●ラストバトル01
ひゅう、と。
いつになく緊迫した空気が流れていた。
こうしてジンクェンと向かい合うのは、彼と最初に出会った時以来だろう――思い返せば随分と昔の事に感じるような。
騎士悪魔はゴクリと唾を飲み込んだ。
「……では、よろしくお願いしま」
「ちょっとタイム」
片手を上げたのはシュルヴィア・エルヴァスティ(
jb1002)だ。「ど、どうぞ」とジンクェンが頷いたので、シュルヴィアは棄棄と共に観戦の場にいたグラストンとヒャルハーのもとへ。
「なんだ、怖気付いたのか?」
彼女が観戦組に回るのかと思ったグラストンが腕組み姿勢で嫌味な笑みを浮かべた。そんな彼にシュルヴィアは溜息を一つ。
「何時まで不貞腐れてんの? メッキ剥がされたぐらいでみっともない」
「なんだとコラァ! 俺様はァ――」
「『数に圧されただけだ。実力じゃ負けてねぇ』……当たらずとも遠からずってとこかしら?」
「ぐぬっ……」
ズバリ言い当てられたグラストンは歯噛みして、顔を赤くしたままそっぽを向いてしまった。
その横顔に、シュルヴィアは言葉を続ける。
「意趣返し、する気はない? 貴方の野心は……昇り龍たらんとした貴方の野心は、観客席で満足するのかしら?」
ざす、と軽い音が響いた。グラストンが視線を戻せば、彼と彼女の間、地面に直刀『建御雷』が鞘ごと刺さっているではないか。
「無理強いはしないけど、はぐれになって不便も多いでしょ? 撃退士の流儀。今の内に、慣れといた方がいいと思うけど?」
「……どさくさに紛れて背後から斬られないとでも?」
「お好きにどうぞ」
「……フン、ナメやがって」
露骨に嫌そうな顔をしながらも、グラストンは目の前の剣の柄を握り、抜き放った。
その背後、いつの間にか棄棄。
「俺の可愛いシュルヴィアちゃんに手ぇ出しやがったらてめぇマジでぶっ殺すから覚悟しとけよ☆」
耳打ち、ウインク、立てた親指。顔を蒼くさせたグラストンは「ハイッ!」といきなり背筋をシャンと伸ばした。
一方シュルヴィアはヒャルハーのもとへも。
「……ホラ、何ボサッとしてんの。あんたは来るのよ」
言いながらヒュドールウィップを彼女の手に握らせる。「えええ!?」とヒャルハーは顔を横にブンブンブン。
「騎士級とほぼ危険無しで戦える機会なんてそうないわよ。経験しといて損はないから」
「ムリムリムリですよ!」
「撃退士の流儀よ。『どんな強敵も、仲間と共にあれば、きっと勝てる』……貴女もう、仲間でしょ」
「うううっ……ア、アタイになんかあったら八つ当たりしますからね! あと鉄砲の方が得意なんですが……」
「仕方ないわねぇ」
じゃあこれ、とシュルヴィアは鞭の代わりにスナイパーライフルを貸し出した。
こうして撃退士側にグラストンとヒャルハーが加わった。
「挨拶の魔法(物理)!」
戦列に加わった瞬間、グラストンはフレイヤ(
ja0715)に腹パンされた。
「ぐべら! え、え!? 何で!?」
「何か態度がムカつく!!!」
「マジかよ……」
「意味はない!!!」
「理不尽かよ……」
早くも戦意喪失しかけるグラストン。
「グラストン殿はなかなか制服が似合って男前でございますぞ」
そんななんやかんやを他所にクリオン・アーク(
jb2917)はニコヤカにグラストンへ微笑みかけた。「おう」と満更でもなさげに答えた彼へクリオンは更に親指を立て、
「新しい恋が見つかるとよいですな」
「うるせぇよ!!!」
俗に言う、傷口に塩である。
グラストンはクリオンへギャンギャン言い返すが、
「ヒャルハー殿は清楚な衣類とメイクが少々不釣合いですな。衣類に合わせるのが良いと先日友人から伺いましたぞ」
