●
蛇という生物に対してのパブリックイメージはおおよそ「気味が悪い」になるだろう。
手足のない長い身体、独特の生態、毒を持つという先入観。
人間が楽園を追放された元凶、『藪をつついて蛇を出す』という諺。古来より忌み嫌われてきたことは間違いない。
そして現実問題として、この状況では下手なホラーよりも不気味であった。
薄暗い墓地、不安定な足下、遮蔽物の多い状況。
その上でしゅるしゅるという音が暗闇の向こうからいくつも這いずってくる、この現状。
「増援、三つ」
それでも谷崎結唯(
jb5786)は冷静に状況を告げた。結唯の目は確かに墓石を掻き分ける三つの蛇を捉えている。『ただの』敵対存在として認識している。
「四手だ。本体は最後に」
至極簡潔なファーフナー(
jb7826)の判断に、撃退士達はすぐさま意図を汲み取る。ファーフナーはフラッシュライトを手近な墓石に置いた。これで視界の問題はある程度クリア出来る。
ざかざかざか。草木と砂利を蹴散らし急速接近してくる蛇たちの群れ。見えなくとも常識外のサイズであることが把握出来る威圧感。
それでも相手が悪魔に連なるものであると理解している以上、撃退士として恐怖を感じるラインはとうの昔に越えてきた。
「きちんと頭潰して全殺しにしてくださいね!」
かといって、蛇型そのものの性能はやはり脅威となり得る。エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は苦い思い出を噛みしめながら、ふわりと見えない階段に足を掛けた。
●
蒼山霊園はそれなりの広さを持つ。概算して六百メートルの距離を、しかし撃退士と悪魔達はものの数秒で詰め切った。
「シッ!」
蛇男の手にしていた鞭が襲いかかる。先頭に立っていた黒百合(
ja0422)は、それを無骨な盾で受け流した。空気を切る音が遅れて聞こえてくる。
「その程度ォ? これなら簡単に蛇味線(じゃみせん)にできそうねェ♪」
黒百合は唇の端を吊り上げ不敵に笑う。
――確かに流した。正面から受けないように、ベクトルを逸らすように流した。この盾の防御力は折り紙付き――だというのに、受けた腕が痺れている。
圧倒的な物理攻撃力の持ち主だと理解した。その上で、黒百合はにやりと笑い飛ばした。
「いい趣味してるじゃねえか、盾(タンク)。安い挑発だが悪くねぇぜ。乗ってやるよ」
「あらぁ、こんなか弱い女の子捕まえて盾役認定? ちょっと節穴にも程があるってものじゃなぁい?」
凄惨に笑いながらも、チッ、と黒百合は舌打ちした。自分が先頭に出た戦略的意味合いを理解されている。
だが、その上で乗ってくるなら不都合はない。侮っているからか、それとも酔狂か、いずれにせよ愚策だ。
――宙を歩くエイルズレトラが既にヤツの背後に詰めている。その隣には一見愛らしい小さなヒリュウ。だが侮るなかれ、アレは戦闘中には嘘のような敏捷性を発揮する。
黒百合が『受ける』盾とするなら、エイルズレトラは『避ける』盾。易々と二枚の盾に挟まれることをよしとした、その判断を後悔させてやる。
『蛇男の押さえ』。まず初手は成功した。
無論、ファーフナーの一言だけで全てを把握出来るほどの意思疎通が出来ていたわけではない。
だが、積み上げた撃退士としての経験がセオリーを構築する。『群れられるとまずい』。数秒のうちに連携は完成された。
ケイ・リヒャルト(
ja0004)は墓地の北側に走った。それに追随する蛇の音――一つ。
蒼山霊園の墓石は区画だって設置されている。そして東西南北、敷地の端には墓石がない。遮蔽物という意味でも、故人に対する礼儀という意味でも、墓石のある場所では戦闘を避けるべきだった。
不意に黒百合の挑発が耳に届いて苦笑する。三味線のもじりと言いたいわけか。しかし、相手が蛇なのだからここはやはり、
霊園の北端、フェンスが見えると同時にオートマチックを引き抜く。そしてそのままフェンスに足を掛け、ケイは後ろに跳んだ。
