「オッサン! 阻霊符は切ったぞ!」
小田切ルビィ(
ja0841)の声に『分かった!』と銅鑼声が返る。
「あいつが出てきたら僕が出る。それまで誰も近寄るな」
幅広の大剣を具現化し、エッカルトが岩蔵の近くへと進み出た。
その危険をすでに出来る限り撃退士達は聞いている。だからこその提案。だが、ルビィとファーフナー(
jb7826)は一瞬視線を交し合い、フレイヤ(
ja0715)は口を引き結んだ。
「――」
「! 来たぞ!」
ファーフナーが口を開く寸前、大岩からゴライアスが飛び出して来た。
「効果が消えるまで、およそ十秒だ」
時間が無い。最早、戦いは目の前。
「気をつけろ。即座に来るぞ」
エッカルトの声に全員が身構えた。
どうやって現れるのか。疑問に思う間もなくそれは現れる。
「――っ」
粟立つ皮膚にマキナ・ベルヴェルク(
ja0067)は眼差しを細めた。
岩蔵の前。
銀の髪。紅の瞳。月の如き凄絶な美貌。
使徒――レヴィ。
●
(暗い目やな…)
光の無い濁った血のような瞳を宇田川 千鶴(
ja1613)は黙って見つめた。
覚悟はしていた。だから動揺は無い。ただそこにある現実を見据える。
思い出す。
かつて見た、戸惑ったような表情を。
思い出す。
どこか家族を見るような、穏やかな眼差しを。
あの時の青年は、今は遠い。
(ほんま…しゃーないな)
小箱の中の羽根が、僅かに熱をもっているように思えた。
(…分っとるよ)
姿は見えずとも、きっと貴女もここにいる。
(待っといてな)
あの日の約束は、いつだってこの胸にあるから。
(彼の目を醒ませれば良い、ということですね)
<魂鎮めの燐光>を手に、マキナは静かにその男を見据えた。
(――終焉の使徒、ですか)
思うはその終焉(おわり)にある未来。
(…狂ったままなら、終わりの先など虚無しかないでしょうに)
細身の長身。ゆらりと立つ姿は幽鬼のようだ。なのに、肌を粟立たせる鬼気はどうしたことだろうか。
(それが悪いとは言いませんが…遣る瀬ないですね)
対峙するだけで分かる、これほどの威を持ちながら。何故、と。
力は継承の証だ。ゴライアスが師と仰ぐ黄金の大天使の。
(願われたのならば、成しましょう)
同じく終焉を紡ぐ者の一人として。その先にあるものを見据えて。
(獅子公の見ている先で、無様は晒したくありませんしね)
このような終りは、認めがたくあるから。
足の震えをフレイヤ(
ja0715)は必死に抑え込んだ。いや、無理だ。
(レヴィさんとガチンコで喧嘩するなんて夢にも思わなかったわよこんちくしょう…)
某ヴァニタスと人外魔境してたのもバッチリ見てる。説明されるまでもなく、危険な相手だって分かってる。
(正直私じゃ近付いたら一発KO確定みたいなもんじゃないですかぁああ)
それよりなにより――戦いたくなんか、なかった相手だ。
(そんな目、してないでよ)
幸せになってほしかったのに。
(ルスさんだって、そんなの望んでなかったわよ)
笑って欲しかったのに。
(いいわよやったろうじゃない! こちとらSAITAMA最強黄昏の魔女様よ! かかってきんしゃい!)
