●真夜中の天狗堂
夜の十一時を前にして依頼を受けた撃退士たちは三方五湖レインボーラインの天狗堂付近に集まっていた。
周囲が暗闇に包まれる中、麗奈=Z=オルフェウス(
jc1389)が念入りに現場を見回す。
天狗の姿をしたサーバントの存在は何処にも見られない。その気配すら感じられなかった。
「でもそれよりもっといいもの、かっこいいお兄さん発見や♪」
おどけた口調ですぐ隣りにいる百目鬼 揺籠(
jb8361)の腕に自分の腕を絡ませる。
「かっこいい? 俺!?」
満更でもない様子で頬をかいた揺籠に、麗奈は妖艶な微笑みを返す。
「依頼を受けた時から気になってたんや。お兄さん、百目鬼ちゃんゆうてたよね。私の名前覚えてくれてる?」
「麗奈サン、でしたよね。はは。もちろん覚えてますぜ」
胸を密着させる麗奈の顔をまともに見ることができずに視線を逸らす。
そんな百目鬼の初な様子を尼ケ辻 夏藍(
jb4509)は楽しげに眺めていた。
「……尼彦の。どういう風の吹き回しだ? 」
夏藍に声をかけたのは友人の野襖 信男(
jb8776)だった。
「やあ、あれを見てみなよ野襖君。百目鬼君のあんな姿、滅多に拝めるものじゃないよ」
信男はちらりと揺籠を見やる。
「出不精のお前と外で会うとは……珍しいこともあるものだ」
「天狗を名乗る不埒な輩をこの目で拝んでみたくてね」
二人の前には小さな天狗堂が建てられている。
この地に住む人々によって奉られた天狗面はまだ動いておらず、その存在感を示していた。
「元々の威厳が落ちてしまう前に早く倒してしまいたいね」
そう言って夏藍は天狗堂に合掌する。
信男もそれに習って小さく手を合わせた。
「これが正しく猿真似というやつか。日本の神話には疎いんだが、ここに奉られている猿田彦とは猿の神なのか?」
同じく天狗堂を眺めていたファーフナー(
jb7826)が素朴な疑問を口にする。
「別に猿ってわけじゃないですねー。天狗とイメージが似てて一緒にされることが多いみたいなことは聞いたことありますよー」
答えたのはヘッドフォンを首から下げた神酒坂ねずみ(
jb4993)だった。
「まー猫じゃなければなんでもいーですけどねー」
ぼそりと呟いたねずみは時計を確認し、天狗堂を囲むように伸びた松の影に隠れ潜んだ。
「それっぽい姿さえしてりゃなんでも良かったんだろ。まさか土着神に目をつけたぁ、今回の天魔はずいぶんと知恵が回るじゃねーか」
言葉をつないだのはラファル A ユーティライネン(
jb4620)である。
サーバント単体でここまでの作戦を考えられるとは思えない。ラファルはその裏に潜む天魔の存在を感じ取っていた。
「まァ、誰の仕業でもいいじゃないのォ。どうせ天使も悪魔も妖怪も人間もォ……私に、叩き潰されるのだからァ♪」
あらゆる疑問を吹き飛ばすように黒百合(
ja0422)が含み笑いを浮かべる。
身も蓋も無いその発言は撃退士の果たすべき役割を端的に表していた。
「まあ、賢かろうとなんだろうと関係ねぇな。言いたいのは、猿のくせして人間様をたぶらかすたぁー100年はええってことだ」
右手で拳をつくり、左掌に打ち付ける。
そうこうしているうちに時計の針が十一時を示す。同時に天狗堂を囲むように炎が浮かび上がり、周囲をぼんやりと照らし出した。
●隠れ蓑の悪夢
熱を持たない無数の炎が辺りを照らす中、天狗堂に安置された天狗面がゆっくりと浮かび上がる。
ゆらゆらと動き出した天狗面は天狗堂の真横で停止し、周囲に溶けこむように姿を消した。
「そこか猿野郎!」
敵の位置が近いと察したファーフナーが自分を中心とした周囲を凍てつかせる。
しかし手応えはない。現れたはずのサーバントは悠々とファーフナーの射程範囲から逃れていた。
「ふうん。本当に見えないのねェ……だったら手当たり次第に切り刻むしかないわよねェ……」
翼を顕在化させて浮かび上がっていた黒百合がファーフナーとは違う場所を狙って無数の刃を飛ばす。
こちらもサーバントには当たらず、丸く選定されたツツジの木を切り裂くのみであった。
「当たるまで撃ちゃ同じことだ! 俺の白乾児を食らうがいい!」
ラファルは先の二人とはまた別の、天狗堂や仲間が居ない場所に両手を向ける。
機械化された指先から灼熱の炎が放たれる。炎は範囲内の植物をすべて焼き尽くしたが、まだ敵の所在は掴めなかった。
「だいぶ相手の居場所が絞られてきましたねー。でもまだですよー」
物陰に身を隠したねずみはアサルトライフルを構えたまま敵の位置を探る。
目や耳で敵の位置がまるで判別できないことは完全に理解した。仲間がきっかけを見つけてくれることを信じながら、絶好の機会を伺う。
