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「よぉ…しばらくだな」
藤村 将(
jb5690)の第一声には喜びが滲んでいた。
千鶴と入れ違い、進み出た足は躊躇いなく。再び相見えた強敵を前に鼓動は高鳴り、血が滾る。ゆっくりと腰を落として構え、真正面から交わす視線。
「お望み通り相手になるぜ、お嬢ちゃん」
強き者との戦いを望む彼の行動は、自然と少女の願いに応える形となっていた。
「あれが、例の使徒」
臨戦態勢を整える将と肩を並べ、ヴァローナ(
jb6714)が初めて弥子を見る。
例え、見た目は幼くとも。
例え、先の見えた結末を抱えているとしても。
抜き放たれた白刃と殺気が。その身に注ぎ込まれた力が。弥子を『人』として定義することを拒絶していた。
(ヴァロは、知ってる)
そう、これが天魔のもたらす結果の一つだと。
ならばこそ、
「不自然な命に終焉を」
ヴァローナは少女を殺すべき敵と見定め、刀の切っ先を突きつけた。
積極的に弥子と対峙する二人の後方では、鬼一 凰賢(
jb5988)が眉根を寄せていた。
「んー…」
戦う事。それ自体に反対する気は無い。けれど、弥子の自暴自棄とも思える選択と行動に、彼の心にはもやもやとした感情が燻っている。
「おー、ちょっと、不満」
されど、今は他に示せる解はない。凰賢はルキフグスの書を開きつつ、別解を求め、頭の片隅で思考を始めた。
と、
「なんで当たり前の様に戦おうとしてるのよ!」
不意に上がった声は久原 梓(
jb6465)から。憤りと苛立ちを滲ませた視線は、真っ直ぐと弥子に向いている。
天魔とは言え、相手は余命幾ばくもない幼き少女。そんな子をわざわざ討ち取るような真似をしたくはない。なのに、どうして自ら戦いを望むのか。
「止めて! こんなことして何になるの!?」
感情をぶつけるように、声を張り上げ訴える。
けれど、
「私は、戦わなきゃいけないから」
少女が口にしたのは、変わらぬ戦う意思。
ならばと、その望みを汲み取り、アストリット・ベルンシュタイン(
jb6337)が大剣を手に前へと進み出た。
「確かに私達は仇に違いありません。仇討ちならば付き合います」
構えた大剣は倒す為ではなく、受け止める為。
おそらくこの子は『被害者』。望まぬ使徒化は、子供故に誘導されやすかったためだろう。しかしどんなに見た目幼くとも、少女は罪の無い者たちを殺めて来た『加害者』でもある。
その事実の狭間で、黒瀬 うるか(
jb6600)が立ち竦む。
(私には責められない…)
己の幼き姿を弥子に重ね、振り返る過去。彼女もまた、弥子と同じくらいの年には傭兵として幾度となく人を殺めてきた。目の前の少女は、道違えた自分なのかもしれない。
「あの子も、違う世界で生きてきたのよね…」
それは本当なら弥子が踏み込むはずのなかった、罪や罰といった言葉が空虚な世界。
「……辛い、戦いになりますね」
うるかの呟きに、愁いを帯びるアストリットの琥珀の瞳。
「そんなに…寂しそうにすることは…ないんだ…」
最後尾で呟いたのは、小夜戸 銀鼠(
jb0730)。目深に被った帽子の下、小さな顔を覗き見る。張り付いた無表情は、敢えて感情を拒絶している様で。
(俺に何ができる?)
