それは春の日射しも暖かな午後のこと。
授業の合間、窓の外を見ながら食後の眠気と戦っていた神埼 晶(
ja8085)の端末が、彼女にメールの着信を告げた。
「春苑さん? なんだろ‥‥」
春苑 佳澄(jz0098)から久しぶりの連絡に、何かあったのかと指先を動かす。表題のないメールには、たったの一文。
伊勢崎市 学校のち
「‥‥?」
入力途中で送られたかのような不自然な内容。晶の心中に、言いしれぬ不安がよぎる。
メールの返信なんてまどろっこしいと、晶は佳澄に電話をかけた。
電話はつながらなかった。圏外にあるか、電源が切れているかと自動アナウンスが無感動に伝えてくるばかり。
(‥‥なにか悪い予感がする)
眠気はどこかに行ってしまった。晶は席を立つと斡旋所へ急ぐ。
同じようにメールを受け取ったもの、あるいは内容を見てやはり緊急事態と察したものたちが集まり、ディメンションサークルを抜けて伊勢崎市へと向かった。
●
【群魔】の争乱から復興して間もない伊勢崎市には、学校は一つしかない。楯岡 光人が中心となって改修し、この春からの再開にこぎつけた学校だ。今は生徒数も少ないため、小学校から高校までが同じ敷地にある二棟の校舎を共同で使用していた。
「さて、とりあえずあたしらが校内で動く許可は取れたけど、どうしていこうかね」
学校側に事情を伝え終え、応接室から出てきたアサニエル(
jb5431)は、後に続く天風 静流(
ja0373)を振り返った。
「そうだね‥‥」
静流は自身の端末に送られてきたメールを見返す。
「学校の、ち‥‥か。連想される要素はいろいろとあるね」
「そうさね。学校の施設で『ち』のつく場所といったら‥‥調理室、地理歴史教室‥‥中等部の教室のどこか、なんて可能性もあるかい?」
アサニエルは少し首を巡らせた後、いくつかの候補を挙げた。
「中央、とか中心、かもしれないね。いずれにしてもこの内容だけでは、推測の域を出ないが」
あまりにも短いそのメールからは、はっきりとした事は掴めない。伝わってくるのは‥‥穏やかでない事態の可能性だ。
(無事だといいのだが)
しばらく会っていない後輩の姿を脳裏に浮かべ、静流は一瞬だけ物思う。
「とにかく、他の班と連絡を取り合いながら虱潰しに見ていくさね。怪しそうな場所があったら生命探知も使うから、教えとくれよ」
「ああ」
佳澄は、そして楯岡はどこにいるのだろうか。二人は学内を歩き始めた。
●
「ごめーん、これ持ってくれる?」
「あ、はい」
星杜 藤花(
ja0292)は、点喰 因(
jb4659)が差し出した分度器──の中心から糸付きの五円玉が垂れ下がったもの、を受け取った。
「こうですか?」
「お、そうそう。ちょっとじっとしててねー‥‥」
因は自作の簡易水平器を参考にしながらメジャーを延ばし、寸法をメモに書き付けていった。
「どうですか?」
「んー‥‥特に図面と違いはない、かな」
因が答えると、藤花は残念そうに眉を下げた。
「怪しいと思ったのですけど‥‥」
二人がいるのは学校の図書室だ。携帯端末で急いで文字を打ったとしたら、「ち」はタ行のどれかかもしれない、と藤花が訴えたのだった。
ここへくる前に調理室も調べていたが、やはり不自然な点は見あたらなかった。
「佳澄さん、どこにいるのでしょう」
「改装業者がもう『ない』なんてどうもきな臭いし、校舎に細工がある可能性は高い‥‥と思ったんだけどなぁ」
因は困り顔で頭を掻いた。ここまで調べた限りでは、公式な図面と異なる部分はない。
話に聞いた改修期間や規模の割に、ところどころ年代臭さを感じるのが気になってはいるのだが‥‥。
「あとは屋上ですね。普段入れないようになっているところなら、何かあるかもしれません」
「よし、行ってみよか」
図書室から出ようとする二人だったが、通りがかった女生徒に声を掛けられた。
「あれ? 確か、撃退士の‥‥」
「ふお」
