●目の付け所がとてもシャープ
「実に妙なディアボロだな」
遠巻きに見えるディアボロ――まだ『見つかって』いないようだ――にゼム・クロスオーバー(
jc1027)は呟く。
「観客など畑に並ぶダイコンと思えば良い、と言うが……」
その視線には奇怪な効果があるらしい。読心もするのだろうか? けれどやましい事を考えない限り関係ない、筈。心の中で断言しつつ、彼は不都合そうにディアボロから目を背けた。
「見られる、駄目……。……ご自分……ご覧なる、どう……ぞ?」
「ジロジロ見られるのは好きではないの。……悪いけど消えてもらう」
そう言ったMaris N IfLaelia(
jb3343)と小埜原鈴音(
jb6898)の姿は一見して本人に見えなかった。二人は仮面を被り肌が一切露出しないよう包帯で隅々まで隠すという身形をしている。それらはしせんの視線を塞ぐ為。
その視界は360度。「私には相性が悪い敵ですね」と橋場 アイリス(
ja1078)は眉根を寄せる。彼女も包帯姿だが、これは視線を防ぐ為ではなく重体の身だからだ。情けない、と心の中で唇を噛む。
「お仕事ですからね、そうも言ってられませんが」
視線の先、顔のないしせんが振り返った様な気がした――けれど矢野 胡桃(
ja2617)は冷然と、古びた魔道書『toison d'or』の頁を開く。
「……人の型をしてようが、私の『恐怖』の対象にはなり得ない、わね。だって貴方は……人じゃあない、もの」
「その『視線』が何を意味するのか、それは僕には分からない。なんで君みたいな存在がいるのか、それも僕には分からない。――それでも、僕は拒絶する」
臨戦態勢。ジョシュア・レオハルト(
jb5747)も穏やかな白炎の光纏を発動し、阻霊符を展開した。マフラーの奥で口元を引き締める。
「君を倒したいからではなく、皆を護り、癒やしたいから」
――戦闘が始まる。
前衛の撃退士が一斉に駆け出した。
鈴音はフローティングシールドβ1を展開して身を隠しつつ前進する。同時に懐から取り出したのは音の鳴る子供用玩具だった。スイッチを押せば戦場にはあまりにも似つかわしくない電子音が流れ出すそれを、投擲。しせんの足元に転がる魔法少女に変身できるプラスチックのコンパクト。
「皆、あの音を目印に」
作戦通り。ループする電子音。鈴音が盾に攻撃指令を下せば、翠玉の光を宿した楕円盾がしせんへと襲い掛かった。
音が頼り故に精度はどうしても目視よりは落ちる、けれどしせんの『その場から動かない』という事が幸いし、命中の感触が伝わってきた。
(なりふり構ってられないってこういうことを言うのね)
そう心の中で呟いた鈴音の隣からはジャバウォックスピアを構えたマリスが飛び出した。
「見られた、死んじゃう……皆……いっぱい……困る……」
爪にして牙、三叉の暴力が黒い瘴気の軌跡を描きつつしせんの白に突き立てられた。同時に後方から弾丸が一直線にディアボロを襲撃する。
「とりあえず先手必勝ですね」
後衛、伏射姿勢のアイリスはアサルトライフルWD3のスコープ越しに戦場を見る。その左頬には悪魔殺しの赤い紋、退魔【虚数】<ブラッディエクソシズム>が禍々しく浮かび上がっていた。そしてその目は心眼・咎、生来の荒々しき血への渇望は残酷なまでに残虐である。
「どうかご無理はなさらずに」
そんなアイリスに『危機を拒絶する』聖なる白炎の刻印を施したジョシュアは気遣いの声をかけると、先に出た前衛達とは一歩遅れて前線へと走り出した。
「……なんというか。嫌、な気分になる、とは聞いたけれど……」
気味の悪い外見だ、と後衛の胡桃は心の中で続けた。なんにしても1秒でも早く斃すに限ると、意識を集中させ詠唱する。
「全たる知識をこの身に。執行形態顕現。選剣:パイモン」
剣の冠が少女の頭上に浮かんだ。執行選剣顕現【9】、あらゆる知識を与えるというパイモンの『剣』を展開し、攻勢に備える。
ゼムもピアノの鍵盤型魔法武器を光纏と共に展開。見られない事に拘り過ぎて攻撃に支障が出ては本末転倒、我彼の状況把握も必要。然らば、
「ここは敢えて正攻法で挑ませてもらう。いくぜ、ロックンロール!!」
思いっ切りのフォルテッシモ。激しいビートがしせんを打つ。
と、その時だった。
「――!」
