●賑夜
ざわざわ。
前日の撃退士による宣伝効果や見世物の出来も相俟って、見世物小屋はかつてなく大盛況であった。
間もなく、最終公演。最後ということ、「ウキグモが真の姿を見せる」ということもあり、観客席に所狭しと並んだ人々の目には期待、ワクワク、どきどき。
けれどその中にたった一人――客席の一番奥、腕を組んで、嫌悪感を露にしている女。悪魔レーチェル。
「……痴情のもつれが原因だったと、そういう事でござるか」
そっと、楽屋から客席の様子を窺っていた南条 政康(
jc0482)が呟いた。彼の『右手』、腹話術人形の軍師タダムネが「ウゥム」と唸る。
『殿、冥界の悪魔が絡んでいるとなれば、放っておくわけにもまいりますまい』
「わかっておる。この人数で悪魔と戦うというのはあまりに無謀。ココはひとつ、我らの芸であの悪魔の心を動かしてやろうではないか」
意気込む政康。一方の小田切 翠蓮(
jb2728)は楽屋の壁に凭れ、煙管を吹かして独り言つ。
「……なんとまぁ、女子の情念とはいと恐ろしきものよのう」
「恋人が自分より優先するものがあった、しかもそれが別種族だった……となれば荒れるのも分からなくはありませんが」
久遠 冴弥(
jb0754)が溜息を零す。自身のスレイプニル『布都御魂』の鎧鱗を丁寧に濡れタオルで磨き上げてやりながら、言葉を続けた。
「仕方ありません、全力を尽くしましょう。暴れられても困りますし」
「そうだねぇ」
狩野 峰雪(
ja0345)が頷いた。
(レーチェルは冥界に居場所がないなら、そんな人たちを受け入れるウキグモが、新しい居場所になれば……めでたしめでたし、になるけれど)
果たして彼女は差し出された手を取るのか、拒絶するのか。
(それは今回の公演次第……かな)
泣いても笑ってもこれで最後。
団長が一同を見渡した。
――そして、最後の夜の幕が上がる。
「少し、話があるの。よろしくて?」
舞台へ上がっていく演者――しかし楽屋に留まったシュルヴィア・エルヴァスティ(
jb1002)は団長へと声をかけた。
「ん、なんだね?」
「まずは一身上の都合で、演者じゃなくて裏方で手伝いになることをお詫び申し上げるわ。ごめんなさいね」
「いやいや、協力してくれるだけでも心強い限りだよ」
それで……。話とは何か、団長が促してくる。ので、シュルヴィアは彼の瞳を真っ直ぐ見、言葉を放った。
「一つ質問。貴方は、彼女と付き合ってた頃。彼女の境遇に同情、共感、理解を示したりした?」
「それは――」
団長が一瞬だけ、表情を曇らせた。少し小さな声で彼は続ける。
「……そのつもりだ。私なりに、ではあるが」
「そう。……貴方、最初に思ってたよりも結構、人情派だったんだなと思ってね。多分、そうだったんじゃないかなとね」
あぁ。そこまで言って、シュルヴィアは穏やかに微笑んでみせる。
「勘違いしないでね? 責めてるんじゃないのよ。貴方の心は、気遣いは、間違いなく彼女を救ったわ。
彼女の怒りとか、憎しみは。貴方が埋めた、彼女の心の隙間や、溝の占める割合の大きさよ。単身人間界に乗り込んで、貴方一人を捜し当てる為に行動した。大したモノよ」
「ありがとう」
団長は釣られるように笑みを浮かべる。けれどどこか影があった。当然だろう。救わんとした彼女を放り捨ててしまった、それは罪の意識。
「ねぇ団長、聞くわ」
シュルヴィアは再び、問いかける。
「貴方は、彼女をどうしたいの? 夢を理解して欲しいの? 人を好きになって欲しいの?」
