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「マッチョはいかがですかー」
人の居ない寒空の下、少女の声と共に三つの筋肉が弾ける。
撃退士達が現場に到着した時、サーバントは現場で思い思いのポーズを取っていた。
そのポーズに爆発が付随していないおかげで、今の所現場となる商店街が荒れていないのは幸いだが、こいつらもしかしてずっとここでポージングしてたのだろうか。
顔は無いのに白い歯を輝かせて笑っているようにしか見えないマッチョ達。
サーバントがどれだけ人の真似をしようと、そこには不快さしか見えてこない。
「冬なのに暑苦しい! むさ苦しい! 鬱陶しい…!」
ぶん殴りたい、鈴原弥彦(
ja1786)が絞り出すように発したその言葉は、おそらく殆どの者の感情を代弁していたに違いない。
鐘田将太郎(
ja0114)もまた弥彦の言葉に頷いて、もう一度周辺の様子をぐるりと見渡した。
目の前にはマッチョが三体、そしてその後方で守られるように少女型のサーバントが一体、前情報通りだ。
「に、しても…マッチョ売ってどうすんだよ…」
「全くねェ…強引な押し売りは遠慮願いたいわァ…♪」
呆れたような将太郎の声に、黒百合(
ja0422)もくつりと喉の奥で小さく笑い声を漏らし、肩をすくめた。
「誰もが思いつきそうな駄洒落だよな」
「それが笑えるかは別の話だがな」
弥彦の言葉に吐き捨てるように答えたのは川内 日菜子(
jb7813)。
こんな馬鹿げた存在であろうと、平穏が脅かされた人々がいることは事実だ。
不条理には常に牙を立て続けてきた。だからこそ、日菜子には目の前の異形を許すことができない。
「近頃はまたきな臭くなってきたな」
おそらくこの場で唯一サーバントのふざけた造形に関心のない男、ファーフナー(
jb7826)の関心は、むしろ別にある。
夏に起きた大きな戦い。それ以降表面上は天魔双方、大きな動きはないようだが、ここに来て天界の動きが活発化しているらしい。これも、その一環なのだろうか。
将太郎がそうしたように、ファーフナーもまたぐるりと周囲を見回す。
周囲に目の前の四体以外の敵は居ないようだが、サーバント以外にも何かがいる可能性は排せない。注意しておくに越したことはないだろう。
「マッチョはいかがですかー?」
「来ますわよ」
長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)の言葉に、一同の意識が戦闘へと切り替わる。
声と共にマッチョ売りがこちらを指さし、マッチョがのっしのっしと歩き出したのが見えた。
けれど、一同に呆れこそあれ、恐れの色はない。
「いつも通り、正面から戦って一気に叩き潰してしまいましょう」
言葉と共に、光を纏う。
どんな存在であろうと、それが人の営みを脅かすならば排すだけ。
いつものように、打ち破ればいい。それだけの話だ。
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「闘気開放! ぶっ潰す!!」
声を張り上げると同時に解き放たれた弥彦の闘気に触発されたように、敵味方全てが一斉に動き出した。
マッチョ売りを先に倒すか、取り巻きのマッチョを先に倒すか。
方針について各々の意図は完全には一致していなかったが、マッチョ売りから、という者がやや多いか。
マッチョから、と考えた者としても、どの道マッチョ売りにたどり着くまでにはマッチョが立ちふさがるのだ。
それをいなすか潰すかの違いでしかなく、動き方に致命的な食い違いは生まれないはずだ。
誰よりも早く攻撃態勢に入ったのは黒百合。
