●いざ実戦
「ジン君もちょっぴ見ない間に随分と漢らしく……」
しみじみと目を細めたフレイヤ(
ja0715)はジンクェンを見上げ――ガッチガチに緊張している様子に、ふ、と形容し難い笑みを浮かべ。
「……なってないかぁ」
「うう、ごめんなさいごめんなさい」
「そりゃそんなすぐに変われるワケないわよねえ。まぁでもちょっとずつ変わってきているのは事実だし、ゆっくり焦らず頑張ってみまっしょい!」
「はいっ……こここ今回もよろしくお願い致しますっ……!」
フレイヤに、そして撃退士に頭を下げるジンクェン。
「何時までビビッてんの。腹括りなさい」
そのあまりにも緊張している様子に見かねたシュルヴィア・エルヴァスティ(
jb1002)が俯く顔を見上げ覗いた。
「背筋伸ばして! 胸反らして肩開いて顎は引く! はいそのままー前進!」
「はッ、はい!」
シュルヴィアに言われた通りにするジンクェンだが、体の硬さはそのままだ。やれやれとシュルヴィアは小さく息を吐くと、悪魔の背中をポンと叩き。
「貴方、たっぱ凄いんだから。それで睨み付けたら、敵は絶対に警戒するレベルよ?」
「そうですか? うう、大丈夫ですかねぇ……」
「大丈夫なのです!」
不安そうなジンクェンの声に、溌剌と声を張ったのはメリー(
jb3287)だ。
「ジンさんは一人じゃないのです! 皆さんがいるのです! いざとなればメリーが護るのです!」
安心するのです、とメリーは胸を張った。
前回の訓練で、ジンクェンはメリーもまた本当は戦いが怖い事を知っている。故に「自分もこのままではいられない」と気を取り直し、「はい!」と返事をした。
いい返事だ、とクリオン・アーク(
jb2917)は頷く。
「ジンクェン殿の平和を愛する心は真に素晴らしい失ってはならないものです。しかしながら、大切な方がいるのであれば……その方に危機が訪れた時、守り通す為の勇気が必要になるでしょう」
「はい。マルガレヂア様の為にも、オイラ一生懸命頑張ります」
フンスと意気込むジンクェン。Camille(
jb3612)はその姿に紫瞳を細めた。
(大切な人のために変わりたい、か。初々しくて純粋な気持ち……応援したいね)
でも、と思ったカミーユはジンクェンへ声をかけた。
「ジンは置手紙だけで黙って出て来たようだし、ご主人様が心配して捜索を出したりする可能性もなくはないし、また冥界に戻るつもりなら、あんまり長居してしまうのもよくないかもね。人間と仲良くなって帰りたくなくなってしまった、と勘違いされちゃうかもしれないし」
「で、ですよねぇ……早く帰れるように、今日は全力でいきます!」
その言葉にふと、シャロン・エンフィールド(
jb9057)は心配事が浮かんだ。
ジンクェンはいつか冥界に帰るのだろう。
けれど、強くなったことで戦場に出されやしないだろうか……。
(敵として戦うことがありませんように……)
と、シャロンは心の中で密かに祈った。
撃退士と言葉を交わす事でジンクェンの緊張は少しはマシになったようだ。
一同の前方には戦場となる廃工場が見える。
そこへ踏み入る直前、陽波 飛鳥(
ja3599)と草薙 タマモ(
jb4234)はジンクェンへアドバイスを。
「ジン君はパワーは凄いけど大振りが難点なのよね」
「そうそう! ジンクェン、大振りはいらないからね。小さく細かく当てていけばいいのよ」
飛鳥の言葉に頷いたタマモが「これがジャブよ!」とジャブをシュシュッとして見せる。
「陽波さんの言う通りパワーはあるんだからさ。まずは当てていこ」
「気を付ければいいのは手数とスピード。ジン君は手の焔で敵を火傷させて怯ませる技があるんだから、一先ずは素早い打撃の焔で敵をビビらせて牽制すれば良いのよ」
ほらジャブやってみて、と飛鳥がタマモのお手本を示す。「こうよ!」とジャブをするタマモに「こうですか!」とジンクェンも見様見真似でシュシュッと拳を振るって見せた。
「そう、それでいいわ。当たれば敵は火傷で怯むし、当たらなくても焔を警戒して攻勢に出難くなる。そうすれば、こちらのペースに持ち込み易くなる筈よ」
自信持って、と飛鳥。ジンクェンは「成程ぉ」と感心して何度も頷いた。
「炎使いは最強なのよ? つまりジン君は最強! 同じ炎使いの私が言うんだから間違いないわ!」
と、飛鳥は胸を張った。無いのに張ったの? とは禁句である。
「おおっ……! そうなんですか! オイラなんだか出来るような気がしてきました!」
飛鳥よりも胸が大きい(胸筋と胸囲的な意味で)ジンクェンはグッと拳を握り締めるのであった。
●実戦開始!