「どうしたいんだろうなぁ……。ただ、彼女の生き方を強制したくはない。ただ、辛かった過去の分まで、幸せに生きて欲しい……私はそう願っている」
壁の向こう、舞台から、喝采が聞こえてくる。それを遠巻きに聞きつつ、シュルヴィアは「そう」と頷いた。
「……きっと、大事にしたのでしょう。優しくしたのでしょう。変わらない内なら、それでよかった。でも、大きな変化を促すのに、優しさだけじゃ、弱いのよ。慈しむだけじゃ、変化は起こせない」
シュルヴィアが目を伏せる。ざわり――その細い両腕が、肘辺りまで赤黒く変色した。開かれる目蓋。色素欠乏で赤い瞳が、更に赤く、紅く、『怪物』のように。
「――お前が真に望む欲を言え。大事なモノは、優しさだけでは守れない。
時には強引さも必要だ。お前は何を望む。
真に欲するモノは……力尽くでも、奪い取れ!」
ふわり。次の瞬間にはシュルヴィアは光纏を解き、いつもの彼女に戻っていた。
「――どう? 悪魔的でしょ?」
ニッコリと、微笑む。
「骨は拾ってあげる。公演がどう転んでも、最後にモノを言うのは、きっと……貴方の行動よ。
男を、見せる事ね。世紀末も言ってるわ。……今は、悪魔が微笑む時代なのよ」
団長は、呆気に取られたかのように目を丸く――そして、ようやっと普段通りの笑みを見せた。しっかと、頷く。
「ありがとう、シュルヴィアさん。……チャンスは一度きりなんだ。精一杯、今度こそ、私は間違えない」
「そうね。……泣いても笑っても、今日で終わり」
全ては、この一夜限り。
●見世
「これよりお魅せ致しますは、空翔ける馬による空中曲芸……」
マイクを手に、峰雪が歌い上げる口上。
天平風の色鮮やかな衣装を纏い、舞台に現れたのは冴弥だった。翠蓮にほんのり化粧も施して貰い、流し目がなんとも色っぽい。冴弥の気質的には着飾ったり化粧したりなど慣れないものだが、今回は全力の公演だ。衣装も公演の一つである。
彼女の登場で客席が「おぉ」と湧いたのは、冴弥がスレイプニルの布都御魂に跨って現れたからだ。一般人は召喚獣の存在は知っていても、間近で見るのはそうそうなかろう。
「布都御魂」
冴弥が相棒の首をぽんと叩く。すると馬龍が勇ましく嘶き、蒼煙の毛を靡かせて空中へと翔け出した。
最初は、軽やかな足取りで緩やかに。けれど徐々に、速度を上げて。やがてはかなりの速度となる。
縦横無尽に宙を翔けるスレイプニル。冴弥はその上で掴まる手を離してみたり立ち上がってみたりと、絶妙なバランスからの見事な曲乗りを披露する。人馬一体のその動きは、まるでそこだけ重力がないかのよう。優雅さすらも感じさせた。
観客達は一様に上を見上げたまま目を丸くして、歓声。特に小さな子供達への受けは抜群だ。「かっこいい、かっこいい」と目を輝かせている。
更に、アシスタントとして舞台隅に控えていた峰雪が空中へ大きな輪を複数投げた。冴弥と布都御魂は弧を描いて飛ぶそれを次々と巧みに潜り抜け、喝采を浴びる。
「これを投げてみて」
拍手止まぬ観客、その中の一人へ、峰雪は造花を一本。浴衣の観客はおそるおそる造花を宙へ放り投げた。すると矢のように飛んできた布都御魂が、見事に造花を口ではっしと受け止める。そのまま得意気に高く唸ってみせ、天井ギリギリまで飛び上がった。
前足を振り上げての勇ましい嘶き――けれど、ここで。
あっ…… 観客が息を呑んだ。
冴弥が、馬龍の上でバランスを崩したのだ。
落ちる――真っ逆様。
誰もが悲鳴を上げかけた、その時。