こちらを迎え撃とうという意図を見せる二体のマッチョを避けるように左方へ位置取り、マッチョ売り目がけて肩に担いだロケット砲のトリガーを引く。
装填されたアウルが弾丸の形を成し、埒外の速度でマッチョ売りへと一直線に迫る。
だが、その護衛役と目される一体が射線上に割って入り、その一撃を受け止めた。天使と悪魔の血が生み出す眷属殺しの一撃を耐えきるとは、外見相応にタフだ。
受け止めたマッチョが目も無いのに不機嫌そうにこちらを睨んだように黒百合には見えた。
それでもこちらへ向かうような指示が出されないのは遠くに護衛を向ける訳にはいかない、というマッチョ売りの判断だろう。
「私これでもダアトだからァ、近づかれたらひとたまりもないんだけれどねェ……何ですかァ、その目?」
「別に…」
何事か言いたげに黒百合を見ていた弥彦が首を横に振り、漲らせた闘気が失せぬ内にと地を蹴った。
専攻による得手不得手の境界が曖昧になってすでに久しい。お前のようなダアトが居るか――とは言えないのが昨今の久遠ヶ原事情。
既に他の者はマッチョへと向かっている。遅れる訳にはいかぬと弥彦も足に込める力を強める。
視線の先、二体のマッチョが進行速度を緩め、壁になるように立ちふさがるのが見える。多くの者がマッチョ売りへと向ける視線に、司令塔が狙われていることを察したか。
ファーフナーが側面を取ろうとやや回り込むような形で接近するが、真正面から一人で向かって行って側背面など取れる筈もない。
彼が回り込むに合わせて身体の向きを変えられてしまえばそれで真正面から相対しなければならない。
首目がけて放たれた槍の穂先に雷を集め放つ一突き。避けはせずとも分かりやすい弱点を狙われれば防御もされる。
首を庇うように交差された両腕に穂先が深々と突き刺さり、一瞬、その場に光が爆ぜた。
だが、動きを鈍らせた様子もなく両腕を解き放つことで槍を弾くマッチョに、事実を確認するように呟く。
「フィジカルの強さも外見相応、か」
「構わねえさ。効かねえなら効くまで続けるだけだ」
その独白に、将太郎が追いつく。
側面を取ろうと動くファーフナーに対応する以上、撃退士の進行方向に側面を見せる必要があるのは当然のこと。
ファーフナーを警戒するあまりがら空きの側面目がけ、踏み込みと共に袈裟を斬るような一閃が振るわれる。
オイルで輝くマッチョの筋肉に一筋、赤い色が付く。その一撃は流石に響いたか、明らかに重そうな身体がたたらを踏む。
もう一体の方もみずほと日菜子が距離を詰める。第一の狙いはマッチョ売りであれ、射程に収めた敵を見逃す理由は無いとそれぞれが一撃を見舞っている。
カオスレートが負に偏っている者が多いこともあり、与えるダメージ自体は大きいことは各々手応えから分かる。
それでも簡単に倒れぬのはそれこそ外見相応と言った所だろう。
だが、そのタフさはこの場に限って言えば少々厄介でもあった。
四人の一撃をしのいだマッチョ二体は互いが背中合わせになるようにすり足で位置を調整し、体中に力を巡らせる。
丁度、その場の四人を全て巻き込める位置。
両脇に連なる商店街の店舗は極力被害を出したくない。
敵を押し出すスキルの準備がある者は居るものの、散開し、それを追われた結果周囲の被害が大きくなる可能性も排しきれない。
一体が流れるようなしなやかさでサイドチェストを決め――爆発。
基より防御に秀でたファーフナーや焔の盾で衝撃を受け止めた日菜子はともかく、将太郎とみずほに魔法攻撃は響く。
マッチョの攻勢はまだ終わらない。もう一体が続けてダブルバイセップスを決めかけ、
「マッチョなんか押し売りすんな! うらぁああ!!」
直後、弥彦が飛び込むようにマッチョの懐へと潜り込み、薙ぎ払うようにその身体に拳を叩き込んだ。
