●準備万端
ふう、とジュリアン・白川(jz0089)が溜息をついた。
「とにかく、本来のデモンストレーションに注力しよう。交流会は余興のようなものだ、魅せる方が完璧にできていれば問題ないのだからね」
完璧に、という言葉に力が籠る。歪みない。
「ではいつものように、ペアでの練習を始めてくれたまえ。その間、大八木君は別メニューだ」
「えっ」
大八木 梨香(jz0061)の表情が強張る。白川が噛んで含めるように宣告した。
「君には今から『クイックステップ』を覚えて貰う。本来藤田夫人の担当だったのだよ、頑張ってくれたまえ」
こうして部屋の四方からワルツ、タンゴ、ルンバに加え、チャールストンの軽快な音楽が流れ出した。
普通に考えればカオスだが、一同は既に慣れっこになっている。人間の耳は、その気になれば選んだ音だけを選別して聞きとることができるのだ。
荒々しくもキレのあるタンゴに合わせ、千葉 真一(
ja0070)と雫(
ja1894)が力強くステップを踏む。
「リーダーの腰が引けて見えたらNG、と」
動作一つ一つが自然な流れで繋がるように、それでいてアクロバティックに。
真一のイメージは格闘技の演武にも似た遠慮のないものだったが、雫が小柄であるお陰もあり、激しい動作もスムーズだ。
勿論、お互いに信頼感があってこその賜物。
真一は時折上背のある梨香を相手に練習し、激しい動作の中でも無理なく柔らかくパートナーが着地できるようなタイミングを掴んでいる。負担をかけすぎないように、精一杯雫を気遣っているのだ。
それはダンスの内容だけではなかった。
(……俺は恥ずかしさはもう割り切るつもりだが、雫も同じとは限らないからな。いっそ兄と妹的な感じなら問題ないだろうか……)
そんな真一の真面目さと誠実さを、雫は感じ取っている。
蹴り合うような激しい動きにも対応し、急な接近にも以前のように恥ずかしさに戸惑うこともない。
二人で作り上げていく作品は、確実に精度を増していた。
別の一角に流れるのは、優雅なワルツ。
御手洗 紘人(
ja2549)の背中に静かな自信と余裕が滲む。
白川に振り回された地獄の(?)特訓の成果か、今や当初の腰の引けた様子は微塵も感じられない。
いざという時にはカタリナ(
ja5119)がフォローするのは勿論だが、それでも当初彼女がやや「引っ張っていた」ワルツは、柔らかな調和を感じさせるまでになっていた。
「その調子ですよ、ヒロト」
見せ場のポージングで綺麗に背筋を伸ばす紘人を、カタリナが激励する。
「はいっ、当日も頑張ります!」
そこに白川の声が飛んだ。
「御手洗君、カタリナ君、やり過ぎで顔を崩す勢いでそこは笑うんだ!」
「「はいっ!」」
怖いほどの笑顔。
だが、『魅せる』為には舞台俳優並の演技が時には必要なのだ。
仁科 皓一郎(
ja8777)は、桜花 凛音(
ja5414)が練習を積み重ねていくうちに変わっていくのを、どこか観察者の視点で見届けてきた。
(……ちっとは、慣れたかねェ? お互いの存在によ)
慣れたどころの話ではない。自信なさげにいつも俯いていた少女は、見事な変化を遂げていた。
ある日突然、眼鏡をはずし衣服を改め現れた凛音は、皓一郎の視線を真っ直ぐ受け止めて立った。
「お友達に……色々アドバイスを戴いて……。おかしく、ないですか……?」
皓一郎は唯、ふっと笑って見せた。
「いいンじゃね? 似合ってンよ」
「有難うございます……」
それは褒め言葉に対してだけではない。これまでの皓一郎の気遣いに、さり気ない優しさに対する感謝を籠めて。
もう大丈夫。今はただ、相手を信じて。
どこか物憂げで哀愁の漂う音楽に合わせて、爪先が床を滑る。
発表会は目前に迫っていた。
●ショウ・タイム!
