一報は巡る。
教師からの連絡に、小田切ルビィ(
ja0841)は携帯を閉じて窓の外へと視線を馳せた。
「やっとレヴィが目覚めたんだな!…オッサンもきっと喜んでるぜ」
軽く身を乗り出す先、見上げる空はどこまでも青い。
同じ連絡を受け取り、宇田川 千鶴(
ja1613)は穏やかに目を伏せた。
「やっと起きてくれたなぁ…良かった、な」
そっと撫でた白い化粧箱は、どこか優しく暖かかった。
「さて、これでようやく一息…という所でしょうか」
ぱたん、と閉じた携帯を懐に仕舞い、石田 神楽(
ja4485)は微笑む。
沢山の事があった。一言では言い表せぬほどに。思い返すそれらを胸に刻みながら、ただ笑みを深める。
「後はレヴィさんとエッカルトさんが選ぶ道です」
閉じた後の携帯を胸に抱きこみ、フィノシュトラ(
jb2752)はパタパタと足踏みした。
「レヴィさんやっと起きたのだよ!もう、お寝坊さんなのだよ!皆に心配かけちゃだめなのだよ!」
ピョコピョコと髪の毛も羽ばたくように。ぎゅっと一度目を瞑り、開いた時には満面の笑みを零す。
「…本当に起きてくれて、よかったのだよ!」
「分かりました。では、現地に向かいます」
電話の相手に答え、マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)は通話を終わらせる。使徒の目覚め。それを心待ちにしただろう大天使はもういない。
それでも。
「……」
無言で仰いだ空は、あの日と同じ色をしていた。
「…レヴィさんやっと起きたんだ」
軽く俯いた姿勢のまま、フレイヤ(
ja0715)は指で小さく目元を拭う。影になった顔の中、口元がゆるゆると笑みを刻んだ。
「ふふ、ふふふ! このフレイヤ様に散々心配掛けさせた事後悔させてやるのだわ…!」
「そうか、目覚めたか」
了解した、と。静かに依頼を受け、ファーフナー(
jb7826)はくゆらせた紫煙の先を追う。
(……)
浮かんだ言葉は、何だったのか。自身でも知覚せぬまま、ただ足を進める。
向かう先は学園――目覚めた使徒がいる棟。
その使徒の名をレヴィという。
●
幼児のようにキョロキョロするレヴィの手を引き、学園を行くエッカルトは異様に目立っていた。
「仕事の上とはいえ、此方に引き戻した責任がある。何でも聞け」
周囲の注目何のその。職務とばかりに淡々と告げたファーフナーに、エッカルトはホッと一息。使徒はといえば、丁寧に「よろしくお願いします」とお辞儀していた。真紅の瞳は、今は穏やかだ。
(……気が狂うほどの絶望の淵から戻ったか)
そこに確かな知性を認め、ファーフナーは心にその事実を刻んだ。それがどれだけ困難なことか、知るが故に。
(強さ、か)
誰が知ろう。そのまま籠もっていれば、二度と傷つかずに済む――その閉ざされた安寧を。
――だが同時に知っている。それでもなお、繋がりを希求する思いも。
(前へと進む力――か)
胸臆にチリと走る痛みを封殺したファーフナーの後ろ、いつもの笑顔と共に自己紹介するのは神楽だ。
「こうして話すのは初めてかもしれませんね」
「本当に」
自身の言葉を紡ぐのが得意で無いのだろう。言葉少ないかわりに、短いそれに心がこもっている。
「それにしても」
父親のような眼差しで見守っているエッカルトと、ふんわり微笑んでいるレヴィを見比べて神楽はにこにこ。
「エッカルトさんの方が弟ですね」
「うるさいなっ僕の方が成長しきるのが早かったんだ!」
※外見年齢が止まる理由ではありません。
「おや。そうでしたか。成長が」
にこにこ。
「はいはい。どうどう」
真っ赤な顔でむくれているエッカルトに、流石に苦笑をかみ殺して千鶴が声をあげる。
「時間は有意義に使わんとな? とりあえず各施設の案内かな…」
どういう風に回ろうか、と頭を悩ませるのに、ハイッとフィノシュトラが手を挙げる。
「私たちの学校に行く日常をなぞるような感じはどうかな。学生の生活をいろいろレヴィさんに教えてあげられたら、と思ったのだよ!」
皆で一緒にこっそり授業に一緒に混ざったり、お昼に商店街にお出かけしてあちこちで食べ歩きしたり。今の時代に同校生として普通に在ったなら、在りえたかもしれない日々をなぞるように。
「久遠ヶ原名物?の変わった部活とかを見て回って遊んだりできたらいいかなって思うのだよ!」
「この学園変わった名物多いな?」
エッカルトが苦笑する。
そういうのも楽しそうやな、と千鶴達が頷く隣で、時間割と時計の針を確認していたマキナがふと顔を上げた。
(視線…?)
