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踏み込んだ森の中は異様な有様だった。
一面に張り巡らされた蜘蛛の糸――ただし、足場に出来る程度の太さがある。
ぼこり。
不意に、蜘蛛の糸が盛り上がった。そしてそこから小型の蜘蛛が湧きだしてくる。
「報告書の通りとはいえ、やはり気味が悪いな……」
それを見てアルドラ=ヴァルキリー(
jb7894)は眉を顰めた。
「しっかしまた蜘蛛かよ。流行ってんのかコレ……」
うんざりした顔で向坂 玲治(
ja6214)はぼやく。つい先日も蜘蛛型天魔とやりあったばかりだと言うのに、気が滅入る話だ。
「この手口は、いつぞやの三流小説家かのう? 魚人の次は蜘蛛か……やはり悪趣味だな」
緋打石(
jb5225)は鼻で笑う。
「蓮に蜘蛛、か。今度はお釈迦様にでもなったつもりか?」
「この場合、カンダタは街の人だとでも言いたいのでしょうか。ここは蜘蛛神信仰がありますし」
葛城 巴(
jc1251)は緋打石の言いたいことを理解する。極楽と地獄を繋ぐ糸、それが蜘蛛の糸。本読みの緋打石らしい解釈だった。
「いや、多分」
仄(
jb4785)は何事か言いかけて、止めた。どうせ言っても仕方のないことだ。
「それで。救助班と足止め班に分かれるってことでいいのね?」
ケイ・リヒャルト(
ja0004)は自動拳銃を構えて蜘蛛の巣の先を見据えた。
そこには二メートル超の大蜘蛛と、湧きだした子蜘蛛。
――そして十数名の、蜘蛛の巣に絡め取られた被害者達。見た感じ、まだ全員息があるようだ。
「ああ、救助が最優先だ。その間は俺、ケイ、緋打石で連中を食い止める――打ち合わせ通りに頼むぜ」
玲治の声を合図に、全員が武器を構えた。
もちろん要救助者を放置した場合の結末など考えるまでもない。蜘蛛の巣に絡め取られた獲物の末路は決まっている。それでなくとも、人質は相手にとっての『盾』だ。
「――やっぱり、横糸に粘液が付いています。普通の蜘蛛と同じですね」
巴はさっと足下を確認する。蜘蛛は縦糸を伝って巣を移動する。その性質は天魔といえど変えていないらしい。
「…………」
谷崎結唯(
jb5786)は静かに、鴉のように黒い翼を広げた。
誰も、絡め取られるつもりは毛頭なかった。
●
だんだんだん。容赦のないつるべ打ち。
ケイの放つ光弾によって、まさしく蜘蛛の子が散っていく。そして大蜘蛛への道が開かれる。
「とんだ蜘蛛神様もいたものね」
「連日連日……もう見飽きたっつーの」
ケイと玲治は親玉である大蜘蛛に向かって蜘蛛の巣を駆け上がっていく。二人の役割は『親玉を食い止める』ことだった。
先発隊の報告と状況を鑑みるに、このエネミーは『親玉を止めれば止まる』タイプと見るのが妥当であった。そして小型の蜘蛛にさほどの知性と能力は感じられない。であれば、親玉を警戒するのは当然の流れである。
「おら、こっち見やがれ」
玲治は槍を振り回しながら、相手の意識を集中させるアウルを身に纏う。うごうごと蜘蛛共の身体が玲治を向く。
……ただでさえ不気味な形状なのに、それがスケールアップしているものだからなんともはや。しかし、そんな文句を垂れるほど子供でも乙女でもない。というか、最近ほんと蜘蛛ばっかりなので慣れたというか飽きたというか。
そしてケイは一歩引いたところで、腐食の弾丸をオートマチックに込める。
玲治が引きつけているうちに、堂々とこの一発を――
「――!」
瞬間、身をよじって躱す。べしゃりと蜘蛛の糸が肌を掠めた。――散らしたはずの子蜘蛛が、ケイにしっかりと狙いを定めている。
少なくとも、ちょっとはマシな相手らしい。ケイはクスリと笑った。
「いいわ、相手してアゲル。蜘蛛だからって、蝶に勝てると思わないことよ?」