空中の冴弥の傍ら、フェンリルが多重召喚された。雄々しく吠えた氷狼は主人を受け止めると、そのまま舞台へと着地した。冴弥が無事を示すように両手を上げる。これも演出の一つだったのだという意味も込めて。
そしてその隣に着地した布都御魂を、冴弥はフェンリルと共に両手でぎゅーっと抱きしめる。和気藹々。布都御魂は主人へ頬擦りし、フェンリルはべろんべろんと親愛の意を込めて主人を舐める。
和やかな様子に、人々の心はガッツリ掴まれる。
舞台がすっかり温まったところで――次のショーだ。
「これよりお魅せ致しますは、美しき剣舞を踊る戦巫女……」
退場しながら、冴弥が反対側の舞台袖へと小石を投げた。
その、刹那。
りん。
鳴り響いた鈴の音。逆風を行く者の如く、舞台に降り立ったのは白い衣に緋の袴、長い黒髪を一つに束ね、手には白銀の刀を携えた戦巫女――礼野 智美(
ja3600)。
りん。刀の柄に付けられた鈴束が鳴る。彼女の身体には金の炎めいた光纏が揺らめいていた。
智美は阿修羅。ので、仲間に頼んで剣戟も考えたけれど、
(……レーチェルさんの事考えると武力を見せるのって違う気がする)
故に前日と同じ剣舞を。
「俺の故郷におわす土地神様の奉納剣舞、ご覧下さい」
舞台両袖に用意される吹流しに似た布。「危険がありますのでその後は出来るだけ舞台裏にいて下さいね」と智美が仲間へ事前に話した通り、『射程内』には誰もいない。
智美が刀を構えた。しなやかに、美しくも強く優しく――流麗。鈴の音に乗せて、彼女が剣と共に舞い始めた。
鋭く、二度振るわれる刃。それは刃が届かない筈の、左右の布を切り裂いた。飛燕の剣術。一般人にはなぜ離れた場所の布が斬れたのか理解できまい。
間髪いれずに再度構えられし刃――白銀の剣に、虹色の光が灯った。忍法「月虹」、見るも鮮やかな七色の軌跡が、剣舞と共に描かれる。
りん――響く鈴の音、舞台を踏みしめる戦巫女の足取り。引き結ばれた凛とした表情。鋭くも涼やかな眼光。
智美が掲げる剣。今度はそこに、輝く星の光が灯った。振るわれるはさながら流星。
と、彼女が纏う金の炎が一層の輝きを増した。全身に浮かび上がる真っ赤な紋様。血界<ブラッドワールド>。その様は古代の土着的な儀式を思わせる。
いっそう鋭く――星の光を集めた刃が振るわれた。
観客達はその美しさにただただ圧倒され、見惚れ込む。
その中にはアウル覚醒者人権保護団体の者もいた。智美が呼んだのだ。今後の憂いを断つ為と、彼らの考え方に少しでも変化を与えられれば、と。
その甲斐は大いにあったようだ。団体の者は皆一様、見世物に見惚れている。誰一人嫌そうな顔をする者や、ましてや何か言い出す者などいなかった。
そんな彼らに、レーチェルは不愉快そうだ。「あんなにもアンチしていたのに」と言わんばかり、軽蔑めいた眼差しを向けている。
だがここでいきなりのBGM。驚いたレーチェルが視線を舞台に戻せば、退場する智美と、舞台に上がってくるウキグモの面々。峰雪の案で、客席からの登場だ。
蛇女による蛇芸、阿修羅の少年による怪力ショー、ハーフ天使による飛行曲芸、団長による火のパフォーマンス――次々に、鮮やかに、客に暇を与えない。皆で歌って踊って場を盛り上げる事も忘れない。
「一番心を動かすのはウキグモの皆さんの芸かと」
それは、公演前に智美が放った言葉。
俺達はある意味部外者だから。そう言って、団長も含むウキグモ全員でショーをしよう、と。
それに否を唱える者はいなかった。
舞台上では奇術師による奇術ショーが始る。アシスタントをしていた峰雪が、客席へ。そしてレーチェルへと手を差し出した。
