「罠である、というのは明白か」
呟いた咲村 氷雅(
jb0731)に応じたのは逢見仙也(
jc1616)であった。
「それは仕留め損じた天魔に対する憤懣か?」
氷雅の脳裏に浮かぶのは前回、切り付け攻撃を防御された瞬間であった。
ディアマンという悪魔と目が合った時、どこか確信めいたものを感じていたのだ。
――この天魔は戦い慣れている、と。
「デッド・ローとかいうのは弱かった。拍子抜けなほどに、な。だが、あの傭兵を名乗った天魔に関して言えば、嘗めてかかるのはまずい、という一事だ」
岩場に腰かけ、氷雅は今回の戦場となる場所を見据える。ディアマンはどこから来る? そもそも、来るかどうか分からない敵への想定であったが、何も準備をしないよりかはマシであろう。
「逢見。お前がディアマンの相手だが、客観的に聞こう。どこまでやれる?」
その質問に仙也は双眼鏡から視線を外して思案する。
「どこから来るかにも寄るが、俺と長田が同時に展開する。相手は逃げられまい」
逃げられないだろう。それは間違いない。ただ、それは強襲する側の意見だ。
強襲される、というシミュレーションもないわけではない。
「もし、もしもだが、ディアマンが一撃で、こちらの優位を崩すような敵であったのならば」
「恐るべきだろうが、それはない。パワー型のごり押し天魔ならいくらでも策が利く。あまり買い被ったところで仕方ないが、俺は今回、ヤキが回ったと思っている」
「ヤキ、か……」
「デッド・ローとか言うのを指揮していた、シャフトという天魔に肉迫するための足がかりだ。そのために罠だということが見え見えの取引を差し押さえる。罠だと分かっていても動くのが俺たちの役目だが、なに、ディアマンを倒して一挙両得と行こう」
そううまくいくのか。氷雅には一点の疑念があった。
罠だというのは間違いない。
では何のための罠か。
罠には目的がある。
狩猟、策謀、反撃、誘い込み、あるいは――自分に優位な戦場を用意する、という点での罠。
今回の罠がどれに属しているのかを断じることはできない。しかし、ここまで分かり切った罠であっても、ディアボロという禍根は断つ。
それは間違いようのない事実であった。
「勇太君。前回の感じとか、覚えていたら教えて欲しいんだけれど」
そう口火を切った不知火あけび(
jc1857)に長田・E・勇太(
jb9116)は顎に手を添えて考え込んだ。
「迂闊、だと思ったネ」
「迂闊……前は天魔の小間使いが起こしたものだったんだよね」
「デッド・ロー、だったカナ。あれはさほど強くなかった。そういう意味での迂闊でもあるけれど、ミーの感じた迂闊さというのは、ここに来て、久遠ヶ原に喧嘩を売る、という意味の迂闊だヨ」
あけびは岩肌に手をつけて滝つぼから離れた場所で待機している。勇太はディアマンの担当だ。
「久遠ヶ原に仕掛けたことが、あまり得策じゃなかったってこと?」
「ミーが考えるに、頭がキレる敵ならばそもそも武器取引の場を喋ってしまうような部下に任せたりはしないヨ。その時点で、ある種、今回の敵の迂闊さが目に見えている」
「最初から、迂闊だった、ってことだね。カトブレパス、どこまでやるのか分からないけれど、私は負けない。それに、勇太君と仙也君もいるんだもん。心強いよ」
「ミーも仙也と一緒に仕掛けるからネ。勝つ方法しか考えていない」
「罠、というよりもこれじゃまるで下策だ。取引というレートに上がっているほどじゃない」
断じたのはエルマ・ローゼンベルグ(
jc1439)であった。狙撃地点から双眼鏡で窺う戦場と、それに則した取引を鑑みるに、最初から取引の成功はオマケ程度なのだろう。