パァン、と頬に気合一発。足腰にも力を入れて。
手には金の欠片。託されたもの。
震えてなんていられない。
願いの欠片が、ここにある。
(何の因果かね…こんな風に対峙するなんて、な)
油断なく身構えながら、ルビィは顎を伝った冷たい汗を無意識に拭った。
(思い…か)
天の陣営から離れてもなお、大天使が。
種族の垣根を越えて、悪魔が。
手を貸し、守ろうとした相手。黄金の大天使が人界に託した、最愛の使徒。
(――お前も、こんなのは望んでねーよな)
一瞬脳裏に浮かんだ黒猫は、ふっくりと緑の目を細めて笑う。
頷かれた気がした。背を押されたような気にも。
(やれるだけやってやるぜ)
次に会った時、皆で笑って会えるように。
(救ってくれ、か)
使徒を、そしてエッカルトを見据え、ファーフナーは僅かに目を細めた。
(難しいことを簡単に言ってくれる。そういったことは専門外だ)
だが――
(……)
ふと思い浮かぶ何かしらの言葉に気付かぬふりをして、ファーフナーは魔具を具現化させた。掌にある金色の力――機会は一度。
(――仕事は、果たす)
どのようなものであれ、違えることなく必ず。
望まれ求められ手を差し伸べられる相手――自分がその場に居合わせるのは、何の因果だろうか。それともこれも何かしらの縁なのか。
心が無意識に言葉を零した。
「…儘ならないものだな」
(託されたものを護ってみせるのだよ)
黄金の短刀を胸に、フィノシュトラ(
jb2752)は祈るように相手を見つめた。
人の世界で幸せになってくれるようにと、かの大天使は使徒を手放した。
この世界を信じて。
――この世界に生きる者達を信じて。
託されたのだ。己が命より大事とする者を。
だから――
(何が出来るか、なんて、まだ分からないけど)
少なくとも、今、何をしなくてはいけないのかは、分かる。
信じて託してくれた、今はいないひとの為にも。
そして今なお救おうと、必死になっているひと達の為にも。
皆で何気なくも大切な毎日を過ごせるように。
(レヴィさん…絶対、絶対に、助けて見せるのだよ!)
(こんな再会を望んでいたわけでは、ありませんが)
目覚めてくれれば、と。
思いはしたが、こんな風に会いたいと思ったことはない。
一瞬響いた歌声に――ルスの遺した唯一のものに――呼ばれて目覚めたのなら、その威力は絶大だったのだろう。手元にあれば、穏やかな目覚めも可能だったかもしれない。
「――奪われたのは私達の失態」
現実を静かに見据え、石田 神楽(
ja4485)は魔具を具現化させる。
痛みを伴うかもしれない。心にも――体にも。
「ですが、それ以上の愚を犯さない為にも」
ひた、と銃口を向けた。
いつもと同じ笑みで。揺るぎない意思と共に。
「今はただ狙い撃つ――そういう事です」
ただ一つの願いの為に。
●
「行くぞ!」
声と同時、エッカルトが一瞬でレヴィに肉薄した。神速を使ったルビィよりも一歩早い。
(同系統の技か!)
思わず目を瞠るルビィの前で、金と銀が激突した。金属とも水晶ともつかない高い音。受けるレヴィの手の中――大天使より譲り受けた見えざる無敗の双剣、インビンシブルエッジ。
「回り込むぜ!」
正面から相手取るエッカルトの脇、追いついたルビィが鋭い一撃を放った。だが、
「ちぃ!」
剣の腹を受け流されるような奇妙な逸れと同時、見えざる刃が喉元に繰り出された。咄嗟に避けるも肩口に痛みが走る。
「無事か!?」
「ああ! この加護は、オッサンか」
「やれやれ。無茶しおるわい」
ゴライアスの対物理防御支援は、ある一定までの攻撃を完全に防ぎきる。それが一撃で消えた。
「馬鹿力だな」
「危険だから下がってろ。何かあったらどうするつもりだ!?」
「そいつはこっちの台詞だぜ」
