年が明けた。
西暦は高らかに、若しくは粛々と、2016年を刻み始めた。
朝の空は蒼く蒼く冷たく、しかしこの上なく澄んで、陽の光が彼方まで伸びている。
北からの風が吹き、天の高い所で、白い雲が一条、彼方へと流れてゆく。
白雲は蒼天をゆき、人々は大地をゆく。
かつて破壊から甦った街を歩く彼等は丘の上にある社を目指していた。
年の初めに神へと祈願しにゆく人々の流れである。
初詣だ。
一方、そんな流れの中、駅前の電柱の陰、灰色コンクリートの後ろに身を隠し、広場の様子を窺っている童女が一人いた。
普段は表情の変化にとぼしいのだが、しかし今は驚きの為に赤眼が微かに見開かれている。
雫(
ja1894)は呟いた。
「……会長ってあんな性格でしたっけ?」
何か、見てはいけないものを見てしまったのだろうか、ちょっとドキドキ、である。
「は……いけない、バイト遅れちゃいますね」
巫女バイトに扮する予定の雫は脇道に入るとたったかと走って神社へと急いだのだった。
●
天使の如き金糸の色の髪だ。
肌はきめ細かく滑らかな白。白いうなじの上、長い金髪が後頭部で結い上げられて揺れている。
薄桃の布地に華やかな柄が入った初々しい振袖に袖を通した少女は、少し気恥ずかしげに、不安気に、青年を――不知火 蒼一(
jb8544)を――見つめていた。
「……その、父さんがどうしてもって用意してくれて……どう、かしら? おかしくない?」
微かにいつもと調子の違う甘い声、縷々川 ノエル(
jb8666)である。
私服のジャケットとボトムスに身を包みマフラーを巻いた姿の蒼一は、口をあんぐりと開けてノエルを見ていた。
「や、やっぱり、変かしら……?」
駅前での待ち合わせ、少女はしっかり振袖を着付け、髪も結い上げて青年の前に姿を現していた。
「……いや、良く似合ってる。すげえ奇麗だ」
はっと我に帰った蒼一は恋人へと称賛を送った。
「そ、そう? ……有難う」
ノエルは微笑した。
蒼一はいそいそとスマホを取り出し、言う。
「な! 写真撮っておこうぜ、こんなの滅多に着る機会ないしさ」
「待って」
「ん?」
「その……写真を撮るなら一緒に……ね?」
かくて早朝、駅前広場の像の前で、蒼一は片腕を伸ばしてノエルを抱き寄せつつ、もう片方の腕を伸ばしてスマホを操作し、カメラを内向きにすると、枠内に自分と彼女を入れてツーショットを撮影した。
季節は迎春。
春である。
冬風の冷たさも今は互いの体温を確認させる為の補助装置に過ぎなかった。
「新年だわっしょーいわっしょーい☆」
駅舎から出て来た鳳 蒼姫(
ja3762)は蒼を基調とした着物姿で上機嫌だった。
「蒼姫、足元に注意してな」
隣をゆく妻の手を取り声をかけたのはお馴染みの白の羽織に薄紫の袴姿の鳳 静矢(
ja3856)だ。
「はい、静矢さん」
夫に手を引かれて着物姿の若妻が朝日の中を歩いてゆく。
また、
「今年の初詣は拓海と一緒♪」
柔らかいピンク色の可愛らしい振袖に身を包んだ黒瞳の少女が弾んだ調子で通りを歩きながら言っている。黒髪に百合の花をあしらった髪飾りが映えていた。天宮 葉月(
jb7258)である。
「随分と機嫌が良いな」
と恋人の様子に微笑して黒羽 拓海(
jb7256)。
「だってー………去年は実家のお手伝いだったからね」
昨年の記憶を思い起こし、はぁ、と嘆息して葉月。
「でも今年は違うっ」
にこっと笑って振袖少女。
「まあ今年のもお仕事だけど、拓海も一緒だしっ。振袖着て、何事も無ければ普通に楽しんでていい訳でしょ?」
「ああ、何事もなければな」
拓海は頷く。
「特に問題となるような事は何も起こらないと良いんだが……」
「ほんとだよね〜……」
こんな時こそ神頼みかしらんと神社の方角を見やり、葉月は思うのであった。
●
参拝客側の集合場所となっているレストランは、既に久遠ヶ原学園の学生達で溢れていた。貸し切りになっているようで一般客の姿は見当たらない。本来なら定休日なのだろう、この店も。
(新年早々から仕事か)
艶やかな黒髪を背中に流す長身の麗人は、脱いだコートを片手に店内を歩きながら人の波を眺め、いつもの凛とした面差しのまま、胸中で呟いた。天風 静流(
ja0373)である。
こんな時くらい休めばいいのに、と家族からは言われたが、まぁ仕事だ。
店内の暖房は適温――よりやや暖かめに効いていた。クラシックの穏やかな曲がBGMに流れている。
「静流さん」
鈴を転がしたようなソプラノの声が聞こえた。
見やると、鮮やかな赤の振袖に身を包んだ黒髪の娘が、席から立ち上がって片手を振っていた。
「ああ――会長か、あけましておめとう」
今日の神楽坂茜は清楚な白いカチューシャと、白銀と黒水晶で白詰草と黒百合があしらわれた髪飾りをつけて、濡れ羽色の髪を頭の後ろで結い上げポニーテールにしていた。
唇に紅が塗られている。薄くだが化粧をしているようだ。
煌く指輪やネックレスもつけて着飾っている。
「静流さんも、明けましておめでとうございます」
赤い振袖姿の娘は微笑して静流のもとへとやってくるとお辞儀した。
「神楽坂さん、天風さん!」
弾んだ声に振り向くと、夜に輝く松明の火のように赫い髪を後頭部で結い上げてポニーテールにした少女がやってきた。陽波 飛鳥(
ja3599)だ。色鮮やかな振袖に身を包み、マフラーを巻きもこもことした手袋をはめている。
「明けましておめでとうございますっ」
飛鳥が笑顔で挨拶をした。傍らには赤いコートに身を包んだ黒髪黒瞳の青年がついていて、会釈した。弟の陽波 透次(
ja0280)だ。
「明けましておめでとうございます。いつも姉さんと仲良くして下さりありがとうございます……」
「明けましておめでとうございます。こちらこそ仲良くしていただいて感謝なのですよ」
「陽波くん達も明けましておめでとう。今年もよろしく」
と茜と静流。一同は年明けの挨拶をかわす。
飛鳥は前から見たいと思っていた振袖姿の小柄な黒髪娘の姿に、
「神楽坂さん可愛い! 素敵だわ! は、ハグりたい……」
と感激していた。
「有難うございますっ。飛鳥さんこそ素敵です、相変わらず天使です。ハグります?」
茜は、飛鳥を眩しそうに見て柔らかく微笑し、誘うように両手広げた。
え? いいの? 良いですよー、えいっ、なんて言葉を交わしつつ着崩れしない程度に娘達がきゃっきゃと抱擁をかわしあっている。
その光景を見やって、解せぬ、と天風静流が胸中で呟いたかどうかは定かではないが、
(私がスキンシップすると会長は固まる)
という事実が経験として静流の中には蓄積されている。
しかし、ファティナ相手なら恥ずかしがる程度だし、飛鳥に対してはかようの如く、恥ずかしがってる素振りすらなく笑顔である。だが静流がやると固まるのだ。
(別に取って食う訳でも無いのに)
なにゆえ? と麗人としては思う所である。だいたい雰囲気とか仕草とか言葉回しのせいじゃなかろうか。
「しーずるっさんー!」
そんな事を静流がつらつらと考えてると茜が抱きついてきた。
「……会長からは珍しいね」
「ぼーっとしてるようでらっしゃったのでなんとなく流れで」
「では流れるように頭を撫でてあげよう」
「はうっ」
「神楽坂さん今日はポニテ? お揃いね」
ふふと笑って飛鳥。飛鳥的にはお揃いなのが嬉しい。
「晴れ着なのでちょっと結ってみました。お揃いですね」
茜もまた嬉しそうに笑って、結い上げられた濡羽色の髪をゆらんと揺らして見せた。ポニテ二人である。
そんなこんなを話しつつ適当な席につき、
「そういえば、ファティナさんは? 姿が見当たらないけれど……」
と飛鳥が周囲をきょろきょろと見回して問いかけた。
それに静流答えて曰く、
「ティナなら、バイト側で参加するそうだよ。もう境内に入ってるんじゃないかな」
「あら、そうなの……」
ファティナの晴れ着姿も見れるかと期待していた飛鳥なので、ちょっと残念である。
「巫女をやるそうだから、御神籤を引きにいけば会えると思うよ」
「わあ、それも奇麗そうね」
巫女服姿もレアかもしれないと飛鳥は気持ちを持ち直す。
「久遠さんもバイト側なのかしら?」
「仁刀さんはお面屋さんの屋台をされるそうですよ」
ストローでグラスのジュースを飲みつつ茜。
「屋台……捻りハチマキとか巻いてるのかしら」
「どうでしょう」
似合わなくはなさそうだが、何かイメージと違う。
女子陣がそんな噂話をしている最中、その神社の境内で屋台の交代準備に入った赤髪の青年久遠 仁刀(
ja2464)は、盛大にくしゃみをしていた。
「どうしたアンチャン風邪かーっ?!」
スキンヘッドのイカツイ兄さんがダンボールの包装をビリリと手際よく剥がしながら問いかける。
「いや、ちょっと埃を吸い込んだだけだ」
と答えて仁刀。
「そうか、じゃ、こいつを表に並べといててくんな! 俺は流鏑馬の方行って来るから、ここ頼んだぜ!」
「解った。任せてくれ」
仁刀は犬猫狐などの伝統的な動物の面の他、昆虫型特撮ヒーローの面、猫型青狸ロボットの面、魔法少女の面、銀色の三分宇宙人の面などなどの多彩なキャラ面を屋台の棚に並べて行く。素材はプラスチックが多いが和紙の張子細工や木彫りもある。
なお、
”警備のカムフラージュとはいえやる以上は全力だ”
と仁刀は最近のお子様のトレンドを猛勉強してきていた。
”売り込みをするのに何の知識もないのではおかしいからな!”
という訳である。気合入ってる。
そして当然のごとく特撮ヒーロー方面に強くなっていた。まごうことなき男の子気質である。最新のラ○ダーって今何代目なの? とか、全部で何人いるの? とかも完璧だ。
ラ○ダーって一体何人いるんだ……としばし一覧見て呆然とする人数(現在確認資料だと154人)だが、勉強したのである。
一方、
「神楽坂会長、あけましておめでとうございます」
再びレストラン内、まずは会長に挨拶を、と考えていた黒髪ロングの太眉娘、六道 鈴音(
ja4192)は、神楽坂茜の姿を見つけると新年の挨拶に赴いていた。
「大学部三年の六道です。よろしくお願いします」
「ああ、これはご丁寧に、有難うございます」
会長な黒髪娘は席から立ち上がると鈴音にお辞儀し微笑して言った。
「あけましておめでとうございます。大学部二年の神楽坂茜です。こちらこそよろしくお願いいたしますね」
鈴音と茜が挨拶をかわしていると、
「お、会長、どうも」
龍崎海(
ja0565)もやってきて挨拶する。
「あけましておめでとう。今年もよろしくお願いします」
「龍崎さんも、あけましておめでとうございます。こちらこそ、今年もよろしくお願いいたしますね」
一礼を返してにこっと微笑する黒髪娘。
そんな中、
「あけましておめでとう茜。今日は凄く、なんていうか、キラッキラッしてるわね」
ナナシ(
jb3008)が目を丸くして言った。本日の黒髪娘は着飾っており、詳細を述べるならば頭部のカチューシャと髪飾りの他、首からスノー・クォーツの指輪に銀鎖が通されて作られたネックレスと円盾形のパイライト・ネックレスとを二重に下げ、両手の指にはクロスデザインのルビーのプラチナリング――交差部分にポインセチアの花を模した意匠が施され花の中央に真紅のルビーが一粒輝いている――に加えて、一級の職人が手掛けたのであろう煌く指輪を二つに、さらに薔薇形石の指輪や紅葉の模様が彫り込まれた茜色の指輪、洒落た意匠のリングの計七つを嵌めて、手首には腕時計をつけていた。ナナシにとって幾つか見覚えがあるものもある。
「ナナちゃんあけましておめでとうございます。ふふふ、皆様からの労わりや願いや愛やその他色々な想いが籠められたとっても大事な私の宝物です。有難うございます。過去最高の重装備です」
茜は片目を瞑ると胸の前でしゃきーんとどこぞの元首相の孫であるロッカーの如く腕を交差させて答えた。
「ナナちゃんは今日も可愛いですね。振袖、よくお似合いです」
その言葉にナナシは腕を動かして袖を広げて見せると微笑した。
「そう? 有難う」
「振袖、桜柄でお揃いですね」
「あら、ほんとね」
本日はナナシ、薄紫を基調とした振袖姿で、桜の模様が大きく入っている。赤に桜模様の振袖の茜と並ぶとなかなか対照的だ。
そのようにレストランに集合した参拝客側の学園生達は、新年の挨拶を知己や初対面の相手と各々かわし、やがて全員が揃い時間になると狩衣に身を包んだ神主らしき老人がレストランの中へと入ってきた。
「あけましておめでとうございます。本日は私どもの依頼を引き受けてくださり大変感謝いたしております」
柔和そうな神主は学園生達にそう挨拶して、改めて依頼内容・仕事内容の簡単な確認、通達を行なった。
(覆面警備だとヒリュウは連れて歩けないなぁ)
と鈴音は神主からの言葉を聞きつつ、つらつらと思い、
「しっかり覆面するぅ」
覆面警護にかこつけて遊び倒す! と決意に燃えているのは外見年齢六歳程度に見える天使の幼女、白野 小梅(
jb4012)である。
「覆面? お面を被ればいいの?」
と同じく六歳程度に見える男の子が小首を傾げている。エンジェルハーフの童子、黄昏空(
jc1821)だ。
空は覆面の意味がよくわかっていなかった。
「空ちゃん、覆面警備の意味知らないのー?」
小梅――見た目年齢が近い為か相席になった――が童子の呟きを聞きとがめて問いかける。
「うん、知らないんだ。小梅ちゃんは知ってるの?」
「うん! あのねぇ、たまにTVでやってるスーパーの万引き取り締まってるオバチャンとかあんな感じだよぉ」
「ボクらスーパーのおばちゃんなの?」
小首傾げて空。
年少組の会話がなんだか明後日の方向へ流れていきそうになっている所で、相席している中年の男、狩野 峰雪(
ja0345)が口を挟んだ。
「ああ、それも間違いじゃないんだけどね、覆面警備というのは――」
と、峰雪は柔らかい微笑を浮かべつつ空に意味を伝えてゆく。
(覆面警備任務ね。やはり需要はあるんだな、こういうの)
と峰雪達に隣接するテーブルに座る拓海は胸中で呟いていた。
(それにしても、新年早々に会長自ら出撃とは頭が下がる)
膝の上に手を置いて背を伸ばして座り、神主の話を傾聴している振袖娘をちらりと一瞥しつつ、拓海はそんな事も思う。
「――そんな訳で、せっかくのお正月だし、何事もなく楽しい新年を過ごせるといいね」
子供達に説明している峰雪の声が隣から流れてくる。
「トラウマや恐怖は、簡単には消えないけれど、せめてお正月ぐらいは……っていう神主さんの気持ちに応えたい」
(そうだな……何も無い事を祈ろう)
拓海は珈琲のカップをソーサーに置きつつ、隣で神主の話に耳を傾けている恋人をちらりと見る。
(――そうすれば葉月と初詣を楽しめるからな)
そう、思ったのだった。
●
神主からの挨拶を聞き終えた後、飛鳥は友人達と一緒に参拝したかったので、その旨を伝えるとそれじゃあ皆で一緒にいこうかという事になり、警備時間帯の中頃に皆で時間を合わせて行こう、という事になった。
「うぅ、外は寒いわね……」
相談を終えて後、暖房が効いていたレストランから外に出た飛鳥は通りを吹き荒ぶ寒風に身を震わせた。
「……姉さん、やっぱりこれ、羽織っておきなよ」
透次は言って、赤のコートを飛鳥の肩にかけた。それに飛鳥はどきっとする。
(ぐぬ、何故サラっとこういう……)
という飛鳥の思いに気付いているのかいないのか、
「振袖姿は可愛いけど……風邪引かれるのも困る」
黒髪の青年は淡々と述べて、自身はヒヒイロカネから予備のコートを取り出して袖通した。
「そ、そう。ならしょうがないから着ておいてあげるわよ」
心臓を弾ませている飛鳥はそんな事を言い放って足早に道を急ぐ。
一同は朝の街を歩き、神社へと向かった。
「――随分と高い場所にあるんだな」
龍崎海は古びた石畳の階段を登りながら仰ぎ見た。
丘上に建てられているその神社は、住宅地よりもかなり高い位置にあり、石の階段が数多くつらなっていた。
学園生達が人の波と共に石の階段を登りきると、赤く塗られた巨大な鳥居が眼前に現れた。
「いやぁ、流鏑馬があるとか、かなり立派な神社だと思っていたけれど、これは凄いね」
境内の様子が見えたところで、峰雪が感嘆の声をあげた。人出も凄そうだ、と予想していたが、その予想の通り、境内は大勢の人で溢れていた。
(お年寄りとか、気分の悪くなる人も出てくるかもしれないね)