「えー? これバッチグーじゃないっすか? ギャップモエってやつですよ?」
俗に言う、馬耳東風である。
それはさておき、だ。
遂に戦いが始まる。
「……ジンさんが望むのでしたら……メリーも全力でお相手させて貰うのです!」
フローティングシールドβ1を展開したメリー(
jb3287)は氷華の帯光を纏いつつ、真っ直ぐジンクェンを見澄ました。青い瞳。彼女が本気である証拠。
「訓練、実践、間にグラストンさんの事がありましたけど、これがジンクェンさんの卒業試験……いえ、卒業式でしょうか」
これまでの出来事を振り返りつつ、シャロン・エンフィールド(
jb9057)はジンクェンを見詰めた。
戦いは得意ではないけれど、自らの弱さを克服した悪魔に敬意を払い……
「……全力でいきます!」
一方、 じっとジンクェンを見遣るクリオンは感慨深げな眼差しだ。
「まことに見違えましたなあ、ジンクェン殿……。末永くお幸せになるのですぞ……!」
ウンウンと頷いた後、隙無く身構える。全力には全力で、それが礼儀だ。
(ジン君の真剣な想いに応えたい)
陽波 飛鳥(
ja3599)は深呼吸を一つ。
今度はお互いに盾越しではない。友達に刃を向けるのは恐いけれど、全力の刃を向ける勇気で、彼の勇気に応えよう。
恐くても必要な事からは逃げない――それが勇気なのだから。
烈火の意志で金焔の光纏を強く迸らせる飛鳥は、その光纏に似た光焔を噴き上がらせる刀を抜き放った。
「行くわよ、ジン君!」
「はい、よろしくお願いします飛鳥様!」
その姿。フレイヤは目を細める。
「ジン君たら自分から『戦いたい』だなんて……言うようになったじゃないの」
くす。微笑み、手に持つのは自らと同じ名の黄金の大鎌。それをビッシと突きつける。
「その意気や良し! 黄昏の魔女フレイヤ様がボッコボコにしてやるのだわ!
ジン君リア充になったもんね! 彼氏いない歴=年齢の私を先置いてリア充になりやがったもんね!!」
なんだか言葉の雲行きが怪しくなってきた。フレイヤの肩がプルプル震えている。その目にはかつてなく闘気が漲っていた。
「……覚悟しろやオラア!!!!」
●ラストバトル02
撃退士+αは二人ずつの五班に分かれ、ジンクェンを包囲する様に展開した。
正面――飛鳥とメリー。
側面――フレイヤと草薙 タマモ(
jb4234)、クリオンとシャロン。
後方――シュルヴィアとCamille(
jb3612)。
上空――グラストンとヒャルハー。
大火力のジンクェンに狙いを絞らせず、かつ四方からの挟撃によって気を分散させるという作戦だ。
ざん。
地面を強く蹴り、一番に飛び出したのは飛鳥。
カミーユと絆を繋いだ事で心に流れてくるのは、二人が共に経験したジンクェンとの日々だ――目まぐるしく流れる思い出を胸に、絆を力に、想いを武器に。
「はァッ!」
一閃、二閃、振るうのは絆・連想撃。ジンクェンが防御に構えた鉄の様に堅固な腕に、灼熱の十字架を刻み付ける。
が、彼の腕を切り裂いた金の切っ先から、悪魔の両腕に纏う真紅の炎がぼっと飛鳥に燃え移った。
蝕む炎は飛鳥の身体から力を奪う。そこへ振り上げられたのは悪魔の巨大な拳だった。
振り下ろされる一撃――けれどそれは飛鳥へは届かない。
庇護の翼。メリーが展開した防御の術が、飛鳥への衝撃をメリーへと移す。ズシンと骨身に重く重く響くけれど、少女の表情は決して揺るがず、決して崩れず。
「防御はメリーに任せるのです!」
「ありがと、メリーさん」
飛鳥は矛、メリーは盾。それぞれの得意分野に少女達は全神経を注ぎ、立ち向かう。
「クリオンさん、よろしくお願いします!」
「こちらこそ、シャロン殿」
