●夜は夜の色
「憂鬱にさせる、ですか。あまりピンときませんが……」
ディアボロなら戦わねば、とカタリナ(
ja5119)が言う。それに頷くのは小埜原鈴音(
jb6898)。
(虚無? 無気力? そんなもの、私のなかでは『終わった感情』)
そう、この力を手にしたあの時に。
「やる気がない? 鬱になる? ……いつも通りではないですか」
溜息の様に、都 夜風(
jb0705)。その影より隻眼のストレイシオンが召喚される。
一方で拳を突き出したのはギィネシアヌ(
ja5565)。その視線の先にはペアであり同職であるミハイル・エッカート(
jb0544)が。
「インフィのタッグなんざ久しぶりだぜ、よろしくなミハイル君!」
「おうよ、相棒。俺たちは最強だ」
出された拳に己の拳を合わせ、ミハイルはフッと笑う。
「ハイパーポジティブな俺を凹ませようなんてのは無理だぜ!」
つまり根拠の無い自信である。が、今の久我 常久(
ja7273)にはその元気がちょっと羨ましい。つまり重体状態。
(追追試で寝不足なトコに京都のアレだったからなぁ……)
が、言い訳なんて男らしくない。女子ばっかの依頼、楽しませてもらうか!
「怪我してるのにお疲れさまだね。お休みできる好機なのにさ」
そんな常久を気遣う様に覗き込むのは不破 怠惰(
jb2507)だ。徐に肩を竦めて。
「京都から帰ったばっかでめんどいよめんどいよー何もしたくないよう ……ああいや。まだ罹ってないから大丈夫だよ?」
仲間の目がサッと集まったので補足はしておく。
とまあ、任務だ。
アイリス・L・橋場(
ja1078)は暗赤の煙をその身に纏い、モノクロの双剣をその手に携えて。
「人の意欲は大事なもの。それを吸い込むあれはここで斬る」
突き付ける切っ先の彼方の、ディアボロ、メランコリーお化け。
ゆらり、揺らめいた。
ずん、と重い空気。物理的な意味ではなく、精神的な意味で。
それは鬱であり、即ちメランコリー。
「人をネガティブにしてくるお化けとか……めんどくさっ戦いたくない。あれれ〜おっかしいなぁ戦いが好きなはずなのに戦いたくないってどういう事なの? あたしから戦いを取ったら何が残ると思ってるの? 何も残らないじゃないですかーヤダー……はっ!? 何も……残らない? うわぁ、自分で言っといてショック受けるとか何なの? 馬鹿なの? この前カッコいい事言ってた自分はどこに行ったの? 死ぬの?」
ブツブツ。最早、鬼灯丸(
jb6304)に普段の面影は欠片も無かった。フードの影に隠れた目には光が無い。凄まじい自己嫌悪。自分なんか自分なんか。どうせゴミだ。クズだ。価値なんて無い。ああもう最悪だ。暗い溜息と共に視界阻害の霧を放つ。
兎角戦いは始まったのだ。颯爽と地を蹴りディアボロとの間合いを詰め、アイリスは二つの剣で薙ぎ払う。手応え、を感じつつバックステップ。カタリナの傍。だったのだが。
「カタリナさん……?」
ボンヤリと、足を止めている。アイリスの言葉に「あぁ」とすぐさま応えて前を向いて得物を構え直す――防御には自信がある。が、そうまでしなくても倒せるのではないか? カタリナの心に芽生える、『面倒臭い』。耐えた所で痛いものは痛いし、別にそんな辛い思いしなくてもいい気がしてきた。
でもまぁ、代案を考えるのも大変だし戦いも始まってるし。
「……とりあえずがんばるか」
呟いて、メランコリーお化けが放った衝撃波を防壁陣で受け止める。けれど。やっぱもう、いいかな。
(やっぱりそんなにがんばる必要ないじゃないですか。とりあえず適当にしてればたぶんこの程度の相手ならすぐに倒れるだろうし、というより撃退士の数も実力も上がってきてるだろうし、先の京都奪還を考えると自分が別に戦わなくても現状あんまり変わらない気がするし、別に……私がやらなきゃいけないわけじゃないし)