ふむ、と考え込んだ峰雪は自分はそのあたりの手当を中心に動こうか、と判断する。
「流鏑馬か。ジャパニーズ伝統カルチャーだな」
キランとサングラスを輝かせて呟くのは、金髪長身の壮年の男ミハイル・エッカート(
jb0544)だ。来日して数年、日本語には不自由しない程度には馴染んだが、日本文化に対してはまだ未知な領域があり興味深い。
今、目の前で行なわれている、鳥居をくぐる時に頭を下げてゆく風習も海の外の人間の目から見れば、なかなか奇異なものであった。異郷の風習を見よう見真似でなぞってミハイルも一礼し鳥居をくぐってゆく。
一同は鳥居を軽く一礼しながら潜って境内へと入る。
黒井 明斗(
jb0525)――本日は茶色のダッフルコートに紺のスキニーパンツという地味だが、流行のコーデを取り入れたファッションに身を包んでいる――は、まず手水舎へと向かった。
竹管が巡らされ、切断された口より透き通った水がとめどなく流れている。柄杓が沢山、並べられているのが目についた。
水が流れ落ちる先には磨かれた石作りの長大な水盤があり、水をなみなみと満たし溢れさせていた。水盤の周囲は低く石で囲まれていて、零れ落ちた水は一定の方向に向かって流れている。
明斗は一礼すると、柄杓の一つを右手に持ち、水盤から水をすくい左手にかけて洗った。
次に、左手に柄杓を持ちかえると右手にかけて洗い、右手に柄杓をまた持ち替える。
さらに今度は左手で窪みを作って、そこへ柄杓から水を注ぎ、屈んで口を左手に寄せて水を口に含むと漱ぐ。漱ぎ終えると水盤の外の排水の流れの上へと吐き出した。
再度左手に水をかけて洗い、柄杓で水を汲む。そして水盤の外で柄杓を垂直に立てて水を流して柄を洗うと、柄杓を元の位置に戻して立てかけた。
清めを終えた明斗がハンカチで口と手を拭きつつ、ふと隣を見ると、唇に紅を塗った女が左手に口つけて漱ごうとしていた。
神楽坂茜だ。彼女も結構、こういった作法はしっかりやる方らしい。
眺めていると一連の清めを終えてハンカチで口元を拭いている茜と目が合った。茜はにこっと微笑した。
明斗は微笑を返して会釈すると、参道に戻り拝殿へと向かった。その際にもルート上で不自然な動きをする者がいないかチェックしておく。
「左手から清めるんだったか?」
柄杓を手に取り黒髪の青年が首を傾げている。黒羽拓海だ。
「そうだよー」
薄桃色の振袖姿の黒髪ポニテ娘な恋人が、同じく柄杓を右手に楽しげに笑いつつ頷く。天宮葉月だ。艶やかな石造りの水盤に柄杓を入れて水を汲むと左手へとかける。冷たい。が、なんだか清浄化されるような気がした。
拓海と葉月の二人もまた揃って手水舎で作法に則り清めを行なった。
その後、拝殿へと向かう人の流れに乗って参道を歩く。
道には冬服に身を包んだ多くの人が溢れ、和装に着飾っている者も多い。
道の左右には綿飴や焼き蕎麦、風船、射的にお面売りなど様々な屋台が立ち並んで活気に満ちていた。
「ほら、手」
「うん」
拓海は葉月に手を差し出し、葉月はその手を取って握った。雑踏に逸れないように。
(……一人にしたらちょっかい掛けられそうだし)
葉月は美人でスタイルが良い。彼氏たる青年は、彼女に変な虫が寄ってこないように目を光らせる。杞憂で済めば良いが、今の時代なかなか、不埒な者も多いものだ。
ナイトが目を光らせているおかげか、葉月は特にやんちゃな若者達や酔っ払い達に絡まれる事もなく、無事に拝殿まで辿り着いた。
桃色の振袖姿の少女は軽く会釈し鎮座する賽銭箱へ賽銭を入れると、下がっている綱へと手を伸ばし左右に振って鈴を鳴らした。カラカラと鈴が鳴る。
二回お辞儀し、拍手を二回打って後、祈願する。
(大事な人達が元気で居られますように。あと、拓海が無茶しませんように)
そして最後にまたお辞儀した。
拓海も同じく作法通りに参拝している。こちらは、
(大切なものを護り抜けるように)
と願った。いつも通りだ。
「今年も大きな病気もなく,カイと楽しく過ごせます様に……」
川澄文歌(
jb7507)もまた賽銭を入れ、鈴を鳴らし二礼二拍手一礼で祈願していた。長く艶やかな紫がかった黒髪を持つアイドル少女だ。本日はミスティローズ色の振袖に身を包んでいる。ミスティローズ色というのはイメージとしては明るい桜色というのが大体近いだろうか。
その文歌の恋人たる水無瀬 快晴(
jb0745)は、
「……今年も生き抜けますように」
と祈願していた。こちらは黒を基調とした普段着姿である。
また、参道を歩くノエルは隣を歩く蒼一に抱きついて腕を絡めていた。
蒼一が視線を向けると、
「……寒いの」
とノエルは頬に朱色を差しつつ蒼一の腕をぎゅっと胸に抱いて呟いた。
「あぁ……冬だからな。仕方ないな」
と蒼一は腕を貸したまま前方へと視線をやってぶっきらに呟いた。
春全開な二人は拝殿の前まで辿り着くと、賽銭を入れ共に綱を持って鈴を鳴らし例に拠って二礼二拍手し祈願する。
(今年もお互い大きな怪我等なく過ごせますように……)
(……来年も一緒にいられますように。そしてもっと、仲を深められますように)
二人揃って一礼。
「……何願った?」
「ふふ、内緒」
ノエルは微笑して、そのように蒼一の問いに答えた。
明斗も賽銭を入れ鈴を鳴らし二礼二拍手で祈願し、一礼した。
参拝を終え拝殿から横に逸れると、そこでは巫女達が御神籤や御守り等を売っていた。
「ようこそお参り下さいました」
銀色の髪を頭の後ろで結い上げている赤眼の娘が一礼して言った。年の頃は十七、八に見えるだろうか、闇夜に浮かぶ銀月光の如き白肌を白い小袖と緋袴の巫女装束に包んでいる。
どこか神秘的な面差しの西洋人の娘、ドイツ貴族アイゼンブルク家が三兄妹の末子、ファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)である。
「――お守りはこちらで、御神籤はあちらでお授けいたします」
本日巫女バイト中のお姉様は、接客慣れしているのか堂々たる案内であった。
一方、
「うむ……縁結びのお守りは……ごひゃ……いや千円の、お納めだ」
十四歳程度に見える、銀髪の金眼赤眼《ヘテロクロミア》の巫女はあまり接客が得意でないらしく、たどたどしく参拝客達に御守りを売っている。鬼無里 鴉鳥(
ja7179)である。
「御神籤ですか? そちらでしたら一回、百円になります」
黒髪にブラウンの瞳の若い娘が珍しく敬語を使って喋っている。白と緋色の巫女装束に身を包んで御神籤を売っている大炊御門 菫(
ja0436)だ。敬語は慣れないが責任感はあるので真面目にやっている。
「よいしょっと、これ何処に置けば良いでしょう?」
やはり白い小袖と緋袴の巫女装束に身を包んでいる十二歳程度に見える少女が、小箱を運びながら問いかけた。
茶色の髪に金色の瞳、マリー・ゴールド(
jc1045)だ。巫女さんやってみたかったです、と語る彼女はのんびり動作ながらもはりきっている。
「ああ、こっちに貸してくれ。ご苦労さん」
北欧系の雪のように白い肌の金髪ロングに碧眼の少女がマリーから小箱を受け取った。ラファル A ユーティライネン(
jb4620)である。ぱかりと蓋を開くと中からは御守りが出て来た。ラファルは場に陳列している御守りを補充してゆく。
「少し売りに出てきますね」
巫女装束姿の雫が、太い紐をたすきにかけ、移動販売用の箱を抱えつつ言った。御守りや御神籤を売り歩きながら迷子やスリが居ないかを探索しつつ覆面警備にあたるつもりであった。
「お疲れ様です。気をつけてくださいねー」
ティナら巫女仲間に見送られ雫は出発する。
「賑わってるな」
「凄い人出」
多くの人が押し寄せてごった返している売り場へと、快晴が文歌と共にやってきた。
並んでやがて最前列に出た青年は巫女菫に「それじゃ一回」と箱から御神籤を引く。
結果は――
・基礎運
末吉。時は激流、身を任せながらも『機』を読むべし。チャンスは己が目と手で掴みとるのだ。己が為、他が為、その選択を俯瞰するが吉。俺に良し、お前に良し、世間に良し、三方良し、さすれば道は開かれん。
・恋愛運
今年の貴方の恋愛運は大吉。積極的になってなんらノープロブレム。運命の女神はお前に微笑んでいるぞ! グッドラック!
・勝負運
今年の貴方の鉄火場でのラッキーカラーは〜
このあと他にも項目があったが、概ねこんな調子である。この神社ではなかなかはっちゃけた人物が御神籤を作っているようだ。
(……この御神籤は信用できるのか?)
思わず半眼になる快晴である。
あたるも八卦、あたらぬも八卦。
「カイ、結果良くなかったの?」
青年の様子を見やって文歌が問いかける。
「……いや……結果自体は……そこそこ良い方なのかも」
と御神籤を文歌に見せてみる。
「……これはまた、ざっくばらんだね」
ははと書かれていた文面に苦笑して紫髪娘。
快晴はその後、厄除けの御守りを二つ巫女鴉鳥から購入した。
「はい、どうぞ」
うち一個を文歌へと渡す。
「有難うカイ」
揃いの御守りを受け取ると文歌はにこっと笑ったのだった。
●
鉄板に少し黄色がかった白色の液体が注がれ、音を立てながら白い煙が吹き上がった。
店主の腕が翻り、T字のトンボが時計回りにくるくるっと軽快に回る。
手早くT字トンボが回る度に、鉄板上に広がるキツネ色は、その円形の領域を瞬く間に広げてゆく。
まるで魔法の技のようだ。
生地が十分に伸ばされると店主はパレットナイフを金属音を響かせながら取り出し、鉄板とキツネ色の生地の間に差し込んだ。
円形生地が皺にならぬよう、破れぬよう、熟練の業で手早く引っくり返してゆく。
次にカラフルな絞り袋が登場した。
注ぎ口からたっぷりと黄色がかったカスタードクリームが生地の上にかけられてゆく。
その上に手頃なサイズにカットされたバナナがトッピングされ、今度はさらに純白の生クリームがかけられた。そこへさらに、赤く鮮やかなカットされたイチゴが加えられると、店主は素早く、しかし丁寧に三角形に生地を折りたたんで、クリームと果実を生地で包み込んでゆく。
店主は、三角形の紙の容器を取り出すと、すぽっとその中にクレープを入れ、てっぺんにさらに二種のクリームを注ぎ、カットされた果実を乗せて、差し出してきた。
「ヘイィィィィィ、お待たせお嬢ちゃんっ!!」
「わあ、早いのです!」
紫瞳を輝かせてちっちゃな手を伸ばし、六歳程度に見える長い黒髪の幼女がクレープを受け取った。
紫の矢絣の着物に薄葡萄色の女袴、大正浪漫な服装に身を包んだ童女、深森 木葉(
jb1711)である。
木葉は小さな口を目一杯に大きく開くとがぶりとクレープに齧りついた。
ふわっふわの暖かい生地に、とろけるように甘く柔らかい二種類のクリーム、そしてほど良い冷たさと甘さの果実達が特有のハーモニーを醸しだしている。
甘い。ふわふわと甘い。
木葉は幸せな気分になりながら、もぐもぐと咀嚼するとごくりと飲み込んで言った。
「とっても美味しいのです〜」
ほうっと溜息が洩れる。
「はっはっは! そいつぁ良かった!」
タオルを頭に巻いた大柄な店主は豪快に笑った。
「店主さん結構なお手前ですね」
「お嬢ちゃんちっちゃいのに口が達者だなぁ。有難うよ、毎度あり。気をつけていきなよ!」
「はいです。お世話様でした〜」
木葉は微笑してぶんぶんと手を振ってクレープ屋を後にすると、クレープを食べながら道を歩く。
「あ! あれはタコ焼きですね!」
てってけ木葉が駆けてゆくと、先に集合場所だったレストランでも見た顔、六道鈴音がタコ焼きのパックを手にして屋台の前に立っていた。
「あれ、深森さんもタコ焼き?」
鈴音が小首を傾げて問いかける。
「はい!」
「こういう時の焼きそばとかお好み焼きとかたこ焼きとか、おいしいよねぇ」
タコ焼を口に運びもぐもぐと口を動かして鈴音。出来立てほくほくのタコ焼きは、外の皮はパリッと焼かれ、中はとろとろ、かつお節しとネギそして独特のタレが効いていて、ジューシューだった。
「ですよねぇ。それ、ネギだこですか?」
鈴音を見上げて問いかけ木葉。
「うん。なかなかいけるよ」
「う〜……”ネギだこ”か”テリたま”か迷いますね」
「そっちテリたま頼んで半分こしてみる?」
「良いんですか?」
「良いよー、私もテリたま食べてみたいし」
そんな訳で、木葉はテリたまタコ焼きを注文し鈴音と分け合いっ子して食べる事にした。なおテリたまは濃厚な味わいがねぎダコとは一味違って美味である。
他方、
「……これは朝飯かな」
昼まではまだ時間がある。海はヤキソバが入った広島風お好み焼きが載ったパック片手に割り箸を咥えると口と片手を使ってパキンと二つに割った。
たっぷりとマヨネーズとソースとかつぶしのかかった出来立てホクホクのそれを割り箸を使って口に運び、もぐもぐと咀嚼してゆく。
「うん、ここの屋台は、なかなか腕が良いな」
しっかりと火が通り生地と具、ソースらのバランスが絶妙だった。ソースが濃過ぎるといった事も無く、それぞれの旨みを引き立てている。ベテランがやっているのだろう。
「ごちそうさまでした」
あっというまにお好み焼き一枚を平らげた青年は、次は何を食べようかと参道をゆくのであった。
●
一方向に向かう人の流れを、一人の男が横から遮って、人と人がぶつかり、謝罪の言葉がかわされ通り過ぎてゆく。
中年の男はゆったりと参道から離れて、道を折れると足早に、樹木の陰へと身を隠した。
そして手にした財布の中身を一瞥し、
「チッ、これだけか。金持ってそうに見えたが、しけてやがるな」
悪態をついた。
しかし、新年に一杯ひっかける程度の収穫はあった。このまま次の獲物を狙うか、それとも欲は張らずにこのまま引き上げるか――中年男がそう逡巡していると、男の背後、茂みの奥、薄闇の中で、碧の瞳が炯々と光った。
碧の瞳は、先程から男を観察していた。
”彼女”は、もう動き出すに必要十分な情報が集まったとみたか、繁みから音も立てずに滑りでた。中年男の背に身をぴたりとつけると、男の口元へとその白手を回す。
Robin redbreast(
jb2203)である。
「もがっ?!」
男は叫んだが、それはくぐもった音にしかならず、やがてその身が回転して地面へと叩きつけられた。
深緑色のコートに身を包んでいる銀髪の娘は、男の手を後ろでに地面に抑え込みつつ耳元で囁いた。
「騒がないで。神社というのは、血に染める場所ではないらしいから、穢したくない」
少女の手際と抑え付けてくる撃退士的怪力に、男は心底縮みあがったらしく、小さく呻き声は発していたが、騒ぎ立てはせず、大人しくなった。
「……もしもし、司令部?」
Robinは腕時計に仕込んである小型マイクへと話しかけた。
『はい、こちら大塔寺源九郎。どうかしたかい?』
片耳に入れているイヤホンより青年の声が響いた。
「こちらロビン・レッドブレスト、スリを一人、取り抑えたよ。騒ぎを起こさないように目立たずに司令部まで連行したい。人を送っては貰えるかな?」
『あぁ、なるほど了解。付近の撃退士を向かわせる。協力してあたってくれ』
「了解、有難う」
『あぁ、そうだ』
「なに?」
『早速、お手柄だね、ご苦労様』
通信が切れ、しばし待つと、やがて天羽 伊都(
jb2199)と咲村 氷雅(
jb0731)がRobinのもとへと駆けてきた。
三人は中年男の手首を縛り、手首にコートをかけてそれを隠しつつひったてて、司令部へと向かったのだった。
●
司令部が仮設された社務所の傍らでは野点の場が設けられていた。
低い台の上に畳と緋毛氈(フェルト)の赤布が敷かれて傘が立てられ、寒い季節なので付近で火が焚かれている。
翡翠色の扇柄があしらわれた色留袖に身を包んだ黒髪の少女が、赤布の上に正座して座り、茶の準備をしている。木嶋香里(
jb7748)である。
香里は棗から茶杓で抹茶を取ると茶碗に入れ、次に炭の入った風戸の上に置かれた釜から柄杓で湯をすくって汲み、茶碗の中に注いだ。
鮮やかな緑色が広がった茶碗に左手を添え、右手で茶筅を持ちシャシャシャッと音を立てて手馴れた様子で素早く掻き混ぜ撹拌してゆく。
風流である。
香里は茶を点て終えると客の前に差し出した。
「御点前、頂戴いたします」
客――鳳静矢は礼をすると茶碗を受け取り、回してから口をつけた。薄茶――いわゆる抹茶――独特の味わいである。
着物姿の蒼姫は、夫がそつなくやっているのに惚れ惚れしつつもその一方で、
(作法が難しそう……!)