血相を変えるエッカルトをルビィは横目で見る。
「無茶すんな…なーんて言わねぇよ?――けど、1人で戦う訳じゃ無いって事は忘れないでくれ」
ニッと口元に笑みを浮かべるのに、エッカルトは一瞬押し黙った。
救ってくれと彼らに願った。かわりに、せめて危険は自分が引き受けようと。
僅かに狼狽するエッカルトに、ルビィは笑みを深める。
「それに、無駄じゃあ無いしな」
レヴィの白い服――その肩口に灯った金色。
エッカルトが大きく目を瞠る。
学園においてもトップレベルの命中保持者――神楽の一撃だった。
○
声を聴いた気がした。白い闇の中で。
何を考えるまでもなく、音を追う。
恐らく本能にも似たもの。
胸痛む程に愛しい手の感触が背を押す。
――聞き逃してはいけない
●
互いに隙を作りあうと、そう決めていた。
動きは不規則。反応も未知。
けれど一人では無い自分達には、必ずその機会が訪れる。諦める事も、立ち止まる事も、自分達は選ばないから。
故に訪れる瞬間。見逃すことなき好機。例えそれが、どのタイミング、どの手番であろうとも。
(太陽が堕ちたと、嘆くのですか)
片腕と同化する魔具――腕そのものが成す撃ち抜く為の武器。
(光を無くしたと、月が沈むのですか)
針の孔程の隙を突く為、その武器にもう一つの思考を置いた。天と地の狭間、全ての空間において真っ直ぐに伸びる射線を捕らえる為に。
試算する。試算する。試算する。試算する。
瞬き一つ分程の時間。黒く染まる武器に宿る意思の力。
「黄金の遺産が自ら黒に染まるのであれば、私の黒を以てその黒を飲み込みましょう」
黒く、黒く。
夜よりも黒く。闇よりも黒く。
其れは深い深淵の底にも似た色。
――何を願い何を求めて『終焉の使徒』となったのか。
そんな事はどうでもいい。
世界に刻まれるのは『結果』だ。思いや事情すらも呑み込んで。
かつては自身も一つの終焉を紡いだ。請われ成し遂げ、見届けた。
だが、この『終焉』は如何にもよろしくない。何もかもがただ無に帰すばかりのものだ。
――私は、そんな終焉は紡がない。
終焉とは一つの節目だ。始まったものはいずれ終わる。その最後の最後に生まれ出るものだ。
――やがて訪れる、次の黎明(はじまり)へと続く為に。
(あなたもそうだったはず……)
ふいに生まれる闇の中の光。溶かしこんだ<魂鎮めの燐光>。
取り出したるは黄金の羽根。魔具と同化した腕に――その武器に添えて。
(ならば――)
「助けを求める暇があれば歩きなさい」
(届けましょう)
「自らの責任で始めなさい」
(紡ぎましょう)
「親離れとは、そういう物です」
(私の大切な人が、願い描いた日々の為にも)
放った瞬間、闇が光った。
――黒侵(ウツシミ)――
大天使の託した燐光を溶かし込んだもの。輝ける闇が一瞬でエッカルトとルビィの二人に対応していたレヴィの肩に着弾した。
黒を飲み込むかの如き輝闇の力が肩を染め、金色へと変わり、淡く消える。
ふいに掌の羽根が淡く光った気がした。傍らに感じる誰かの微笑み。――決してあるはずのない幻想。
「どうやら、無事届いたようですね」
確かに見届け、神楽はにこにこといつもの笑みで言った。
●
「おぬし、相変わらず化け物だのぅ」
直後、何故か隣に来ていたゴライアスがしみじみと呟いた。
「ゴライアスさんに言われたくは無いですねぇ」
にこにこ。
「当てれるのか…」
エッカルトもどこか唖然とした声をあげる。すぐに気を引き締め直したのは、歴戦の勘だ。
「エッカルト!」
見えざる何かが砕けちると同時、血が繁吹いた。
「エッカルトさん…」
「ちょ、ちょっとびっくりしただけだ!」
神楽の声にエッカルトが慌てて叫ぶ。
「気ぃ抜くのが早いぜ!」
「分かってる!」