「あわわ……遂に本番なのです……今までの成果を見せるため……頑張るのです!」
黒の燕尾服姿の紘人が、控室で武者震いする。
踊りに不安はないが、やはりいざとなると見知らぬ人々の視線を意識してしまう。
「大丈夫ですよ、あれだけ練習したんですから」
青を基調に白が清楚に映えるドレスを纏ったカタリナが、紘人を励ます。
上品な寒色系のドレスはややもすれば寂しい印象になるが、首から手首につながる長いフロートが華やかさを添えている。立ち居振る舞いは、ドレスを着慣れているのが傍目にも判る、堂々としたものだった。
一同は会場で衣装を合わせ、依頼主にダンスの最終チェックを受けた。
何処かやつれていた藤田氏だったが、ダンスの仕上がりに感激し、元気を取り戻したようだった。
そして今、萌黄色のドレスの裾を翻し、梨香がその藤田氏と必死に練習したクイックステップを踊っている。
ワルツのように大きなステップで床を横切ったかと思うと、何処かコミカルに足を交互に跳ね上げる。
音楽が終わり並んで一礼すると、居並ぶ生徒さん達から拍手が沸き起こる。
司会役の案内に、これも燕尾服姿で控える白川が紘人の肩を叩く。
「大丈夫だ、気持ち良く踊ってきたまえ」
「はい。カタリナさん、頑張りましょうです!」
促され、紘人はカタリナの手を取り中央に進み出る。
練習に使っていた教室と違い、ダンスホールの床はしっくりと足になじむ。よし、大丈夫。
ぺこりと頭を下げると、カタリナは膝を軽く曲げ優雅に淑女の礼。
基本のポーズをとった所にワルツが流れ出す。少し緊張した面持ちの紘人だったが、一歩を踏み出すと後は音楽に乗るだけ。
堂々と床を横切り、滑らかに足先を床に滑らせ身体を傾けポーズ。ゆっくり頭を巡らせる間、カタリナはこれでもかと輝く笑顔。
姿勢を戻し、再び綺麗なステップ。揺れるドレスの裾が海の波を思わせ美しい。
だがリーダーにとっては足にまとわりつくドレスの裾は、中々の難敵である。パートナーの足がどこにあるのか感覚を頼りに進むが、うっかり爪先をひっかけ一瞬姿勢が崩れかける。
(あっすみません!)
声にも表情にも出さないが、紘人の焦りが伝わる。カタリナは笑顔のままで撃退士の膂力を持って、根性で姿勢を保った。
あくまでも、優雅に。ワルツの情緒を崩さないよう、堂々と。
落ち着きを取り戻した紘人は、見事にカタリナを支え、連続ターン。誘導に自然について行くカタリナのフロートがふわりと広がり鮮やかな軌跡を残す。
音楽が止むと、歓声と拍手が沸き起こった。
「よし、俺達も負けずに頑張ろうな!」
真一の熱い言葉に、雫も静かに頷き返す。
「あれだけ練習を重ねたのですから、無様を晒す事は無い筈です」
運動部の先輩と後輩のような気迫が漲る会話である。
二人の衣装は黒を基調にしたものである。雫は激しい動きに邪魔にならないよう髪をきちんとまとめ、サテンとジョーゼットの柔らかな衣装に身を包む。それは薄く施した化粧と相まって、幼い顔立ちに不思議な妖艶さを添えている。
実は余り深く考えずにイメージとサイズだけを伝えていたため、後にタンゴ用ドレスの露出に衝撃を受けたのだが、今は何とか折り合いをつけていた。
一方真一は程良く体にフィットした黒の衣装に、差し色の赤のスカーフ。ヒーローとしては絶対に外せないこだわりだ。
「GO!」
気合を入れ進み出ると、タンゴのリズムに乗って最初から全開モード。情熱的なステップが互いに斬り込むように鋭く繰り出される。
かと思うと、ふわりと崩れるように雫が真一の腕に身体を預け、床に身体を滑らせる。開いた足の間から真一が雫の身体を力強く引き上げると、静かなどよめきがダンスホールを包んだ。
