●
夜の海を一台の中型クルーザーが走る。無駄は徹底的に廃し、必要な人員と物資のみを最速で運ぶために改造が施されたクルーザーだ。
「見えたぞー。あれが神望島か」
船を操縦している春夏冬が、遠くを指す。全くの暗闇であるが、レーダーや暗視鏡で見てみるとその形ははっきりとわかる。
神望島。犯罪組織『夜明けの八咫烏』の本拠地である廃墟の島。
「アキナシって、船の操縦できたんだ」
「あたぼうよ。軍の訓練の一環で叩き込まれた。潜入の時に役に立つかも知れないからな」
洋上の風に吹かれながら春夏冬おごりのバナナオレを飲む水枷ユウ(
ja0591)は、彼の回答に軽く相槌を打った。
「さ、そろそろ上陸だ。準備してくれ」
「うん」
ユウを見送った春夏冬の顔はどこか憂いを帯びていた。
「心配しないで。私が勝利の女神になってあげるわよ、春夏冬さん」
「神埼ちゃん……」
神埼 晶(
ja8085)が春夏冬の背中を軽く叩く。
「俺達の勝利を祈るよ……女神様」
「うん、よろしい」
満足げに頷いた後、神埼もユウの背中を追う。
二人が向かった船の底は格納庫となっている。格納されている車輌は、見覚えのあるものがほとんどだ。ただし今回は以前よりも台数は少ない。車両を増やして戦力を分散させるより台数を絞って火力を集中させるべきだという考えを元にした結果、防御に適した陣形での走行を目指したのだ。
見覚えのあるバイクの最終調整を今しがた終えたばかりのディザイア・シーカー(
jb5989)が、ユウのヘルメットを持って待っていた。
「何時ぞやの再来ってな、ククク……」
不敵そうに笑うシーカーの隣、ヘルメットを受け取りサイドカーに乗り込むユウ。
「決着を付ける時が来た、か」
ルーカス・クラネルト(
jb6689)は、どこか遠くを見るように小さく呟き、いつか乗った軍用車のハンドルを握る。
直後、慣性による衝撃がやってくる。
上陸だ。
徐々にハッチが上がってゆく。
それと共に、外気の冷めた空気が入り込んでくる。背後では、全ての操作を終えた春夏冬がクラネルトの車の助手席に乗り込んでいる音が聞こえた。
「さぁ、もう一度風になろうか!」
「うん。今夜もわたしは、風になる」
シーカーのニヤリとした笑みを笑顔で返すユウ。
「そろそろ決着を付けましょう!」
開いてゆくハッチを見据えながら、佐藤 としお(
ja2489)は春夏冬に言う。
「――ああ」
それに春夏冬は頷き返し、通信機に呟く。
「作戦開始だ」
動き出す。
上陸した先は埠頭。必要時以外は使われていないのか、明かりも点いていない。以前の作戦に引き続き車輌の中で最もスピードが出るバイクに乗る牙撃鉄鳴(
jb5667)は先導役として、その行く先を照らす。バイクの強いヘッドライトが、闇を切り裂く。
神望島は、かつては何かの産業で栄えた島だった。しかし天魔侵攻の前後より人が離れ始めた最後は呆気なかったと、記録にはある。
当時、島を離れてゆく島民はこう考えただろう――『また、戻ってこれる』と。その痕跡が、ヘッドライトに照らされて仄かに輪郭を表す。時間の経過と潮風によって錆びてきた自動車、三輪車、朽ちかけたケースに収まったガラスの瓶。
しかし、今はその廃墟の中に似つかわしくないものが散在している。主に武器、や軍用車、が。数から見るに、かなり揃えてきている。
ここはもう、過去を抱くだけの島ではない。国家転覆と天魔排斥を掲げる犯罪組織が巣食う、悪の巣窟だ。
「おっと……早速来なすったぞ!」
春夏冬がサイドミラーで敵影を確認する。本拠地なだけあり対応は早い。
「面白くなってきた!」
嬉々と目を輝かせるのは鷺谷 明(
ja0776)だ。「悪の組織の本拠地を強襲してドンをキル? そんな面白い事、この私が放っておくはずがないじゃないか!」と、どこからともなくこの一件を聞きつけた彼は、いつの間にか当作戦における重要な人員の一人として数えられていた。
リアシートに乗り込んだ彼は、味方に当たらないようにガソリンと様々な種類の手榴弾を撒く。焼夷弾と組み合されば着火する。曲がり角では発煙筒と組み合わせ、スリップによるクラッシュを狙う。