と身を固くしている。茶道部でも入ってない限り、普通はやらないものである。むしろなんで静矢さん出来るんですかぁ状態である。
そんあ蒼姫へと香里はにこっと微笑して言った。
「野点の作法はそう固くないので、お気軽にお寛ぎくださいね」
「……そーなんですかぁ〜」
気楽にやって良いらしいと言われたので蒼姫は力を抜き、見よう見真似でお茶をいただいてみる。
普段飲んでいる緑茶とは違う、なかなか独特な味わいである。
そんなこんなで茶をいただいていると通りの向こうから何やら少し異様な雰囲気の四人が司令部のほうへと近づいて来た。
「あら、そちらは……」
香里が視線をやると氷雅が短く答えた。
「スリだ」
それに伊都が補足する。
「ロビンさんが取り抑えてくれたんで、その応援で、連行してきました」
「これから司令部いくところ」
とRobin。それで雰囲気がピリッとしているようだ。
「なるほど、お務めご苦労様です」
香里達が見守る中、四人は社務所の中へと入って行く。
廊下を抜けて一室に入ると、執行部役員や神社のスッタフが詰めており、マイクスタンドやモニタなどの機器が置かれたテーブルを前に、ヘッドホンをつけて座っていた。
「書記長」
「あぁ、ご苦労様」
Robinが声をかけると源九郎が振り向いた。
「後はこちらで引き受けよう」
スリの男はスタッフに引き渡され、廊下を抜けて奥のほうへと連れられてゆく。時期に警察も来るのだろう。
それを見届けたRobinは「それじゃあたしはお財布返してくるね」と言って立ち去ってゆく。お疲れ様、とその背に声がかかる。
「あぁなんや、早速一件起こったんかい」
黒い着物姿の大鳥南が部屋の奥の扉を開いて現れた。
「ええ、新年早々、早速起こったみたいで」
伊都は現れた赤毛の娘に頷いた。
「ごくろーさん。浜の真砂は尽きるとも、やなぁ」
南は言って、無線が置かれている席につき、ヘッドフォンを頭にかけた。
「南さんは、まだしばらくここに詰めてるんっすか?」
「いや、もーじき茜ちゃんが来る筈やから、入れ替わりで外いく予定やね」
「それじゃ、折角なので願掛けでもしません? 実は準備をしててっすね」
と伊都は懐からペリドットの小石を取り出した。南の誕生石である。
「願い石を作りませんか」
「……願い石?」
南は聞いたことがないらしい様子だった。
伊都は、それは願いを決めたら石を二つに割って、それぞれを二人で分けて所持する、というものだと説明する。
「へー、なっかなか浪漫やね。それ、やってみたいと?」
「はい。単純に神社参りを楽しむのも良いけど一味足したいなーと」
少年がそういうと南は笑って、
「なるほどな、ええよー。願い事って何にする?」
「内容は二人で秘密にするんですよ。だから後で」
「なるほど、了解や。それじゃ悪いけど、あたしが出れるまでちょっと待っといてー」
そんな訳で伊都は司令部で待機する事にした。
「お疲れ様です。一杯どうですか?」
「あ、これはどうも、有難うございます。いただくっす」
氷雅と世間話をしていると、香里がやってきて二人に菓子と薄茶を出してきた。礼を言って受け取り、食べ、飲む。
しばらくすると、
「凄い人出だったわね」
「ですねー」
茜がナナシと一緒に司令部へと入ってきた。
茜と南が交代し、赤毛の娘が席を立つ。
「お待たせ。それじゃ伊都君、いこかー」
「うぃっす」
伊都は南と共に司令部を出る。
比較的人通りの少ない所までゆくと相談を開始した。
「南さんは何か願いたい事とかあります?」
「んー……どういうのがええんやろ。金運上昇商売繁盛、とかそういうのやないよな?」
南はそんな事をのたまった。実に会計長である。執行部の金庫番。
「伊都くん何か良い考えある?」
「僕は、一年をお互い無事に過ごせるように、っていうのが良いんじゃないかと」
「おー」
南は少し考えてから、
「そーやね、それじゃ、それにしよか」
かくて、伊都は南と共に一年のお互いの無事を願って石を二つに割り、一個づつ所持する事にしたのだった。
一方、
「やあ、すいません、お待たせしました鳳さん」
紋付袴姿の源九郎もまた司令部より出てきて、鳳夫妻に声をかけていた。
「いやいや、美味しいお茶をいただいてましたよ」
野点の赤布の上に座っている静矢が笑って答える。香里が会釈した。
「それは幸い。それで――流鏑馬でしたか」
キランと眼鏡を光らせて青年が言った。
静矢は微笑を深めて頷くと、
「ええ、ここでは点数を競えるとも聞きましたので……一つお相手願えますか?」
「願ってもない話です。僕でよろしければお相手させていただきましょう」
などと静矢と源九郎は弾んだ調子で言葉を交わしている。
蒼姫は夫と書記長の話を横で聞きつつ薄茶を飲んでいた。どうやら男達は馬と弓と勝負事が好きらしい。書記長に挨拶をしつつ蒼姫も夫たちと一緒に流鏑馬に参加してみる事にする。
実のところ、蒼姫としては馬や弓よりも静矢と二人で屋台巡る方が興味あったりするのだが、
(夫の社交に付き合うのも妻のたしなみですよねぃ☆)
なんて思ったりもする訳である。
「やあ大塔寺さん、あけましておめでとうございます。これから流鏑馬ですか?」
そこへ龍崎海がやってきて言った。
「ああ、これは龍崎さん、あけましておめでとうございます。ええ、鳳さん達と一射してこようかと」
「俺もご一緒して良いかな」
「勿論、構いませんとも」
「ではいきましょうか」
一同は香里に一礼すると野点の場を離れ、流鏑馬会場を目指して歩き出す。
「そういえば去年、いやもう一昨年か。大塔寺さんの主催の流鏑馬に参加させてもらったなぁ」
と海。
「……一昨年? つい先日のような感覚があるんですが、もう一昨年ですか?」
と源九郎。
「確かに一昨年。時の経つのは早い――しかし、大塔寺さん、一昨年を先日と思うのは少し感覚が老け込み過ぎじゃないですかね」
と静矢。
「面目ない。感覚は常に研ぎ澄ませていたいもんですな」
「光陰は矢の如くだね。あの時はあまりいい点とれてなかったから、リベンジしたいなぁ。確か、右に逸れるから左寄りに狙うと良いんだっけ?」
と海。
「ええ、右から矢を番える弓で、真っ直ぐ矢を放てているとして、その上で弓を捻らない場合、右や右上に逸れがちです。ですから、即席で補正するなら気持ち左を狙うと良い、という事ですね」
一行はそんな事を話しつつ道を歩いてゆく。
他方、
「美味しいですね」
司令部内、オペレーター席でインカムつけた黒髪娘が、香里が出した薄茶に口つけつつ、ほのぼのとした様子で笑った。
「そうだな」
氷雅もまた茶碗に口つけて啜る。
「――ところで会長」
氷雅は切り出した。
「見回り中にこんな物を手に入れたのだが」
言って、青年が取り出したのは『神楽坂茜写真集』であった。ミニスカサンタコスで片目を瞑っている茜のバストアップが表紙である。
「ごほおっ!」
盛大に黒髪娘が咽る。
茶が気管に入ったらしい。
「おお、どうした会長」
「さ、咲村さん、どうしてそれを……?!」
文字通り涙目で茜。
「さっき新聞部の小田切が屋台を開いて普通に売っていた。今も現在進行形で売っているだろうな」
「……な、なるほど」
赤面して茜。
「人気者で良いことだな」
「いや、それは、その、ええ、おかげさまで、好意的に接していただいて大変有り難く光栄なことです。ですけど、その本には訳が!」
「さて! 会長も弄ったしあまり油を売っている訳にもいかないから、俺も見回りに戻るとしよう」
「ちょっと咲村さんー?!」
司令部を後にした咲村は「ご馳走様」と香里に茶碗を返すと見回りへと戻っていったのだった。
他方。
「……よく許可が取れたな」
ブロマイドや本が並ぶ屋台前、ファーフナー(
jb7826)は神楽坂茜写真集をパラパラと捲りながら呆れ半分驚嘆半分で店主に言った。一応会長からの発行許可はもぎ取ってきてあるらしい。内容は至って健全である。
「いやぁそりゃあもう、写真を撮ろうと奮闘すること全二回、誠心誠意を籠めて説得する事も全二回、語るも涙、聞くも涙な苦労話があったってモンよ」
と、パイプ椅子に腰掛け頭にタオルを巻いている銀髪赤眼の店主、小田切ルビィ(
ja0841)がポン! と己の膝を叩いて言った。
「特にIoEのプールじゃデータが全部吹っ飛んでカメラも壊れかけたしナ、そのへん詳しく聞いてく?」
「いや、また今度の機会で良い」
パタムとファーフナーは写真集を閉じてルビィに返した。
「つれないねぇ、せめて売上には貢献してってくれよ」
「悪いな、冷やかしに来ただけだ」
フ、とコート姿の中年男は笑い、帽子を深くかぶり直した。歩き出す。
「ああそうだダンナ」
「なんだ?」
足を止めて振り返ったファーフナーへとルビィはニヤリと笑って言った。
「新年明けましておめっとさん! 今年も宜しく頼むぜ」
「……ああ。こちらこそ、な」
コートに身を包んだ中年男は、青年へと一つ手を振ると初詣の雑踏の中に消えていった。
●
(まあ、ちょっとくらいは遊んでもいいよな?)
十四歳程度に見える青髪緑眼の悪魔の少年颯(
jb2675)は羽子板を手にしつつそんな事を思う。
境内の一画に設けられた羽子板会場、コートは向かい合った時、左右の幅が5m、前後の幅が10m程度の広さだろうか、石畳に朱色のテープが張られて区切られて形成されている。そのコートの中央の両脇に支柱が立てられ、およそ2.2m程度の高さから白いビニールでネットが張られている。ネットで二つに分けられたコートは、さらに二分割するように朱色のラインが石畳の上にテープでひかれている。これがサービスラインで、サービスする時はこのラインを超えてネットに近づいては駄目らしい。また、サーブする時はオーバーハンド――肩より上の高さ――でサーブしては駄目なのだそうだ。そしてサーブ時は相手のサービスエリア内に入れなければ一ファールとなり、二回ファールすると相手の得点になってしまう。
7点先取で勝利だ。サーブ時以外ならジャンプして打ったりしても良いらしい。
「羽根突きで勝負だね! 遊びだからって負けないよ!」
ツインテールの黒髪に紫色の瞳の少女が、コート中央で羽子板をぶんぶんと振るいながら颯に言った。こちらは歳の頃十七歳程度に見えるだろうか、鴉女 絢(
jb2708)である。
「お手柔らかにな」
颯は笑いながら羽子板を構える。
「いくよ〜!」
絢は黒い小球に鳥の羽が大量に差し込まれて作られてるこの神社特別製の『羽根』を放ると、下からすくいあげるようにスウィングした。カコン! という軽快な音と共に羽根が高々と天に向かって舞い上がる。
「お〜!」
颯は頭上を見上げ、青空を背景に高々と上がった羽根を見据える。
サービスエリア内にインするかな? ギリギリ入るか?
そんな見極めをしつつ移動し、羽子板を構える。
タイミングを見計らい颯は腕を振るってすくいあげるように羽根を打つ。
カァーンと小気味良い音を立てて放物線を描いて羽根は飛び、ネットを越えて絢側のコートへと向かう。
「そーれ!」
絢もまた返って来た羽根へと羽子板を振るってゆるりと打ち返す。
そんな調子でゆったりと打ち返し合いながらラリーを重ねていた二人だったが、徐々に速度がはやくなってゆき、やがて、
「これで決めるよ……っ!」
絢は飛んで来た羽根に対し高々と跳躍すると、空中で身をひねりざま、叩きつけるように羽子板を振り下ろした。甲高い木の音を響かせながら羽根がコートへと向かって角度をつけて、真っ直ぐに高速で飛んで来る。
「んなっ?!」
ジャンピングスマッシュで打ち込まれた羽根は、ネットを越えて颯側のコート内へと鋭く突き刺さった。
「やたっ、一点先取〜!」
絢はきゃっきゃと笑顔で喜んだ。警備のことなど既に忘れている。
「む〜……っ」
一方の颯は渋い顔だ。
(……意外と難しいなこれ……)
颯は思考しつつ、羽根を拾い上げて絢へと投げ渡す。
2.2mというかなりの高さのネットがあり、しかし、これを避けようと上にゆるーくネット際にあげてしまうと、背が高かったり運動神経の良い相手などはジャンプして急角度で鋭く撃ち降ろして来る。
これを避けるには相手のコート端ぎりぎりを狙って深く打つか、角度をつけて撃ち降ろせないようにネットギリギリの高さで打たねばならないのだが、コースを狙いすぎればコート外へとラインアウトしたりネットにぶつかってしまう危険性が高くなる。打点の高さや、羽子板をあてる角度、力の強弱など微細な操作が必要となりそうだった。
「目指せ二点目! どんどんいくよ〜!」
羽根をキャッチして受け取った絢は、サービスライン際に下がると、先程と同じように下からすくいあげるように羽子板をふるって高々と羽根を飛ばした。
颯は、頭上を見上げ、羽子板を振り上げて構え、落下点に勘であたりをつけると、一歩、二歩、三歩とダッシュして踏み切り、高々と跳躍した。
「せいっ!」
という気合の声と共に宙で身を捻りざま羽子板を振り下ろす。
次の刹那、甲高く木の音を鳴り響かせながら、羽根はネットを越え、落雷の如くに絢側のコートに突き刺ささった。
「…………やるね、颯君!」
絢は羽根を拾い上げると颯へと投げ渡す。
「ふ……今度は、俺がサーブだな」
羽根を片手でキャッチした颯はサービスエリアの右角まで下がると羽根を放り、下方からだが水平に近く、薙ぎ払うように羽子板を振るった。
「これで逆転だ絢!」
カコーン! と羽根はネットの高さぎりぎり、比較的水平気味の弾道でストレートに真っ直ぐネットを越えた。羽根は空気抵抗を受けて減速してクルリと回り、サービスエリアの横幅ぎりぎり、颯から見て右端、絢から見て左端付近へと落下してゆく。
それがコート内に落ちきるより前に、絢はざりっと音を鳴らしながらステップし、上半身を左へと捻りながら羽子板を身の左後ろへと引きつつ左足から着地、低い姿勢で右足で踏み込みながら捻った身を今度は右側へと切り返しつつ、その動きに合わせて羽子板をすくい上げるように振るった。バックハンドアンダーストローク。
「甘いよ颯君!」
カコーン! と良い音が鳴り、颯の立ち位置とは逆サイドのネットの角を目掛けて羽根が飛んでゆく。
「チィ!」
その軌道を瞬時に見切った颯は、させじとコート角目掛けて走ってゆく。
いつの間にやらガチプレイである。
競技中は大体、警備の事は忘れ去られるものであった。
●
引き続き羽子板会場。
「遊びとはいえ俺は全力でやるぜ、そしてその白い肌を墨で真っ黒にしてやる!」
コート上、マフラーを外してジャケット姿の黒髪碧眼の青年がネットを挟んで向かい合う相手へと羽子板の先をビシィッと向けて宣言した。不知火蒼一である。
「全力ね……なら私も全力を出させてもらうわ。良いかしら?」
羽子板の向けられた先、薄桃の振袖、ブロンドを結い上げている碧眼の女が問いかけた。縷々川ノエルである。
「望むところだ」
「ふふ、墨だらけの顔で帰るのも楽しそう……なんて思うけれども、でもやるからには負けないわ!」
すらりと羽子板を構えるブロンドの振袖娘。
蒼一VSノエル、試合開始。
ジャンケンにより最初のサーブ権は蒼一。
蒼一はサービスエリアのライン手前一杯ぎりぎりの位置でこの神社特別製の『羽根』を放ると、ちょんと小さく、相手のサービスエリアの端、手前ギリギリを狙って打った。
「うっ」
ノエルは素早く飛び出したが、彼女が羽根に近づいた頃には既にネットを越えて落下してきており、つまり位置が低かった。低い位置では打ち下ろしの強打などができない、ネットにぶつかってしまうか、下を潜ってしまう。そうなればこちらのミスだ。
やむなく、ノエルは下からすくいあげるように打って、コート端から相手のコート端を狙わんとする。
しかし、その時、蒼一が前に詰めて来て跳躍した。端の低い位置から打ち返せるコースは限られている。それを読まれていた。
ネット付近、空中で蒼一の羽子板が叩き倒すように押し出され、羽根が勢い良く飛んでノエルのコートへと落下して行く。
「まず一点、だな」
ガチで全力である。
「さすがは蒼一……やるわね」
ノエルは羽根を拾うと青年に投げ渡す。
羽根を受け取った蒼一はサーブ位置につくと、
「このまま一気に貰うぜ」
またしてもちょんと小さく手前に羽根を打った、コース端、手前、ギリギリ。
「くっ!」
これに対しノエルは素早く前に詰め――今度は全力で下から上へとスウィングした。カコーン! と天高くに打ちあがる。この軌道で、この高さならば、ネット際では打てない。打上げられた羽根は、大きく山なりの弧を描く軌道で、コートの深い位置を目指して飛んでゆく。
しかし、
「ふ、そうすると――」
蒼一は一歩、二歩と大きくバックステップすると落下点に入り、高々と跳躍、
「思ったぜ!」
空中で身を捻りざま右腕の羽子板を猛然と振り下ろし、羽根を強打。コート後方から矢の如き強烈なショットを放った。
これに対しノエルは――
「えい」
ネット付近の宙に”浮きながら”羽子板で受け止めるように軽くあて、ぽとりと蒼一のコート手前に落とした。
「な、ん、だ、と……?!」
驚愕の蒼一である。
「”全力”でいくわ」
そう、ノエルは飛行スキルを使って宙に浮いていた。全力!
ノエルは蒼一より羽根を受け取ると地に降りてサーブし、先の蒼一と同じくちょんと小さく手前に打つ。
「くっ!」
蒼一は最初に己がやったように、ネット際で押し込まれるのを警戒し、大きく山なりに羽根を打ち上げ――
「そこね」
飛翔して軌道上に回り込んだノエルから普通アリエナイ位置の高さよりスマッシュを超急角度で打ち込まれた。
羽根が蒼一のコート上に落雷の如く突き刺さって転がる。
「なんだ……この高度差は……!」
バレーボールで、相手側が自在に宙に浮けると考えるとトンデモナイ事になるが、この羽子板においてもそれは大体同じ模様であった。
空を飛べる相手の厄介さに蒼一は呻く。
そしてノエルが言った。
「蒼一……このゲームにおいて、空を飛べない貴方では、私には勝てないわ?」
果たして蒼一に勝ち目はあるのか――?
