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夜更け。冷たい風が微かな音を立てる地の上では、雲が晴れた夜空には星が支配している。その下で、ルイジ・イワノビッチは瓶のウイスキーの栓を開ける。心の中でクソッタレな世界に乾杯を送り、飲む。ウイスキーは取り寄せてもらった母国のもので、やはりこれが一番口に合う
テロリストになって様々な組織を転々としたが、ここまで待遇のいい組織は夜明けの八咫烏の他にはないだろう。
世持武政。国際指名手配犯として追われるようになった自分にわざわざ声を掛け、匿ってくれたわり者。だが、一本筋は通した男であった。あそこで死ぬのは本当に惜しい。
「はー、うめー」
瓶から口を離した瞬間である。
一台の車が派手に飛び込んできた。車の後を追うように、そこここに設置した地雷が火柱を次々と上げてゆく。
この車を運転しているのはディザイア・シーカー(
jb5989)だ。運転席と座席下から後ろに刳り貫いた脱出路以外のスペースに、罠で使われてた爆弾や火薬、他の車両の破片やらガソリンやら詰め込んだ車で、要するに高速で移動する爆弾の塊と化している。この作業を春夏冬が半泣きでしていたのはそこそこ印象深い。やはり安くはない車であったか。
「ま、多少の衝撃なら耐えれるだろ……どこまで耐えれるかが問題だがな」
設置された地雷や重火器をガトリングで掃射しつつ踏み抜いて走破。次々と爆発してゆく地雷の振動を真っ向から受けながら、シーカーはハンドルを捌く。
オレンジ色の光を浴びて、辺りは昼のように明るくなる。
「おおう、すんげぇ明るい」
暴れまわる車を視線だけで追いながら、手をかざして自分の目の前で起こっている炎の野原を眺めるイワノビッチ。いや、車だけではない。大量の発煙手榴弾や別な爆発物だって投げ込まれている。
「すっげえすっげえ。手ぇ込んでるな」
笑顔で拍手を送りながら、猛スピードで突っ込んでくる車を迎える。車の走り方からしてイワノビッチは勘付いていた。
「あらよっと」
小さな爆発音と共に、イワノビッチの体が大きく宙に投げ出される。それと同時に、イワノビッチに向かっていた車が大爆発を起こした。
巨大な爆風を受け、イワノビッチの体はもう一度跳ね上がる。飛来する細かな破片は手袋に仕込まれた鉄板で払いのけ、瓦礫を足場にして器用に着地する。
「ここまでやるか。やっぱ面白ぇな。その車、高かっただろうに。ラオ――アキちゃん泣いてただろ」
焼け野原の様相を呈する周囲を見て立ち上がる。
「少し舞台装置を変えてさせてもらったぞ! どんな結末になるか? ……さあ、始めましょう!」
直後、佐藤 としお(
ja2489)の声が響くと共に、車が通りきれなかったポイント数平方メートルが吹き飛び、荒れ狂う大波のような花火が上がる。
「最終決戦だもの。それにふさわしい派手な開幕にしてあげるわよ! ……ルイジ・イワノビッチ。さっさと逃げればいいものを」
次に銃声と共に神埼 晶(
ja8085)が飛び込んできた。彼女の銃は、周辺に仕込まれた銃や罠を撃ちぬいてゆく。
「すまんね、一応コレ世持の旦那との約束なんだ。俺外道だけど、約束を破る程クズじゃないからさぁ!」
「私の標的になった事が、貴方の運の尽きよ。アッキーに随分な事をしてくれてたわよね、お礼をしなくちゃ」
「いいだろう。来いよ! 客入れの音楽に飽き飽きしてた所だ!」
高笑い。
「そろそろケリを付けよう」
神埼の後に続き、翼で飛行する牙撃鉄鳴(
jb5667)が、敵の銃の射線を限定させつつ罠を破壊。