「なんかもう。……なんかもう、いいや」
ぽいっと武器を捨て去って。何もしなけりゃ平穏だよね。あー平穏だ。
「……しっかり……しなさい……!」
そんなカタリナの顔に、アイリスが水をひっかける。それでも、カタリナは酷く無気力に――滴る水を拭う事すら億劫でやらず――佇んでいる。
もう一度。アイリスは彼女へ声をかけようとしたが、
「にゃっ!?」
ぞわ、じわ、心を冒す、果てなき無気力。固まる身体。
「……はーむぁー」
立っているのも面倒臭い。ぽてんと地面に倒れ込んだかと思いきや、アイリスはその場でコロコロ。うにゃあ。だるんだるん。コタツのネコの如く、やる気ゼロ。地面がヒンヤリきもちいい。はむぁー。
確かに『侵蝕』は始まっている。だが鈴音にとっては臆す必要は何処にも無い。
「本当の虚無や絶望って、味わった者にしかわからない。あなたの『それ』は紛い物。私には効かない」
私を見ろとオーラを発し、剣を振り上げ鋭く駆ける。零距離肉薄、形振り構わず突き立てる刃。
「こんな『もの』は物心ついたときからいつも一緒に居た感情。私にとっては慣れたまやかし」
一切の容赦なく、防御を捨てて徹底攻勢。
いつも通り、その通り。後方にて夜風は敵を指でさし。
「叩き潰せ、ストレイシオン。お前も、いつも通りやればいい」
主人のその声に低く鳴いて応えたストレイシオンが尾を振るい、メランコリーお化けへの攻撃を試みる。が。気力がない。と言うか完全に動作を停止して申し訳なさそうな顔で夜風の方を振り返る。に、夜風は溜息を吐いた。つかつか近寄り、その鱗の背中を一つ撫で。
「片目がない? そんなもの、今更気にすることでもない。私たちはどちらも、初見の時から隻眼だ。お揃いだな、いっそ喜べ、私の竜」
けれど、辛いのだと言わんばかりにストレイシオンが主人に額を摺り寄せてくる。それを見ていると、夜風の心にも、じわりじわり。自己嫌悪。自分の性格が嫌。利己的で排他的。いつだって。敬語で距離を取りながら、人に毒を吐かずにいられない。
(友人に見捨てられた? 悲劇のヒロイン気取りか、バカバカしい)
それでいて、召喚獣には棘なく端的に話すのだから救えない! ああ、自分なんて。そんなに人が嫌いならお前は独りで生きていけ。最低の人間。さっさとくたばれ。
一方の後衛。
突撃銃のスコープを覗きこみ、ギィネシアヌは狙い定める。引き金を引けば煌めく黄金、天空神ノ焔<リアマデククルカン>。幻影の片翼が羽ばたき、聖なる炎の弾丸が悪魔を穿つ。命中。だが、彼女の心にジワジワ。嫌な気分。
『俺は強い撃退士、魔族であり蛇の眷属の末裔、人でなしの怪物――ギィネシアヌ』
それは毎朝、鏡越しの自分に向かって唱える『魔法の言葉』。山田ギィネシアヌには秘密がある――その『魔法』がないとギィネシアヌという戦士は出来あがらないのだ。自己催眠、或いは自分なりのスイッチ切替。
なのに。
じわじわ。
なにもしたくなくて。
『魔法』が解ける。曝け出される。ホントの自分が――怖がり泣き虫弱虫べそっかきの、『泣き虫山田』が。
「う、う、うぅ」
銃を落っことして。蹲って頭を抱えて。涙の浮かんだ目で周囲を見渡す。不安で仕方がない。ガチガチと鳴る歯。こわい。こわい。周りの大人が。敵が。ああ、はやく、鏡、『魔法』を、顔を映さないと。でも、無い。何処にも無い。『英雄』になれない。なんて無力なんだろう。自分は役立たず。
「こわいよ、こわいよお……」
悔しくて泣いた。下唇を噛み締める。それでも涙は収まらず、鉄の味がしても泣き止めず。
「……」
聖なる散弾をありったけばらまいていたミハイルもまた、暗い気分に押し潰されて座り込んでいた。
ミハイルは、ピーマンが苦手だ。それを会社で何かとネタにされる。特に社食のおばちゃんなんか、