ルビィの声にも叫び返しつつ、二人で互いを死角を補うようにして立った。
「隣を任せる。お前達の力、借り受ける!」
「…動きが少し、鈍ったか」
「みたいなんだよー!」
ファーフナーの静かな声に、フィノシュトラが答える。一発入った燐光の為だろう。攻撃を捌く動きにほんの僅かな差異がある。
(傷を負わさせるのは、なるべく忌避したいところだったが)
鋭い眼差しで銃口を向けつつ、ファーフナーは心の中でだけ呟いた。
(いっそ真に狂ってしまえば楽なのだろうが、あれはまだ正気を残している)
周囲を傷つけぬよう眠りについた。それがその証拠だ。真に狂ってしまえば、最早そういった思考すら皆無。ならば、力の暴走で望まず同胞を傷つければつけるほどに、狂気は更に深まってゆくだろう。
(待つのは自滅だ)
それを避けたかった。――完全には難しくとも。
(エッカルトらがレヴィへ手を下すことも、正気を取り戻せば心苦しく思うだろうからな)
ルビィがエッカルトの隣で動いているのも、そのためだ。全ては無理であっても、僅かなりとも肩代わりできるようにと。
不器用な男だと思う。同時に、ふいに過ったこれらの思いが、常の自分のそれと違う気も。
(……仕事だからだ)
頼まれた。
託された。
何故と疑問を挟む間もなく、信じられてしまった。望む望まざるとに関わらず。
(……)
脳裏に何かが浮かぶ。
蓋をして動く。
引き受けた依頼を果たすために。
「いっけぇえええ!」
声と同時、フレイヤの異界の呼び手が発動した。無数の手を舞うような動きで避けきり、繰り出されたマキナの黒焔を見えざる剣で弾く。
「動きが早いのだよ!」
軸足を狙って放った一撃を避けられ、フィノシュトラは拳を握った。物理と魔法、近接と遠隔。繰り出される攻撃は捌き、躱され続けている。
「ッ」
背後から無言で放たれた千鶴の一撃を、振り向かぬままの剣が受け止めた。流し、繰り出される不可視の刃が神楽の狙撃に無理やり逸らされる。
「ナイスフォロー!」
押し返すようにルビィとエッカルトが前に割り込み、一旦距離を取る千鶴の動きを支援する。
「今の動きで当てに来ますか」
回避を手助けした神楽が呟いた。
「おまけに、背後とってもすぐ反応してくるわ」
「これでレヴィさん、回避力いつもより落ちてるんですよね」
「…ほんま、よう当てたな…」
ちなみに、大天使も唖然としたレベルである。
「次の一撃、当てていきます」
「わかった。…急がな、な」
ゴライアスの加護と雅の支援を受けて尚、盾となるルビィ達の傷が深い。そして剣を振るうたび――レヴィの体にも血が滲んでいる。
(自滅)
己の限界を超える力の為に。
剣戟の隙間に入り込み、黒焔を放ったマキナは目を細めた。神楽とファーフナーが銃口を向け、フレイヤが再度異界の呼び手を生み出す。
一瞬。
道が、見えた。
(その力、借りましょう)
足を踏み出す。手には魂鎮めの燐光。言葉をと考えようとして、ただ純粋に短く込めた。
『目を醒ませ』
光が溶ける。魔具に宿る。剣持つ者が振り返る。委細構わず駆けた。
喪ったものに心を沈めすぎて――今の姿に黄金の眷属としての矜持など欠片もなく。まるで慟哭する幼児の様。
心に漣のようなものが広がる。無意識に言葉を紡ぐ。
目を醒ませ。
嗚呼、何よりも――嘗めるなと。
泣きたいなら泣けば良い。力尽きるまで暴れると言うならそれも然り。
「それを受け止められないほど、獅子公や他も惰弱ではない」
思うままに成せばいい。例えどんなに無様であろうとも。
≪死を想え≫
――そう、死は重いのだ。
だが、だからと喪失や絶望で歩みを停めて何になる。生きているなら、それら総てを背負い乗り越えなければ意味がない。生きるということは、生き続けるということは、茨の道を一歩ずつ血を流しながら歩み続けることに他ならない。その傷を身に刻みながら。
