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マスター:橘 律希
シナリオ形態:シリーズ
難易度:普通
形態:
参加人数:7人
サポート:1人
リプレイ完成日時:2013/09/11


みんなの思い出



オープニング

 雪が舞う。

 夏の夜空に、雪が舞う。




 無人の街を幼い少女がトボトボと歩く。
 腰まで伸びた長い黒髪、印象的な深い黒の瞳。年齢は小学生低学年程度だろうか。
 口から洩れる息は白く、薄く霞んでは闇と交わっては消え失せる。

 やがて、その小さな歩幅が歩みを止める。
 見上げれば石の鳥居。一人と一匹を迎え入れるその姿は厳粛に、けれどそっけなく。
 頭をぺこりと下げ、少女――阿賀野 弥子は境内へと踏み入った。
 進む足取りは重く、よろよろと身体を引きずるような素振りは、幼い見た目に似合わぬ深い疲れを感じさせる。
「ふぅ…」
 崩れかけた社の前に腰を下ろし、弥子の口から漏れる小さな溜息。
 身体に急激な変化が現れ始めたのは、先日の戦闘の後だった。
 身体に圧し掛かる夏の暑さ。小さな白い手を握り、開き、握り、開き…。
 ぐっ、ぱっ、ぐっ、ぱっ。
 何度も繰り返し、自らを確かめる。
 音も無く、存在も感じず。けれど、ひしひしと『その時』が迫ってきていることを本能が感じ取っている。
 シュトラッサーは人間とは一線を画す力を得る上、食事や睡眠を特に必要としない。
 代わりにその力は天使から供給される。
 そしてそれは、天使がいなければ力を与えられることも無く、生きながらえることができないことを示していた。

 いつからか、彼女の周りには粉雪が舞い始めていた。

「半分こ」
 ふと見上げた夜空に、下弦の月が雲の隙間から覗く。月で照らされた境内に、潰れかけたイチゴオレと炎で黒ずんだクマのぬいぐるみを見つける。
「…かき氷…射的…」
 白く覆われた記憶の底から蘇ったのは、賑やかな祭囃子。柔らかく温かい提灯の明かり。楽しそうに行き交う人々。お気に入りの浴衣。境内に並ぶ屋台に心躍らせ、それに応える優しい二つの微笑み。
 けれど、目の前の朽ちた光景がそれと重なることはない。
「…ありがと」
 彼女を励ますように、白兎が無言で鼻を寄せた。
 その頭を小さな掌で優しく撫でる。ふわふわとした白い毛は凍えるほどに冷たく。小さな雪だるまの如き白兎はコロコロと宙を転がった。
 その姿に、弥子はもう一匹の友達を思い出していた。
「…コン」
 もはやその姿を見ることはできない。
「…かたきうち」
 それだけが今の自分に残された、唯一やれることだと少女は感じていた。
 まともに戦えるのはあと一度が限界だろう。
 この力はいずれ枯れ果てる。戦いを終えれば、きっと朽ち果てる。
 それでも大丈夫。
「私にはもう、何もないから…」




 弥子の身の丈を遥かに超える白刃が夜の闇に煌めいた。抜き放たれた切っ先の向こうで、人影が白衣をなびかせて近付いてくる。
「本当に何もないの?」
 女性は薄く微笑み、静かに語りかける。
「……ちづる?」
「そう! 覚えててくれたのね! ありがとう、弥子ちゃん!」
 屈託のない笑みを浮かべ、赤良瀬 千鶴(jz0169)は大袈裟に肩をすくませた。
「来てくれてよかったー。もうかれこれ一週間も通い詰めだったから、さすがに飽きてきてたのよねー」
 撃退士。
 弥子にとって敵でしかない存在が、警戒心もなく無邪気に佇んでいる。
「……何しに来たの?」
 小さな使徒が慎重に足を踏み出す。構えたままの白い刀身を淡雪が包み、その下から殺気が静かに吹き出す。
 しかし千鶴はそれに構うことなく言葉を続けた。
「あなたに会いに来たのよ」
 他に何がある? そう言わんばかりの態度で背後を示す。
「ほら、みんなもいるのよ」
 そこには見覚えのある顔が並んでいた。
 弥子が表情を変えずに一人一人の顔を眺める。そして思い出した。先の戦いのとき、彼女たちはまず話しかけてくれきたことを。
 弥子が攻撃してこないことを確認し、千鶴は言葉を続けた。
「主がいない、って前に言ってたわよね?」
 それは前回の戦いで弥子が去り際に残したセリフ。それを千鶴は違う表現で確認する。
「つまり、死んだってことかな?」
「……そう。ヌシ様は亡くなったの」
 弥子の即答に、千鶴は驚くでもなく穏やかな顔を向けた。
「と言うことは、あと二週間くらいってところかしら?」
 核心を突いた言葉。けれども、少女は弱々しく首を振る。
「……分からない。でも、もうそう遠くないと思う」
 主である天使の死。つまり、それはシュトラッサーにも死が訪れたことに等しい。
 天使から力を供給され続ける限り、永遠でも生きることができるのが使徒。しかし、その力がなければ生きることは叶わない。
 使徒が力の供給を断たれて生きられるのは一ヶ月程度。時間はもうさして残されていないだろう。