その直後、墓石の隙間から飛び出してくる巨大な蛇。ここにあるのは雑草だけ。二メートルはあろうかという巨体は到底隠しきれない。
「――素敵なバッグになりそうね」
くるりと空中で姿勢を整え、その無防備な頭めがけて強酸の弾丸を撃ち込んだ。確かに的中する。その頭がぐずぐずと溶け出す。
だがこれで終わらないのが蛇という生き物だ。着地したケイと入れ替わるように、夜空に溶けた結唯がすうと現れる。そして雨あられとPDWの弾丸をその巨体に、
ずるりと蛇が『前身』した。さながらカップゼリーのように、『皮』を残して『中身』が押し出される。結唯の弾丸は、残された皮を粉砕するに終わった。
「……脱皮」
「面倒ね」
南端。
「オラァ!」
流星のような緋打石(
jb5225)の拳が空から降り注ぐ。ぐにょんとした手応えと共に、大蛇はうねうねと悶えるように動いた。感触はともかく、【X Vll】の威力は満遍なく伝わったらしい。
すかさず一筋の弾丸が大蛇の首元を抉っていく。アルドラ=ヴァルキリー(
jb7894)は園内のどこかでスナイパーライフルを構えている。それがどこかは緋打石にも分からないが、連携が取れている以上は問題ない。潜行とはそういうことだ。
カカッ、と緋打石は笑った。
「ゲーム盤を乗っ取ったくらいだ。ちょっとは楽しませてくれるんだろ?」
いつもの飄々としたそれではなく、心からこの状況を愉しんでいる笑みだった。
正直なことを言えば、オーガストとやらの三文小説に乗っかるのはあまり気が乗らなかった。『ゲームとしてセッティングされた戦場』となれば面白味が薄れる。――いや、楽しむのが癪と言うべきか。
だがこの状況は違う。舞台ジャック、急遽差し替え、殺意剥き出しの悪魔ども。正真正銘、命の削りあい。
「今夜は全力で楽しむぞ? 遠慮無く来いよ、蛇共」
鷲の翼を広げながら、緋打石はケラケラと悪魔的に笑った。
●
一方で。
「……やあ」
闇に紛れて、仄(
jb4785)はこっそり執事に声を掛けた。蹴り飛ばされた結果、面白い姿勢で墓石に引っかかっている。
「…………どう、も……」
ヒューヒューと浅い息を吐きながらも、執事の態度はどこか軽かった。仄は眉一つ動かさず会話を続ける。
「とりあえ、ず。今すぐ、なう、回復せん、と拙い、か?」
「……目の前、三途、リバー。へる、ぷ、みー、なーう」
……なんか喋り方被ってるな、と思った仄であった。
「回復、するの、は、構わん、が。あの、犬男。お前、の、持ち駒、か?」
「……イエー、ス」
「なら、此方、に、敵対、しないよう、指示、を、出、せ」
それが条件だと仄は言った。執事はぐっとサムズアップした。……瀕死のくせに軽いなコイツと仄は思った。
仄は治癒魔法を執事に向ける。とはいえコイツも敵対勢力、最低限の治療である。死なない程度に、さりとて戦闘力にはならない程度の。
「あー……スイマセン、助かりました。恩に着ます」
座り込みながらもヘラヘラする執事に、ぴんと張り詰めた糸を仄は見せつけた。
「いやいや、ちゃんと指示は出しますよ。今回の一件については一切こちら側は手出ししません」
とはいえ、と執事は付け加えた。
「ぶっちゃけあの子達、知能はアレっていうか……。色々あって今回は演出特化で性能はお察しなんですよ。邪魔しないように後ろで引っ込んでるように指示しときます」
「ちなみ、に、演出、とは」
ホラーに一家言ある仄としては聞いておきたいところであった。
「無限起き上がり」
「……陳、腐」
「ですよねえ。まあ、ざっくり言えば予算の都――おおう危ない!?」
ざかざかざか。背後から蛇の近寄る音がして、仄は振り返った。そこには大蛇が既に攻撃動作に入っている。
避ける――間に合う――だがこの位置関係では執事に当たる。回復は最低限、安定した回避を行えるかどうかは微妙。仄は鋼糸を横に構え、
足下の蔓草が蛇の顔面を打ち据え、そのまま拘束するように絡め取った。
「おおう、見事なボンレスハム」
「……下らん冗談はいい」
ファーフナーはふんと鼻を鳴らすと、槍を蛇の脳天に突き刺した。びくりと身体を震わすと動かなくなる。それでも念を入れて首を刎ねておいた。
