どうか、生きて
せめて本当に言いたい言葉を伝えれるように
白い闇に閉ざされているように見えても
春はすぐそこに来てるから (常闇の明星より)
●
「行って!」
告げられた言葉に、ただ走った。両脇から飛び出す鼠に見向きもせず。
信じていた。場を託した別部隊の仲間が必ず阻んでくれると。
「ご武運を」
「頑張って!」
かけられる声。
込められた願い。
上がった手と手が音をたてる。
託し、託された。
案じる声が背を押す。
「気を付けて!」
ゲート【月華】へ突入した。
〇
呟きを聞いていた。
叶わぬ望みと知ってなお、零してしまった思いを。
――もっと、早く出会いたかった
●
「こっちだ!」
ゲートに開かれた入口。その向こうで一度大きく手を振り、駆けるのはエッカルトだ。
「エッさん!」
「おまえのそれも変わらないな」
「ひひゃひへふ」
ちょうど横に来た東城 夜刀彦(
ja6047)の両頬を走りながらぷにーと引っ張って。なんだか必要以上に体が強ばっていた自分に気づき、エッカルトは苦笑した。
「ありがとな」
「これからですよ」
パンと背中を叩くと、穏やかに微笑まれた。何故だろう。自分の方が背中を押されたような気持ちになるのは。
「索敵範囲内、右前方に五匹。左前方、斜めに五匹」
意識圏を広げ、索敵した御堂・玲獅(
ja0388)はそう告げた。
「小物が動いてる道は、障害物で迷路状にしてある。こっちの道に入り込むまで、数十秒の間があると見るといい」
「細工をしてくださってたのですか」
「即席だがな」
玲獅の声にエッカルトは軽く肩を竦める。人々他部隊への支援に奔走するのと同様に、エッカルトもまた同じように細工を施していたのだ。
(思いは、通じるのだね!)
フィノシュトラ(
jb2752)は瞳を輝かせた。
「みんなが笑っていられる未来、幸せな日常を手に入れるためにも負けられないのだよ!」
ふんす、と両手に握り拳を作り告げる。柔らかな気配の中にある確かな芯は、決意の表れだろう。
「遊園地でお会いしたレヴィさんは貴方がたの事を仰る時、幸せそうでした。貴方がたの誰かが欠けてもレヴィさんは幸せになれません。私は貴方がた全員で幸せになる未来を目指します」
玲獅の静かでありながら思いの込められた声に、エッカルトは一瞬目を見開き、くしゃりと笑った。
「あいつが、な……」
憎まれ口を叩いてきた。すれ違いだって多かったはずだ。それでも、何かしらの繋がりは出来ていたのか。こちらの一方通行では無く。
「まだ困難はたくさんありますが、八百年もの時を共に過ごした三人です。誰が欠けてもきっといつか後悔します。……だから絶対……三人とも、助けますから」
言葉を重ねる星杜 藤花(
ja0292)に、エッカルトは頷いた。
「ムスと守護騎士の足止めは力技で押し止めるつもりか?」
ファーフナー(
jb7826)の声に、エッカルトは「いや」と首を横に振った。
「僕だけであれば、最初は意識外からも可能かもしれない。二度目はそうはいかないだろうがな」
ファーフナーは頷く。
馬鹿正直に真正面からの足止めなら、別の方法を提案しようと思っていたのだ。
だが、エッカルトによる誘導指示等は命令系統が違う為、出来ないらしい。
「守護騎士はゴライアスの作だからな。何も言わずに後ろに回ってから背後撃ち一発、が限度だろう。下手するとそれも見抜かれるな」
「攻撃・防御・回復の分担は?」
「それぞれ状況に応じて行うだろう」
問いの答えに、ファーフナーは嘆息をついた。
「それぞれが互いを補うように動く、か」
「お前達のようにな」
「厄介なサーバントだな」
先の発言を繰り返したファーフナーにエッカルトは笑った。
ふと、無言のままマキナ・ベルヴェルク(
ja0067)と夜刀彦が同時に攻撃を放つ。それぞれの力が現れた鼠を吹き飛ばした。
「五匹一組、でしたね」