背中の蝶の羽が、ゴオと揺らめいた。
「そら、地獄まで突っ走れ!」
緋打石の召喚した炎が、さながら戦車のように蜘蛛を轢いていく。同時に蜘蛛の巣も焼けただれ、本来の機能を失っていた。
どうやら縦糸は残っているようだが、肝心の横糸はきちんと消し炭に出来ている。これなら移動に問題はないし、ついでに相手の陣地も削り取れそうだった。
同時に悲鳴。横糸に絡め取られていた人質が落下したのだ。優に二、三メートルの高さがあるから、そりゃあ一般人は落ちたら怖い。
「疚しいことがなければ大丈夫じゃ! なんせこいつは火車じゃからのう!」
緋打石はカラカラと笑うと、落下先を確認して次へ向かう。
「まとめて薙ぎ払ってやろう!」
アルドラもまた、蜘蛛を起点とした花火大会を展開していた。
蜘蛛も、蜘蛛の巣もよく燃える。ちょっと爽快だ。あれだけ広がっていた相手の領域が、ゴリゴリと目減りしていくのである。
人質がぽろぽろと落ちていくのはご愛敬だが、彼らには傷一つない。ご丁寧にも巻き付けられた蜘蛛の糸が、こちらの攻撃を上手く吸い取ってくれるのだ。
アルドラは指を打ち鳴らす。足下の影が伸び上がり、口元に火球を湛える。打ち出された火花は、湧こうとしていた子蜘蛛をゴウゴウと焼き尽くした。
「よ」
仄は落ちてくる人質を受け止めた。このために、あらかじめ巣の下に潜り込んでいたのである。
「……」
ぽふ、ぽふ、ぽふ。次々と落ちてくる人々を受け止めていく。老若男女が空から振ってくる。
うむ、確かにこの状況は、なんというか。
「蜘蛛の、糸?」
仄が想定している『元ネタ』とは違うが、それっぽい状況ではあった。
同様に、結唯もまた落下してくる人質を抱きかかえる。鴉の翼を展開し、転落死という笑えない結果を潰していく。
被害者に巻き付いた蜘蛛の糸は、不思議なことに綺麗に剥がれた。これでお役御免と言わんばかりに、綺麗さっぱり消えていく。
疑問に思いつつ、結唯は次の要救助者を探すために空を見上げた。
――宙に浮いてこちらを観察している二人と目が合った。
「流れ弾」
結唯はそう呟くと、その二人がいる方へPDWの弾を放った。
――どういうことでしょう。
巴は戦況をしっかり観察し、そして疑問を覚えた。
人質の扱いが雑すぎる――いや、そもそも殺意を感じない。そして蜘蛛が奪還に必死にならない。むしろ、まるで救助しやすくするために糸を巻いたようにすら見える。
確かに天使が必要とするのは『感情』で、『命そのもの』ではない。直接的な殺生は悪魔の領分だ。
『恐怖』を支配するための見せしめだろうか。それにしたって、微妙に腑に落ちない。
いや、それは後にしよう。
「包んで、私の青い炎たち……」
巴は炎の塊を呼び起こす。それは蜘蛛の巣を容赦なく蹂躙し、そして最後の人質を開放した。
その時、結唯が妙な方向へ弾を撃った。巴はそちらを見上げた。
「!」
おそらくは、アレが『主』だ。
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「くっそ、面倒くせえ……」
相手の攻撃を受け止めながら、玲治は辟易していた。
神経毒でも持っているのだろう。噛み付かれる度に不快感が襲ってきて、意識が朦朧としてくる。
盾役故に仕方がないとしても、こう何度も噛み付かれるのは不快感が――
「ッ!」
目測を見誤った。毒が蓄積していたのか、うっかり『横糸』を踏みつけた。
「しまっ……」
ダダダンと銃声が三発。同時に、突き出されていた大蜘蛛の尻部分に銃弾が突き刺さる。――明らかに怯んだ。
「ありがとよ!」
「これで糸攻撃は出来ないはずよ。小さいのを狩ってもしょうがないわ、畳みかけましょう」
そう言うとケイは呼吸を整える。腐食の弾丸はありったけ撃ち込んだ。あとは長引くだけ有利になる――。