「ぽっと出が言うのも何だが、ちゃっちゃと幕引きさせてもらうぜ」
牙撃の足下では、向坂 玲治(
ja6214)が車が通った場所を進む。あえて正面から突っ込み、注意を引いている。
率先して罠が残っているであろう場所を想定し、無数の影の刃でそれらしき周囲の物体を破壊してゆく。爆発に備えて身構えつつ、破片や熱風が後ろに行かない様立ち塞がる。そうして目指す先に居るのはイワノビッチだ。
「『最っ高の舞台装置を組み込んだ舞台』……ね。じゃ、その折角拵えたもの……派手に散らせてやんよ」
爆発した車から透過して脱出したシーカーが、悪人のような笑みを浮かべながら拳を繰り出す。イワノビッチはそれを嬉々として避けた。
「いいねぇその意気込み! 嬉しいよ。俺、その為にこれを拵えたんだからさぁ!」
「毎度毎度お前さんのペースに合わせられてイライラしてるこっちの身にもなって欲しいね!」
「嬉しいよ……人の腹を立たせるのが俺の本職だ! 生き甲斐だ! 信念だ! さぁどうぞ、好きなだけ腹を立たせてくれ!」
「……お前の気分だとか信念なんざ……知ったことか!」
普通に話すだけでも気疲れする厄介な男だ、とシーカーは思う。
「まぁしっかし、派手にやってくれたもんだねぇ」
「うん、せっかく準備してくれたのに悪いとはおもうけど、まずは邪魔な舞台装置を破壊したげるところからだよ」
「君らの邪魔になるから作ったんだ。結構時間かけたんだぜ? それをこうもパーンとさぁ、お兄さんヘコんじゃうなぁ」
「なにごともシンプルが一番だから。どっかーんと派手にいこー」
「……はは、違いねぇ。好きな音楽のジャンルは爆音と断末魔なんでね!」
水枷ユウ(
ja0591)の言葉に笑うイワノビッチ。
目の前にいる男は、頭のネジが飛んでいる。
異常、そして執拗とも言える罠の数とイワノビッチの様子に、ファーフナー(
jb7826)は内心、舌を巻いた。ああいった調子ならば罠で自身が負傷したとしても、それすら楽しみそうな感じもする。
あれほど派手にやったのに、罠はまだ多数残っている。
イワノビッチの性格や「本拠地で一人待ち構えている」という旨の言動からして、罠の設置は推測できていた。山道でもマズルフラッシュやスコープの反射等から察知できる展望台からの狙撃に警戒はしていたが、それが無かった理由がそれか。
地面だけでなく、空中のワイヤートラップも警戒したファーフナーは、ガソリンを空中に向かって振り撒く。ワイヤーがあれば、水滴が付くことによって位置を知ることができ、爆発物を投擲する場合は効果的にワイヤーを吹き飛ばせるからだ。
そして、同じくガソリンを使う者がもう一人。
――祭りは盛大にやるものだ。うむ、実に私好みだよ。
爆発を見て満足そうに頷いた者がいる。
イワノビッチの背後に忍び寄る鷺谷 明(
ja0776)だ。彼は足場に注意を払い、地雷や崩落に気をつけながら、手に持っているガソリン缶の中身をイワノビッチに向けて盛大にぶちまけた。だがすんでの所で気づかれてしまい、ガソリンは一滴たりともイワノビッチに当たる事はなかった。
「うおお、危ねぇ。何すんだ。他人様に直でガソリンぶっかけるか普通」
「ははは、外道が道理を説くなよ。それはテロリストの言う事かね。ほら火達磨って見てみたいだろう? お前は好きな筈だ」
「物騒だな。人の事言えないけど」
ガソリン缶を背後に軽く投げ飛ばす。するとちょうど罠のある場所だったらしい。缶を呑み込んで通常よりも豪勢に燃え盛る火柱を背後に、鷺谷は外した事を残念がる。
「騎士に決闘を挑まれたのならまだしも、テロリストに勝負を挑まれたのなら手加減する理由は無いね」