藤花とフィノシュトラが次に現れた鼠に攻撃を放ち、無言で放たれたファーフナーと玲獅の攻撃が新手と撃ち漏らされた一匹をそれぞれ撃破した。
「僕が出る間もないな」
エッカルトの持っている大剣が所在無げに揺れている。
「体力温存も大事なんだよー!」
「そ、そうか」
輝く笑顔で言われ、わりと笑顔に気圧される系エッカルト、こっくり。すぐに視線を前へと向け、告げた
「あとはこの道をまっすぐ行けば最短ルートで深部への道にたどり着く」
僕は向こうだ。そう告げる天使の視線の先には、右手に曲がる道がある。
「気をつけて」
「お前達もな」
戦闘に際し、表情の消えた夜刀彦の声にエッカルトは笑った。
誰かを心配するばかりで、誰かに面と向かって心配されることがあまり無かった。
離れる寸前、こつ、と小さく拳をあわせる。
命を奪いかけたことがある者と――奪われかけたことがある者。
あの時から縁が生まれた。
人を信じること。
その一歩を踏み出せたのは、あの日に見た青い瞳に心を奪われたから。
一気に別の道を進むエッカルトを一度見やり、マキナはふと自分の右手を硬く握る。巻かれているのは白色の包帯。渇望を力と具現する魔具。
(戦いに終焉(おわり)を)
他の助け、人々の願いを叶える助けともなるのならば、是非もなく。
響く足音。時折現れる鼠型サーバントに攻撃を放ちつつ、通路の先、近づき始めた部屋の入口に眼差しを鋭くさせる。
「あそこが、広間ですね」
玲獅の手に白銀の盾が具現化する。中央に象られた白蛇。魔を祓う者。
「盾は、私が」
危険は承知。だが、誰かが惹きつけなければならないのならば。
「頼みます」
信頼を込め、夜刀彦が告げる。瞳に宿る案じる色は、信頼とはまた別のもの。どれほど信用していようと、傷を負うと分かっているからこそ相手の身を案じるのだ。
ならば、敵の身を封じ、本領を発揮させないことが自分の役目。
「援護に回ります」
夜刀彦の声に頷き、藤花もリングを包み込むように握る。星の輝きの効果で目を背ける鼠達。道すがら駆逐していく一行の速度は落ない。
(エッカルトさん、ルスさん、そしてレヴィさん)
自分の命よりも他の命の無事ばかりを祈る人達。
願わくば、自らの命も愛して欲しいと思いつつ、託されたものを抱きしめる。
(絶対に、約束守ります)
〇
あいつの気持ちはどうなるのか。
問う声は回避出来ない現実の前に打ちのめされた。
思いと思いがぶつかりあえば、より思いを貫く力を持つほうが勝つ
正義などそこには無い。
全てに悪と罵られるべきと、自らを指して言った『母』。
血を吐くような本音を自分は知っている。
――……一緒に生きたかった。
●
「いきます!」
惹きつけをかね、声と同時に玲獅が真っ先に駆けた。身構える守護騎士は動かない。背後の道を塞ぐことを優先しているのか。
(必ず、通します!)
編まれるのは封じの結界。発動し、展開した魔法陣が三体を纏めて絡めとる。
「あの大天使の作、抵抗は激しいかもしれませんが!」
三体全員が武器を持ち直した。全ての個体が玲獅を標的に定める。
「入ったんだねー!」
フィノシュトラは顔を輝かせた。それまで利き手と思しき手が無手であったのは、おそらく技を放つ予定だった為だろう。
「次いくよー!」
騎士と前に立つ玲獅の間に毒々しい霧が発生した。動けば即飛び込む形となる設置型トラップだ。その向こう側へと攻撃を放ったのは藤花とファーフナー。中央奥に立つ個体に向かい、二人で同時に遠くから一撃を放つ。
(技は使わせない)
封印結界を使えるのは玲獅と藤花の二人。回数に限りがある以上、連携して交互に各日に効果を及ばさなくてはならない。
(自分が倒れるのも……あの人が倒れるのも、どちらも許せない)
失いたくないものの存在を知っている。だからこそ、
(エッカルトさんやルスさん、レヴィさんにも、幸せになってもらいたい)
それは失ってはいけない大切な欠片。世界を構成するピースだから。
(だから……届いて!)