狙いが安定しているのはやはり、クラネルトが元から持つ高い運転技術と気配りのお陰か。妙な振動はなく、撒かれるガソリンの量も一定している。
また、車と随伴する形のバイクに乗るシーカーとユウや牙撃もガソリンや手榴弾、さらに撒き菱を後ろに向かって撒いてゆく。先導する牙撃は回りこまれないように道路の脇に、ユウは鷺谷では撒ききれない箇所を重点的に。
これらに加え、さらにファーフナー(
jb7826)がタイミングを合わせてデジタルカメラのフラッシュを焚く。夜間にこれをすると、目潰しの効果があるからだ。それに加え、全員が通過した地点の木を弾丸で倒し、道を塞ぐ。
「この前とは立場が逆だね♪ つまり自分がされたら嫌な事をするんだね?」
ならば佐藤は、視界を封じ込めるだけだ。敵の攻撃を避けながら、ペンキ入りの風船を敵のフロントガラスに投げて視界を潰す。闇の中でもわかるような蛍光色のペンキが、車体ごと窓を彩る。
神埼は麻酔銃とリボルバーを使い分け、敵を倒す。麻酔銃は二輪の運転手に、リボルバーは四輪のタイヤを。正確な射撃で打ち抜き、クラッシュさせてゆく。強烈な風の中、鈍く乾いた音が響く。
「さぁ、毎度お馴染み、攻撃前のプレゼントだ」
炎を纏い、己の力を高めるシーカー。今回もユウに攻撃を任せる。その分自分は、ユウに位置取りのリクエストを聞きつつ妨害を優先する。
「早いとこボスにお目見えせにゃならんのでな、さっさと撒かせて貰うぜ」
後方に位置取り、斜線に気をつけつつ敵車輌にランチャーをぶっ放す。
「すまんがリタイアしてもらうぜ!」
今回の改造としてさらに後方に取り付けたのはカードリッジ式のネットランチャーだ。しかもただのネットではない。ワイヤーを織り込み、さらに一部には車軸に絡まりやすいよう粘着ネット・棘付ネットを用意したものだ。タイヤに巻き込むことさえできればこちらの勝ちなのだから。
一方ユウは小回りの利く二輪車を中心に攻撃してゆく。ルキフグスの書から生み出された刃が敵を切り裂く。その中で「あたり」と書かれた刃が宙を舞う。
「……っと、そろそろか」
ぼんやりと、科学博物館の輪郭が見えてくる。昔ながらの民家が多い島にしては、やたらと直線的なフォルムのお陰ですぐ判別がついた。ならばまだまだ登場する追っ手に、これ以上は相手はできないか。
「ちょっと使うぜ。気をつけてくれよ」
通信機に一報入れると、即座に他の面々から返事が来る。それを確認したシーカーは、砂嵐を巻き起こす。
こうして敵の視界を奪い、気を逸らす。今だ。全員、全速力で駆け抜ける。
砂嵐が消え去った後、その場にあったのは、厚く積もった砂だけだ。
敵は彼らを見失った。しかし、彼らは到着した。科学博物館――敵の根城へと。
●
「さて、と……」
科学博物館前の物陰で警備の子供達の影を発見した鷺谷は、過程は少々えげつないものの肉体の組成を変えてイワノビッチそのものになる。イワノビッチらしい格好をしていたのはそのせいだ。さらに変声機を装着し、いざ。
「俺だ!」
鷺谷が子供達の前に躍り出る。すると子供達は一瞬だけびくつき、姿勢を正したように見えた。イワノビッチ本人に何かされたのであろうか。
視界の端でこっそり死角に回り敵の配置や情報を取得しようとしているシーカーの姿を捉えながら、とりあえず笑っておく。笑って笑って笑っておく。
「え、あ、あの……」
子供らしいが生気のない声で戸惑う子供達。無理もない。目の前にいるイワノビッチは、三日月のように弧を描く口と深淵を見せる瞳が真っ赤にぼんやりと光った――それこそイワノビッチ本人ではない――明らかに別の方向での異質な笑い方をしているからだ。
「おいおい、少々本気を出して笑っただけなのに、硬直するのは失礼じゃねぇのかい?」
春夏冬の軍提供の記録を基に、イワノビッチのように生き生きと話す鷺谷。それが余計に子供達の恐怖心を煽るらしい。いいだろう、非常に面白い。さらにそのまま笑いまくる。
今だ。
鷺谷の背後から、神埼が空中を一回転して躍り出る。着地地点はシーカーが最適と示した場所ど真ん中。
ただし相手は子供なので、麻酔銃で対応する。
