見に龍崎は頷き、さらに行動を指示する。
「はい、いいですよ」
御堂は銃を手に頷いた。
「―― では、作戦開始だ」
龍崎の号令に、鴉守は手にした巨大な槍斧を振り上げる。黒く長い髪がふわりと舞い上がり、その身を光が包む。この光こそ、撃退士たちが持つアウルの力を発動させた光纏状態の証である。
鴉守は力任せに槍斧を振り下ろす。勢いの乗った斧は積み上げられた資材を簡単に叩き折り、そこに『新しい入り口』を作り出した。
待機していた黒百合は、入り口が開いた次の瞬間には既に突入していた。目の前に蟻の姿を発見するものの、すぐさま壁走りで左の壁を伝い天井へと駆け上がる。入り口左方向にも蟻が居たための判断だ。そのまま黒百合は頭上から蟻へと攻撃を仕掛けた。
資材が破壊された瞬間に巻き起こった空気の揺らぎに、働き蟻は身を固くした。しかし、その行動が失敗だった。動きを止めてしまったために、黒百合の頭上からの攻撃を察知することが出来なかったのだ。
「あら、まだ動くのね」
首を跳ね飛ばされた働き蟻だが、その胴部に残った足を震わせ黒百合に圧し掛かろうとする。後ろ足で身体を固定し、前足と中足を振り上げた。しかし、その足が振り下ろされることは無い。一発の銃弾が蟻の身体を打ち抜いたのだ。
「何でも喰らう蟲と言う話でしたから、銃弾も喰らうのかと思いましたが……頭が無ければそれも関係ありませんでしたね」
銃弾を放ったヒズミは落ち着き払った口調で黒百合に声をかける。
「そうねェ……首を跳ね飛ばされても蟲って暫く生きているのよねェ……しっかり全身バラバラに解体しないとだめよォ」
黒百合は痙攣しているソレを笑いながら解体した。
その行動にヒズミは帽子の鍔を下げ目線を隠しながら、やれやれと小さくため息をついた。
一方、入り口正面の働き蟻は空気の振動を感じ、いち早く敵の姿を察知した。動きを止めることなく風の通る方向へすばやく移動して来たのだ。
「させません」
御堂が銃撃で働き蟻の動きを阻害する。散らばるように着弾した複数の銃弾は、床一面のコンクリートを跳ね上げる。
「いくぜっ!」
光纏した央崎は体内でアウルを燃焼させ加速! 入り口を駆け抜け、手にした剣を蟻めがけて叩き込んだ。
あっという間に部屋にいた蟻たちは沈黙した。
「上手くいきましたね」
御堂は部屋の中へと足を踏み入れる。
「これが電源装置か……」
続いて部屋へと入って来た龍崎が、壁際にある電源装置へと近づく。
「どうだ、動かせそうなのか?」
「あぁ、問題ない」
央崎の方に視線を一度向けた龍崎は、いくつかのスイッチを操作する。そこまで難しい作りではなかったようで、問題なく電源は復旧した。
「……どうやら、電源を復旧すれば照明も使えるようになるみたいだな」
暗いビルの廊下、仮設置された電球が所々明かりを灯していた。
●3F
ガクンッ――。
エレベータが3階に到着し扉が開く。撃退士たちはすばやくエレベータから飛び出す、異音を察知したのか離れた場所に居た羽蟻たちがエレベータの方へ向かって飛び立った。
撃退士たちはエレベータを使い3階まで上る事にした。エレベータは簡易的なものではあったが、問題なく作動したのだった。
3階まで上がると、建設途中であったことが良く分かる。ところどころ床がまだ張られておらず、さらに蟻たちの仕業だろうか? コンクリートに穴が空けられ、鉄骨がむき出しになっているのだ。
一同はエレベータ内での打ち合わせどおり、扉が開くと同時に外へ飛び出し陣形を整える。そして、近づいてくる複数の羽蟻を確認すると、黒百合の銃撃を皮切りに攻撃に移る。
黒百合の放った銃弾は、羽蟻の腹に着弾する。一匹は羽蟻は空中での姿勢を崩したものの、もう一匹は高い異音を放ちながら羽ばたき向かってくた。
「あらぁ? ……以外に速いのね」
羽蟻は黒百合目掛け、その鋭い顎を突き出す。余裕で回避と思いきや、蟻の顎が黒百合の肩を掠めた。
「ザコが! 調子にのるなァ!」
黒百合が我を忘れて、声を張り上げた。
「落ち着いて凛さん」
御堂は黒百合を落ち着かせようと声をかける。
「熱くなりすぎだぜっ! 黒百合」
央崎は暗い緋色のオーラを纏い、加速した勢いで、黒百合を狙う羽蟻を蹴り飛ばした。バランスを崩した羽蟻だが、再び羽ばたくと央崎目掛けて襲い掛かる。
「させない」
背に羽を出現させた鴉守が羽蟻に向かって飛び上がった。二つの影が鉄骨の上で交差する。一呼吸置いて真っ二つになった羽蟻は墜落した。
「まだ、いるみたいですね」
ヒズミはさらに奥から近づく羽音に気づくと、そちらに銃弾を放つ。
「そのようだね」
龍崎も手にした魔法の絵本のページをめくる。飛び出した紙のイカヅチが蟻たちに襲い掛かる。