だだっ広い廃工場にいたのは二体の白いサーバント、ライトゴーレム。
「サ、サーバントッ……! なんておっかない!!」
たじろぐジンクェンに、クリオンは落ち着いて声をかけた。
「此度の敵はゴーレム。生物ではなく人形。命を奪うのではなく、天によって戦の為に操られている人形をあるべき姿に戻すだけ……にございます」
サーバントの原料は人間の抜け殻だ。クリオンの言葉はあながち間違いではない。もともと奪う命などないのだから。
「大きめの的ですからしっかり相手を見て戦えば命中させられる筈です。それにこれだけ仲間がいるのです、恐れる事は何もありません」
「は、はいっ…… ヒィこっち見たァーーー! ウワァー!!」
一同に気付いたライトゴーレムが途端に剣呑な気配を発し、ジンクェンはビクッと肩を跳ねさせる。
「……戦うのが怖くない奴なんて、居ないわよ」
慌てふためき後ずさる悪魔。それに、屋内故日傘を畳んだシュルヴィアが静かに語りかける。
「でも、怖いだけなら皆逃げる。そうじゃないのは、怖いよりも譲れないモノが、あるからよ。
皆同じじゃないわ。それぞれの理由を持ってるの。それは、他人が教えたり、与えたりは出来ない。だから自分で見つけて、自分で育む事」
「怖いよりも譲れないモノ、……」
「怖い、よりも強い望み……それを見つけなさい。ここの声を聴くの」
シュルヴィアは己の左胸――脈打つ心臓に手を当てた。
「自分で自分を決められるのは、自分だけなんだから。それが解れば。それが見つけられたら……」
口角を吊って、彼女は続けた。
「――貴方は、無敵よ」
直後に響いたのはライトゴーレムの咆哮だった。
戦いが始まる。
「メリーがゴーレムさんを引きつけるので、ジンさんはそれを狙うといいのです!」
氷華帯の光を纏ったメリーはフローティングシールドβ1を展開すると共にタウントを発動した。目を引く煌きに二体のサーバントがメリーの方を向き、重い足音を立てて彼女への間合いを詰めんとする。
「片方が私達が相手するわ、絶対に貴方の邪魔はさせないから。ジン君はもう片方をお願いね!」
と、剣を抜き放つ飛鳥が片方のライトゴーレムの前に立ち塞がる。クリオンも白銀盾インペリアルガードを構え、飛鳥と共にサーバントの行く手を阻んだ。
「廃工場といっても、あまり壊さないようにしたほうがいいのよね?」
更に阻霊符を発動したタマモがそこへ降り立つと、進行を阻まれたライトゴーレムを見やった。その赤い瞳が妖しく光り――ニコッ。浮かべたのは純真無垢で可憐な微笑み。けれどそれは、笑顔に隠された『魔性/魔笑』の罠。その微笑に囚われた者の心は幻惑に陥る。
「ふふっ。サーバントも私にはメロメロだね!」
手当たり次第に振り回される拳を悠々と回避しながら、タマモは得意気な様子だった。
(依頼内容的には大した事ない感じ、みたいね)
ライトゴーレムの様子を見、フレイヤはサーバントの実力は低い部類であると判断する。
「さっすが棄棄センセ、教育についちゃピカイチね。……私の留年もどうにかしてくれないかなぁ」
なんてボヤきつつ。敵が大した事ないのなら、撃退士が出張ってアッサリ解決するのはよろしくないだろう。だから、とフレイヤはジンクェンへ向くと、
「ジン君、最初の一発ミスったら筋肉prprの更に上をお見せするからね、本気でやりなさいよ?」
「なん……ですって……!?」
「prprの上位は何か考えた結果――カリカリモフモフだと判断したわ!!」
「ヒィィイイイイイイイ」
「さっ、分かったのなら突撃よ! 援護はしてあげるから!」