●
他方、ミハイル・エッカートは紋付袴に袖通し、鏡に映った己の姿を見て、
「さすが俺だ。和の雰囲気も着こなしているじゃないか」
とご満悦だった。
(さて、今回の仕事は覆面警備だったな……)
着物の袖を翻し、廊下を歩きながらミハイルは考えた。
思うに、馬上は眺めがいい。
そして流鏑馬を見に来る客は多いはずだ。
スリが多発することを考え、馬を慣らすためと称し、馬で入れる場所をあちこち回るのは妙手というものではないかと。
木で作られた鐙に足をかけて鞍に跨り馬上の人となったブロンドの男は、手綱を操りつつ係員に問いかける。
「馬を慣らしたいんだが、どのあたりまで馬で行って良い?」
「あぁそれでしたら、あちらの、柵で囲まれている範囲内なら大丈夫ですよ」
思ったより狭かった。
まあ古来より騎兵の最大武器は馬そのもののその質量と速度だというくらいなので、駆ける馬にひっかけられれば人は跳ね飛ぶ。
万一馬が参道にでも出て暴走でもしたら一般人からすれば危険極まりない。
その為、神社側は参拝客に対する安全保障の面から流鏑馬参加者へと貸し出す馬に乗っていける行動範囲には制限が設けられているようだった。
そこで、
「俺は久遠ヶ原学園の撃退士《ブレイカー》なんだが、なんとかならんかな? ほら、例の警備の仕事がさ」
ミハイルは学生証を見せかくかくしかじかと係員と交渉してみた。無理は押し通すものではないが、やりようによっては無理でなくなる場合もある。
「……馬の扱いには慣れてらっしゃいますか?」
ミハイル・エッカートはサングラスを光らせ、
「――勿論、ノープロブレムだ」
ニヤリと頼もしく笑って見せた。
かくて、学園撃退士の信用を用いて許可を得たミハイルは騎乗にて境内に進み出た。本殿付近は神域なので馬は駄目らしいが、他は大丈夫とのこと。
ついでに試し撃ちする為に弓も事前に借りられないかと交渉してみたが、そちらはだめだった。
係員曰く、
「試射を許してしまうと撃退士のかたへはあまりハンデにならないそうなので、だから『開始直前に』お渡しする、という事になっているそうです」
との事で、どうやらここは規則に明言があるようで無理らしく、仕方が無いので諦めた。
道に出たミハイルは「わあー、お馬さんだー!」と歓声をあげる子供達に手を振り返しつつ(小梅が混じっているようにも見えた)、多くの人でごったがえす境内を見回しながら馬を歩かせてゆく。
(なるほど、昔の指揮官が馬に乗ってる訳だ)
人混みの中、馬上と地上では視界の通り具合がまるで違う。
人が多かった為、騎馬では身動きが取りにくく自ら追走して対処にあたる事はできなかったが、スリや迷子や気分が悪そうに蹲っている者などを発見し、ミハイルはその都度司令部へと連絡を入れてゆくのだった。
●
「マーマー!!」
びあー! とでも擬音がつきそうな勢いで泣いている女の子が一人。歳の頃は五、六歳だろうか。セミロングの黒髪、赤いコートを着込んでいるのが特徴的だった、
そこへ、
「――どうした」
身長182cm、体重77kg、背広にコート、目深に帽子をかぶった厳つい顔立ちの中年男――ファーフナーは幼女の前に蹲みこむと、最大限努力した笑みを浮かべて話しかけた。
ハードボイルド映画にでも出てきそうな、どこぞのマフィアか、という風体の男だが――というか、実際にアンダーカバーとしてマフィアに潜入していた経歴持ちの筋金入りなのだが――最も不向きだとは自覚しつつも、彼は迷子対応にあたっていた。
向いていないからと逃げ出してはならぬと、敢えて自らを千尋の谷に突き落とす方向である。
というのも、現在は自分の悪魔の血を、人のために役立てるのも悪くはない、と前向き風味に考えるようになり、少しずつでも自身の壁を取っ払っていきたいと足掻いているのだ。
そんな半魔な男のニカッとした笑みを、幼女は目を丸くして見つめ、そして――
「ヒギャアアアアアアアアッ!!」
さらに火をつけたように泣き始めた。
ハートブレイクショットな一撃である。
が、しかし、それでいちいち心を折られていたら真っ直ぐに道を歩いてはゆけない。忍耐力に優れるのがファーフナー。漢はタフでなければ生きてゆけない、優しくなれなかったら生きてゆく気にもなれない。
「……お嬢ちゃん、飴、喰うか?」
こんな事もあろうかと、さきほど屋台で購入した林檎飴を幼女の眼前に差し出しファーフナー。とりあえず甘いもので釣ってみる。
幼女は泣き顔を歪ませて、林檎飴とファーフナーの顔を涙目で見比べ、
「……ママ、しらない人からものをもらっちゃいけません、ていってた」
なかなかしっかりした教育方針であるらしい。
「そうか」
ファーフナーは頷いた。懐柔には失敗したが、とりあえず泣き止ませる事はできた。
「ママはどうした?」
「わかんない」
「おじさんはな、撃退士なんだ。聞いた事ないか?」
「げきたい、し……? わるいてんしをやっつける? ……ほんもの?」
「ああ、本物だとも」
と、ファーフナーは学園の学生証を取り出して幼女に見せる。
女の子はぽつりと呟いた。
「ぎぞう……」
「オイ」
思わずつっこんだファーフナーに対し、女の子は黒瞳に疑わしげな光を浮かべて、
「だって、おじさん、がくせーには、みえない、よ?」
「それを言われるとつらい所だな……」
ファーフナーはむむむと唸る、子供は手強い。
「とにかく、おじさんは確かに撃退士だ。ファーフナーという。そしてこの学生証は本物だ。ここの神主様に確認してもらったって良い」
「がいじんさん?」
「ああ、昔はアメリカにいた」
すったもんだしつつ、なんとか撃退士という事が信用されたファーフナーは、飴を渡しつつ名前を聞き出し問いかける。
「ママ、探してみるか?」
「どうやって?」
「おじさんの肩に乗っかれば、遠くが見えるぞ」
という訳でファーフナーは幼女を肩車した。
「いるか?」
「…………いない」
「ママ、どんな人なんだ?」
「口はたっしゃだけれどドジなの」
「……そうか」
なんとなくこの肩の上の女の子が成長した姿が思い浮かんだファーフナーである。
「歳はどれくらいだ? 着ている服は? 色などは覚えているか? ママの名前は?」
「えぇと……このまえ十八歳っていってた」
「……それは若いな」
何か訳ありの家庭なのか、とファーフナーの脳裏に暗い影がちらつく。この女の子が四歳だとしても出産時十四歳? しかし、スラムなどでは聞かない話でもない。
「そのまえは二十八歳だっていってた」
「後者のセンであたってみよう」
「えぇと、おようふくは――」
ファーフナーは聞き出した情報をまとめると袖口に仕込んであるピンマイクのスイッチを入れた。
「こちらファーフナー、司令部、聞こえるか」
『はい、こちら司令部、ナナシよ。音声良好、どうぞ』
「先程の迷子の件だが、母親の外見情報を入手した。皆に伝えてそれらしき人物を目撃してないか情報を集めて貰いたい」
『母親ね、解ったわ。有力な情報が入るか、または十分の経過でこっちから一度折り返し連絡するわね』
「了解。頼む」
かくて、学園生達の無線に向かって司令部より女の子の母の特徴が流され、各員に伝えられてゆく――
一方。
それよりも少し前、ベンチに腰掛けてわたあめを食べていた黄昏空は、泣きそうな表情で周囲を忙しなく見回している女性と目が合った。まだ若い。歳の頃は二十歳そこそこといった所だろうか。
(……どうしたんだろ?)
空は女性のその様子を見て小首を傾げる。
(……そういえば『困ってる人がいたら助けるものだ』って本家の兄ちゃんが言ってたな)
童子はわたあめを平らげると、片手を鋭く振るい、景気づけに棒を放り投げた。回転しながら放物線を描いて棒が飛んでゆき、すぽんと見事にゴミ箱の中に入る。
(いよっし!)
空は結果に己を勇気付けた。上履き飛ばして表向きに落ちたら晴れ、みたなノリである。小等部一年の男子は、ベンチから勢いをつけて飛び降りると駆け寄り声をかけた。
「あのっ、何か困ってるのっ?」
「えっ?」
女性は空を見下ろして驚いたような顔をした。空の身の丈は91cm。91cmといったら二歳児後半程度の平均だ。しかし顔をつきを見てもう少し実際は歳がいっている事がわかったのか――それでも六歳程度にしか見えないが――我にかえったように頷いた。
女性は空の前に蹲みこむと、
「ええ、ええ、とても、困っています。娘がいなくなってしまって……」
「じょうはつした?」
「違います」
ワイドショーで聞いた単語を問いかけてみたが違ったらしい、と空は悟る。
「気付いたらはぐれてしまっていて……あなたより、これくらい大きい、赤いコートを着た、セミロングの女の子を見ませんでしたか? というか、あなた、親御さんはどちらにいらっしゃるのかしら? あなたも迷子ですか?」
「ボクは迷子じゃないよ」
空は言った。
「こう見えてもボクは撃退士《ブレイカー》なんだ」
「ぶれい、かー……あなたが?」
「うん。だから仲間達に聞いてみるよ、もしかしたら、誰か見ているかもしれない」
そんな事を話していると耳元のイヤホンよりナナシの声が無線に乗って流れてきた。
『こちら司令部、ナナシよ。迷子の女の子の母親を探しているわ。目撃情報はないかしら? 特徴は――』
述べられた特徴に空は考え、じっと目の前の女性を見つめた、
「お姉さんボク、黄昏空っていうんだけど、お姉さんお名前なんていうの?」
――その後、無線を通じてファーフナーが女の子と共に空のもとへとやってきて、
「ああっ、良かった!」
「ママー!」
無事に迷子の娘とその母は再開したのだった。
●
老人は、神に祈る為に、一人、丘を登った。
昔は家族皆で丘を登った。だが、今は一人だ。
川のような人の流れに乗って、されど老人は一人、丘を登った――社を目指して。
それは祈りだ。
祈りとは。
老人は階段の途中で転がった。
膝が擦りむけ、脆くなっていた骨に罅が入る。
強烈な痛みが波のように何度も襲い掛かって来る。
老人は呻き、段上に身を横たわらせた。
何人かが老人の傍により、大勢は老人を避け、何人かは邪魔そうにそれを見ていた。
怨む気持ちよりも、納得する気持ちのほうが大きかった。
真実、己は通行の邪魔である。邪魔でしかない。
痛みの中、老人は涙を堪えた。
「――膝、ですか?」
顔をあげ目を開くと、長身の中年の男が目の前に屈んでいた。
男は礼儀正しく会釈すると、老人の膝の傷を見て、まず水で洗浄した。
痛みが走る。
老人は呻いた。
だが、次の瞬間、痛みは和らいだ。
傷に翳された男の手が眩く光り輝くと、光は老人の傷口に移って、嘘のように痛みがやわらいだ。傷口が塞がり、真新しい肉が盛り上がり、皮がみるみるうちに復元されてゆく。
「ふむ……まだ痛みはありますか?」
男が膝を指で押しながら問いかける。
老人はいいえと答えた。
そして問いかけた。
貴方は神の使いですかと――
「それは敵です」
と、目を見開いている目の前の老人に答えるべきかどうか狩野峰雪は迷い――おそらく老人の言う”神”とは天界とはまた違うのだろう、と考え――別の言葉で答える事にした。
にこりと微笑して峰雪は言った。
「私は通りすがりの撃退士です」
と。
●
黒井明斗は駆けていた。
『目標は一つ隣の道を北進中』
イヤホンから茜の声が聞こえる。
『次の角を右折してください。曲ったらさらにその次の角を右折。それで前方に回りこめます』
「了解!」
眼鏡をかけた黒髪の青年が人混みの間を縫って駆け、角を右に曲り、道をかけ、さらに次に見えた十字路を右折する。
すると、初詣の人ごみの中「どけどけっ!!」と声をあげながら明斗のほうへと突っ込んで来る少年の姿が見えた。バッグを抱えている。その後方から久遠仁刀が追いかけているのが見える。
明斗は少年にタックルすると土の道の上に押し倒した。
「ちくしょー! てめぇもあの赤いのの仲間か!」
「そうです、撃退士です。大人しくしてください」
「くっ」
「――お疲れ」
仁刀が駆けてきて明斗に言うと、少年は諦めたのか大人しくなった。
『無事に捕まりました? 物を盗む人って多いんですね……』
雫の声が無線から聞こえた。今回は置き引きだった。偶然雫が発見しマイクで司令部へと伝え、仁刀と明斗で挟み撃ちしたのだった。
「覚悟はできているな?」
仁刀は言うと置き引きの少年を引っ立て、明斗と共に司令部へと連行していったのだった。
●
他方、羽子板会場。
「あー! 負けたー!」
絢がばたばたと悔しがっている。
「あ。」
颯はしまった、という顔をした。
「そっか、さっきので俺の勝ちか」
すっかり勝ったら墨の落書き、というのが頭から抜けていた颯である。
かくて、颯は絢の前に立ち、墨に浸した筆でその顔に落書きする事となった。
「よーしじゃあメイクしてあげよう。これで絢も剣豪だ」
「く〜!」
そんな訳で絢の頬にメの字の刀傷っぽく墨で落書きが描かれたのだった。
他方、
「負けは負けだ、早くしろよ」
「うーん……それじゃ額に十字架とかどうかしら……? ピクト人っぽいわよね」
と蒼一はノエルの手によって顔に墨で落書きされていた。
ノエルの飛行はネットを挟んで行なう羽子板において、圧倒的優位性を持っていた。
蒼一も自コートに羽根が打ち込まれたら、それを返さずにのらりくらりと無駄話して効果切れを狙う、という戦法で対抗してみたが、ノエルの飛行スキルは五回使えた。
七点先取のゲームにおいて五点の優位性は大きく、振袖姿のノエルは飛行が尽きた後の後半、追い上げられたものの、そのまま押し切って勝利したのだった。
「うん、蒼一、格好良いわよ」
「そいつは不幸中の幸いだな」
微笑するノエルの顔を見つつ、額から鼻の付け根までにかけて十字に墨を塗られた蒼一は、はぁ、と嘆息したのだった。
●
一方、流鏑馬会場。
紋付袴姿で鞍上に佇む、ブロンドの男の出番が近づいて来ていた。
「いよいよ出番か……」
見つめる彼方で扇が翻る、スタートの合図だ。
「ハァッ!!」
ミハイル・エッカートは、弓を手に拍車を入れると、猛然と馬を駆け出させた。馬は十分に馴らしていた。快調な走り出しだ。速い。蹄が土の道を打ち、パカラッパカラッパラカッと馬蹄音を独特のリズムで響かせてゆく。
風が唸る。
頬に冷たい風が叩きつけて来る。
右手側に観客達が並んでいるのが見えた。
左手に和弓を持ち、右手で腰のえびらから矢を引き抜く。前方左手側、的が見る見る迫って来る。馬が快速で駆けているという事は、速いという事で、速いという事は、それだけタイミングがシビアだという事だ。
矢を番える。上半身を左に捻り弓をぎりぎりと音を立てて目一杯に引き絞り――景色が流れてゆく、的が迫る、交差せんとするその一瞬、ミハイル・エッカートは鋭く矢を放った。
次の瞬間、スパーン! と快音を響かせながら矢が的に突き刺さる。会場のアナウンスが的中を告げ、観客達がワッ! と沸く。
しかし、
(すげぇ端にいったか……?!)
矢が飛んだ先は、的の端ぎりぎり一杯であったようにミハイルの目には見えていた。金髪を風に暴れさせながら舌打する。
(やっぱりブレッブレだなオイ!)
しかし疾走する騎馬は素早く、歯噛みしている暇は無い。急ぎえびらから次の矢を引き抜き、和弓に番える。
馬がさらに加速してゆく。
高速に景色が流れる中、身を捻り弓矢を引き絞る、二の的が迫り――放つ!
(――げ)
撃退士はハンデとして矢が真っ直ぐ飛ばない弓を渡されているのだが、まさに真っ直ぐ飛ばなかった。的の端を掠めて奥の藁壁に突き刺さる。一射目での手応えを計算に入れ、狂いを計算に入れて射撃したのだが、タイミングを狂わせてしまい、狙いは大きく逸れ、外れた。運命の女神様にそっぽを向かれた。
馬がさらに加速してゆく。どうやらこっちはすこぶる調子が良いらしい。競馬場でも入賞できるんじゃないかという走りだ。観客の子供が「はえー!」と興奮気味に声をあげていた。
しかし、おかげさまで射撃の方の難易度はさらに上昇してゆく。
(だが、大体の勘所は掴めたな)
照準が狂っている、といってもその狂い具合は、弓が一射で大きく消耗しない限りは毎回ランダムに変わる訳でもない、一定の筈である。
(おおよそ、こんなもんだろ――!)
三の的が迫る。
二射で弓の癖を見切ったミハイルは高速で三の的とすれ違いざま、馬上からはっしと矢を放った。
矢は錐揉みながら空を裂き、唸りをあげて飛ぶ。
次の刹那、スパーン! と快音を響かせながら矢は的のど真ん中に突き刺さった。これが実力だ。見物客達から盛大に歓声があがる。
結果。
一的 二的 三的
馬術 67 84 100
弓術 11 2 100
得点、61点。
というのがミハイルが得た得点だった。今の所一般参加者の平均得点はおよそ50点なので、平均よりなかなか上だ。
馬を馴らしておいた為か平均して走りに優れ、馬術の評価が高く、射撃も最後の一発は神業だったが最初の二射が得点に響いたようだった。
流鏑馬会場の手伝いにやってきた巫女バイトのマリーは、会場内の台に登ると一の的の端に突き刺さっている矢に手を伸ばした。引っ張る。なかなかしっかり刺さっているようで抵抗を受ける。
「よい……しょっと!」
しかしマリーも撃退士である。力を込めて引っ張ると音を立てて抜けた。
「ああ、急がなくちゃっ」
ゆったりした田舎タイムで動くのんびり屋なマリーには手早くやらなければならない作業というのは苦手なのだが、なるべく急いでねー、と係員から頼まれていたので、頑張って急ぐ。
引き抜いた矢を抱えて二の的まで小走りに駆けると、藁壁から二本目の矢を回収。
てててっと三の的へと赴くと、また台に登って三の的より矢を、頑張って引き抜いてゆく。
一方、
「わー、お馬さんに乗って弓やるんだぁ!」
流鏑馬会場に来た小梅はミハイルの騎射を見物して、はじめて見た流鏑馬に興味津々だった。
「すごーい、ボクもするぅ!」
そんな訳で参加を申し込み――見た目が91cmだったので、本当に出来るの? と係員とすったもんだがあったが、撃退士の身体能力を見せて許可して貰った――ぶっかぶかの白い狩衣に袖を通す。気分は平安鎌倉だ。丘の上の小梅麻呂。
係員に抱き上げられて子供乗馬用のポニーの背に乗せて貰う。
「たかーい!」
小型馬でも視点の位置は自分の両足で立つよりもずっと高い。
馬上できゃっきゃとはしゃぐ小梅である。弓は和弓ではなくモンゴルチックな短弓を借りる事になった。
ポニーに乗った小梅がスタートラインに立つと見物客達の間ににわかにざわめきが走った。「あんな子供が……」とか「できるの?」「大丈夫なのか」とかそんな声が風に乗って聞こえてくる。
やがて、彼方で扇が翻った。スタートの合図だ。
小梅は満面の笑みを浮かべてポニーに拍車を入れた。
「はー!」
白い狩衣姿の小柄な黒髪童女が、弓を片手に、ポニーと共に勢い良くコース上に飛び出してゆく。
風を切って小さな騎兵が弾丸の如くに突き抜け、一の的と交差ざま、白野小梅ははっしと矢を射た。
スパーン! と快音あげて矢は的に突き刺さる。照準狂ってるのになかなか良い所に中った。見物客から盛大に歓声があがると共に的中のアナウンスが流れる。
「たーのしー!」
小梅は風に黒髪を暴れさせながら、さらに加速して疾走するポニー――このポニ美さん、調子が上がってきたらしい――の鞍上で、えびらから二本目の矢を引きぬき短弓に番える。前方左手側、みるみる迫る。二の的!