足元のワイヤーを切り、ついでにイワノビッチの足場を崩しにかかる。とにかくイワノビッチの行動を阻害するのが目的だ。
「ならあん時、手袋でも叩きつけてりゃよかったか? 違うだろうがよ」
爆発の音と共に、イワノビッチの姿が消える。いや、正確には、爆風を利用して高速で移動したのだ。
イワノビッチの手袋を見る限り、恐らくは何らかの方法で手足に爆弾を仕込み、それを爆発させて瞬発力を得ているのだ。それにまだ残っている罠と合わさり、相手を翻弄する。
「まだ残ってやがったか!」
ファーフナーはシーカーと共に砂嵐を巻き起こし、そしてシーカーは飛び出る弾丸を盾で防ぎながら突撃。続いてファーフナーが周囲の罠を極彩色の花火で弾き飛ばす。
「出だしだけが派手なら興醒めってもんだな!」
イワノビッチは遥か上空に飛び出し、砂嵐を突破する。
この砂嵐の隙に地上へ降りた牙撃は、気配を消しながらイワノビッチの四肢を狙う。込めた弾丸は侵食弾頭。辛うじて靴の底に掠る。
「おお、こわいこわい」
微かな煙を上げる靴底を見ながら、イワノビッチは着地。まだ装備は無事らしい。着地の後、すぐさまこちらに向かってくる。
「やらせないわよ!」
そこを神埼がスナイパーライフルでイワノビッチの行く手と攻撃を阻む。
「ハッ、下がお留守だぜ?」
様子を伺いながらイワノビッチの死角に回り足を掴み、帯電させた両腕でイワノビッチの体に電気をを叩き込む。
「がッ!」
イワノビッチの体は大きく痙攣する。
「逃がさん、このままでいて貰おうか!」
足止めを徹底し、そのままぶん殴る。
「あは……アハハハハ……」
――正気じゃない。
この期に及んでなお、イワノビッチは笑っている。しかも心の底から。
この状況を楽しんでいるのだ。
「ありがとよ。体のあちこちが凝ってたもんでね」
直後、イワノビッチはシーカーに向けてあるものを落とす。小型の爆弾だ。恐らくは、手足に仕込むものだろう。
「ドカーン! ……とは行かないが、一応注意だ」
「野郎!」
咄嗟に離脱するが、破片がいくつかかする。
シーカーは後退し、代わりにバイクに搭乗した牙撃がワイヤーで簡単な罠を張り、機動力で霍乱しながらイワノビッチに迫る。特別製のこのワイヤーを使ってバイクで引きずり回したい所だが、決定打が掴めない。
「とにかくすげぇバイク。それさ、アレじゃない? 世界最速の何ちゃら」
迫り来るバイクに微塵の恐怖すら抱いていないイワノビッチは、ワイヤーで囲まれた上にバイクが自身を轢きかけたその時、バイクに拳を突き立てた。
爆発する。
「ただ翻弄されてるだけだと思ったら大間違いだよ」
爆発するバイクから何とか脱出した牙撃は、無造作に撃つ振りをしながら侵食弾頭を打ち込んで踏めば地面が崩落するように仕掛ける。
「当たらない当たらなおおうっ!」
どうやら全ては読みきれなかったらしい。崩落した瞬間にバランスを奪われる。
イワノビッチの正面を取るユウは、攻撃手段や範囲、動きの速さなどを見極める様子見を行っていた。
どれだけ速くても直線移動の組み合わせなのだから、始点、もしくはその終点とその方向を捉える事ができればカウンターを狙える可能性がある。
ここから起こる事がある。背後の取り合いだ。だが無暗に攻めはしない。動きの節目節目を狙っていく。
牙撃の侵食弾頭による地面の崩落でバランスを崩したイワノビッチの背後にひらりと降り立つ。
「ビックリするんでやめてくれないかな、お嬢ちゃん」
ユウの気配に気付いたイワノビッチは、拳を地面に突き立てて爆発を引き起こす。そこそこ大きな爆発は、ユウの軽い体を吹き飛ばすのは容易だった。
「カワイイ顔して油断できないよね、君ってさぁ」