「ご両親は?」
 唐突に質問の内容が変わる。首を傾げた弥子に、千鶴はもう一度問いを重ねる。
「お父さんとお母さんはこのこと知ってるの?」
「……二人ともヌシ様に殺された」
「そっか。あなたは何故使徒になったの?」
「…知らない。ヌシ様が勝手にやったことだから」
「弥子ちゃんが望んだわけじゃないんだ?」
「何か、相性がよさそうとか何とかで…」
 千鶴の問いに淀みなく弥子は答えていく。
 警戒心も殺気もある。上げた刃も下ろされてはいない。
 それでも対話に応じているのは、残された時間が短いからか。それとも、先の戦いを通して何か思うところがあったからか。
「……それで、弥子ちゃんは何がしたいのかな?」
 弥子の口が何かを伝えようとして形を変えるも、それが声になることはなく。
 押し黙り、沈黙が流れる。
「……コンのかたきうち」
 やがて吐き出された弱々しい呟きを、千鶴は優しく拾い上げた。
「コン…あの狐さんね」
 頷き、弥子が白氷の長刀を改めて構え直す。淡雪を纏う刃が月下で煌めいた。
「戦わないってことはできない? ほら、みんなで遊ぶとか!」
「………」


 ふわふわと舞い散る雪。けれど、それが以前の様に積もることはなく。


 どれほどの時が経過しただろうか。
「ふぅ。わかったわ」
 千鶴は空を仰いだ。
 かたき討ちが望みだと言う少女。
 確かに撃退士たちは彼女の友達を討った。しかしそれは天魔である以上、仕方のないことだ。
「弥子ちゃん、力衰えてるだろうけど戦える?」
 こくり、と弥子が再び頷く。
 もはや頷くことしかできない。いま他にやれることを、幼き少女は知らない。




