●Lesson1:ポイズ
レッスン場に割り当てられた教室に一同が揃った。
桜花 凛音(
ja5414)が持ち込んだカメラを設定している。練習風景を記録し、後で参考にするつもりだ。
(楽器はよく演るが……競技ダンス、つうのはハジメテか。何とかなる、かねェ?)
仁科 皓一郎(
ja8777)が、パートナーの凛音に声をかけた。
「なんか手伝えることあったら、遠慮なく言えよ」
「あ、はい。大丈夫です……」
凛音がびくっと身体を震わせる。
(仁科先輩はちょっと、近寄りがたい雰囲気……大丈夫でしょうか……)
そっと溜息を洩らす凛音を、少し距離を取って皓一郎は見ている。
(……どっか緊張してる、つうか、他人に慣れてねェ? まァ、勝手な印象だがよ)
普段は無関心とけだるさを漂わせる皓一郎だが、実は他人を良く見て気遣いできる性質らしかった。
誰かに怪我をさせないよう、愛用の装飾品も全て外している。
(ま、無理に近付く必要はねェし、同じ空間、つうだけで多少は違うンじゃねェか?)
負担を感じない距離を保ち、お互いに慣れる事から始めるつもりだ。
千葉 真一(
ja0070)は準備体操に余念がない。普段から身体を動かすことには慣れているが、ダンスの動きは独特だった。
凛音がかき集めてくれたレッスンDVDや社交ダンス大会の録画をそれぞれが鑑賞し、イメージは掴んでいる。
「普段と全然体の動かし方が違うんだなぁ」
真一は得意のヒーロー・ポージングをビシッと決めてみた。カッコいい型があるのは、ダンスに通じるものがあるかもしれない。
「せっかく踊るならヒーローっぽい動きも取り入れたいなぁ」
鏡を前にするとそんな願望も顔を覗かせる。
(大丈夫、イメージトレーニングは完璧です)
雫(
ja1894)は静かに膝の屈伸運動。
(京都でお世話になった白川先生の頼みですしね、ご協力しなければ)
クールな表情で理論武装。その内心は、今まで縁遠いと思いこんでいた社交ダンスを経験できるとあって、相当乗り気である。
昨夜もダンスビデオの通りに等身大のぬいぐるみを相手に、一人自室でステップを踏んでいた。
窓に映るシルエットにより幾人かの学生にはその姿は確認されているのだが、当人はそれを知らない。
御手洗 紘人(
ja2549)は新しい靴を履き、具合を確かめている。
「こんな靴もあるんですね……」
所謂シークレットシューズ。ペアを組む相手のカタリナ(
ja5119)との身長差を埋めるべく、導入された秘密兵器だ。
異性に免疫のない紘人にとって、以前依頼で同行しているカタリナと組めたことは幸いだった。
それでも不安は残る。
(ダンスですか……うーん、僕に踊れるかなのです……)
「大丈夫ですよ、ヒロト」
カタリナが緊張を少しでもほぐそうと声をかけた。
「僕は踊りには詳しく無いのです……えっと、カタリナさんよろしくお願いしますなのです」
顔を赤らめぺこりと頭を下げる紘人であった。
「さて、始めようか」
そこに現れたジュリアン・白川(jz0089)が言った。流石に上着は脱いでいるが、こんなときでもネクタイ着用である。逆に窮屈そうだが、これが彼の流儀なのだろう。
「まずは自立できなければ、話にならないからね。基本のポージングを身体で覚えて貰おう」
身体で覚える……のっけから不穏な発言。
身構える学生たちを意に介さず、白川は両手を大きく広げる。すうっと首が伸びた。
「男子は右肘を曲げて左手を伸ばす。女子は右手を伸ばして左肘曲げる。背筋と首は長く、肩は上げない。両腕は常に肩のラインと平行を保つように!」
矢継ぎ早に指示が飛ぶ。当然、いきなりできるわけがない。
