「屈辱だ」
川内 日菜子(
jb7813)は通路に居並ぶ陣容を見るなり忌々しげに呟いた。「またあの布陣をぶつけてくるとは」
春のはじめ、群馬県境、橋上の戦いで、彼女や天風 静流(
ja0373)、神ヶ島 鈴歌(
jb9935) を含む撃退士たちは敗れた。銀仮面を主軸とし、エンジェルスライムとボウタートルが脇を固める構成だった。
今通路を塞ぐのはまさにそのときと同じ組み合わせだったのだ。
だが、違いもある。
「‥‥悪趣味な真似を」
敵をきりりと見据えながら言ったのは鳳 静矢(
ja3856)。
彼の目は向かって左側の銀仮面に向けられていた。正確には、その胸に刻まれた裂傷、その奥に見える影に。
あれは人だ。人間が中に入れられているのだ。
「あらら。楯岡さんも悪役が板に付いてるね」
神埼 晶(
ja8085)が平静を保った声で言った。
「ここからじゃ中の人が生きてるか、分からないかな」
「近づいて、私が生命探知で調べます」
星杜 藤花(
ja0292)が請け負った。星杜 焔(
ja5378)がすいと隣に立つ。
「気を付けてね、藤花ちゃん」
「‥‥焔さんも」
「黒幕はこの先だ。相手をしている時間が惜しい」
静流は表情を変えず、淡々と敵布陣を一瞥した。
「そだね」
その声に押されるようにして点喰 因(
jb4659)はふ、と息を一つ。
「どうにしても、早めにケリを付けるに集中、かな」
「‥‥犠牲にせず、かつ、迅速に‥‥押し通らせてもらうぞ!」
静矢の声を号令として、撃退士たちは一斉に駆けだした。
●
まず仕掛けたのは、ただ一人その場にとどまった晶。ライフルの狙いを定め、通路の左に浮かぶスライムを狙う。
(私たちが無様に敗れる‥‥ねぇ)
去り際の楯岡の言葉を頭に浮かべながら引き金を引く。マイナスのカオスレートが乗ったアウルの弾丸が敵を捉えた。
(そのセリフはすでに負けフラグよね、楯岡さん)
静流が弓の追撃を放つと、天使のような形状だったスライムは半分以上吹き飛んだが、まだゆらゆらと浮かんでいる。結局晶がもう一発撃ち込んで落とした。
焔はまず日菜子に、藤花は静流に、それぞれ聖なる刻印を打った。
「これで貴様らの毒など怖くはない」
と、日菜子。前回は囲まれたあげく、背後から麻痺毒を受けて身動きを封じられたのだ。
彼女のすぐとなりを、鈴歌が追い抜いていく。
(やっと‥‥会えたのに‥‥思い出したのに‥‥)
戦闘の興奮と、そして純粋な悲しさが翠の瞳を潤ませる。鈴歌は一瞬だけ瞼をきつく閉じた。
彼女もスライムを狙おうとしたが、まだ距離が届かない。何よりも敵の中で真っ先に前に出てきたのは、傷のない方の銀仮面だった。
「お兄ちゃんのバカなのですぅ〜!」
やり場のない思いを飛燕の衝撃波に乗せて銀仮面を打つ。相手は盾をかざしてそれを防ぐと、鈴歌に向き直った。
藤花は後方から鈴歌に近づき、彼女に刻印を刻む。次の瞬間、光が走った。
「あっ‥‥!」
咄嗟に魔具で身を守ろうとしたが間に合わず、全身に光を浴びる。灼けるような痛みが体を突き抜けていった。
「ちょ、大丈夫!?」
因が駆け寄ってくる。
「私は大丈夫です‥‥それより」
一緒に攻撃を浴びた鈴歌の方が傷が重いことは明らかだった。藤花は下がることはせず、気丈に立っている鈴歌の背中にライトヒールを投げかける。
通路の反対側から焔が前に出て行くのが見えるが、あえてそちらは気にしないようにして。
(焔さんは強い人なのだから‥‥大丈夫)
絆はつながっているのだから。自分は自分にできることを、精一杯頑張らなくては。
因は藤花の表情に決意を感じ取ったのか、一つ頷く。
後方から一本の矢が飛んできた。藤花を狙っていたようでもあったが、因が前にたってそれをはじいた。
「あたしが少し前に立つから。藤花さんはさっきみたいなのだけ、気を付けて」
「はい」
藤花は息を整え、因の背中の先を見た。
*
晶のスナイプがスライムを怯ませる。距離を詰めた静流は薙刀に持ち替えて追撃し、ゲル状の物体を半分、斬りとばした。