ぼこり、と玲治の目の前で蜘蛛が湧いた。
「そおら、地獄の業火だ釈迦気取り!」
かと思えば、それを大蜘蛛ごと、緋打石の火車が轢き飛ばす。生まれてすぐの子蜘蛛は、でろでろに溶けていった。
「お待たせしました、救助完了です!」
射程圏に入るや否や、すぐに巴は回復魔法を玲治にかける。――見ればケイも軽傷を負っていた。敵も、どれもこれも玲治のアウルに釣られるばかりではないらしい。
「このくらいなら自分で出来るわ。もう被弾しないから、前線維持をお願い」
巴の視線に気づいてそう言うと、ケイはふわりと後ろに跳んだ。そして呼吸を整え、闇の弾丸を準備する。
射程は計算済み。
ばばばばば。
そして、蜘蛛の真下から銃弾がいくつも突き刺さる。それが足の一本を捕らえたかと思うと、めきりと折れた。
「…………」
結唯は蜘蛛の巣を挟んで裏側に陣取っていた。艶やかな鴉の翼で滞空している。
『腐食している関節なら、あと一押しで壊れる』というケイの意図をきちんと汲み取っていた。
ついでに正真正銘『流れ弾』として、空にいる二人にも弾が飛んでいく。
「よし、決めるぞ!」
一喝。玲治は踏み込んで、槍を大蜘蛛の腹部に突き出す。確かな手応えと共に、大蜘蛛がよろよろと後じさった。
「たまには地べたを這いずり回れよ。悪くないぜ」
玲治は縦糸に手を付けると、影の手を呼び出した。大蜘蛛を絡め取って、その動きを拘束する。
そこに一枚の護符が滑り込む。すぐさま爆発した。
「汚い、花火、だ」
仄は淡々と、しかしどこか茶目っ気を込めてそう独りごちる。
敵の真下に位置取り出来たのは本当に大きかった。上のメンバーが漏らさない限り、一方的な狙い撃ちである。さらには明鏡止水の境地にいる以上、向こう側にはそうそう捕らえきれない。
しかし、これでもまだ息があるようだった。大蜘蛛は不安定ながらも立ち上がり、威嚇するように顎を開いた。
「しつこい」
ケイは活性化した黒の弾丸を叩き込む。容赦のない二連射は、大蜘蛛の頭部と腹部を、
ぼこ、ぼこ。
着弾する直前、子蜘蛛が湧いた。そしてその弾丸を代わりに受け止め、爆ぜた。
「――な」
狙っての防御か、偶然の産物か。どちらでもいい。問題は『今ので冥魔側に傾き』『撃ちきってしまった』ことだ。
どこにそんな力を隠していたのか。蜘蛛が『跳ねた』。影の手を振り切って、まるで蛙のように飛び跳ねた。
「んだとッ!」
玲治のアウルは継続しているにも関わらず、それを無視してケイに向かって飛び込んでいく。
その顎がおぞましくざわめき、ケイは反動で回避行動が遅れ、
「隙だらけだぞ、貴様」
コンマ数秒の間隙。大蜘蛛がケイに辿り着く数メートル前。
そこにアルドラは割り込んだ。
ぱちんと指が打ち鳴らされる。
瞬間、影の獣がその顎で大蜘蛛を捕らえる。
「……いいけど。随分リスキーな技を使ってくれたわね」
もう数歩ズレていたらケイも巻き込まれていた。
「すまん。ギリギリ活性化が間に合ったものでな」
影の獣が魔法陣へと帰っていく。後に残ったのは、ミキサーにかけられたかのごとく、バラバラになった蜘蛛の破片だった。
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すぐに先発隊から『街の蜘蛛が大人しくなった』という連絡が入った。正しくは一斉に動かなくなったのだという。
「もう大丈夫ですよ」
「片付い、た」
巴と仄は、救急セットで人質になっていた人たちの応急手当を行った。戦闘区域外に出したはいいが、街にも子蜘蛛がいたので戻れなかったのである。
それにしても街は随分と汚くなってしまった。湧き出た子蜘蛛の糸や体液の処理が大変そうである。
「悪趣味だな」
アルドラは鼻を鳴らした。