『あらミハちゃん、ちゃんとピーマン食べないと大きくなれないわよ』
「俺28歳だって! あと、ミハちゃんって何だ!」
幻聴に声を張る。なんかピーマンの匂いがする気がする。同時に思い出すのはおばちゃんの更に酷い言葉だ。
『ガイジンさん、禿げやすいよねー、そろそろやばくなる歳じゃない?』
「うるせー! 金髪は黒髪よりも細くて柔らかいのは本当だが! 俺は禿げてねーぞ!」
あっ。
今叫んだ拍子に髪がハラリと落ちた様な。まさか頭皮から毛髪がファラウェイなのか。なにもしたくない。頭皮へのストレスを無にしたい。
「わかめになりたい……」
凹みすぎて地面に横になっちゃったミハイル。
『おーーーい!! まだまだやれる頑張れ頑張れ! 負けるな! 全ては敵の罠だー!』
更に後方、ペアである常久を気遣いながら怠惰は仲間の一人一人に心の声で励ましかける。或いは翼を広げ、わかめ状態のミハイルを一時的に後ろへ下げさせる。
「強制的に怠惰させられるのは至極不愉快でね。今回はきっちり仕事させて貰おうか」
いつものぽわんとした目だけれど。声はハッキリ意志は真っ直ぐ。
「まぁあれだ、武器を取り戦うその理由は、そんなことで覆るものじゃないんだろう?」
そう、だから。
「すきありー!」
鋭く隙を突いて、常久のお腹をぺちぺちもちもち。「どわぁ」なんて常久は素っ頓狂な声を出して――己が気を抜いていた事を自覚する。武器を握る手が、緩んでいる。
『元は人間だったモノだろう? 何の為に此処まで必死に戦う?』
生きる為に、人だったモノを殺す。殺す事に意味は持たず、戦う事にそれを持ち。
願い。想い。それを持つには、自分はとうに擦り切れ過ぎていた。遥か彼方にあった想いは何だったのか、もう思い出せない。時間は無情だ。どんな想いもどんな記憶も鑢でゴリゴリ、少しずつ粉屑にしてしまうのだから。粉になった願いの残滓は吹けば飛んで、忘却の中。
そうして残るのは、身体と心のサイズがズレた、空っぽの器。
自分は、いい。それでも、いい。大人だから、いい。
けれど。大人だからこそ。自分が所属しているのは『学園』だ。周りを見てみろ。子供ばかり。無尽の光を持った存在。
(大人がガキに夢見させれネェで、やりたいって言ってる事を支えれねぇなんて格好つかんだろ)
体が動かなくとも支える方法はいくらでも在る。だから笑え。わしは久我常久だ。いつもみたいに冗句めかして陽気にさ。
「くだらねぇ、全くくだらねぇよ! 自分の価値を自分で値切ってるんじゃねぇ。戦わなきゃお前さん等が死ぬんだぞ。お前さん等の辛い過去や思いなんてワシはわからねぇ。ただ戦う事で救われたヤツがいたんだろう?」
絞り出せ、粉々の残滓から。その場凌ぎと分かっていても。まるで戦場へと導く死神だけれど、自分の目の前で子供が死ぬなんてゴメンだ。だから。解き放つ火事場の馬鹿力。解き放つ渾身の一撃が、メランコリーお化けを強かに叩き据えた。
蠢く悪魔が、反撃に出る――その少し前の時、怠惰はその名の通り怠惰の極みだった。
「めんどくさい……働きたくないでござる。ないすばでーになれないならもう引きこもりでいいや」
地面に仰向け、夜の空。目を閉じ溜息。浮かぶ顔。
「……私のせいで、君は死んだのだろう?」
もういない、友達。
交わした、約束。
約束がある。
天冥人が仲良く暮らせる、その世界を創ろうと。
「怠惰は誰の期待にも応えぬ。私の歩みを決めるのは私のみ。何もしないと決めるのも私のみだ!」
跳ね起きた。視線の先、ディアボロと常久。災禍:枷剥ギ<カラミティアンスロウス>。呪言が浮かぶ黒き脚。怠惰は駆ける。彼を抱え、飛び下がる。代わりにディアボロが打ち出した攻撃は怠惰に当たったけれど、安いものだ。額から伝う赤。
その光景。ハッと、カタリナは息を飲む。
(自分が間に立っていれば防げたのではないか、何をしていたのだ!?)
