(お兄ちゃん‥‥)
天使・楯岡光人を前に、神ヶ島 鈴歌(
jb9935)は、少しだけほかのものとは違う、特別な思いでいた。白銀の鎧に身を包み、戦闘態勢を整えている男を遠くに見て、強く唇を噛んだ。
迷ってなんかいられない。
「師匠の罪は、弟子が正す! お兄ちゃん、止めてみせるのですぅ〜!」
「また、見慣れないのが出てきたね」
星杜 焔(
ja5378)は楯岡の前にいる銀仮面を見ていった。
「また誰か中にいるのかな」
鳳 静矢(
ja3856)が同意を示した。
「あの男ならやりかねん」
「無闇に傷つけないようにしないといけませんね‥‥」
星杜 藤花(
ja0292)が言うと、川内 日菜子(
jb7813)が周囲を見回した。
「ならば、あの銀仮面は私に任せてくれ」
日菜子は燃えたぎる瞳で冷徹な仮面を睨みつつ、言った。
「皆があの男との戦いに集中できるように。完璧に抑えて見せよう」
●
神埼 晶(
ja8085)がライフル弾を放った。
射程ギリギリから、楯岡を狙う。彼は左の篭手でもって難なくはじいた。
「ふふ、なんです? それは」
全く効いていないことをアピールするかのように、冷たい目で晶を見返す。
「さすがに‥‥主だったスキルは使い切っちゃっててキツイわね」
舌打ち混じりに、晶は楯岡に向かってそう言った。
(なんてね。‥‥見てなさいよ)
晶は余裕たっぷりの楯岡を見据えつつ、今は狙撃を続けようと構える。
「‥‥【シニストラ】」
楯岡の唇が動くと、左拳が人差し指を突き出した。そこから光線が迸る。
それは晶を撃った。相手も長距離の攻撃手段を持っていたのだ。
「っ! この‥‥」
焔が直前に展開した、花畑の結界内にいたおかげでそこまで大きなダメージでは無かったが、攻撃力もなかなかのものだ。
「私は先にあちらを潰す‥‥援護を頼む」
突っ込んでいく静矢に、藤花と、そして点喰 因(
jb4659)が続いた。
(星杜君は奥義を使ったか)
天風 静流(
ja0373)は前へと足を運ぶ。
この戦場がおそらくは最後。ならば、出し惜しみは必要ない。
静流は銀仮面を追い越して、さらにその先、楯岡へと一気に距離を詰めた。
「私も一気に行くとしよう」
薙刀の射程が届く直前、静流の体を、まるで全身の血液が発光したかのように光が包んだ。それを境に彼女の動きが見違えて早くなる。
飛び込みざまの一撃。楯岡は右手甲の剣で受けたが、静流はすぐさま刃を翻すと左の胴を確実に斬りつけた。
「ぐっ‥‥」
楯岡の端整な顔が歪む。切り返してくるかと思いきや、彼はそのまま静流を躱して側方へ──左拳のスライムの方へ跳んだ。
「あれほど言っていた割に、斬り合いはしないのかい?」
「私はバカではありません。あなたがたいそうお強いことは、耳が痛くなるほど聞かされていましたからね」
(──佳澄君に、か)
静流の脳裏に、春苑 佳澄(jz0098)のあどけない笑顔が一瞬、浮かんだ。
静流たち撃退士をこの場に導いたはずの彼女の姿は見えない。果たして、どこにいるのだろうか。
*
「貴様の相手は私だ!」
日菜子は炎を纏った拳で銀仮面を弾き飛ばし、相手の注意をこちらに向ける。
(近くで見れば、やはり小さいな)
日菜子の身長は164cm。これまで彼女が戦った銀仮面は、頭が完全に見上げる位置にあったが、これは彼女自身より多少大きい程度。
中に人が入っているとしたら、日菜子よりもさらに小さい人間ということになるはずだ。
(さて、どうするか‥‥)
前回の手口を考えれば、何も考えずに叩き潰すわけにはいかない。思案する日菜子の下に銀仮面が迫る。
銀仮面はランスを振り抜き、衝撃波を打ち出してきた。
見たことがない技。──いや。
「今の技は‥‥」
焔のワイヤーが変質した機関銃が、猛然と虹色に輝く弾丸を吐き出す。集中砲火を喰らった右拳は勢いに押されるようにしていくらか後退した。
が、それも束の間のこと。拳を象ったスライムは跳ねるようにして距離を詰めると、握り込んだそれを振り下ろす形で全体重を焔に叩きつけてきた。