先日のパーティーで因と顔を合わせていた隅野 花枝が、真新しい制服姿で現れたのだった。
*
「今日はどうしたんですか?」
花枝は気さくな様子で因に話しかけてくる。
「えとー、佳澄ちゃんと約束してたんだけどね」
「佳澄ちゃん‥‥ここに来てるんですか?」
花枝は初耳とばかりに小首を傾げた。藤花が因の袖を引く。
「この方は‥‥?」
「あ、初めてだっけ」
因は藤花に、花枝のことを簡潔に紹介した。
「佳澄さんのこと、学校で見かけたことはありませんか?」
藤花の問いに花枝は首を振った。二人顔を見合わせる。
「実は‥‥」
因は端末を取り出した。
*
「ここで‥‥何か、起きてるんですか? 起きるんですか?」
佳澄からのメールを見せられた花枝の肩は、小刻みに震え始めていた。
「もしかして、また‥‥ゲート、とか‥‥!」
かつてこの地で悪魔の結界に囚われていた花枝はかつての苦難を思い返しているのか、目の焦点が合わなくなる。彼女を呼び戻したのは、藤花だった。
「大丈夫です。なにがあっても、私たちが守りますから‥‥落ち着いて」
藤花から染み出るようにあふれたアウルの光が花枝に届くと、彼女の震えはゆっくりと収まっていく。その様子に一息ついて、因は告げた。
「あたしたちも、まだ細かいことはわかってないんだけど‥‥でも念のため、校内に残ってる生徒さんたちは避難して貰いたいんだよね」
花枝は一度大きく深呼吸すると、因に頷いた。
「わかりました。私、みんなに声を掛けて‥‥市役所の方に連れて行きます」
「お願いします」
「佳澄ちゃんのことは‥‥」
「ん、任せてねん」
安心させるように笑顔で花枝を送り出してから。
「さ、あたしたちも行こうか」
二人は神妙な顔で図書室を後にした。
●
「この少女なんだが‥‥このあたりで見かけたことは?」
学校の外に建ち並ぶアパートの一角。管理人だという初老の男に、鳳 静矢(
ja3856)は佳澄の画像を見せた。男はぷるぷると震えるように首を横に振る。
「さあ‥‥学生のためのアパートだから若い子ばかりだけどねえ‥‥」
「このアパート‥‥身寄りのない子たちの為にお兄ちゃ‥‥楯岡さんが建設したと聞きましたぁ〜」
静矢の横に並んだ神ヶ島 鈴歌(
jb9935)が言うと、男はやはりぷるぷる震えるように、今度は首を縦に振った。
「元々この辺りに住んでた人はだいぶいなくなっちまったからねぇ‥‥天魔被害にあった子供たちを集めて学校を‥‥なんて、たいしたお考えだよねぇ」
話しぶりからするに、楯岡のこともさほどよく知っているわけではないらしい。静矢は念のため『中立者』を使ったが、男はただの男でしかなかった。
*
「目撃情報はなし、か‥‥」
静矢は腕を組みつつ歩く。
「春苑さんが冗談であのメールを送るとは考え難い。この周囲で何かあったのは間違いないだろうが‥‥」
一方、鈴歌は整然と並ぶ建物を見ていた。
「どうして、身寄りのない子たちなのでしょうねぇ〜‥‥」
「うん?」
呟くような鈴歌の言葉が静矢の耳に届いた。
「他にも困っている子たちは沢山いるのに‥‥お兄ちゃんは、どうして家族の無い人たちを優先して集めているのでしょうかぁ〜?」
鈴歌の聞いた話では、学校の生徒はかなりの割合で孤児なのだという。
「何か目的があると?」
静矢が聞くと、鈴歌は視線を落とした。
「もしかしたら‥‥」
空の上の方から、高く突き抜ける音が響いた。
「今のは‥‥」
「銃声か!」
●
晶は星杜 焔(
ja5378)とともに、校舎の外周を歩いていた。
「『学校のち』近くか、地下か‥‥それとも‥‥」
「校舎に地下はないという話みたいだけど‥‥」
焔は学校関係者から聞いた話を思い返したが、晶はむしろ、とばかりに足で地面を叩いた。
「それじゃ校舎の近くに地下への入り口とかないかな」
仮に楯岡が人類に仇なす天魔ならば、ゲートを持っている、あるいは持とうとしているということは十分に考えられる。
「でも、伊勢崎市にはゲートは見つかっていない‥‥」