肝心なのは最初の一歩。フレイヤは檄を飛ばすと共に黄金の鎌をくるんと回し、ジンクェンに蒼く煌く風の障壁を纏わせた。
「いい? ちゃんと前見て戦うのよー」
「はいぃ!」
早くも泣きそうになりながらジンクェンがライトゴーレムの前に立ちはだかった。これまで皆に教えられた事を思い返し、繰り出すのは戦闘前に教えられた素早いパンチ。
ジンクェンは目を閉じなかった。その拳は――ライトゴーレムに見事命中し、彼の手の炎がライトゴーレムに延焼する。
当たった。
それは偏に、撃退士が彼を教え励ましてきた成果である。
だがライトゴーレムが反撃に出た。頭部の口と思しき位置より光弾を発射する。それはジンクェンへ――は届かず、間に入ったメリーが盾で受け止め掻き消した。
「ナイスパンチなのですよ! その調子なのです!」
「援護は私達にお任せ下さい。安心して戦って下さいね」
シャロンがナパイアの紋章より牽制攻撃を行いつつジンクェンへ微笑みかけた。あの調子ならば心配ないだろう。
(本来の実力を鑑みれば、ジンクェンさんを私達が心配するのはあべこべですよね)
故に、あくまでもジンクェンの立場が悪くならないように補助を中心に立ち回るつもりだ。
それはシュルヴィアも同様、かなり肩入れしているものの積極介入せぬスパルタ姿勢だ。不測の事態に備えて一歩離れた場所から状況を見守っている。
(……隕石や愛で空が落ちるとは思ってないけど……ま、一応ね)
――視線の先。
「今よジン君、おもっきりぶん殴りなさい!」
フレイヤが召喚した異界の呼び手がライトゴーレムを掴み封じる。
「いい? 真っ直ぐ、真っ直ぐよ!」
仲間を信じて。そんな意味も込めて、フレイヤは声を張る。
「はいっ……!」
ジンクェンが大きく拳を振り被った。
燃え盛る鉄拳。全力かつ剛速のそれがサーバントを貫通し、跡形も無く焼き尽くす。
「わあっ、凄いのです!」
豪快な一撃にメリーが拍手をした。
「いえいえっ、メリー様がこいつの気を引いたりフレイヤ様が手伝って下さったおかげですよ……!」
ジンクェンの言う通り、状況は撃退士の協力によりかなりスムーズに動いていた。彼も怖がったり失敗したりしていない。その為だろうか、悪魔は徐々に戦いの雰囲気に慣れてきているようであった。
なによりだとメリーは安堵する。彼が戦闘に慣れる事が大事だと思っていたからだ。
「さ、あと一体だよ。その調子で頑張って」
もう一体のライトゴーレムを足止めしていたカミーユがジンクェンへ振り返った。
と、その時だ。
カミーユがライトゴーレムから目を離したほんの僅かな隙、彼へサーバントが拳を振り上げて――
「ッ!」
刹那の出来事だった。
電光石火の勢いでライトゴーレムへ襲い掛かったジンクェンが、そのままの速度でサーバントを引っ掴み地面に叩きつける。廃工場全体がビリビリ震えるほどの鬼の咆哮。容赦なく千切られ殴られ握り潰され燃やされて、文字通り木っ端微塵になるサーバント。
「カミーユ様ご無事ですかーーー!!!」
多分サーバントが血の出るタイプなら返り血まみれ。そんなジンクェンが慌てふためいた様子でカミーユの体を火を消した両手で抱き上げあっちこっち眺めている。
「うん、平気、大丈夫大丈夫」
カミーユは内心で酷く驚いていた。というのも、普通に戦うよりは『誰かの為』という目的をジンクェンに提示しようと思い、わざと攻撃を受ける事で彼に『仲間を守る為に戦わなくては』と思わせようと目論んでいたからだ。
(まさかここまでとは……)
バラバラのライトゴーレムをちらと見やる。ジンクェンはカミーユを護ろうと無我夢中だったのだろう。優しさ故に『護りたい』と願った時の爆発力は凄まじいもので。