タッタッタッタッと小気味よい足音が響いてきた。気づいたレヴィ達もそちらを見る。
とびっきりの笑顔を浮かべたフレイヤがいた。めっちゃ笑顔だ。足が軽やかにワンツーテクニカルステップで飛び上がる。
あ。これドロップキックだ。
「ごふぉ!?」
なぜかエッカルトがくらった。レヴィ、反射的に避けたもよう。
「暴れるだけ暴れてぐーすか眠ったと思ったらひょっこり起きちゃって…毎日心配したんだからねバカちん!」
「あ、はい」
吹っ飛んでフレイヤの下敷きになったエッカルトをそのままに、ぷんすか怒るフレイヤへとレヴィが神妙な顔でコクリ。「なんで僕が蹴られた!?」と叫ぶエッカルトが馬乗られ状態だ。
「裸DOGEZAして謝るまで許さないのだわ! さぁ早く裸に! 早く! ハリーハリー! ハリイイイイ!! ――ま実際に裸になられても困るんですけどね! 何たって私純情ですしふぎゃああああ!?」
様々な感情入り乱れて一気にまくしたてた途端、「はい」と真顔のレヴィに目の前で上衣脱皮。思わず絶叫。フレイヤ様只今ご乱心状態である。
「無し! 今の無しで! 意外に腹筋鍛わってるとか見てない!」
危うく称号が「使徒を脱衣させしたこがれ」になるところだったがギリギリセフト!
何故か隣の学棟から高速でシャッターを切っていたR氏がいたりするけど見つかってないからこれもセフトだ!
「……」
「……僕に目で告げるな。色々分かってる!」
無言でエッカルトを見るファーフナーに、苦労天使は必死な顔。何が問題だったのか分かってないのは当の使徒だけだ。
「躊躇なく脱ぎましたね今…」
「?」
「しかも理解してないな、これ…」
「??」
「日常生活が不安なのだよー…?」
「???」
色々と心配な一面を一発で察してしまった一同が遠い目に。とりあえず人前での脱衣禁止令が発動された。レヴィ、人知れずこれ以降の危機回避である。
「ところでだ。こいつのヤバさが分かったところで僕の上から退いてくれないかっ」
「危うく乗っていたことも忘れかけたわ!」
「忘れるな!」
埃やら何やらパンパン取り払い、フレイヤは先の千鶴と同様に首を傾げる。
「ううむ、教えるっても何を教えればいいのやら。…くず鉄の出来上がる不思議体験でも教えてみる?」
「お前達は何故そうもくず鉄を量産しているのか」
「皆、好きでくず鉄化させてるわけじゃないのだよー?」
「これは体験学習してもらうべきですね」
神楽、にこにこ。
どこの施設より早く、化学室の社会見学と相成った。
三秒でたい焼きが鉄くずになった。
「なんで…ッ、鉄的な成分に…ッ」
「これが久遠ヶ原の化学室です」
にこにこ笑顔がいっそ厳か。レヴィはといえば、たこやきが突然変異でもこもこパンツに。
「元の素材的に、食べられる、というわけでは…」
「無いな?」
真顔で試そうとするレヴィを汗の浮いた真顔で千鶴が止める。
(これは色々大変そうなのだよー?)