白川は大八木 梨香(jz0061)を前に立たせ、女子のポージングを取らせた。
「棒立ちではないのだよ。膝は柔らかく、重心は両足の親指の付け根に! 踵は床につかないと思いたまえ!」
いきなり白川のダンスシューズの爪先が、梨香のヒールの下に蹴り込まれた。
ぎょっとする一同の前で、既に慣れているのだろう、梨香は平然と踵を浮かせている。
「いいかね、この姿勢が保てなければ、ペアの相手に多大な負担をかけることになる。心したまえ」
バックにかかる柔らかなクラシック音楽が、やけに間延びして聞こえる。
それぞれの膝が、腕が、ぶるぶる震え始めた。
「腕が下がっている」
皓一郎の右腕を、白川が軽く持ち上げた。
(経験者か。なかなかサマになっているな……)
持ち直しポージングを続ける姿に、密かに満足げな笑みを浮かべる。
欧州の名家の出であるカタリナは当然ダンスは踊れる。だが教養としてのダンスと競技ダンスとは根本が違う。
(ちゃんと習う競技のダンスは……相当きついのですね……)
全身が痙攣しそうな状況の中、それでも表情に弱気の影はない。
(大丈夫なのかしら、これ……)
初めてのハイヒールに歩くことも覚束ない凛音は、早くもこの依頼に挙手したことを後悔し始めていた。
●Lesson2:ステップ&ホールド
休憩を挟みながらのポージング練習がしばらく続いた。
男子三名は途中から、パートナーの代わりに椅子を腕に抱えて。女子三名はハイヒールの高さの分だけ難易度が上がり、ほとんどつま先立ちで耐える。どちらもスポ根マンガの勢いである。
「随分良くなった。流石は久遠ヶ原の学生だな! では次はステップに移る」
男女が向き合う形で一列に並ぶ。
床に四角を描くように、基本の足さばき。まずはワルツのボックスステップから。
真一はチェックしてきたDVDの内容を思い出しながら、足を運ぶ。自宅で試した時と違い、立ち方が判った分かなり楽にできることに気づいた。
「よし、なんとかなりそうだ」
切れのあるタンゴ、溜めのあるルンバ、それぞれの音楽に合わせるだけの余裕も出てきた。
ここまではかなり順調である。そして寧ろ問題は、ここからだった。
「では一度組んでみようか」
白川の声に促され、それぞれが向かい合う。……妙な間が訪れる。
経験者のカタリナは、特に違和感なく紘人に腕を預けた。
「え、えと、ソシアルダンスって呼び名は、日本だけらしいですね〜」
動揺の余り、紘人が良く判らないことを口走る。経験の無さを補うため、事前に仕入れた知識のようだが、今それは割とどうでもいい。
「大丈夫ですか? ヒロト」
ヒールが低めのダンスシューズを履いたカタリナが、赤くなったり青くなったりする紘人の様子を気遣った。
「御手洗君、しっかり立ちたまえ! それではカタリナ君が立てないぞ!」
白川が容赦なく紘人の身体を支え、ぐっと腰を押し出した。ほぼ同じ身長になったカタリナと骨盤で接する形だ。
「あわわわわわ……そ……そんな事するのですか!!」
目がぐるぐるになった紘人を見て、今まで気にしていなかったカタリナもつられて気恥しくなってくる。
「あ、ごめんなさい……!」
普段なら決してやらない失敗。躓いて紘人の足を思い切り踏みつけてしまった。
「リーダーは腰で誘導するのだ。きちんと接していなければ彼女もうまく動けないだろう!」
「は……恥ずかしい……とか……その……」
「何ら恥ずかしいことなどない! 君はダンサーだ、ダンサーになるんだ!」
全然解決法にならない白川のその声に、凛音の顔も茹でダコのように真っ赤になった。
(覚悟を決めて頑張らなくちゃ、でも……男性とこんなに接近するなんて!)