まだ彼の周辺には結界の効果が残っており、盾を使わずともダメージは大幅に軽減された。
(こっちは近接型みたいだね)
今右拳に対しているのは焔一人。彼の目的は、敵に連携をとらせないこと。
左拳とは十分な距離が開きそうだ。
「頼むよ、皆」
そちらに集まる味方を一瞬だけ目端で見送って、再び虹色魔弾を敵に向かって撃った。
*
静矢は左拳へ一直線に駆け向かった。途中、左拳の指先が光ったが、静矢ではなく後方の藤花を狙ったようだ。
(やはり、この敵は先に潰してしまわなくては)
静矢は刀に闇のオーラを纏わせて、拳の直下に潜り込む。そして勢いをつけて斬り上げた。左拳は親指の腹がばっくりと裂け、それはすぐには戻りそうもなかった。
このまま一気に沈めようと、静矢は二撃目を準備する。そのとき、拳が開かれた。
「──!」
シニストラは手のひらを静矢の眼前まで近づけると、そのまま彼を握り込んできたのだ。
全身を締め付けられ、強烈な痛みが静矢を襲う。そのまま取り込まれるようなことはなかったが、吐き出された後、静矢は支えを失ったかのようにふらついた。
「いけない」
藤花は駆けだした。彼女を守護すべく、因もそれに続く。
負傷よりも、受けた衝撃が大きい様子を見て取って、藤花はクリアランスを使用した。静矢の目に確かな光が戻る。
「すまない、助かっ──」
「そんなところで固まっていると、まるで狙ってほしいと言わんばかりですね!」
左拳の後ろから、楯岡が姿を見せた。直後、構えた弓から無数の矢が放たれる。それは静矢たち三人をまとめて撃った。
「ふおっ」
因は最後のマジックシールドで攻撃をしのぐ。
「藤花さん、大丈夫?」
「はい、まだ平気です」
自分のすぐ後ろにいた藤花は矢を浴びたが、まだ体力的には余裕がありそうだ。
「お兄ちゃん! やらせないのですぅ〜!」
矢を撃ち終えた直後の楯岡の下へ鈴歌が突っ込んできて、大鎌を振るった。
「あっちへ行っていなさい、鈴」
「あうっ」
楯岡の反撃は鎌を回して防ごうとしたが、鋭い攻撃はその暇を与えなかった。
そこへ静流が迫る。薙刀では届かないので矢を続けて放ち、一本が楯岡の肩を打った。
楯岡は舌打ちすると、その場から飛びすさった。
「まさか、こうも露骨に逃げ回るとはね‥‥」
静流から逃げ回りつつ、隙を見てほかの味方を狙っている。首領であるはずの楯岡が、今は完全に遊撃に回っているのだ。
このまま楯岡を追い続けるか、先にスライムの撃破を優先すべきか。逡巡する静流の下へ鈴歌が体を寄せた。
「神ヶ島君‥‥どうした?」
「お願いがあるのですぅ〜‥‥」
鈴歌は、決意のこもった願い事を静流に訴えた。
●
銀仮面が日菜子に迫る。先の尖った西洋槍を棒のように振り回す動きは、これまでの銀仮面とまるで違った。
「こいつ‥‥こいつは!」
すでに日菜子の中で、ある確信が芽生えつつあった。相手の使う技‥‥衝撃波や、動きを止める薙ぎ払い。それらは敵の使うものではない。
撃退士──阿修羅である日菜子にこそ、なじみの深いものだ。
だがまだ確定には至らない。そもそも、中に本当に人がいるのかどうか? 前回の銀仮面と違い、こいつの動きは軽快だ。
敵の大振りな一撃を躱すと、日菜子はいったん後方に退いた。そこには、楯岡の動きを止めようと狙撃を続ける晶がいる。
「神埼」
日菜子は晶を呼ぶと、銀仮面を示した。
「覗けるか」
「あの中を、ってこと?」
西洋甲冑さながらの銀仮面には、必要であるのかは不明だが、兜に本来のそれと同じく視界を確保するすき間が空いている。普通にやったら顔をくっつけでもしない限りは中を覗くことなど出来ないだろうが、晶ならそれに近いことが出来るスキルがあるのだ。
晶はライフルをおろし、日菜子に答えた。
「動きを止めてくれれば。十秒‥‥五秒でいい」
「わかった」
日菜子は即座に請け負った。もとよりそれは彼女の仕事だ。
姿勢を低くし、銀仮面の槍の動きを見定める。また横薙ぎに払われた槍を日菜子は飛び込んで躱し、前転しながら一気に敵の側面に降り立つ。
そして相手がこちらの動きを捉えきる前に後方へ回り、両腕をがっちり捕まえた!