羽蟻たちは素早く、いつしか乱戦となっていた。黒百合は近づいて来た羽蟻に対し、紅いワイヤーを振るいその羽を切り落とす。蟻たちは床面へと、あるいは鉄骨の隙間から下の階へと落ちていく。
「あはは、羽さえもげばただの蟻ねェ!」
足場の悪い鉄骨の上を縦横無尽に駆け巡る黒百合の声が響いた。
●
「皆さん、少し消耗しましたね」
羽蟻をあらかた倒した後、御堂が皆を労う。アウルの光を伴った柔らかな風があたりを包み、皆の傷を癒す。
「御堂さん、ありがとねェ」
戦いが終わり落ち着きを取り戻したのか、黒百合がニッコリと笑う。
「いいんですよ。黒百合さん」
御堂も微笑む。
「……たしか、話によるとこのあたりに薬剤があるはず……」
龍崎は壁際に詰まれた殺虫剤の山に唖然とした。
「なんで、こんなに沢山あるんだ?」
央崎が誰もが思ったであろう疑問を投げかける。
「……発注ミス?」
鴉守が首をかしげる。
「虫がそんなに嫌いだったんでしょうかね?」
ヒズミが苦笑した。
「さ、志方さんの話だとこのディアボロたちにはこの薬剤が多少は効くようだからね。利用しない手は無い」
龍崎は薬剤の取り扱い説明書を確認する。
「着火式ですねェ……誰か火もってます?」
後ろに立った黒百合が皆に声をかけた。
「あ、私が……」
手を挙げたのは御堂だった。
「意外ですねェ」
「? 何がでしょうか」
「いいえ、何でも無いわァ」
黒百合は何か含みつつも、はぐらかした。
オイルライターで着火された大量の薬剤をその場に残し、一同はさらに上の階へと進むことにした。
「あれが……門番蟻か」
上り階段を塞ぐように、先ほどの蟻たちよりさらに巨大で厳つい外骨格を持つ蟻がそこに居た。階段までの通路には床が無く、鉄骨がむき出しになっている。
「あれは情報によると近づかなければ、こちらを攻撃することは無いそうですね」
ヒズミは骨格と骨格の隙間を狙い射撃するが、その硬い身体は銃弾を弾いた。
「硬い……」
龍崎はおもむろにとびだす絵本を開き魔法攻撃を放つ。
門番蟻はその攻撃を受け微かに傾いた。
「魔法は効くみたいですね」
御堂もアルス・ノトリアの魔法書を開く。魔法書から放たれた光は羽のような形状を成して、一直線に門番蟻を直撃した。
遠距離からの魔法攻撃が功を奏し、門番蟻はその活動を停止した。
●4F
最上階は全ての壁が蟻たちの運んだ砂やコンクリートなどにより塞がり、外からの光は一切入らなくなっていた。仮設置された照明だけが明かりを灯し、無数の蟻たちの影が、女王を守るように蠢いていた。
「つぶれてしまいなさいっ! あはははァ!」
黒百合の声とともに、床から腐泥と血液で構成された巨大な左手が現れ、蟻たちに向けて振り下ろされた。その腐泥に塗れた働き蟻と羽蟻は動きを止めた。
襲撃を察知した女王はフェロモンを発した。それは最上階の蟻たちの活動をより攻撃的にさせるものだ。女王は自らの手足の如く蟻たちを動かす。その動きは今までとは比べ物にならないほど、攻撃的で鋭く統制がとれていた。
攻撃的になった働き蟻たちは床を歩くだけでなく、天井や壁面を伝って撃退士たちに襲い掛かる。
「させません」
御堂は自らの周りに祝福の防壁を展開。蟻たちの攻撃を受け止めた。
龍崎、鴉守も前線へと出て蟻と対峙する。
「さて、害虫駆除と行きますか」
ヒズミは飄々とした口調で呟くと、手にした銃で狙い撃つ。鋭い弾丸が羽蟻の羽の付け根を貫いた。
皆が蟻の動きを止めている隙に央崎は壁面にあるダクトまで走った。
「これでどうだっ!」
央崎は開閉ボタンに振り上げた腕を叩き込む。鈍い音とともにダクトが開き、下の階から煙が流れ込んで来た。蟻たちはその臭いに混乱した。なぜなら女王のフェロモンによる命令が阻害されてしまったからだ。
「効いている!」
「これならっ!」
皆の喜びの声が響く中。
ブツンッ――。
何かが崩れる音とともに、撃退士たちの視界を影が覆った。急に照明が消えたため、視界が真っ暗になったのだ。仄かに光っているのは撃退士たちのアウルの光。暗闇の中、その光を目掛けて影が群がっていく。
「ぐっ、しまった」
「きゃぁぁあ」
蟻たちは、元々暗い地面の下で生活するため、目よりも触覚や嗅覚を発達させているのだ。暗闇の中でも構わず攻撃を仕掛けることが出来る。
暗闇に仄かに光る仲間の光纏を見た鴉守は、仲間たちの悲鳴にすぐさま飛び出し、自らのアウルの光を強くした。
「来て…敵は私です」
闇の中で光と音を出すことで敵の注意を一身に引き受けたのだ。
鴉守に影たちが群がる。
暗闇に突然、強い光と声が響き、央崎はそれが鴉守によるものだと気づいた。
こんなときだからこそ、冷静にならなければならない。
黒と赤という独特な光を纏い央崎は微かに見える影を目掛けて、自らの渾身の双撃を叩き込む。
それは照明が消える前、女王蟻が居た場所だ!