下ろされたカミーユはジンクェンへ向いた。
「護ってくれたんだね、ありがとう。ご主人様はジンの優しさを気に入っているんだろうし、今みたいな『守るために戦える』ってのを大切にして欲しいな」
幾ら強くとはいえ、殺しても何も感じない殺人鬼になるのは駄目だろうから。「分かりました!」とカミーユの無事を知り安堵したジンクェンが大きく頷いた。
「あと、ひとりで戦うのではなくて、仲間と連携して助け合うってのは……どうだった?」
「ええと、なんだか、何もかもが新鮮でした。戦いって協力し合えばこんなにサクサク進むんだなぁって」
「人間が天魔と戦えているのも、連携があってこそだし、冥界に帰ったら、信頼できる仲間を増やせるといいね」
「はい! ありがとうございます」
自信がついてきたような気がします、とジンクェン。
「いやはや、お見事でした」
そこへクリオンが拍手を送った。ジンクェンの攻撃に合わせて援護しようかと思っていたが、存外に早く――というか一瞬で――決着がついてしまった。この戦いも糧になったようだしなによりだ。
「よーし! 任務完了ね。さっ、早く帰って戦果を報告しましょ」
と、フレイヤは意気揚々と踵を返した。
……波乱の幕開けは、次の瞬間。
●緊急事態
まずドンガラガッシャンと撃退士の耳に届いたのは、廃工場の屋根の一部が勢い良く崩れ落ちる音。
「!!?」
誰も彼もが驚きと共に音の方向へ振り返った。
濛々と土煙。
そこから現れたのは――
「うっふっふっふっふ! 見つけた見つけた見ィつけたぁあ〜〜〜っ!!」
巨大な悪魔犬に乗った、奇抜な出で立ちのボンテージメイド。口角を思い切り吊り上げるその笑みはなんとも悪意的で、どうみても友好的ではなかった。
「えっ何……情報にない、……敵?」
身構えるカミーユ。
タマモとシュルヴィアはジンクェンへそっと振り返った。
「ねぇ、ジンクェン。あいつら……」
「……知り合い?」
当のジンクェンはというと、首を傾げて。
「え? いや、存じません」
「じゃあどうして『見つけた』なんて……」
シュルヴィアはさり気なくジンクェンを守る様に彼の前に立ちつつ、油断無く来訪者を見澄ました。
「これはこれは……よもや本当に空から降ってくるとは」
一歩前へ、あくまでも丁寧な口調のままクリオンは用心深く謎の女を見上げた。
「メイドのようですが……どちらの方に仕えているメイドですかな? 誰の命で何の為に参られた?」
「アンタ天使っすね? フフン……馬鹿正直に教えるなんて馬鹿のすることですよぅ。でもアタイは優しいから、お馬鹿なアンタらに優し〜く教えてア・ゲ・ル。
――アタイは旅団長悪魔グラストン・フォールロウ殿にお仕えする敏腕デビルメイド、ヒャルハー・ティーガー。そこな騎士級悪魔のお首、アタイが貰い受ける!」
高笑いと共に悪魔女――ヒャルハーが放つ黒炎の矢、デーモンドッグが吐き出す激しい稲妻。それは真っ直ぐジンクェンを狙っていた!
「させないのです!」
しかし寸での所、メリーの庇護の翼が彼を護る。
この瞬間、その場の全員が『ヒャルハーはジンクェンを殺しに来た敵』と判断した。
「でも、どうして……?」
「天使じゃなくて悪魔……もしかして、ジンクェンさんがはぐれになったとでも思われたとか、ですかね……?」
訝しむカミーユの声にシャロンが小声で予想を述べた。
「なんにしても。理由を聞き出したいし、無用な殺しはジンも望まないだろうし……捕獲したいところだね」
「ですね。逃がすと少々、厄介な事になりそうです」
厄介そうだ。厄介。そうだ。その通りだ。
(拙い、拙いわね拙いわよこれ……どうする?)