何度目か数えるのも止めたあの爆発音。上空で弧を描いてイワノビッチが受身を取ったばかりのユウの背後に降り立つ。
「これならどう?」
むやみに攻めはしないとは言え、あまりこだわりはしない。――最悪、爆風に飲まれながらでも攻撃を当てられればそれでいいのだ。
幾重に広がる、雷霆を編んだ無数の銀鎖の飾り羽――が、広い範囲を薙ぎ払う。攻撃指定は『味方意外のあらゆる全て』。
ユウの振り返りざまの表情を見たイワノビッチは咄嗟に手近な瓦礫を盾としてやり過ごすが流石に完全に無事、とは行かなかったらしい。服の随所に霜が付いている。
「……今のは流石に来たぜ、お嬢ちゃん」
服に付いた霜を払いながら、イワノビッチはふと笑う。
「おうっ」
すると次はイワノビッチの動きが鈍くなった。足元を見れば、地の底から湧き出た幾多もの亡霊が縋り付き、その動きを阻害している。
「面白い」
常人ならば確実にしばらく発狂するだろうヴィジュアルだが、薄く笑って一蹴。鷺谷が続けて放つ超強力アイアンクローを紙一重でかわす。だが少し足りなかったようで、イワノビッチは頬を軽く切った。
「お前さぁ、こんな状況でもよく楽しそうに笑っていられるよなぁ。俺もだけど」
亡霊を振り切ったイワノビッチは鷺谷に迫る。鷺谷はそれをアウルで形成した畳で防ぎながら、ワイヤーらしきものを引っ張る動作に反応して神速の突きを繰り出す。いずれも全て、笑ったままだ。
「汝、地獄の底でこそ笑うべし。家訓でね。私が作ったが。窮地如きで私の享楽は消せんなあ」
技を切り替え、次々と繰り出す。イワノビッチもそれを、笑顔で避ける。
「ソレ、いいねぇ。……出会い方さえ間違っていなければお前といい酒、飲めそうな気がしたんだけどな」
「ふむ、今は断っておこう」
互いに笑みを浮かべながら火花を散らせる鷺谷とイワノビッチ。
「そうだ、聞いたところによると恐怖を煽るのが得意だそうだな」
「得意中の大得意だよ。こちとらそのプロだからさ」
「ならばやってみたまえよ! 私に恐怖を与えてみせろ! 私が楽しみきれない恐怖を与えてみせろ!」
全てを楽しんでしまう鷺谷にとって、煽りなどというものは毛程の脅威もない。それ故楽しみきれぬものは彼自身が熱望するものである。
「だがしかし悪いね。お前が楽しみきれない恐怖は今ここで用意できんみたいだ」
「ほう、逃げるのか?」
「いんや。TPOを弁えてこその一流だ。今ここで与えるべきは恐怖じゃない。怒りだよ」
ユウの起こした風を避け切り、イワノビッチは空中で全員の顔を見回す。
「……全員辛気臭い顔してんなぁ。ま、こんな歳からドンパチに頭突っ込んでるようじゃそうなるか。所詮は俺もお前らも、そんなに変わりはないって事なのさ」
「どういう事だ!」
シーカーが問う。
「言った通りさ。それとも何だ、鉄火場の副流煙吸って脳味噌やられたか? 違うだろ。俺も、お前らも、何かを壊して殺すのが好きで堪らない。そうだろう?」
イワノビッチは続ける。
「多分さぁ、殺すなって言われただろ。知ってるんだよ。あの上官の事だ。いつもの癖が抜け切ってないのかね。昔の上司ながら呆れるわ。だから影で生ぬるいとか言われるんだよな」
額に手を添えたイワノビッチは、一同に向き直った。
「で、殺すなって言われてどう思った? 歯痒かったんじゃないのか? 腹立たしかったんじゃないのか? ……その考えを少しでも持った時点でお前らは、俺と同類なんだよ。殺しが好きで好きで堪らない。死こそ最高のエンターテインメントだと知ってしまった、心の奥底から腐っちまってる人間なんだよ。――認めやがれ。楽に」