(ボウタートル‥‥やはり、前に出てくるか)
最後列にいた亀に似たサーバントは、弓を構えながらも他の敵と歩調を合わせ、距離を詰めてきていた。戦術までもが前回と同じなのだ。
(同じ轍は踏まん)
死にかけのスライムは後続の静矢にとどめを任せ、彼女はさらに前へ出た。
「固まっているのなら‥‥!」
薙刀を大きく振るい、タートルを二体まとめて弾き飛ばした。
焔は通路の中央を進んでいた。
滑るように動くもう一体とは違い、傷持ちはズシャン、ズシャンと音を立てながら一歩ずつこちらに向かってくる。そのため、今は敵陣の最後尾だ。
右列からスライムが迫ってくる。焔は応戦するため武器を切り替えようとした。
しかし、それより先に赤い炎が吹き出るようにして彼を追い抜く。炎はスライムに鋭く突き刺さると派手に爆裂した。
「待たせたな」
炎の主は日菜子。焔に、というよりは居並ぶ敵に言ったのだろう。
(あの日のことは忘れはしない、愚策を打ったヤツに思い知らせてやる)
烈なる怒りは燃えさかる炎へと。敵の視線を浴びながら、彼女は挑発的に身構えた。
「さあ来い雑魚ども。まとめて相手をしてやる」
敵の目が日菜子に注がれる隙に、焔はさらに前へ出た。盾を現出し構え、傷を持つ銀仮面の前に立つ。
動きが鈍いとはいえ、強敵の放つ威圧感を間近に受けながら、焔は後方へ叫んだ。
「さあ、今のうちに!」
「‥‥はい!」
藤花は意識を集中し、生命探知を行使した。
銀仮面の元から返ってきた反応は──ひとつ。
「ひとつ‥‥ということは」
静矢は奥歯を噛んだ。サーバントにも生命反応というものはある。であるならば中の人間は──。
「あれ‥‥? でも、待って」
因が首を傾げた。「銀仮面に抵抗された可能性ってのは、あるかなあ?」
銀仮面の場所からふたつの反応があれば、中の人間は生きていると断言できる。逆にひとつも反応がなければ、サーバントには抵抗されたものとして、人間は死亡していると断言できる。
では、ひとつであった場合は‥‥?
「どちらの可能性もある、ということか‥‥?」
静矢が藤花を見た。
(うーん‥‥)
晶は視力を強化して、傷持ちの仮面の隙間、そして傷の隙間を遠方からのぞき込んだ。
(人間なのは間違いないけど‥‥生きているか、までは‥‥)
相手も動いている以上、呼吸の具合などまでは判別ができない。
「‥‥判断できません」
藤花が首を振った。
「分からないなら、生きている前提で対処すればいいだけだ」
「うむ」
日菜子が言い、静矢もすぐに心を決めたようだった。
「たとえ遺体だったとしても、傷は付けたくないからな」
(‥‥致し方ないか)
静流は内心で息を吐いた。生きている可能性がある以上、強行突破というわけにはいかない。
「まずは傷有以外の敵を撃破しよう。その後の対処は私に任せてくれ」
「わかったのですぅ〜!」
静矢の呼びかけに仲間が応答する。戦いそのものの趨勢は、すでに傾きかけていた。
*
ボウタートルの矢が立て続けに日菜子めがけて飛んでくる。
矢は身構えた日菜子に命中したものの、纏った炎を突き抜ける力はなく、もろくも崩れ落ちた。
「ふん、こんなもので私は止まりはしないぞ」
敵の数はすでに半減している。日菜子の目の前で残り一体となったスライムが、しゅるしゅると触手を伸ばしてくる。
一瞬だけ体に不快なしびれが走ったが、それはすぐさま霧消した。刻印の力もあるが、彼女自身、そうそう毒に侵されるほど弱いわけではない。
反撃に移ろうとする日菜子より少し早く、後方から何か飛んできた。アウルを纏ったそれはスライムの体を両断し、また後方へ戻っていく。
「これで、スライム全滅ですぅ〜♪」
手元に戻った翔扇をパチリと鳴らして、鈴歌が一つの戦果を仲間に伝えた。
タートルは静流が蹴散らしていた。薙刀を振るって三匹目の首を跳ね飛ばす。
最後の一体は彼女から逃れるようにして前に飛び出してきた。
「あ、注意!」
因の声が前衛に飛んだ。タートルが鈴歌を日菜子の前に押し出そうと狙っている──!