「お嬢さんも、どうぞこちらへ」
傍観者ではなく共演者の気分になれるように。疎外感を感じないように。まごついたレーチェルの手を取って、峰雪は彼女と共に舞台へと。
「ちょっと、私は――」
「さぁ、このカードの中から好きなものを選んで」
峰雪は抗議を遮りニッコリと。奇術師が笑顔でカードを差し出してくる。
「あなたが選んだカードを見ずに、それを当てるよ」
「へぇ?」
面倒臭そうに、レーチェルは「じゃあこれ」と適当なカードを指名した。よくある手品――シャッフルされたカードの中から当てられる、レーチェルが選んだカード。直後、それは奇術師の手の中で花に変わった。差し出される。
拍手、喝采。
対照的に、居辛そうなレーチェル。そそくさと客席に戻ってしまった。
だがショーはまだ終わらない。
「これよりお魅せ致しますは、神隠しに精通せし奇なる術師……」
先程の賑やかさとは一転して、三味線が奏でる和風な音楽。
しゃなり、しゃなり。現れたのは、華やかな振袖に女性物の帯に股引という姿の翠蓮だ。大きな薬箱を背負い、高下駄でゆるやかに歩き、向けるのは化粧で彩られた艶な眼差し。妖艶でいて性別不詳、妖しげな美。
「今宵も皆々様を夢の世界へとお連れしましょう……!」
薬箱が開く。中から飛び出したのは、白い――もふもふのケセランだ。今夜は彼(彼女?)を隠す白布は存在しない、その愛らしさを存分にアピールだ。
「かわいいー」なんて声の中、翠蓮はケセランと共に複数の薬箱を置いていき、それを開けてゆく。中身は、カラッポ。
「これより神隠しをご覧に入れましょうぞ」
ニコリと微笑み、一つの薬箱に入る翠蓮。ふよふよ漂うケセランが、薬箱の蓋を一つずつ閉めてゆく。それから、またふよふよ。客席へ。小さな口で、とある子供の袖を引く。「こっちに来て」と言わんばかり。
「わ、わ」
緊張しながら、ケセランに浴衣を引かれてその子が舞台へ上がった。並んでいるのは、物言わぬ複数の薬箱。袖を離したケセランが薬箱の上を揺蕩っている。「蓋を開けてご覧」、そう言っているかのよう。
ならばと、その子は翠蓮が入った薬箱の前へ。ケセランと薬箱を交互に見ながら、えいやっと開けてみれば――
「あれ!?」
その中に、翠蓮はいない。だったら別の箱は。その隣はどうか。開けてゆく。けれど中には、誰もいない。結局全ての箱が開いても――誰もいなくて。
どよめきが走る客席。
と、その時だ。
「おやおや、誰をお探しかな?」
客席の一番後ろから、声。誰もが振り返った。そこに、翠蓮がいるではないか。しかも空中、烏のような黒い翼を大きく広げて。
物質透過によってすり抜けて、回り込んだのだ――けれど観客の目には、さながら消えて現れたかの如く。歓声の中、宙で翼を翻す翠蓮。彼が手を翳せば、甲高い泣き声と共に鳳凰が召喚された。
黒と赤、二つの翼。婀娜な笑みが観客を見下ろす。
「御名残り惜しいが、そろそろお別れの刻。――夢とはいつか醒めるもの」
鳳凰が、翠蓮が、一面に舞い躍らせる大量の紙吹雪。桜の花弁。
それに紛れ、彼と鳳凰の姿は解けるように消えてしまった。
幻想的なそれに、鳴り響くのは大きな拍手。
「これよりお魅せ致しますは、世にも不思議な生ける獅子舞……」
余韻もそこそこに、新たな演者が舞台に現れる。
武士風の衣装を身に纏った政康だ。
「ようこそ、ウキグモへ!」
先ずは一礼。拍手と共に顔を上げれば、右手のタダムネが喋りだす。
『取り出しましたるこの獅子舞ー』
「種も仕掛けもござらんぞ!」
