「……全く」
狐につままれたような気分だと、戒 龍雲(
jb6175)は実感していた。
純……に憑りついた「鉄靴」は、工場に居る。そしてその工場周辺は、警察が出動し、住民の避難は完了。
道路の封鎖も行われ、工場の周囲数キロに動くものは何もない。……戒たち撃退士と、彼らが討つべき敵……「鉄靴」こと「腕章の少年」、そして「サヴァンドッグ」以外には。
「……本体が、まさか『鉄靴』だったとはな」
戒に並び立ったファーフナー(
jb7826)は、忌々しげに前方を見つめた。この位置からは見えないが……かのドイツ系アメリカ人の視線の先には、敵が潜む「工場」がある。
耳をすますと……かすかに「サヴァン、サヴァン」という吠える声。少し前に奴らと相対した戒とファーフナーにとっては、聞きたくはなかった声。
「ったく、めんどくせーなあ」
今回初参加の、二人のうち一人……ラファル A ユーティライネン(
jb4620)は、ファーフナーと異なる眼差しで、前方を見ている。
「だが、やるしかねーか。くそ犬どもとくそ蛇をぶっとばしてやるぜ」
金髪の小柄な美少女は、そう言い放ち拳を掌に打ち付けた。
「ええ。絶対に……純さんを助け出しましょう!」
ラファルの言葉にうなずくは、もう一人の初参加者、木嶋香里(
jb7748)。長い黒髪をポニーテールにまとめた彼女は、ラファルよりも豊かな胸と体つきを有していた。
香里の言葉を聞き、ファーフナーは目を閉じ……天を仰ぐと、再び目を開いた。
時間は午前。日が昇り、明るくはなっているものの……空には雲が厚く覆い、昼なお薄暗い。
昨日に降った雪は、今は止んでいる。戦いを挑むには……絶好の好機。
戦いに赴くは、四人。
たった四人で、これから……百匹以上の怪物犬と、それを操る「腕章の少年」と対峙しなければならないのだ。
「それじゃあ……行くぞ」
仲間たちを促し、ファーフナーは改めて、鋭い視線を「工場」の方向へと向けた。
封砲の一撃が、サヴァンドッグを吹き飛ばし、危険な怪物どもの息の根を止める。
「絶対に……」
アウルの力をみなぎらせ、黒髪の美少女……香里は邪悪の犬の群れ一つを吹き飛ばした。
「絶対に……純さんを助け出します!」
勇ましく言い放つ香里だが、吹き飛ばせたのは群れ全体のわずかな数に過ぎない。
十匹が倒れても、二十匹・三十匹が新たに現れ、撃退士を睨み付ける。だが、犬どもは警戒して唸り声をあげ、香里に注意を向けていた。
数十匹の犬が撃退士を、とりわけ香里を囲み、飛びかからんとする。
が、その刹那。ラファルの肩から放たれた煙幕弾が、犬どもの目前で炸裂する。
予想外の攻撃に、混乱するサヴァンドッグ。その隙を突き、ラファルたちが工場内部へと入り込み……敵の本体に向かっていくのを、香里は横目で見た。
「お願いします。皆さん!」
香里が皆にエールを送るのと入れ違いに、彼女に向かって……サヴァンドッグの群れが襲い掛かる。威嚇し、嘲笑するかのように、「サヴァン、サヴァン」という咆哮が響く。
それに対し、威嚇し返すかのように香里も叫び、戦いの場にその声を響かせた。
「ちっ、かびくせーところだな」
煙と共に工場内に立ったラファルは、すえた空気を鼻孔に吸い込み、顔をしかめた。もとはこの工場は、肥料か何かを精製するための施設だったらしいが、オーナーが会社を倒産させてから放置されていた。
内部は、ほぼ何も残っていない……大きな機械や重機は残されていたが、それらはすべて壊れ、動かない鉄の塊と化していた。大きな吹き抜けのような場所に……数匹のサヴァンドッグが、整列している。
そしてその先に……少女が一人、立っていた。肌の色が白くなりかけて、身体も少しづつ細くなりかけている、鈴本純その人が。