「ハァッ!!」
矢が鋭く飛び、スコンッと快音を立てて的に突き刺さる。が、少し端にいった。しかし、また子供が中てた! と観客はどっと沸き、本人も馬上で喜んでいる。
かくて迫る三の的。
ポニ美さんは引き続き高速域を維持、
「よ〜し、あ〜て〜る〜ぞ〜!」
迎い風の中、三本目、ブレてる照準にも慣れてきた、小梅は短弓に矢を番え引き絞る。鞍上で上半身を捻り――
「……はっ、は、は」
風にのって埃を吸い込んだか鼻がむずむずする。
「――はっくしょんっ!!」
三の的と交差ざま、くしゃみと共に矢を放つ。
ある意味、ジャストなタイミングで放たれた矢は、それでもさすがの撃退士というべきか、スコン! と音を立てて的に突き立った。
的中のアナウンスと共に観客席から歓声があがり、小さな騎兵がどどどっとそのままゴール目掛けて駆け抜けてゆく。
結果。
一的 二的 三的
馬術 60 85 87
弓術 60 16 27
得点、56点。
というのが小梅の得点だった。平均より若干上、といった所か。まずまずである。
次いで、
「さて……前にやった時よりは上手く出来ると良いんだけど」
スタート地点に登場したのは龍崎海。
赤馬具で彩られた漆黒の巨馬に跨って登場。前回のリベンジなるか。
的から巫女マリーが矢を引き抜いて矢回収が終わると道の彼方、扇が翻る。スタートの合図だ。
「ハァッ!!」
黒髪の青年は拍車を入れて黒い巨馬を駆け出させる。黒馬は弩から矢が放たれるが如く猛然と駆け出した。経験が生きたか、豪速のスタートである。荒れ狂う冬の向かい風が切り裂くように海の頬を叩き抜けてゆく。
疾走する黒巨馬、鞍上に在るは黒目黒髪の若き男、男は長弓に矢を番え、頭上で打ち起こして身を捻り、弓矢をぎりりと満月の如く目一杯に引き絞った。やや左を狙う。
騎馬武者と的が交差する瞬間、唸りをあげて矢が放たれた。パァーン! と快音が鳴り響き、的のド真ん中に突き刺さる。クリティカルヒット! 見物客が盛大に歓声をあげた。
(……良い調子だ!)
照準狂ってる弓での一発目でど真ん中なのでまさしく神業である。これが吉凶を占うならば、今年は一年良い事ありそうか。
馬蹄の音を響かせて黒い巨馬が駆けてゆく。歓声に驚いたのか、少しペースを落としたが、それでもなかなかの速度。二の的。
「はっ!!」
スパァーン! と突き刺さった矢は中央と外側のだいたい中間、そこそこの位置に突き刺さった。見物客達が歓声をあげ、的中のアナウンスが流れる。
しかし黒巨馬は飽きっぽい性格なのか、それとも見た目に反して体力無いのか、見る見る速度を落とし始めた。
「おいおい、頼むよ」
とほほな海であるが、だが、ゆったりな分狙いやすい。おまけに三射目、狂った照準も把握してきた。
(――ここだ!)
タイミング、どんぴしゃ、三の的と交差ざま、海ははっしと矢を撃ち放った。盛大に快音を鳴り響かせて矢がど真ん中に突き刺さる。
これが撃退士の実力である、と言わんばかりの一射であった。
黒巨馬がゆったりとゴールに到達し、結果。
一的 二的 三的
馬術 79 67 34
弓術 100 58 100
73点、かなりの高得点である。一般参加者も含めてここまでの暫定一位に海が躍り出る。
的中が良く冴えていた海の流鏑馬であった。
続いてスタート位置に登場したのは、
「うぅ〜、なんか会場凄い盛り上がってますねぃ」
良い結果が出た後にやるというのはなかなか嫌なものである。
すらっとした栗毛の牝馬、鞍上は青を基調とした着物に袴姿の蒼姫であった。華やかである。
てててっと巫女マリーが矢の回収を急ぎ「ぬ、抜けない……?!」とクリティカルな矢の回収にやや手間取ったりした場面もあったが、頑張って引き抜いてすべて回収し、道の彼方、扇が翻る。スタートだ。
「よっし! 頑張るのですよぅ☆」
蒼姫はとりあえず結果は気にしないでとにかく頑張る事に決めた。マイペース、平常心が大事である。
「はあっ!」
拍車を入れて馬を駆け出させる。栗毛の馬はスロースターターなのか緩やかな走り出し。
ゆったりな分、狙うには良いが、しかし渡された弓は照準が狂っている。真っ直ぐ撃っても大きく逸れるという話だから、はたしてどの辺りを狙えば良いのか。
(う〜ん、この辺りですかねぃ?)
一の的と交差ざま、勘で狙いをつけて放たれた矢は、真ん中付近にスパン! と突き刺さった。見物客達から盛大に歓声があがる。かなり良い位置に突き刺さったようだ。良い勘している。
「お、お、おおーっ?!」
歓声に気を良くしたのか栗毛の馬は猛然と加速した。一気に速度があがり、風が唸る。冬の向かい風が蒼姫の顔に吹き付けてくる。
「えーい、女は度胸! いくのですよっ!」
激しく揺れる鞍上、青髪の女は腰のえびらから素早く矢を取り出し和弓に矢を番える。二の的、迫る。
高速で交差ざま、矢が唸りをあげて飛ぶ。パァン! と快音が鳴り響き、的中のアナウンスと共に歓声があがる。
が、
(たぶん、あれ、端いった……?!)
放たれた矢はぎっりぎり端付近へと飛ぶ軌道だったのを視界の端で蒼姫は捉えていた。
しかしそちらに思いをやっている暇はなかった。三の的がみるみると迫って来る。栗毛の牝馬は若干だがさらに速度をあげていた。ごうごうと耳元で風が唸り、青く長い髪がたなびく。照準の狂いは大体掴んだ。三射目。
「ここっ!」
一瞬の交差、刹那を捉えて蒼姫は鋭く矢を放った。ズパァーン! と快音があがり、観衆より盛大に歓声があがる。真ん中付近、良い所に決まった。
馬蹄の音を響かせながら弓を手にした女騎兵が髪を風に靡かせながらゴールへと矢の如くに突っ込んでいった。
結果。
一的 二的 三的
馬術 32 86 88
弓術 71 12 86
63点。今の所、平均より結構上だ。なかなか良い点数ではなかろうか。
良い調子の射手が続いているので会場は引き続き盛り上がっている。
続いて登場したのは、どこぞの将軍様が乗ってでもいるかのような、赤い馬具で装飾された白馬に跨った狩衣姿の黒髪青年、大塔寺源九郎である。本気モードなのか眼鏡を外してコンタクトにしている。
「やあやあ、今年の調子はどうかな」
扇が翻り、白馬が高速で駆け出して行く。さすがに名家の御曹司、趣味が流鏑馬で普段から馬術に親しんでいるせいか安定して恐ろしく早い。
スパン、スパン、スパーン! と連続して射抜いてゆき、最初は的のやや外側だったが、二の的から調子をあげ、三の的ではど真ん中を射抜いていた。
結果。
一的 二的 三的
馬術 91 93 92
弓術 37 74 100
81点。非常な高得点である。
一般も含めここまでの全参加者の中で書記長がトップに立った。
「81点? ……さすがに大塔寺さんは長年やってるだけあるねぇ」
葦毛の牡馬の鞍上、紫色の狩衣姿の青年がうぅむと唸った。スタート待機中の鳳静矢である。
しかし、経験の差があろうがなんだろうが、その書記長に勝とうと決めたならば勝たねばならぬ。
静矢はミハイルと同じく事前に弓を借りて試射しブレ具合を確認しようと思ったのだがミハイルの時と同様に『直前に渡す』と決められていて不可だった。矢も渡されるのは三本のみである。
静矢は命中精度に優れる魔装を不可視モードで展開し身に纏った。素の状態よりも大幅に感覚が研ぎ澄まされてゆく。本気中の本気である。
マリーら係員による矢回収が終了し馬道の彼方、扇が翻った。スタートの合図だ。
「静矢さんがんばってー!」
愛する妻より声援が飛んで来る。
「――ハァッ!!」
声援を受けた静矢は大きく息を吸い込み、鋭く気合の声を発して拍車を入れた。
静矢の気合を受けてか、葦毛の馬を勢い良く飛び出す。速い。好スタート。馬蹄が土の道を叩き、パカラッパカラッパラカッと例の独特のリズムを響かせてゆく。風の唸りを受けて静矢が纏う紫色の狩衣がたなびいていた。一の的が迫る。
(外せん)
照準が狂っていて何処に飛んでゆくか解らないが外せない、中てねばならぬ。勝利の為にも、見守る妻の為にも、ここで中てねば男が立たぬ。外せない。
凄まじいプレッシャーの中、男は馬を駆けさせ、激しく揺れる鞍上にて弓に矢を番え、引き絞ってゆく。張り詰めたような圧力だったが、修羅場は撃退士として山ほど潜ってきた。
過去に屠ってきた無数の敵の屍にかけて、己ならば可能な筈だ。これまでに潜り抜けてきた危機を思い出せ。この程度の場面、過去の難事にくらべれば軽いものだ――そう、故にこそ、百戦錬磨は凄まじい鉄火場での圧力こそを、己の精神を研ぎ澄まし集中する為の外圧として利用する。静矢の精神はこれ以上ない程に研ぎ澄まされていた。
紫色の騎兵と一の的が交錯する瞬間、鋭く矢が放たれた。
ズパァーン! と快音が鳴り響き、歓声が盛大に沸き上がる。
静矢が放った矢は吸い込まれるように的に向かって飛んでゆき――そして、ど真ん中に突き刺さった。クリティカルヒット! 照準狂ってる弓での一射目なのに神通力でも働いてるのか、という冴えっぷりである。本日の運命の女神様は走っている。
葦毛の馬はさらに加速して速度をあげてゆく、見る見るうちに二の的が近づいて来る。静矢は急ぎ腰のえびらから矢を引き抜き弓に番える。
パァーン! と良い音が響き渡り、的中のアナウンスと共に歓声があがる。
しかし、
(外に逸れた……!)
馬の速度があがったせいか、一射目で掴んだ照準の修正が上手くいかなかったか、矢の軌道は的のやや外側に向かっていたように静矢には見えていた。
すると次の刹那、快調に飛ばしていた葦毛馬のペースが目に見えてがくりと落ちた。運命の女神様は気紛れだ。
(だが、狙いやすくはある――)
ど真ん中を射抜ければまだ解らない。
三の的と交差ざま精神を極限まで研ぎ澄まし、騎兵ははっしと矢を放つ。
錐揉みながら空を裂いて飛んだ豪矢は、鋭い音を響かせながら、的のど真ん中を貫いた。歓声が盛大に上がる。実力で中てた。
狩衣姿の騎兵が弓を手にゴールへと駆け入ってゆく。
結果。
一的 二的 三的
馬術 71 88 49
弓術 100 40 100
74点。
暫定二位。かなりの高得点だが書記長には届かなかったようだ。射撃では圧倒したが、馬術の差が出た。
「残念、届きませんでしたか」
と静矢。
「いや、なんで一射目からあそこまで中てられるんです?」
と常識外のものでも見るような目つきで源九郎。
「二射目や最後失速しなければ危なかった。流石ですね」
「まあ、妻の声援のおかげでしょうね。気合が入りました」
そんな言葉を交し合う二人である。
一方、
「なぁ〜んか盛り上がってんなぁ〜」
スタート待機所、会場の様子に白馬に跨った白磁の肌に蜂蜜色の北欧系の少女が首を傾げていた。巫女バイトを交代してイベントに参加しにきたラファルである。装いはバイトのそれのままに紅白の巫女装束だ。
良い結果が出た後にやるというのはなかなか嫌なものであるが、
「――よし! ならさらに俺が盛り上げてやるぜ!」
と思考するのがラファル・A・ユーティライネンである。
どうも撃退士は一巡だけの一発勝負のようなので、最初から全力でゆく事にする。
マリーら係員達によって矢が回収され、馬道の彼方で扇が翻る、スタートの合図だ。
「ハイよー、シ○バー!!」
どこぞのレンジャーみたいな掛け声と共に馬に拍車を入れて猛然と駆けださせたラファルは、次の瞬間、鐙を蹴って跳躍し地面に降り立った。
観衆一同ぎょっとするも巫女装束姿のブロンド少女は猛然と馬と共にコースを全速力で駆けてゆく。凄まじい健脚である。馬と並走する女、ラファル・A・ユーティライネン。
そして一の的が近づき騎手を失った馬がやや減速してきた時、ラファルは跳躍するとひらりと鞍上に跳び乗った。
馬に拍車を入れて再度加速させつつえびらから矢を引き抜き、上半身を捻りざま、一の的へと向けてはっしと放つ。
「あっ、畜生!」
ぎりっぎり、矢は的の外側をかすって奥の的に突き刺さってしまった。照準が狂っているせいだ。真っ直ぐ撃っても真っ直ぐ飛ばない。しかし、度肝を抜かれたラファルの果敢な射撃と曲芸じみた馬術に見物客から盛大な歓声と拍手が巻き起こる。
白馬は疾風の如くに馬道を駆け、
「――次は中てるぜ」
ラファルは前方に跳躍すると鞍の上に両足の靴底を揃えて立った。まさに曲乗りである。
激しく揺れる馬の鞍の上で立ち、二の的と交差ざま、弓矢を引き絞り撃ち降ろす。
スパァーン! と快音が轟き、歓声と的中のアナウンスが流れる。
唸りをあげて的へと撃ち降ろされた矢は、なかなか良い位置に突き刺さっていた。
「よーし、最後は……!」
再度馬を加速させ、今度はラファルは鐙に足をひっかけつつ身を捻り、見物客側へと身を投げ出した。「うわっ!」と息を呑む声が聞こえ、疾走する馬の鞍から地面と水平に巫女少女が突き出るような形になる。
ラファルは腹筋を使って身を起こすと、弓矢を三の的に向ける。凄まじい態勢だが、弓道でなく弓術の射法なら撃てる。普段の訓練や任務で鍛えた成果だ。
ヒュパッ! と矢が射出され快音を立てて的のど真ん中に突き刺さる。盛大に拍手と歓声が沸きあがった。
次の刹那、
「うぉおおおおおおお?!」
馬がバランスを崩して転倒しそうになるのを必死で制御しつつ鞍上になんとか戻り、金髪巫女少女がゴールへと突っ込んでいったのだった。
結果。
一的 二的 三的
馬術 100 100 100
弓術 9 69 100
80点。非常な高得点が出た。会場が沸きあがる。
一歩間違えば命に関わる曲芸じみた馬術の巧みさが得点に繋がった形であった。
続いて、
「落ち着きなさい、別に貴方を捕って食べるつもりはないんですから」
銀髪赤眼の巫女童女が、金栗毛の牡馬の鞍上で、馬の首に抱きつくようにして顔を近づけ囁いていた。
可愛い動物が好きなのだが基本的に動物=食料と考えている為そのオーラが滲み出ているのか非常に高確率で動物達に怯えられるプリンセス・オブ・デストロイヤー・雫である。
まあ普通の馬は本気モードの雫の斬撃なんぞ受けようものならば一瞬でズンバラリの馬刺。
それを感じ取っているのか、例によって例のごとく、今回のこの金栗毛の牡馬も脅えきっていた。
マリー達によって矢が回収され馬道の彼方、扇が翻る。スタートの合図だ。
「今回はどの目がでますかね……はぁっ!」
気合の声と共に雫が拍車を入れたその瞬間だ、
「――!」
金栗毛の牡馬は弾丸の如き速度で飛び出した。
捕食者に狙われた草食動物が必死の逃走を図る、命を賭けた全速全開の暴走ともいえる大爆走である。
「ちょ――こら!」
雫はなんとか宥めようとするが、当然、言うことなんて聞く訳なく、馬は爆走を続けてゆく。あっという間に一の的が迫って来る。
大恐慌している馬を宥める事を諦め、このままやるしかない、と判断した雫は、えびらから素早く矢を引き抜き、即座に放った。
交差ざま放たれた矢は、狙いから大きく逸れたが、的のやや外側寄りの位置に音を立てて命中する。
盛大に歓声が上がった。
「は、はやい?!」とか「すげぇ!!」とかいった声があがっている。G1で直線追い込みごぼう抜きにまくれる速度だ。爆速の馬がすぐ目の前を突き抜け齢十一才程度に見える童女が爆走する馬の鞍上から弓矢を放って中てるのだから、それは観客は騒ぐ。
しかし射撃難易度はラファルほどではないが激高だ。
(集中して……)
激しく視界が揺れ、風が逆巻き唸る、銀色の髪を暴れさせながら、赤眼の巫女は馬上にて弓矢を頭上に打ち起こすと引き絞る。ぎりりと音を響かせながら満月のように弓が変形してゆく。
二の的が迫る。
交差するその瞬間、放つ。
次の刹那、快音が轟き、歓声が盛大に沸きあがった。
錐揉みながら一閃の稲妻と化して飛んだ矢は、的に鋭く突き刺さり、そのごく中心付近を見事に撃ち抜いていた。クリティカルまではいかなかったが運命の女神様が走っている。
暴風の如く駆ける金栗毛の馬は、豪速で三の的に迫り、雫は再度腰のえびらから矢を引き抜いて弓に番える。三の的、弓の癖は掴んだ。
(――ここ)
放つ!