「喪ったモノに、お前の為に足を停めたとでも言うつもりか」
そんなものを背負わせる気か。
「それが喪ったモノに捧げる祈りだと」
マキナは拳を握る。
「黄金の眷属として誇りあるならば」
それを別にしても、黄金への想いがあるのならば。
純粋に、一つの思いを胸に。――いずれ来る、未来をも見据えて。
「狂っている場合ではないだろう」
真紅の瞳と獣眼が互いを見る。深い色。鮮やかな色。聞こえている。確信がある。
マキナは更に一歩を踏み込んだ。再起を信じて。
「自らの目で、世界を見ろ」
黒金の炎が過たずレヴィの体を薙いだ。
●
即座の剣風を巨大な盾が防いだ。
「獅子公…」
「一旦下がるぞ!」
有無を言わさず抱えて走られる。支援に弾を放ったファーフナーと神楽が銃を構え直し、「ふぅ」とフレイヤが汗をぬぐった。
「二本目入ったんだよー!」
追撃を攻撃を放つことで逸らし、フィノシュトラがレヴィの腹部に消えた金色を認めて告げる。
「よし!」
わし、と頭を撫でられ、マキナはゴライアスが別の守りに向かうのを思わず目で追った。守られたのだ。共に在る戦場で。
(あぁ、然し)
大きな背が神楽の横に並んでニッと笑う。
(――こんな姿、獅子公には見られたくなかったですよ)
胸を過る思いを抱え、マキナは再度走った。
隙をついて動く千鶴を支援し、フィノシュトラの魔法がレヴィの目の前に出現した。避けられることを見越して顔を狙った一撃。避けた先にファーフナーの弾丸。刃で逸らしルビィの一撃を躱す。
「…拙いですね」
「重ねて行け。たぶん、入れることにも意味はある」
同じ危惧を抱いた雅に渡され、神楽は素早く予備の燐光を使用した。二回の燐光では未だ捕らえきれない。
「燐光をもう一度使います。隙が出来るかもしれません。狙って行ってください」
「補助するのだよー!」
「足止めいくわ!」
放たれた一撃を追うように、千鶴が走り、フィノシュトラとフレイヤがそれぞれの術を解き放った。
過たず被弾する光。
一瞬揺らぐ体。
――優しい誰かの気配。
「取られたんなら取り返したる」
この思いの限り、我武者羅に手を伸ばして。
「でも、その時はレヴィさんも一緒や」
奪われた悔しさも、悲しさも、決して一人のものではない。
喪った辛さも、苦しさも、一人だけが抱えているのではない。
同じでは無いだろう。等しいとは思っていない。だが、確かにその虚無と悲哀はそれぞれの胸にある。
――繋がっていると、思いたい。
ここにある、この痛みで。
だから――
「そんな簡単に世界を壊して一人になれると思うなや!」
独りじゃない。絶望にかられ世界を閉ざしても。こじ開け手を伸ばす自分達が此処にいる。
「誰もそんな事、させてやらんわ…っ!」
刃をその体に叩きつけた。物体の無い奇妙な感覚。光が体に吸い込まれるのが見えた。一瞬だけ目が合う。僅かに灯った点滅のような意思の光。
手を伸ばした。服を掴んだ。
ぎょっとした気配は後ろ側から。
「分かったら…はよ起きや!」
物凄い音が響いた。
対応できなかったのは、それが予想外すぎる動きだったからだろうか。渾身の頭突きに長身が僅かにふらついた。
「おぬしら、ほんとに無茶しおるのぅ」
「ああああぶないなお前!」
ゴライアスに首根っこ引っ掴まれ撤収され、慌てたエッカルトの背に庇われながら千鶴は叫んだ。
「続き! 戻ってきてる!」
目があった瞬間に分かった。ほんの一瞬だけだったけれど。
そこにいる。聞こえている。届いている。伝わっている。
拒絶してはいない――完全に閉ざされてはいないのだと。
「女は度胸っ!!」
フレイヤが最後の異界の呼び手を放った。無数の手が想いをこめて伸ばされる。
(助けるのだよ…!)