しかし子供達はそんな事もお構いなしに、こちらに突っ込んでくる。
クラネルトはそこで、何かに気付く。
「あいつら、何かするつもりだ。何を狙っている……?」
「そのようだ。敢えて子供に本拠地を護らせる意図、我々の襲撃による恐怖心のなさ、自主性……これらを鑑みるに、恐らくは自爆か」
いくつもの戦場を渡り歩いたクラネルトは咄嗟に勘付く。それはファーフナーの解析によって確かなものになる。
そうだ。あの目は、失うものが無い人間の目だ。戦場を駆ける少年が見せる、あの目だ。
少年兵の自爆。
長年続く戦場では珍しい事ではない。しかし、異形の天魔を主に相手取る撃退士は、子供相手には何らかの感情がまとわりついてしまう。罪悪感、動揺……そこを狙い、ボタンひとつで地獄に道連れ、という算段か。ファーフナーは冷静に考える。死んでしまった彼の心には、子供達に対する罪悪感などなかった。
「奴ら特攻する気だ、気をつけろ!」
仲間に警告するクラネルトは、麻酔銃や実弾で足などを狙撃し、敵の無力化を試みる。
「少年兵? あるよねそういうの。で? ――ああ、非殺が依頼主のオーダーだったねえ」
姿を戻した鷺谷は首を傾げた後にふと思い出す。
「むむ。私ならこんなものなくても自爆ごっこできるのに」
それを見たユウは自爆装置に謎の対抗心だ。自爆技の禁呪は使わないし使うつもりもないが、目の前の自爆という事実にいただけない事には変わりは無い。近づかれて自爆されては困るため、その前に足を打ち抜いて動きを止め、麻酔銃で眠らせる。
ファーフナーは銃以外の攻撃に警戒。安易に接近されないように心がける。
鋭いワイヤーで狙いを定め、攻撃後の隙に認識障害を引き起こす。訓練をしたらしいが祖先は付け焼刃だろう。隙は沢山あった。
「駄目だ。……絶対に死なせない!」
特攻という単語に一瞬だけ思考に空白が生まれた佐藤は我に返る。
可哀想に。憎しみに濁った目でしか世界を見れない大人たちに洗脳されて、武器を持たされて……未来ある子供達は必ず救って見せる。
言いたくはないが、ここは彼らとの訓練の差を見せ付けるしかない。自爆されるその前に、意識を刈り取らなければ。
「命を粗末にするなっ!」
武器をワイヤースタンガンに持ち替え、全身のアウルを脚に集中させて一気に距離を詰める。そしてアウルで研ぎ澄ませた瞳で狙いを澄ませ、撃つ。
「ちょっと痛いけど、我慢しろよ」
当たった。びくんと体を強張らせた子供が気を失い倒れるすんでの所を受け止める佐藤。
「……どこもやる事は同じだな」
極めて冷め切った瞳で、牙撃は子供達を見る。
蘇るのは、過去。
所属した研究施設が学園に制圧された際に自爆兵として学園生と戦った自分。そして自爆できずに敗北、保護された自分。
「……お前たちの居場所、もうすぐ俺たちが潰してやる」
牙撃は呟き、リロードを一回。付け焼刃程度の訓練しか施されていない子供達の不意を突くのは簡単だ。そのまま、麻酔銃で無力化する。
全員の意識を奪うのは難しい事ではなかった。気を失っている子供達を見回すシーカーは吐き捨てる。
「……ったく、死を覚悟したガキらしくねぇ目をさせてんじゃねぇよ」
倒れている子供達を改めて見ると、中には二桁の年齢に届くか届かないか程度の子供すら見受けられる。
そんな彼らの武器を没収するために、神埼やファーフナーは身体検査を行う。すると自爆装置はいとも容易く見つかった。ベストの内側、ぐるりと巻きつく爆薬の束。
「そもそも自爆特攻はロマン。軽々しく使っていいものじゃない」
子供達に言い聞かせるように真剣な顔で続けた後、ユウは共に配線や信管を傷つけないようにそっとベストを外す。
外されたベストは来るべき戦闘に備えて神埼が回収し、子供達はロープで一時的に拘束する。
この作業の中で佐藤は思う。
全てが終わったら――子供達を施設で保護、更生し、愛情を注いでくれる親新たな元へ帰してあげて欲しい、と。彼らにはもう一度、親の愛を受け、普遍的な幸福を享受する事ができる権利がある。それは、誰にも侵害されてはならない筈のものなのだ。
子供を使った特攻兵について憂いながらクラネルトが咥えている煙草の紫煙が漂っている。その中で神埼は優しく子供の額を撫で、立ち上がる。