「あー! ああぁぁぁぁあああああああ――――っ!」
駄目だ、これ以上は聞いてはいけない。向坂は、腹の底から咆哮。
大人げないがこれで威嚇し、単純に声を聞かない様に――
喉仏に、何かが触れている感覚。
目の前にいるイワノビッチが、二本の指先で向坂の喉仏で小突いている。
「作戦にしちゃ幼稚すぎんだよ。やり直せ」
――しまった。
気付いた時には遅かった。イワノビッチが向坂を踵で薙ぎ払う。間一髪、盾で防いでいたが、その衝撃は凄まじく、腕を通してもろに体に響く。
だが、痛がったり慎重になると相手に付け入られる隙になるのは明白だ。常に前のめりに攻め込み、負傷も可能な限り無視して、鋼のような一撃を繰り出す。だが、衝撃で痺れた手では中々上手く狙いが定まらない。
「違う……! それは、違う……!」
イワノビッチは尋問官だった。ならば心理的に攻めてこちらを浮足立たせる様な事も狙ってくる事は予測ができる。春夏冬の時は彼を止められなかったけど今回は仲間を同じ様に奴の口車に乗せられないようにしよう――佐藤は何事も場面毎に自分のやることに集中して作戦を成功へ導ために全神経を研ぎ澄ませていた。
一瞬目を閉じ、軽く息を吸って一気に見開く。
「みんな、聞いて!」
最高の結末の為に最大限の努力をするだけだ。
「僕らだって綺麗な仕事ばかりじゃない、叩けば埃も出てくるよ。でもね、心までは腐らせてないよ! 誰に何を言われようと、本人の了解無しにその人の心を汚す事は出来ないんだよ!」
佐藤の言葉の隣、ファーフナーは傍らの春夏冬に目をやる。こんな男の妄言に耳を貸して、感情的になりそうなのは春夏冬だろうか 。いいように利用されないように、注意を払っておこう。また人質にされたりしないように――
しかし、当の春夏冬は下唇を強く噛み締め、強く耐えていた。いつもは軽い男だが、ただの馬鹿では無い事は確かだ。
「悪いな。本人の了解無しに心を汚すのが俺の仕事だ」
「あー、そうですかっと」
一方神埼は、気にしてはいなかった。どうせイワノビッチの事である。ロクでも無い事を言うのは予想の範囲内だ。耳を貸すほうがどうかしている。
再び攻めの手が始まる。その最中、佐藤は、爆弾を利用した力なら爆発反応装甲もあるのではないかと閃いた。事実、手袋の甲の部分には鉄板らしきものが仕込まれている。あれに爆弾の仕込み以外の意味があるのならば?
――装甲を剥がして此方の攻撃が通りやすくするだけだ。
劣化で割れた地面にイワノビッチを突き落とし、人数差を活かし挟撃等を行えたら――と考えるファーフナー。彼は背面や側面から掌に作り出した風の玉をぶつけ、穴に落とし嵌めようとしている。
佐藤は未だに生き残っている罠への攻撃を喰らっても構うことなく、イワノビッチの動きを見極め、位置を選ぶ。ここだ。
神埼が極めて貫通力の高い弾丸で斜線上の仕掛けを撃ち抜きつつ攻撃する中、佐藤は命中を犠牲にした破壊重視の弾丸を打ち出す。通常の弾丸よりも遥かに早い弾丸は、確実にイワノビッチを狙う。
一発目。宙に逃げられた。
「そんな体勢じゃ、かわせないでしょ!」
「っはァ! そう来たか!」
そこを、神埼がリボルバーで狙い撃ちにする。イワノビッチは両手を交差させて銃弾を防ぐ。
そこに、二発目。当たるかは運頼みだが――鉄に何かが当たる音。
命中した。
「うおっ」
左の手袋から何やら黒い煙が出ている。イワノビッチは手早く左の手袋を外して投げ捨てると、空中でそれが爆発した。
数多くの被弾で佐藤の体はボロボロだが、それでいい。多くの傷によって佐藤の本能は危機感を感じ、リミッターを外している。――正直な所、これを狙っていた。
