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某町の郊外にある静海邸。
古く、荘厳な佇まいは大正ロマンの香りを感じる洋館だった。
執事に導かれて着いた部屋は、五十畳ほどもある巨大な書斎だった。
その中央には、音楽的なまでの美貌を持つ天才作曲家・静海 輝が立っていた。
「おはようございます! さっそく闘りましょう!」
筋肉はムキムキ、やる気は満々だった。
白いタンクトップと、ショートパンツに包まれたパツパツの肉体は、芸術家というより、元気溌剌な体操教室のお兄さんに見える。
「まずはソロでオープニングアクトを務めさせていただきます、カタリナと申します。 よろしくお願いしますね」
カタリナ(
ja5119)は撃退士の先鋒として、丁寧に挨拶をした。
ミュンヘンの裕福な家庭でバイオリンを習ってきた彼女には、どうしても気になる事があった。
「先生は『イシスの翼』と呼ばれるバイオリンをお持ちと聞きますが、あれがそうなのでしょうか?」
書斎の壁に飾られた、威厳に満ちた風貌のバイオリンを指差した。
「はい、祖先伝来のものです、御弾きになりますか?」
静海は快い笑顔でバイオリンをカタリナの手に渡した。
カタリナは興奮を抑えながら、その弓を握った。
奏で始めたとたん、カタリナの目に涙が浮かび始めた。
一分も演奏を続けると、カタリナは涙をこらえきれなくなり弓を下ろした。
「素晴らしいですわ、話には聞いていましたが、感動がリバーブ(残響)のように残ります」
だが、静海は首を横に振った。
「素敵な演奏でした、しかしまだ、このバイオリンの最高の音にはまだ至らないようです」
カタリナはしゅんと俯いた。
「申し訳ありません、練習不足でした」
「そうではありません、このバイオリンの最高の音、それは強く美しい女性の額にぶつけた時に出るのです!」
カタリナは目を点にした。
静海の顔は、真剣を通り越して、切実だった。
「カタリナさん、どうかこのバイオリンを、投げつけさせていただきたい、貴女の額に力の限り!」
静海の気迫に圧され、無言で頷いてしまった。
「ありがたい! もう一つお願いがあります。 どんなに痛くても、決して声をあげないで欲しいのです!」
「え!?」
「悲鳴はもちろん、泣き声もいけません! 先日、斡旋所で戦った女性は惜しかった……痛さに泣き叫んでしまったがゆえに、至高の音が濁ってしまったのです!」
なんだかわからないが、とにかく無茶苦茶な注文である。
「今回は特に戦法も考えていません、ジャム・セッションといきましょう 。 アドリビトゥム(自由に)どうぞです」
カタリナが若干パニック気味に呟いた瞬間、静海は間髪入れず、全力でバイオリンを投げつけてきた。
バゴグァっという鈍い音がして、バイオリンはカタリナの額に直撃した。
激痛に泣き叫びそうになったカタリナだったが、静海の言葉を思い出し、とっさに口元を手で抑えた。
撃退士たちが唖然とする中、静海は恍惚と天井を仰いでいる。
「素晴らしい……おじい様に聞いていた通りだ、音楽の女神が実在するとするなら、このようなお声で歌うのだろう」
「知らなかったでござる! 音楽の女神様は、バゴグァって歌うんでござるな!」
撃退士中、最も幼い静馬 源一(
jb2368)が目をキラキラさせながら言った。
「音楽家には変な輩が多いのは認めっケド、これは相当なモンだゼ」
ロックバンド風の男・ヤナギ・エリューナク(
ja0006)は溜息をついた。
「カタリナさん、ありがとうございます! おかげで一年半悩み続けた新曲の第一音がついに決まりました!」
静海に握手をされた瞬間、カタリナは我慢し続けていた泣き声を、思う存分あげる事が出来た。
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「お主はプロレスが得意と聞く、我輩もまた、ベアナックル、そして……プロレスが得意である。 さて……セリオーソといかぬであるか? 」
色黒の青年、マクセル・オールウェル(
jb2672)。