「学校なら、たいして大きくないゲートでも大勢の人間を取り込めますよね」
「地下があるとして、入り口はどこだろう‥‥?」
「うーん‥‥」
学校の敷地は広いうえ、隠されている可能性もある。闇雲に探していては機を逸してしまうかもしれない。
「このメールだけど‥‥『うしろ』を『のち』と入力した可能性はないかな〜」
急いでいる状況なら、少しでも入力回数を減らそうと考えたかもしれない。
「学校の‥‥後ろ?」
校門を入ってすぐは広い校庭、その先に二棟の校舎がある。その後ろは‥‥。
「林がありますね」
「人気のない場所‥‥何かを隠すのに向いているよね‥‥」
*
林はもともと散策用だったらしく門が設置されていたが、施錠されていた。曰く、「誰も入らないから」ということらしい。
職員から鍵を借りて中にはいると、さほど手入れもされていないのか、下草がずいぶんと伸びていた。それでも歩ける範囲の道はしっかりと確保されている。
「人が通っている跡はあるね〜」
「ますます怪しい‥‥」
だが、隠された扉のような明確なものは見つからない。やがて、道が途切れてしまった。
「この先は行けないのかな‥‥」
焔が首を伸ばす。
その瞬間、一瞬だけ空気が歪んだ。
「‥‥はずれ、ですね。別の場所へ‥‥」
「待って」
唐突に踵を返そうとする晶の腕をつかみ、焔は彼女に刻印を打ち込んだ。
「よく見て‥‥」
示したのは、正面を塞ぐ楡の大樹。──いや、違う。
抵抗に打ち勝った二人の前で、今やそれはそびえ立つ大樹ではなくなっていた。輪郭が怪しく歪み、生い繁る枝が波打つように揺れて──伸ばされる。
前に出た焔が盾を構え、触手となった枝をはじく。晶は素早く拳銃を抜いた。
「ビンゴか」
仲間を喚ぶ銃声が高らかに響いた。
●
静かな放課後から一変したその場所へ、仲間たちは音を頼りに向かう。
もっとも早くたどり着いたのは、アサニエルと静流だった。
「状況は‥‥って、こりゃ聞くまでもないかね」
既に敵は己を隠そうとはしていない。無数の触手を伸ばす樹木の化け物が、気づいた者を逃がしはしないと暴れ回っている。
既に焔と晶は戦闘状態だ。アサニエルは自分の端末で残りの二班を呼んだ。
静流は弓を構えて敵を穿つ。そのまま距離をとって射撃を続けようとしたが──。
「‥‥っ」
幹の中心にあるいびつな顔のような所から、空気を揺らす音が出ている。不思議なことにその音は、相手から離れるほどに強くなり、次第に耐え難いものになるのだ。
「距離はあけさせない、ということか‥‥ならば」
静流は敵の求めに応じ、今度は一気に距離を詰めた。薙刀を振り出し、勢いに任せて敵を切り刻もうとする。
「危ない!」
晶の声が飛んだ。同時に銃声も鳴って、静流の背後から迫っていた触手の一本を弾き飛ばす。
だが迫る触手は一本ではなかった。静流は技を強制的に中断させられたうえ、触手に空中へ巻き上げられそうになる。
晶が冷静に、触手をアシッドショットで撃ち抜いた。動きを取り戻した静流がもろくなった箇所を薙刀で切り落として逃れ、地面に着地する。焔が彼女を庇うように盾を構えて前に立った。
*
因と藤花が林へ辿り着いた。
「焔さん! 大丈夫ですか?」
「藤花ちゃん‥‥うん、平気だよ〜」
最前線で敵の攻撃を受け続けた焔は負傷が蓄積していたが、藤花には微笑んで見せた。ライトヒールの光を受けて、笑みが力強くなる。
因は二人を通り過ぎて、敵の眼前へと迫る。襲い来る触手は魔法の盾で弾き飛ばす。
「くおっ、結構重っ‥‥」
本職ではないからか、想像よりきつい打撃に耐えながらも魔法書を繰り、水の固まりを打ち出した。
相手はひるんだようにも見えたが、反撃の触手が飛んでくる。因は後方に飛んで躱したが、すぐにまた別の触手に襲われて障壁を使い切ってしまった。
アサニエルがライトヒールを施し、負傷はいったん軽くなったが、次に狙われたら──。
(避けきれる‥‥かなぁ?)
