●
――まったく、人間など……。
ファーフナー(
jb7826)は内心では舌打ちを鳴らし、しかし表情にはおくびも出さない。
ただ悠然と、咥えていた煙草に火をつける。
肺の中をニコチンで満たし、フィルターを二本の指で挟んで、長く細い白煙を吐き出した。
ゆるりと宙へと登る煙は、しかし、すぐにディスカウントストア内の換気扇に乱され、
霧散してしまう。
「聞いてるのかよ、ジジイ!」
ファーフナーを取り囲む《バンディット》――アウル能力者でありながら盗賊行為を行う男達が、
怒りに声を荒げる。
「急に現われたかと思えば、俺達の『仕事』の邪魔しやがって!」
しかしファーフナーは、動じない。
火を握り潰した煙草を懐にしまい、肺に残っていた最後の煙を天井へと漂わせる。
「『仕事』、か」
つい、失笑が漏れる。
「な、なにがおかしい!」
「避難所に安全を求めて逃げ込んだ者達を狙うことが、『仕事』か?
度し難いほどのクズだな、お前達は」
もしくは、人間という種そのものが――
「小僧ども。『裏』の先輩として、ふたつ。アドバイスしてやろう」
「うっせぇ! やっちまえ!」
もはやその言葉ですら、クズ臭さに満ちている。
「ひとつ――」
ファーフナーは言葉と共に、動く。
正面から迫る刃を半身退くだけで回避し、蹈鞴を踏んだ男の足を蹴り砕いてやった。
「殺るときは、口を動かす前に殺れ。そんなていたらくでは、素人すら殺せんぞ。そして――」
振り返らず後方へと踵を跳ね上げ、背後から斬り込んできていた男の顎に叩きつける。
感触からして、砕けただろう。
「――人を見かけで判断するな。俺はまだ、四十代だ」
殺さずに無力化するというのは、実に難しい。
労力という意味ではなく……憎悪からの衝動に折り合いをつける意味で、だ。
まったく人間など、クズばかりだ。
●
一方、町内の路上にて――
そこは、肉が焼け焦げる、ゾクゾクする臭いに満ちている。
「分不相応な力を持つと、碌なことに使わないのねぇ」
翼を広げて宙を舞うErie Schwagerin(
ja9642)は、嗜虐的に口角を吊り上げた。
路上に転がる盗賊、大火傷を負っているが、今のところは誰ひとりとして死んではいない。
Erieは指先に灯していた炎を吐息で吹き消し、顔を上げる。
視線の先にあるのは、町を覆う結界の中央に位置する公民館。あそこにコアがあるはずだ。
「さぁて、早くお片付けに行かないとぉ。――あらぁ?」
ヒュゥ、と風を切るような音。
Erieは空中で身を翻す。直後、一瞬前まで彼女が滞空していた場所を『槍』が突き抜けていった。
――否、槍じゃない。強いて言うなら触手だ。
Erieは視線を路上に戻すと、サーバント《ゲル》に炎を叩き込んでやる。
超高熱はいとも簡単に、そのスライム状の体を蒸発させた。
「ふふ、ざぁんねん♪」
――と、悲鳴が聞こえて振り返る。
見れば、盗賊が別の《ゲル》に襲われようとしていた。
いつの間にか数が増えてるところから、どうやら《ゲル》はアウル能力者を探知して集まってくるらしい。
盗賊は必死に空中のErieに手を伸ばして、助けを乞うてくる。
が、
「んー……」
きっちり、二秒後。
「しーらない♪」
そう微笑んであげたときの、盗賊の絶望的な表情と言ったら、もう。
「させませんわ!」
介入したのは金色の風。
鋭いアッパーカットが、《ゲル》を縦に深く抉った。
体液の一部が頬に散り、Erieは眉根を顰めた。
「放っておけばいいじゃないー」
「いいえ! 死なせてしまったら意味がありません」
長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)はErieを見上げてきて、目つきを厳しくする。