その場にいた者は悉く悪寒を感じた。
心が粟立つ様な感覚。全てを隈なく凝視されている様な不快感。
しせんが撃退士を『見た』のだ。その視線はあらゆる災厄を齎す邪毒。それは鈴音とマリスの『防護服』をも貫通する。衣服の類ではその視線は防げない様だ。
多くの撃退士の動きが鈍った、或いは固まった。
しかし、である。
その中に例外がただ一人。
「よーし、鳳凰! やっちゃって!!」
仲間をしせんの目から護る『壁』となっていたジョシュアの影から声を張り上げたのは草薙 タマモ(
jb4234)。彼女が召喚した鳳凰が甲高い声で鳴いた。その羽ばたきは聖炎の護り、これで霊鳥と召喚主はしせんの視線に囚われない。
タマモは聖炎の護りを絶対に発動する為に、目立たぬよう隠れていたのだ。斯くして彼女の作戦は成功する。
「一歩でも……前へ……!」
この身で仲間を護る為に。ジョシュアは奥歯を噛み締める。身体は重く、視界は淀む。それでも彼は敵の眼前へ。3mほどもあるそのディアボロの視点は恐らく高いだろう、目の前へ行く事で視界を大きく阻害する事は出来ないが、それでも死角は必ず出来る。それでいい。
「君の目を、拒絶する……!」
愛用の蒼いマフラーをしゅるりと解き、白炎のアウルを流し込めばそれは鞭の様にしなり、蛇の様に襲い掛かった。
一方の胡桃も身体の痺れに顔を顰めていた。けれど麻痺ならば魔法攻撃に支障はない。
「さぁ……それじゃあ、始めましょう」
死の女神。汝、我が前に跪け。魔力を練り上げる少女に周囲に灰銀の矢が列を成す。
「人型しているなら……まずは、その足を止める、わ」
胡桃がしせんへ掌を向けた。並んだ矢の切っ先が前方を向くや一斉に敵の脚部へと突き刺さる。
更に同じ場所へ、マリスが鵺の牙槍を突き立てる。逃げるかもしれない、急に走るかもしれない、ならば可能性を潰すのみ。
「逃げる、駄目……。指切り、げんまん……。……指……何処……?」
こほこほ、と毒に咳き込みながらマリスは槍を突き立てたまま徐に手鏡を取りだした。
「こっちを……見ろ、です……なの……だー」
そう言って鏡を突き付けた瞬間である。
ぎぃいいぃいいいいいいいいい。
脳に響く凄まじい絶叫。
「う、くっ……?」
マリスが構えた鏡がパンと割れた。同時に彼女は脳を握り潰された様な感覚と共に目と鼻と口と耳から大量の血を吹き出すと、崩れる様に倒れてしまう。
だがそれまで平然としていた人型異形も、頭を抱えて蹲っているではないか!
「マリスさん!」
アイリスは思わず義妹の名を呼んだが、この絶好の機会を逃す訳にはいかない。ジョシュアが施した刻印の力も借りてなんとか幻惑を振り解いては再度引き金を引いた。
「隙だらけ……!」
「図体もデカイし、狙い放題ってもんだな!」
鈴音もエメラルドスラッシュで間髪なく攻撃を叩き込み、それに合わせたゼムの演奏が攻勢の多重奏となりしせんを叩く。
「ちっ。見ているだけでムカつく奴だな」
「そうね。寒いしとっととやっつけて帰りましょ!」
応えたのはタマモだ。その掌の中にはアウルによって作り出された煙の輪が、その背には九尾狐のオーラが浮かび上がっていた。
「私の必殺の術! 受けてみろっ!!」
毒気。淀み蝕む石毒の煙がしせんを襲った。石化を邪眼が返す、しかしタマモを護る聖なる炎がそれを焼く。
「いいわ。その気持ち悪い身体、絶対に固めてやるんだから」
再度気を練り始めたタマモの言葉の先、しせんが緩やかに起き上がった。再びその『目』が全方位を襲う。
最中、ジョシュアはその身でマリスの壁となりながら彼女の安否を確認した。ダメージと共に一時的に意識を失っていただけらしい、一先ずの無事に安堵すると苦しげに震えている彼女に手を翳した。
彼は拒絶者。拒絶者として敵の存在を拒絶し、味方の死を拒絶する。それが無理でも、夢物語でも、その行為が自らの『死神』となり、己が命を拒絶しかねない事であっても。
「僕は、こんな生き方しか出来ないから」
傷と痛みを拒絶する穏やかな光がジョシュアの手に灯った。
直後にマリスがぱっと身を起こす。伸びを一つ。
「どうも……ありがと、だわ、です……」
口元の血を拭いながらマリスは立ち上がった。まだ戦える。走り出す。飛び掛る。7人の中で最も強い天の力を持つ一撃を、痛烈にしせんへ突き立てる。