「まったく、酷い連中だ。商人と言いながら、取引一つもまともにできないのか。まぁよい。傭兵とやらと戦えるのだから、それで良しとしよう」
「あの……その……」
その背後で気を揉んでいたのはアルティミシア(
jc1611)である。エルマは振り返ってどこかおどおどとしている彼女を見据えた。
「何だ、お子様。私はね、戦場を渡り歩いてきたんだ。狙撃ポイントの確認くらいはさせてもらう。その権限はある」
「いえ、そうではなく……、ボクが、狙撃は抑えます。今回も、その、役に立ってみせますから」
「役に立つのは当たり前だ。後方支援、期待している」
エルマは葉巻を取り出して火を点けた。
吹かした煙い息に、アルティミシアが咳き込む。
「ちょ、ちょっと……。煙いです……」
「……お子様、だな。葉巻のうまさは戦場の前には絶品だぞ」
吸ってみるか、と差し出されたがアルティミシアは断った。
「ディアマンはみんなに任せて、ボクは一つでも多く、その……役に立ちたいです」
「役割、というものがある。狙撃は重要な役目だ。仕損じることがあってはならない」
エルマの硬い口調にアルティミシアの尻尾が逆立った。すっと歩み寄ったエルマの挙動に覚えず硬直したアルティミシアであったが、エルマはぽんと肩に手を置いた。
「その手腕、戦果として数える価値がある。私は後方支援を軽んじることはない。一つでも多く役に立ちたい、と言ったな。そう思えるだけでもまだいいほうだ。役に立ってみせてくれ」
アルティミシアは尻尾を振って顔を紅潮させた。
「その……これも、その、役に立てたら、でいいんですけれど」
「何だ? 私にできることならばやってやろう」
「……頭を、撫でて欲しいんです。よくやったな、って」
その言葉に暫時エルマはきょとんとしていたが、やがて笑みを浮かべた。
「うまくやれたのならば、頭でも何でも撫でてやるさ。ただし、私の採点は厳しいぞ」
「か、覚悟はしていますからっ!」
「よし、いい子だ。狙撃がうまくいけば存分に褒めてやろう。今次作戦の成功を祈ろうじゃないか」
カトブレパスを率い、小鬼はまず運び役の蝙蝠を招いた。
蝙蝠にはさほど細工はされていない。純粋なる運び屋である。
差し出されたのは木箱であった。
武器商人シャフトの紋章が描かれている。
蝙蝠はそれを爪で掴み取り、そのまま飛翔に移ろうとした。
「させると思っているのか」
割り込んだのは氷雅の声音だ。その手から放たれたのは赤色の蝶である。
蝶の群れが小鬼の視界を阻害した。小鬼が激しく鳴いてカトブレパスに砂嵐発生を命じる。
だが、その前に、滝つぼへと目がけてあけびが降り立つ。
その手には影の手裏剣があった。
放たれた手裏剣の包囲網がカトブレパスと小鬼の行動を阻害する。
砂嵐の発生が遅れたところでエルマがフッと声を差し挟んだ。
「未熟な連携だな。征け」
命じた瞬間、無数の紫の矢がカトブレパスと小鬼を狙い澄ます。
広範囲の攻撃にたじろいだ小鬼へと矢の一つが命中した。つんのめった小鬼が完全にカトブレパスの指揮を失う。
「今ならば取れる」
氷雅の声と共に赤い翅をふわりと舞い上がらせた蝶がカトブレパスと蝙蝠を圧迫しようとした。
蝙蝠が翼を羽ばたかせて離脱しようと、高度を上げる。
その瞬間こそ、好機であった。
翼の皮膜が破れ、蝙蝠がそのまま高度を落とす。アルティミシアの狙撃がうまくいったのだ。
「よくやるじゃないか。あとでいくらでも褒めてやろう」
翼を失った蝙蝠へとエルマの矢が追い討ちをかける。蝙蝠が粉塵のように欠片も残さず消滅した。