彼も静海に劣らない、鍛え上げられた筋肉の持ち主である。
「望むところです! ここリングロープはありませんが、心に五線譜を張りましょう! その内側でセリオーソ(真剣)に勝負です!」
静海が言った途端、アイドル服の美少女・川澄文歌(
jb7507)は目をこすった。
「なぜでしょう、本当に五線譜のリングロープが見えてしまいます」
「まぁ、変なセンセーが居たモンだねェ、けど、それだけにマジもんの天才だぜ!」
天才的なピアニストが、テーブルの上で指を動かすと、音楽のわかる者の耳には、それだけで旋律が聞こえてくるのだという。
ヤナギら音楽に打ち込む撃退士には、静海が音符を乗せんとする五線譜がはっきり見えていた。
「まずは小手調べ……ふんっ」
マクセルは、タックルを静海の腰をめがけ繰り出した。
これは、読まれていた。
額が割れ、血を流れる。
静海は、カウンターの地獄突きをマクセルの額にぶつけてきたのである。
「ふっ、所詮はアダージョ(緩やか)、効かぬであるか」
マクセルはにやりと笑うと、開いた額に力を集中させ力を籠めた。
流血はピタリと止まった。
その様子を、静海が茫然と見ている。
「何を驚くである? 単に筋肉にて毛細血管を圧迫し止血しただけである 」
マクセルは怒涛の攻勢を開始した。
「では再開である! 食らうが良いのである、我がフーコ(熱烈)!
拳打からの跳び蹴り!
そして横に回り、抱え上げてのボディスラム!
その動きは完全なるレガート(途切れない演奏)であった。
だが、ボディスラムで静海を床に叩きつける寸前、マクセルは躊躇した。
静海が悪しき天魔であるなら、受け身不可能なこの角度を維持すべきである。
だが、そうではない。
このままでは、天才作曲家の最後にして未完成の曲を、世に送り出すことになってはしまわないかと戸惑ったのである。
それが過ちだった。
静海は受け身で耐えると、素早くマクセルを裸絞めに極めた。
そして、人指し指をマクセルの額にあてる。
閉ざしたばかりの傷口に、指をずぶりと潜り込ませた。
「ぐぁ! なにを!?」
「傷口を閉ざす時に奏でられた血の蠢く音、素晴らしかったです! あれをもう一度、いえ、もっと聞きたい!」
静海は興奮しきっていた。
人指し指だけではなく、中指、そして薬指までも差し入れ、竪琴を奏でるかのように指をぐちゅぐちゅと動かす。
マクセルは抵抗しようとしたが、裸絞めは完璧に決まっていた。
頸動脈を抑えられ、失神し、悲鳴すらあげられなかった。
撃退士たちが絶句し、何一つ雑音のない状態で、静海は演奏を楽しみ続けた。
血の竪琴は、第一楽章最終小節までを奏で続けた。
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「次は私たちの四重奏でいいかしら?」
最初に立ちあがったのは、ナナシ(
jb3008)だった。
幼い悪魔族の少女はこの任務のために静海の曲を予め聞いており、その熱意を買われてか、撃退士四重奏の指揮者に選ばれたのだ。
だが、静海が首を横に振った。
「曲の盛り上げ的に、最終楽章までは独奏で行きたいんです」
長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)は、飲んでいたティーカップを優雅な動作でトレイに戻した。
「では第二楽章は、私が行きますわ」
リングにあがると、黄金の長髪を靡かせつつ、制服を脱ぎ放つ。
下には、ボクシングウェアを着込んでいた。
開幕の角笛が、鳴り響いた。
「まずはアレグロ(快活なリズム)で参りますわ!」
みずほはリズミカルなワンツーパンチを繰り出した。
静海はそれをスウェーバックだけで裁こうとする。
流儀を合せ、相手の実力を引き出させた方が、名曲に達しやすいと考えているようだ。
だが、ボクシングスタイルに慣れていない静海は動きの精彩を欠いた。
徐々に押されてゆき、五線譜のロープ際まで追い詰められる。
「フォルテッシモ(大変強く)に!」
Damnation Blow(薙ぎ払い)に静海の腰が折れ、一瞬、動きが止まる。