見ていたフィノシュトラの額にもうっすら汗が浮いている。
(想像以上でしたね…)
笑顔が固定化しそうな神楽が、そっと懐の黄金の羽根に向かって心の声を送信した。ルスさんちょっと教育方針について詳しく。
「冬にはくとええよ。温かいから」
とりあえず千鶴は問題のもこパンを仕舞わせた。色がピンクなのはもうこの際気にしない。
「これ聞くん忘れとったな。…頭痛くない?」
剣山の戦いで頭突きしたことを思い出して苦笑しつつ問うと、レヴィは頷いた。負傷、という意味では痛くない。届けられた言葉と思いは、決して忘れることは無いが。
「ここは、沢山の物があるのですね」
レヴィが珍しそうに周囲を見て言う。フィノシュトラと神楽が頷いた。
「きっと、珍しいものもいっぱいあるのだよ!」
「この学園の中だけでもある程度の物は揃います。許可が降りれば、学園外に出る事も出来るでしょう」
『外にも』
「迷いそうですね、二人共」
にこにこ。
「エッカルト様の気配を辿れば、なんとか」
「それ、僕の負担が激しいな!?」
「ふたりの間柄が良く分かるのだよー?」
やりとりにくすくす笑うフィノシュトラの横、千鶴は軽く苦笑してエッカルトを見た。
「エッカルトもわからん事あれば聞いてくれれば。こっちの事について少しでも興味を持ったんなら図書館とかどうやろ? 色んな書物もあるし、静かやから一人でも過ごしやすいと思うよ」
「図書か」
興味を惹かれた様子に、千鶴は頷く。
「…色々あったけど…うん、先ずはのんびりやってこや、お互い」
その声に、エッカルトもまた何かを思い出したように苦笑する。
沢山の事があった。片手の指の数では足りず、両手の指の数でもまだ足りない程に。
それらを通して知覚しあったお互いに、内心で複雑な思いを抱いていた。無論、互いが互いにそうであったなど、知る由もないが。
「そうさせてもらう」
我武者羅に走りすぎて、今ですらまだ地に足がついたような気になれないけれど。
「…今はまだ、ゆっくりしたいしな」
時が許す限りは。
僅かであろうとも、ようやく得た平穏なのだから。
●
学園内を徘徊、もとい巡回して途中で決定的瞬間をカメラに収めたルビィが皆と合流したのは、そろそろ昼食かという時間だった。つまり迷子だった。
「――お、旦那とレヴィじゃねーか! 皆も揃ってるな。丁度良かった。これから一緒に昼飯行こうぜ」
なにしろ午前中目いっぱい走りまくった後だ。若い胃袋がさっきから盛大にシュプレヒコールしている。
「そういえば、近くに学食がありましたね」
「ああ、確かに」
マキナの声に神楽が頷く。
「行くのであれば、急ぐことだ。昼休みになれば、戦場だろう」
静かなファーフナーの指摘に、ルビィ、笑顔でファーフナーの腕をがしっと掴んだ。
「よしっ。じゃあ、急いでいこうぜ!」
「……ん?」
強制連行されました。
「俺のお勧めは、そうだなぁ、レヴィにはこの『じっくり煮込んだ久遠ヶ原お子様ハンバーグ』か『林檎とスパイスのハーモニーカレーライス(お子様用)』かな」
『お子様用』
全員の総ツッコミをくらうも、レヴィは写真つきの御品書きとルビィの解説に興味津々。旗がついているのもお気に召したようだ。
隣にいるファーフナーはいつも同様無表情だが、肩のあたりに戸惑いの気配が漂っている。
(まぁ、感情吸収による栄養摂取が出来ない以上、彼らには食事が必要だろうからな)
こういった場所も重要になるのだろう、と感心した途端、ドンと前にメガ盛りの器が置かれた。
「あ、旦那はうどんな!」
ルビィ、笑顔。
「……」
仕方なしと箸を取りつつ、ふと何を思うでもなく今のこの状況を迎えていることに気付いた。