「運びは防いだ。カトブレパス、後は小鬼だ」
「任せて!」
跳ね上がったあけびが瞬時にカトブレパスの首筋へと回り込み、刀で頚動脈を掻っ切った。
制御を失った瞳が項垂れていく。もう一発の狙撃がカトブレパスを横合いから撃ち抜いた。
狙撃、挟撃、連携は密に、うまくいっている。
小鬼へと、氷雅はとどめを刺そうとした。
「罠だとしても、全力で潰すのが流儀なのでな。消えろ」
赤い翅の蝶が小鬼を焼き尽くそうとする。
その刹那の出来事であった。
――空が翳る。
この感覚は、と氷雅は咄嗟にあけびへと命じていた。
「不知火! 下がれ! 奴が」
来る、と言いかけたその時、あけびはそれを視界の中に仰ぎ見ていた。
ハンマーを振り翳した巨躯である。
鎧と武器に身を包んだ岩石の悪魔が、天上を覆いつくしていた。
「また会ったな、撃退士」
あけびは習い性でカトブレパスを蹴り飛ばし、その一撃を回避する。
ハンマーの潰した先はカトブレパスも範囲に入っていた。
ディアボロ二体を叩き潰した一撃に、粉塵が舞い上がる。滝つぼの水が根こそぎ宙に上げられ、そのまま降水のように強く叩きつけた。
水飛沫の舞う中、氷雅はそれを見据える。
岩石の悪魔、傭兵ディアマン。
「こいつが、傭兵、か。まずは小手調べ」
エルマの放った矢を、ディアマンはハンマーの槌の部分で防いだ。
「さすがは武器商人、シャフトの宝物庫にある武器だ。それなりの防御性能のようだな」
「――でもミーたちだって、対応を忘れていたワケじゃないヨ」
不意打ち気味に咲いた声音にディアマンは拳を払う。
ボディペイントを施された勇太が拳のめり込んだ岩壁をすぐ傍に見やっていた。
口笛を吹き、ショットガンを構える。
「やるネ! でも傭兵ってもっとスマートなものだヨ。ちょっとおデブかな」
拳を足がかりにして距離を取った勇太は片手でスレイプニルの動きを操作していた。
「カモン! カチューシャ! 傭兵ってのがどういうものなのか、教育してやろうじゃないカ!」
「抜かせ。オレもこの稼業は長い。教育されるのは果たして……」
ディアマンがハンマーを両手で握り締める。渾身の一撃が放たれようとしていた。
「どちらかな」
「――少なくとも、今のお前ではなさそうだが」
反対側に回り込んでいたのは仙也である。
刀を振り上げ、ディアマンの手甲へと切りつけた。
「やっぱり、刀での軽い一撃じゃ、徹らないか」
ディアマンが雄叫びと共にハンマーをひねり上げて砂煙を発生させる。
当然のことながら視界を遮った、はずであったが……。
「案外、悪魔の傭兵って視野が狭いのね」
割って入ったのはあけびである。刀による一撃がディアマンのこめかみを切りつけた。
完全に不意をついた攻撃であったが、それでもディアマンの頭蓋は割れない。
退き際は心得ている。すぐさま影の手裏剣を放って牽制しつつ、あけびは離脱した。
「撃退士共め……、滝つぼが少しばかり、邪魔だな」
ディアマンがハンマーを長めに握る。片腕でそれを掲げたかと思うと、渾身の膂力が向かった先は、滝つぼを構築する岩壁であった。
滝つぼが崩落し、岩がバラバラに砕け散る。
脅威の破壊力に粉塵が森林地帯を抜けて空を覆った。
一時的な曇天でさえも作り出した一撃に、エルマが息を呑む。
「フィールドを書き換えるというのか……」
「でも、ミーたちはあくまでも撃退士。それさえも」
「想定していないと思ったか?」
前後、両側から攻め込んだ勇太と仙也の連携。
当然のことながら挟撃に備えることなどできはしない。そのはずであった。
しかし、ディアマンの武器は取り回しの悪いハンマーだけではない。