 ―――雪が舞う。

 夏の夜に、雪が舞う。

 下弦の月に、ひらひらと舞うは白の花。

 六つの花弁は透き通るように薄く。

 枯れゆく泡雪は弱々しく、密やかに。

 少女の身を白く、白く、覆っていく―――。


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リプレイ本文



「よぉ…しばらくだな」
 藤村 将(jb5690)の第一声には喜びが滲んでいた。
 千鶴と入れ違い、進み出た足は躊躇いなく。再び相見えた強敵を前に鼓動は高鳴り、血が滾る。ゆっくりと腰を落として構え、真正面から交わす視線。
「お望み通り相手になるぜ、お嬢ちゃん」
 強き者との戦いを望む彼の行動は、自然と少女の願いに応える形となっていた。
「あれが、例の使徒」
 臨戦態勢を整える将と肩を並べ、ヴァローナ(jb6714)が初めて弥子を見る。
 例え、見た目は幼くとも。
 例え、先の見えた結末を抱えているとしても。
 抜き放たれた白刃と殺気が。その身に注ぎ込まれた力が。弥子を『人』として定義することを拒絶していた。
(ヴァロは、知ってる)
 そう、これが天魔のもたらす結果の一つだと。
 ならばこそ、
「不自然な命に終焉を」
 ヴァローナは少女を殺すべき敵と見定め、刀の切っ先を突きつけた。
 積極的に弥子と対峙する二人の後方では、鬼一 凰賢(jb5988)が眉根を寄せていた。
「んー…」
 戦う事。それ自体に反対する気は無い。けれど、弥子の自暴自棄とも思える選択と行動に、彼の心にはもやもやとした感情が燻っている。
「おー、ちょっと、不満」
 されど、今は他に示せる解はない。凰賢はルキフグスの書を開きつつ、別解を求め、頭の片隅で思考を始めた。
 と、
「なんで当たり前の様に戦おうとしてるのよ!」
 不意に上がった声は久原 梓(jb6465)から。憤りと苛立ちを滲ませた視線は、真っ直ぐと弥子に向いている。
 天魔とは言え、相手は余命幾ばくもない幼き少女。そんな子をわざわざ討ち取るような真似をしたくはない。なのに、どうして自ら戦いを望むのか。
「止めて! こんなことして何になるの!?」
 感情をぶつけるように、声を張り上げ訴える。
 けれど、
「私は、戦わなきゃいけないから」
 少女が口にしたのは、変わらぬ戦う意思。
 ならばと、その望みを汲み取り、アストリット・ベルンシュタイン(jb6337)が大剣を手に前へと進み出た。
「確かに私達は仇に違いありません。仇討ちならば付き合います」
 構えた大剣は倒す為ではなく、受け止める為。
 おそらくこの子は『被害者』。望まぬ使徒化は、子供故に誘導されやすかったためだろう。しかしどんなに見た目幼くとも、少女は罪の無い者たちを殺めて来た『加害者』でもある。
 その事実の狭間で、黒瀬 うるか(jb6600)が立ち竦む。
(私には責められない…)
 己の幼き姿を弥子に重ね、振り返る過去。彼女もまた、弥子と同じくらいの年には傭兵として幾度となく人を殺めてきた。目の前の少女は、道違えた自分なのかもしれない。
「あの子も、違う世界で生きてきたのよね…」
 それは本当なら弥子が踏み込むはずのなかった、罪や罰といった言葉が空虚な世界。
「……辛い、戦いになりますね」
 うるかの呟きに、愁いを帯びるアストリットの琥珀の瞳。
「そんなに…寂しそうにすることは…ないんだ…」
 最後尾で呟いたのは、小夜戸 銀鼠(jb0730)。目深に被った帽子の下、小さな顔を覗き見る。張り付いた無表情は、敢えて感情を拒絶している様で。
(俺に何ができる?)
 ふと思い出したのは、正義漢の撃退士マニアの育て親。『ヒーローになれ!』。そう言い続けてきた姿はこんなとき何を為すのか。記憶から思考と言葉をなぞり、その中で自分ができることを少年は探し始める。


「そろそろ、いい?」
 長く、短い時が過ぎ、幼き声が戦いを促した。
 一瞬の沈黙、後、梓と将が同時に答える。
「よくない!」
「応っ!」
 それはきっと、望んだ答えがあったわけではないだろう。ただ、身体が命じるままに頭が従っただけのこと。