手の中のうどんを見る。――周囲には人の気配。
いつ以来だろうか。こういう食事は。生への執着が薄れ、いつの間にか食べることに対しての興味や認識も薄れていた。栄養が取れるならなんでもいい、と。
「食べる事は生きる事に直結すっからな?――どんなに辛い時でも、飯を食う事だけは忘れちゃ駄目だぜ」
ラーメン・炒飯・餃子定食のメガ盛りセットをもりもり食べつつルビィが持論を語る。食べ物は偉大だ。胃袋に熱が宿れば、絶望も虚無も僅かに薄れる。熱は血と共に体内を巡って、その熱で人は命を紡ぐのだ。
「……」
聞きながら、ファーフナーはうどんを一口啜る。身に染みる熱が何故かひどく懐かしい。
「どうだ?結構イケるだろ?」
笑顔の問いに、一呼吸置いてから告げた。
「……悪くない」
正直な感想は、口に入れるものと一緒にそっと噛みしめた。
●
夕刻。
「え。泊まっていっていいの!? 俄然希望!」
告げられた言葉に、フレイヤは顔を輝かせた。
「寝る直前まで皆でお話ししましょうよ! 私こういうお泊りでガールズトークするのが夢だったの! 男女混合でも良いからトークろうぜ!」
ぴょんぴょんしているフレイヤに、熱が伝播したフィノシュトラがぴょこぴょこ踵を浮かせる。
「フレイヤさんすごいうれしそうなのだよ? でも私もパジャマパーティーをしたいのだよ!」
「……施設案内でもあるまい。俺は」
「行くよな? 旦那」
ガシィッ。
ファーフナーが笑顔のルビィに捕獲された。
「私は……その……」
「で、寝巻きはネグリジェとパジャマどっちがえぇ?」
「え。」
マキナが二種類の寝間着写真を見せる笑顔の千鶴に硬直した。
「…私は別に、ワイシャツとスラックスのままで十分なのですが…」
「やっぱり体が楽なのも重要やしな(にこにこ」
神楽直伝の笑顔にマキナの背中に人知れず汗が浮く。選択しないといけないか。しかしどっちを。ぐるぐる。
「……強いて言うなら…ネグリジェ…?」
――あやうく称号が「新生☆ナイトウェアはネグリジェ派」になりかかったが字数制限に拒否られた。
その傍らでファーフナーが視線を明後日の方角へ。正直自分も別の意味で他人事ではない。
(……ルームウェアを用意するか)
日中、常に仮面を纏い己を戒めるようにして生きている。せめて睡眠時は僅か一時でも解放感を――そう願ったとしても誰が責められよう。そんな彼の称号があやうく「夜の俺はゼンラーマン」になりかけたが世界の真理に阻まれた。
記録係りは一度、世界の真理と闘う必要があるようだ。
「ね。荷物取りに行く前にね、ちょっとつきあってもらってもいいかな? 見せたい景色があるの」
フレイヤにそう言われ、一同は屋上へと上がった。夏の夕暮れは長く、緩やかだ。
「暖かい温もりを与えてくれた太陽が沈むとね、次は星と月が優しく私達を照らしてくれる。ね、これってルスさんレヴィさんえっちゃんみたいじゃない?」
西に眠ろうとする太陽。ゆっくりと現れる月。いつのまにかそこにあって、空を照らす小さな星々。
「例え離れ離れになってもどこかで太陽と星と月は繋がってる。私はそう思うんだ」
じっと太陽を見ているレヴィに、フレイヤは微笑む。
「だからねレヴィさん、貴方はどんな時も一人じゃないよ。それに皆も、勿論、私も隣にいるしね!」
例え失ってしまったように見えても、手放さない限り失わないものがある。決して見えなくても。傍にいられなくても。聞こえなくても。
そして、傍らに居てくれる人達――
レヴィは答えなかった。言葉にしようにも、どう言っていいのか分からない。二度、三度、言葉を発しかけ、ただ小さく頷く。
「……はい」
コトリと落ちた思いを噛みしめるように。