ズパァーン! と良い音が鳴り響き、的のど真ん中に弓矢が突き立った。撃退士の実力だ。
盛大な歓声を受けながら金栗毛の馬に跨る巫女がゴールへと爆速で突っ込んでいった。
結果。
一的 二的 三的
馬術 100 100 100
弓術 31 94 100
88点。
ゴールした後も馬は暴走し、雫はその鞍上から飛び降りて路上に一転、二転と受身を取って転がるはめになったが、源九郎を破ったその記録は、その後、その日の最後まで破られる事はなく、流鏑馬大会は雫の優勝で終わる事になるのだった。
●
「あー楽しかったぁ♪」
競技終了後、元の服に着替えた小梅は興奮の流鏑馬会場を後にし、屋台へと向かっていた。
甘酒を購入し飲みながらあちこちを見て歩く。視線の高さが大人のお尻辺りの為なのを逆利用して、スリや痴漢に注意して見回ってゆく。
「色んな店があるんだなぁ」
黄昏空もその小柄さを活かして人混みの中をすいすいと動き回っては、射的を行い、輪投げし、ロープを引いてはハズレだったりと屋台を巡ってゆくのだった。
羽子板会場では、
「少し、回ってみようか?」
と颯が絢へと手を差し伸べていた。
「うん!」
差し伸べられた手を絢は嬉しそうに掴んで、二人もまた屋台巡りへと繰り出す。
屋台巡りの最中、
「颯君の手暖かいねー」
と絢は笑って言った。
(……しっかり遊んでしまったけど、絢が楽しそうならいい……かな)
あっちへいこう、と颯に抱きついてはしゃいでいる絢の様子を眺めながら、悪魔の少年はそんな事を思うのだった。
他方、
「――といって、この神社に祭られている主祭神――メインな神様は、八百万の神々からの推薦を受けてトヨアシハラノナカツクニの平定の任に赴き、多大な貢献をした武神だと伝えられているわ。武神というのは、つまり、ファイターな神様よ。ここの武神様はジェネラルでありグレートなソードマスターへとソード・テクニックを授けたものでもあるわ。トツカノツルギを突き立て武威を示したの。武威というのは……おおよそミリタリーパワーね。トヨアシハラノナカツクニ、というのは、日本のことだと一般には言われているわね。タカノアマハラとヨモツクニの間にアシハラノナカツクニは在る、神々の世界と死者の国の間に、この世界はあると考えられたのね」
「オー、トテモ、ベンキョウ、ナリマース!」
ナナシは案内所に神社の由来を尋ねてやってきた外国人の対応にあたっていた。
図書館に半ば住み着いて蓄えた知識が発揮されてゆく。
「参拝方法とかって大丈夫?」
「オー、ソレハ、ワカリマース、ニレイニハクシュイチレイデースネ!」
下手な日本人より日本文化に詳しかったりするのでちょっと吃驚である。
他方。
境内の一画で罵声や怒声が飛び交っていた。
どうやら肩がぶつかった、謝れ謝らない、慰謝料払え冗談じゃない、やるかこら、やってやるよおら、の流れで胸倉を掴み合いたちまちのうちに殴り合いが始まった模様だった。
スーツ姿の三人連れの若い衆同士の乱闘である。鈍い音が鳴り響き、人が吹き飛んで屋台に激突して商品が散乱し、椅子を振り回し殴りつけ、瓶が割れ、テーブルが飛び、悲鳴があがる。
「新年早々血の気の多い……!」
それとも因縁売りつける商売の連中なのか。『乱闘が発生しています』と、司令部の茜からの連絡を受けて駆けつけた天風静流は、現場の惨状を見やって眉を潜めた。
いずれにせよ止めねばならぬ。
「暴れるのはやめなさい」
静流は間に割って入ってやんわりと声をあげた。
「あ?!」
「なんだてめぇ?!」
祖父から仕込まれ武芸百般に通じている黒髪の麗人は、胸倉を掴んできた一人の手をやんわりと取るとやんわりと捻りつつやんわりと足を払って地面に叩きつけ流れるように足で顔面を踏みつけ、次いで殴りかかってきた一人の腕を取ってやんわりと一本背負いして地面に叩きつけて踏みつけた。一本背負いは腕を裏側に捻って関節を決めて肘を圧し折りながら投げてる訳ではないのでやんわりとである。
「ここは神域だ、穢さない方が良い。悪い事が起こるよ」
ぎろりと左右を睥睨すると四人の男達は及び腰になり、後ずさりながら何やら喚き散らして捨て台詞を残し、蜘蛛の子を散らすようにして逃げていった。
(やれやれ……武力は行使せずにが理想だが、難しいな)
静流は嘆息した。戦わずして場を納めるのが武道的には最上なのだが――破壊力を撒き散らすのは色々問題が発生する――なかなか、外見だけで判断して力量差を読まない相手だと上手くいかない。こういう手合い相手の時は筋骨隆々の強面などの外見の方が有利だ。黒髪の美女ではびびってくれない。
「さて、相談だが」
静流は地面に転がっているリーダー格の二人を見下ろして言った。
「新年早々冷たい地下室に叩きこまれるのと、壊したものを弁償するの、どちらが良いかな?」
「過剰防衛……」
「恐喝……」
「あぁ、私は撃退士だ。撃退士は任務中はその必要性が認められれば、日本国の法令は必ずしも適用されない。足掻いても無駄に疲れるだけだよ、観念すると良い」
「「げ、撃退士」」
その言葉を聞いて男達はがくりと力を抜いたのだった。
●
歳若い男女と幼子、家族連れらしき三人が、道を歩いてゆく。
狩野峰雪はその姿を眩しそうに眺めて、かつて、己の家族全員が揃っていた過去の日々を思い出していた。
「よっ! あけまして!」
不意に聞き知った声がして、峰雪は振り返った。
そこには銀髪赤眼の青年が立って、片手をあげていた。
「あぁ、小田切君か。あけましておめでとう」
柔和な微笑を浮かべて峰雪。
ニッと笑ってルビィが言う。
「今年も一年よろしく頼むぜ」
「こちらこそ今年もよろしく」
そして、ルビィは怪訝そうな表情をした。
「こんなところで突っ立って、どうしたんだ?」
それに峰雪は微笑を保ったまま答えた。
「いや、少し考え事をしていただけだよ。小田切君は?」
「俺は挨拶に回ってるところさ。あんたに会ったから、次は会長かな」
二、三世間話をするとルビィは峰雪に手を振って去って行った。
「家族か……」
峰雪は思う。
今は何処で何をしているのだろうか。
●
「お母さんとはぐれちゃったの?」
文歌は迷子の女の子に問いかけていた。
歳は四、五歳だろうか。不安そうな表情をしている小さな女の子はこくりと頷く。
「お名前教えてくれるかな?」
と文歌は名前を聞き出すと一緒に司令部にいこう、と持ちかける。
「……そこいけば、お母さんに会える?」
「うん、きっと会えるよ」
「じゃあ行く!」
と女の子はぱっと笑顔になって頷いた。
「……ん、一緒にじゃあ、行こうか?」
と快晴が手を差し出すと、
「うんっ!」
と、女の子は差し出された快晴の手を取り、共に歩き出した。
鮮やかである。
強面のファーフナーがあんなに苦労したのが嘘のようである。文歌と快晴の物腰や外見、というのもあるだろうが、やはり迷子側の気質もあるのだろう。
(……ちょっと、この子、危ないな)
快晴は思う。
子供に必須の警戒心が足りない。
声をかけるのが遅かったら、悪意ある誰かが声をかけていたら、連れ去られてしまっていたかもしれない。
「あ、綿飴食べる?」
「たべるー!」
途中、文歌は屋台で綿飴を女の子へと買ってあげた。
女の子は満面の笑顔で両手を伸ばして綿飴を受け取るとかぶりついてもぐもぐとしている。
そんな様子を眺めて文歌が微笑した。
「こうしていると私たち、なんだか本当の家族みたいだね♪」
「そうだねぇ、こんな女の子が本当に欲しいねぇ」
快晴が微笑し、文歌と女の子の両方を撫でた。
快晴と文歌は来年、文歌が高等部を卒業したら結婚予定である。
(俺たちにもこんな子供が出来たりするのかな)
そんな事を思う。
文歌の方でも、
(子どもができた時、私達もこんな風に過ごすのかな?)
などと思っていたのだった。
●
司令部。
「よお会長、明けましておめっとさん! 去年は世話ンなった。今年もよろしくな」
小田切ルビィがやってきて茜へと挨拶した。
「明けましておめでとうございます小田切さん。こちらこそ、お世話になりました。今年もよろしくお願いいたしますね」
にこっと微笑して神楽坂茜。
「そうそう、例の写真集もおかげさまで無事に発行できたぜ。一冊お納めくださいってな」
とルビィは礼も兼ねて挨拶し、写真集の現物を贈る。
「な? こうやって一瞬一瞬を残しておける写真ってのも良いモンだろ?」
黒髪娘は顔を赤くして、
「実際に市場に流通しているのを見ますと、大変、恥ずかしい気がいたします。そのお言葉に関しては一般的には同意いたしますけど、今のこの状況では同意しがたいのです、恥ずかしいっ」
「ははっ、青春の一ページだな! 青春ってのは恥ずかしいもんだと聞くぜ」
などとルビィは笑い、会長は写真集を見て真っ赤な顔で”ああああ”と身悶えしていたのだった。
●
一方、司令部の奥の部屋、陽波透次は保護された五歳程度の迷子の子供の眼前へと『創作』スキルでヌイグルミを作ってやっていた。
「わあ! ジ○ニャン!」
某時計的地縛霊のヌイグルミに童女は大喜びだ。
「もしお腹空いてるなら、これ、食べる?」
飛鳥はそこの屋台で買ってきたクレープを差し出した。
「食べる〜」
童女は受け取るとモグモグと食べ始めた。笑顔になっている。美味しいようだ。
透次は母親の特徴を聞き出すと、茜に言って無線で流して貰うように頼んだ。境内にいるのなら、時期に見つかる事だろう。
(夏樹も幸福な家庭であれば……この子みたいだったのかな……)
クレープにかぶりついている童女を見やりつつ透次は思いを馳せる。
飛鳥はそんな透次の頭に軽くチョップを入れた。
「……なに? 姉さん」
後頭部を擦りながら眉を顰めて振り向いてきた弟へと姉は言った。
「考え事の暇あれば仕事しなさい。動けば気紛れるでしょ」
「仕事、か……」
透次は再び女の子に向き直ると白紙の絵本を取り出して言った。
「……何か描いて欲しい絵とかあるかな?」
「おにーちゃん、絵、得意なの?」
「……うん、ちょっとしたスキルがあってね」
「じゃあジ○ニャンをエ○ちゃんがじゃらしてるとこ描いて!」
童女は某時計が随分好きらしく地縛霊とその生前の飼い主の絵をせがんで来た。
「えーと……」
スケッチは、アウルのインクを用い、自身のイメージする光景を瞬時に絵にする技術である。
つまりイメージ出来ないと描けない訳で、果たして透次は某時計のその話の内容を知っているのだろうか。
かくて、無事に描いて童女を喜ばせる事ができるかどうか、透次のアニメ知識が試されるところとなるのであった。
●
境内。
「あぁ、どうも、ありがとうねぇ」
「いえいえ、お気をつけて」
明斗は転んだ老婆に手を貸して立ち上がるのを手伝うと、去り行く後姿を見送った。
そして見回りを続け流鏑馬会場の付近に差し掛かった時である。
「や、やめてください!」
流鏑馬の午前の部が終わり、閑散とした会場付近、後片付けの為に道を往来していたマリーは、ゴミをポイ捨てしながら歩くマナーの悪い三人組を注意したのだが、逆に凄まれて、絡まれ、囲まれて涙目であった。
「ヨーヨー、姉ちゃんヨー、わかったからヨー、俺らゴミ拾いボランティアするからヨー」
「代わりにヨー、ちょっとヨー、俺らのお参りにヨー、付き合ってくんなイ?」
「クンナイクンナイクンナイー?」
男達の一人が涙目のマリーの肩に馴れ馴れしく腕をまわし、無遠慮にべたべたと身体を触ってくる。
閑散としても多少は人通りはあるのだが、やんちゃな風体の若者達の蛮行に対し周囲は見て見ぬ振りである。新年早々厄介事に関わるのは御免であろう。処世術。
「何をしている!」
そんな様を目撃した明斗は声を張り上げ駆けつけた。
「ア?」
「アン?」
「ア”ンンンンっ?!」
青年達は「?!」とでも擬音がつきそうな表情で一斉に明斗を睨みつける。
「何ボクぅ?」
「ッマエこそ何なワケェ?」
「何ボク何ボク何ボクゥ?」
冷たく凶暴そうな視線が明斗に突き刺さって来る。
「その子は僕の知り合いです。手を離しなさい」
「「「そうなの?」」」
男達の視線が一斉にマリーに向き、少女は脅えながらも頷く。
「でもよー、俺らともお知り合いなんだヨ」
「そー昔からのお友達なんだヨ」
「これからオレラ楽しくお参りなんだヨ……な?」
マリーの肩を抱いている男が肩をつかむ手に力を込める。
「ち、違います、私は……」
その時である、
「また何の騒ぎだね」
黒コートの麗人が道の彼方よりやってきた。天風静流だ。
「ちっ、次から次へと……」
男達は忌々しく静流を睨み――そして、黒コートの武芸百般な娘は今度は最初から殺気を全開にして氷のような瞳で睨みつけた。
「な、なぁブラザー、この子、オレラの知り合いと良く似てるけど別の子じゃネ?」
男の一人が言って、残った二人はマリーと明斗と静流を見比べ、
「あ、あぁそうだなブラザー! 人違いだったヨ!」
「オー、なんだよ紛らわしい面しやがって、ま、人間だから間違いってのはあるもんダ、お互い悪かったって事で、邪魔したナ!」
男達はぽんぽんとマリーの肩を叩くと離脱に入った。まだ乱闘などが始まる前だったので睨みが効いたようだ。
マリーは迷ったが、まだ肩を組まれただけだったのと、場がそのままおさまりそうだったので男の服から手を離して見送った。
「なんなんですかねあいつら」
腹立たしげに明斗が言って、
「大丈夫ですかマリーさん」
と気遣ってくる。
「は、はい、おかげさまで……有難うございます」
マリーは黒井と静流に一礼する。
「大事なくて何より。盛況な分、厄介な者も紛れ込んでいる。気をつけて」
静流の言葉にマリーは「はい」と頷いたのだった。
●
「――うん、おみくじ、なかなか良い結果だったよ」
拓海と共に境内を歩く葉月はご機嫌であった。
「そりゃよかった。喰うか?」
拓海は購入した厄除け団子を葉月の口元へと向けた。一本の串に四個の団子が刺さっているタイプだ。
「それじゃ、一個」
と葉月はあーんと口をあけて団子にかぶりつきもぐもぐと咀嚼する。
「あ、美味しい」
うふふと笑顔がこぼれる葉月である。
拓海も一個に齧りついて咀嚼し「ほんとだな」と頷く。
「ねぇねぇ拓海、りんご飴食べようよっ」
葉月は恋人の腕を取りつつりんご飴の屋台を指差して言う。
「よし、じゃあ次はりんご飴いってみるか」
団子をたいらげた拓海は葉月と共にりんご飴を購入する。
飴で包まれて光沢を放つ、球状のルビーの色の食べ物。
りんご飴を食すれば、外は甘く、中身は甘酸っぱい、独特の味が口に広がったのだった。
いちゃいちゃしながら屋台を練り歩く二人だったが、少し、人通りの少ない道に出た時、
「ヨーヨー! 兄ちゃんヨー! 見せつけてくれるじゃねぇかヨー!」
「ちょっとヨー、俺達にもヨー、幸せってヤツ? 幸運の女神様ってやつ? こっちにもまわしてくんナイィィィ?」
「安心しろヤ、可愛がってやるからよォ! ギャハハハハ!!」
と、やんちゃな風体の若者達に囲まれる。
「さっき引いた御神籤、基礎運大吉だったのに……!」
「まあ籤は籤だな」
拓海が片腕を広げ葉月を庇うように前に出る。
次の瞬間、
「ごふぅっ!」
「へぶらはぁ!」
「安部氏ぃ!」
と、若者達が吹っ飛んで行く。
「わ、拓海、何をやったの?」
「何、少し撃退士の力を教えてやっただけだ」
ただまぁデコピンではさすがに無理そうだったので平手でいった。
やがて葉月から通報を受けた巫女装束姿のラファルが通常警備員と共に駆けつける。
「おお、これはまた怨念が渦巻いてるぜ……厄いな」
巫女は払いたまえ、清めたまえ、としゃしゃっと御幣を振るう。
「じゃあ後はやっておくんで」
「お願いします」
と、ラファルは警備員達と共に三人組を連行してゆく。
「ひー、勘弁しろヨー! つい出来心ナンダヨ、見逃セヨー!」
「心がせめぇぞコラー!」
「正義を振りかざす奴は地獄に落ちロー!」
「ははっ、新年早々、勝ったら何するつもりだったんだ? 知ってるよ、助けたところで改心なんてしないんだろ? 放ったら今度はもっと弱い奴を狙って悪さをするんだろう? 二度とできないように徹底的に沈めてやるよ」
「「「ギャー!」」」
●
「あの〜、おじちゃん」
無邪気に微笑して童女が言った。
「わるいことしちゃ、メッ!なのですよ〜」
深森木葉である。その手はしっかりと壮年の男のコートを掴んでいて、
「ちっ!!」
サイフを手にしている男は、コートを脱ぎ捨てて木葉の手から逃れると、猛然と駆け出し始めた。
「どけどけどけどけ!」
「なんだなんだ?!」
人混みを縫って男が駆けてゆくと、すると、その行く手を遮るようにどこからともかくいきなり黒髪の少女が現れた。まるで虚空から出現したかのようであった。六道鈴音である。
次の刹那、男の周囲に無数の手が出現し、うねりながら掴みかかっていた。
「ひ、ひぃぃぃっ!! な、なんだこりゃあああああ?!」
腕に足を取られて壮年の男が転倒し鈴音は男の傍へとしゃがみ込んだ。
「窃盗は犯罪ですよー」
言いつつ鈴音は男の額に指先をあて、男の過去の経験を読み、すりの手口を掴んでゆくのだった。
●
「どうぞ」
「む、すまないな」
休憩中、鴉鳥はファティナが淹れてくれた茶をずずっと啜って息を吐く。人混みはやはり苦手だ。
そんな中、流鏑馬を終えた雫が再び御神籤売り場へと戻ってきた。
「あぁ雫、お帰り」
売り場に立っている菫が声をかけてくる。
「ただいま戻りました。御神籤、一回、引いて良いですか?」
「良いぞ、百円な」
「はい」
と、雫は百円を納めると菫が持つ箱から御神籤を一枚引いてみる。
すると、
基礎運、吉。
恋愛運、大吉。
勝負運、末吉。
商売運、小吉。
という結果になった。総合的にはなかなか良い結果である。
が、
(……恋愛といわれましても)
生憎まだ中等部一年である。いや、中学ってそろそろそんな時期なのか? とりあえず事実としてあるのは、動物達は振り向いてくれない、という事であった。流鏑馬ロデオを振り返り悲しい雫である。
「私も引いてみるか」
と菫もまた別の種類の御神籤を引いてみた。
結果。
女子力 望むのならばくれてやる!