「まァあんま深く考えなくていいンじゃネ? ナンだったら俺の事はコート掛けとでも思ってくれりゃイイし」
皓一郎が年の離れた凛音をなるべくリラックスさせようと、冗談を飛ばす。一緒に組んで踊る以上、相手との呼吸が大事。スキル『紳士的対応』まで使う念の入れようだ。
その言葉に、凛音が一瞬目を見張り、直後に少し微笑む。
(仁科先輩って、いざ接してみるととても紳士的で頼りになる方ですね……)
「足を引っ張らないように頑張ります。リードを宜しくお願いします」
精いっぱいの微笑みに、皓一郎はつい年下に対するいつもの癖で頭を撫でそうになる手を止める。
(まだあんま慣れてないかも知れねェしな……)
「甘く見ていたかも知れませんね……」
雫の表情は普段通り、あくまでもクール。だが良く見るとその頬はほんのり桜色に染まっている。
(映像を見ていた限りでは、ここまでなんて……!)
真摯に取り組む真一は、恥ずかしさを乗り越えて忠実に指示に従う。
「身長差なんて関係ないぜ。やるなら楽しめるようにならないとな!」
雫の背中に右手を回し、ビシッ! とポージング。お互いの腰の部分からV字に広がる上半身。
「いいぞ千葉君、雫君。その調子だ」
褒められたものの、雫の脳内はぐるぐる混乱中。
(近い! 近いですよ、千葉さん!!)
正直なところ、梨香の様子を見ても戦闘依頼よりも大変だとは思っていなかった。だが真の敵は足の痛みでも腕の筋肉痛でもなく、羞恥心だったのだ。
(これに慣れることはできるのでしょうか……)
動かない表情の下で、雫は絶望的な気分を味わっていた。
「こりゃ終わった後は入念に体解さないとキツいかもな!」
雫の内心を知らず、真一はひたすら真摯に課題に取り組むのだった。
●Lesson3:レッツダンス!
そもそも大前提が無茶ぶりなのである。だが発表会まで余り時間がない。
習うより慣れろ。無茶を承知で、とりあえず組んで音楽に合わせる所までぶっ飛ばす。
「ヒロト、もっと体寄せて下さい、こう」
優雅なワルツの音に潜ませた小声。カタリナが紘人を激励する。
恥ずかしさは既に克服し、経験と年齢により紘人を導く側になっている。
「す、すみません、どうにも慣れなくて……」
焦れば焦るほど紘人の動きは硬くなっていく。
(このままだと……カタリナさんに迷惑がかかるのです……ここは!)
突如光纏。スキル『疾風符』を発動し、青い風を纏う。これで身体が軽くなれば楽に動ける……!と、思う方がどうかしている。
「ちょ、ちょっと動き早すぎです!」
「あれ!? 動きがおかしいのです!」
紘人がバレリーナのように一人でくるくる回りはじめた。作戦失敗。
「困りましたね……あ、白川先生、ちょうどいい所に!」
カタリナは白川を呼び止めた。
まずは紘人にリーダーとしての動きをマスターしてもらうしかない。ずいっと紘人を前に押し出す。
「先生、パートナー役お願いします」
「何だって?」
白川が面くらった顔をする。
「はわ……その……先生宜しくお願いしますです……」
「全く、ちゃんとホールドさえできれば問題ないはずだよ君達は」
言いながらも白川は紘人の前に立つ。と、突如紘人をホールド。勿論リーダーとして。
「え? え?」
面食らう紘人だったが、どういう訳か白川に腰でがっつり誘導され、足を交互に出している間に見事女性パートを踊りきっていた。
「このようにリーダーがしっかり誘導すれば、女性はそれなりに踊れるのだよ。相手が素養のあるカタリナ君なら尚更だ。逆に」
ぐっと白川が前屈みになり、紘人を抱きかかえたまま覆いかぶさる。顔が近い。
「どうだね、これでは動けないだろう? しっかり頑張りたまえ!」