●
「晩ご飯たっくさん食べるのだよ!」
給仕役フィノシュトラにてんこ盛りご飯を渡されて、神楽は笑顔が固まった。エッカルトが神妙な顔で言う。
「お前、物食べてる気配しないものな」
「しっかりご飯を食べてもらわないとだから、晩ごはんをたくさん盛り付けてあげないとだね!ちゃんと食べなきゃだめなのだよ!」
「や、これでもその人並みには」
「はい。焼き肉」
あ。千鶴さんまで皿に盛りますか。というかこれ何人前の分量ですか。
流石に危機を察してエッカルトが横から自分の器に分けてもらう。意外と健啖であるらしい。
「しょうがねーな。なら俺の創作カップ麺を進呈するぜ!」
「え。なんですかこれ」
密かにカップ麺を持ってきていたルビィ。カレー味カップ麺にトマトジュースを半入れした「トマトパスタ風(カレー強し)」と、コーヒーフレッシュ入りの「クラムチャウダー風(カレー負けないっ)」をそっと神楽に捧げた。
この流れは危険だ。
「折角ですから、エッカルトさん、人間界を満喫してください」
「せめて一口啜ろうか!?」
華麗に流す神楽と叫ぶエッカルト(でも食べる)の隣で、レヴィが普通にもぐもぐしている。
食事も済めば後はのんびり歓談タイムだ。外着と違って室内用のくつろいだ服のせいか、どことなく開放感があるような、一部は心許ない気持ちで不安な気持ちでいるような。
「というか、ベルヴェルクさんのその格好はまた珍しいですね〜」
「その、自分でも何故選んだのか解らないといいますか……」
「こっちのが良かった?」
何故か持ってるもう一着に、マキナが内心で慌てる。
「千鶴さんは貴女のような人を見ると放っておけない性格なんですよ。これは折角ですからエッカルトさんに着て貰いましょうか」
「明らかに女物だな!?」
ほら男性陣みな隅っこにいますけど、一人ぐらいこの中に紛れ込んでも違和感あんまり無いですしはいはい。
しれっとジャージ組なルビィ達が心のシャッターを切っているが、それはともかく。
「ところでガールズトークって何話せばいいのかしら…最近オヌヌメのBLのあらすじでも話ましょうか?」
「それガールズなトークじゃなくないか!?」
何故BLで通じたのか。そこが問題だ。
「そういえば枕投げという文化が人間界にあってな…」
「絶対それ僕が盾になるフラグだな!?」
綺麗に未来予想するエッカルトに神楽がにこにこ。ええ。それはもう確実に。
「投げるといえば、フレイヤさんがニシンとか敵に投げつけて、すごいびっくりしたことがあったのだよ?」
「エル・デュ・クラージュ……ですね」
フィノシュトラの声にマキナが告げた途端、エッカルトが爆笑した。
「ゴライアス様の所のご息女ですね」
「お知り合い……ですか」
苦笑するレヴィの隣で、息も絶え絶えなエッカルトが「見たかったッ」と涙流している。
「主様の技能をあの方のかわりに伝授したことがあります。つきあいそのものでしたら、エッカルト様のほうが長いかと」
「よく一緒に悪戯したよな」
「オッサンってどんなガキだったんだ?」
俄然興味の沸いた一同に、エッカルトはニヤリと笑う。
「図体ちっちゃくしただけで、やってることはずっと一緒だったぞ」
そのままデカくなったのか。
ちょっと想像した一同に、レヴィが頷いて補足する。
「そうですね。水浴び中の天使様方を覗きに行って主様にお二方まとめてお尻叩かれてましたね」
「それは言わなくていい!」
「どちらが天使様方の裳裾をめくれるか技で試しておいでだったことは」
「言うなあああ!!」
「オッサンもエッカルトもやるなー」
「やんちゃだったんだよー?」