その手には、トンファー型の警棒。そして右足には……鉄の靴。
正直、その「鉄靴」は「目立たない」。鈍色の薄い色彩は、存在感というものを意図的に消しているかのよう。
無表情のまま、「腕章の少年」……と化した少女は、指揮するかのように手を振った。
その指揮に従い、整備の行き届いた機械のように、犬どもが動き出し地面を蹴る。
「へっ……退きやがれこのくそ犬どもがぁぁっ!」
襲い掛かるサヴァンドッグに対し、微塵の恐れも見せず……ラファルは己の本性を見せた。
年相応の、華奢にも見える彼女の肢体が変化した。細く非力な印象すら与える両腕は、巨人もかくやの逞しい鋼鉄の腕に、同じく細く綺麗な両足も、大地を踏みしめ敵を踏み潰すに相応しい巨大なそれに。
限定偽装解除「ナイトウォーカー」始動。両手足の偽装を解き、巨大にして強力な機械肢に変化させたラファルは、両の拳を握りしめて戦闘態勢を整え……再び、スモークディスチャージャーを放つ。
濃い煙が、少女と犬の群れと、自身とを包み込むのをラファルは知った。その煙にまかれつつ、混乱しているサヴァンドッグが向かってくるのを感じ取る。
臆することなく、飛びかかったサヴァンドッグの群れへ、彼女は己の鉄拳を叩き付けた。
巨大なハンマーもかくやの一撃は、別の犬数匹を巻き込み、工場の壁に叩き付ける。二撃、三撃と巨腕の拳による強烈な攻撃が放たれるたび、工場の壁には叩き付けられた邪な獣の潰れた死体の山が増えつつあった。
そのまま、煙の中を走り込み、敵へ、少女へ、少女に憑りつく邪悪の存在へと肉薄する。
「『俺の名前を……』」
『腕章の少年』と化していた少女は……撃退士が、自身へと迫る事にようやく気付く。
「『……言ってみろ』!」
己が顔を、凶悪なる面相に変化させたラファル。赤に染まった目に怪物のように耳まで裂けた口からは、鋭く尖った歯牙が並ぶ。逆立つ髪と額からの角は、まさに怒髪天を突く様相。無表情な『腕章の少年』だが、ひるんだかのように一瞬たたらを踏んだ。
その隙に、途端に『腕章の少年』の動きがにぶくなる。落とされた闇色の逆十字により、強烈な重圧が加わったのだ。
それを確信したラファルは、勝利を確信した。
「いける……! このまま、鈍くなった奴を拘束すれば……!」
だが……その確信は、予想外の結果の前に砕かれた。
「なっ……!」
別方向、すなわち敵の後方から工場に入り込んでいた戒もまた、ラファル同様に息を飲んでいた。
重圧を受けたなら、敵の動きは鈍るはず。そして実際に、鈍っていた。
問題は、「予想したほどにスピードを落としてない」という事。重圧のハンデは効いている。実際、純のすぐ脇に控えていたサヴァンドッグにも重圧はかかっていたのだ。そいつはかけられた重圧の前にほとんど動けず、苦しげにうめいている。
だが、純は、「腕章の少年」の方は、トンファー状の警棒を振り回し、ラファルを打ち据えんと襲ってくる。
両腕でかろうじてガードするラファルだが、このままではガードがおいつかない。
「こいつ……! 元のスピードがどんだけあるんだっ!」
毒づくラファルは、攻撃に転じた。アイビーウィップ……アウルにより植物から生成した鞭を振るい、純を拘束しようと試みたのだ。
だが、電光石火で放たれたしなやかな鞭の一撃を、純は後方へとステップを踏んでかわす。その動きは軽快ではないにしろ、決して「鈍重」とは言えない。
まずい、このままでは……。
ラファルは焦り始めた。このままでは、奴に逃げられる。そうなったら……こちらの負けだ。
また逃げられ、そして姿を消し……別の獲物を探し出す事だろう。この短い時間でケリをつけなければ、この後の長い時間、「鉄靴」による新たな犠牲者が増える事になる。