「今だ、神埼!」
もがく銀仮面を抑えながら日菜子が叫ぶ。晶は視力を強化し、暗闇を見通す力でもって銀仮面を──その内部を覗き見ようとする。
銀仮面は激しく抵抗し、抑えつけられていた左腕を抜いた。がむしゃらな動きで日菜子の右腕をとると、一本背負いのような形で正面に投げ飛ばした。
転がるように受け身をとった日菜子は起き上がり、晶をみた。
「どうだった」
「中に人がいるのは間違いない」
晶は答えた。
「顔の全体は見えなかったけど‥‥小さいし、女の子だと思う。左の前髪に、ヘアピンをしてた」
口にしながら彼女も気づいたようで、目を見開いて日菜子をみる。
「中にいるのは‥‥」
日菜子は頷いた。
「春苑だ。春苑佳澄があの中にいるんだ」
(やっぱり‥‥)
藤花は唇を噛んだ。
スライムの向こうにいた楯岡をきっと睨みつけると、藤花は踵を返し、銀仮面のもとへ、走る。
「佳澄さん。絶対に助けます」
この場所を隠していたサーバントが使っていたあやかしの術は、抵抗を高めることによって防げたと焔が言っていた。
(それなら、もしかして?)
藤花は銀仮面に背後から接近すると、その背中に手を当てた。
(佳澄さんに、直接届くように!)
甲冑の中に狙いを定めて、聖なる刻印を打ち込んだ。
「ふふふ‥‥無駄ですよ」
直後、銀仮面がぐるりとこちらを向いた。その勢いのまま槍を横に払い、藤花をしたたかに打ち据える。
「きゃっ」
「藤花さん!」
弾き飛ばされた藤花を、追ってきた因が受け止めた。因は訴える。
「佳澄ちゃん! 佳澄ちゃんなんでしょ!」
銀仮面は答えない。槍を構え、因との距離を測る。
その、感情のこもらない動作を目の当たりにして、因の表情は歪んだ。
「こんな‥‥こんなものは! 君の在るべき様じゃないだろ?!」
懐から手鏡を取り出して突きつけ、怒りと悲しみがない交ぜになった感情をぶつける。少しでもこの思いが届けばいいと。優しい気持ちのあの子なら、きっと気づいてくれると。
だが槍は無情に振るわれた。因が倒れた拍子に手からこぼれた手鏡が乾いた音を立てて滑っていった。
「もうその子に声は届きませんよ‥‥私のもの以外はね」
楯岡は満足そうに笑っていた。因はすぐに起きあがったが、そのことを気にする様子もない。
「お兄ちゃん!」
楯岡の前に、鈴歌が再び立ちふさがった。武器を持っていない。
「私と武器禁止、一対一の勝負ですぅ〜!」
●
【シニストラ】の中心から吹き出るように濃い緑色の霧が生まれた。接近している静矢には避けようがない。
「魔装を腐敗させる霧か!」
霧はシニストラの一定範囲に残り続ける。それでも静矢はこの巨大なスライムに隣接し、刀を振るう。と、静矢とは別方向から、刃のきらめきが走った。見れば、静流だ。
「楯岡は?」
「彼女に任せたよ」
静矢が問うと、静流は少しだけ首を動かして後方を示した。
*
「お兄ちゃん‥‥佳澄お姉ちゃんを返して、捕まえている人たちを解放してもらうのですぅ〜」
鈴歌は勇ましく言った。楯岡はてんで動じない。
「春苑君は望んで私のしもべになったのですよ。返す道理はありません」
「そんなの‥‥嘘ですぅ〜!」
突撃する鈴歌を、要求通り武器を収めた楯岡は何の構えもせずに待ち受けた。
「やああーっ!」
力を込めた重い一撃を、その無防備な横腹に打ち込む。さらに飛び上がって足を振り上げ、首筋に蹴りを放った。
宙返りをしていったん距離をとると──楯岡は今し方蹴られた首のあたりをさすりながら、溜息をついた。
「やれやれ、こんなものですか」
直後に反撃。左拳を躱したと思ったら別方向から衝撃。さらに間髪を入れずもう一度左拳が、今度はまともに鳩尾に入り込んだ。