「後で聞きたいことがある。それまで隠れていろ」
「おやご親切に。ちなみに私がそのままとんずらする可能性って考慮してます?」
「…………」
仄は何も言わず、糸を執事の目の前で張り直した。ファーフナーは数秒考え、
「見張りを頼めるか」
「合、点」
「わあい完璧ですね……。オーケイ、負けました。あと、今の借りを返すついでにお一つ情報」
ヘラヘラと、しかし溜息を吐きながら執事は言った。
「あの蛇の旦那、どうやら『相手に攻撃が当たるとさらに加速する』特性みたいですねえ。うちのワンちゃんは『死んでも生き返る』特性持ちだったので、それはもう酷い蹂躙になりました」
言うなれば再行動(リアクト)と執事は付け足した。
「つまり相性の問題で、こうなったのは決して私が雑魚だからではないということだけ重々承知でお願いします。お嬢様の沽券にも関わるんで」
「ご丁寧に招待状まで出しておきながら、会場の下調べ不足で藪蛇だ。もはや沽券も何もないだろう」
「あふん」
ファーフナーに一刀両断されて、執事はぐうの音も出ないようであった。
●
鞭の速度は増していく。さながら同じ瞬間に四方に攻撃が飛んでいるように見える。認識の限界を突破していた。
「おらおらァ! もう息切れかァ? だらしねぇなァ!」
「ケッ、か弱い女の子だァ!? どの口が抜かしてんだオラァ!」
それでも黒百合はまだまだ保っていた。距離を詰めさせず、盾で攻撃のベクトルを流しながら槍を交差させる。
――決定力には欠けていた。蛇男の鞭捌きは確かに一流である。瞬きを許さない物理攻撃の嵐は、一種の結界として機能していた。迂闊に槍を突き出せばそのまま絡め取られてしまうだろう。実際にそれを狙われて一瞬肝が冷えた。
面白い、と黒百合は口の端を吊り上げる。
「決めた。テメーは剥製にして飾ってやるよォ! 来月には焼却炉だけどなァ!」
「その前にテメーらが全員火葬場送りだボケェ!」
「ヤダヤダ、チンピラ同士の喧嘩は怖いですねえ? ハート!」
攻撃が一瞬黒百合に集中した、その瞬間を狙った。ハートと名付けられた小さなヒリュウが蛇男の懐に潜り込む。
弾丸のように滑り込んだハートは、蛇男の鞭を握った右腕にその牙を、
「しゃらくせえ!」
「ッ!」
どのような手捌きによるものか、いつの間にか鞭が左手に移動していた。そして鞭が空中を闊歩しているエイズルレトラへと伸びる。
「ビビってんなら絡むんじゃねえよタコォ!」
「何気に私までディスってんじゃねーぞォ!」
「ひゃー怖い! あと黒百合さんは言葉の綾ってやつでーす!」
紙一重の回避。鞭から滴る雫――おそらくは毒液にひやりとするが、エイズルレトラは余裕の態度を崩さない。
ハートの牙は確かに右腕をえぐり取った。傷は浅そうだが、本命はそこではないから問題は無い。
蛇は怖い。攻撃が長い、変則的、毒を持っていて執念深い。おまけに生命力がやたら強い。かつて植え付けられたトラウマが蘇りそうだ。
だからこそエイズルレトラは笑う。油断せず慢心せず、きっちり自分の役割を紳士の仮面で以て完遂しよう。
蛇が振ってきた。
「ッ!」
避けられないと判断した。ケイは白銀のオートマチックを突き出して、その牙を防ぐ。
がちり。牙が金属に当たる音がして、蛇の巨体が弾かれる。しかしその質量自体は受け止めきれず、鞭のようにしなる尻尾がケイの右腕を打った。
「意趣返しってコト?」
いつの間に、だ。脱皮した蛇は、そのまま近くにある木の上へ昇ったらしい。そして上から飛びかかってきたということだろう。
蛇の分際で上を取るとは、随分と生意気な悪魔(ディアボロ)である。
「でも駄目よ。逃がさない」
ケイは瞬時に得物を鞭に持ち替えた。蛇は墓石の隙間に消えようとしている――そうは問屋が卸さない。
棘だらけの鞭が蛇の身体を打ち据える。棘はスパイクとして蛇の身体を捕まえる。逃げようとするが、ずぶずぶと棘が身体に沈んでいくだけだ。
「今よ、結唯」
闇の中に流星が走った。