 そして弥子は、戦いへと身を投げ出した。




 弥子の突進と同時に、白兎のサーバントからダイヤモンドダストの如く氷晶が吹き上がる。
 美しい光景が周囲を温度障害で浸食し始める中、小さな身体を屈めて疾走する黒髪の少女。力衰えたと言う使徒は、それでも尚疾く。撃退士たちへと一直線に迫りゆく。
 その動きにただ一人反応し、先んじて行動に移ったのはヴァローナ。数ある刀の中から活性化させた華霞を掲げ、発動する火遁・火蛇。
「その命は、春の雪の様に溶けるのを待つだけのもの。溶けて、蒸発して、天に昇る」
 だが、弥子は慌てることなくこれを刀で一閃。火蛇を粉々に吹き飛ばしてしまう。
 攻撃は不発。なれど、攻撃の本当の目的は弥子ではなく、温度障害の元となる宙舞う氷晶。火蛇の通った跡で、水煙が一時的に立ち込める。狙い通りの結果が得られたことに、ヴァローナは弥子に向けて嗤ってみせた。
 一方、アストリットは予測防御を発動。先日見た剣筋を糧に、水煙を突き抜けてきた弥子の剣閃を、活性化させたバックラーで確実に受け止める。
 ギィィン。
 響く金属音を隔て、吐息を感じそうなほどに近付いた小さな顔。その黒き瞳の奥を覗き込み、アストリットが語りかける。
「気が済むまで戦いますよ。主の名や、敵討ちではない、その先にあるあなたの本当の気持ちを見つけるために」
「本当の…気持ち…」
 思わず零れた呟きに、凰賢が思いついたままに言葉を重ねる。
「やこ、もっと、したい、ある?」
 問いかけながらも同時に放たれた炎流蛇は、しかし弥子の身を掠めることもなく。攻撃の意思無き炎は周囲の冷気だけを奪って霧散した。
 消えゆく炎の跡に残る無言。大きく飛び退いた弥子の動きは、かけられた言葉を振り切る様に。
 代わり、弥子と入れ違いで前に出てきたのは白兎の従者。睨みつけた空間が、集められた氷片で氷の柱を形成する。
「二度は食らわねェよ!」
「白兎は私が相手します」
 将が氷柱を回避し、白兎に狙い定めるうるかの銃口。クイックショットによる命中重視の攻撃は、的確に白兎を捉え、その身を穿つ。
「あの子は悲しむかもしれないけど…」
 白兎は弥子に残された最後の友。それを理解しながら攻撃するのは胸が痛む。
 だが、サーバントである以上、危険な存在である事には代わりが無い。何より動きを封じる氷柱の攻撃は強力だ。いつまでも自由にさせておくのは危険すぎる。
(でもよ。お譲ちゃんだって、十分に危険な存在なんだぜ)
 交錯する者たちの陰に身を置きながら、将は戦う仲間の背中に向けて独りごちる。
「吸ゥ…」
 息を深く吸う。視線は弥子の動きを追い続ける。
「吐ァ…」
 息を深く吐く。脱力した構えは自然体に。
 戦いへと没頭する集中力は、徐々に戦いに不要なものを削ぎ落とし、彼の耳から雑音を消していき。彼が求めるのは強敵との戦い。血沸き肉躍る刹那。それが得られる相手が目の前にいる。
「まだそれだけの力はあるんだろう?」
 ここまでの交戦を見た限り、確かに身のこなし、剣速、攻撃の鋭さは以前よりも衰えている。だが、まだ弥子の力は自分より上。
 将は不敵に笑うと、攻撃を叩き込むタイミングを計り始めた。