みずほはButterfly Kaleidoscope(荒死)と呼ばれる破滅的なまでの連続パンチを繰り出した。
「そしてアニマート(元気に)に!これでフィナーレですわ!」
四発のパンチが、静海を確実に貫いた。
だが、終曲とはならなかった。
「申し訳ないがお嬢さん、今日中に最終楽章まで書き終えたい気分なのです」
静海は、くの字に折れていた腰を伸ばし、必殺技の反動で動けなくなっていたみずほに、拳を叩きつけた。
重い重い右アッパーが、みずほの胃を突きあげる
みずほの体は、リングの外へとはじき出され、そこに倒れた。
「やはり、少女の嘔吐音はいい……私の体内まで洗われるようだ」
恍惚とした顔で言う静海。
「今の台詞だけで通報ものでござるな」
源一が呆れ顔で言う。
「いえ、これは真面目な作曲活動です」
みずほの呻き声が、第二楽章を完成させた事を、バイオリニストのカタリナは理解出来ていた。
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「第三楽章までは独奏がお望みだったな」
続いてリングにあがったのは、翡翠 龍斗(
ja7594)だった。
源一と同じく忍装束だが、年齢分背が高く、華奢な体格をしている。
戦いが開始されると、両者、睨みあいながらの牽制になった。
体格やパワーは静海の方が上なのだが、力押しによる攻撃のタイミングを与えない。
彼は仲間の戦闘を見て、静海の体の動かし方を覚え、同じリズムで戦っているのだ。
「イズテッソ(同じ)だと厳しいだろう?」
弄ばれた静海が、動きのリズムを変えようとしたその瞬間、龍斗は脚を飛ばした。
蹴り。
拳。
拳。
首投げ。
レガート(途切れない演奏)は流れるように決まり、静海の巨体は仰向けに倒れた。
すぐさま静海は立ち上がり、レッグラリアットを放った。
それをかわしざま、龍斗は拳を密着させ烈風突きを繰り出した。
「アトナリティー(無調)から繰り出す技もある」
その後も終始、戦いのテンポを龍斗は握り続けた。
静動覇陣で闘気を解放した龍斗は、奥義とも言える亢竜天昇を繰り出した。
「これが俺のア テンポ (もとの速さで)さ」
まさに乾坤一擲である拳と脚との連携技に、静海は短い悲鳴をあげた。
龍斗は勝利を確信し、リングを降りようとした。
不覚!
龍斗の肩は背後から静海にがっちりと掴まれていた。
覚悟をした龍斗だが、相手に闘気はなかった。
静海はその深い胸板で、龍斗を抱きすくめた。
「初めて自分の悲鳴を聞きました! まるで創世神の産声だ! ありがとう! ありがとうございます!」
龍斗をハグしながら泣きじゃくる静海。
「あ、いえ……どういたしまして」
汗臭い匂いに包まれながら、龍斗はそう答えるしかなかった。
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「いよいよ、最終楽章ね」
ナナシが待ちかねたようにリングにあがった。
ヤナギ、静馬がそれに続いたが、最後にやや遅れて文歌がリングインする。
彼女は先日の任務で重傷を負っており、それを隠しての参戦だった。
「皆様方……囮は自分に任せるで御座る!自分は不可能を可能にする男で御座るからね!」
静馬が、サムズアップをする。
「音楽はもっとアド・リビトゥム(自由)なものです。 アイドルソングのアモソーゾ(愛情)教えてあげます!」
文歌がマイクをとる。
「この先生にこれ以上、自由になられるてのもアレだがね。 ま、思う存分、暴れさせて貰うとすっかね。 Vivo(活発に、速く)に、な」
ヤナギがほくそ笑む
「行くわよ、私達のアンサンブル(合奏)を見せてあげるわ!!」
ナナシが号令し、最後の戦いが始まった。
最初に動いたのは、静馬だった。
彼は仲間に攻撃がいかないよう、静海の周りをぐるぐる回り始めた。
ほぼ同時に、文歌が唄い始める。
「少し前まで 臆病だった私♪」
歌に乗せ放った炎陣球は静海の力を奪った。
他の二人がその隙を見て動いた。
ヤナギは遁甲の術で耳の良い静海をごまかしつつ、雷遁・雷死蹴を放った。
静海の鍛え上げられた肉体をスパークが包む!