彼らが取り出したのは何の変哲もない獅子舞だ。
「ではではこの獅子舞に、命を吹き込んでみせようぞ。ご覧あれ!」
政康が笛を吹く。すると、獅子舞がモゾリと動き――宙へ浮き、独りでに動き始めたではないか。くるくる、手拍子と笛の音に合わせて、まるで踊るよう。
前回と同じ、獅子舞の中にヒリュウのチビマルを召喚しているのだ。一度公演を行っただけあって、チビマルも慣れたもの。
だが、今夜は前回と同じではない。
ギロリ。獅子舞が政康――否、タダムネを睨みつけたような。
直後、獅子舞の口がカパリと開き、小規模な稲妻火花が吐き出されたではないか。実際は獅子舞の中でチビマルがハイブラストをしたのであるが、あたかも獅子舞が吐いたかのようだ。
『ややっ! これは妖怪変化の類か! 成敗してくれよう』
間一髪で獅子舞の稲妻を回避したタダムネが、オモチャの刀をシャキーンと取り出した。すると獅子舞も、まるで威嚇のように口をカパカパしてタダムネへと襲い掛かる!
『おのれ、ちょこざいな』
獅子舞の噛み付きを、刀で受け止めるタダムネ。押し込まれるも、弾き返す。
『食らうがよい、秘剣・ライキリ!』
今度はこっちの番だ、切りかかるタダムネ。だが獅子舞の突進に吹き飛ばされてしまう。
『あ〜れ〜』
「むむむっ! コレはいかん! 皆の者、タダムネを応援するのだ!」
さぁ、いっせーのーで!
がんばれ、タダムネーーー!!
『ありがたき声援っ……! このタダムネ、負けませぬぞ!』
刀を構え直すタダムネ。今一度、獅子舞へと躍りかかる。
『これでもか、これでもか!』
ポカポカポカ。刀で獅子舞を叩くタダムネ。悶える獅子舞がよろよろと地面に落ちていって、ぺちゃんこに力尽きる。中のチビマルの召喚が解除されたのだ。
かくして、腹話術人形のタダムネと獅子舞との、2分間にも及ぶ壮絶な一騎打ちの幕切れである。
『これにて一件落着!』
「お粗末でござった」
拍手の中で、深々と礼。
「――お主はすっかりヤキソバがお気に入りのようじゃの」
舞台裏、政康は再び召喚したチビマルに褒美としてヤキソバを。口の周りを青海苔まみれにしてヤキソバを食べる召喚獣、その美味しそうな様子に召喚主も笑みがこぼれるのであった。
舞台の上では、全てのショーが終わったようだ。
この三日間で一番の喝采と拍手。ショーは大成功。大きな賑わいとなったのであった。
撃退士も、そしてウキグモの面々もやりきった顔をしていた。
「最高のショーだったわ、皆お疲れ様」
裏方として行動していたシュルヴィアが、労いの言葉と共に皆にスポーツドリンクを配ってゆく。誰もが「ありがとう」と、渇いた喉を潤した。
「今夜は最高だった」と蛇女が笑う。その通りだとウキグモの面々。小屋の外では未だに、ほとぼりの冷めぬ観客達で賑わっている。
けれど……、これで終わりなら、どれほど良かったか。
「……さぁ、クライマックスね」
表情を引き締めたシュルヴィアが言う。
彼らの『本番』は、まだ続いている。
楽屋の向こう。客席。
一人、まだ残っている人物が。
彼女、レーチェルは、じっと――撃退士達を見つめていた。
●そして花火が歌う頃
大喝采で閉じた幕。
しかし今、喧騒は遥か。
祭の場所から程離れた静かな広場――向かい合うのは団長と撃退士、そしてレーチェル。
「さて」
切り出したのはシュルヴィア。
「決断を聞きましょうか」
一同の視線がレーチェルに集まる。
悪魔は嫌そうに溜息を吐いた。
「……私の答えは決まってるわ」
刹那。彼女の手に稲妻の剣が現れる。