ふと思い出したのは、正義漢の撃退士マニアの育て親。『ヒーローになれ!』。そう言い続けてきた姿はこんなとき何を為すのか。記憶から思考と言葉をなぞり、その中で自分ができることを少年は探し始める。
「そろそろ、いい?」
長く、短い時が過ぎ、幼き声が戦いを促した。
一瞬の沈黙、後、梓と将が同時に答える。
「よくない!」
「応っ!」
それはきっと、望んだ答えがあったわけではないだろう。ただ、身体が命じるままに頭が従っただけのこと。
そして弥子は、戦いへと身を投げ出した。
●
弥子の突進と同時に、白兎のサーバントからダイヤモンドダストの如く氷晶が吹き上がる。
美しい光景が周囲を温度障害で浸食し始める中、小さな身体を屈めて疾走する黒髪の少女。力衰えたと言う使徒は、それでも尚疾く。撃退士たちへと一直線に迫りゆく。
その動きにただ一人反応し、先んじて行動に移ったのはヴァローナ。数ある刀の中から活性化させた華霞を掲げ、発動する火遁・火蛇。
「その命は、春の雪の様に溶けるのを待つだけのもの。溶けて、蒸発して、天に昇る」
だが、弥子は慌てることなくこれを刀で一閃。火蛇を粉々に吹き飛ばしてしまう。
攻撃は不発。なれど、攻撃の本当の目的は弥子ではなく、温度障害の元となる宙舞う氷晶。火蛇の通った跡で、水煙が一時的に立ち込める。狙い通りの結果が得られたことに、ヴァローナは弥子に向けて嗤ってみせた。
一方、アストリットは予測防御を発動。先日見た剣筋を糧に、水煙を突き抜けてきた弥子の剣閃を、活性化させたバックラーで確実に受け止める。
ギィィン。
響く金属音を隔て、吐息を感じそうなほどに近付いた小さな顔。その黒き瞳の奥を覗き込み、アストリットが語りかける。
「気が済むまで戦いますよ。主の名や、敵討ちではない、その先にあるあなたの本当の気持ちを見つけるために」
「本当の…気持ち…」
思わず零れた呟きに、凰賢が思いついたままに言葉を重ねる。
「やこ、もっと、したい、ある?」
問いかけながらも同時に放たれた炎流蛇は、しかし弥子の身を掠めることもなく。攻撃の意思無き炎は周囲の冷気だけを奪って霧散した。
消えゆく炎の跡に残る無言。大きく飛び退いた弥子の動きは、かけられた言葉を振り切る様に。
代わり、弥子と入れ違いで前に出てきたのは白兎の従者。睨みつけた空間が、集められた氷片で氷の柱を形成する。
「二度は食らわねェよ!」
「白兎は私が相手します」
将が氷柱を回避し、白兎に狙い定めるうるかの銃口。クイックショットによる命中重視の攻撃は、的確に白兎を捉え、その身を穿つ。
「あの子は悲しむかもしれないけど…」
白兎は弥子に残された最後の友。それを理解しながら攻撃するのは胸が痛む。
だが、サーバントである以上、危険な存在である事には代わりが無い。何より動きを封じる氷柱の攻撃は強力だ。いつまでも自由にさせておくのは危険すぎる。
(でもよ。お譲ちゃんだって、十分に危険な存在なんだぜ)
交錯する者たちの陰に身を置きながら、将は戦う仲間の背中に向けて独りごちる。
「吸ゥ…」
息を深く吸う。視線は弥子の動きを追い続ける。
「吐ァ…」
息を深く吐く。脱力した構えは自然体に。
戦いへと没頭する集中力は、徐々に戦いに不要なものを削ぎ落とし、彼の耳から雑音を消していき。彼が求めるのは強敵との戦い。血沸き肉躍る刹那。それが得られる相手が目の前にいる。
「まだそれだけの力はあるんだろう?」
ここまでの交戦を見た限り、確かに身のこなし、剣速、攻撃の鋭さは以前よりも衰えている。だが、まだ弥子の力は自分より上。
将は不敵に笑うと、攻撃を叩き込むタイミングを計り始めた。
●
「だーからっ。人の話を聞けー!」
鋭い目を向ける弥子の眼前に、一筋の光が戦場を翔けて迫り来る。
それは光の翼を広げた梓。弥子に飛び掛かり、勢いのままに手を振り上げる。咄嗟に迎え撃とうとした弥子の視線はその腕を見遣り、
「え?」
そして戸惑いの色を浮かべた。
視線の先にあったのは、大きく開かれた掌。武器もスキルも何も有りはしない。
「なんでわかんないのっ!」
弥子の頬目がけて振り下ろされる平手。しかし少女が思い止まる様に願った想いは、頬を掠めて指先だけに熱を残す。
「なんで、武器を持たないの?」
だが、それは弥子に驚きを与え、思考と足を一瞬奪っていた。
(今だッ!)