「させるか!」
今度は日菜子がいち早く反応した。拳から脚へ、切り替えた魔具の感触を確かめながら踏みだし、ローキックの要領で脚を振り出す。中途半端な大きさのタートルの肩を捉え、砕いた。
ふらつくタートルに因が魔法書で追撃。最後のタートルも大した仕事を果たさないままかりそめの命を手放した。
「これで後は‥‥大きいのが残ってるねえ」
傷の有るものと無いもの、二体の銀仮面は通路の中央、焔を挟むようにして前後に展開していた。
「そちらはまだ大丈夫か?」
「まだいけるよ〜」
静矢の呼びかけに、盾をかざした焔は余裕のある声で応えた。傷有りの動きは彼が押さえ込んでいる。
「焔さん、後ろ!」
だがそこへ、もう一体の銀仮面が突撃してきた。挟み撃ちの格好だ。
「やらせないのですぅ〜!」
鈴歌が飛燕を放ち、銀仮面の進行を阻害する。衝撃波を躱して進路を変えた銀仮面に続いて日菜子が迫る。
「貴様の相手はこっちだ!」
鋭い上段蹴りを、相手は盾をかざして防いだ。反撃を警戒した日菜子を、銀仮面はするりと避ける。
「左! 狙われてる!」
因が叫んだ。
狙われたのは静矢、そしてその先にいる静流だ。いかに注意をしていても、狭い通路内で一列になることを完全に防ぐのは難しい。
構えられた槍の先から、鋭い光線がほとばしり、二人を呑み込む。
──が、光が消えた後、二人の姿はいずれもそこになかった。
紫の光は銀仮面の視界をはずれ、右手から。静矢は抜き身の刀をその手に距離を詰める。
「悪いが試させてもらう」
銀仮面の懐へ飛び込みざま、力を込めて刀を袈裟斬りにする。刃は銀色の鎧に食い込んだが、斬り裂くというところまではいかなかった。
「くっ‥‥固いな」
仮面が動いて静矢を見た、次の瞬間。蒼白の光をたなびかせた静流が通路の際を通って飛び込んできた。
呼吸を揃えて裂帛の如き突きを放つ。アウルの光を乗せた突きが静矢のつけた傷のすぐ近くを叩くと、鎧は砕けた。銀仮面はそのまま弾き飛ばされて通路の壁に激突する。
「やっぱり、あっちは空っぽ‥‥っと、まだ動くか」
晶が傷の中を覗いて確認した。銀仮面が再び起きあがるのを見て、ライフルを構え直す。
随伴を失い、起死回生の一撃も躱された銀仮面は、集中攻撃を受けてやがてその場にくずおれる。仮面が外れて地面に落ちると、動かなくなった。
*
「あとはこいつか」
静矢が唯一残った銀仮面を見た。胸の傷はかなり深く裂けているが、あれはどうやってつけた傷なのだろうか。静矢の腕前を持ってしても容易いことではなさそうだった。まして中には人がいるのだ。
「中の人、少なくとも意識はなさそう。身じろぎもしていないし」
晶が覗いた限りの情報を伝えた。
「では、体に傷を付けない程度に手荒にいかせてもらおう」
静矢は刀を構える。
「傷口から刃を入れて、一気に切り開く」
焔が正面を退いた。
静矢は左から一息に距離を詰め、刃先を慎重に胸の傷にこじ入れた。そこから力を込めて、中の肉体を傷つけないようにして鎧を斬り裂こうとする。
が、先ほどの銀仮面相手にもそうだったように、なかなか簡単にはいきそうにない。
そうこうしているうちに、銀仮面がランスを持った右腕を振り上げた。中の人間が心配になるような強引な動きだ。
「くっ‥‥やめろ!」