これから先の戦場へと向かう部隊。その道を開き、大切な人を含む彼等の退路を確保する自分達。
願っている。心から。
誰もが笑顔でいられる未来を。
例え運命がそれに否を唱えても、最後まで希望を捨てずに立ち向かうから。
攻撃を堅固な防御で受け止め、進む騎士は中央の者。毒の霧に怯むことなく突き進み、振り上げられた剣が堅固な盾と正面から衝突する。
「く……っ!」
受けきり、玲獅は足に力を込める。霧に入ったことで毒をうけているのだろう。なのにそれすらも意に介さず、振るう力は鋭く、重い。
(……想像以上、ですね)
ただ至近距離になって気づく。相手に敵意の無いことに。
「…ふむ、皓獅子公のサーバントですか」
騎士の動きにマキナは静かな眼差しを向ける。
「彼とは幾度か戦った事がありますが――…成る程、彼らしい隙のない造りをしていますね」
フルアーマー。防御は相当な物だろう。サーバントである以上、現実にあるような甲冑の重みなどによる鈍重さは期待できない。滑らかな動きを見てもそれは明らかだ。
(余程、力を入れているサーバント)
エッカルトからの情報では、大天使は師であり、母とも慕う者であるという。使徒との関わりもあるとくれば、生半可な援軍を寄越すはずもない。
三体で道を塞ぎ、中央が奥、左右が手前。横一列攻撃では一纏めに出来ない。身構え方を見ても、一筋縄ではいかないのは確か。
「――ですが、これで止められるつもりもありませんよ」
先に纏った世界の終焉、その理を具象する術により、強靭な力がその身に付加されている。
「元より、止めるのは私の専売の様な物」
求めるべきものも、与えるべきものも、唯一つ。
――戦場に終焉を。
「私の拳は、その為にある」
その体が走った。同時に走った影を視界の端に認める。目が合う。頷き。
――纏うべきは己の意思。
それぞれがそれぞれの役割を果たすべく、駆ける。
――貫くべきはその信念。
表にて惹きつけた玲獅。ならば側面から敵の動きを直接奪うのは、自分達。
知っている。彼等が望むもの。願っているもの。
自身はただ、それに繋げる為に拳を揮い。
終焉(おわり)を、終焉(おわり)を、終焉(おわり)を――
戦いの終焉を希求する身なれば、ただその為に。
振るった拳。同時に幾方向から放たれる黒焔の鎖が音をたてて騎士の体を束縛する。
「今」
空を影が舞った。
優雅にして優美。闇をその身に纏いながら、夜を断つ太刀たる者。
――祈りは祈り以上の意味を持たない
そのことを少年はよく知っていた。
世界の『現実』は残酷だ。決してこちらの都合の良いようには動いてくれない。
どれほどの希望を持ち、どれほどの絶望に抗い、千の祈り万の願いを重ねたとしても、覆すことのできない現実を突きつけてくる。
神様なんて、世界にはいない。
自分達にとって都合の良い未来なんて来ない。
それでも、祈りを抱いて手を伸ばした。
失えぬ願いが胸にあるから。
伸ばした手の先に何を願っていたのだろうか。
か細い蜘蛛の糸を掴み空へ登ろうとするかのように、
それは余りにも儚いものだというのに、
それでも――
そこに、決して失えぬ刹那の永遠を抱いているから。
(――世界に安寧を)
全ての悲しみを終わらせる為に。
そのしなやかな細身の体からは想像もつかない鋭い一撃がもう一体の守護騎士の頭部を打ち据える。激しい音と同時、騎士が朦朧したように体をぐらつかせた。反撃のように放たれた攻撃も、空を切る。
「あと一体」
次のシールゾーンを放つため、藤花が構えた。