「ぐっ、げほっ、けほ」
「どれほど強くなったのかと思えば‥‥期待はずれですね、鈴」
(さすがお師匠様‥‥でも、まだですぅ〜!)
吐き気をこらえて低く飛び出す。勢いをつけた徹しの一撃は、しかしまたもあっさりといなされた。
「無駄です。諦めなさい」
「諦めるわけには‥‥いかないのですぅ〜!」
倒れても立ち上がる鈴歌を、楯岡は少しの間見下ろしていた。もしかしたら昔、似た光景を見たことがあったかもしれない。
だが楯岡は突然目つきを厳しくすると、顔を横に向けて叫んだ。
「【デクストラ】! 何をやっている!」
焔が長く引きつけていた右拳がその声に反応した。焔を飛び越えて戦場の中央に向かうと、淡く輝く光を放ち始める。
左拳【シニストラ】がそれに呼応するように動き出した。
「行かせてはダメだよ!」
焔が声を上げた。その声に左拳を囲んでいた四人が攻撃を集中する。
静矢の刀の切っ先が突き刺さったときだった。限界を超えた【シニストラ】は膨張した風船が破裂するかのようにはじけて溶け落ちたのだった。
「茶番は終わりです」
鈴歌は、楯岡の表情から余裕が消えたことを見て取っていた。再び右手甲に刃を現出する。
「この戦いは、殺し合いです。そこに立っているのなら‥‥鈴、あなたも同じことだ!」
楯岡は跳躍した、と思った直後に急降下してきた。あるいは飛翔の力を使ったのかもしれない。
肩からばっさりと斬りつけられ、鈴歌は膝を突いた。
「まだ‥‥負けてないのですぅ〜‥‥」
しかし、鈴歌は立ち上がった。
「間に合った‥‥大丈夫ですか?」
駆けつけた藤花が彼女を支えた。左拳を倒した静矢たちがその周囲に。
鈴歌は楯岡を強い眼差しでねめつけ、言った。
「私ひとりの力じゃないのですぅ〜‥‥皆さんが支えてくれるから! 守りたい人がいるから! 絶対にお師匠様を止めてみせるですぅ〜!」
楯岡は冷めた目つきで鈴歌を、そして撃退士をみた。
「何をそんなに熱くなっているのでしょうね。私が殺した数など、昨今の天魔被害で死んだものの中では微々たるものです。しかもわざわざ身寄りがない、価値のないものを選んで殺しているというのに‥‥」
さも疑問だ、といった風で。
「大した問題ではないでしょう?」
「‥‥言いたいことはそれだけか」
低く詰めた声で、静矢が言った。
「私が貴様に刃を向ける理由はただ一つ、死者を死してなお無惨に扱ったこと‥‥十分すぎる理由だ」
『緋晴』の切っ先を楯岡に向け、怒りを込めた言葉を叩きつける。
「人間を‥‥命を甘く見るな、外道!」
楯岡はそう言われてもなお涼やかだった。
「たまたま知恵の実をかじっただけの家畜風情が、偉そうなことですね」
「‥‥き さ まぁぁああアアア!」
怒りは根本から弾け飛んだ。静矢は左右の腕から明暗に分かれた紫のアウルを噴出しながら楯岡に襲いかかる。
アウルは刀身に集まって一つになった。楯岡は手甲で受けようとしたが間に合わず、白銀の甲冑に大きな傷を刻んだ。紫の鳳が刀身から生まれ、静矢の怒りを代弁するかのように大きくうねってから消えた。
「その程度では倒れませんよ」
楯岡はすぐ反撃にでた。拳を振るうようにして手甲剣での鋭い連撃。静矢はいずれも躱すことが出来ず、看過できない傷を負った。
「頭に血が昇ったか」
今の一撃で余計な血は抜けた。
「私は残ったスライムの押さえに回る。こいつのことは、頼む」
本来の冷静さを取り戻した静矢は周りにそう言い残し、一時後退した。
●
「春苑さん、しっかりして、目を覚まして!」
「春苑!」
晶と日菜子の声が広間に響く。彼女たちは休むことなく銀仮面──その中の佳澄に呼びかけ続けていた。