日菜子が後ろに回り込み、右腕にとりついた。腕の上にほぼ乗っかるようにして、腕を押さえつける。
「まだか、鳳!」
呼びかけへの答えか、エンジンが唸りを上げるようにして静矢のアウルが色濃くなった。だが、まだ足りない。
日菜子は銀仮面の肩へと移動すると、傷の裂け目に両手をかけた。
「うおおっ!」
渾身の力を込めて鎧を引き裂こうとする。
──パキッ。
二人分の力で、ようやく響く小さな決壊の音。
「‥‥ぬんっ!」
機を逃さずに静矢が気合いとともに刀を振り抜く。甲冑の胸甲板が七分ほど裂け、内部が大きく露出した。
そしてその一撃は、銀仮面の活動を止めるのにも十分だったようで、銀仮面は自重に耐えかねるようにして、ゆっくりと膝をついたのだった。
●
「どう‥‥かな?」
因の問いに、脈を取っていた藤花はやがて、弱々しく首を振った。
「そか‥‥」
銀仮面の中に入れられていたのは、おそらく二十代の成人男性だった。背丈が結構高く、元は体つきも良かったのではないかと推測されたが、今は見る影もない。
「あんまり動かないから、もしかして‥‥とは思ったけど」
晶の声も沈んでいる。
「死体で私たちを釣るとはな。どこまでもバカにしてくれる」
日菜子が吐き捨てるように言った。
「申し訳ないが、今はここに置いていくほかない」
静矢はせめても遺体の手を合わせた後で、立ち上がった。
「春苑さんが心配だ。先を急ごう」
晶も険しい表情で、楯岡が姿を消した先を見やる。
「行方不明の人たちも、恐らくここ‥‥」
焔が言った。目の前の人は助けられなかったが、まだ生きている人もきっと、いるはずだ。
「手遅れにならないうちに、いこう」
(佳澄君、無事であれば良いが‥‥)
静流の胸はひたすらに騒いだ。「まだ」生きていると言った楯岡の言葉は、不吉な未来を示しているようでもある。
次も戦いになるはずだ。各々回復を施して、一行は先に進む。
そこに鈴歌の姿は無かった。
*
「お兄ちゃん‥‥貴方は私が止めるですぅ〜!」
鈴歌は衝動を抑えきれず、戦いが終わるなり駆けだしていた。
息を切らせて通路を奥へと進み、扉に手をかけ、開く。
一転して広い室内に出た。
「やあ、鈴」
涼やかな声は、広間の奥から。楯岡はいつもと変わらない様子で彼女を出迎えた。
「お兄ちゃん‥‥佳澄お姉ちゃんは返して貰うですぅ〜‥‥」
「春苑君ですか? さて‥‥どこに行ったのでしょうね、彼女は」
何がおかしいのか、楯岡はくつくつと笑った。
「他人の心配をしている暇はありませんよ。まずは自分のことです」
鈴歌への眼差しは、彼女の記憶と変わらない。
「もっともここまで来た以上‥‥無事に帰すつもりはありませんがね」
悲しいほどに変わらないのに。
「戯れ言はそこまでだ、三下が」
鈴歌の背後から鋭い声が飛び、日菜子たちが広間に入ってきた。日菜子は怒りに燃える目で楯岡を睨みつける。
「血反吐はけなくなるまで嬲ってから豚箱にぶち込んでやる。民間人で玩んだツケもきっちりと払って貰うぞ」
楯岡は目を細めてそれを聞いていた。
「やれやれ‥‥言いたい放題ですね」
そう答えるときには、笑みさえ浮かべて。
「私の損失はあなた方の命などでは到底補えませんが‥‥天界へ戻る際の手みやげ程度にはなるでしょう」
楯岡の体が銀色の光を放ち始めた。
<続く>