にやにやしているルビィや笑い転げているフィノシュトラ達にエッカルトはもう顔真っ赤だ。
「ゴライアスのこととかこいつのことで話すぞ!」
「そうだなぁ。オッサンの奥さんとか?」
ルビィの声にエッカルトはなんとも言えない微苦笑を浮かべた。
「あれか…大騒動だったな。ゴライアスが」
遊びに来ていたゴライアスと、エッカルトに師事しに来た若い天使がたまたま出会ったのがきっかけだったらしい。一目惚れして恥も外聞もなく拝み倒してゴールインまでこぎ着けたゴライアスの情熱には、見ていたエッカルトも唖然とした程だったという。
「よっぽど美人だったんだな」
「多分、似姿なら見れると思うぞ」
そこで一同は初めて知った。ゴライアスの家族を見舞った悲劇と、その後日談を。
「ゴライアスも孤児だったからな。せめてと奥方の血族の生き残りを何百年か探して……誰も生き残ってないだろうと、やがて諦めたんだが」
「バルシーク様がその後もずっと探しておいでで、おそらく奥方の血の裔であろうお子を保護されたはずです。後に確か従士になったかと」
慌ててルビィがデジカメのデータを漁った。見せられたエッカルト達が頷く。
「大きくなったなぁ。若い頃の奥方にそっくりだ」
「確かに美少女でしたね」
とある事情で女装を見知っている神楽が苦笑した。
その後もゴライアスのことで盛り上がるフィノシュトラ達を見つつ、ふと千鶴は微笑んで皆の様子を見ているレヴィに声をかける。
「レヴィさんの話も聞いてみたいな。人間界に来て、色々あったし」
どんなことを思っていたのか。あの時には決して聞けなかったことを。
「不思議な感じでした」
レヴィは数秒考えてから言葉を紡ぐ。
「私は……人として認められない民族の出でしたから、どの世界に在っても、人として接せられることはありませんでしたので」
眼差しが真っ直ぐにあうこと。言葉に言葉が返ること。
ただそれだけのことが、この使徒にはひどく戸惑い、同時に焦がれることだった。
「あなたを見た時に、妹が生きていたら、どう育ってくれただろうか、とも」
銀の髪を忌避されることのない世界。この赤い瞳も。無論、地区や時代によっては似たような迫害もあっただろう。けれどきっと、差し伸べられた手もあっただろうと信じられる。
「ルスさんって……どんなひとやった?」
問いにレヴィは微笑む。主のことを問われるのは、せつなさと同時、この上ない喜びでもあったから。
「美しい方でした。お姿も魂も」
力で支配する必要すらない。そこに在るだけで、人々が魂を捧げた程の美貌。微笑み一つで恭順させ、その武威をもって支配地を堅固に守った。異界に設置された月華蒼天陣は、そのようにして運営され、主が力を失うまでずっと、人と天使が共存するエリアであったのだ。古の方針の通りに。
力で人を戒め搾取するやり方には、かつての天の在り方では無い。長引く悪魔・冥魔との戦いの中で、天界上層部にも深刻な歪みが出ている。
「……あの戦いの後、羽根が手に残ったん」
千鶴はそっと白い小箱を見せる。優しい光の中にある、太陽と月と星。
「貴方達をイメージして作ってもろうたんよ」
中に入っているのは、ルスが遺した黄金の羽根だ。
「羽根を返すべきかと思う時もあった。でもそれはきっと違うんやろ、って」
託されたのだ。心を。誰かに、ではなく、自分が。自分達一人一人が。
なら、託されたそれを誰かに渡すことは出来ない。
「……私は人間やからきっと先にいってしまう。そうなったら形見にこれを貰ってくれん?」
忘れない、ということ。せめてずっと覚えてるという事。
「レヴィさんやエッカルトが受け取ってくれたら……嬉しいな」