だが声に反応する様子は見られない。銀仮面は槍を振るって日菜子の動きを止めると、後方にいた晶にさえも斬りかかった。
「うっ‥‥!」
槍先で突かれ痛みに呻きながらも、呼びかけは止めない。
前方では、楯岡が味方とやり合っていた。静矢と入れ替わる形で焔が戦線に加わり、彼と藤花が味方を護りながら、静流、鈴歌、因が攻撃を加えていく。楯岡の動きは早く、またたびたび広範囲へ攻撃を繰り出すため、戦況は拮抗しているように見えた。
銀仮面が唐突に、首をそちらに差し向けた。楯岡に呼ばれたのだろうか。
「今合流させるわけにはいかない」
日菜子が間に割って入った。しかし彼女にしても、ここまで致命的な攻撃は控えて相手に対峙してきている。負傷は蓄積しており、どこまで保つか、保証はない。
「‥‥倒すしかないか」
「でも‥‥!」
険しい表情の日菜子に、晶が訴えた。佳澄は負傷している可能性もあるのだ。
「春苑は撃退士だ。並の人間より生命力は強い。それに賭けるしかない」
そうだ、そうなのだ。晶はなおも強く、佳澄に叫ぶ。
「貴女だって撃退士でしょ! 今やらないでいつやるのよ!」
銀仮面は一瞬つまづいたように足を止めたが、楯岡の下へ向かい始めた。
*
楯岡が剣を一閃させる。間近にいた鈴歌は焔が光の羽の結界で護った。静流はすかさず黒い蝶の群れを生み出して楯岡を襲わせ、取られた以上の生命力を取り返す。
楯岡はもう一度剣を振るって静流を斬りつけると、唐突に口を開いた。
「私はこの町の復興には、精魂を込めて関わってきたつもりです。それは本当のことですよ」
「ああ、そうだね」
「そのことにちょっとした対価をいただきたいと、それだけなのですがね?」
「搾取するために人を生かす‥‥差し詰め牧場経営者、か」
「かつての悪魔の支配より、私はだいぶ優しいと思いますがね。私を排除したところで、また別の天魔に狙われるのがオチですよ」
「この土地にそれほどの価値があると?」
受け答えする焔から、いつもの笑顔は消えていた。今は何の感情も表さず、一見冷静であるように見える。
(焔さん‥‥)
だが藤花には、今の彼の心境が分かっていただろう。
焔との間で交わされる楯岡の言葉は、初対面の彼女からすれば全くの支離滅裂だ。いっそ恐怖感を抱くほどに。
楯岡のことを──藤花と比較すれば──よく知っている焔は、その無責任で自己都合にだけ囚われた男の言葉を受け止め、これまでの行動と照らし合わせ──。
怒っているのだ。これ以上ないほどに。
「身寄りのない人にだって生きる権利はあるんです」
いたたまれなくなって藤花は焔の手を取り、隣に並んだ。
「‥‥貴方は天使ですけど、わきまえているなら人道は理解できますよね。貴方のしていることは、人道にあるまじきこと。別の場所には、もっと‥‥本当に『わきまえた』天使もいらっしゃいますよ」
「人間の説教など聞く気はありませんね」
楯岡の冷徹な仮面の中におぞましい侮蔑の光を感じる。
「私の考えに同意できないというのであれば‥‥結局のところ、死んでもらうだけです。春苑君!」
撃退士たちの後方に、銀仮面が迫ってきていた。
「くっ‥‥私の声は聞こえないのか、春苑!」
日菜子はなおも追い、叫ぶ。先ほどからほんの少し、変化の兆しのようなものは感じているのだ。
だが楯岡に呼ばれたことで、その兆しは消えてしまったのだろうか。追いすがる日菜子に銀仮面は槍を振るう。
焔が無言のまま踵を返し、銀仮面の下に向かった。入れ替わりには、静流が立つ。
「特に言う事も無いが、あえて言うなら‥‥あまり私を怒らせるな」
楯岡は剣を振るおうとした。その初動を見逃さず静流は薙刀を閃かせる。