その後、今度はリーダーとして白川に振り回される紘人の姿を、カタリナが静かな表情のまま見つめていた。……その内心は、誰も知らない。
ふと並んで座る梨香に気づき、声をかけた。
「正直なところ、こんなにきついとは思いませんでした……梨香はよく耐えましたね」
「なんというか……斡旋所に白川先生が見えたかと思うと、気がついたら拉致されてまして……確か第一声は『君、身長はいくらだ?』だった気がします」
早い話、背が高い女子なら誰でも良かったのだろう。
「カタリナさんこそ大丈夫ですか?」
「足がこんなに痛くなるとは……あ、リジェネレーションが!」
「ああ、本当はタコになった方が楽らしいのですが……やっちゃいますよね。リジェネレーション」
並んで座るディバインナイト女子二人、仲良く光纏。
「スロー、クイック、クイック、スロー……」
真一と共に基本動作を繰り返しつつ、雫は心の底から思った。
「し、身長が欲しい……」
こればかりはどうしようもない。が、必ずしも不利な点ばかりではない。
「千葉君と雫君はタンゴを踊るのだったな。ラテンは身長差があった方が踊りやすいはずだよ」
白川が励ます。だがその代わりに女性は、力強いながらも軽快な動きが要求される。
「リーダーが遠慮しているように見えてはダイナミックさが失われる。歩幅の違いは動きでカバーするしかない、雫君は大変だが頑張ってくれたまえ」
雫はこくりと頷いた。
流れる音楽はルンバに。
向かい合って立った皓一郎と凛音が、ふわりと広がる。少し溜めのあるステップ。そしてまた向かい合う。
「だいぶ慣れてきたンじゃね? 踊りやすくなったカンジ」
皓一郎の言葉に、凛音は俯きながら答える。
「そう言っていただければ……嬉しいです」
本音を言うと、基本ステップである今だからこそ何とか、という状態である。
ルンバを踊ることにしたものの、事前に見た映像に驚愕させられた。これでもかと男女の絡みが続くのである。
(こんな振りつけ無理……)
愕然とした凛音だったが、今は皓一郎に合わせて頑張ろうと思えるようになっていた。
「いい動きになって来たね」
踊り終えた二人に、白川が声をかけた。皓一郎はその姿を観察する。
(体力、柔軟性、姿勢と適正体型の維持、てトコか……あァ、ガタイ、イイしよ、ご教授イタダク、つうのも悪くねェか)
一体何処を観察し何を教授されようというのか疑問はさておき、白川の体格その他がダンス向きだと納得したようだ。
「先生、ルンバにはその、ヒップ・ムーブメントとかあるンだっけ?」
「良く調べてきているね。まあ独特の動きはあるが、まずは基本のステップを身体に覚え込ませることだね。後は野性味と色気のあるラテン音楽のリズムに合わせていれば、自然とそれらしくなるものだよ。勿論、動けるだけの身体を作る必要はあるがね」
「つまり柔らかさ、が重要、てコトか。野性味と色気、つうのはまァ、努力はする、が……出せるとイイねェ?」
「はは、期待しているよ。仁科君ならきっとできるだろう」
手を振り立ち去る白川の背中を、見送る皓一郎。
(朝晩、走り込みでもしてみっかねェ? 後は、あー……酒と煙草、ちっと控えるか)
本気すぎであった。
「お疲れ様です、よろしければどうぞ」
レッスンの終りに、凛音が皆にスポーツドリンクをすすめる。
部屋の隅でステップを踏んでいた真一が、顔を上げた。
「大八木、ちょっと練習付き合って貰いたいんだけど……とは言え、足キツいか。大丈夫か?」
真一は組む相手を変えて練習してみるのも、何かの参考になると思ったようだ。
「大丈夫ですよ。今、治りました」
梨香が少し微笑んで、立ち上がった。
成り行きダンサー達の晴舞台まで、もうすぐである。
<続>