「ちょっと痛いけど、起きた頃にはすべて終わらせてあるから安心して眠りなさい」
闇の静寂が場を支配する中、一同は見据える。
目の前にあるのは、悪の根城。
踏み入れた。
●
足を踏み入れたと同時に、科学博物館の中は一気に暗くなった。事前に侵入した春夏冬がいいタイミングで電源を落としてくれたか。暗視鏡を装着し、一直線にプラネタリウムへと向かう。入り口の程近くにあったプラネタリウムは、見つけるのに苦労はしなかった。
罠を設置するため、神埼と牙撃が先に潜入する。
地上を神埼が、上空を牙撃が担当しながら手榴弾とワイヤーを組み合わせたトラップや筒井の『毒蜘蛛の巣』の装備や自爆装置を罠として、さらに余った油や撒き菱も設置する。
(あれが世持武政か。子供をさらって売り飛ばすような連中は私が生かしておかないわ)
その作業の最中、神埼は敵の姿を確認する。投影機に腰掛け、悠長に何かをしている。少々不気味だが、気配は消しているので勘付かれはしないだろう。
やがて全ての罠を設置し終えた時――
「小賢しい真似などせずに、堂々としたらどうだ」
「何故わかった」
「いきなり電気が落ちて周囲に見慣れぬ物がひとりでに設置されたら嫌でも分かるだろうさ。暗闇にやられる程、この目は軟ではないぞ。出て来い。一人残らずな」
あらゆる攻撃を見切るという情報から目を警戒し、春夏冬に電源設備を落としてもらったが、効果はないという事か。牙撃は微かに顔を顰める。
一筋縄ではいかないようだ。
全員がプラネタリウム内に突入する。
「ふむ。しかし、意外と早かったな」
投影機の台に腰掛け、盃を傾ける男は、ふと静かに笑う。
「流石は筒井と須藤を破っただけはある。その実力や見事なものだ」
盃の酒を飲み干し、大太刀を持って立ち上がる。
「しかし、天魔もいるとなれば話は別だ。部下の仇、この世持が討ち取る」
抜刀。鍛え上げられた玉鋼の刃は冷え冷えと、その刀身を光らせる。
ぞろり、と。場の空気が変わったのがわかる。
「この世の害悪共、この世持が持ち得る正義を行使して滅してやる」
犯罪組織『夜明けの八咫烏』首領――世持武政。
「八咫烏は太陽の遣いだけど、もうおしまい。翼を刈り取って、終わらない夜の闇に叩き落としてあげる」
「呪ってやろう。お前は何も為せぬまま、悪としてお前は此処で終わる。お前の意思も、願いも、努力も、全て全て無意味である」
「無意味の悪……か。面白い。貴様らはこの己の全てを無意味の悪と捉えるか」
ユウが直刃の切っ先を世持に向け、鷺谷が笑う。
「さて、俺の理想の為に……ここで潰れてもらうぜ?」
シーカーが構え。そして牙撃は、愛銃のリロードを一回。乾いた音が響く。
「貴様の理想は正しい。天魔に何もかも奪われた孤児に居場所を与え、天魔を排斥して新たな国造り。今は非道と取られようが、成功すれば正に英雄だな。だから俺が否定する。貴様の夢は俺が、悪役の『名無鬼』が否定する。掛かってこい、『セイギノミカタ』」
「悪魔の血を継ぐ鬼か……面白い。ならば貴様のその悪、否定し喰らい尽くして己が正義に取り込もう。名も無き鬼よ、貴様の悪、とくと己に見せるがいい」
構え。
「――来い」
初手。
クラネルトの援護を得て、神埼がリボルバーで撃つ。しかし、全ての銃弾をいとも容易く弾き返す世持。
これが『神託の目』。
「見くびられては困る」
直後、世持の姿が消えた。否、踏込が見えた。神埼は反射で素早く撃つ。しかし、次の瞬間には世持が目の前にいた。
――速い。
神埼はさらに一発。容易に弾かれる。大太刀の刀身が鈍く光るのが見えた。逆袈裟か。体を反らし、何とか避けきる。だが、刃をかすった暗視鏡が綺麗に切断されてしまう。
(あれを食らうよりかは安いけど……)
正確な攻撃に戦慄しつつ、神埼は僅かな光源を元に視界を確保する。
ファーフナーは距離を取り、一気に距離を詰め難いよう、座席や機材を障害物にして身を隠す。不測の事態に対応するため、相手の行動後に、此方の行動を行うようにするスタンスだ。
「なれば、こちらから行くぞ」