護らないと。誰が? 自分だ!
「仕方がない、やりたくはないけどそれでみんなを守れるなら――目の前の敵くらいは、止めてみせなければ!」
立ちはだかる盾。持てる全てで、『護り抜く』!
ならば己は矛。アイリスは兇暴を秘めた紅の瞳で敵を見据える。敵には死を。声無く滑り込み、斬り付ける。それに合わせ、跳躍した鬼灯丸がディアボロに鋭い一撃を叩き込んだ。着地、と同時に刀を抱えてその場にぺたん。
「あーもうなんにもしたくないお家帰りたいでも動きたくない」
ブツブツ愚痴はエンドレス。その一方。
「だーっ! もう、しょぼくれてんじゃねぇのぜ! カッケェツラが台無しなのぜ!」
「おい、相棒! ちっこいながらもカッコイイじゃないかと思っていた俺の気持ちを返せ! 安心しろ、お前は強い!」
奇しくも重なる声は、ギィネシアヌとミハイル。互いにかけた声。目が合って苦笑する。ギィネシアヌは涙に潤む目を拭った。
ただの山田でも、いい。
敵を倒せるなら怪物でもただの泣き虫でも構わない!
「俺は、俺だ。 やるときは殺(ヤ)れる格好いい女になるのだ!」
何度折れても、また前を見れるのであれば。立ち上がれる、何度でも。自分を信じている限り。張り上げる鬨声。
「この気分の悪さ、てめーのせいかぁぁーー」
応じる様にミハイルも八つ当たりめいて声を張った。
構える銃口二つ。紅弾:八岐大蛇<クリムゾンバレットタイプヒュドラ>。破魔の射手。赤の蛇と蒼の弾道。
「何を落ち込んでいるのですか、バカバカしい。過去の失敗か、それとも苦手な何かなのかは知りませんが、いつまでもうじうじしていないでもらいたいものですね。そんなもの、気にする必要があるのですか? 実に女々しい、目障りです。気にせず前を向いた方が、よほど利口だと思いますよ」
刺々しい言葉だが、夜風にとっては励ましのつもり。往け、と指差せばストレイシオンの咆哮が響く。
仲間が戦っている。ならば自分も。なのに何もしたくなくて、鈴音は下唇を噛み締めた。血の味。それでもたりない。腕を噛む。皮膚をブヂリ、食い千切り。血だらけの唇。睨み付ける。
甘えるな。敵を見ろ。こんな理由なき『感情』に支配されて、恥を知れ!
「もうあの澱みには戻れない、戻りたくない! 邪魔をするなぁぁぁぁ〜〜〜!!」
もう彼女には『希望』しか無いのだ。
時間は少ない。絶望している時間なんて、無い。
髪を振り乱し、強引に踏み込んだ。
一閃。
●いきろ
「よく……がんばりました……義姉が撫でて……あげましょう……」
敵を倒し訪れた静寂。アイリスはギィネシアヌの頭をなでなでしまくる。
一段落。鈴音は自分の掌を見詰める。
(私が欲しているモノは、懸命に生きたという結果?)
何かが掴めそうな気がして。剣を握っていたその手で鈴音は胸の傷をそっと撫でた。
一方でディアボロが倒れた途端に愚痴の止まった鬼灯丸は伸びをしながら、
「あたし今まで何ブツブツ言ってたんだっけ? うーん、まぁ思い出せないしいっか! さっさと帰ろう」
それらを見渡し、常久はボソリと呟きを残した。
「ま、悩むんなら家で悩め。そん時は話ぐらい聞いてやるよ」
『了』