側面班、中後衛に位置するシャロンとクリオンも動き始めた。
二人よりジンクェンの方が先手を取った為に、彼の行動の妨害行為は未遂に終わった。自分より速い相手に対し、その行動に先んじる事が前提の妨害は難しいか。
だが飛鳥への攻撃行為直後の今は好機である。
中衛よりシャロンは氷の様に結晶化させた神秘鞭をその手に。
後衛よりクリオンは海色の指輪で武装した手の中に五つの水球を作り出し。
タイミングを合わせた一撃。
それとは別方向、ジンクェンの背後からカミーユも攻勢に出る。抜き放つ大太刀『朧』の澄んだ刀身がきらりと光った。
「……――」
少し、哀しい。
カミーユは引き結んだ表情の裏側でチクリと思う。
元々、暴力は好きじゃない。
理由のない戦いも、人を傷つける事も、好きじゃない。
相手を傷つければ、自身の心も痛む。回復すれば良いという話でもない。物理的な意味ではなく精神的な痛みは、どんな魔法でも治せない。
だから、弟の様で友人の様なジンクェンと、手合わせとはいえ戦う事にカミーユは少し抵抗を感じていた。
それに……、ジンクェンがマルガレヂアに想いを告げ、結ばれた事は嬉しいけれど。ジンクェンが力試しとして戦いを望んだ事にもカミーユはじわりと悲しみを覚えていた。
(……でも、)
分かっている。ジンクェンの思っている事、それが決して間違いではない事。当然の事だ。大切な人を守る為に、力を望むのは。戦闘も経験を積む事が大事だ。
カミーユは「戦いたくない」、ジンクェンは「戦いたい」――人の思いは人それぞれ。ただそれだけだ。思想が異なるからと否定するのは間違っている事だと、カミーユは知っている。
(力の使い方を間違えなければ……大丈夫)
ジンクェンはカミーユを、撃退士を信頼している。
ならばそれに答えるのも、また信頼。
彼が覚悟をしているのなら、己もまた覚悟をしよう。
「いくよ、ジン」
薙ぎ払いの剣閃が光ったのは、シャロンとクリオンの魔法攻撃が命中したのと同時。
脚を狙ったカミーユの剣はジンクェンが腕で防御する――部位狙いは難しいか、更に腕に触れた剣の切っ先から炎がカミーユの身体に延焼する――けれど弾き飛ばす様な剛の一撃は、その強烈な衝撃を以てジンクェンを蹲らせた。
「隙あり!」
そこをすかさず狙うのはタマモ。花弁の様にふわりと揺蕩う魔の糸を五指で操り奏でれば、薔薇の棘の鋭さを以てジンクェンの身体を切り裂いた。
「はっ!」
直後に浄火によって起き上がったジンクェンはパッとタマモへと目をやった。すかさず反撃の拳を繰り出さんと踏み込もうとして――出来ない、まるで壁に阻まれたかの様に。
「言ったでしょ、小さく細かくって!」
天使に反撃され後退し、悪魔はただただ瞠目する。
「ふっふっふっ。ジンクェンの拳じゃ、私まで攻撃が届かないわよ?」
「こ、これは一体……!?」
彼は知らないだろう、タマモが発動していた術――敵意ある者の隣接を許さない、魔除けの五芒星ドーマンセーマンの正体を。
「ジンクェンの手の内はお見通しなのよ! さぁ、手も足も出ないままやられちゃいなさい!」
ドヤァー。凄まじいドヤ顔をしつつ更に攻撃。それに上空からグラストンとヒャルハーが加勢する。
「いいわよタマちゃんーどんどんボッコボコにしちゃって!」
タマモと同班のフレイヤはその間に、飛鳥とメリーへリア充への恨みが篭ったウインドウォールを付与していた。なんだかこの風、少し泣いてます。
「ここまで一応オブラートに包んどいたけどはっきり言います! 私怨です! リア充憎しです! クソッタレです! リア充はボコります! これは宇宙の真理です!」
フレイヤの両目から血の涙が伝う!