フィノシュトラが全力の魔力を胸に抱き、足を踏みしめた。束縛の手が初めてレヴィの体を捕らえる。
思いは力。抱いた魔力に燐光が溶け込む。
光が増すのが分かった。眩いばかりの黄金の色。ふいに感じる誰かの気配。
――魂の込められた言葉だけが天意を動かす
声を聴いた気がした。微笑みの気配と共に。ならば、ここにある思いもまた、天を動かさんとする意思。
「絶対絶対に、帰ってこないとだめなのだよ!」
魂の込められた言葉。
「レヴィさんは、ルスさんと親子だったのだから、生きてほしいと、願ったのだから!」
悲しい程に真っ直ぐな一つの願い。命すら賭す思い。一つの世界を動かした――あの祈り。
「そんな大切に想ってくれている家族がいたのだから」
見届けた。世界に散り、溶けた黄金の羽根を。知っている。今もなお人々の傍らに残ったその欠片を。
形あるものはいずれ消える。けれど想いは残る。受け継ぎ引き継ぐ者がいる限り。
「大切な家族がいなくなっちゃってつらいだろうけれど、負けちゃだめなのだよ」
幸せにと、願われたのだ。
全てをかけて託された命。心。その魂を――どうか、自分から手放さないで。
「幸せにならなくちゃだめなのだよ!」
渾身の力で放ったライトニングが、術に束縛されたレヴィに当たった。吸い込まれる光が消えるよる早く、ファーフナーがその体に照準を合わせ、放つ。
思うのは、自身の生涯の望み――いくら乞うても得られないもの。
気づいているだろうか?
あの男は――レヴィはそれを享受している。
ルスに愛され、エッカルトに思われ、ゴライアスはレヴィを家族と言った。
(血よりも深い絆…か)
それはどれ程得難いものだろうか。今のこの世界にあって。
(多くの友愛を受けながらも気づかずに、正気を失い哀しみに沈むとは、儘ならないものだな)
それ程絶望は深かったのか。…それ程、ひとりの女を愛しすぎたのか。
その思いはレヴィにしか分からない。
だから――
「ルスの望みで仕方なく生きるのなら、やめておけ」
静かな声で思いを紡ぐ。
「辛いだけだ。ここで終わらせてやる」
それを望まずにはいられない程の絶望の淵にあるのならば。
「だが――やり残したこと、返しきれていないことがあるのなら」
――まだ終われないと思うのなら。
放たれた弾がレヴィの胸を打つ。揺らいだ体。一瞬だけ目があうのは、言霊が届いた証拠。
「いい加減、目を覚ませ」
その足で、立って歩きだすために。
●
束縛の手が吹き飛ばされた。無理やり解かれた戒めの直後に放たれる一撃の前、ファーフナーのエアロバーストが炸裂する。
「おわっ」
「自滅は、空振りでも防げんか」
レヴィと反対側に吹っ飛んだルビィを背に、ファーフナーは呟いた。千鶴同様、彼もまた攻撃毎に生じるレヴィの傷を減らせないか策をこらしていた。だが、振るわれる力そのものが己を蝕む凶器になっている。止める以外に術がない。
「反応が落ちてるのだよー!」
「呼び手も切れたけどね! 根性で当てるわっ」
「任せ。届けたる!」
フィノシュトラの声にフレイヤが震えながら燐光を手に叫び、千鶴が走った。援護する神楽の弾が、迎撃しようとするレヴィの剣を弾く。
「行け。恐らく、盾はもう必要ない」
見極め、ファーフナーがルビィに告げた。
「分かった。――さぁて。此処からが本番だぜ…!」
走る千鶴の姿が書き消える。一瞬で跳躍し、放たれるのは兜割り。防御とともに張りつめていた意識が崩れるのがわかった。
術を放つ為に力を集中させるフレイヤを意識の片隅に入れ、反対側となるようレヴィの後ろに回り込む。手に燐光。片側に――密かに、黄金の羽根を握って。
(光が強くなれば、闇も深くなる…)
あまりにも眩く美しい光だった。魂の全てを掌握するような。