そのまま睨み合っていたが、
「見つめ合っていればゲートを破壊できるのか? 知らなかったな」
谷崎結唯(
jb5786)の淡々とした皮肉で、視線は途切れる。
結唯は一瞥してきただけで、そのままさっさと、鴉の翼を羽ばたかせて先に進んでしまった。
「……ま、好きにすれば良いんじゃなーい?」
とにかく任務は、盗賊から人々を守ることと、ゲートを壊すこと。
Erieは公民館への飛行を再開した。
――いや、もうひとつ任務があったか。
●
詠代 涼介(
jb5343)は足を止めて、持っていた地図を広げた。
地図の一箇所には赤ペンで印がされており、今まさに、印の場所に到着したところだ。
『ギーナ捜索』の依頼人である社長に、『主任の立ち寄りそうな場所』を尋ねておいたのである。
「病院、か」
しかし医者も患者も避難した後なのか、人の気配はない。
「さて、やるか。――出てこい」
涼介は召喚獣ヒリュウを呼び出すと、予め借りていたギーナの写真を見せてやる。
「俺はあっちを探す。お前はそっち方向を探してくれ」
ヒリュウはこくこくと頷くと、指し示された方向へと飛んでいった。
……一分、二分が経過した頃合い。
突然、テレビのチャンネル切り替えのように視界が変化する。
ヒリュウの視界だ。
異様な肌の女性が、学生服を来た女生徒に支えて貰いながら避難所の方へ歩いている。
しかしその背後に、一匹の《ゲル》が着地して――
そこで視覚共有は途切れた。召喚限界時間だ。
「チッ……。おい、誰か近くにいるか?」
涼介は舌打ちを鳴らし、通信機に向かって声をかけた。
そうしながらも彼自身も路地を駆け抜ける。
通信機からはザザ、とノイズが走って、
『……いる』
と、ひとことだけ聞こえた様な気がした。
ノイズが強すぎて聞きづらかったし、気のせいかもしれないが、それでも涼介は言葉を続ける。
「捜索対象を発見した、現在移動中だ」
程なく涼介は到着する。ギーナらは《ゲル》によって袋小路に追い込まれており、動けくなっていた。
「ティアマット!」
高速召喚されたティアマットは、出現と同時に豪腕を振り上げている。
容赦なく《ゲル》のスライム状の体へ手を差し入れると、核を握りしめた。
そして、握り潰す。
「よし、捜索対象確――」
びちゃっ! と、背後からイヤな音。
振り返ると、この狭い路地に更にもう一体の《ゲル》が出現していた。
涼介はすぐさまティアマットに攻撃命令を出そう――として、やめる。
その前に、落雷の如き音が轟いたからだ。
ほぼ同時に《ゲル》の体が大きく振動し、細長い一直線の貫通穴がその身に生じている。
本当に一瞬のことで、何が起こったのかわからない。
――涼介が見上げた先。小高い建物の屋根の上に、牙撃鉄鳴(
jb5667)が立っていた。
シュゥゥ、なんて聞こえるのは廃熱音だろうか。
『《ゲル》が集まってきている。移動するなら早くしたほうが良いぞ』
通信機からは声と一緒に、ライフルのマガジンを交換する作業音も共に聞こえてくる。
援護してくれるのだろう。
涼介はギーナと少女を促し、避難所に向かって歩き出した。
――ここからが長そうだ、とため息をつきながら。
●
何度か《ゲル》とエンカウントしつつも、結唯は一番早く公民館へと到着した。
そして少し遅れて、みずほと、Erieもやってくる。ここまでで目立った被害は、ない。
「行こう」
駆け込んだ途端。ぞわ、とイヤな感じが襲ってくる。体が重い。ゲートに入ったことで必ず受けてしまう、弊害か。
「やーねぇ、肌がべたつく感じがするぅ」
後ろから続いてくるErieはそんなことを漏らし、その隣を歩くみずほは肩を竦める。
「文句を言っても仕方ありませんわ。一刻も早く、コアを破壊しなければ……。町の皆さまのためにも」