「チッ、思ってたより耐久性ねぇなこれ」
これで終わる筈がない。
「まだまだあっ!」
佐藤が吼え、全神経を集中させる。佐藤の集中の邪魔はさせまいと、向坂が彼に向かう攻撃を受け止める。
すると佐藤の手持ちの銃が全て宙に浮き、一斉に連射し始めた。銃弾の雨の中、イワノビッチを一時的な行動不能に陥らせる。
鼓膜を破らん限りの銃声の中、自身も銃を手に持ち撃ち続ける佐藤は春夏冬に向かって叫ぶ。
「春夏冬さん! 奴の生死――貴方が決めてください!」
「俺が?」
突然の事に、春夏冬は持っていた銃の構えを解く。
本能で理解はしているが、頭が追いつかない。それほどまでにイワノビッチとは春夏冬にとって、恐怖と怨恨と、そこから来るトラウマの権化と化しているのだ。
「悪いが、お前をお膳立てしてやる余裕はない。俺は機会があれば確実に殺す」
牙撃は一見、佐藤の総攻撃の援護でしているように見えるが、そうではない。弾丸と弾丸の間からイワノビッチの命を打ち砕こうと狙いを定めている。
イワノビッチについては何ら特筆すべき感情は抱いていない。
恐怖など学園に来る前に捨て去っているし、前提としてイワノビッチはただ倒してくれと依頼されたから倒すだけの敵なのだ。だからこそ余計な感情を一切入れず、何を言われようと淡々と葬り去る。
「どうしてもというのなら死ぬ気で自分で勝ち取れ」
「……」
逡巡は、ごく短かった。
駆け出す。
「お前にやれんのか! 俺が!」
「やれるさ! 少なくともお前の終わりを見る為にここに来たんだからな!」
牙撃の銃弾が飛び交う中、春夏冬は駆ける。ただ一直線、己の宿敵に向けて。
「面白ぇ! やれるもんならやってみろ! この……小心者!」
春夏冬がイワノビッチの懐に飛び込んだのは、佐藤の銃弾の雨が止んだのと全く同時。流れ弾がいくつか掠り、体のそこここを切っている春夏冬は、太腿のベルトからあるものを取り出した。
直後、イワノビッチの胸に鋭い痛みが突き刺さる。
「あ……?」
腹の奥から溢れ出す血を拭うこともせず、イワノビッチはゆっくりと視線を下に向ける。
「よく知っている筈だろう」
突き立てたのは、春夏冬の掌程度の大きな針。
「お前が持っていた、自決用の針だよ」
春夏冬の軍服の右腿に巻かれている二本のベルトには本来の機能の他に、何かを仕込める特殊な機構が備わっている。何か、と言っても小さなものしか入らないそれに、彼らはあるものを仕込む。自決用の道具だ。
情報を扱う彼らにとって、最も恐れるべきなのは敵に捕獲された時だ。頭の中にある情報を多く持つ彼らは、捕らえられて尋問にかけられる事が多い。よって敵に捕獲された時、己の頭の中にある情報を封印するために必要なのだ。
春夏冬はここに毒を仕込んでいたが、イワノビッチに拉致された折にベルトごと没収されてしまった。イワノビッチはどういったものを仕込まれたか知っていたから。
「畜生、汚ぇぞ」
「それが聞けただけで苦労した甲斐があったってもんだ……!」
そこに心臓を一突きするためだけの針を仕込んでいたのがイワノビッチだ。だが、彼はそれを捨てた。テロリストとなり、捕らわれても自決する必要がなくなったから。
イワノビッチの部屋でこの針を収めた小箱が発見されたのを、よく覚えている。テロリストとして最初の犯行に及んだ際に行われた捜索の時だ。小箱の中身を一度見た瞬間、それの意味を知った事も懐かしい……
――あれから様々な事があった。ありすぎた。
「終わりにしよう」
過去を振り返るのはもう止めにしよう。嘆きの闇を引きずるより、希望の光を追いかけた方がずっといい。
「……ははっ、そうかい」
針を引き抜く。