決まってるわ、とシュルヴィアは光纏する。逃がす訳にはいかない。深い紅に染まった瞳をジンクェンへ向けた。
彼の居場所だけは、何としても――!
「ジン! 私を投げなさい! 早く!」
「えっ、ちょっ、えええ!?」
「うろたえてる暇はないの! いいからさっさとする!」
「はっ、はいぃ!」
言うなり手の火を消したジンクェンがシュルヴィアの小さな体を持ち上げた。大きく振り被る。
「分かってるわね! ノーコンしたら承知しないわよ!」
「わっ 分かりましたァ!」
言下の、投擲。
「――〜〜っ……!」
ごう、と耳の横で風が通り抜けていく音。
シュルヴィアの色素の無い髪が乱雑に翻る。
(飛ぶってこんな感じなのね……)
命綱もパラシュートも、ましてや翼もエンジンもなし。
なんともギャンブル的なフライトだ。
『飛んだ』シュルヴィアの視界には、驚きに目を丸くしたヒャルハーが映っていた。その姿はみるみる内に大きくなってゆく。
「しょッ、正気ッスかぁあああ!!?」
「ええ――『狂気的』でしょ?」
我ながらそう思うと笑んでみせたシュルヴィアの袖から、裾から、髪の影から、ズルリと現れる数多の黒い手。それは雁字搦めにヒャルハーとデーモンドッグを掴み封じた。
「捕まえたわよ」
辛うじてデーモンドッグの背に降り立ったシュルヴィアが、動けぬヒャルハーを羽交い絞める。悪魔の耳元で囁くのは、冷たくも挑発的な声だった。
「……死んでも放さない。試しに殺してみる? その間に、仲間があんたを捕まえるわよ」
「くっ……ざっけんなよコラーーー!」
張り上げられた声。
動けぬデーモンドッグが滅茶苦茶に雷を吐く。
後ずさるジンクェンはひたすら狼狽していた。
「ええと、あの、あの、オイラッ……」
「あれは敵なのです! ジンさんとマルガレヂアさんの!」
ジンクェンの前、護る為背を向けて立つメリーが雷鳴に負けぬほどの声で言った。
「怖がらないでいいのです。安心して下さいなのです。ジンさんはメリーが命に替えても護ってみせるのです! メリーの盾はそう簡単には破れないのです!」
「ジン君は下がってて。アイツは貴方を狙ってるみたいだから危ないわ」
更にフレイヤがジンクェンの前に立った。「貴方に何かあったら、貴方のご主人様が悲しむでしょう?」と笑んでみせる。
「でも」
奥歯を噛み締めたジンクェンが、下がろうとする足を止めた。
「護られてばっかりは、もう嫌なんです!」
「そう――」
ならば。フレイヤはジンクェンの背をバムと叩いた。
「一緒に頑張るとしましょ!」
「はい!」
地面を蹴る。
アウルによって脚力を超上昇させた飛鳥は、まるで地面を縮めたかの如くデーモンドッグの背後を取った。
(絶対に逃がさない)
ジンクェンがはぐれになったと冥界に流されると、彼が帰れなくなる可能性がある。
飛鳥の中では、ジンクェンは既に友人であり、助けたい相手となっていた。
故に、彼女は烈火の如き意志をその胸に。
「はァッ!」
自らの光纏と似た金焔の光を放つ刃を一閃、デーモンドッグを灼熱を以て斬りつける。
「やんちゃな犬にはしつけが必要ですな」
最前衛の飛鳥とは対照的に、後衛。水泡の如き碧光を纏ったクリオンは眇めた眼差しで敵性悪魔を見澄ました。
「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ――その足、止めねばなりますまい」
向けた拳銃。引き金を引けば、銃口から発射されたのは蛇の幻影。鋭い唸り声を上げたそれはデーモンドッグへ喰らい付き、その体内に恐るべき毒を流し込む。
刀と銃による挟撃にデーモンドッグがギャッと悲鳴を上げた。
その隙を突き、悪魔来訪の際にできた瓦礫を足場にカミーユが宙へ跳び上がった。軽やかな身のこなしはさながら胡蝶。そのまま宙返りした彼は、痛烈にして鮮烈な踵落としをデーモンドッグの眉間に叩き込んだ。