メリケンサック状に変形した手甲が、まず仙也を狙い澄ました。
拳による一撃。刀で切り払いを行い、距離を取る。
そう考えていた仙也の思考に割り込むように、メリケンサックの表層が瞬時に熱を帯びた。
ハッとして仙也は魔術攻撃に切り替える。
氷の魔術をここで選択した仙也の考えは結果的に誤りではなかった。
瞬間的に発生した氷の魔術とぶつかり合ったのは、爆発の衝撃である。
メリケンサックの外側に取り付けられた炸薬に引火し、爆発を瞬時に発生させたのだ。
氷の魔術が結果的に皮膜となり、仙也の身を救った。
背後から仕掛けた勇太がショットガンによる一撃を見舞う。
さすがにそれは避けられなかったのか、ディアマンはよろめいた。
「挟撃、一方を囮としながらも確実に体力を奪っていく戦法。嫌いではない」
「好かれようとも、思っていないネ!」
「仙也君! 大丈夫?」
あけびの声に仙也は刀を振り払い応じる。
「問題ない。だが、厄介な。もう一方の手にも仕込んでいるのは明白。近付けない、か……」
「否、俺が仕掛ける」
跳び上がったのは氷雅であった。無数の妖蝶が彼を支援し、ディアマンの視界を遮りつつ、その身体を削り取っていく。
薙ぎ払われたハンマーの一撃に蝶の群れが凪いだその瞬間、割り込むように氷雅の身体が跳ね、ディアマンの手甲に一撃を差し込む。
「この感覚……前に割って入った奴と同じか」
「こんなに早く雪辱を晴らせるとは思わなかったよ、ディアマン。悪いが、貴様の死地はここだ」
「笑わせる。死地だと、それはお前のことを言っているのか。撃退士!」
メリケンサックが形成され、炸薬が今にも熱を帯びそうになる。
その炸薬が膨れ上がる瞬間に、横合いから銃弾が射抜いた。
氷雅を捉えるはずであった炸裂弾が誤爆し、ディアマンの腕に強烈な一撃を与える。
「これは……」
「アルティミシアか……。いい腕をしているじゃないか」
剣を振るい上げ、氷雅はディアマンを押し返す。
片腕を焼かれたディアマンは結果的にハンマーによる切り返しが不可能となっていた。
「――俺たちは、一人で戦っているわけじゃないんでね」
氷雅の双剣が煌き、ディアマンの頭部を刈り取ろうとする。
背後より勇太の銃撃、仙也の追撃。
さらに言えば、戦場を俯瞰するエルマの矢。
――頃合だな。
ディアマンは身体を瞬時に丸め込んだ。
全ての攻撃がその表皮を弾くに留まる。
「話に聞いていたダルマモードか……。だが、こんなもの……!」
剣術が閃き、勇太の銃撃が襲いかかった。
しかし、ダルマモード解除には至らない。
もっとか、と剣を握る手に力を込めかけた氷雅たちへと、ディアマンは言い放つ。
「ここでは、敗北を認めようじゃないか、撃退士。ここでオレを見逃す代わりに、お前たちは貴重な情報を得ることになる」
「情報、だと?」
ディアマンが一枚の書類を取り落とす。
「それはシャフトの居所だ」
その言葉に全員が震撼した。この傭兵は、よもや……。
「裏切る、というのか」
「オレはビジネスで動いていてね。目的はあくまでも、戦場を練り歩き、一つでも多くの戦いを知ること。シャフトには武器をもらったこと、感謝はしているが忠義を示すタイプではない」
仙也と勇太はディアマンを挟み込みつつ、氷雅が交渉の矢面に立った。
「信用できるのか」
「そちら次第だな」
氷雅は書類を拾い上げ、ディアマンを睨みつける。
「今はこちらだ。だが、いずれは潰す」
覚悟しておけ。
その声音にディアマンは鼻を鳴らした。
「いずれは、ね」
お互いに今は反目し合っている場合ではない。
あるのはただ一つ。
――シャフトを倒す。