容赦の無いフルオート射撃。雨あられと降り注ぐ光の弾丸が蛇を蹂躙する。天界側のアウルが冥魔を焼き尽くす。
蛇の身体がいくつにも爆ぜ、そのまま動かなくなった。
「念のため、ね」
ケイは残った頭部に銃口を押しつけて引き金を引いた。綺麗に粉々になる。これで生きていたら流石に反則である。
アルドラは上手く闇に溶け込みながら、スナイパーライフルで蛇を狙撃していった。
緋打石の攻撃がノリにノッているからこそ、狙いが定めやすい。意識を刈り取る攻撃は、確かに蛇にも効いているようだった。こうなれば見てから当てる鴨打ちである。
――さて、そろそろか。
今のところは順調。戦況を観察するに、他の二体の雑魚蛇も駆除完了したようだ。
そして黒百合とエイルズレトラの『時間稼ぎ』も十分に上手く行っている。
合流するなら同時が望ましい。例えアレが実力ある悪魔だろうが、八対一という数の差は早々覆せない。――いや、仄は執事の監視に付いたようだから七対一か。
アルドラは引き金に力を込めた。狙いは最後の蛇の頭――
不意に射線に割り込む影があった。
「……な!」
着弾――したはいいが、対象が違う。犬男はグオオと呻くとその場で倒れ伏した。どうやらこの一発で倒せるくらいの雑魚らしいが、そんなことはどうでもいい。
次いで、わらわらと群がってきた他の犬男が蛇を引きちぎる。ガウガウと喚きながら、まるで仕返しとばかりに動けない蛇を蹂躙した。
「おい、ペットの管理がなってねえぞ!」
緋打石が叫ぶ。申し訳なさそうな執事の声が聞こえてきた。
「スイマセン、命令は出してるんですけどねー!? 平たく言って制御不能ですー! やっぱり安物だからですかねー!?」
「完成度(それだけ)が取り柄だったろうが……! そこまでポンコツにしたら何も残らねえぞお前ってご主人様に伝えとけ!」
緋打石は吐き捨てると、しかし些事と割りきって墓地の中央に向かった。他のメンバーも合流している。自分たちが遅れるわけにはいかない。
犬男達は――蛇の死体を弄ぶことに夢中になっている。アルドラは少し考え、炎の符をそこに投げ込むことにした。
「大人しくしてろ」
ギャウン、という悲鳴と共に、ぐずぐずと頽れる犬男達。後顧の憂いは絶っておきたかった。
アルドラは闇に溶けながら、蒼山霊園の中央――主戦場へと向かう。
●
不意に、蛇男が一歩後じさった。そして鞭を操る手を一旦止める。
「――上等だ。いや、俺も耄碌したもんだね。大したもんだ」
今までの暴漢然としたそれと違い、声はぞっとするほど静かだった。
「何だァ? いきなり気味悪ぃな」
「観念したってことですか? あなたの手駒はどうやら全滅したようですが」
空気が重くなる。黒百合とエイルズレトラは、言いながらも構え直した。
何か、違う。
「――そうだな。これは俺らの慢心が招いた結果だ。『そこまでやれる』とは思ってなかったぜ。何せ、昔の撃退士(おまえら)は弱かったからな。作戦は立てられても机上の空論、それに伴う実力がない――」
「いつの話をしている?」
不意打ち気味に。背後から距離を詰めてきた緋打石が、銀の紋章から火柱を奔らせる。
「随分時代錯誤だな、『爺さん』。その歳でその芸風はどうかと思うが」
アルドラが指を鳴らすと、影が伸びて炎の爆弾を吐き出す。それは逃げ道を潰すように爆ぜ、
鞭がしなる。風を切る音が爆音を切り裂く。
どういう技術か。蛇男は鞭の一振りで、その波状攻撃を躱しきった。
「前言撤回だ、撃退士(ブレイカー)。『千人殺し』として、全力で相手してやるよ」
日本刀のような鋭い殺気を放ちながら、鞭を頭の上に構えて蛇男は見得を切った。
光の弾丸が降り注ぐ。そんなことはどうでもいいと、結唯は容赦なくPDWをフルオートにした。
合わせてケイの弾丸が走り抜ける。腐食の弾丸を容赦なく撃ちきる。本来なら外すわけもない銃弾の雨。
鞭捌き、身体の運び、そして蛇がベースになっているが故の身体の細さ。
面白いまでに当たらない。さながら有名なSF映画の主人公のように、アウル弾の波を泳ぎ切る。
――伊達や酔狂じゃないってこと。