そのあまりの鮮やかさに目を奪われたデーモンドッグがカミーユへ牙を剥く。拘束を引き千切りながら飛び掛らんとしたが、その刹那前に悪魔犬の横面を殴り、再び体を縛り上げたのはシャロンが放ったアイビーウィップ。
「支援はお任せ下さい!」
「ありがとっ! よし、ガンガン攻めるわよ!」
覚悟なさい、と翼を広げ上空から狙いを定めたのはタマモだ。
「悪魔ってマナーがなっていないわね。ちゃんと出入口から入ってきなさい、よっ!」
そう言ったタマモの背後に九尾妖狐の幻影が浮かんだ。向ける掌からは煙状の輪が放たれる。石化の呪いが込められた白いリングがデーモンドッグを石に変えた。
状況は一方的と呼んで差し支えがなかった。
デーモンドッグは撃退士による間断なき拘束――フレイヤの異界の呼び手、シュルヴィアのダークハンド、カミーユの忍法「胡蝶」、タマモの毒気、シャロンのアイビーウィップによってその機動力を生かせぬまま、怒涛の攻撃を浴びて追い込まれている。
一方のヒャルハーは……
「ぬがー! 離しやがれっつぅの!」
徹底的に束縛を行使し邪魔をしてくるシュルヴィアに対し怒りを露に、闇の腕に握られ重い腕で彼女の横面に拳を叩きつけた。
小さく呻いたシュルヴィアであるが、彼女はヒャルハーを邪魔する手をこれっぽっちも緩めない。ペッと血唾を吐き捨てた。
「離さないって言ったじゃない。もう忘れたのかしら?」
「むぎぃ! バカにしやがってこのアマァ!」
歯列を剥くヒャルハーはジンクェンを狙う事も忘れ、シュルヴィアを何とかしてやろうと躍起になっていた。
その間にも撃退士は隙無くデーモンドッグを追い詰めていた。
吐き出された轟雷。しかしそれは再度、メリーが展開する群青の聖骸布Veronicaに阻まれた。散る電撃は青白い電光の花となり、咲き乱れ、散り消える。
「メリーは負けないのです、絶対に……!」
ジンクェンの為にも、ここで逃げられるのは良くないだろう。故に戦い、キッチリ倒す。
少女が踏みしめた二本の足はどんな猛攻にも微動だにしない。凛然と前を見据えるのは澄んだ眼差し。彼女の決意は揺らがない。
メリーは仲間を信じている。だからこそ、護りに徹する事ができる。
「う、うらぁーーーっ」
彼女の傍にはジンクェンがいた。彼は火纏の拳を構え、既に攻撃姿勢だった。
「ガードをあげて! ジャブよ、ジャブ!」
宙を飛ぶタマモが通り過ぎ様に悪魔へ耳打ちを。はいっ、と答えた悪魔が鋭く殴打を繰り出した。それは束縛されていたデーモンドッグを見事に打ち抜き、殴り倒す。
悲鳴を上げたデーモンドッグがポンと小さなサイズになった。そのままキャンキャン悲鳴をあげて逃げ出そうとするが、
「逃がしませんぞ」
銃声。
クリオンが放った弾丸が悪魔犬を貫き、永遠に沈黙させた。
「う、うぅううううド畜生ぉぉ……!」
デーモンドッグが居なくなった事で地面に落下したヒャルハーは狼狽した目で周囲を見渡していた。
360度――撃退士が、彼女を取り囲む。
「ちぃっ!」
ヒャルハーが舌打ちと共に地面に叩きつけるのは、煙幕弾。一面が真っ白く塗り潰された。
その隙に彼女はシュルヴィアを振り解き、全力で逃げようとした――が、突如として吹いた風。流され掻き消される煙幕。
そして、白が晴れたヒャルハーの目の前には。
「投降しなさい。そうすれば痛い事はしないわよ」
吹かせた春一番の残滓に赤い髪を揺らした飛鳥が、紅炎村正の切っ先をヒャルハーの喉元に突きつけていた。その刃の如き眼差しは決して冗談やハッタリを言うそれではない。
しかも、だ。ヒャルハーの真後ろではカミーユが大太刀をこれ見よがしに素振りしている。NOといえば薙ぎ払いで意識を断つ気満々であった。
「う、うぐぐぐぐぐぐ……」
それらを悟ったヒャルハーは涙目で両手を挙げ、撃退士に降参したのであった。
●一件落着……?