そんな彼の気配を読み取ったらしい。世持が跳躍。やはり弾丸のように速い。一息で距離を詰められ、その首を掻き切られそうになる。が、圧縮した風で何とか弾き返す。
受け身を取る瞬間に、鮮やかな炎の群れを弾かせて攻撃。完全に弾けきる瞬間に防御の姿勢を取られ、思うようなダメージは与えられない。数回試すが、圧倒的な膂力の前ではその爆心地に留め切れる事すら難しい。
あの力で一気に距離を詰められたらそれこそ終いだ。先の攻撃を見る限り、一撃一撃が相手の急所を狙ってくるものであろう。
ユウは眠りを誘う霧を前面に展開し、最短距離の接近を防ぐ。あえて自分から大きく動くことはせず、向かってきたところをみんなで迎え撃つ。カウンター主体の戦法だ。だが、これだけでは罠地帯に誘導する事は難しい。
設置した罠の位置と眠れる霧で接近ルートを限定し、迎撃しやすくさせるのが現状の精一杯だ。そもそも、罠にかかってくれないのが厄介なのだが。
シーカーは味方に盾やアウルや攻撃軌道の予測による受けの防御で、何とか世持の攻撃を凌ぎつつ、カウンターを狙う。後者は見切られて成功しないが、それにしても凄い力だ。いつまでこうして凌ぎ切れるかわからない。
「なら、これはどうかな?」
世持との間に邪毒による結界を張った鷺谷は、地面よりサンドワームとラフレシアを合成したような異形の大顎を出現させる。アウルの土で作ったそれは、鷺谷の遊び心が詰まった技の一つでもある。
だが、世持は顔の筋肉を一筋たりとも動かすことはせず一刀両断。遊び心に対しても無反応とは。つくづく生真面目で面白みのない男だ。鷺谷は少し唇を尖らせた。
そこに牙撃が浸食弾頭を打ち込む。
当たるとは思っていない。ただ、刀で弾いてくれるなら好都合だし、警戒して回避するなら罠の餌食だ。
弾道と共に何かを見切ったらしい世持は避ける。十時の方向。丁度いい、あそこには筒井の罠を仕掛けてあるのだ。
かかった。矢が飛び出る。
「!」
世持の表情が一瞬だけ強張り、間一髪、大太刀で弾き返す。
「――筒井の罠か。久しいな」
涼しい顔で薄い笑みをたたえてる世持。それも僅かに、また一発で踏み込んで牙撃に迫る。迫った瞬間牙撃は閃光手榴弾を起爆させた上に盾を展開し、攻撃をやり過ごす。そして罠にかかるように飛行も交えた攻撃や死角からの不意打ちを狙う。
今の世持の反応に、クラネルトは確信する。
「あれは――見えない攻撃に弱いのか」
弾き返した動きを見るに間違いはない。「自らに向けられる攻撃」に反応するあの目は、目に見えない攻撃や設置型武器による攻撃には弱いのだ。
クラネルトは援護射撃を続けつつ、その銃声に紛れて通信機に自らの見解を述べる。
弱点が分かったのであるならやりやすくなるもの。
ならばとファーフナーが肉眼では決して補足できない闇の矢を放つ。頭を狙った一撃だが、すんでの所で気づかれたのか弾かれる。気配は消した矢でも、空気の流れなどでわかるのか。しかし、本命はそれではない。
直後、銃声。
何かが鋭く弾ける音。世持の頬に赤い一文字が引かれる。
クラネルトの銃撃。ただ撃っただけではない。死角から、さらに跳弾させて撃ったのだ。
「……少しはやるようだな」
判明した。
神託を受けた目でも、死角はある。
そう確信できれば怖いものはない。
神崎やクラネルトの援護射撃が飛び交う中、佐藤は愛銃で世持を狙う。
「事情はあるんだろうけどやり方を間違えたらアンタの憎む相手と同じ事なんだよ!」
「『間違い』? では『正しい』方法で事を成せば全てが上手く行くのか考えたことはあるのか。我々が武器を捨てれば天魔も武器を捨てるか? ――否。彼奴等は、丸腰の我々の魂を吸い尽くす」
「何でそう言い切れる……!」
「見たからだよ、この目で、全てな」
世持武政の故郷は、天魔侵攻の折に消えてなくなった。元より地図に載っているかも怪しい長閑な山村で、その最後は呆気ないものであったという。
「彼奴等は我々人間を体のいい食料としか思っていない。暴れる豚も暴れぬ豚も辿る結末は肉の塊だ。我々が服従の意思を見せた所で、それは変わらん」
行進する天魔の大軍に対し、村の人間達は抵抗はせず服従の意思を取った。しかし、無常にも村の人間の魂は根こそぎ食われることになる。ただ一人、この国の守護者となって村にいなかった世持を除いては。