その前、毒の霧に飛び込み、残る一体の頭上に夜刀彦が再度跳躍する。奇跡的に動けた瞬間。放たれた一撃が三体目の騎士の意識を行動不能な状態に落とし込む。
「行け」
タイミングを読み取り、ファーフナーが別部隊へと告げた。
「頑張って…!」
祈りと願い、信頼と愛情。叫ぶ藤花の視線の先、緑銀の髪を揺らし青年が手を上げる。
高めた抵抗力で毒を中和し、夜刀彦は駆け抜ける一同を見やる。
目があった。黒と白。
伝えたい言葉は山とある。けれどただ一言だけ告げる。
「ご武運を!」
〇
運命を呪えばいいのだろうか。
命尽きる間際になって、希望の糸を垂らされたことに。
それとも感謝を捧げればいいのだろうか。最後に希望を与えられたと。
嘆くことも怒ることもなく、『母』はただ、全てを黙って受け入れた。
覆せない現実に抗う為に。
●
退路を確保する、ということは、畢竟、この道筋の敵を殲滅することでもある。
(おそらく、帰ってくる者達は大天使を連れて来ることだろう)
ファーフナーは身構える。その耳にフィノシュトラの声が飛び込んできた。
「攻撃集中させるよー!」
その声にマキナが走った。
狙うべきは毒で朦朧の効果がすぐ切れるだろう騎士。寸前であれば間に合う。今ならば先に入った兜割りで防御力も落ちている。
僅か数秒。五秒にも満たない時間との勝負。
(崩す)
踏み込み、放った一撃が意識外から強烈な一撃が叩き込まれた。下げられた防御と相まってその膝が落ちる。
藤花が封印結界を構築した。僅かでも隙間を空け、効果が切れればどんな結果を招くのか。回復術を使われれば蓄積させたダメージが無駄になる。ましてエッカルトからの話によれば、相手の技は強力な範囲技。早期撃破を目指す以上、まずは封じ続けることこそが肝要だった。
「重ねるんだよ!」
フィノシュトラの放った無数の赤い花びらが膝をついた騎士の生命力を削る。
ファーフナーは眉を潜めた。
「物理と魔法、どちらの防御も同等……か?」
「そのようです」
「特化させないかわり、どの戦場でも対応できるように、といったところでしょうか」
声に頷いたのは藤花と玲獅。その情報を夜刀彦がコア破壊部隊に回すべく連絡網に乗せる。
仲間達が向かった先こそ、ゲートコア。全ての依頼の最終目的たるゲート破壊は、コアを破壊しない限り達成されない。
ここと同様、騎士が守護しているとなれば、一筋縄ではいかないのは分かっている。ならば僅かでもその助けとなるように、同一敵の最大限の情報を少年は回しているのだ。
(敵が、守護騎士だけならいいが……)
そんな中、ファーフナーには他の者が抱いていなかった思いがあった。自らの中にある悪魔の血を瞬間的に活性化させる悪魔顕現。自らが追われ、他に忌避される原因ともなったそれを今はあえて発現させる。
(天界陣営……か)
人とは明らかに異なり、悪魔とも全く違う統治形態を形成する者。その社会は、どちらかと言えば人間の縦社会に似ているという。
上の者の命令は絶対。
使徒は天使にとって特別に力を分け与えたという下僕であり、使徒は天使に謀反を翻すことは無い。時にヴァニタスが悪魔に抗ったり、下位の者が上位の者に叛意を翻す冥魔とは明らかに違うあり方。
そのせいなのか。
いや、それでも――
(ゲートを作らせ、力が弱ったところで使徒を確保する)
そのやり方に、誰も疑問を挟まないのだろうか。
(相手の感情を無視した、まるで騙し討ち、大天使の自己満足だな。学園に保護……いや、監視されて生きる、そこに生の実感はあるのか……)
皆がその無事を祈願している件の大天使が、撤退に同意を示すかどうかも不確か。