鴉守が敵を引き付けた後、央崎が光纏し女王目掛けて走り出したのを感知したヒズミは、その行く手を阻む影に銃を撃った。彼は冷静に央崎のサポートに回ったのだった。
「終了、と。じゃぁな……エィメン」
央崎は暗闇の中、女王の身体を見事に切り裂いた。その斬撃はあたかも十字架のような軌跡を描いていた。
●
「皆さん、集まってください。直ぐに傷を癒しますから」
御堂はフラッシュライトで辺りを照らす。
皆はその光の下に集まる。
「中々厄介な敵だったぜ」
「でも、倒せましたね」
「当たり前よォ。あたしたち強いんだからァ」
皆、口調は明るい。 しかし、龍崎は浮かない顔で呟く。
「なぜ照明が……」
それは、後で分かることだが、急な停電は2Fの床のヒビがとある理由で拡大し、電源装置が崩落した資材の下敷きになったため故障したのであった。
っ――。
瞬間、空気が燃え上がった。
エレベータのある辺り一体を熱気が覆い、ドロドロに溶け下へと流れていくコンクリートに門番蟻が巻き込まれ落ちてゆく。
それは、あたかも「蟻地獄」に嵌ってしまった蟻のようだった。
その灼熱の中、黒いコートを着て、刀身が透き通った日本刀を持つ男が現れた。
「……っ!」
鴉守は男の姿を見るや否や、手にした槍斧を叩き込む。
―― 空気を焦がす臭い。
鴉守は見えざる炎によって切り裂かれた。
「凛さん!」
御堂の悲鳴に、央崎は思わず飛び出した。
「アンタ、目的は何なんだよ!」
央崎の双剣を男は難なく刀で弾き、後ろに飛び退き距離をとった。先ほどまで男が居た地面を穿つようにヒズミの撃った銃弾が跳ねる。男の方が一枚も二枚も上手のようだ。
「……お宅はどちら様でしょう? 同業者ですかね?」
ヒズミの口調は飄々としていたが、目元は笑っていなかった。
「ぁ……彼は……天魔です。恐らくヴァニタス」
御堂が弱弱しく言葉を搾り出した。
「へぇ……」
黒百合が妖しく哂う。
「凛さん、しっかりしてください」
龍崎は倒れた鴉守に癒しの力を使おうと近づく。
「……平気」
その一言だけを呟き、鴉守は血が溢れ出す体を無理やりに起こし、立ち上がった。彼女は死の淵に立たされ、身の危険を感じることに高揚感を得る。それはとても危うい。
「……ほぅ。今の一撃を喰らって立ち上がるか……」
男は口を開いた。
「そこのディアボロたちを倒したのはお前たちだな」
「……そうだ」
央崎が男をにらみつける。
「なるほど……、女王を倒して力を吸収するつもりだったが、それよりももっと良い獲物が見つかったようだ」
「……吸収? 何のために」
龍崎が男の言葉に眉をひそめた。
「奴を倒すためだ。貴様らが忘れてしまった、かの地に居る悪魔を……」
「悪魔を?」
龍崎は聞き返す。
「貴様らには、関係ないことだ」
「……関係なくない。あなたの目は寂しそう。あたしと同じで誰かと関わりたいんだ」
鴉守がさらに前へと出る。男は一瞬気圧され表情を崩した。
「復讐ですか?」
男とヒズミ、黒百合と視線が交錯した。男は無表情にもどった。
「……貴様らを倒すのはまたにしてやる」
そう言うと刀を納め、男は去った。
後に残ったのは、ただ揺らめく陽炎だけだった。