「地獄の底で、待ってるよ」
「この期に及んで減らず口だな」
こんなに口が動くのならば、と春夏冬は続ける。
「……最後に一つ、聞いていいか」
「光栄だな、聞かれてやるよ」
「何故お前は、こんな事を……」
「――馬っ鹿じゃねぇの」
イワノビッチの指が、春夏冬の額を小突く。
「そうしてやりたかっただけだよ、全部が全部な」
ルイジ・イワノビッチは、自意識が形成された時より一種の衝動を持っていた。
誰かを、何かを、あるいは全てを、殺して壊したい、という衝動だ。
むしろ衝動と言うより、欲求に近いのかも知れない。食欲に等しい、欲求。
それだけなのだ。
軍に志願し、尋問官になり、それらを全て捨ててテロリストになった。
かつては押さえた衝動を、知らない内に己が全て飲み込んだ闇の通りに解放した結果だ。
この世を更に面白くするために。
この世を更に楽しくするために。
それ以外、特に意味はない。後悔もない。
「意味わかんねぇよ」
「うん、知ってた」
極めて穏やかな――諦観の微笑み。
イワノビッチは知っていた。これが誰にも理解されない事を。それでよかった。
声を掛けて来た世持武政でさえ、これは理解する事は終ぞ叶わなかったのだから。
「やっぱさぁ、俺、お前の事苦手だったわ……」
「俺もだよ」
自由を失ったイワノビッチの体が、大きく崩れる。
――春夏冬は知っている。針で刺した位では、アウル覚醒者は死なない事を。
「……今だ」
静かな瞬間に、春夏冬の呟き声は離れていてもよく聞こえた。
「これで最後だ、良い旅を」
シーカーが拳を突きつけ、向坂が剣を構え、イワノビッチに突撃。
二人の背後ではそれぞれが、イワノビッチに狙いを定めている。
刹那よりも短い虚の時間。
最期の一撃はごく静かで、短いものだった。
「アハ、ハハ……お堅いねぇ。笑えよ」
「笑う必要など無い」
死の淵から落ちてしまったからこそ、笑うのか。どうなのか。
それは、イワノビッチだけが知る。
「あばよ。我が盟友、ライオネル……」
「あばよ。我が宿敵、ルイジ・イワノビッチ」
イワノビッチに、盟友の声は聞こえない。
重く乾いた音と共に、国際指名手配犯、ルイジ・イワノビッチに終わりが訪れた。
死という闇に覆われてなおその顔は、いつものように不敵な笑みを湛えている。
●
「終わった……わね」
「ああ、終わったよ。何もかも、全部……」
天を仰ぎ、地に伏せるイワノビッチは、もう二度と動くことはない。すっかり穴だらけになった展望台公園で、神埼は負傷者の手当てを行う。
「……岩のおにーさんって、結局なにがしたかったんだろ。わたしには最後までよくわかんなかった」
「俺もわからんさ。人の心は、この世で一番理解できんもんだからな。ま、こいつのは理解せん方がいいだろうよ。ロクでもない」
最後の言葉を吐き捨てつつ、静かにイワノビッチの亡骸の瞼を下ろす春夏冬。
「ん……さすがに連戦はこの身体にはきつかったかも。悪いけど、先に戻って休んでるね」
「そうか。気をつけてくれよ。船に仮眠用の物資を積んでいるから、それを使ってくれ」
「うん」
ユウの背中を見送ると、満面の笑みを浮かべた鷺谷が目の前に現れた。
「さてさて、祭りは終わりだ。化外は闇に消え、次の祭りに急ぐとしよう」
「お疲れさん。せめて片付け位は手伝って欲しかったな」
「事が終わればどこかに消える――執着を持たないのも、また享楽の道だ」
「そうか。ま、帰り道は気をつけろよ。家に着くまでが遠足って言うだろう?」
春夏冬が軽く笑った次の瞬間、鷺谷は忽然とどこかに消えていた。神出鬼没な男である。
「さて、と……」