その機を突き将が爆ぜる。仲間たちの間を一気に駆け抜け、側面から放つ後ろ回し蹴り。不意を突いた一撃は弥子の反応よりも早く、蹴撃を叩き込んだ後も動きが止まることはない。
「いただきッッ!」
流れる様に身を沈め、態勢揺らぐ弥子の足に飛び付き狙う飛びつき膝十字。
だが、少女の細く華奢な脚は揺るがない。微動だにしない小さな身体はまるで山の如く。代わりに少女は手を振り上げると、逆手に握った刀を目の前の背中に突き下ろした。
ゾクッ。
悪寒に従い、将が咄嗟に身を捻る。身体を掠めた刃が突き刺さした大地に霜を起こす。
(アレで極まらねェのかよ! だったらやってやるよ、正面から!)
大地を転がり距離を取った将と立ち替わり、ゴーストバレットを撃ち放ったのは銀鼠。
「もうすぐ動けなくなることを知っているのに、お前は本当にこんなことがしたいのか」
問いと共に、弥子へと迫る不可視の弾丸。だが、幼き瞳は見えぬ筈の弾丸を見切り、僅かな動きだけでそれを躱してみせる。
「まだ動けるから」
宙で砕け散る氷片を捉えた目が、獲物を狙う鷹の様に鋭く銀鼠へ向けられる。絡み合う視線。その先に少女に殺された人たちの影を見つけ、銀鼠はそれを考えない様に帽子の奥に瞳を隠した。
一方、ヴァローナは反撃に打って出ようとした弥子に追撃を仕掛けていた。
「生きてる痛みをあげる」
刀を陽炎に持ち替え、すれ違いざまの鋭い斬撃。迅雷による一撃離脱は反撃の隙を与えない。
「弥子は楽しい? ヴァロは楽しい」
舌舐めずりをする顔は喜びに歪み、様々な刀を使い分ける姿はまるで遊ぶ様に。
楽しんでいる。
それは弥子が忘れてた遠い感情。それを思い出そうにも、弥子の心は血に染まりすぎていて。
「弥子ちゃん…」
雰囲気の変わった少女を横目に、うるかは白兎へストライクショットを撃ち放つ。けれど、弾丸はあらぬ方向へ。一人白兎と相対していた彼女は、弥子が気になって集中しきれないでいた。
(ダメ、今は目の前の敵に集中しないと)
己を叱咤し、白兎に向き直る。だが、気づいた時は一瞬遅く。放たれた氷柱が、うるかの身体を氷漬けにしていた。
●
「もう、刀を放しませんか?」
アストリットが発動した宝剣<藍玉>で斬りかかる。狙いは刀持つ弥子の腕。
ガキィッ!
だが、戦闘能力を奪う筈の攻撃は刀の背でいなされる。交えた刃から伝わる、絶対に刀を離すまいと言う強い意志。
「……生きて欲しいとは言いません。ただ、死ぬその時まで、自分らしさを求めて欲しいんです」
諭すアストリットの微笑みは、弥子を使徒ではなく一人の少女として見つめていて。だけど、
「私は! 戦わなきゃなの!」
弥子が示す強い否定。それはまるで意固地を張っているように思え、凰賢もまた呼び掛ける。
「やこ、刀、放す、怖い?」
「……怖いは、もう忘れたの」
否定する声は小さく、微かに震え。気づけば、弥子の息は荒く乱れている。
「だから止めろって言ったのに!」
明らかに弱った弥子を見て、梓が叫ぶ。彼女は防御こそすれ、攻撃を一度だって仕掛けたことはない。その想いを乗せた声は弥子の心を波打って。
キィィィン。
それでも、弾ける金属音が戦いの継続を伝える。弥子はもう決めていた。この戦いを、使徒としての終着点にしようと。だから、
「これが最後!」
振り上げた白氷の刀が天を衝く。
パキパキパキッ…。鳴り始めた音は、空気をも凍り付かせる色無き温度。
「弥子!」
梓の目に映る罅割れた顔。黒髪は白に、瞳は色を失い。無機質な冷気は術者の命すら浸食し、周囲一帯の熱を根こそぎ奪い始める。それは亡き主からも禁じられた力。すべてを凍結させる絶対零度。
「これがお嬢ちゃんの本気か!」
将が驚愕の表情を浮かべ、全力で飛び出す。
(発動しきる前に倒せばッ!)