彼女が大鎌の石突を地面へダァンと八つ当たりめいて突き立てれば、浮かび上がる魔法陣より異界の呼び手が現れる。ずるずる、恨み辛みに満ちたそれがジンクェンの身体を掴み捕る。
「浄火しようが知ったこっちゃないのだわ! さぁさぁ奥さんの前でじっくりねっとり緊縛プレイに目覚めるがいいのだわわ! ふははは! アーッハッハッハッハッハ!!!」
「ウワァこの手すこしいやらしいです!」
「うるせぇリア充がぁああぁ掘るぞてめぇえええええ」
「ひぃっ……」
フレイヤの気迫にジンクェンがビビッた。
と、その後頭部を容赦なく打ちのめしたのはメリーが操る浮遊盾である。
「よそ見をしている余裕は無いのです!」
「ほらほらこっちよ?」
更に別方向から、冥府の風を纏うシュルヴィアが深夜色の鞭を攻撃的に振るう。
撃退士の包囲作戦はかなり上手くいっていた。
正面からは飛鳥が連想撃を振るい、メリーがその防御力で仲間への攻撃を肩代わりし。
側面からはクリオンとシャロンとタマモが魔法攻撃を加え、フレイヤはジンクェンを妨害し。
後方からはシュルヴィアとカミーユ、上空からはグラストンとヒャルハーが攻撃の手を緩めない。
(強い……!)
ジンクェンは歯噛みした。最初に戦った時も思ったけれど、これが撃退士の本気なのか。桁違いだ。想像以上だ。個と個が連なり共鳴し合い、本来の力以上の戦力を叩き出している。
一方に気を取られれば、別方向から攻撃が飛んでくる。標的も定め辛く、中には近寄る事さえ出来ない相手もいる。
シュルヴィアが巧みにグラストンとヒャルハーを加勢させた事も大きい。二人とも生半可な交渉では動かなかっただろうに、それを動員させたのだ。たった二人、けれど戦いに加わればそれだけで戦力になる。
悪魔は考えた。浄火で拘束を焼き切り、降り注ぐ幾つもの攻撃を凌ぎ、手近な者へ拳を振るい考えた。
そして、思いつく。
「!」
その時、メリーの防御手としての直感が告げた。「何か来る」と。
「何だか危なそうなのです! その動きキャンセルさせて貰うのです!」
メリーはすぐさま浮遊盾を操り、ジンクェンの顔面を殴り付けた。シールドバッシュ。鼻血を垂らし顔を仰け反らせたジンクェン――は、踏み止まった。
刹那、轟と。
彼が大きく開いた口から噴き出したのは、広範囲一面を灼熱に染める火炎。その火は直接撃退士に襲い掛かるだけでなく、地面に燃え移り燃え上がり、更に撃退士の身体を継続的に焼いた。
「なにいまの!? こんな技を持ってたの?」
あちちっと火が燃え移った腕を振りながらタマモは瞠目した。
(まさか、模擬戦をしながら技を編み出したっていうの!?)