言いながらも、そわそわしている。きっと彼女はすぐにでも全力疾走したいのだろうが、公民館はかなり広い。
目的地も分からず単騎突撃するほど愚かではないらしい。
が、
「あらぁ、ヒーローっぽい素敵な発言ねぇ。でもちゃぁんと行動が伴ってるかは微妙じゃなーい?」
「あなたこそ、先ほどから口ばかりは達者のようですわね。一度私の拳で矯正されてみますか?」
……さっきの意見の対立以来、コレである。
仲間割れというほとじゃないし、価値観の相違は誰にでもあるから、仕方はないのだが……。
幾つかのフロアを捜索した後に、三人は『大ホール』と書かれた扉を開け放った。
「ありましたわ!」
舞台に上に浮遊している巨大な球体。あれが、コアだろう。
「待て!」
結唯は、走り出そうとしていたみずほの腕を掴んで、咄嗟に引き留める。
次の瞬間。
コアの前に立ち塞がるように、巨大な《ゲル》が出現した。
大きい。この大ホールはその名の通りかなりの広さがあるのに、舞台全域を覆ってしまうくらいに巨大だった。
更に、
「これはぁ……。面倒ねぇ」
Erieの視線を追って、天井を見上げる。さすがに、愕然とした。
天井にびっしりと《ゲル》が貼り付いているのである。
これはさすがにマズイ。
結唯は冷静に判断し、通信機を手に取ると仲間達に救援要請を送る。
ところが……。
●
「行けそうにない、な」
誰よりも真っ先に避難所の防衛に回ったファーフナーだったが、
それでも安全は確保できていない。
盗賊らが弱くともしぶといというのもあるが、《ゲル》が鬱陶しい程に寄ってきているのだ。
戦場を屋内から避難所入り口の屋外に移し、ギーナをここまで連れてきた涼介と鉄鳴を防衛戦に加えた今でも、
状況は変わっていない。
「ちょっとまずいかもしれないな。何とかなるかもしれないが、やっぱ無理かもしれん」
なんて、こんな状況でもふわふわとした物言いをする涼介。
しかしティアマットに命令を下す彼の横顔は真剣そのものであり、頬に伝う一筋の汗が焦りを象徴していた。
ティアマットの召喚時間もそろそろ限界だろう。ファーフナー自身も不死身ではない。
数で押されて時間をかけられれば、その分不利になってしまうが……。
「――抜け目のない奴らだ」
鉄鳴の呟きに、視線を移動させる。
見れば、こんな状況にも拘わらず、裏口から盗賊たちが逃げだそうとしているのが見えた。
しかも金品だけならともかく、女子供を連れている。
鉄鳴はそちらへと銃口を移動させるが、襲来する槍触手に邪魔をされて狙いをつけられない。
《ゲル》を振り切って盗賊を追うべきか。
そうすれば盗賊は逃がさずすむが、この避難民の無事は保証されない。
それとも、盗賊は諦めて市民を守るか。
《ゲル》から避難民を救うことはできるが、盗賊の一部を取り逃がすことになる。
二者択一。
●
「いえ……それだけのはずは、ありませんわ!」
大量の《ゲル》。障壁として佇む巨大《ゲル》。多数の敵に囲まれている中でも、みずほは声を強くした。
「わたくしは、コアに向かって突撃します。だから道を作ってください」
「はぁー?」
あからさまに「こいつ馬鹿なの?」的な目をErieから向けられるが、
みずほはどこまでも大真面目に言葉を返す。
「やれるか、やれないかの二択だけではないはずですわ。やるんです。
あなたは『行動が伴ってるか否かと』言ってきましたが、良いでしょう、行動を伴わせましょう」
「だから私も、口だけじゃなく動かせってぇ?」
Erieは顎に手を添えて、うーん、なんて考えていたが。
「良いだろう」
先に結唯が首を縦に振った。
「ただし、失敗したら退く。いいな?」
「はいっ!」