冥魔を帯びたアウルを拳に宿し、山をも砕かん一撃を弥子の鳩尾へ。確かな手応えを感じるも、弥子の身体は沈まず大きく後退する。
追い縋る撃退士たち。刀に籠める力を強める弥子。それらの目に映ったのは、間に立っていた氷柱から飛び出した一つの影。
光失いし瞳が、砕け散る氷塊の中を迫り来る撃退士を映し、そして疑問付を浮かべる。
「泣いてるの?」
一瞬緩んだ冷気。されど、撃退士や使徒との戦いには十分すぎる一瞬で。
しまった、と思ったときには、弥子の身体は熱に包まれていた。
●
それは熱と言うにはあまりにも温かく。
「もういい、もういいから。もう戦わないで」
うるかの腕が、ぎゅっと幼き身体を抱きしめた。突然の彼女の行動に、仲間たちが慌てて攻撃の手を止める。
「ごめんなさい…」
その言葉は仲間たちへの謝罪であり、少女への贖罪。
皆、求める形は何であれ、弥子を止めようと対峙していた。殺す為。応える為。受け止めるため。救う為。けれど、自分にできることはこれしか思い浮かばなかった。ただ、抱き締めることしか。
「私を殺しなさい。それであなたの気が住むなら」
少女の耳に置いた言葉は心から優しく。
「でも弥子ちゃん。私を、ううん、他の誰を殺したって、もうコンもウサちゃんも帰ってこないのよ」
「…うん、知ってる」
「戦う事が、あなたの本当にしたいことなの?」
「…違うと思う」
「そう…そうだよね」
うるかはただ抱き締め続ける。弥子の頬に振る温かさが、少女の腕から力を奪う。
パリン。
滑り落ち、砕けた白刃が、粉雪の如く闇に溶けゆく。
「これで仕舞いだな」
毒気を抜かれた将がやれやれと腰を下ろす。もはや彼の求めた相手はここにはいない。
「花の散り際を他に求めるならば、これ以上ヴァロは関わらない。楽しくないことはしたくない」
同じく戦いに興じていたヴァローナが刀を収める。殺す気で振るった手は、憐憫なる命をせめて早く終わらせてやりたいと思ったから。けれど、当人が戦いを望まぬなら、もはや戦う意味などありはしない。
(人間は理解できない。存在意義があやふやなだけで自己を構築できないとは。だから、ヴァロは来た)
かつて使役した人間の姿を想起し、気付かされた価値観の相違を思い出す。
「弥子はどうしたい? 望むものをあげる」
求めるなら満足できるよう叶えよう。純粋なる悪魔の囁きに心揺れた瞳へ、凰賢が一つの提案を示す。
「やこ、学校、くる、一緒、生きる、したい?」
「学校?」
きょとんと傾げる小さな首。その反応に、凰賢は戦いを見守っていた女教師へと視線を送った。
「学園、堕天使、再契約、できる?」
けれど、その首は横に振る。
「仮に可能性があるとしても、弥子ちゃには時間がなさすぎる」
この戦いで少女はすべての力を擲った。それは彼女を使徒たらしめていた象徴が砕けるほどに。もう、時間はほとんど残されていない。
「もうすぐ近くで最後の夏祭りがあるんだ。一緒にいかないか?」
「くまさん…」
弥子の目が、差し出されたぬいぐるみに向けられる。
帽子外した銀鼠の目は逸らすことなく、真っ直ぐと弥子を見つめ。覗く瞳に、もはや天魔の影はなく。
「もう自由なんだ。お前が今本当にしたいことを、考えてみればいい。よかったら、俺は付き合うよ」
手のひらに、おずおずと重ねられた温もりは小さく、儚く。
夏の夜に舞い散る雪は、静かに溶け逝く場所を見つけていた……。