「orageusement(嵐のよう)な攻撃の味はどうだ?」
一方、ナナシも煌めく剣の炎を放った。
振った戦槌から渦を巻いた炎が伸びて静海と、衛星のようにその周囲を回っていた静馬を巻き込んで吹き飛ばす!
「静馬さん、貴方の犠牲は無駄にはしないわ! フォイリヒ(火のような)、私のタクト。行きなさい!」
静馬が貴い犠牲になったが、文歌が治癒膏を使いながら頭を撫でているので、じきに泣き止むはずである。
一方、静海は傷つきながらも、膨大な体力で耐え凌いだ。
一対多のセオリーを守り、リーダーであるナナシに手を伸ばしたのである。
ナナシならば、迎撃可能な動きだったが『音楽家に重要な手だけは狙わない』という気遣いを彼女は持っていた。
飛びのいて避けようとしたナナシの右脚を、静海は両腕で掴み、刹那、全身を捻った。
ドラゴンスクリュー!
技の威力に脱臼したナナシの股関節が、音を立てた。
五線譜のロープに音符が刻まれる。
天才とは脱臼音でさえ、名曲に変えてしまうものなのだ。
だが、関節を狙うのは静海だけではなかった。
ヤナギが放った鎖鎌が、静海の左膝を絡め取った。
「ritenuto(すぐに遅く)なった気分はどんなカンジだ?」
動きの自由を奪われた事を悟った静海は、得意の接近戦を諦めた。
残るは『イシスの翼』のみ!
乾坤一滴で放ったそれは、ヤナギの眉間を強烈に打ち据えた。
ヤナギが断末魔をあげ昏倒すると、五線譜のロープにさらなる音符が刻まれる。
「素直になれず♪」
文歌は呪縛陣を放とうとしたが、間に合わなかった。
静海が彼女の体を素早く担ぎあげ、垂直落下式DDTに落とそうとしたのだ。
だが文歌の体は、優しく床に降ろされた。
「お嬢さん、まずは傷をゆっくりと治して下さい、今日は、そんな体で私のために来てくれて本当にありがとう」
「は、はい」
音楽的と讃えられる美貌に優しく微笑まれ、文歌は頬を赤らめた。
その魂にはクラシックとコンチェルタンテ(協奏)されたアイドルソングが、新たな夢のカタチとして閃き始めていた。
代わりに静海は、まだ泣き止んでいない静馬を担ぎ上げると、その頭を全身全霊の垂直落下式DDTで容赦なく床に叩きつけた。
「ひどいでござるーー!」
フォルテッシモに達した静馬の鳴き声が天才の琴線に触れたらしく、最終楽章は完成した。
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数週間後、撃退士たちはあの斡旋所に呼び出しを受けた。
「静海先生から、新曲のCDが送られてきたのだわよー!」
先にCDを聞いたという椿は恍惚とした顔をしている。
「一時は酷い男だなんて思ったけど、やっぱり静海先生は最高なのだわ、こんなに心癒す曲が描けるだなんて! 奥にオーディオが用意してあるから、みんなで聞いてゆくといいのだわ」
その心癒す曲の成分を撃退士たちは知っている。
バゴグァっに、血の竪琴、嘔吐音、マッチョ男の初悲鳴、脱臼音、断末魔、フォルテッシモな泣き声である。
まだその原音が、鼓膜に残っている。
「いえ、今日はやめておきます」
撃退士たちは全員、真顔で首を横に振った。