二つの技がぶつかり、激しく鈍い音がした。双方が体勢を崩す。
先に動き出そうとしたのは楯岡だ。だがその瞬間を──遠く、晶が見逃さなかった。
(とっておきよ!)
このときのために温存していた大技だ。めいっぱいのアウルを込めた三連射が楯岡を襲い、うち一発がそのこめかみをかすめた。
「ぐっ──!?」
顔をしかめた楯岡の動きが止まる。その一瞬で、立場は逆転した。
正確無比な動きで薙刀を振り上げた静流が、楯岡を袈裟斬りに斬り捨てたのだ。
そのとき、突進する銀仮面の前には焔がいた。
彼は無表情のまま銀仮面を見つめ、相手が射程に入る直前、懐から取り出した何かを投げつけた。
銀仮面にぶつかったそれは甲冑を砕くわけでもない。ただ乾いた音を立てて足下に落ちた。それは、ただの袋入りカレーパンだった。
銀仮面は、立ち止まった。何かに戸惑うように。
焔はこれまで、相手には一度も見せたことのない険しい表情で、こう言った。
「君は撃退士だろう!
天魔の僕の力を求めたのではないだろう!
こんな所で操られてる場合ではない!」
銀仮面の動きが、明らかに止まった。槍を持つ手が小さく震える。抵抗しているかのように。
「佳澄さん!」
「佳澄ちゃん!」
藤花が、因が名を呼んだ。銀仮面は──。
「させませんよ」
楯岡の体が淡く発光した。静流につけられた傷の出血が見る見る止まっていく。
「春苑君‥‥佳澄! あなたに力を与えたのはこの私です。私の声を聞き、私に従いなさい!」
「そんな男の声を聞く必要はない!」
【デクストラ】を押さえながら、静矢が叫んだ。
「力を得る自体が目指す目標ではないはずだ。本当の目標を思い出すんだ!」
まだ学園に来たばかりの佳澄から、静矢は聞いたことがある。彼女が学園に来た理由。屈託無く語って見せた、彼女の大きな目標。
時が流れても、その根底は決して変わっていないはずだ。
「皆の為にも‥‥御祖母さんの為にも!」
一拍の間をおいて、銀仮面が動いた。滑るようにして、静矢の方へ。槍を握りしめ、振りかぶり──叫んだ。
『ウワアアァァアァァァァアアアアアアアッッ!!!』
突き出された槍は、静矢を捉えなかった。その先にいたデクストラの透明な肉体に、深々と突き刺さったのだ。
すかさず楯岡が叫んだ。
「【デクストラ】──潰せ!」
右拳は忠実に従った。跳躍しながら拳を開き、手のひらを下に向けると、放心したように立ち尽くす銀仮面──佳澄に飛びかかり、叩き潰した。
「春苑さん!」
静矢がすぐに攻撃してスライムを引きはがしたが、地に伏した佳澄は動かない。
日菜子が駆けつけ、甲冑に囚われたままの佳澄を抱き起こす。兜の留め金がゆるんでいた。
慎重に兜をはずすと、ようやく佳澄の顔が確認できた。土気色で顔色は悪い。
だが、汗で張り付いた前髪を掻きあげてやると、大きな瞳がゆっくりと開いた。
「‥‥日菜子、ちゃん?」
「無事か」
相手を勇気づけるように微笑んでみせる。佳澄は全身の痛みをこらえながらも頷いた。
「悩みを‥‥背中を預けられる誰かがいるのも、立派な強さだ」
まだ戦いは終わっていない。日菜子は短く告げた。
「‥‥今は休め。あとは私に預けてくれないか」
佳澄は無言で目を伏せた。それを了承の合図と受け取って、日菜子は立ち上がった。
「人の想いを踏みにじるあの男は‥‥絶対に許さん」
そして、楯岡へ向かっていった。
●
静矢は右拳【デクストラ】の動きに変化を感じていた。
【シニストラ】もそうだったが、戦闘開始直後は油断のならない機動性を持っていた。それがここへ来て目に見えて鈍ってきているのだ。
(‥‥今ならば、押し切れる!)