みぞおちから叩き込まれた衝撃を、筋肉が吸収しきれない。中途半端なポージングのまま、マッチョは硬直。
「二人とも、動けるか!?」
「助かりましたわ!」
「しっかし今更だが、改めてこんな危なっかしいもん買う訳にはいかねえよな…」
弥彦への謝意を言葉で残し、痛む身体に鞭打ち将太郎とみずほは更に前進を選ぶ。
残った一体がそれを阻もうとするも、ファーフナーが再度雷を流し込み動きを止める。
完全に縛るには至らないが、麻痺したかマッチョ売りの方へ戻れるほど足が素早く動かない、十分だ。
「止めておく、お前も行け」
「ああ、すぐに片づけて戻る」
声をかけられる前から日菜子もすでに動いている。
後方から黒百合の援護、と呼ぶには少々苛烈な射撃が降り注いでおり、マッチョ売りの護衛はそれへの対処のためほぼ釘づけにされている。
少しでも盾をもたせる為にとその後ろで背中にオイルを塗布していたマッチョ売りだが、三人が接近することに気付いた。
三人の内誰を迎撃するか思考するように無貌をぐるり、巡らせたらそこで時間切れ。
「はた迷惑な押し売りはお断りだぜ、とっとと帰りな!」
いの一番にたどり着いた将太郎が護衛のマッチョ目がけて掌底を放つ。
ダメージとして与える衝撃を押す力と為し、強引に護衛とマッチョ売りとの間に距離を作る。この瞬間、マッチョ売りは完全に無防備だ。
「行け!」
「ええ、リサインするなら今ですわよ?」
投了してハイおしまい、と済ませるつもりは微塵も無いが。
将太郎の声に応じるように、みずほが一気に距離を詰め、わき腹目がけてフック、一閃。
閃光のような一撃に付随する衝撃がマッチョ売りの動きをピタリと止める。一瞬、指示の失せたマッチョ達に戸惑ったような気配が走った。
「…マッチョ、はいかが……です、か?」
「フザけるな」
同じ言葉しか繰り返さぬ少女の形をしたサーバントが最後に聞いたのは、日菜子の冷たい言葉だった。
「火傷で済ませるつもりはない…ッ!」
言葉と共に放たれた拳は焔の如く、熱く。
的確にマッチョ売りの顎をとらえた右拳が、マネキンが壊れたようにその首を吹き飛ばす。
血すらも流れなかった。首を失ったマッチョ売りは拳の勢いに逆らうことなく背中から倒れ込み、そのまま二度と動くことはなかった。
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恐らく、マッチョ売りが最後に出したのはみずほへの攻撃命令だったのだろう。
将太郎に吹き飛ばされた護衛の一体が目を覚ましたように猛然とみずほ目がけ走り出し、丸太のような両腕で彼女をホールドすると一気に締め上げにかかる。
「卑怯な! …でも、」
――注意がお留守ですわよ。
締め上げられる痛みの中で囁くように落としたその言葉を、果たしてマッチョは理解できたのか。
「向こうを頼む。黒百合が援護しているとはいえ鈴原一人は辛いだろう」
「人使いの荒いことだが…いいタイミングではある、完璧だ」
マッチョの後ろでそんなやり取りが交わされると同時、その背中に衝撃。
ファーフナーが日菜子と素早く標的をスイッチし、みずほをマッチョから開放すべく放った掌底によるものだ。
その一手だけでは開放は成らなかったが、よろめいたことによって拘束した者を盾に使うような行為に出れなくなれば、逆転の目は完全に潰えた。
「気持ち悪ぃんだよこのヘンタイマッチョ! 婦女暴行は言い逃れできねえぞ!」
側面に回り込む将太郎の体中を巡るアウルが、更に強く燃え盛る。
カオスレートを通常以上に負へ傾けた状態で振るわれた鎌が、みずほを拘束する右腕を刈り取り拘束を成り立たなくさせる。
するりと戒めから逃れたみずほが、息を吸って、吐いて。
「一気に仕留めますわよ」
言葉と共に、彼女の周囲に蝶が舞う。