「えー。それならぁ、私も乗っかるしかないじゃないー」
「やれやれぇ」なんてErieは肩を竦めて、しかし、手の炎を一層強くする。
みずほは大きく深呼吸をしてから――腰を落とした。
「――――行きます!」
●
突然。
《ゲル》の全てが、霧散した。
一瞬、何が起こったのか分からなかったが――鉄鳴は最も早く、理解した。
『第三の選択肢』が出現したことに。
鉄鳴は迷うことなく、逃げようとしている盗賊達へと銃口を向ける。
しかしかなり遠い。それに殆ど死角に入っている。
――装着しているナイトビジョン?は、あらゆる情報をHMDに表示してくれる。
気温や湿度、風力、風向、標的までの距離。それらが瞬時に算出されて、数値化された。
……いける。
「兵器とは……持ち主の期待に応えるものだ」
電磁加速によって射出された弾丸は、超、高速。
引き金を引いたのとほぼ同時に、スコープの中で、男の脚が消し飛んだ。
●
「ふんっ!」
突然、みずほは縛られて動けない盗賊を殴り飛ばした。
更にその体に馬乗りになったかと思えば、殴って殴って殴って殴って殴って、
まだ殴って、まだまだ殴って殴って殴って――
さすがのErieも、ちょっと引いた。
「みずほちゃん、そんなんじゃ死んじゃうわよぉ? 私は構わないけどぉ」
「いいえ、決して殺しません」
などと、鼻血と歯の欠片を拳にくっつけている娘は語る。
「しかし力持つ撃退士がその力に溺れこのようなことをするのは絶対に許せません。
ですから心が壊れるまで殴ります。二度と立ち直れないようにいたしますわ」
「……あぁー、そうゆうことぉ♪」
Erieは、満面の笑顔を浮かべた。
「命まで獲らなければいいのねぇ。獲らない『だけ』で」
「それなら、文句はありませんわ。ふんっ、ふんっ」
「あらそーう。……なるほどぉ。殺す殺さないよりも、ぜーんぜん面白いわぁ♪」
盗賊達は、自らの生存を喜ぶことは出来ないだろう。
これから行われるスーパーお仕置きタイムが終わった時、果たして、何人が正気でいられるのやら。
●
「ヒヒイロカネを使わなかったらしいな」
「ぁ?」
「何故使わなかった」
ギーナは肩を掴んできた結唯の手を払いのけるも、逃げはせず、正面から対峙する。
「アウル能力者なのか?」と尋ねられたから素直に首肯したのに、その途端、
結唯が声を荒げたのだ。
結唯はギーナの容貌に怯むことなく、言葉を続ける。
「子供を引き連れ、自分は怪我をして、生き残れると思ったか?」
「……」
「我々は別になんらリスクもなく、これ見よがしに力を振るってなどしていない――」
結唯の目が、怒りか、苛立ちか、何らかの強い感情を込めて細められる。
「――天魔との戦いは命がけだ、そこは勘違いしないでもらおうか」
結唯が言い終えた後に、沈黙が流れた。
程なく、ギーナは大きくため息をついてから、口を開く。
「……あんた、生きてるじゃん」
低い声で。無感情な目で。決しておちょくっているわけでもなく。
「そうだな……。あのガキどもを守るために『選択』できなかったあたしは、
人としてはクズなのかもね」
それだけを言い残し、今度こそ、ギーナはその場を立ち去った。
「……クズ、か」
ファーフナーは煙草に火をつけながら、ふと、思う。
あの盗賊どもとギーナは同じ人間だが、果たしてまったく同じクズなのか、と。
○
「何度きても、診断結果は変わらないよ」
医師は、書類を差し出してくる。
「10年以上も撃退士として実績を重ねてきたきみには酷だが、同じことを言わせてもらう」
真剣な目で、深い哀れみを込めた声で、医師は言った。
「次に光纏をすれば、それと引き替えに、きみは死ぬ」
書類には嫌味なほどに大きく、『再起不能』と書かれていた。
終