回復手段を持つこの敵を、長く生かしておく理由はない。静矢は主装備を盾から刀に切り替え、右拳を撃破しにかかった。
「うおおおっ!」
全身に炎を纏った日菜子の一撃が楯岡を捉えた。楯岡は反撃を繰り出しながらも、足は一歩後方へと向かう。
「春苑をけしかけ、あわよくば私の手を汚すつもりだったか」
日菜子は怒りに燃える目で楯岡を強く見据えた。
「人々の希望で、春苑の想いで、私たちの心でよくも弄んでくれたな。貴様だけは絶対に‥‥絶対に許さないッ!!」
敵を焦がし尽くさんと吹き荒れる彼女のアウルに押されるように、楯岡は徐々に後退していく。
その表情に開戦前のような余裕は残されていなかった。
「ふ、ふふふ‥‥」
楯岡は前髪を額に張り付かせ、それでもなお不敵に笑った。
「あなたたちはたいそうお強い。認めましょうとも。たいしたものだ」
そう言った直後、剣を一閃させた。そして後方へ飛び上がりながら、矢を乱射する。
「今日はこれまでとしておきましょう!」
「‥‥いけない!」
矢の雨を防ぎながら、藤花が警鐘を鳴らした。「きっとあそこには、ゲートが‥‥!」
ゲートはその通り『門』だ。その先には彼らの本来の世界がある。そこへ逃がしてしまったら、捕まえることはまず不可能だ。
広間の奥に一つだけ扉がある。楯岡はそこへ向かって一目散に進んでいった。
だが扉に到達するよりも早く、横から神速の突撃を浴びて吹き飛んだ。
「がっ、あ‥‥!」
「どこへ行こうというのかね」
静流は薙刀の切っ先を楯岡に向けたまま、ゆっくりと扉の前に立った。
「あれだけ威勢を張って、尻尾を巻いて逃げる訳ではあるまい?」
「そこを退きなさい!」
楯岡は向かってきたが、静流を排除することはできない。
「くっ‥‥【デクストラ】!」
「貴様に従うものなど、もういないよ」
回復手のスライムの代わりに答えたのは静矢だった。
二体のスライムはいずれも物言わぬ骸になり、佳澄は正気を取り戻した。彼の言うとおり、ここに及んで楯岡は完全に孤立していたのだ。
「く、何故‥‥何故こうなった?」
追いつめられ、せわしなく左右を見回しながら、楯岡は自問する。焔が口を開いた。
「君はやりすぎたね。心配しなくても、隅野さんたち‥‥君に感謝している人たちに口外する気はないさ」
心の拠り所は奪えない、そう言ったときだけ、焔の言葉にはかすかに感情の色があった。
(そう。楯岡さんのおかげで救われた人も大勢いるわ)
晶は油断なくライフルを構えながら、伊勢崎の町を思う。荒れ果てた廃墟が復興し、学校に人が集まるようになった。その過程に楯岡の力があることは、間違えようもない。
(‥‥だからこそ、こんな結末は残念で仕方ないのよ)
進退窮まった楯岡は、自分を取り囲む撃退士をぐるりと見た後。
「ぉぉおおおおっ!」
突撃してきた──狙いは藤花だった。
だが当然焔がそれを黙ってみているはずはない。彼は素早く藤花の前に立つと、カウンター気味に攻撃を繰り出した。藤花の絆も力に変えて、続けざまにもう一撃。
動きを止めた楯岡に、容赦ない集中砲火が浴びせられた。それは剣を折り、甲冑を砕き、楯岡の体を見る間に血だるまに仕立てていく。
それでも身動きのとれる限り、楯岡は抵抗の意志を捨てなかった。
最後は静流に巨大な投擲ハンマーを投げつけられ、顔面を変形させながら地に沈んだのだった。