日が昇りつつある空の色は白。気付かないうちにすっかり冷たくなった風を受けながら、静かに歩く。
「人の心にある闇、か……誰しもあるもんだと思うが、お前のそれは理解できんよ」
崖の縁に立った時、春夏冬は片手に持っていた針を捨てた。すっかり冷たくなってしまった赤い血がついた針は、重力に逆らうことなく、眼下に広がる深い森に吸い込まれてゆく。
「次会う時は、お互い地獄のどん底だ」
踵を返し、仲間達の場所へと戻る。
さて、帰らなければ。
●
夜明けを迎えた神望島の港。黄金色の朝日が照らす中、船の準備が整うまでの時間を各々が思い思いに過ごしている。
「えぇ、報酬は後日受け取りに行きます。またのご利用を」
そこで牙撃は一人、物陰で誰かと話していた。
語りかける通信機の先にいるのは『黒い鳥』のクライアントだ。
何故このような言葉が出るのか。理由は簡単だ。『黒い鳥』として夜明けの八咫烏が目障りだった他の組織から依頼を受けていたから。ただそれだけで、この通信も完了報告でしかない。
通信を切る。
食う者と食われる者。そして自分のような、捌く者。
永遠にねじれ続けるメビウスの輪のように、自らの尻尾を追うウロボロスのように。
きっとこれからも変わらない。実に合理的で、実に腐った世界の仕組み。
牙撃は悟っている。
これらは全て、どうあがいても必要な事であると。
「……世の中クソだな」
自虐を込めて、一つ。
どんな過去があり、どんな信念を持とうが、捌かれ、食われてしまったら全て終わりだ。
「おーい、準備ができたぞ」
船の準備をしていた春夏冬の声が聞こえる。
「今行く」
何事も無かったかのように、牙撃は船へと歩き出した。
「春夏冬さん、また何かあったら呼んでよね。すぐに駆けつけるからさ」
「ありがとうな、晶ちゃん。頼もしいよ」
船の操縦席に座る春夏冬に、神埼は話しかける。春夏冬の表情はいつも通りで、行きにはなかった楽さがある。ただ、一夜を費やした激戦に、疲労の色は消えない。
「さ、帰ろう。……流石に疲れた」
いつの間に船にいる鷺谷を再び迎えた八人の顔を確認し、春夏冬は静かに船を旋回させた。
●
夜明けの中、船は進む。
その上を飛ぶ三本足の烏など気にも留めず、進んでゆく……
もう二度と来る事はない闇夜が明け、朝は来る。
大空の頂点で輝く太陽は、誰を照らすのか。
磨かれ澄み切った氷の鏡で、何もかもを見通し映してきた水枷ユウか。
享楽という戦いの渦に身を投じ、自分自身に忠実に従った鷺谷明か。
悪を目の前にしても、決して挫ける事はなかった佐藤としおか。
不毛な争いに終止符を打とうとした向坂玲治か。
ただまっすぐと前を見て、光の弾丸を撃ち続けてきた神埼晶か。
正義になりきろうとする悪を否定し、孤高の悪役で居続ける牙撃鉄鳴か。
己が持つ情熱で悪を砕き、仲間を護らんとしたディザイア・シーカーか。
例えその存在が偽だとしても、真実を見極めようとしたファーフナーか。
自らの過去と向き合い、終止符を打とうとした春夏冬か。
事の発端となった任務を伝えたニコラウスか。
その他、これらの戦いに命を賭けてきた者達か。
彼らに救われ、今は穏やかな時を過ごす子供達か。
骨すら残っていない筒井リュドミラの遺品か。
未だ目覚めぬ、重傷の須藤ルスランか。
今は処罰を待つだけのテッドか。
恨みを糧に動き続け、志半ばで死んでしまった世持武政か。
誰にもその衝動を理解されることはなかったルイジ・イワノビッチか。
それとも、全てを等しく照らすから誰でもないのか……
夜明けの中、船は、進む。
この戦いに関わってきた全ての者達の、全てを乗せて。
三本足の烏が、笑うように鳴いた。
【終】