「だーからっ。人の話を聞けー!」
 鋭い目を向ける弥子の眼前に、一筋の光が戦場を翔けて迫り来る。
 それは光の翼を広げた梓。弥子に飛び掛かり、勢いのままに手を振り上げる。咄嗟に迎え撃とうとした弥子の視線はその腕を見遣り、
「え?」
 そして戸惑いの色を浮かべた。
 視線の先にあったのは、大きく開かれた掌。武器もスキルも何も有りはしない。
「なんでわかんないのっ!」
 弥子の頬目がけて振り下ろされる平手。しかし少女が思い止まる様に願った想いは、頬を掠めて指先だけに熱を残す。
「なんで、武器を持たないの?」
 だが、それは弥子に驚きを与え、思考と足を一瞬奪っていた。
(今だッ!)
 その機を突き将が爆ぜる。仲間たちの間を一気に駆け抜け、側面から放つ後ろ回し蹴り。不意を突いた一撃は弥子の反応よりも早く、蹴撃を叩き込んだ後も動きが止まることはない。
「いただきッッ!」
 流れる様に身を沈め、態勢揺らぐ弥子の足に飛び付き狙う飛びつき膝十字。
 だが、少女の細く華奢な脚は揺るがない。微動だにしない小さな身体はまるで山の如く。代わりに少女は手を振り上げると、逆手に握った刀を目の前の背中に突き下ろした。
 ゾクッ。
 悪寒に従い、将が咄嗟に身を捻る。身体を掠めた刃が突き刺さした大地に霜を起こす。
(アレで極まらねェのかよ! だったらやってやるよ、正面から!)
 大地を転がり距離を取った将と立ち替わり、ゴーストバレットを撃ち放ったのは銀鼠。
「もうすぐ動けなくなることを知っているのに、お前は本当にこんなことがしたいのか」
 問いと共に、弥子へと迫る不可視の弾丸。だが、幼き瞳は見えぬ筈の弾丸を見切り、僅かな動きだけでそれを躱してみせる。
「まだ動けるから」
 宙で砕け散る氷片を捉えた目が、獲物を狙う鷹の様に鋭く銀鼠へ向けられる。絡み合う視線。その先に少女に殺された人たちの影を見つけ、銀鼠はそれを考えない様に帽子の奥に瞳を隠した。
 一方、ヴァローナは反撃に打って出ようとした弥子に追撃を仕掛けていた。
「生きてる痛みをあげる」
 刀を陽炎に持ち替え、すれ違いざまの鋭い斬撃。迅雷による一撃離脱は反撃の隙を与えない。
「弥子は楽しい? ヴァロは楽しい」
 舌舐めずりをする顔は喜びに歪み、様々な刀を使い分ける姿はまるで遊ぶ様に。
 楽しんでいる。
 それは弥子が忘れてた遠い感情。それを思い出そうにも、弥子の心は血に染まりすぎていて。
「弥子ちゃん…」
 雰囲気の変わった少女を横目に、うるかは白兎へストライクショットを撃ち放つ。けれど、弾丸はあらぬ方向へ。一人白兎と相対していた彼女は、弥子が気になって集中しきれないでいた。
(ダメ、今は目の前の敵に集中しないと)
 己を叱咤し、白兎に向き直る。だが、気づいた時は一瞬遅く。放たれた氷柱が、うるかの身体を氷漬けにしていた。




「もう、刀を放しませんか?」
 アストリットが発動した宝剣<藍玉>で斬りかかる。狙いは刀持つ弥子の腕。
 ガキィッ!
 だが、戦闘能力を奪う筈の攻撃は刀の背でいなされる。交えた刃から伝わる、絶対に刀を離すまいと言う強い意志。
「……生きて欲しいとは言いません。ただ、死ぬその時まで、自分らしさを求めて欲しいんです」
 諭すアストリットの微笑みは、弥子を使徒ではなく一人の少女として見つめていて。だけど、
「私は! 戦わなきゃなの!」
 弥子が示す強い否定。それはまるで意固地を張っているように思え、凰賢もまた呼び掛ける。
「やこ、刀、放す、怖い?」
「……怖いは、もう忘れたの」
 否定する声は小さく、微かに震え。気づけば、弥子の息は荒く乱れている。
「だから止めろって言ったのに!」
 明らかに弱った弥子を見て、梓が叫ぶ。彼女は防御こそすれ、攻撃を一度だって仕掛けたことはない。その想いを乗せた声は弥子の心を波打って。
 キィィィン。
 それでも、弾ける金属音が戦いの継続を伝える。弥子はもう決めていた。この戦いを、使徒としての終着点にしようと。だから、
「これが最後!」
 振り上げた白氷の刀が天を衝く。
 パキパキパキッ…。鳴り始めた音は、空気をも凍り付かせる色無き温度。
「弥子!」
 梓の目に映る罅割れた顔。黒髪は白に、瞳は色を失い。無機質な冷気は術者の命すら浸食し、周囲一帯の熱を根こそぎ奪い始める。それは亡き主からも禁じられた力。すべてを凍結させる絶対零度。
「これがお嬢ちゃんの本気か!」
 将が驚愕の表情を浮かべ、全力で飛び出す。
(発動しきる前に倒せばッ!)
 冥魔を帯びたアウルを拳に宿し、山をも砕かん一撃を弥子の鳩尾へ。確かな手応えを感じるも、弥子の身体は沈まず大きく後退する。
 追い縋る撃退士たち。刀に籠める力を強める弥子。それらの目に映ったのは、間に立っていた氷柱から飛び出した一つの影。
 光失いし瞳が、砕け散る氷塊の中を迫り来る撃退士を映し、そして疑問付を浮かべる。
「泣いてるの?」
 一瞬緩んだ冷気。されど、撃退士や使徒との戦いには十分すぎる一瞬で。
 しまった、と思ったときには、弥子の身体は熱に包まれていた。