恋愛 茨道。ドラマだけで十分である。敢えて言うならドレスに裸足のままで道を歩いてはいけない。
美容 夜更かしは身体に毒。早起きは三文の得。三文じゃ何も買えない世の中だけれど、規則正しい生活を。
運勢 歳在丙申にあれども天下大吉。
「…………このおみくじは一体誰が作っているんだ?」
菫はなんともいえぬ心地でくじの文面を眺めるのだった。
●
陽も大分高くなり、冷えていた空気も大分和らいできた頃、巫女バイトを交代して黒の着物に着替えた鬼無里鴉鳥は司令部へと向かった。
すると、入り口付近の野点の赤い布が敷かれた席で茶を飲んでいる黒髪娘達の姿が目についた。客側には茜、ナナシ、飛鳥、透次、静流の計五人。
香里が釜から柄杓で湯を茶碗に注ぎ、次いで、茶筅を持ち撹拌して茶を点てている。
冬の陽光が差し、凛とした空気が漂っている。
「どうぞ」
香里が言って茶碗を差し出し、正座している静流が一礼して茶碗を受け取り、三度口つけて飲み干した。
鴉鳥が近づいてゆくと、茜が鴉鳥の方へと振り向いて微笑した。空気がふわっと緩んだように鴉鳥には見えた。
「呉葉ちゃん、明けましておめでとうございます」
「うん、新年、明けましておめでとう。今年もよろしくだよ、茜殿」
黒の着物姿の銀髪娘は目を眇めるとそう言った。
一同はそれぞれ挨拶をかわすと共に、
「呉葉ちゃん、今日はお着物なのですね。さすが、しっかり着こなされてますね。とても奇麗です」
「有難う。茜殿も今日は振袖だな。とても華やかだ」
そんな言葉をかわしつつ、香里に一礼してから野点の席を立った。
合計して六人になった一行は拝殿目指してぞろぞろと歩いてゆく。
ナナシが言った。
「これは、あれね、古式ゆかしいスタイルでダンジョン潜れる人数ね」
「前衛ばっかなんですが」
剣士、剣士、剣士、剣士、長柄使い、銃/ハンマー使いで六人である。
「圧倒的突撃パーティね」
「まあメイン武器はともかく、銃や弓を使える者もいるから、なんとかなるとは思うけどね」
「……むしろ全員遠近両用では?」
そんな事を一行は言い合いつつ拝殿に辿り着くと賽銭を入れ、六人で綱を引いて鈴を鳴らし、揃って二礼二拍手する。
(――皆が幸福でありますように)
振袖に赤いコートを羽織っている赤毛の娘、陽波飛鳥はそう祈った。
(姉さんが幸せでありますように)
飛鳥の弟の陽波透次はそう祈った。
昨年は本当に支えられた。
ありがとう、と、そう思うのである。
(――世界が平和になるように、茜と共に戦死せず、寿命が来るまで一緒に居られるように)
ナナシは神は信じていないが、そう祈った。
鴉鳥、静流、茜もそれぞれ祈願し、一同は揃って一礼する。
拝殿への参拝を終えた一同はその隣にある売り場へと向かう。
「おー、いらっしゃいましたね〜」
銀髪赤眼の外見も伴って神秘的な雰囲気を周囲に振り撒いていた巫女が急に俗っぽくなった。売り場に立っていたのは朝から引き続きファティナ・V・アイゼンブルクである。
「あけましておめでとうございますですよ、ティナさーん!」
茜が笑顔を向けて手をぶんぶんとふり、一同もそれぞれ挨拶をする。
「ファティナさんあけましておめでとう! 巫女姿素敵ね!」と飛鳥。
「どうも、姉がいつもお世話になってます」と透次。
「やあティナ、上手く巫女やれてるかい」と静流。
「昨年は世話になったアイゼンブルク殿。今年もよろしくだよ」と鴉鳥。
「明けましておめでとう。今年もよろしくね」とナナシ。
静流と透次はほぼいつもの格好だが、他は皆、振袖や留袖だ。
「あけましておめでとうございます。きちんと巫女やれてますよっ。こちらこそ、昨年はお世話になりました。今年も一年よろしくお願いいたしますね。巫女装束、似合ってますかね? 有難うございます。皆さんもお綺麗で可愛らしいですよ」
にこっとファティナは微笑し、その赤眼が視線がポニテで振袖姿な茜の白い首元に向く。
お姉様は思う。
――こう、茜さんの後ろに回りこんでするっと首元から手を滑らして入れたら、この黒髪娘はどんな反応するだろうか?
中は暖かいだろうから「きゃ、そんなとこっ、ティナさん、冷たいっ」とか言うのだろうか
「……胸元に手をいげふげふんっ!」
ファティナは妄想を精神力を総動員して強制的に断ち切った。今は巫女である。今は巫女巫女、今は神聖な巫女である。煩悩は、いけない。
「新年から飛ばしているねティナは」
口元に握り拳をやって咳払いしている銀髪娘へと静流は言った。
「おかげさまでフライハイですよ。それよりさぁさぁ、御神籤引いてお守り買って売り上げに貢献して下さいねー」
ファティナは御神籤の箱の両側面を両手でぺしぺしと軽く叩く。
「それじゃ、御神籤一枚お願いね、ファティナさん」
「有難うございます飛鳥さん。百円のお納めになります〜」
飛鳥はお財布から小銭を取り出してファティナへと渡すと御神籤を引いてみた。
そして、
「うっ!」
基礎運、凶。
恋愛運、凶。
勝負運、大吉。
商売運、中吉。
「……ねえさん」
透次が驚いたように言った。
「……凶二連て、ある意味凄いね。レアなんじゃないかな?」
「うるさいわよ。そんなレアいらないわよ!」
「飛鳥さんドンマイです。でも、確かに、レアですね。凶自体あんまり見かけてない気がしますし……」
同じく驚いた顔をしてファティナ。朝からずっと御神籤売って来た巫女がいうんだから間違いなくレアであろう。
「う〜」
涙目な飛鳥である。書かれていた内容で目を引いたのは恋愛運の項目だろうか。
(「些細な事で行き違いが起こる可能性がある。無責任な人の噂に耳を貸すべきではない。信ずべき人をこそ信ずる事が肝要」ねぇ……)
他の項目にはなんかやたらはっちゃけた事が書いてある。
「ほらほら、姉さん、運気向上の御守り――あ、すいませんファティナさん、この御守り一つください」
「はい、千円のお納めになります」
運気向上の御守りを購入した透次は、飛鳥に御守りをプレゼントした。
「……あ、有難う」
御守りを受け取って飛鳥。
「ほら、まあ勝負運は大吉だし……じゃあ次は僕、引いてみますね……」
透次はお金を納めると御神籤を一枚引く。
すると、
基礎運、小吉。
恋愛運、中吉。
勝負運、小吉。
商売運、末吉。
「「「……」」」
一同が透次が手にしている御神籤を覗き込み、その内容を読んで沈黙している中、
「すんごい普通ね」
飛鳥がバッサリ言った。
「良いんだよどっかの誰かさんみたいに凶二連とかじゃなければ……」
「レアで悪かったわねレアで悪かったわねレアで悪かったわねー!」
ぽかぽかと飛鳥が透次の背中を叩いていた。
「そ、それじゃ次は私が……」
と、今度は茜が引いてみた。
結果は、基礎運、小吉。恋愛運、小吉。勝負運、吉。商売運、小吉。こちらも至極普通な範囲のバランス。
続いて、
静流は、基礎運、末吉。恋愛運、小吉。勝負運、大吉。商売運、末吉。
鴉鳥は、基礎運、末吉。恋愛運、末吉。勝負運、小吉。商売運、中吉。
という結果だった。皆、総合的にはおよそ普通の範疇である。
「けっこう普通だね」
「まあ普通の結果が一番でる確率高いですからね」
「普通だから普通か」
そんな事を言い合いつつ最後にナナシ。
「ん〜〜〜良いのでると良いわね」
と、ファティナが持つ箱に腕を突っ込んでごそごそやりつつ一枚を掴み引き抜く。
折りたたまれていた紙を開くとそこには、
基礎運、小吉。
恋愛運、末吉。
勝負運、中吉。
商売運、吉。
やっぱり普通なバランスだった。
「……御免なさい、盛り上がりに欠けたわね……」
「ナナちゃん、そんなの気にするのは報告官だけで良いんですよ」
かくて六人のおみくじは出オチであった。
「まあ、籤は籤だ。私も引いたんだが……当たるも八卦、当たらぬも八卦くらいに考えておいた方が良いぞ」
と一同に言うのは巫女菫である。
「菫さんの結果ってどうだったんです?」
茜が問うと菫は真面目な顔で答えた。
「『歳在丙申にあれども天下大吉』」
「大陸で叛乱でも起こしそうな運勢ですね」
「信じる信じない以前の問題だ。なんだ項目女子力って」
そういうおみくじも世の中あるようなので困る。
そんな事を話しつつ、
「それでは当社の巫女たる私からお勧めの御守りをチョイスさせていただきますねー、注目、発表〜」
「いえーいー」
ファティナが言って茜がパチパチと拍手した。
「まず、茜さんと飛鳥さんには健康祈願ですね」
「うん、健康第一よね」
「体が資本ですからねー」
「茜さんは主に胃向けになっております」
「キャ○ジン、私のお友達」
「お友達の飲み過ぎにはご注意ください。続いて静流さんには厄除け御守りを」
「おや、厄除けかい」
「新年早々ついてなかったとかお聞きしましたので」
「なるほど」
「そして鬼無里さんには魔神調伏の御守りを」
「ふむ、魔の調伏か」
「透次さんには除災得幸の御守りを」
「……有難うございます」
「ナナシさんには大願成就の御守りをお勧めいたしますね」
「願いが叶うように、ね。有難う」
という訳で一行は本日の巫女のオススメに従い御守りを購入してゆく。
そんな一同を眺めつつファティナは、
(晴れ着の茜さん達を撮りたいですが……今は我慢……!)
とふるふると耐えているのだった。愛情制御、の御守りが必要だ。
不意に、
「はーい、ティナさん、こっち向いてっ。一枚良いですか?」
デジカメを構えつつ茜。
「えっ、私が撮られる側になってるっ?」
などとかしましく声をあげつつシャッターが切られるのであった。
●
わいわいと騒がしい売り場。
「あの、会長? 何か辛い出来事でもありました?」
「えっ?」
巫女バイトに就いている雫は茜に問いかけていた。
「会長、朝に駅の広場でお見かけしたのですけど……その、私の記憶との乖離が酷いんですが……」
なんか言動のイメージが記憶と違うような気がするのである。今だっていえーいとか言ったりする人じゃなかった記憶である。何か人格変わる程に辛かったりショックな事があったのだろうか――そう思って雫が見上げると、
「ふふ、ご心配おかけしてごめんなさいね」
茜は穏やかに微笑した。
「少しはしゃいでいただけですよ。実は前から結構、私もそういうところもあるのです」
「……そうなのですか?」
「ええ……まあ、そうですね、正直に申し上げれば、辛い事というのは沢山あります」
黒髪娘は童女へと柔らかく目を細めると、
「だからこそ、きっと、笑っているのが良いと、最近、そう思うようになりました。私が笑っていると、共に笑ってくだされるかたがいる。私はそれが嬉しい。これは、とても有りがたく、恵まれた事です。私は支えられて立っている。ですから、私はその方達を愛している。私は愛する人達に幸せをあげたい。多くを愛して生きたい。ですから、私は明るく笑っているのが良い。そうですね、確かに、少し、私も変わったのかもしれません」
「……それであんなかんじなんですか?」
「はい、楽しいですよ? まあ会長としてのTPOは弁えないといけませんけども」
ふふっと笑って茜は雫へとそんな事を言ったのだった。
●
「あぁそうだ会長、今年の目標などはあるか?」
菫は無線で聞こうと思ってたのだが、互いに業務で忙しくて聞けなかったので、結局直接茜に問いかけてみた。
「目標、ですか? えーと、それは学園の会長としてじゃなくて、個人的なですかね?」
赤い振袖姿の黒髪娘が小首を傾げる。
黒髪の巫女娘は頷き、
「そうだな、組織じゃなくて個人の目標だ」
「個人の目標は……そうですね、特に一つ、という事なら、強く賢く在りたいですね」
「強く賢く、か」
「はい。婦人の仁にはならぬよう、優しくある為には、心が折れないように強く、道理を弁えられるように賢く、強さと賢さが必要とされると、そう思うのです。ですから、その二つが欲しいのです」
そんな事を会長は言ったのだった。
●
屋台にバッタ怪人的ヒーロー面がずらりと並んでいる。
それを見上げて子供が屋台の店員――久遠仁刀へと問いかけた。
「にーちゃん、初代ってどれなの?」
「初代はこれだな」
と防寒用のダウンジャケットに身を包んでいる仁刀は、伝説の始まりなデザインの面を指差して言う。
また別の子供が言う。
「一番新しいのは?」
「最新は……これだな」
猛勉強で身につけた知識を引っ張り出し、最新ライダーを仁刀は指差す。
子供達はあれこれ悩んだ末、赤髪の店員にお金を渡すと、それぞれ面を受け取りかぶって彼方へと走っていく。
「毎度あり。迷子になるなよー」
「おれら近所だから大丈夫だぁ!」
「庭庭ー!」
子供達が肩越しに振り返って手を振る。どうやら子供達だけで来ているようだ。
「そうか、だが気をつけてな!」
手を振り返しつつ仁刀は言う。
子供達の背を見送った後、
「久遠さん、明けましておめでとう」
不意に女の声が響いた。
仁刀が振り返ると振袖姿の赤毛の娘が立っていた。陽波飛鳥である。
その背後よりも見知った面子がぞろぞろとやってきた。
「明けましておめでとうございます仁刀さん。今年もよろしくお願いいたしますね」
と振袖姿の茜。
「元気そうだね。明けましておめでとう」
と黒コート姿の静流。
「昨年はお世話になりました。今年もよろしくお願いします」
とコート姿の透次。
「明けましておめでとう久遠殿。ふむ、面か」
と黒い着物姿の鴉鳥。
「明けましておめでとう。新旧揃ってるのね。凄い量。今年もよろしくね」
と薄紫の振袖姿のナナシである。
「あぁ、明けましておめでとう。こちらこそ今年もよろしくな」
仁刀は一同に挨拶を返す。
「久遠さんて詳しいのね」
子供達に解説しているのが聞こえていたのか、飛鳥そんな事を言った。
それに仁刀は密かに内心焦る。赤毛の娘は純粋に知識を称賛しているように見えたが、仁刀的には、え、実はオタク? とか思われたかもしれない、的な恐れが出たのである。
「ああ、屋台をやるのに勉強したからな」
「流石仁刀さん真面目ですね。あ、この赤い化粧されてるキツネさんくださいな」
と茜が棚にかかっている面の一つを指差して言った。
「張子細工の狐面か……また変わったの選んだな」
「味があります。気に入りました」
そんなこんな面を買ったり雑談したりしてから一行は仁刀と別れ屋台を後にする。
屋台を巡りつつ、ナナシは茜と一緒に林檎飴を買って食べた。
外の飴は甘く、中は酸っぱい、ナナシに過去の記憶はないがノスタルジーな味だ。
「甘くて酸っぱいわね」
「なんだか子供の頃を思い出します」
黒髪娘は飴を舐めつつ笑ってそんな事を言っていた。
●
その後、屋台を巡る組と羽子板をやる組とに別れる事となり、鴉鳥、ナナシ、茜の三人は羽子板会場へと向かった。
「さー勝負の時間ですっ」
指輪やネックレスを外した赤い振袖姿の黒髪ポニテ娘が、コート上で羽子板をヒュンヒュンと振り回している。鋭い風切り音。勝負事だと気合入っているのは恒例な神楽坂茜である。
境内の一画に設けられた羽子板会場のコートは、向かい合った時、左右の幅が5m、前後の幅が10m程度の広さだ。
石畳に朱色のテープが張られて区切られて形成され、コート中央両脇に支柱が立てられネットが張られている。詳しい間取りやルールは颯と絢の対決部分を参照だ。
「スキルの使用は禁止しましょ。人外勝負になっちゃうし」
さすがに飛行や加速などに関してはルールに明記なかったが使わない方が良いだろうと、ナナシはそのように提案した。蒼一とノエルの勝負を見ていた訳ではないが、それでえらい事になっていたので、競技自体を楽しもうとするなら、そうするのが賢明かもしれない。
「了解です。ではスキルは無しで」
「うん、それじゃ茜、いくわね」
「はーい、きてください、ナナちゃん!」
薄紫色の振袖に身を包んでいる紫色の髪の童女は、茜の返事を聞くと、黒小球に鳥羽が数枚差し込まれて作られてるこの神社特別製の『羽根』を宙に放った。
宙に放られた羽根は黒小球の重さでくるりと回転し、そちらを下にして落ちてくる。
ナナシは羽子板を振りかぶるとすくい上げるようにして振り抜いた。
カーン、と良い音がして羽根が放物線を描き、茜側のコート上へと飛んでゆく。
赤い振袖娘は羽子板を頭上に掲げながら落下点に入り込むと、
「えいっ!」
と声をあげ押すように羽子板をふるった。
カコーンと良い音を立てて羽根が天高くに舞い上がる。
ナナシは頭上を見上げ、青い空をバックに落下してくる羽根の下へと回り込むと、力を加減して、ちょんと軽く押すように中てた。ネット際を狙ったのである。
すると、茜が振袖を翻し羽子板を振り上げながら中央ラインへと高々と跳躍していた。飛行がなくてもバスケでダンクできる女だ。
桜柄の赤い振袖の女は、羽根がネットを越えた瞬間に、羽子板を傾けつつ弧を描いて横に切るよう、ネットに対して水平となる方向に振り抜いた。
ネット間際で羽根を強烈に打撃しつつも、羽子板はネットにタッチせずに振り抜かれ、弾かれた羽根は急角度でコート上へと落ちてゆく。
一方、ナナシは宙に跳んだ茜の身体の向きと構えた羽子板の位置から、およそ打ち降ろしてくる方向を読んでいた。
打ち込まれるよりも一瞬早くに落下点へと向かって走り出している。
閃光の如くに落ちてきた羽根に対し、ナナシは咄嗟に羽子板を下から上へと振り上げた。
カコーン! と良い音を鳴らしながら羽根が宙へと打ち上げられ、ネットを越えコート奥へと飛んでゆく。