三者三様に範囲攻撃を行った結果、天狗堂のすぐ裏手が空白地帯となる。
その場に仁王立ちした信男は攻撃を誘い込むように言葉を発する。
「……天狗だと言い張るなら俺を倒してみろ。似ているのは格好と隠れ身の早さだけか?」
数秒の間があり、信男の背中に鋭い衝撃が走る。
突き刺さるようなその痛みは槍による攻撃に違いないと信男は確信した。
「そこか天狗!」
反射的に手を伸ばす。今にも自分から離れようとする槍に手先が触れた。
「その辺りですねー。般若波羅蜜ッ多ッ時ッ」
掛け声とともに信男が振り返った場所を狙って弾丸を放つ。
弾は見えない位置に着弾する。命中した部分が酸によって侵食され、隠れ蓑の一部が溶けて剥がれた。
「手応えあり、ですよー。次に備えるとしますか」
有効打を与えたことに満足したねずみは慌てず騒がす呼吸を整え、物陰に潜んだまま次の機会を待った。
わずかに顕になったサーバントの一部は、しかし弾丸の大きさより少し広い程度の面積であり、闇の中では周りの景色と判別しずらい。
それでも確かな突破口には違いない。マーキングを逃すまいと撃退士たちは目を凝らした。
「ほら、百目鬼君。百も目があるなんて御大層な名前なんだから、さっさと天狗モドキを見つけてくれないと」
「うっせーんですよ! てめーこそたまに外に出た時くらい役に立つんですぜ」
上空から夏藍が、地上から揺籠が言葉を交わし合いながら敵の位置を探る。
そんな二人のあいだを遮るように、周囲に強い風が吹き荒れた。
風はねずみを除く撃退士たちの身体を傷つけるとともに遠くに押し飛ばしてしまう。上空を飛んでいた者たちは危うく落下して地面に衝突してしまうところだった。
「厄介な風やなぁ……また見失ったやんか」
すぐさま高度を上げた麗奈が辺りを見回す。強風にも消えることのなかった炎がゆらめくのみで、サーバントの姿は何処にも無い。
ファーフナーも立ち上がり、目の前の天狗堂を見やる。古めかしいお堂には切り裂くような風によっていくつもの傷がつけられていた。
「所詮は猿真似か。敬意など期待するほうが無駄だろうな」
つぶやいたファーフナーの背後に炎の玉が浮かび上がる。
とっさに振り返ったファーフナーは防御の姿勢を取る。炎は背後の天狗堂ごとファーフナーの身体を焼いた。
「それが本性か……いいだろう、かかって来いよ猿野郎」
ファーフナーが呟いた。
そのすぐ横を一発の弾丸が通り過ぎて行く。一人、敵の狙いから外れていたねずみは火球が浮かび上がるのを見て、敵の位置を探り当てていた。
「そういう大技は目立つんですよねー。隠密行動は地味にやるのが鉄則ですよ」
弾丸はサーバントの胸元を捉える。一箇所では目立ちにくい風穴も二箇所となれば別であった。
「今度こそ捉えたよね。これで外したら零目鬼君に改名してもらうよ」
「軽口叩かなきゃ仕事もできねぇんですかい。てめーよりは役に立って見せますぜ」
キセルを口に含んだ揺籠が紅い炎に変化した煙をサーバントに吐き掛ける。
高々と飛び上がった夏藍も上空から火炎弾を放つ。二つの炎は同時にサーバントの身体を焼き尽くした。
「ふうん……それが貴方の姿なのねぇ。やっぱり潰す相手は見えてるほうがヤル気になるわァ」
黒百合は怪しい笑みを浮かべながら指先を舐める。
顔に天狗面を付け、頭に頭襟を被り、山伏装束を着込んだ、一本下駄の大猿。
ようやく顕になったサーバントの姿がそこにあった。
●怒れる天狗モドキ
もはや隠れ蓑はその効果を失い、ススのように黒ずんでいる。怒り狂ったサーバントは用済みとなった蓑を脱ぎ捨て、翼を広げて高く飛び上がった。
「逃げるなら隠れ蓑があるうちだったなぁ!」
上空に向けてラファルがガトリング砲を構える。
大きな音を上げながら、七つの銃身から雨あられと弾丸が放たれる。
弾丸の一つ一つが大柄な猿の身体を貫き、いくつもの傷を負わせた。
「何処にもいかせへんよ。また見失うのはごめんやからね」
空中で麗奈が布槍を伸ばし、布状の部分をサーバントの腕に巻きつける。
しかし麗奈の力だけでは拘束することができず、逆に引きずられそうになる。
「百目鬼ちゃん、頼むわ!」
「この位置なら届きますぜ。任せといて下さい」
揺籠は縛鎖を飛ばし、空いているもう片方の腕に巻きつける。
左右から全身の力を込めて引っ張る。動きを止められてはいるものの、相手を引きずる落とすまでは至らない。
「いい的ねェ。私の槍とどっちが強いか、試して見ましょうよォ」
抵抗が精一杯のサーバントに近づいた黒百合は余裕の表情で白銀の槍を一回転させ、翼を狙って突き刺す。