全身のアウルを極限まで燃やし放つ拳の嵐。マッチョを捉えた拳は二度か、三度か、四度か――
嵐が過ぎ去り、みずほの体が動かなくなる頃には、マッチョは既に原形をとどめていない。
他方。
ファーフナーと交代するように日菜子は二体のマッチョへ向けて猛進する。
一体はファーフナーによって麻痺が抜けきっておらず、もう一体は指示する者が失せた今目の前にいる弥彦へ愚直へ攻撃を繰り出すのみ。
互いの背を預けるような位置取りのままほぼ動かぬ二体を強く睨めると同時、腹が煮えくり返るほどの怒りがアウルを通じて現世に顕現する。
「マッチョからマッチへ修正してやる。油まみれの身体はよく燃えるだろうな」
轟、と。突き出された掌から放たれる火炎が龍のようにうねり、マッチョ二体を呑み込んでいく。
直後、黒百合が放つ何度目かの砲が熱に喘ぐマッチョに直撃。それでもまだ動く意思を見せるマッチョ目がけ、爆炎の陰から弥彦が肉薄し。
「反撃なんざ許さねえ!」
鋭く吐き出す呼気と共に放たれた弾丸のような拳がマッチョの身体を貫くと、その身体が脱力したようにだらりと膝から崩れ落ちた。
最早普通に戦っても勝ち目が無いと悟ったのか、あるいは日菜子に焼かれた熱に怯えたのか。
残った一体はマッチョ売りが倒れた方向とは逆――即ち黒百合が居る方角目がけて一目散に駆け出した。
おそらく黒百合を自身の物理能力で蹴散らし、そのまま逃走を図るつもりなのだろう。
後衛要員が防御に優れているとは思えない、という判断は常識的に考えれば決して間違ってはいない。
が、唯一誤算があるとすれば、良くも悪くも久遠ヶ原に常識は通じないということだろうし、目の前の存在が黒百合だったということなのだろう。
軟な存在など一撃で打ち破る筈の拳は踊るようなステップ一つであっさりと宙を切り、そのまま流れる動作でマッチョの腹部に砲口が押し当てられた。
「貴方、糞不味そうねェ……味も歯ごたえもォ、何もかも悪そうだわァ…」
言葉とは裏腹の可愛らしい笑顔と共に、砲のトリガーが引かれる。
直後、轟音。
これまでのダメージが積み上げられたマッチョは最早その衝撃に耐えられず、そのまま炎に呑まれ消えていった。
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「暑苦しくてむさ苦しい奴らだった…」
「同感だ…あ、そっちのごみ袋取ってもらえるか」
遠い目をしていた弥彦は将太郎のその言葉に我に返ったように顔を小さく振り、近くに置いてあったごみ袋を拾い上げた。
遠くではみずほと黒百合が何事が話しながら吹き飛ばされた看板を運んでいるのが見える。
戦闘が終わり、一同は商店街の片付けに従事していた。
それなりに怪我人は多かったものの戦闘自体は速やかに片が付き、商店街の被害は殆ど発生していない。
故にそれほど大きな仕事ではなく、戻ってきた住民の指示のもと、速やかに復旧作業は進んでいく。
その一方で、日菜子とファーフナーは周辺に天魔の痕跡が無いか探していた。
「ほんの一握りでも飼い主の手がかりがあれば…」
オイルの痕跡、不自然な残留物、妙な人物の目撃情報。
何でもいい、天界の動向に繋がる物が見つからないかと聞き込みや捜索を続けるが、こちらの成果は残念ながら無い。
「駄目だな。不審人物の目撃情報も特には無いようだ」
「こちらも痕跡が残っているようなことはなかった。天界の意図は何だ…?」
やたらと目立つ敵ではあったが、足がつくような情報を残さない辺りは徹底している。
とはいえ、今この瞬間に人を脅かす脅威を払いのけることが出来たのは事実だ。
天魔が何を企んでいるのかまだ分からないが、もぐら叩きの様に今後も発生するに違いない事件を追っていけば何時かは真相にたどり着けるだろう。
今は、そう思うことにする。
(了)