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「案の定こうなったかー。……進歩ねーな」
小倉舞が派手な女子高生に門前払いを食らった頃、物陰からその様子を伺っていたラファル A ユーティライネン(
jb4620)はため息混じりに呟いた。
誕生日プレゼントと称して、舞の思い人である青木隆へ渡すクッキー作りを手伝った後、九鬼 龍磨(
jb8028)はこのようなことを口にしている。
『相手が今どうしているのか、どんな人になっているのか、舞ちゃんは全く考えていない』
つまり、想定が甘い。
もしかしたら、舞はただクッキーを渡せればいいと考えていた可能性がある。だが、渡せない、あるいは受け取りを拒否されることにまで想像が及んでいないのだ。
上手くいかないかもしれない。そう考えることができなかったから、彼女が受けているショックは、想像を絶するものだっただろう。
それは、相手が幼馴染であることへの甘えも含まれていたかもしれないが。
彼ら撃退士たちは、ただ見ていただけではない。舞と女子高生のやり取りに耳を澄ませていた。だから、そこで交わされた会話も、しっかり把握できる。
(……嫉妬。いえ、焦りかしら。その感情自体は、理解できる。でも、本当に恋人なら。彼の意志を無下にするような真似は、したくないんじゃないの……?)
霧原 沙希(
ja3448)の胸に浮かんだ考えが、撃退士たちの感じたことを代表していたといっても良いだろう。
真偽は定かではないが、彼女が隆の恋人を自称するのであれば、あの言葉の選び方は自分勝手が過ぎる。
それに対する怒りは、ひとまず置いておこう。
青木家の扉が閉じられると、舞はどこかへと駆けて行った。放ってはおけない。
「よし……。皆で後を追おう」
提案したのはキャロライン・ベルナール(
jb3415)。
他の面々は頷くが、唯一人、凪澤 小紅(
ja0266)は違った。
「皆、舞を頼む。私は、ここに残る」
「どうしてですの?」
長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)が首を傾げる。
だが問答をしている時間はない。急がねば舞を見失ってしまう。
「とにかく行ってくれ。それから、覗いたこと、舞に謝っておいてくれ」
「ですが……」
「行くよ、きっと考えがあるんだ」
口ごもるみずほを、龍磨が急かした。
殊舞のこととなると半端をしない小紅のことだ。理由や、閃いたことがあるに違いない。ここは、彼女を信じるべきだろう。
小紅と共に過ごす時間の長いみずほは、察した。この場を小紅に任せ、舞を追って駆け出す。
●
青木家からそう離れない距離に団地がある。そのど真ん中、小さな公園があった。
小倉舞の姿は、そこにある。
陽も沈み、一気に暗くなった景色。公園に、他の人影はない。
ブランコに埋まるかの如く腰を下ろした舞は、しばらく自分のつま先を眺めていた。
何を考えているのか、想像するのは容易い。
落とした視線。そこから零れる雫を見れば明らかだ。
「……しんどいことが、あったみたいだねぇ」
一歩だけ公園に踏み込んだ龍磨が声をかける。
それに舞は返事をせず、顔を上げもしない。
ただ、目元を拭った。涙を見せたくないという、些細な意地なのだろう。
「何をメソメソして――」
「少し黙ってて」
呆れたように頭の後ろで手を組むラファル。
それを制した沙希は、ゆっくりと舞に近づいていく。
彼女の手は、膝の上できつく握られていた。舞は仕事着のまま。ズボンは濡れている。
膝が汚れるのも構わず沙希は跪き、舞の手をそっと包むように握った。
決して、顔を覗かない。
どんな顔をしているかなんて、知っている。そして、今、その顔は誰にも見られたくないだろうということも。
「私……バカ、だよね。なんにも、考えないで。みんなと一緒に作ったクッキーも、取られちゃって……」
「そんなことはありませんわ!」
しばらくして、舞は絞り出すように、掠れた声を漏らした。
間髪入れず、みずほが否定する。自虐はよくない。舞の場合、自分がいけないのだと考えすぎて、いつか爆発させてしまう可能性がある。
だからこそ、今は自らを責めさせてはならないとみずほは判断したのだ。
「いや、バカかもしれないな」
腕を組んで、キャロラインは告げた。
眉間に皺を寄せたみずほは「余計なことを言わないで」と言わんばかりにキャロラインを振り向く。
「君は、バカ正直なんだ。なんというか、言葉を素直に受け止めて鵜呑みにし過ぎる」
続いた言葉を聞いて、みずほは思い出した。
少なくとも、学園にいた頃の舞は、良くも悪くも、他人の言葉を信じすぎていた。悪意には特に敏感で、理不尽なことでも受け入れてしまう。
そうだ。
今、舞に必要なのは、悪意を受け入れることではなく、悪意と戦うことではないのだろうか。
「でも……」
「……でも、ではないわ。舞、貴女は、どうしたいの?」
少しだけ、強く。
沙希は握った舞の手を、揺さぶった。
●