冷や汗が伝った。
そのとき、後方から彼女を追い抜いてきたのは紫色の影である。
「すまない、遅くなった」
静矢は因のさらに前に立つと飛んできた触手を魔具で受けた。
「どうやら、こいつが何かを隠している──そういうことか!」
『緋晴』の銘を持つ刀を振り抜くと、紫の鳥がうなりをあげて触手を薙ぎ払い、幹の本体にまで襲いかかった。
「そこを退くのですぅ〜!」
闘気を解放した鈴歌が続く。鎌を振り抜いて相手の動きを止め、そのまま敵の後方へ抜けた。撃退士が四方を取り囲む形になった。
無数の触手──と形容はしても、実の所は有限である。八人の撃退士に囲まれれば、場の優劣は明らかであった。
「しぶといが‥‥そろそろ終わらせてもらう」
静流が再び薙刀を振るう。先ほど中断させられた技をもう一度。一撃、二撃、三撃──。
そこで彼女の手は止まった。
それ以上は必要なかったからである。
●
「もう怪我のひどい人はいないかい?」
アサニエルが周囲に確認する。彼女と藤花の力で、大きな傷が残っているものはいない。
だが、彼らに笑顔はない。サーバントを一体斃しただけでは、なんの解決にもなっていないからだ。
「‥‥見つけた」
地面に屈み込んでいた晶が声を上げた。サーバントのほとんど足下の地面に、扉が隠されていたのだ。
鍵はかかっていなかった。跳ね上げるようにして扉を開くと、そこから先の空気の色は明らかに違って見える。
結界だ。ゲートはすでにそこにあるのだ。
「きっと‥‥佳澄さんも、この中に」
藤花が言った。
迷う暇はない。結界に穴をあけ、扉の先の階段を下りていった。
*
階段の先は通路になっていた。道幅はさほど広くない。造りの新しい、人工的な空間だ。
「ここも‥‥あの人が造らせたってことだよね」
因の声に、遠くから答えが返ってきた。
「そうですよ。実は一番、工期も費用もかかっている場所です」
全員が緊張を強める。通路の先で、楯岡光人は涼しげな微笑みを浮かべていた。
「お兄ちゃん‥‥!」
鈴歌の悲痛な呼び声に、流し目のような視線を送る。
「あっさり見つかってしまいましたね。上手く行っていたと思っていたのですが」
「佳澄君は‥‥?」
「死んではいませんよ。まだ、ね」
静流の問いに答える声はこれまでと変わらない。あまりにも変わらないから、逆に軽薄でさえあった。
「さて‥‥こうなった以上、私は逃げる準備をしなくてはいけません。ああ、もちろん‥‥あなたたちの相手はちゃんといますよ」
楯岡は一歩下がり、入れ替わりに銀仮面が現れる。一体は音もなく、一体は足音を響かせて。
「以前のように、あなたたちが無様に敗れるようであれば‥‥私も逃げずにすむかもしれませんがね」
挑発するように言い残して、楯岡は奥へと消えた。ゲートの術式もそこにあるのだろう。
通路には撃退士とサーバントが残された。
<続く>