ケイはきちんと相手を見据える。問題ない。当たらないことは織り込み済み。とすれば次は、
「大層な二つ名ねェ! 正直名前負けだけどォ!?」
低姿勢から黒百合の槍が突き出される。一見して愚直な攻撃。そこに武器破壊を狙った鞭の一撃が、
「はいザンネェン!」
槍に備え付けられたスラスターが噴射する。槍の軌道が直角に変化する。その変則攻撃が蛇男の顎を下から、
「それもまた残念だぜェ」
ぐにゃりと腰から上が後ろに倒れる。柔軟と言うには気持ち悪いスウェーで回避された。そしてその一瞬に鞭が黒百合の背後から、
「後出し有利な少年漫画ですかあなたたち!?」
間一髪、滑り込んだエースが黒百合に突撃して事なきを得た。
追突された黒百合は難なく受け身を取り、
――にやり、と笑った。
余談だが。
エイルズレトラのツッコミめいた叫び声に、仄と執事はうんうんと頷いていた。
●
戦場は拮抗する。七対一という状況にも関わらず、有効打が一つも無いという異常事態が一分弱続いた。
その均衡が崩れたのは。
黒百合とファーフナーが槍を突き出す。蛇男が避け、鞭が槍を狙いに来る。
ケイがそれを撃ち落とす。どうしても回避出来ない攻撃に銃撃を合わせ、一斉に波状攻撃を繰り返す。
エイルズレトラとハートが攻撃を誘い、躱し、受け、その隙を狙って結唯、緋打石、アルドラが遠距離攻撃を合わせる。
――歯がゆいが、囲い込む訳にはいかなかった。
『攻撃が当たれば加速する』という執事の情報――黒百合は何度か受け止めているから、おそらくは『有効打』以上が発動条件だろうという推測が立つ。
さらに鞭という武器の『範囲を巻き込める』特性を考慮すれば、固まってしまうと巻き込まれる危険性が出てくる。
つまりそういう戦術の使い手だ。
『大量の敵を纏めて打倒し』『加速度的にパワーアップする』。
この中で『受け』に徹することが出来るのは黒百合だけだ。ファーフナーも装甲は硬いが、対応するスキルを活性化する暇が無い。
あまりにも速く、純粋に強い。
だが。
火柱が駆け抜ける。銃弾が舞う。黒百合の槍が直角に曲がり、その攻撃への対応行動は――
ざん。
「――ッ」
ファーフナーの槍が、確かに蛇男の右腕を掠めた。僅かに浅い、だが最初の手応えらしい手応え。
生物である以上、どんな達人の技にも法則と癖が存在する。まして七対一、大抵の回避行動は出尽くした。パターンの多さには舌を巻く他ないが、『予測する』には十分なサンプルが揃ったのである。
そして、
「――ぐっ!?」
蛇男が呻く。姿勢が崩れる。黒百合が笑う。
「キャハハ♪ 気づくのが遅えーんだよォ!」
右足の動きが微妙に鈍っていたからこそ当てられた。蛇男は愕然と自分の足を見る。そこに傷跡らしい傷跡はない。だが、確かな不調と痛みがそこから発生している。
――弾丸蟲。
先程の攻撃の本命は槍ではない。こちらだ。黒百合の体内に潜む1ミリメートル以下の蟲を、アウルで弾丸の如く撃ち込む隠し球。着弾の際に鎮痛作用をもたらす毒を塗布するので、対象はダメージを受けたことにすら気づかない。
趨勢は決した。
バランスを崩した以上、もう今までのような回避行動は出来ない、させない。
撃退士達はそれぞれの武器を構え、集中砲火を、
「グ、おおおあああァァァ――――ッ!」
蛇男が、吼えた。鞭が唸る。風切り音が何もない虚空を打ち、
「ギァァーッ!?」
「――――え」
怪物の悲鳴。爆ぜる肉。いつの間にか復活していた犬男が愚かにも駆け寄って来て、その鞭の餌食に、
『再行動』が発動する。それはいい。百歩譲ってそれはいい。だが問題は、
「――――グッ!?」
犬男から跳ねた鞭が、確実に回避していたはずのハートを貫いていることだった。ピィと鳴いてハートが落ちる。ダメージは召喚者であるエイルズレトラに跳ね返る。瞬間、臓腑が口から逆流しそうな悪寒が身体を支配した。
「この俺様が、一人も殺(と)れない結末だけはなァ――ッ!」
蛇男は空いてしまったエイルズレトラの警戒網を抜ける。駆けた先には結唯がいる。
構えたPDWには、光の弾丸が装填されている――!