小紅は、青木家の中を伺っていた。
高校生が何人か、一つの部屋に集まっているのが見える。窓越しであるが故に全貌までは把握できないが、それで十分だ。
今、小紅が考えていることは、機会を得ることだ。
先ほどの舞と女子高生のやり取りを見ていた限りでは、舞に大きな後悔が残る。このままにしておくわけにはいかない。だからこそ、舞と隆が向き合い、しっかりと会話する場を設けねばならないのだ。
だが、そのためには、あの女子高生が障害となる。可能ならば、舞と隆は二人きりにしてやりたい。
誕生会が終わった頃を見計らって隆を誘い出そうと、小紅は考えていた。
それは、断念せざるを得ないだろう。どうやら誕生会は始まったばかりで、しばらく解散はしないように見えた。
「何か、上手い手はないのか。どうにか……ん?」
使えるものであれば、何でも使う。周囲を見回し、必死に脳を回転させる。
そんな時だ。団地の入り口に、電話ボックスを見つけたのは。
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「どうしたいかなんて……」
舞は俯いた。
突然のことに、心も打ち砕かれ、完全に自分を見失っていた。
自らが何を望んでいるのかすらも、分からなくなっていた。
「しっかりしろ、舞」
突き刺すような、キャロラインの言葉。
そこでようやく、彼女は顔を上げた。
すっかり目は腫れて、頬には涙の痕がくっきりとついていた。
「本人に直接言われたわけではないのでしょう? なら、まだ可能性は有りますわ」
にこりと微笑んで、みずほは舞の空いた手を握る。
そう、舞の失恋は、思い込みなのだ。隆の自称彼女に否定を受けただけなのだ。
それに、隆には会ってもいない。勝手にショックを受けて、泣いている。
まだ終わっていない――いや、始まってすらいない。
「以前舞さんに応援に来ていただいた試合の事、覚えておられるかしら? わたくし、ボクシングを始めて一つだけ、間違いなく知ったことが有りますわ」
手の甲を優しく摩りつつ、みずほは言葉を紡いでいく。
かつて、舞を招待して、ボクシングの試合に臨んだことがあった。あの時は、自分よりも強い相手に向かっていった。試合には負けた。ボロボロになってまで挑んでも、拳が届かず、敵わなかった。
客席で手を組み、心配そうな目をしながら、声援を送ってくれた舞。その記憶が、胸の内に蘇る。
そして、その中で舞に伝えたかったこと。今度は、言葉にして伝えたい。
「それはリングに上がらないと勝利は絶対に掴めないことですわ」
「っ!」
舞の手に、少し力が籠った。
リングに上がれば、まず間違いなく殴られる。痛い思いをする。だけど、それでも、勝利を掴むためには、リングに上がるしかないのだ。勝利には、喜びには、身を傷つけるだけの価値がある。いや、それだけ大きな喜びを掴みたいからこそ、傷を負うことにも躊躇いがなくなるのだ。
きっと、舞はそれに気が付いたのだろう。
「だけど、クッキー、作り直さなきゃ……」
「はァ? 何言ってンだよ」
今日は隆の誕生日。リングに上がるなら、武器が欲しい。彼が喜んでくれるであろう、力が。しかしそれは、奪われてしまった。
心細い気持ちがあったのだろう。
しかしラファルは、言葉を遮った。
そしてごそごそとポケットを弄る。取り出されたのは、プチ・ブランジェでクッキーをラッピングした時に余った袋に適当に作った、形の不出来なクッキーだ。
「で、でも、せっかくみんな、帰って食べたい、って……」
「舞」
キャロラインも、持っていたクッキーを差し出した。
言葉に詰まる舞。
「舞さん」
そしてみずほも。
「……舞」
沙希も。
「舞ちゃん。一分だけ時間をくれないかな。今の君じゃ、手が震えて上手く包みなおせないだろうから。その間に、涙を拭いておきなよ」
龍磨もまた、クッキーを取り出す。
全員のクッキーを集めた彼は、余っていたラッピング袋に丁寧にクッキーを包んでいった。
みずほがハンカチを差し出し、舞の涙を拭ってやる。
「……凪澤先輩、今から舞がそっちへ行くわ。上手くやってちょうだい」
その間に、沙希は小紅に電話をしていた。
彼女が、何故あの場に残ったのか。その察しがついていたのだ。
考えていることは、同じ。役割が違うだけだ。
「ほらできた。会いたい人に、会っておいで」
そうこうしている内に、ラッピングが完成。
龍磨はそれを笑顔と共に、舞へ手渡した。
「いつまでも受け身じゃなくてそろそろ舞自身がどうしたいか言えよ。解らない、出来ないは通用しねーからな。この件をどう乗り越えるか乗り越えないかはお前さんが決めんだよ」
突き放すようでいて暖かい、ラファルの言葉が、舞を動かす。
「みんな……。わ、私、やっぱり私、ちゃんと会わなきゃ。会って、話して、ちゃんと伝えなきゃ」
「そうですわ! さぁ、ゴングを鳴らしますわよ」
遂に舞の決心も固まった。包みを手に、舞は立ち上がる。
みずほが音頭を取り、撃退士たちが舞の背を押しだしてやった。
小倉舞、再び走る。