故郷が全滅したという知らせを聞いた後のしばらくの記憶はない。ただ、断続的に浮かび上がる光景は、この国の無力さを見せつけられるものばかりであった。
そこで、世持武政は考えた。
腑抜けてしまったこの国を変える。
天魔に翻弄される位ならば、一度廃墟の国と化したらいい。
廃墟となり指導者を失い無となったこの国を、今度は自分が導くのだ。
夜明けを指し示す八咫烏のように。
そうして率いる人間の軍団に、天魔は打ち滅ぼされる。
人間は無の中でこそ強くなるのだから。
「――成程。主張はよく居る差別主義者だが、それもまた一つの有り様だろうよ」
蜘蛛の巣のように射出されるワイヤーを操り世持の背後を狙いながら、鷺谷は頷く。
「ただし私の邪魔だから潰す。私は天魔と鍋を囲みたくて戦っているのだから」
鷺谷はさっさと人間対天魔の戦いなんぞ終わらせて、天魔連中と膝を突き合わせて鍋をつつきながら馬鹿話をしたい所存なのだ。世持の事が為されれば、戦いは終わるどころか天魔すらいなくなってしまう。それは非常に駄目な事だ。
武器を愛用のラッパ銃に持ち替えて光の波を打ち出し、すぐそばの罠まで吹き飛ばす。透明なワイヤーが引っ張られて悲鳴を上げ、子供達から奪い取った自爆装置が飛び出して爆発しにかかる。だが、爆発する直前で真っ二つに斬られたそれが爆発することはなかった。
タイミング、動き、そのどれもに、歴戦の戦士らしからぬ危なっかしさがある事を、鷺谷は決して見逃さない。
「天魔と鍋を囲む? 呆れた机上の空論だ。寝言は寝てから言え。この世ならざる存在は全てこの世の悪だ」
世持の迷いのない言葉を聞いて、ファーフナーは幸せな男だ、と感想を弾き出した。自分という人間が、正義、悪、理想、信念……そういったものには興味皆無なせいなのか。全て仕事と割り切っているせいなのか。
ファーフナーはふと考えながら、無数に現れる三日月の刃で見境なく攻撃。前衛で罠にかかり、かつ移動力を封じるために足を狙いながら立ち回る。
だが、先ほど以上に上手く動いてくれない。先ほどの筒井の罠で警戒しているらしい。罠に引っかからない様移動は最小限にしているのは、やはり世持とて同じか。
それでも世持はこちらに向かってくるのであるから恐ろしい。
「いい加減、終わらせてやるよ!」
シーカーの拳が飛ぶ。殴る。とにかくぶん殴るという迷いのない動きだ。味方に向かって来ようものならば容赦はしない。
さらに間合いを覚えたユウが、剣の刀身を氷で伸ばしつつ攻撃。反撃されるが、細氷の靄を展開。その粒子を一点に集中させる事で得る防御で事なきを得る。
佐藤は自らを罠にするような動きで世持の気を引く。
武器はただ一つ。龍が吠える愛銃。スキルで小細工もしない。
「愚直な男だ」
賞賛なのか、侮蔑なのか、それはわからない。ただそう頷いた世持が一息で接近。
次の瞬間、鈍い光を放つ大太刀の刃が、袈裟で佐藤を斬った。
――そうだ。それでいい。
「……へへ、やっと捕まえた」
笑う佐藤に、世持は気付く。
斬りきれていない。肩の中ほどで止まっている。何故か、刀が掴まれているからだ。佐藤の左手で。
「逃がさない、ぞ……!」
覚悟と執念の笑み。いつぞやどこかで見た、あの笑いだ。
血まみれになりながら、震えながら、佐藤は右手の銃の撃鉄を上げる。銃に刻まれた龍が真っ赤に染まりながら咆哮を上げる。
そうだ、愚直だ。愚直なまでに、これを狙っていたのか。
火事場の馬鹿力。極限状態に陥った人間が見せる、限界の、その先の力。
その確信は、佐藤の笑みで正解を突きつけられる。
胸板に熱い銃口が突きつけられる感覚。避けようにも動けない。生命が危機に陥った時の爆発的な力が、世持を押さえつけている。
「こんな事をしたアンタは容赦しない、絶対にだ!」
佐藤の咆哮がプラネタリウムに響く。
肉を切らせて骨を断つ。
全て気付いた時にはもう遅い。
撃つ。
弾丸は、世持の胸を一直線に通過した。
体がよろける。世界が崩れてゆく。全てが、全てが、無に還ろうとしている。
――ここで終わるのか?