物言いたげな、けれど何も言わずに傍で聞いている神楽の気配を感じながら。見つめる先、レヴィは静かな表情で頷く。
「では、私が先に主様の元に還る日が来ましたら、私が受け継いだ剣をあなたが継いでください」
おそらく人の子の手には扱えない、ただ持ってるだけの荷物でしか無いかもしれないけれど。
どちらかが先に逝っても、どちらかが継いでいく。その系譜に連なる者として。
「あなたは、あの方の娘ですから」
声を聞いていた。
人ならざる者の気配を纏っていた青年は、今は新しい主である天使と共に人々に囲まれている。
(託された願いは、果たせましたか)
まだ確定はされていない。けれど、ひとまずの結末が目の前にある。
ふと温もりを感じてそれを取り出す。直接会えたのは一度だけの大天使の羽根。
「終焉から黎明へ。これが私たちの紡いだ結果です」
語りかけた時、ふわりと揺れたそれが、指を撫でた。瞬き一つ。再び視線を人々へと戻し、笑顔で話す千鶴を見た。
(まぁ、私としては千鶴さんの願いを叶えただけなんですけど)
でもきっと、人生とはそういうもの。人々がそれぞれの思いを胸に、進み歩んだ道が織りなす一枚の絵画のようなものなのだから。
●
殺風景すぎる部屋を何とかしよう、と。言い出したのは誰だったか。
せっせと自分で撮った風景写真を飾っているルビィが「なかなか良いカンジじゃねーかな!」と御満悦。隣のエッカルトの部屋にも貼ろうと皆が行くのを見送って、マキナは隣に居たレヴィに尋ねた。
「『終焉の使徒』、と。そう呼ばれていると聞きましたが」
レヴィは軽く瞬きする。
二つ名の――その意義を尋ねたいと思ったのだ。同じく『終焉』を冠する者として。だが、
「私は……自分がどう呼ばれているのか、よく分からないのです」
申し訳なさそうにレヴィは首を横に振った。いつの間にかつけられた二つ名に、レヴィは長く気付かなかった。ただ周囲にそう呼ばれたのだ。死屍累々たる戦場にあって無敗。大天使が全ての力を擲って作ったという、使徒としてはイレギュラーな力と存在に嫉妬と揶揄を込めて。『終焉の』と。
「では、つまり」
存在そのものが、結果として終焉を撒く。
思いや願いすらも、飛び越えて。
「純粋に、あなた自身が」
体現者。
数多の戦場にあって、全てでは無くとも一定数の者に認められた程には。
「そこに、あなたの意志、は」
問われ、レヴィは静かに答える。
「戦場にあっては、個の意志は不要かと。ただ」
「ただ」
「己が存在する限り、貫くべき意志であれば、一つだけ」
マキナは視線で問う。レヴィはただ静かに告げた。
「『あの方が誇れる己であるように』」
己の行いを己で評価はしない。評価とは他が下すもの。その善し悪しを問わずして。
ただ愛するひとが願う未来を、目指したであろうものを、力を継いだ己が成し遂げる。無辜の民を殺める悪魔がいれば討伐を。死の尊厳を踏みにじる者には全き無を。助けるべき人には手を。己の全ては、己以外の者の為に。
成したその結果が、その全てが、ただひとりの誇りとなれなければ、己の存在など無に等しいから。
「あなたは…?」
逆に問われ、マキナは言葉に詰まった。
紡ぐ『終焉』とは、その先に安息があると信ずるが故の祈り。
名は体を現す、という。
闘争を厭うが故に、その終焉を希う『偽神≪デウス・エクス・マキナ≫』
翻して戦場を渇望する『災禍を引き起こす者≪ベルヴェルク≫』
闘争を厭うも逃走を知らず、また看過出来ぬが故に挑む者。無間の修羅道を征く英雄――君はそうしたモノだろうと、師に揶揄された程に。
今更否定はすまい。それもまた己だ。
「私は…」
――然し。
(ただ何時かは至ると無明を駆け抜けるままでは駄目だと)