 それは熱と言うにはあまりにも温かく。

「もういい、もういいから。もう戦わないで」
 うるかの腕が、ぎゅっと幼き身体を抱きしめた。突然の彼女の行動に、仲間たちが慌てて攻撃の手を止める。
「ごめんなさい…」
 その言葉は仲間たちへの謝罪であり、少女への贖罪。
 皆、求める形は何であれ、弥子を止めようと対峙していた。殺す為。応える為。受け止めるため。救う為。けれど、自分にできることはこれしか思い浮かばなかった。ただ、抱き締めることしか。

「私を殺しなさい。それであなたの気が住むなら」

 少女の耳に置いた言葉は心から優しく。
「でも弥子ちゃん。私を、ううん、他の誰を殺したって、もうコンもウサちゃんも帰ってこないのよ」
「…うん、知ってる」
「戦う事が、あなたの本当にしたいことなの?」
「…違うと思う」
「そう…そうだよね」
 うるかはただ抱き締め続ける。弥子の頬に振る温かさが、少女の腕から力を奪う。

 パリン。

 滑り落ち、砕けた白刃が、粉雪の如く闇に溶けゆく。
「これで仕舞いだな」
 毒気を抜かれた将がやれやれと腰を下ろす。もはや彼の求めた相手はここにはいない。
「花の散り際を他に求めるならば、これ以上ヴァロは関わらない。楽しくないことはしたくない」
 同じく戦いに興じていたヴァローナが刀を収める。殺す気で振るった手は、憐憫なる命をせめて早く終わらせてやりたいと思ったから。けれど、当人が戦いを望まぬなら、もはや戦う意味などありはしない。
(人間は理解できない。存在意義があやふやなだけで自己を構築できないとは。だから、ヴァロは来た)
 かつて使役した人間の姿を想起し、気付かされた価値観の相違を思い出す。
「弥子はどうしたい? 望むものをあげる」
 求めるなら満足できるよう叶えよう。純粋なる悪魔の囁きに心揺れた瞳へ、凰賢が一つの提案を示す。
「やこ、学校、くる、一緒、生きる、したい?」
「学校?」
 きょとんと傾げる小さな首。その反応に、凰賢は戦いを見守っていた女教師へと視線を送った。
「学園、堕天使、再契約、できる?」
 けれど、その首は横に振る。
「仮に可能性があるとしても、弥子ちゃには時間がなさすぎる」
 この戦いで少女はすべての力を擲った。それは彼女を使徒たらしめていた象徴が砕けるほどに。もう、時間はほとんど残されていない。
「もうすぐ近くで最後の夏祭りがあるんだ。一緒にいかないか?」
「くまさん…」
 弥子の目が、差し出されたぬいぐるみに向けられる。
 帽子外した銀鼠の目は逸らすことなく、真っ直ぐと弥子を見つめ。覗く瞳に、もはや天魔の影はなく。
「もう自由なんだ。お前が今本当にしたいことを、考えてみればいい。よかったら、俺は付き合うよ」

 手のひらに、おずおずと重ねられた温もりは小さく、儚く。



 夏の夜に舞い散る雪は、静かに溶け逝く場所を見つけていた……。

 


依頼結果

依頼成功度:成功
MVP: 能力者・黒瀬 うるか(jb6600)
重体: −
面白かった!:7人

撃退士・
小夜戸 銀鼠(jb0730)

高等部2年9組 男 ナイトウォーカー
火中の爆竹・
藤村 将(jb5690)

大学部3年213組 男 阿修羅
撃退士・
鬼一 凰賢(jb5988)

大学部4年91組 男 アカシックレコーダー:タイプB
撃退士・
アストリット・ベルンシュタイン(jb6337)

大学部6年113組 女 アカシックレコーダー:タイプA
惨劇阻みし破魔の鋭刃・
久原 梓(jb6465)

大学部4年33組 女 アカシックレコーダー:タイプB
能力者・
黒瀬 うるか(jb6600)

大学部3年293組 女 インフィルトレイター
小悪魔な遊び・
ヴァローナ(jb6714)

大学部3年278組 女 鬼道忍軍