「じゃろ? 三流の仕事じゃ」
緋打石はうんうんと頷く。
「……何かしらね。天使らしくない事件というか、歪な感じがするわ」
ケイは思案する。この蜘蛛は、野良サーバントと呼ぶには性能も知能もありすぎた。だとすれば主たる天使がいるはずだが、それにしても『感情を集める』天使の目的にはそぐわない。恐怖を集めるにしても、ゲートも開かずいたずらにかき回しただけだ。言うなれば、ただの浪費でしかない。
「ったく、どうもキナくせえな。何考えてるんだか」
玲治はごきごきと首を鳴らした。しばらく蜘蛛は見たくもない。
「……聞いてみるか?」
不意に結唯が口を開いた。
そして空に向かって発砲した。
「――あ」
そこで全員が気づいた。
空に浮いてこちらを見下ろす少女の姿に。
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すう、と少女は空から降りてきて、木の上に降り立った。その隣にはスーツ姿の男性を従えている。
――以前、魚人の事件で見た『執事』である。
「いやあ、お見事。今回も無事にハッピーエンドで何よりです、皆様方」
執事は芝居がかった仕草でそう言った。対照的に、少女はむすりと口を開かない。
「今回のゲームは如何でしたか?……ほらお嬢様、そんなむくれてないで、『ゲームマスター』としてこう、あるでしょう色々と」
「うるさい」
「『ゲームマスター』……? なに、お遊びだったとでも言いたいの?」
ケイは銃口を二人に向ける。まだ大丈夫、まだいける。
「火遊びなら余所でやれ。あいにくこちとらそんな暇じゃねえんだ。つか、そっちだってそうじゃねえのか?」
玲治は一歩踏み出す。巴のお陰で体力は全快している。まだまだ余裕は残しているのだ。
「うるさいな」
お嬢様と呼ばれた少女は、上品なゴシックドレスに身を纏いながら、しかしむくれたようにそう吐き捨てた。
「……相変わらず良い趣味をしているな」
結唯は呟くように言う。一瞬、それに少女が反応したように見えた。
「早く悪魔になったらどうだ」
少女の動きが固まった。
「そうだな、この芸風は悪魔向きだ。実際、ディアボロだったらもっと悲惨なことになっていただろうな」
悪魔として、アルドラの言葉には説得力があった。このやり方は悪魔向きだ。もしそうだったなら、今頃街は血の海である。
「……貴方は、何を考えているのですか」
巴は真摯な瞳で少女を見据える。
「別に。なんだっていいでしょ」
少女は、まるで子供が拗ねるような口調でそう言った。
「まあ、今回はいくらかマシじゃがな」
緋打石は口の端を吊り上げる。
「丸パクリからは成長したぞ? 地名と地元宗教に絡めて、しかも芥川をモチーフにするとはな。なかなか洒落が効いておったよ。その点だけは褒めてやってもいい」
読書家らしい皮肉を混ぜて、緋打石はマシンガンを構え、
「え?」
少女は、素っ頓狂な声を上げた。
「え、何それ。違うわよ? 蓮と書いて『レン』って読むから……」
「は?」
緋打石は愕然とした。
「……まさか、芥川を知らんのか?」
「やっぱ、り」
仄はぽつりと呟いた。
『同好』としてなんとなく気づいてはいた。そして『そこまで考えてなかった』ろうことは。
「お嬢様。ここは嘘でもそうだったと言うべきところですよ」
執事が耳打ちするももう遅い。
「う、うるせーッ!」
少女はかあっと顔を赤らめると、逃げるように飛び去った。
飛び去ったのである。
しかも執事もそれを追った。
「…………」
なんとも言えない沈黙が訪れる。
「ゲーム……享楽主義ということなの?」
ケイは呟いた。
「つまり遊びたい盛りのガキということかの」
緋打石は肩を竦めた。
余談。
「かっこよく名乗りを上げるはずが……」
天使オーガストは、そう悶えていたらしい。