なにより、他人の人生を自分の意のままに動かすことには怒りを覚える。
(まぁ、俺の知ったことではないさ)
滲み出る怒り、それを振り払うようにファーフナーは次への攻撃に備え、構える。
膝をついていた騎士が剣を振り上げた。
盾で受けきり、玲獅は攻撃を受け続けるべく自らの傷を癒す。
「トドメなんだよ!」
フィノシュトラが魔力を解き放つ。
赤の薔薇がその花弁を散らす。
騎士が音をたてて崩れ落ちた。
〇
最期の望みだと分かった。
叶えてやりたいと、
出来れば生きて欲しいと思った。
夢を見たかったのだ。
すべてが決定しきるその間際までは。
夢は、どこまでいっても、夢でしかないのに。
●
騎士三体を討伐し終え、駆けつけた戦場は異様な状況だった。
「撃てば確実に当たりそうだな」
ファーフナーがその光景を見て呟く。
鼠。ぎゅうぎゅう詰め。範囲放つなら、今。
「道、開けますね」
夜刀彦が影手裏剣・烈を放った。ごっそりと空いた箇所に一同が雪崩込む。
「これ一人で相手してたんですか……」
「大多数とは聞いてましたけど……」
玲獅と藤花がそれぞれの魔具で敵を攻撃しつつ呟く。
確かに言っていたが、彼等の言う言葉の表現は、もしかすると自分達の想定を超えているのではないだろうかと。
「エッカルトさん、来たんだよー!」
アーススピアを放ち、新たな道を作り上げてフィノシュトラが声をあげる。振り返ったエッカルトは驚いていた。
「早いな?」
「よそ見してていいのか?」
後ろから飛びかかろうとしていた鼠をファーフナーが撃ち抜いた。エッカルトは横から飛びかかってくるのを避けながら肩をすくめる。
「騎士以外は数が多いだけだ。回避できないと手数で落ちるけどな。……僕はあまり範囲攻撃の種類を持ってないから」
言うのと同時、振り下ろされる騎士の剣を避けて大剣を薙ぎ払った。横一列が吹き飛ばされる。数は八。確かに、周囲の敵数を考えれば一回で倒せる数が少ない。個体の強さが殲滅力とイコールにならない事例の一つだ。
「! 止まれ!」
近寄ろうとする六人にエッカルトが叫んだ。同時に光が周囲を埋め尽くす。
「これが……範囲攻撃」
初めて見たその威力に玲獅は表情を変えた。藤花が呟く。
「シールゾーンがあれば……」
先の戦闘で全て使い果たしている。だがエッカルトは平然と次の攻撃に備えていた。
「巻き込まれるなよ。戦ったのに技を見ていないのか?」
見たところ大きく傷を負った者もいない。不思議に思って首をかしげると、夜刀彦が開いた道を通りマキナがエッカルトの後ろに立った。
「技封じが上手くいきましたからね」
背を守り、振るう拳の先は騎士だ。
「なるほどな」
「そちらは封じ技は無いのか」
ファーフナーの声にエッカルトはちょっと目線を逃がした。
「あることはあるんだが……僕は、範囲技が少ないから、な」
声と同時、一気に踏み込み騎士の片腕を切り飛ばす。別の騎士がエッカルトに手を向けた。凄まじい業火の壁が一瞬で横一列に具現する。鼠ごと。
「エッカルトさん!」
「おまえらは喰らうなよ」
見ればエッカルトの前に光の盾が出来ていた。炎の消滅と共に盾も砕けて消える。
「……わざと、ですか」
マキナが呟いた。
「僕だけだと埒があかないからな」
数を討伐するのに利用できるものは利用する。ある意味合理的な考え方だが、範囲に入っても耐えきれる実力があって初めてできることだろう。
「かなり強力な技のようですからね……」
「おまえだけ怪我してるな」
「盾をしていましたので。東城さんも空蝉で身代わりになってくださいました」