「そんな簡単に……許すわけないじゃん!」
振るわれる一閃。
けれど、それは冴弥の布都御魂がその角で受け止める。
「確かに召喚も和気藹々もアウルを用いたものに過ぎませんが……この世界の変化が、私と召喚獣たちを結び付けてくれました」
馬龍の後方、召喚者はじっとレーチェルを見やる。
「人間と冥魔も、同じことがあっても良いのでは?」
然り。その言葉に頷いてみせたのは、翠蓮。
「レーチェルとやら。儂も団長……明星と同じく、冥魔界から人間界へと遣って来た者。だからこそ、明星が人の世に惹かれる気持ちはよう分かるのじゃ」
反撃はせず、彼は静かに悪魔を見据える。
「人の多くは百年もしない刹那の時を生きる。儂等から見れば瞬く間に消える炎の様なもの……だからこそ、一瞬一瞬に魂の全てを懸ける様にして生き、次世代へと命を繋いで行く。その生命の輝きに、どうしようも無く明星は魅せられたのではないか?」
その言葉、眼差し、レーチェルは逃げるように視線を逸らした。剣を握る手にも、先程より力が篭っていない。
「『好きの反対は嫌いじゃなくて無関心』と言います。迷惑行為しようとしたのって、まだかまって欲しいからじゃないですか?」
「うむうむ。人間界で明星殿をわざわざ探したのは嫌がらせするためでござるか? まだその気持ちがあるならば、やりなおしてみてはいかがか?」
智美が、政康が、更に語りかけた。戦闘態勢だけれども、攻撃には出ない。――戦いたいと、思っていないからだ。
ややあって。
「……ずるいよ」
俯いたレーチェルが呟いた。
「ずるいよ……アンタばっかり。私のことなんかおいてけぼりでさ……」
一同の見世物は、確かにレーチェルの心に届いていた。
そして。レーチェルは明星に、彼らに、狂おしいほどの羨望を抱いた。
羨ましい。羨ましい。どうしてそんなに幸せそうなの。ずるい。どうして。
彼の夢を邪魔したことは、やっぱり悪いことだったのか。
「私なんか、いない方が……幸せなんでしょ」
込み上がる悲しみ。そうなると精神は絶望と共に自棄になり、自分でもどうしたらいいのか分からなくなった。何が正解なのか。分かる気がするけれど、ちっぽけなプライドと自己嫌悪が、それを許さない。そして葛藤の末に生まれるやり場のない怒りが、彼女に剣を握らせた。八つ当たりのように。
ふらつくように後退するレーチェル。
そんな彼女に、峰雪が声をかける。
「レーチェル。あなたの気持ちは、人間は親の仇なのに、一緒に行こうと言われ、理解されなかった悲しさ。そして、自分を選んでもらえなかった寂しさ……かな」
優しい声。決して、非難や説教などではなく。
「あなたの離反報告の脅しは本気じゃなかったのかも、って僕は思うんだ。『そうすれば思い止まってくれるんじゃないか』って。
だけど団長は、自分の夢を叶えるために亡命してしまった。きちんと会話しないで逃げてしまったから、拗れてしまった」
団長が苦い顔をする。あの時に生まれた綻びを、もっと早く治していたら。しかし後の祭り。ただただ、過去に悔いる他になく。
でも、と峰雪は続けた。
「団長だけが悪いわけじゃなくて、団長の話を聞こうとしなかったレーチェルも同罪。団長もレーチェルも、自分の気持ちを優先して、相手を理解しようとしなかった。話し合いを放棄した。
……元々、恋人としては長くは続かなかった関係だったのかもしれないね」
それでも、だからと言って、憎悪が生まれてしまうのは悲しいことだから。
「今、もしちゃんと決着をつけることができたら……次は友達になれるかな」