そうとしか考えられない。こんな技、初めて見る。
天使は驚愕の表情をニヤリとした笑みに変えた。その目は赤く、爛々と。
「……なるほど、手加減無用ってわけね」
その背に顕現する白い翼。タマモは高く飛び上がって業火の地から退避すると、掲げたその手に白煙の輪を出現させた。天使の背後に九尾妖狐の幻影が浮かぶ。
「ならこっちも、手加減なんかしないわよっ!」
投げ放つ毒気。
それと別方向からジンクェンを強襲したのはクリオンの鎌鼬だ。
「なるほどこれは暑いですな」
炎の中、クリオンは感心しながらも攻撃し続ける。彼が取る行動は今までジンクェンに見せてきた戦法ではない。
「目には目を、火には火を、です」
立て続けに放たれたのは、シャロンが投擲した炎の槍。少しでも威力のある攻撃を。次の行動に備えるシャロンの額には汗が浮かんでいた。
灼熱。シュルヴィアは顔を顰める。防御に纏う闇夜のドレスすら赤々と照らし出す火炎の絨毯。見遣った先、陽炎の中、降り注ぐ撃退士の攻撃の中、牙の間から火の粉を散らし拳を以て迎え撃つ悪魔の姿は正に鬼と呼ぶに相応しい。
「男子三日会わざらば……とはよく言ったものね」
怖がり弱虫のあの悪魔が嘘のよう。シュルヴィアは鞭を握り直した。
「譲れないモノは、ちゃんと大事にもっときなさいね。……最後はシンプルに。勝負よ、ジンクェン。撃退士の流儀で、お相手するわ」
「はい。まだまだ、オイラ頑張れます! 全力でどうぞ!」
「いい度胸よ。合格ね」
蝙蝠令嬢がその手の鞭をひょうと振るえば、獲物へ喰らい付く蛇の如く。
「あー! マルさんが心配してるー!」
直後にマルガレヂアの方を指差し声を張り上げたのはフレイヤだ。
「ええっ!?」
その声にジンクェンはビックリして顔をマルガレヂアの方に向けるが――彼女はくすくす、含み笑っていただけで。
「え!?」
どういう事だとジンクェンが呆気に取られた瞬間、フレイヤが振るう魔法の鎌が「TSUKARETA」と蛍光色に刀身の文字(解読できない言語……ではなくローマ字)を輝かせ、飛ばす金の刃で彼を裂いた。
「やーいやーいひっかかったひっかかったー」
「う、嘘ですか!? 卑怯なっ」
「卑怯? 違うわね、これが黄昏の魔女のMAHOUよ!」
ドヤ顔のフレイヤ。タマモが拍手を送る。
「よっ! さすが黄昏さん! ド汚い! どす汚れている! 黒いねっ! 彼氏ができない理由、私なんとなくわかった気がするよ!! ……フレイヤさんのは憎しみというより、妬みだけどねぇ」
さりげなく無邪気に毒を吐いている辺りタマモの方が黒い気がする。精神攻撃というフレンドリーファイアを行ったタマモは続けてジンクェンへと魔法の攻撃を加えた。
「どう、ジンクェン。これが連携よ。息の合った動きをする事で、1+1が3にも4にもなるのよ!」
バァーン。
タマモもまたドヤ顔。ジンクェンは「これがMAHOU……!」と慄いている。
「戦闘は常に一対一とは限らないし、正々堂々な対決であることなんてない。ジンのような怪力相手に、誰しも正面は避け、搦め手を用いるだろうし」
カミーユもまたジンクェンへと間合いを詰めていた。
「不測の事態にも、慌てず冷静に対応するには……場数を踏んで、自信と度胸をつけていくこと。ただ、がむしゃらに戦うのではなく、状況を観察し、考えて動くこと」
それから、と攻撃態勢に入りつつ。
「――大切な人を守るために、迷いをもたないこと」
絆・連想撃。カミーユはあくまでもジンクェンの脚を狙って攻撃を続ける。部位狙いは困難で、隆々としたジンクェンの足をカミーユ一人で切り崩せるかは分からないが、一縷の望みに懸けて。
「うぐっ……」
脚を切り裂く鋭い二閃にジンクェンが半歩後退した。けれど表情を引き結び、悪魔は素早い拳をカミーユへ。
瞬間――カミーユが浮かべたのは哀しそうな、そして恐怖の、表情。
「っ!」
は、とジンクェンは一瞬躊躇しかけるが。フレイヤの騙し討ちに「迷いをもたないこと」という言葉。奥歯を食い縛ったジンクェンはそのまま拳を振り抜いた。
衝撃音、吹き飛ばされるカミーユの細い体。
「っ…… それでいい」
空中、それから地面に叩きつけられ、けれどカミーユは微笑んでいた。先ほどの表情はわざと。ジンクェンの覚悟を試したのだ。
「これだけ攻撃しているのに……まだ元気そうとは」
激戦と呼ぶに相応しい状況。額の汗をそのままにシャロンは周囲を見渡した。
「流石は騎士級……凄まじいですな」
答えたクリオンの視線の先、タマモの毒気による石化を浄火で砕くジンクェン。
「私もまだまだ鍛錬が足りませぬ」
今回から少し回復力上がっている治癒膏で自らの傷を治療したクリオンは魔力を練る。繰り出すのは澱んだ氣のオーラ、舞い上がる穢れた砂塵、八卦石縛風。
それに耐えたジンクェンは咆哮による一直線の衝撃波で、空中のグラストンとヒャルハーを撃墜してしまう。更にジンクェンはそれを撃退士へ向けようとするが――メリーのシールドバッシュが今度こそ、彼の口が閉じるように下顎を打ち据え、行動を阻害した。
「はぁ、はぁ……」
仲間の盾として攻撃を肩代わりし、自身も攻撃を受け止め続けてきたメリー。その身体には徐々に、だが確かに傷が増えてきていた。
「メリーさん、一旦下がって。今度は私が盾に」
飛鳥がメリーを護る様に彼女の前に立った。
「ありがとなのです、陽波さん。ちょっとだけお願いするのです。直ぐ戻るのです……!」
息を整えつ、メリーは後退しながらリジェネレーションを発動した。治癒の青いオーラを纏う。持てる防御の技は有りっ丈使った。メリーは硬い。非常に優れた防御手だ。それを――ここまで追い詰めるとは。
(でも、まだ、負けない……!)