「――――」
「『それ』でテメエは天界側だろうがよ、狙撃手(インフィ)――!」
結唯は回避も防御も不可能と判断した。ならばと迎撃のフルオートをぶっ放す。完全に攻撃動作に入っているため、蛇男はその全てを受け止めた。天魔の差(カオスレート)はお互い様。それでもなお止まらない。
距離が詰まる。鞭が振りかぶられる。南無三、と結唯は独りごちた。
きらりと光るものが投げ入れられた。
アウルの銃弾がそれに当たって弾けた。
そして『中身』が弾丸に押されて、蛇男の顔面にぶちまけられる。
「な――」
暴力的な『臭い』に、蛇男の五感が塗りつぶされる。振るわれた鞭の軌道が狂う。
「ぐ……」
結果として、鞭は結唯の足を薙ぎ払うに留まった。結唯は吹き飛ばされるが、致命傷は避けられた。
「今よ――!」
ケイが叫ぶ。とっさの思いつきで香水を投げ込んだ。蛇は嗅覚に優れた動物、それを模しているなら――予想通り、蛇男は前後不覚に陥った。
「いい加減にくたばれェ!」
アルドラが指を鳴らす。無数の影――そう、ここは影だらけ、が刃となって、蛇男の四肢を引き裂いていく。
「たっぷり味わってねェ、私のロンゴミニアト♪」
今までの鬱憤を晴らすように、黒百合の槍が背中に突き立てられる。
「まあ、なかなか面白かったぞ。千人殺しとやら」
くつくつ笑いながら、緋打石は糸を振るってその右腕をもぎ取った。
ファーフナーが一歩踏み込む。そしてその胸元――心臓を槍で貫くと、さながら百舌の早贄のように持ち上げた。
がは、と蛇男は喀血する。にたり、と最後に笑った気がした。
「いや、何だね……。最後にしちゃ、なかなか面白かっ、」
ケイの放った銃弾が、その頭を吹き飛ばした。
●
「あっはっは……マジ許すまじ蛇……」
あらかた回復が終わると、エイルズレトラは気が抜けたように呟いた。蛇というのはもしかして天敵なのだろうか、と思わなくもない。
「まあでも、アレ完全にもらい事故だったからのう。ほれ、責任はそこの土下座してるヤツに追求するといいぞ」
すっかり元の調子に戻った緋打石が指さす先には、何処に出しても恥ずかしくない見事な土下座を決めた執事(ただし服はボロッボロ)がいた。
ちなみに犬男は『廃棄』という言葉がぴったりな感じで処分された。再生しないように執事が処理した上で破壊すると、まるで土塊のように崩れていった。
「それで、お前の主人はどういうつもりでこんなことを?」
ファーフナーが問い詰めると、執事は上体を起こして苦笑しながら答えた。
「そうですねえ……偏にゲームと言いますか」
「この状況でか? 天界もそんな暇ではあるまいに」
「こんな状況だからこそ、ですよ。うちのお嬢様は遊びたい盛りですからね」
解せない、とファーフナーは肩を竦めた。確か天界は完全な縦社会だ。こんな火遊びが許される風土ではなかったはずだし、それでなくとも現在は天界からの侵攻が激しくなっているのである。そんな余裕のある内情とも思えない。
「それでェ? 遊びーつってホラーゲームなの? でもコレ趣味が完全に悪魔じゃない?」
黒百合の忌憚ない意見に、結唯と仄が同意した。
「……悪魔崩れの天使だな」
「さっさ、と、堕天、すれば、いい、と、思、う」
緋打石は腕を組んでムツカシイ顔をした。
「うむ。作家を気取るつもりなら、最低限文学のなんたるかを叩き込まねばならん。つーか今回はホント酷いぞ。モチーフもクソもないただのB級ゾンビ映画になるところだった」
「わー皆さん容赦ないなー」