白蛇の盾を掲げ、告げる玲獅にエッカルトは無言で回復を放った。一気に怪我が癒える。
「あ、ありがとうございます」
「うちの馬鹿も一人だけ毎回怪我するんだ。おかげで僕は回復術ばかりバリエーションが増える……」
ぶつぶつ呟くエッカルトに玲獅と藤花が顔を見合わせてくすりと笑った。
(こんな風に、これからも過ごしてくれるといいんですが……)
藤花はそう願う。そんな未来を夢見たい。そう思ったのだ。
「盾役は私が」
進み出た玲獅にひょいと片眉を上げ、エッカルトは一瞬だけ思案し、頷く。
「わかった。こちらが補助に回ろう」
瞬間、全員の前に一瞬だけ光る盾が現れる。目を瞠る一同に軽く肩を竦めた。
「技はもともとルスのものだ。同門、とでも言えばわかるか?」
ゴライアスの師だったというルス。力を失った後の弟子というのは、そういう意味。
その時、「えっ」とフィノシュトラの声が響いた。
「なにかあったのか?」
一番負傷の大きな騎士に狙い撃ち、ファーフナーが問う。フィノシュトラはわたわたと手振りを交えて告げた。
「コア破壊の人、ルスさんを連れて、急ぎ離脱してくるって!」
一瞬、驚いた空気が流れた。
離脱してくる。
今、
この、
大混戦の戦場に?
「……。かえって危険じゃないのか……?」
さしものファーフナーも一瞬言葉が出てこなかった。やっと二組目をエッカルトと共に共闘しているという最中。しかも未だ鼠は大多数。
「道を開けないと危険ですね」
「開けましょう」
動き出したのであれば仕方がない。あっさり動き出すマキナと夜刀彦は使えるスキルを確認する。その時気づいた。エッカルトが真っ青になっていることに。
「もう……なのか」
呟きが聞こえた。
「もう……時間が無いのか。ルス」
〇
激化する戦い。
有効に使える手駒は使い潰される。
ならば、せめて。一時でも安寧を。
優しくて強い、人間達の中で。
●
ルスの体は、すでに限界を超えている。
至急、救急病院に搬送する必要がある。
そう告げられ、一同は走った。やるべき事は変わらない。ただ、その速度が想定より急かされたというだけのこと。
方針を変えたエッカルトが技を封じ、玲獅が盾になり、五人が攻撃手になることで守護騎士は問題なく倒した。有効な作戦と、連携。完遂する為の実行力。それら全てが遺憾なく発揮された時、人は恐るべき結果を携える。
「今のうちに抜けて!」
開いた道にフィノシュトラが指示を放つ。
「すまない!」
大天使を抱えた青年が告げ、駆ける。初めて見る大天使の姿に感銘を受ける暇もない。
その背を守るのはマキナと夜刀彦。後から迫る鼠の群れに僅かも怯まず、駆けつける鼠をマキナの一撃が吹き飛ばし、その隙を守るように放った夜刀彦の<烈>が範囲の敵を一掃する。身をもって盾をなるのは玲獅と藤花。隙を埋め抜けを防ぐのはフィノシュトラとファーフナーだ。
「レヴィさんがこっちに向かってるって!」
「間に合って……!」
フィノシュトラの声に藤花は祈る。技では回復させれない寿命。残された時は、あまりにも少なくて。
「エッカルト。行け」
ファーフナーが一同を守るエッカルトに告げた。
「行ってください」
「ここは俺達が」
マキナと夜刀彦がその背を押す。
「後は数だけなんだよー!」
「どうか、心のままに」
「心配は不要です」
微笑むフィノシュトラと藤花、玲獅。
心を殺してまで戦わせたくはないから。
「……ありがとう」
他に言葉が思いつかない。
ただ、先に向かった人々の後を追った。
●
道を守りきる途中、ゲートコア破壊の報を聞いた。