「…世の中ってのは理不尽なモンだ。いつだって大切な物は、俺達の手から零れ落ちて行っちまう…」
失った物が大きければ大きい程、心に広がる闇もまた大きい。
絶望はどれ程深かっただろうか。どれ程苦しかっただろうか。
「けどな?…それだけ哀しめるって事は、アンタはそれだけ大切なモンを持ってるって事だ」
愛した心が裏返る――世界を滅ぼしたい程の思いこそが、愛の深さ。
「アンタだってルスの願いを憶えてるんだろ?」
いきなさい、と。生きられない自分への嘆きを見せるのではなく、ただ愛する者のことだけを祈った大天使。
「――どんなに辛くても、哀しくても…未来に向かって歩き続ける事が、生き残った者の責務じゃねーのか…!?」
いざという時の防御に立ちながら、ゴライアスは目を細める。かつて喪った妻子を思い出しながら。
最前で身構えながら、エッカルトは唇を引き結ぶ。
(分かれ、というのは、惨いかもしれないが――)
伝わって欲しい。撃退士達の思いと共に、ルスの祈りも。
愛することは、手放してあげること。
自分の物と抱きしめ道連れにするのではなく、信じて託したのだ。ここでなら自らの足で幸せを探しに行けるからと。
「俺達と一緒に未来を描いて行こう。――俺達の手を取れ、レヴィ…!!」
こんなにも、強い思いで手を差し伸べてくれる人々がいるのだから。
●
届く。その確信があった。
皆で思いを紡いだ。届くようにと助けあった。どれ程避けられようとも諦めずに。
だからすべての力を黄金の鎌に込める。燐光をその力に溶かし込んだ途端、いつもなら「NEMUI」だの刃に刻む駄鎌が凄まじい光を宿した。
「そりゃ私は世界を滅ぼしたい程の絶望なんて味わった事ないわよ」
天魔とはほぼ無縁の片田舎で生まれた。平穏で、平凡だったと言ってもいい。魔女に憧れた程に。
「…レヴィさんの苦しみをホントの意味で理解してはあげられないのかもしれない」
その人の苦しみはその人のもの。全てを分かるとは、口に出来ないから。
「でもね、私はたくさんの人から愛してもらえた」
この世界で生まれて。
「愛してもらえる喜びを、誰かを愛する喜びを知ってるの」
この世界で育って。教えられた――愛するということを。
「だから私がレヴィさんを愛してあげる。えっちゃんだってごっさんだって、ルスさんにだって負けない位愛してあげる! 貴方の心を一杯に埋めてあげられる位愛してあげるっての!!」
お、とゴライアスが面白そうに目を開いた。なんだかニヤニヤしてやがる。
「だからいつまでもいじけてんじゃないわよ根暗かボケー!!!!」
「反論できんな、レヴィ」
フレイヤの大鎌が振るわれるのを見ながら、エッカルトが遠い目でぼやいた。根暗。言い得て妙だ。
「さっさと起きなさい! この、ばかちん!!」
真っ赤な顔で怒るフレイヤを、ゴライアスは引っ張らなかった。
庇いに立つこともしない。ただ、待っている。
なぜなら――
「全部、入りましたね」
拳を緩めず、マキナは静かに言う。
「精一杯…やったのだよー…」
フィノシュトラが握り拳を作る。
ルビィが息を殺して見守り、ファーフナーが目を細める。
銃口が降ろされ、千鶴が神楽を見た。
「ええ。入れました」
神楽が告げる。
「十個、全て」
その事実と共に。
●
連携し、隙を作りあう撃退士は無駄打ちをしなかった。時折危うい瞬間もあったが、互いの動きで切り抜けた。
力を失ったように膝をつくレヴィの体をエッカルトが支える。
――その姿の重なって見えるもの。
淡い光。
「あ」
千鶴が我知らず声を零した。フィノシュトラが息を呑む。
微笑みが見えた。光を紡いだような髪。存在そのものが光のような美貌。暖かな眼差し。