「シュルヴィア様ーー! シュルヴィア様ご無事ですかぁああぁあ」
ジンクェンは顔面を大洪水させながらシュルヴィアに駆け寄ってきた。彼女はヒャルハーに攻撃され続け、傷だらけである。
「ええ、無事よ。五体満足だし意識もハッキリしてるわ」
ボダボダ落ちてくる涙やらを日傘でガードしつつ、「ゲリラ豪雨ね」と呟いたシュルヴィアは息を吐いた。
「皆様、ご無事で何よりです」
苦笑したクリオンがシュルヴィアに治癒膏を使う。ようやっと、一段落だ。
さて。
「ちょっとでも妙な素振りを見せたら容赦しないからね」
武器を奪い両手を上げさせ膝を突かせたヒャルハーに、飛鳥は油断無く刃を突きつけたまま言い放った。
「分かってますよ分かってますよぅ……じ、じっとしてれば殺さないんですよね?」
ヒャルハーは先程までの威勢はどこへやら、ビクビクとした様子で撃退士の様子を窺っている。
「聞きたい事が幾つかあります」
その正面、シャロンが丁寧な物言いでヒャルハーへ問うた。
「ジンクェンさんを狙っているようでしたが、それは何故ですか?」
「命令されただけです! アタイは命令されただけのか弱い下っ端なんですぅ!」
「旅団長悪魔グラストン・フォールロウ……とか言ってたよね。そいつがジン君をやっつけたいって事?」
言葉を繋げたのはフレイヤだ。『シュルヴィアショック』で泣いているジンクェンの背中をさすさすモフモフもふもふもふもふもふもふもふもふもふもふしながら問いかける。
「アタイは命令に従っただけですっっ」
が、ヒャルハーはその一点張りだ。
しかしここで「あ」と声を発したのはジンクェン。
「グラストン・フォールロウ…… え、グラストン様ですか!?」
「知ってる人なの?」
カミーユの言葉に悪魔が「はい」と頷く。
「ええと……オイラは直接お会いした事はないんですが、あの、その、マルガレヂア様が『あいつは鬱陶しい』と……」
「鬱陶しい?」
ちょっと噴き出しかけたのを堪え、タマモがジンクェンの言葉を促した。
「はい。なにかとマルガレヂア様に会おうとされていたり、手紙をたくさん送られたり……。山ほどの手紙を燃やすのはいつもオイラの仕事です、はい」
「成程……」
シャロンが頷いた。
「なんだか、思った以上に……ややこしそうな案件ですね」
「うん、そうかも……ねぇ」
「なんともはや」
顔を見合わせたシャロンとタマモとクリオンは何とも言えぬ表情で頷き合った。
そんな三人を、そして皆をキョロキョロ見渡すメリーは首を傾げる。
「え? え? つまりどういうことなのです!?」
「そうですよ、どういうことなのです?」
ジンクェンも不思議そうだ。
カミーユは二人に「そうだねぇ……」と一つ、間を空けると。
「……男の嫉妬は醜いねぇ、ってことだよ」
と、苦笑しながら肩を竦めてみせた。
「取り敢えず」
ふぅ、と息を吐いた飛鳥が。
「ヒャルハー。貴方は学園に連行するわ。抵抗さえしなければ痛い目には遭わせないから、良く考えて行動する事ね」
「うぇーい……」
●帰還後
結果報告を受けた棄棄は「まさかそんな事になったなんて」と驚きつつも、不測の事態を未然に防げなかった事を一同に詫びた。その責任として、ヒャルハーは棄棄が直々にじっくりと『話し合い』をしてくれるそうである。
色々な事情が明らかになるのも近いだろう。
一体この先、どうなることやら……。
『了』