逡巡しているラファルの背後から、数匹のサヴァンドッグが。
「てめーら! 邪魔すんじゃあねーっ!」
振り向きざまにラファルは、小癪な犬どもを叩き潰すが……純は、「腕章の少年」は、既に遠くまで逃げつつあった。
「待ちやがれ、この野郎!」
しかし、犬は更に二十匹が煙の中から現れると……矢継ぎ早に襲い掛かる。それらを端からちぎっては投げ、ちぎっては投げるが……長くはもたない。
「鉄靴」は知っているに違いない。……時間を稼いで逃げてしまいさえすれば、勝ちだと。
だが、視界から消えようとする「腕章の少年」に。
「破ッ!」
後方から姿を現した戒が、横薙ぎに武器を振るった。
刃を立てず、平たい部分を叩き付けるようにして薙ぐ。純の身体に若干のダメージを与えてしまったようだが……少なくとも、重傷ではない。
不意打ちを食らい、横薙ぎに転がる「腕章の少年」。
だが、すぐに転がりながら体勢を立て直すと……そのまま立ち上がり、トンファーにて殴りかかる。
向かってくる純へ、戒は……。
「……忍法『髪芝居』!」
無表情な純へと、自身の髪を伸ばす幻覚、しかし迫真に迫った幻覚を放った。
その幻覚の前に、一瞬動きを止める「腕章の少年」。
「今だ! くらえっ!」
その隙を逃すまいと、サヴァンドッグの一群を叩きのめしたラファルは、「腕章の少年」の後ろから、死角から……アイビーウィップを改めて放った。
「!?」
放たれた鞭は、今度は純の身体に巻き付いた。
その表情は変わらない。だが……その動作から、「腕章の少年」が戸惑っているのが見て取れる。
がくり……と、純の身体の力が抜けた。見ると、「鉄靴」がほどけ、蛇の形状となり逃げようとしている。
「逃がすか!」
戒とラファルが追おうとするが、サヴァンドッグの群れが、工場の壁をぶち破り侵入してきた。
だが、すでに狂乱している。犬どもは互いに噛みつき、引っ掻き、殺し合いを始めていた。埃が舞い、壁が倒れ、天井が崩れ落ちてくる。
衰弱しかかった純の身体を、戒は支える。が、「鉄靴」が変化した蛇はそのまま、混乱に乗じて逃れていく。
もしも、「鉄靴」、または「蛇」に表情が出せたら、そいつは撃退士に対して「嘲笑」の表情を向けた事だろう。
しかし。
「「……かかったな」」
逃げ出す「鉄靴」に対し、戒とラファルは、口元に笑みを浮かべた。別方向から、蛇のような長い何かが、形状を蛇のそれに変えた「鉄靴」に巻き付いたのだ。
それは、アイビーウィップ。放ったのは、ファーフナー。
「……逃がさん」
蜃気楼で姿を隠し、陰影の翼にて空中から工場内に移動したファーフナーは、ずっと隠れていた。「鉄靴」が純の身体を捨て、逃げ出す時が必ず来る。その一瞬を狙い……二重に対策していたのが功を奏した。
じたばたともがく、「鉄靴」を……ファーフナーは初めて間近で目の当たりにした。
「……醜い野郎だ」
目前のそいつの本性を、ファーフナーは感じ取った。
「鉄靴」が醸し出すのは、全てを殺戮し、全てを破滅させんとする、邪悪な意志。可能ならばこのまま、不穏と不和をより多く広げ、人間どもを自滅させたい。深淵にも等しい憎悪と嘲笑の意志。
「くっ!」
そのおぞましい意志に、一瞬飲まれそうになったファーフナーは……そいつを踏み潰す事でそいつから逃れた。
敵は倒した。
だが、まだ周囲にはサヴァンドッグの群れが、互いに食い合い、引き裂き合っている。
「ファーフナーさん! 早く逃げましょう!」
純を抱き上げ、戒が叫んだ。
「同感だ!」
が、仲間を噛み殺し、狂乱したサヴァンドッグの一匹が……ファーフナーへと向かってきた。まずい、よけきれない!