片腿で雫の膝を受けたまま、くるりとターン。その間も広げた腕は、指先まで綺麗に伸びきっている。
ここで再び大技。テレビで見たペアのアイスダンスのように、雫の身体を真一が抱え上げ、そのまま肩を廻って身体を添わせるように降ろす。雫は真一の両腕を支えに、静かに着地。
ラストは組体操のように、右腕を綺麗に伸ばした雫を左腕に支え、真一は右腕でビシッと指差した一点を見据える決めポーズ。『ボールルームで俺と握手!』
タンゴっぽくないと言えばそうなのだが、競技会というわけでもない身内の集まり。ましてや若い学生のダンスということで、珍しいダンスとしてなかなか受けている。
「さて出番、か……やるコトは変わらねェ、しな?」
良く判らないからと適当に任せた割に、身体にぴったり沿う黒のラテンの衣装が似合いすぎる皓一郎。
頷き返す凛音は、赤い髪と小麦色の肌に映える白のドレスに身を包む。今や自信を持って踏み出すハイヒールの足に、ドレスから覗く赤紫の長いフリンジが纏わりつく。
少し離れて背中合わせに立つ二人が、官能的なルンバが流れ出すと同時に手を差し伸べ、歩み寄る。
溜めのあるステップを踏み、すれ違っては求めあう男女の機微を踊りに乗せる。
物憂げな眼差しの皓一郎だが、指先まで神経を使いしなやかに手を伸ばし、凛音の様子を窺う。
(大丈夫そう、かねェ)
皓一郎を見つめる凛音の目に不安はなかった。
本当に、好きな人がいた。
心を告げる勇気もないまま、恋は終わった。
いや、終わらせるために。今、目の前で踊る人に、全力で恋する。想いは少女故に真剣で真っ直ぐで。
……アリガトウ、ダイスキデシタ。
凛音が踊りに乗れているのを確認し、皓一郎は絡めた脚をそのままに、相手を仰け反らせポーズを決める。
ほう、という溜息がホールに満ちた。
●お手をどうぞ
笑顔の白川が一同をねぎらう。
「いや、君達は本当に本番に強いな! 実に素晴らしかったよ」
発表会は大成功。生徒さん達はまさか彼らが即席ダンサーだとは夢にも思っていないだろう。
紘人が生真面目な顔で、カタリナに頭を下げた。
「ここまで踊れるようになるとは思って無かったのです! ……カタリナさん、一緒に踊って下さいましてありがとうございますなのです」
「こちらこそ、どうも有難うございます。終わってしまえばあっというま、ですね」
微笑みを返すカタリナに、紘人も頷く。
「で。ここからが……なんだが」
白川の笑顔は崩れないが、微妙な空気。というか悲壮な感じ。
「君達だけに押し付けるつもりはない。1時間だけ頑張ってくれ」
一同はその言葉の重みを、程なく知ることになる。
ことに男性陣は壮絶であった。
若くて元気いっぱいな真一と、ラテン系アンニュイを漂わせた皓一郎が放っておかれるはずもない。
老いも若きも先を争い、新顔の若手と踊らんと列をなす。
「お誘いがあれば受けて立つ! タンゴ以外でも!!」
ガッツ溢れる真一はお姉様達に大人気だった。
「俺でイイ、つうなら構わねェが……」
幅広い年代の女性に付け狙われる皓一郎。
二人とも音楽の切れ目しか休みがない状態である。
白川も頑張った。一見外国人に見える容貌に最初こそ遠巻きにされていたが、一人の積極的な色っぽいマダムと踊り終えると、今度は物珍しさに年配の女性がどっと押し寄せる。
「ほほほ、寿命が延びるわねえ〜」
という老女の言葉に、飽くまでも笑顔を浮かべながらも何かを吸い取られるような気分は否めない。
『セ…セクハラ!? ジュリアン先生にセクハラされた!! 違った! ジュリアン先生がセクハラされた!』