獅子公やそれに連なる者に関わって。
(このままでは、それこそ師に呪われた名の通りでしかない)
今にして悟った。だからこそ、
(故に私は、光が欲しい、と)
微かでも良い。無明の中を正しく進む為の導が。
(悟りを得ても、答えがなければ)
彼の――獅子公の外套を、遺品を託された甲斐がない。
だからこそ、彼の師であるひとの歩みを聞かせて欲しかった。その先に、目指すべきものがあるのでは、と。
(私は)
あのひとが誇れる己。
巌の如く揺るぎなく、あるがままを受け入れ、けれど己の意志を貫き通した漢が、誇りとするような生き方。
「『己の心のままに生きよ。少しぐらい負けてもいい。生き延びる為なら、逃げても構わない。ただ、己の心の弱さにだけは負けるな』と、ゴライアス様は言われてました。己の弱さに目を瞑り、言葉を並べて逃げたとて、先には進めぬと」
レヴィは微笑む。懐かしい相手が世界に遺した娘を認めて。
「あなたなら、継いでくれると、私も信じます」
迷いながらでも、進む足があるのだから。
●
外の空気は、空調のそれと違いわずかに生ぬるい。
音をたてずにバルコニーに出たファーフナーは、光が見えぬよう配慮してシガリロに火をつけた。
細く流れる紫煙に僅かに目を細める。
「眠れないのですか?」
ふと声が聞こえて目を見開いた。何の気配もなく傍らにレヴィが立っている。流石に心臓に悪かったが、それらの一切を表に出すような様は晒さない。
声に出して答えず、目線でそちらはと問うと、淡い微笑が返ってきた。声に出しての答えは無い。
「胸にあいた穴は、いつか埋められそうか?」
何処か穏やかな夜の気配に、誰も起きださないのを確認してからファーフナーは問うた。レヴィはただ微笑んで首を横に振る。
埋められるものではない。――そう、分かっていた。
「どんなに苦しくても、愛したこと自体に後悔は無いだろう?」
「はい」
その答えは、このうえなく美しい笑みと共に。どれ程の愛であったか。深さが分かるからこそ、その痛みも同様に。
認め、ファーフナーは視線をレヴィから夜へと移す。夏の夜空は、あまりにも明るく、落ちた影は尚更に濃い。
空白の時は、幾ばかりであったか。小さな呟きに似た声が流れる。
「俺は未だ…お前のようには、踏み出せない」
レヴィは何も言わない。ただ、静かで穏やかな眼差しを感じた。傍らに並んで、同じ空の光と闇を見る。
「足元を照らす光が必要な時は、呼んでください」
声が返ったのは、虫の音を幾つ聞いた後だったか。視線を向けた先、月のような青年は静かに告げる。
「いつでも」
いつか踏み出せるように。自分達がそうしてもらったように、足元を照らし、手を差し伸べるから。
●
夜明けを待っていた。
世界は静けさに包まれている。
「眠れなかったのかな?」
ちょこんといつのまにか傍にいたフィノシュトラに、レヴィは淡く微笑んだ。
「眠るのが、惜しくて」
眠りを必要としないから尚更に。静寂すらも愛おしい時間を抱きしめて。
寝ているはずの彼ら、彼女らが、すぐそこに来ているのも知っていたから。
「楽しかった?」
「はい」
レヴィの答えに、フィノシュトラはにっこりと微笑む。
(レヴィさんには、これから生きていかなきゃいけないのだから、もっともっと皆と楽しく過ごせるよう、一人で悩まなくていいよう、いっぱい幸せになってほしいのだよ)
沢山の人が傍にいてくれることを憶えていて欲しい。いつだって、ここにいるから。
「あ」
ふと世界の明るさが増したのを感じた。黄昏にも似た空の中に金色が満ちる。
「嗚呼」
レヴィが笑むのが分かった。密やかな声が告げる。
――あなたは、そこにいたのですね。