メリーの盾は砕けていない。
飛鳥の刃は折れていない。
二人の少女の想いは一つ。
ひたすら。ただひたすら、飛鳥は愚直なまでに己の全てを攻撃に懸ける。
燃え上がる灼熱の中、リボンで結んだ赤い髪を翻し、金の焔刀を揮って悪魔の炎を切り開く飛鳥の姿は『阿修羅』と呼ぶに相応しい。
「はァあぁああああーーーッッ!!」
裂帛。踏み込んだ一閃。
「まだまだァーー!!」
踏み止まる悪魔。地面を踏み締めれば地響き。鋭い速い拳――
――当たれば敵は火傷で怯むし、当たらなくても焔を警戒して攻勢に出難くなる。そうすれば、こちらのペースに持ち込み易くなる筈よ。
嗚呼、己が教えた技だ。
飛鳥の心に思い出が蘇る。
――炎使いは最強なのよ? つまりジン君は最強! 同じ炎使いの私が言うんだから間違いないわ!
――おおっ……! そうなんですか! オイラなんだか出来るような気がしてきました!
嗚呼。あの日から。あんなにも弱虫だったあの悪魔が。
本当に、本当に、……
「……強くなったわよね。流石炎使いだわ」
ふわり。微笑んだ。
刹那に飛鳥は刀を翻し拳を往なす。それでも逸らしきれない衝撃を流す為に後方へと跳んだ。
寸の間。搗ち合う視線。
飛鳥が剣を構え直した。
「超必殺奥義!」
張り上げた声。大きく跳躍する飛鳥。大上段に振り被る。
見上げるジンクェンが咄嗟に身構えた。
瞬間である。
「ケー君、足払い!」
言下、ジンクェンの脚に突撃をかましたのはケセラン一匹。
「……え!?」
いつのまに。それは悪魔が他の者へ向いている間に召喚され、彼の死角にて潜んでいた召喚獣。
飛鳥の行動はジンクェンの意識を上に惹く囮。長身の彼の足元である死角を突く奇襲作戦。
「あ、」
ぐらり、ジンクェンの巨躯が揺らいだ。カミーユが攻撃し続けていた脚のダメージ、飛鳥の召喚獣による完全なる奇襲、結びついた二つの事象は――ジンクェンの転倒という結末に実を結ぶ。
好機――だが。
それまで地面を燃やしていた炎がジンクェンへと集束する。
刹那に巻き起こったのは、一面を赤に染める大爆発。撃退士を巻き込み、吹き飛ばす。窮地に陥ったジンクェンが編み出した必殺技とでも呼べよう。逆を言えば、それは撃退士が彼をそこまで追い詰めた証拠でもある。
爆炎、爆煙――されど、その中から。
ざく、ざく。地面を踏み締め、ゆらり、現れる人影。
「覚えておくといいのだわリア充……人は憎しみでも強くなれるという事をな……!」
爆煙の中から双眸爛々、現れたのは金の大鎌を死神の如く振り上げたフレイヤ。
起死回生。負けてやるものかとフレイヤはリア充への怒りに歯列を剥き出し、鎌を振るう。黄金の魔刃が悪魔を切り裂く。
更にジンクェンの真正面に立つ者が一人。
先ほどの一撃を自慢の盾で防いだメリーであった。
真っ直ぐ、真っ直ぐ、見詰める瞳。