片翼を傷付けられた天狗はバランスを失って地面に激突する。そのすぐ前には肩を怒らせて仁王立ちするファーフナーが待ち構えていた。
「お前に神は過ぎたるものだ。地に這いつくばっているのがお似合いだぜ」
言葉とともに大柄のハルバードを振り下ろす。片刃の斧は天狗の翼を根本から断ち切った。
咆哮を上げたサーバントは両腕の拘束を振り払って立ち上がる。
その場で火球を呼び出し、ファーフナーに向けて投げ飛ばした。
「チッ……まだ抵抗するか」
炎に焼かれる苦しみに耐えるファーフナーだったが、その痛みが徐々に和らいでいく。
ファーフナーの背後では、同じく火球を受けながらも、仲間の治療を優先する信男の姿があった。
「……俺にできるのはこれくらいだ。攻めは任せる」
「ああ、感謝するぞ」
サーバントとの距離を詰め、力任せにハルバードを振り下ろす。
刃は槍の持ち手によって防がれるが、無防備な背中をラファルの日本刀が斬り裂いた。
「接近戦なら俺も混ぜろよな。一人だけいいカッコさせねぇぞ」
不意打ちに身を仰け反らせながらも、サーバント地面を蹴って飛び退り、左手に握り締めた天狗のうちわを一振りする。
「このっ! 逃げてんじゃねーよ猿知恵野郎っ!」
ラファルの言葉を残して地上組の撃退士たちが強風に吹き飛ばされる。その間隙を縫ってねずみの三度目の射撃が命中した。
「注意が散漫ですねー。敵の数くらい覚えておいてくださいよ」
天狗面が振り返った時にはすでにねずみの姿は無い。
探し出す暇もなく、黒百合の発射した複数のロケット弾が襲い掛かる。気づくのが遅れたサーバントは避けることも身を守ることもできずに全弾をその身で受け止めた。
「粉微塵にはァ……なってないわよねェ。やっぱりこの手に実感の残る最後じゃないと味気ないものねェ」
相手に息があることをむしろ喜んでみせた黒百合は得物を槍に持ち替える。
「なら私がサポートさせてもらおうかな。もう抵抗もさせないよ」
夏藍が手をかざすと共にサーバントの身体が砂塵に覆われる。
砂は傷口に入り込む。その厚みが少しずつ大きくなり、砂像のような姿となって固まった。
身動きの取れないサーバントの頭上で翼を広げた黒百合が白銀の槍を構える。
小さく笑ったかと思うと、急降下する勢いのまま先端を石化した心臓部分に突き刺した。
確かな手応えを感じた瞬間、周囲を囲んでいた炎はひとつ残らず消え去った。
「ありがとう……今、貴方を殺したって実感が湧いたわァ」
槍を引き抜き、数秒前まで生物であったモノを見下ろす。
サーバントの顔から天狗面が転げ落ちる。その下に覆い隠されていた顔は、あまりにも醜いものであった。
●激戦の果てに
黒百合は残った天狗面を拾い上げる。
激戦の後にもかかわらず、面には経年劣化を思わせる傷以外は残されていない。
おそらくは奇跡にも似た偶然なのだろうが、それがかつてこの地を治めていた天狗の力なのではないかとも思えた。
「モノの被害はやむを得ないとはいえ……少し残念ねェ」
ため息とともに天狗堂を見やる。
かろうじて形が残っているとはいえ、もはやかつての面影は感じられない。
「ま、被害者は出なかったわけですし。それが残っただけでも良かったんじゃないですか」
ねずみはあっけらかんと答えながら天狗面を取り上げる。
いかつい顔の面は何も語らない。ただねずみを見つめ返すばかりである。
「信仰心ってやつが残ってるならまた建てられるんじゃねぇの。よく知らねぇけど昔からある神社とか寺とかなんて、それの繰り返しだろ」
「神などというものが本当に存在するのかはわからんがな」
遠回しながらも、ファーフナーはラファルの言葉に賛同を示した。
「百目鬼ちゃん、今日はありがと♪ おかげで助かったわ」
神妙な面持ちをしていた揺籠の背後から麗奈が抱きつく。
「い、いや、麗奈サンも見事でしたぜ」
突然のことに顔が緩みそうになりながらも、意識を強く保って堂々と受け応えてみせた。
「優しいのね百目鬼ちゃん。このお礼は、また今度ねぇ」
ふうっと揺籠の耳に息を吹きかける。今度こそ動揺を隠し切れない揺籠に微笑みかけ、身体を離した。
揺籠は離れていく麗奈の背中を締りのない顔で見送る。夏藍はこらえきれず、とうとう笑い出してしまった。
「これはこれは。百目鬼君をからかうネタがまた増えたみたいだね」
ムキになって睨みつける揺籠と子どものような言い争いを始める。
その姿を眺めながら、信男はぼそりとつぶやいた。
「……仲が良いのか、悪いのか」
福井県は三方郡、および三方上中郡にまたがって広がる五つの湖を三方五湖と呼ぶ。
色を変えるその湖は、二度と赤に染まることはないだろう。