「ル…」
幻想だ。分かっている。だが見えた。神楽は目を細める。
――こんな幻想なら……悪くはない。
夢幻だとしても。願望だとしても。
一瞬の光が風に溶けるように消える。だが、全員が見た。
嬉しげな微笑みを。
「レヴィ!」
エッカルトの声が聞こえる。大きく揺すられ、ぼんやりと目を開く青年が見えた。
「…エッカ…ルト…さま…?」
声もぼんやりとしている。エッカルトが盛大に顔を顰めるのが見えた。涙目なのには、気づかないフリをした。
「寝穢いのもいい加減にしろ馬鹿者! あいつら撃退士に、謝れ!!」
「小学生みたいですね」
口を押え俯いてしまった千鶴の頭を撫でながら、肩の力を抜いた神楽が言う。
嘆息をついてシガリロを取り出すファーフナーの横では、ルビィが「やれやれだぜ」と苦笑した。
フレイヤとフィノシュトラが抱き合ってぼろぼろ涙を零すのを横目に、マキナはそっと魔具を解く。
(終焉は、紡がれずにすみましたか)
誰も望まぬ終りは、回避されたのだ。
ふと視線を向ければ、ゴライアスがのっしと歩き出すところ。だが向かう先は天使と使徒では無い。見守る先で、がばぁとその大きな腕が広げられた。
「ひえ!?」
「!?」
千鶴と二人、纏めて抱きしめられ、思わず神楽の表情が消えるが、
「…ありがとう」
万感を込めた囁き声に、沈黙した。すぐに二人を解放した腕が、今度はファーフナーとルビィを抱きしめる。
「おわっと!」
「……」
それぞれの反応は、やはりすぐに沈黙に代わる。離れる前、ばしばしとルビィが巨漢の背を叩いた。
「水臭いってもんだぜ!」
涙をこらえるような笑い声を零し、今度はフィノシュトラとフレイヤが。
「わわわ!? ……。よかったんだよー!」
「ちょちょちょ乙女になにや……馬鹿ちん! そこは笑顔でしょ!」
背を叩く手が物凄い音をたてたが、叩いたフレイヤのほうが痛そうだ。そして、
「…う」
流れにちょっと後ろに足を動かしかけたマキナががっつりと抱きしめられた。思わず硬直する。
「……次は、戦場だな」
小さな声。心臓の音。
理解した。理解していた。今は、幻のような時間。
ぐしゃりと頭を撫でた手。離れた顔は全員を見てニッカリと笑う。
「また、会おうぞ」
そのままあっさり背を向けるのに、ルビィが慌てた。
「オッサン! いいのかよ!?」
「せっかく会えたのだよー?」
気にかけてきただろうレヴィとエッカルトに。
ゴライアスはそちらを見ない。ただ僅かに振り返り、撃退士達を見る。
「見るべきものは見た。全てな」
七人全員を。その瞳に焼きつけて。
「最早、この地に思い残す事はない」
託した。心置きなく、託せる相手に。ならば長居は無用。
ただ笑って告げた。万感の思いを込めて。
「お前達に会えたことを――儂は、心から、誇りに思う」
●
後日。
学園の片隅に、衰弱した使徒の為の部屋が設けられた。
様々な要因からいくつかの技が使えなくなっているのが確認されたが、その心身には異常無く。深い眠りでその衰弱を癒している。
「今度は自力で起きるさ。まだ泣くことは出来ないみたいだけどな」
部屋を訪れた七人に、エッカルトは苦笑しながら言った。根拠はと問う声には何処か悪戯小僧のような笑み。
「お前達が繋いだ魂だ。自信もて。ちゃんと証拠もある」
どこか吹っ切れたような、悪童めいた笑みで。
「今まで無意識に使えなかった、ルスの技を使えるようになっていた。あいつの中でも、ちゃんと変化が起きている」
全てではないし、威力も違う。けれど、それは確かな証。
「おまえ達の成果だ」
いずれ目覚めた後に、共に戦場に立つことになるだろう。
奪われたものを奪い返す為に。
黄金は、確かに引き継がれたのだから。