次々に入ってくる朗報。戦場は制圧されつつある。後続の人々と共に外へと急ぎながら、けれど胸が塞がれたように重く苦しい。
ゲートを出た瞬間、待っていたのは息を引き取ろうとする大天使と、使徒の到着を待つ人々の姿。
「そんな……」
藤花は首を横に振る。信じたくない。こんな終わりがあっていいのか、と。
エッカルトは俯いたまま。ただルスの手を握っている。
ほろほろと、崩れるようにしてルスの背中の羽根が消えていく。エネルギー体であるならば、それが消えるということは――……
「待ってなんだよ……まだ、レヴィさんが!」
フィノシュトラが悲痛な声をあげた。
誰かが息を呑む。
ルスが目を開いていた。まるで単に眠っていたのが、今、目を覚ましたように。
夜刀彦が息を詰めるのをマキナは聞いた。マキナも小さく息を吐く。
希望を見いだそうとする人々の気配が切ない。
分かっていた。――これが、最期。
「レヴィ」
エッカルトが名を呼んだ。
弾かれたように見やる視線の先――
使徒レヴィ。
誰も、何も言えなかった。
ただその最後の瞬間を見守る。
レヴィが何を告げたのかは、きっとルスにしか分からない。
ルスが答えたかどうかさえも。
世界に光が舞う。奇跡の欠片を風に乗せて。
――いきなさい。
永遠の微笑を最後に。
●
残務処理は深夜を回っても続いていた。
慌ただしい気配はすれど、現地に混乱は無い。
幸せを願っていた。
与えてもらった奇跡のお返しに、その人にも奇跡を。ほんの僅かな期間でも、穏やかに生きて欲しかった。
零れた光が風に乗って世界に散っていった。その後のことは、誰にも分からない。
受け止め、抱きしめた玲獅は、その後しばらく、ずっと嗚咽を噛み殺していた。手に残らないはずの光の羽根は今もその手に残っている。まるで思いを形にして託すかのように。
泣きじゃくっていた藤花は、別部隊で出ていた夫が引取りに来た。
対策本部の片隅では、保護色のシーツを被ったエッカルトが太珀と何かを話している。一緒にいるのは撃退庁の人間だろうか。会話は聞こえないが、険悪な気配は無い。
(……生きろ、と告げるのですね)
毛布に包まり、疲労を癒しながらマキナは空を見上げる。
本当には生きたいと願い望みながらも、叶わなかったひと。戦いよりも安寧を願い、その為には血塗れになることも厭わなかった人。自ら悪たらんとするように、最後まで運命に抗って。
(……)
瞑目するマキナの後ろ、同じく渡された毛布を膝にかけ、階段に気だるげに座ってファーフナーは息をついた。
(家族……か)
ふと思い出す。自分にも、昔は家族が――母が、いたのだと。
「皆、幸せになってほしい、って……!」
思い出し、涙を零すフィノシュトラの肩を夜刀彦は抱き寄せる。小さな背を撫で、静かに瞑目した。
何故、を問うても意味がないことを知っている。もうずっと昔に、繰り返し問うてきた。
彼女は、自らの意志で生き様を決め、貫き通した。かつてのあの人がそうであったように。
正しいことでは無いだろう。間違っている、と声高に叫ぶことはもしかしたら簡単なことなのかもしれない。けれど、
見やる視線の先で、エッカルトが軽く手をあげる。隣に立っている撃退庁の男は苦笑気味だ。
手を振り、夜刀彦は空を見上げた。
(……貴女は、確かに、愛する人達を守った)
●
三月。
気の早い鳥達が春を謳い、日差しが柔らかく体を抱きしめる頃。
最近いかがですか、と問うたマキナの声に、スキルの汎用化を試している、とエッカルトは答えた。
「ルスが渡した技術もかなり古いものなんだ。波長の合う合わないが激しいから、そのままだと使えない」