――いや、終わるのだ。
世持は最後、悟る。
あの者達の言う通り、自分の意思も、願いも、努力も、全て全て無意味であったのか。
何も為せぬまま、ただの悪として此処で終わるのか。
いや、最後の希望はまだある。
ルイジ・イワノビッチ。
生ぬるい悪を振りかざし、正義になろうとしている自分とは桁違いの男。
純粋な闇を喰った男。
法も、秩序も、何もない男。
ただ、闇だけがある男。
だからこそ――あくまでも自分の主観ではあるが――妙に気が合った、ように思える。
崩れてゆく世界の中で、そんなイワノビッチの姿を捉える。
何かを感じて、ここに来たのか。
こんな状況だと言うのに、非常に穏やかな顔をしている。
やはり己が見込んだ男だ。トチが狂っていることこの上ない。
「よう旦那。タダ飯の味に飽きちまった。どうしよ」
「よかろう、客人。仕事だ。後は……」
――任せた。
その声は出なかった。唇も動かなかった。
同時に起きた複数の銃声が、そのまま実体を伴って世持の体を貫く。
右から左から前から後ろから上から下から。アウルの弾丸が、氷の刃が。
世持は真っ赤な地を吹き散らす。
最期の刹那、何を思ったかは誰にも知らない。
ただ事実として一つ。
夜明けを目指す八咫烏は、飛ぶこともできずに地に落ちた。
『夜明けの八咫烏』首領・世持武政は、死んだのだ。
「了解ですよ……っと」
斃れた世持にふと微笑んだイワノビッチは、芝居がかった動作で頭を下げた。
●
「あぁーあ。世持の旦那、死んじまったか」
感慨があるような、ないような、そんな声でイワノビッチは呟いた。
「せっかく、楽しそうなことをしてくれると思ったんだが……」
場を見渡す。
「俺の見当違いだったか……それともお前らが強かったのか――」
座席の背もたれに腰掛ける。
「どっちでもいいか。……どのみち、旦那がおっ死んじまったらこの組織は終わりだ。飛ぶこともできずに弾けて消えるのさ」
突如よして現れたイワノビッチに言葉を失っていた一同であるが、そこでようやく牙撃が口を開く。
「どういう意味だ」
「どうにもこうにも、筒井のお嬢ちゃんや須藤のお坊ちゃんを見てりゃわかるだろ。ここはそういう組織なんだよ。アキちゃんさぁ、指揮やんなくなって脳味噌退化したのか?」
至極、至極詰まらなさそうにイワノビッチは春夏冬を見据えた。そこに、馬鹿にしたような笑みなどどこにもなかった。
「……ま、仕事は仕事だ。きっちりやるさ」
静かにイワノビッチは天を指差す。
「この島で一番天に近い場所……つっても、あの山の天辺だが――そこに、最っ高の舞台装置を組み込んだ舞台を拵えてきた」
穏やかに、そして不敵に笑うイワノビッチ。
「待ってるよ。春夏冬……いや、ラオ」
幕はまだ下がらない。
「そろそろカタつけようじゃねぇか」
次で、全てが終わる。
夜明けはまだ、遠い。
【続く】