しかもふと気が付くと、何処かで見たような相手が目の前にいる。
『踊っていただけます? 真逆女性の頼みを断るなんて無粋な真似しませんよね?』
桜色の柔らかなドレスの裾を持ち上げ笑顔を見せる相手は、御手洗 紘人改めチェリーちゃんこと桜嬢。愛らしく膨らんだ胸元に詰まっているのは、夢と希望と無限の可能性……らしい。決してパッド何枚? とか尋ねてはいけないのだ。
「……いつの間に……」
騒ぎたてたら久遠ヶ原学園がどんなところかと思われる。
ぐっと言葉を飲み込み、踊る白川。
だが桜ことチェリーちゃんがこんなことで満足するはずがない。
何も知らない(幸せな)藤田はおろか、間隙を縫って皓一郎にも声をかけた。
『良ければ踊っていただけますか?』
可愛くおねだり。
噂には聞いていたが、『これ』がそうか。皓一郎は困惑しつつも、受け入れた。
「俺で良ければ、喜んで」
チェリー、至福のひとときであったと言う。
女性陣は流石に藤田が気を使ってガードに回るが、そもそも女性の生徒さんが目新しい男どもに流れ、男性の生徒さんがあぶれている。
カタリナは気を回し、申し込まれれば淑女として申し分なく相手した。
過度に同じ相手と踊らず、面倒がなさそうな次の候補と笑顔で視線を合わせておく。一般人相手に『紳士的対応』はなかなか使えることも確認できた。
一人だけ気取ったおじさまがもう一曲、と縋って来たが、そこは軽くいなしてごめんあそばせ。 機会をとらえ藤田とも踊り、よりレベルの高いワルツも学ぶ。
「お上手ですね、さすがです。……パートナーがズレてしまっても、リーダーのフォローで素直に元の場所に戻ることができるのですね」
「なんの、やはり基礎ができていますね。とてもお上手ですよ」
藤田はそう言いつつも、幾つかアドバイスをくれた。
セクシーなルンバを心からの情熱を籠めて踊った以上、凛音が目立たないはずがない。
是非と誘われ応じたが、体力的に勝るものの、慣れない相手に無理な姿勢をとらされるのは相当な負担である。
「え? え? ちょっと、すみません」
凛音はいっそ実年齢(※実は中等部)を叩きつけるか迷いつつ、涙目で助けを求める。
曲が終わっても離れて貰えない様子に、雫が仕方ない、というように近寄る。
「桜花さん、先生が呼んでいました」
雫は、自分のような子供とまともに踊ろうと思う酔狂な人はまずいまいと思い、敢えて乗り込んで凛音を解放してやる。
が、そもそも雫自身が今日はいつもと違う、大人びたいで立ちなことを失念している。
凛音の手を離したおじさまと踊る羽目になる雫だった。
(こ……これもバイトのうち、です)
それでも決まったリーダー以外と組む踊りには、色々と発見があるものである。
初対面の相手でも基礎ができていれば、踊れること。大勢で踊るときには、リーダーの誘導が大事なこと。そして……。
「私の様な子供のパートナーを務めて戴きありがとう御座いますね。千葉さん」
生真面目に告げる雫に、真一はイイ笑顔で親指を立てて片目をつぶって見せた。
「お前さんのおかげで、上手くできたわ、ありがとうよ」
皓一郎に言われて、凛音はびっくりしたように顔を上げた。
「即席とはいえパートナーだったンだ、最後まで、きっちりと。楽しかった、つうのは、嘘じゃねェしよ?」
凛音は涙が溢れそうになるのを堪え、微笑み返す。
「先生、余計なお世話だと思います?」
優雅に手を延べ、カタリナが悪戯っぽく白川に笑いかけた。
「いやいや、救出作戦に心から感謝する」
ラストダンスはワルツ。柔らかな音楽が疲れた身体に心地よく響いた。
<了>