「‥‥お兄ちゃん!」
すべてが終わった後、鈴歌は感極まって楯岡の体にすがった。そうされても、もはや目立った反応はない。
「まだ息はあるか」
日菜子がその様子を後ろから確認する。殺害も厭わないつもりでいたが、こうなれば敢えて手を下すこともないだろう。
「貴様の一生があとどれだけ続くのか知らないが‥‥牢獄の中で生涯悔いるのだな」
「あとは、ゲートですね」
「ああ。まだ生きている人もきっといるはずだ」
「何か仕掛けがあるかもしれない。油断せずにいこう」
「‥‥あの」
話し合う撃退士の後ろから、遠慮がちに声がかかった。見れば、佳澄が体を起こしている。
「あたし、場所わかります」
*
鈴歌と静矢を見張りとして楯岡の下に残し、ほかのものは佳澄の案内で扉の先へ進んだ。
まず手前の部屋で、二十名あまりの生存者を発見した。精神が疲弊しているものが多かったが、全く動けないというものはなかった。
一方で、決して多数ではなかったが、遺体もあった。
ゲートは佳澄の言うとおりの場所にあった。コアに守護者もおらず、楯岡の戦う力がすでにないからか、撃破に手間が掛かるようなことはなかった。
「これでよし、と」
コアを破壊し、晶は安堵した表情で皆を振り返った。「さあ、戻ろう」
一行がその場を離れていく。だが──。
「佳澄ちゃん?」
「あたし‥‥あたし、は」
佳澄は下を向いて、その場から動こうとしない。
力のなさに焦って、そこを楯岡につけ込まれた。学園の皆の力になりたいと願いながら、皆に向かって武器を振るった。
そんな自分が、どこへ戻るというのか。
「佳澄ちゃん‥‥ごめんね」
「因先輩‥‥?」
優しく手を取った因を、佳澄はこわごわ見上げる。
「もっと早く気づいて上げられたら良かった‥‥佳澄ちゃんが、抱えていたもの」
それは因自身がかつて、胸に秘めていたものだった。
「一緒に帰ろう、久遠ヶ原へ。あたし、あなたにもらったものさえ、ちっとも返せていないもの」
「悩みがあるなら、私も聞くぞ」
日菜子が言った。
「もっとも、ここではなんだ。続きは学園でしようじゃないか」
「今は、これしかないけど」
焔が佳澄に手渡したのは、さっき投げつけたカレーパンだった。
「またおいしいカレー、ごちそうするよ‥‥?」
「ね‥‥ほら」
その場にいる皆が、佳澄を見てくれている。
佳澄は目尻を拭った。そして、改めて因の手を取った。
「よし。じゃあ、戻ろう!」
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「もうこんな時間か」
地下からでると、空は夕焼けに染まっていた。
日に日に太陽は存在感を増し、この時間になっても肌寒さを感じることは少なくなっている。
「もう今年の春も終わりだね」
誰かが、そんなことを言った。
伊勢崎市に巣くっていた脅威は、取り除かれた。だが、天魔との戦いが終わっていない以上、いつまた危機にさらされるともわからない。
本当の意味で平和な春を迎えることが出来るのは、いつになるだろうか。
その日まで‥‥この町に、本当の春の日が訪れるまで、撃退士の仕事がなくなることはないだろう。
「そうなったら、皆でこようか。仕事じゃなくて、旅行かなんかで」
晶が言った。夕日に照らされて、佳澄はようやく笑顔になった。
<了>