ガッ。
何かを掻く音と衝撃音。それは、香里が携え構えている盾に、サヴァンドッグが爪を立てた音だった。
「大丈夫ですか、皆さん!」
犬を盾で殴り飛ばした香里に、うなずく事で答え……ファーフナーたちは、その場を後に。
「純さんは?」
「大丈夫です、息はありますが……」
問いかけた香里は、戒の腕の中の純が、ぐったりとしているのを見た。
「純さん、これ以上は巻き込ませないです。ですから……安心してくださいね♪」
その言葉に、純は答えない。
否、答えられないのだ。思ったよりも衰弱しているようだ。
「行くぞ! このくそ犬どもをぶっとばし、彼女を病院に運ぶぜ!」
ラファルの勇ましい声と共に、撃退士たちは撤退した。
そして、去りゆく自分たちの背中に、地獄を感じ取っていた。
互いに殺し、切り苛む音。噛み、裂き、掻く音、混乱し狂乱したサヴァンドッグの息遣いと声、その獣臭。
それらは、撃退士たちの耳と鼻とに侵入し、嫌悪感を抱かせた。
そして……現場から遠く離れ、バックアップをしてくれている警察に純を引き渡すまで。その音と臭いとは、途切れる事が無かった。
数日後。
「あはは、参ったわね」
回復し退院した純と卓郎、九朗とは、タクシーで家路についていた。
吹雪の中を、タクシーは進む。
「いやあ、病院で寝てばっかだったから、太っちゃったかなー」
純はあえて明るくふるまって、この事件の嫌な思い出から逃れようとしていたが、その試みはうまくいっていない。
きっと、死ぬまで忘れられないだろう。あの「腕章の少年」の姿。本体である「鉄靴」と、それが率いていたサヴァンドッグのあの姿。
いまだに、あれに乗っ取られた時の事を思い出すと、震えが生じ止まらなくなる。
「……九朗さん。それで、サヴァンドッグはどうなったんだ?」
卓郎の問いに、ため息交じりで九朗が答える。
「ああ、警察の調査で、百匹以上いた犬は全て殺し合って死んだことが確認された。『鉄靴』も、潰れた死体を回収してある。お前たちが……」
言葉につまったが、一呼吸おいて九朗は言葉をつづける。
「お前たちが……乗っ取られた時の情報通りだとしたら、『鉄靴』がまた現れない限り、サヴァンドッグも出ては来ないだろう。奴が司令塔だとしたら、その司令塔が無けりゃ……出てこれる訳がないからな」
卓郎と純の証言から、「鉄靴」が「腕章の少年」の本体であり、サヴァンドッグの司令塔である事が明らかになった。そして……「鉄靴」が無ければ、サヴァンドッグもまた狂乱し、理性ある行動はとれない。
「ま、もうあんな奴は出てこないだろうよ。お前ら、安心して……」
そこまで九朗が言った時。
三人は、凍り付いた。
小さく、しかし確かに聞こえたのだ。「サヴァン」という鳴き声が。
「おい、止めてくれ!」
運転手に言って、タクシーを止めさせる。その場に降り立って周囲を見回すが……鳴き声の主らしき影は見当たらない。
「……気のせい、よね」
純の言葉に、同意するかのようにうなずく九朗と卓郎。
そう、気のせいだろう。きっと何かを聞き間違えたに違いない。
無理やり納得させ、彼らは再びタクシーに乗り込み……帰路に。
そこからそう遠くない場所で。
九朗たちが乗ったタクシーが去るのを、じっと見つめる何者かの影があった。
それは……犬を連れていた。数匹の犬を。