汎用化させる分かなり劣化するだろう、と告げるエッカルトの目はどこか遠くを見るようだった。
「無理を強いられては、いないのですね」
「あの悪魔教師を交渉相手にしたのは正解だったな」
軽く肩を竦めるエッカルトにマキナは納得した。おそらく、色々あるのだろう。それでも、思ったよりも自由そうだ。
「では、これで」
「ああ。……ありがとう」
場合によっては命を奪い合ったかもしれない相手。けれどここに、終焉を与えるべき戦いは無い。
「お先に」
「?」
去るマキナの一言に首を傾げつつ見送って、エッカルトは後ろを振り返った。
「おまえは相変わらず、何も言わないな」
「そうでした?」
首を傾げるのは夜刀彦だ。肩には妙に男らしい表情のリスが乗っている。
「レヴィの事なら、今もあの教師達と相談中だ。そろそろ表に引っ張り出さないといけないしな」
「そうですね」
頷く顔は穏やかでも、なんとなく分かる。たぶん、同じように誰かを亡くしたことがあるのだろう。だから、傍にいてなんとなく安心する。同じ痛みを持つ者として。
「先輩達がそろそろ来る予定なんですが……」
「?」
言うのと、廊下を曲がってきた三人を見つけたのは同時だった。
「許可出たぞ」
「エッカルトさんも行くよー!」
ファーフナーとフィノシュトラの声にエッカルトは首を傾げた。
「何の話だ?」
「まだ話されて無かったんですか?」
「うん。確認とれてから、って思って」
にこ、と笑う夜刀彦に玲獅はくすりと笑う。エッカルトに向き直り、切符を差し出した。
「外出許可も出てます。仕事でも任務でも無く……一緒に行きませんか? 剣山へ」
「はい。そちらに向かってるところです」
携帯を片手に藤花は微笑んで告げる。
「そうですね。本数も少ないですし……小旅行ですね」
全員の旅費を出した鎹雅の財布具合が心配になったが、表情を見て何も言えずに受け取った。今は別部隊だった夫と合流すべく向かっているところだ。無論、仲間と一緒に。
「わりと賑やかです。……ええ、そうですね。エッカルトさんも」
フェリーの中、そっと覗くとトランプ片手に皆でなにか言い合っている。七並べだ。
きっと胸には大きな穴が空いていることだろう。けれど立ち止まることなく歩み出そうとしている。
「いつか、届くといいですね」
もう一人の、大切な幼馴染にも。
麓では花が咲いていた。
四国、徳島の地は暖かい。山へ登る段になって空気は冷えてきたけれど。
歩く道の片隅で、緑の色を目にとめる。
ふよふよと浮くフィノシュトラは、どこか春を告げに来た妖精のようだ。
(……引率の教師だな)
我が身をふと振り返ってみて、ファーフナーは内心嘆息をついた。春になったらリフトが動くと話す藤花と玲獅は、何故か地元のパンフレットを持っている。
マキナとエッカルトは静かだ。何かを思う面差しで、山を一歩一歩歩いている。
(レヴィ)
目を細め、見やる先に幼馴染の姿は無い。
(お前、そのままでいたりは、しないよな……?)
視線が下がる。声が聞こえた。
「足元が暗ければ灯りを灯すよ」
エッカルトは夜刀彦を見る。
沢山の人の思いが集まって、闇夜の道を照らそうとしている。あの時がそうであったように、今がそうであるように。
辛い時は抱きしめる。
歩きたい時は手を差し伸べる。
動きたくない時は、きっと一緒にそこで待つから。
「だからどうか歩みだして」
心の闇に囚われてしまわないように。
山頂に僅かに残った雪。陽光を受けて光を反射する。
周りに光を撒くように。
「道はまだ続いてるから」