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「さっきの電話、どういうことですか?」
沙希から連絡を受けた小紅は、電話ボックスにあった電話帳から青木家の電話番号を探し当てていた。そしてその番号にかけ、隆に家の外へ出てきてもらったのだ。
いきなり知らない人に呼び出され、困惑するのも無理はないだろう。
小紅から見た彼は、健康的に日焼けし、髪は短めながらも爽やかな印象、まさに好青年だった。
頼りがいがありそうでいて、人懐こそうでもある。舞でなくとも、好意的な感情を抱く人は多いのかもしれない。
「さっき電話でも言ったが、私は舞の友人だ。時間がないので簡単に説明する。舞は、この家まで来た。なぜ、中に入れなかったのかは、私からは語れない。だから、お願いだ。舞と話してやってくれ」
「は? ……あ、いや、来たんなら入ってくれれば良かったんですけども」
「事情があるんだ! とにかく舞は自分から一歩を踏み出したところなんだ。だから、お願いだ」
必死に頭を下げる小紅。
隆は困惑の表情を浮かべるばかり。
もうどうしようもない。とにかく舞が到着するまで、このまま隆を外に出しておかねばならない。
余計な邪魔が入らないようにもしなくては。
「いや、急に言われても――」
「隆君!」
ポリポリと頭を掻く隆。
そんなところへ、舞の声が響いた。
少し離れたところに、息を切らせた舞の姿がある。
いつの間にか、小紅は姿を消していた。
●
「……あとは、舞の勇気次第ね」
「お疲れ様でしたわ」
こっそりと後をつけてきた撃退士たちは、こっそり離脱した小紅を加え、物陰から二人の様子を伺っていた。
沙希は沈痛な面持ちで、次第を見守っている。
みずほは、小紅に一言声をかけた。視線は舞たちの方に向けたまま。
どうなるかは分からない。
分からないからこそ、彼女らも内心不安だった。
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「なんだよ、来たんなら普通に入ってくりゃよかったのに」
とても久しぶりに会うとは思えない、慣れた言葉。
だが、決して無下にする様子もなく、舞を迎え入れるような言葉でもあった。
一方で、舞は真剣だ。呼吸を整え、返事も忘れ、一歩、また一歩と、隆へと近づく。
「隆君、これ……!」
やがて。
舞は包みを突き出した。
不意を打たれたように、キョトンとした顔の隆。
後には引けないと決意した舞の言葉は、遮る余地もないほど早口でありながら、気持ちが、心が、ありったけに詰め込まれたものだった。
「どうしても食べてほしくて、喜んでほしくて、作ったの。今の隆君が、何が好きなのか分からないし、味の好みもはっきりとは分からないけど、でも、頑張って作ったの。それでまた隆君が笑ってくれて、それでまた昔みたいに、ううん、これから、いつも一緒にいられたらって思ったの。だからお願い隆君、受け取って」
いつになく、勢いに任せた言葉。
舞の頬が朱に染まっていたのは、息継ぎの間もなく喋ったからでも、走ってきたからでもない。
隆はおずおずと包みを受け取り、リボンを解いた。
「あれ、これって確か、あいつが作ったって……」
あいつ。恐らくあの女子高生のことだろう。
きっと彼女は、自分が作ったなどと偽って、舞から奪ったクッキーを隆に渡してしまったのだろう。
「違うの、私が作ったの! 私が、隆君のために」
「待て、待てよ。なんだよ『いつも一緒にいられたら』って」
「それは……」
ここに来て、言葉が詰まった。
伝えたいことがあるのに、それが形にならない。
そんな時、少し離れた路地の陰に、見知った六人の影が見えた。
皆が、見守っている。その安心感が、素直な気持ちを固めてくれた。
「好き!」
「は?」
「だ、だから、好きなの! 私、隆君のこと、好きなの!」
今まで舞が発した言葉の中で、一番大きな声で言い切った。
物陰から見ていた六人も、胸中拳を突き上げる。
後は、隆がどう動くかだが……。
「遅ぇよ。なんで今なんだよ」
その時、誰もが凍り付いた。
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「あはは……。ダメだった、よ」
舞は結局、失恋してしまった。
例の女子高生は、本当に隆の恋人だったのだ。
その事実を告げられ、せっかく包みなおしたクッキーも、受け取れないと返されてしまった。
誕生会に参加する気力をなくした舞は、再び公園に逃げ帰った。
撃退士たちを伴って。
「よく頑張ったぞ、舞」
「ええ、立派でしたわ」
キャロラインも、みずほも、他の面々も、何故か表情は晴れやかだ。
結果は駄目だったけれど、ちゃんと伝えたという事実だけで十分。それは、どこかすっきりした様子の舞から見て取れる。
「クッキー、皆で食べよっか」
「……そうね。無駄にはできないわ」
龍磨が提案し、沙希を筆頭に一同賛成。
小さな公園に集まった彼女ら。ほんの少しだけにぎやかな失恋パーティーを、ブランコは見つめていた。