あっはっはー、と執事は笑って夜空を仰いだ。そしてふと思い出したように、
「……ところで、ここって定期的にオカルトマニアとか愚連隊とか紛れ込むんですけど……そういや来ませんでしたね? そういうのもタイムリミットにしたいなーとか思ってたんですけど……」
ぬけぬけとそんなことを言った。
ファーフナーは鼻を鳴らした。
「それなら事前に手を打った。ここに通じる道は地元警察が封鎖済みだ」
未唯に手を回してもらった結果だ。そういう可能性もあるだろうと事前に相談した。執事は顔を覆った。
「いーやー。もう駄目じゃないですか。全部潰されてるじゃないですかんもう」
「これ、ホラーゲーム、の、セオリー、だ」
仄の淡々とした指摘に、「勉強します」と執事は呻いた。
澄んだ歌声が霊園を満たす。ケイは霊園をゆっくり歩きながら、鎮魂歌を口ずさんでいた。
――いたずらに騒がしくしてごめんなさい。
墓石の被害は――残念ながら軽微とはいかないようだった。気遣う余裕がなかったとはいえ、きちんと補修してもらわないと故人と遺族に申し訳が立たない。
……ともあれ。恐らくこの墓所にあった怪談の正体は暴かれた。危険はもうない。霊園に潜む悪魔は取り払われた。
願わくば、ゆっくりと眠れますように。
●
――――。
数日後、会議室。
未唯はノートパソコンを立ち上げながら報告書を作っていた。
「地元警察からの連絡があった。霊園の修繕費は学園が受け持つ。それに伴って、訪問者が増えているという話だ」
事件自体は平穏無事に終わった、ということになる。
構造自体は簡単で、シュトラッサーとサーバントが悪魔のテリトリーに侵入した。この悪魔が十年以上前、それこそ『撃退士養成学園』だった時代に猛威を振るった存在だと後に判明したが、それはもはやどうでもいいことである。過去の遺物が一つ取り除かれた、それだけの話だ。
問題は、
緋打石は手を上げた。
「……それで? ヤツの足取りはまだつかめんのか?」
「……ああ。あのシュトラッサーにも心当たりを洗ってもらったが、さっぱりだそうだ」
天使オーガストは、結局あの場に現れなかった。それどころかそれ以降の足取りがぱったり途絶えている。
執事が言っていた時間になっても現れなかったので、ひとまず執事を学園で確保することとなった。未唯曰く、特に害のない模範生だと言う。
「少し気になっているのだけれど」
ケイがぽつりと呟いた。
「最初の事件、前回の事件……どっちもそこそこの規模があったわよね? なのに、今回は霊園にゾンビだけ。妙にスケールダウンしてないかしら?」
村を丸ごと魚人で覆い尽くした『鱒引村』と、郊外を蜘蛛で埋め尽くした『蓮の台』。それに対して今回は――
「予算、の、都合、とか、なんとか、言ってい、た」
仄が補足する。戦闘中、被害を避けるためにひたすら潜行していた。その際に聞き出したことだ。
「はー、大人の事情ですか? 天界もそんなことに縛られるって? つまんない話ですねえ」
あくびを噛み殺すエイルズレトラである。
「まぁ、ガキンチョだって聞いてるし? パパに怒られたとかそんなんじゃなぁい?」
「それはまあ、ありそうな線だな。天界はガチガチの縦社会と聞いているし」
黒百合の軽口にアルドラが頷く。
未唯は「ふむ」と口に指を当てた。
「そうだな。その辺も含めて聞き出してみるか……。ともあれ、今回はお疲れさん。また次も頼むぞ」
微妙に消化不良な感じを抱えながらも、今回の事件はこれにて終幕となった。