少女は言い放つ。
「ジンさん! メリーと最後に一発勝負なのです! 今持てるジンさんの全力でメリーの盾を破ってみるのです!!」
構える盾。鉄壁と加護の防御オーラを身に纏い。
チャンスは一回。泣いても笑っても正真正銘最後の一撃。
メリーは知りたい。ジンクェンの成長を。己の護る力が何処まで通用するのかを。
故に、真っ向からの全力勝負を。
「この勝負……メリーは全力で防ぐのです」
「なら、オイラは全力でぶん殴ります。……メリー様、お覚悟をッ!」
己はちゃんと兄を護れる盾になれるのか――
己はちゃんと妻を護れる矛になれるのか――
絶対防御。咲き誇る蒼い鉄壁の華<Veronica>。
絶対攻撃。燃え上がる真紅の拳炎。
対極の、そして全力のそれが、……ぶつかる。
轟音が響いた。
衝撃に風が巻き起こる。
そして、炎を砂塵を吹き飛ばすそれが晴れた頃……立っていたのはジンクェン、と、メリー。
ジンクェンの拳はメリーの盾を粉々に撃ち砕いた。けれど、メリーには届かなかった。
メリーの盾はジンクェンの拳を防いだ。けれど、その盾を拳に撃ち砕かれてしまった。
これは、どちらが勝ったと判断すべきなのだろう?
――いや、今は結果なんてどうでもいい。
「……ジンさんはやっぱり凄いのです! 強いのです!」
メリーはにぱっと華の様な笑みを浮かべた。盾が壊れてしまった事に後悔はない。ジンクェンを責める事もしない。寧ろそこまでの力を以て応えてくれた事に感謝すら覚えていた。
一方のジンクェンは。
「うっ……ううぅぅううぅうう」
ぶわぁ。一気に涙腺決壊。
悔しいからではない。嬉しいからだ。感謝しているからだ。込み上げる様々な想い。それが熱く激しく、彼の目から零れ落ちる。
「オイラっ……強くなれたでしょうか」
彼の問いに、撃退士達は声を揃えた。「勿論だ」と。
するとジンクェンは「ありがとうございます」と、その大きな腕で撃退士八人をぎゅーーーっと抱き締め……泣き崩れた。
夕暮れが近い。もうお互いヘトヘトで、ガス欠で。
こうして、ジンクェンとの戦いは幕を閉じたのであった。
●ありがとうとさようなら
「感謝する」
と、撃退士へ治癒術を施し終えたマルガレヂアが言葉を放った。
こちらこそ、と微笑み返したフレイヤは、すすっと彼女の傍に寄ると小声で曰く、
「マルさんマルさん、ちょびっとお話いいかしら」
「申してみよ」
「私としちゃクーデレも良いんだけどさ、もうちょい感情を顔に出してった方がいいわよ。男ってはちょっとあざとい位の女の方が好きなんだから、ね?」
「成程……。こうか?」
にこり、マルガレヂアが微笑んでみせる。
「して、フレイヤ。お前に想い人はいないのか?」
「いたら苦労してませんよこれだからリア充はウワァーーン!!!」
フレイヤのメンタルに深刻なダメージ!