ボロボロになっても、まだ『縁』が繋がっているのなら――
「明星はおんしを捨てた訳ではあるまいて。――本当はおんしも分かっておるのじゃろう?」
翠蓮の、言葉。
「戸惑いもあろうが、まだ明星を愛しておるならば。おんしも人間界に残り、ウキグモの一員として人間界を見て周ってはどうか?」
「……」
レーチェルはただ、沈黙している。
俯いた表情は、誰にも見えない。
けれど、もう戦う意志はどこにもないことは明らかだった。
「ほら」
シュルヴィアが団長の背をポンと叩いた。振り返る彼に、頷きを。団長もまた、頷いてみせた。
「レーチェル」
一歩。
「あの時、君に言えなかった――そして言うべきだった言葉を、今言うよ」
彼は彼女に歩み寄りながら。
「一緒に行こう。きっときっと大丈夫だから。
嫌なことがあっても……私が君を守るよ。もう逃げたりはしない」
夜空の彼方、一縷の光が登った。
暗い空に、大きな光の花が咲く。
「――――」
レーチェルの返事は、花火の咲く音に掻き消えた。
けれど、照らされたその顔は。
大粒の涙をボロボロ零し、わんわんと泣いていた。
「……一件落着、ってとこかしら」
やれやれ。微笑と共に溜息を吐いたシュルヴィアは、抱き合う悪魔二人を見、呟いた。
「なんだか長い……それでいて色々あった三日間だったねぇ」
立て続けの花火を見上げ、峰雪が言う。「そうですね」と答えたのは智美。
「でも、無事に終わって良かったです」
「同感です」
布都御魂を隣に、頷いた冴弥は相棒と共に花火を見上げた。
「レーチェル殿、空をみてみるといい」
最中、政康はレーチェルへ声をかける。振り返った彼女へ、指で示すのは遥かな空。
「花火というのだ。美しいものであろう」
「……そうね。悪くないわ」
そう答えたレーチェルは、涙を拭いながらもようやっと微笑を見せたのであった。
花火は打ち上がり続ける。
大きな音と、鮮やかな光。
まるで、この夜をまだ続けたいと言わんばかり。
一際大輪が咲き誇れば、彼方から喝采が聞こえてきた。
●フィナーレ
「特別公演です」
一段落し、見世物小屋へ戻ってきた撃退士一同へ。
団長ならびに団員達が、言い放った。
撃退士には手伝って貰ってばかりで、ちゃんと芸を見て貰っていない。
感謝の気持ちも込めて、最後に特別、ウキグモから撃退士達へ見世物を。
蛇女が蛇と共に芸をする。
奇術師が様々な手品を披露する。
団長は派手な火吹き芸を。
エトセトラ、エトセトラ――陽気でレトロな音楽と共に。
蛇女は未だ『恒久の聖女』という己の過去の傷を話してはいないが、前のような不安はもうない。少しずつ、その傷も打ち明けられ、そして受け止められることだろう。
入院している鷹男達も、命に別状はない、あと二日もすれば完治するとのこと。
アウル覚醒者人権保護団体は、撃退士の言葉、そして今夜の智美の計らいにより、二度とウキグモの活動を妨害することはないだろう。
団長とレーチェルは、過去の解れを少しずつ元通りにしていくだろう。今、彼らは彼ら二人だけではない。ウキグモという頼もしい仲間もいる――きっときっと、大丈夫だ。
色々な人間がいる。
色々な事情がある。
それらは絡まり、縺れ合い――色んなこともあるけれど。
けれど、きっと大丈夫。
明日からは、笑っていける。
「これにて閉幕でございます。今宵は誠に、ありがとうございました!」
拍手と共に幕が下りる。
お祭が、今夜で終わる。
けれどお祭が残した楽しい思い出は、いつまでも終わらない――。
『了』