ライン際ギリギリ、コート内に落ちる軌道だ。
「えーっ?!」
着地した茜が慌てて振り返ってコート端へとダッシュしてゆくが、振袖で走りづらいせいもあって間に合わず、ぽとりと羽根がコート内に落下した。
「一点先取ね」
桜柄の薄紫の振袖の娘はにこっと笑った。
「あ、あの一撃を返しますか……もしかしてコース読んでました?」
「さて、どうでしょう」
羽子板で口元を隠しつつ片目を瞑ってナナシ。
そんなやり取りを交わしつつまたカコンカコンと打ち合いが始まる。
その後、
「――えいっ」
「あっ」
宙に跳びあがった茜は、羽子板をいきおいよく振り下ろす――と見せかけて、寸前で止めて方向を切り返し、ちょこんと、ナナシが先読みして動いたのとは逆方向へと羽根を落とした。
「く、またそれね」
「ふ、ふ、ふ、兵は詭道なのですよ」
茜がフェイントを多用し始めていた。打つ先が読めない動きに押され始め、気付くとナナシは追い込まれてゆく。
が、
「そこよ!」
ナナシはまた茜がちょこんとやってくるタイミングを見切ると、前方ネット際へと高々と跳躍した。
見よう見真似で羽子板を傾け、弧を描く軌道で車のワイパーのように振り抜く。
羽子板はネットタッチを避けながら羽根を強打し、羽根は急角度で茜側のコート上に落ちてゆく。
「あー!」
「ふふっ、何度も同じ手は喰わないわ」
着地して微笑しナナシ。
「むむむっ」
「勝負はここからよ」
言って、ナナシは羽根を放ると羽子板でカコーンと打ち上げサーブする。
「こうなったら……!」
一方、ナナシが対応してきたのを見た茜はまた強打と速攻主体で打ち込んで来るようになった。
速攻、速攻、速攻、である。しかし速さに対応しようと構えていると、忘れた頃にフェイントを織り交ぜてきてポイントを奪取にかかってもきた。
フェイントを警戒すると、動き出しが遅れて速攻に押され、速攻に対応しようとすると、フェイントを喰らう、という寸法だ。こうなると心理戦、表か裏かどちらで来るかの読み合い色が強くなる。
カコンカコンと激しいラリーが続き、ナナシはそれでも粘ったが、ネット際で競ったところをコート端を狙って打ち込んだ一打がアウトとなって、届かず、敗北してしまったのだった。
「はぁ、負けたわ」
がくりとナナシ。
「お疲れ様、二人とも見応えがある良い勝負だったぞ」
ぱちぱちと拍手して鴉鳥。
「ありがと。さ、茜、いいわよ、やりなさい」
と童女は顔を差し出す。
「うっ、なんていうか、なんていうんでしょう。でも罰ゲームですしね、それじゃー、えいっ」
茜は何か葛藤していたようだが自己完結するとその手に持つ筆をナナシの顔に向けて来た。
しゅっしゅと頬を筆で撫でられる。
「はい、良いですよー」
「何描いたの?」
「猫のヒゲです」
そんな訳で頬に猫髭を描かれてしまったナナシだった。
「ほら、ナナシ殿」
黒い着物姿の銀髪娘は濡れたタオルを差し出した。
「有難う、使わさせて貰うわね」
ナナシは鴉鳥からタオルを受け取ると顔を拭いて墨を落とした。
そんな中、
「よー! 会長、羽子板勝負だ!」
白い小袖に緋色の袴な巫女装束な金髪娘がやってきて、羽子板を振るい、その先でビシッと茜を指した。ラファル・A・ユーティライネンである。、
「あら、ラファルさん。良いですよ〜」
にこっと黒髪娘は笑顔を向けて述べ――そして、次の瞬間、すっと表情を変えた。
「しかし……私は強いですよ?」
羽子板を扇のようにして口元を中てて隠し、半眼で流し目を向けて来る。
「ハッ、上等だ。その額に『肉』と刻んでやるぜ!」
ぶんと羽子板を一振りしてラファルは答えた。
かくてラファルVS茜である。
サーブはジャンケンしてラファルから。
「いくぜー!」
ブロンド巫女は羽根を放ると薙ぎ払うように水平気味に羽子板を振るい、ネットぎりぎりの高さでサービスエリア手前ぎりぎりに落ちるように飛ばす。
「いらっしゃいませー!」
が、その瞬間、茜が宙へと跳躍していた。羽子板を構え横薙ぎに払い落とす――と見せかけて身を捻りざま方向を転じ、逆サイドへとちょんと羽根に羽子板を中てて落とした。
「げ、逆?!」
ショットコースに回り込もうとしていたラファルは慌てて踵を返すも間に合わず、ぽとりと羽根がコート上に落ちる。
「ふ、ふ、ふ、先取点いただきました」
「生徒会長、いきなり騙し《フェイク》かよ!」
「あはは、先手必勝っ!」
「上等だコラー!」
カコカコカコンと打ち合いし、ラファルは二本を連取して返し、四本目は茜が取り、五本目はラファルが、六本目は茜が取った。しかし、七、八、とまたラファルが連取する。
現在得点、五対三である。ラファルが押している。
「あ、あら……っ? こんな筈じゃ、ない筈なんですけれども」
茜が頬から汗を一筋ながして微苦笑する。
一方、ラファルはニヤリと笑った。
「ふ、どうした会長さん、振袖姿は動き難そうだな」
「……しまった!」
ナナシと茜は双方振袖で条件は互角だったが、ラファルは巫女装束、すなわち袴である。走りやすさがかなり違う。機動戦なら袴の方が有利。それを見切ったラファルはコートの左右前後を駆け回らせるようにコースを狙って羽根を打っていたのだった。
「額に刻め!」
そーれ! とラファルがサーブする。
「いーやですー!」
肉の字を嫌がる茜は気合で一本を返すも十本目、ラファルが取ってついにマッチポイント。
「もらったぁ!」
ラファルが猛攻をかける。しかし、茜は意地を見せ十一、十二と連取してこれに並ぶ。
お互いに勝利まであと一点で並んだ時は、勝利の得点が一点多く必要になる。つまり、現在のように六、六で並んだ場合は先に八点目を取った方が勝利となる。
「くそ、並びやがった……!」
「いきます大逆転、メイクドラマ!」
ビシッと羽子板でラファルを指して茜。
「させるか!」
次の一本はラファルが取り、その次の一本は茜が取って七、七で再びならび、次はラファルが取り、また茜が取り返し、八、八で三度並ぶ。大接戦だったが、十七本目をラファルが取り、
「そこだぁーっ!」
「あっ!」
ネット際での打ち合いからラファルが猛然と羽子板をスウィングしてコート深くに入る山なりの打ち上げを放ち、茜は素早く後退するも振袖の裾に足をとられてすてーんと尻から転倒した。放物線を描いて飛んだ羽根が、コートのライン際に落ちてラファル十点目獲得、ゲームセット。
「あーん、負けたぁ!」
茜が悔しがっている。
「ふふふ、さぁ、約束通り刻ませてもらうぜ。額に肉をな!」
「ひーん!」
という訳で、ラファルは筆で茜の額に肉、と描くことを達成したのだった。
「二人ともお疲れ様。ユーティライネン殿はおめでとう」
「おー、サンキュー」
「茜殿は残念だったな」
「うぅ、有難うございます」
鴉鳥は言って、濡れタオルで茜の額をゴシゴシと拭いてやるのだった。
そんなこんなをやってしばらく後。
見回りしていた明斗は羽根つき会場の方から着物姿の娘達が三人、歩いて来るのを目撃する。
「会長」
茜の姿を見とがめた明斗は近寄って声をあけた。
「あら黒井さん」
「新しいたこ焼きの味を試してみようと思うのですが、ご一緒しませんか?」
と、明斗は振袖な黒髪娘を誘ってみる。
「新しい味ですか?」
「ええ、ポン酢ソースというのをそこの屋台で出しているそうなんです」
「ポン酢タコ焼きですか……それは、どんなお味なのでしょう? ちょっと興味ありますね」
きらんと瞳を光らせて黒髪ポニテ娘。
迷子の子供よりも食べ物に釣られやすい二十歳、神楽坂茜である。
「お二人とも、特に駄目じゃなければ、行ってみませんか〜」
と茜がナナシと鴉鳥に問いかける。
「たこ焼きね。そうね、ちょっと運動してお腹も空いたし、良いわよ」
「二人ともゆくのならば付き合おうか。特に異論は無いよ」
と着物姿の二人は答えた。
かくて四人はたこ焼きの屋台へと赴きポン酢ソースのたこ焼きを注文して食べてみた。
「なるほど、流行ってるとは聞きましたが、思ったよりさっぱりですね」
もぐもぐとタコ焼きを食べつつ明斗。
タコ焼きつつきつつ笑顔で茜が問いかける。
「とっても美味しゅうございますね。ふふっ、黒井さんってタコ焼きお好きなんですか?」
すると、
「タコ焼きは最強です……!」
キランと黒井の眼鏡が光った。
「タコ焼きは素晴らしい食べ物です。味のわかる方なら必ずやご賛同いただけると思います」
黒井明斗はタコヤキの素晴らしさを力説した。その情熱、あまり普段見られない姿である。
「まぁ確かに」
「美味しくはあるけれど」
「タコ焼き……お好きなのですね黒井さん」
はむ、とタコ焼き食べつつ三人娘は、その普段の穏やかさとは対照的な熱意に驚いたように明斗へと言ったのだった。
●
「うーん、美味しいのですよぅ☆」
蒼姫は静矢に買って貰った林檎飴を頬張りつつご機嫌だった。
静矢は蒼姫のそんな様子を微笑して眺めている。
「静矢さんっ☆」
「ん、なんだい?」
「あーんなのです、あーん☆」
蒼姫は先程買ったたこ焼きを一つ楊枝で刺して静矢の口元へと運ぶ。
静矢はぱくっとそれに齧りつくと咀嚼し、
「うん……なかなかいけるな」
「良かった☆」
ふふっと笑って蒼姫。
「去年も何とかお互い無事に過ごせたな」
静矢は蒼姫の頭に手をやって撫でる。
「昨年はお世話になったのですよぅ、静矢さん☆」
撫でられつつ笑って蒼姫。
「今年も一緒に頑張ろうか、蒼姫」
「はいなのです、今年も一緒に頑張るのですよぅ、静矢さん☆」
夫婦はそんな言葉を交わしつつ、道を歩いていったのだった。
●
(……どうしよう)
Robinは休憩を貰ったのだが、さっぱり何をして良いのか解らなかった。
白金色の柔らかい髪のコートの少女は、緑の瞳で、周囲の流れゆく人々を見渡した。
多くの人が流れてゆく。
流れには一定の方向性があるようだった。
雑踏の喧騒の中を、Robinは歩いてゆく。
やがて立派な、木造の殿舎が見えた。
黄金の色の鈴が吊るされ、太い綱がぶら下げられている。賽銭箱が見えた。人々が銭を入れている。
二礼。
二拍手。
一礼。
多くの人がやっている。
Robinは真似てみた。
軽く会釈、磨かれた賽銭箱へと小銭を入れる。
綱へと手を伸ばし、握り、左右へと振る。
”カラカラカラ……”
鈴が鳴った。
お辞儀をする。
お辞儀をする。
胸の前で手を合せ指先を殿舎へ向け、パン、と拍手を打つ。もう一度パン、と拍手を打つ。
そして一礼。
祈りは無い。
形だけだ。
殺人機械は八百万の神に祈りを捧げるか?
キル・マシーンの少女は横に流れた。
「――ようこそお参り下さいました」
闇夜に浮かぶ銀月光の如き白身を白い小袖と緋袴の巫女装束に包んでいる銀の巫女がRobinに一礼した。
赤い瞳が見ている。
「御神籤を一枚」
Robinは巫女に百円を納めると、箱に手を入れ御神籤を引いた。
(基礎運、大吉……恋愛運、大吉……勝負運、末吉……商売運、中吉……)
どうもトータルで見て、非常に良い結果であるらしい。
Robinは枝に御神籤を結ぶと、その場を後にした。
●
賽銭が入れられ、カラカラカラと鈴が鳴る。
二礼。
二拍手。
ファーフナーは神は信じていない。
だが、日本の風習に従って参拝し、そして、とある悪魔幼女の再起と幸せを心から願った。
一礼。
●
キル・マシーンの少女は基本的に何でも美味しく食べられるタイプである。
屋台で見かけた焼き鳥をもぐもぐといただく。美味しい。
シェイクをストローでちゅーっと飲む。美味しい。
幸せである。
天下大吉。
ぶらんぶらん、とRobinは境内を歩いていったのだった。
●
ナナシは振り返り、足を止め、境内を流れてゆく多くの人々を見やった。
「きっと、この中にも平和を願った人達は沢山居るのよね」
神楽坂茜もまた足を止め、そんなナナシを眩しそうに目を細めて見ると、
「やっぱりナナちゃんは奇麗ですね。私は、あなたとあなたのような人達をこそ守りたい」
そう言った。
「茜は何を祈ったの?」
ナナシが振り返って問いかけると、黒髪の娘は一度瞳を閉じて、また開いてから、
「あらゆる軍を打ち払う力を私に与えたまえ、この国を荒らす天・魔・人を鎮めてみせる。善きもの達を守りたまえ、どうか、彼等彼女等に幸せが訪れますように――そのように、誓い、祈りました」
そう言った。
●
十二時、警備の終わりの時間が近づいてきている。
拡声器を持った黒髪青眼の男が撃退士によるパフォーマンスを行なうとアナウンスを流している。
咲村氷雅だ。
彼は天魔やギ曲での覚醒者への恐怖を拭う為、新年を祝うパフォーマンスを行い人々を楽しませつつ、撃退士のイメージアップを図らんとしていた。
上手くいくだろうか。
自身の目的、母の夢、天魔との共存世界、それを胸に演武に挑む。
人が会場に集まってきて、中には、
「わー、何をやるんだろ」
と小梅なども見物に来ていた。
氷雅は菫と共に周囲の見物客へと一礼すると、悪魔の翼を広げて空へと舞い上がった。
蒼い蝶の幻影を宙へ無数に手より出現させ、振り撒いてゆく。
一方、地上では仮面をつけ巫女装束に身を包む菫が演武を開始していた。
ボウッと穂先より炎を噴出しつつ、片手でクルクルと勢い良く回転させる。車輪の如く穂先の炎が宙に残光を残し、繋がって赤炎の円を描いた。
当初は頭の中に仮想敵として茜をイメージしてやるつもりであったが、彼女に中てるつもりで、あまりにコンパクトに鋭い実戦的な動きだと地味だがある種の凄みが出て物々しくなってしまい、住民のトラウマを刺激しかねない恐れがあったので、予備動作を大きく取って見栄え良く派手に大きく動いてゆく事にしていた。
仮面をつけた白い小袖に緋色の袴姿の巫女は、炎の槍を体の横で片手で勢い良く回しながら腕を動かしてゆき頭上へと持ってゆき、踏み込みと共に勢い良く突き降ろした。赤い光が鮮やかに宙に軌跡を描く。
仮面巫女は槍を両手に持ち直すと横に薙ぎ払いながら跳躍し、着地と同時に炎の槍を振り上げ、振り下ろした。
そして、流れるように動いて右足を前、左足を後ろにして半身となり、右手で柄のやや後方部分を、左手で柄のやや前方部分を持ち、右手を頭部より上にあげ、左手を前突き出し、槍を斜めに傾けて構えた。穂先が斜めに地面へと向いている。体の左側をがら空きにして隙を作って見せる。
真っ直ぐ相手が己の身の左側を突いて来たと想定、頭上にあげている右腕を腰に引きつけるようにして降ろす。この時、突き出される槍の柄に炎槍の柄を絡めるように回しつつ、右腕が下がったのでテコのように炎槍の穂先が斜め上へと跳ね上がる。相手の槍を巻き上げつつ、菫は左足で一歩を踏み込み、仮想敵の顔の位置を狙って突きを放つ。そして流れるように身を回転させると跳躍し蹴りを放った。
他方、宙に真紅の刀が出現し、刀を中心に桜吹雪が巻き起こっていた。
その中を氷雅が飛びまわりながら、氷のように透き通った青い双剣を振るって剣舞を見せていた。身を捻りながら左右の剣で宙に螺旋を描いてゆく。
「締めるぞ」
氷雅は菫に言いつつ、最後に無数の赤い蝶を生み出した。赤光が嵐の如くに入り乱れる。
それに合わせて地上の仮面巫女は、槍を地面に突くと棒高跳びの要領で高々と宙に跳躍した。そして放物線を描いて回転しながら落下してゆく中、穂先から勢い良く炎を噴出しつつ振り下ろし、着地した。
静止してポーズを取り、終了だ。
「きれーだったよー!」
小梅がパチパチと手を叩き、周囲の見物客達からも盛大に拍手が巻き起こっていたのだった。
●
かくて、午前の警備を担っていた学園生達の警備時間は終了し、帰還となった。
初詣はまだ続いているが、後は午後の部担当の撃退士達がきっと上手くやってくれる事だろう。
警備終了後、鈴音はベンチに座り荷物を置くと、ヒリュウを召喚し膝に抱いた。
「お待たせ」
屋台で買ってきた焼き鳥を取り出しヒリュウに食べさせてやる。
一方、菫は仕事終了後、甘酒を購入して一杯飲みつつ、
「今年も頑張るか」
とぽつりと呟き決意を表明していたのだった。
他方、
「甘酒も作ってあるから帰ったら飲みましょ」
「おお」
ノエルと蒼一は腕を組みつつそんな会話をかわしながら石段を降りてゆく。
そして、
「ささやかですけど新年会でもしましょうか」
と巫女バイトが終了し巫女装束からいつもの服装に着替えたファティナは友人達を誘っていた。
「うちの喫茶店でしたら騒いでも大丈夫ですしね」
という訳で誘ったり誘われたりして最終的にファティナ、静流、飛鳥、透次、仁刀、鴉鳥、茜、ナナシの八人で新年会を行なう事となった。
(フフフ、パーティを盛り上げ、そして茜さんを酔わせて剥く……!)
お姉様が願望を燃やしている。黒髪ポニテ娘のその赤い振袖をはだけさせてやるのである。
基本、普通の酒では撃退士は酔わない。しかし、酔わせる事ができる酒というのも世の中にはある。茜はあまり撃退士としては酒に耐性がある方ではないから、酔わせる事はファティナならできそうではあるが……しかし宴席で剥けるものだろうか。
茜を前後不覚に陥らせられても、脱がすのは周りから止められる可能性が大そうだが――
はたして、ファティナの挑戦は今始まったばかりである。
かくて、人それぞれ、諸々の様相を見せながら初詣の覆面警備は終了し、各々真っ直ぐ帰還するなり、また別の場所へ向かうなりしたのだった。
太陽が蒼天に輝き神社は人々で賑わっている。
了