一方、クリオンはマルガレヂアとジンクェンに「気持ちの良い手合わせでございました」と会釈をした。
「これからもたまに元気なお顔をお見せいただけると大変嬉しく思います。人界では結婚式に新婚旅行などという風習もあるとか」
「けっこん……」
ジンクェンの赤い顔が更にボッと赤くなる。マルガレヂアがくすくす笑う。
クリオンはそんな二人に目を細めた。
「私の妻は病弱で……私がいくら身体を鍛えても……病魔からは守れなかったのです。お二人とも、どうかいつまでも健やかであられますよう……」
「勿論ですよ。オイラ、身体はとっても丈夫です」
「それは頼もしい。……お二人のお子ならとても心優しく聡明になることでしょう。今から楽しみですな」
「ちょッッ」
堕天時にはぐれた息子に想いを馳せるクリオンとは対照的に慌てふためくジンクェン。そこへシャロンが顔を覗かせ、
「いつでもというのは難しいですけど、お子さん生まれたらちゃんと見せに来てくださいね!」
「シャロン様までェ!!!」
「はっはっは、いいだろう。楽しみにしているがいい」
「マルガレヂア様ーーー!!?」
そんな様子。やれやれ、シュルヴィアは苦笑を浮かべた。
「精々、尻に敷かれる事ね。敷かれてる内は、身動きできないでしょうから」
でも、と続け、シュルヴィアはジンクェンの背をぽんと叩く。
「貴方のお茶は美味しかったわ。だから、また淹れに来なさい。その時は、ちゃんと二人で、ね」
「これはゴールじゃない、始まりだよ。たまには遊びに、顔を見せにおいで……お二人さん」
言葉を続けたカミーユも微笑みかけた。
ジンクェンは二人を順番に見、それから「はい!」と元気な声で頷いた。
そしていよいよ、別れの時間はやって来た。
簡易な転移魔法陣を展開したマルガレヂア。その傍で撃退士に振り返るジンクェン。
「それじゃジンクェン」
頷いたタマモは片手を上げた。ひょっとしたら運命の悪戯で次は敵同士になってしまうかもしれないから個人的に「またね」は言い辛いけれど、最後だから笑顔を浮かべて。
「元気でね! マルガレヂアさんとお幸せにね! それと、貴方の持ってる優しい心はいつまでも大切にしてね!」
「また来て下さいなのです! いつでも待ってるのですよ!」
メリーはぴょんぴょん跳びながら両手をめいっぱい振った。
(やっぱり帰っちゃうのはさびしいかも……)
なんてシャロンは思うけれど、笑顔を浮かべて声を張る。「お幸せに!」と。
一方の飛鳥はそっぽを向いていた。
寂しくて、目頭が熱くなる――そんな顔を、見せたくなかったから。
「ジン君」
震えそうな声で、飛鳥は言った。
「幸せにならないと、っ……承知、しないんだからね……」
今にも潤みそうな声だった。背中越し、「もぢろんでず」とジンクェンは泣いた声。
(もう、馬鹿……!)
こっちまで、釣られて泣いてしまうじゃないか。
「皆様」
鼻を啜り、ジンクェンは顔を上げた。一人一人、顔を見る。
フレイヤ。その茶目っ気溢れる言動に、何度救われた事か。
飛鳥。彼女から教わった『炎<強さ>』を、己は決して忘れない。
シュルヴィア。厳しくも真摯に、そして的確に教え導いてくれた。
クリオン。優しさと懐の広さは、傍にいるだけで落ち着けた。
メリー。その真っ直ぐさ、心の強さは、なによりも尊敬できる。
カミーユ。友であるが兄の様な、思慮深くてかっこいい兄貴分。
タマモ。最初は怖かったけれど、天使とはこんなにも良い奴だったのか。
シャロン。穏やかで丁寧なその態度は、心を安らがせてくれた。
「本当に……本当に……今まで、お世話になりました。ありがとうございました!
オイラ、これからも頑張ります。一生懸命頑張ります。それが皆様への恩返しになると思って……」
「今一度感謝する、皆の者。お前たちがいなければ、今日という日は訪れなかった。
これが今生の別れではない。また会おう。その時には、楽しく茶会しようじゃないか」
ジンクェンは泣きながら笑い、マルガレヂアは優しく微笑んだ。
それでは――二人が手を上げる。手を振った。
「さようなら」
「ありがとう」
「また、会いましょう」
そして二人の悪魔の姿は、光と共に黄昏の中へと消えていった。
穏やかな風が吹く。
――こうして、ジンクェンという悪魔が齎した一連の騒動は、幕を閉じたのであった。
『了』