マリスの行為によって判明した事。
しせんは鏡を見せ付けられると一時的に行動不能になる。だが鏡はすぐに割れ、鏡を見せた者は強力なカウンターを食らう事になる。
正に諸刃の剣。ゼムは隠し持つ手鏡の存在を感じながらそう思った。使いどころが重要だ、攻勢を緩めず悪態を一つ。
「表情が見えないから、効いているのかも判らねぇっ」
そんな攻撃達を見つめ返すのは心を蝕む眼差しの毒。
脳の中でハンマーが暴れ回る様な感覚。胡桃は小さく呻きながらも踏み止まる。しせんの目が齎す災厄は、その身に刻んだ聖なる刻印で精一杯の抵抗を。
「付け焼刃に近いけれど、ないよりはまし、かしら、ね!」
かつて苦手だった魔法の力を矢に変える。人の視線でなければ「大丈夫」――口癖を心の中で繰り返す。『短くなった髪<成長の証>』が冬風に小さく靡いた。
「幾ら惑わせようと、今の私の敵は貴方、だけ」
そして敵を薙ぎ屠るのが剣の役目。灰銀の魔矢が、悠然と立つ少女の揺るがぬ眼差しが、しせんを貫く。
数多の状態異常に苦しめられながらも、戦況は撃退士の優勢だった。幻惑による同士討ちの被害も対策をしていた者が多数だった為、最低限に抑えられている。またジョシュアが手近な者に聖なる刻印を施した事も要因の一つである。彼の回復支援のお陰で重傷の者はいない。
一方でどういう構造をしているのか、脚を攻撃してもしせんが転倒する事はなかった。頭部に布を被せる作戦も「目と呼ぶべき器官があるのか不明」という事前情報の通り残念ながら効果は無いらしい。
死線は精神に激しいショックを与えてくる。頭痛に吐き気、息が上手く出来ない感覚にゼムは歯を食い縛った。指が震えて鍵盤を押せない。しかし猪<猪突猛進>よりも獅子<獅子奮迅>の精神を持つゼムは気合で前を向いた。
(トマウマを引き出す能力じゃなくてよかった! 美人のお姉さん方に囲まれなくてよかった!)
何事もポジティブ思考だ。戦闘時間経過と共に誰も彼も疲弊している。クライマックスだ。一気に決めたい。
その為には――
「たまには『自分』をよく見てみろッ!!」
手鏡をシセンへ突き付ける。
絶叫、鏡の割れる音。
ジョシュアが意識を途切れさせたゼムを抱きとめる中、蹲るしせん。
「自分が『見られる』気分は、どう……?」
その眼前、ジョシュアとゼムを護るように立ちはだかるのは鈴音。幾多の視線を唇で噛み締め耐え続けた少女の口元は真っ赤な色に染まっていた。なのに平静なる目はいっそ、冷徹。
(見透かされるのは構わない。どうせ、あなた如きには理解できないだろうから)
両親の諦めた目。医師の哀れみの目。周囲からの嫌な気遣いの目。いつの日か見られる事すら無くなった。
そんな思い出、憎悪と自棄の記憶を込めて、痛烈なる盾の一撃。
「跪いているのがお似合い、よ」
立て続けに、胡桃が放つ矢の一撃。ぐらりとしせんの体が揺らいだ。けれど、それはまた立ち上がろうとする。
「させないよ!」
すかさず縛り上げたのはタマモが放つ毒気であった。今度こそしせんの身体を石に変える。
「良し――!」
ぐ、と拳を握り締めたタマモ。
そしてもう一人の天使、マリスがしせんの目の前で虚像と虚無の槍を振り上げていた。
マリスは思い出す。昔の記憶。定まった姿を持たず、様々に姿を変え、様々に呼称された記憶。なんでもない、なんにもなれない、なんにでもなれるのに。
自我があるのに個を持たぬ故の、
苦悩。不安。悲しみ。絶望。寂しさ。恐ろしさ。
詠われること無く葬られた童歌。
その全てを、見透かすが良い。
「『深淵を覗くならば、深淵もまた等しくお前を見返すのだ』」
いつかどこかの言語でマリスは告げた。その一閃はジャブジャブ鳥を喰い千切り、バンダースナッチを斬り刻む。
その光景を、赤霧の刃翼Se pare de sabieを広げたアイリスは上空から眺めていた。
「負傷してても逃げるわけにはいかない……なんて英雄みたいなことはいいませんけどね……。逃げられない場面というものはあるんですよ。義姉として」
ニヤリ、目が合った義妹へ微笑んで。
翼を解除する。
重力がアイリスを引っ張る。
その手には白雪の大剣が握られていた。
靡く銀髪。空から落ちるその輝きは、まるで白銀の月が落ちるよう。
赤いオーラと黒い影が、白い剣と白い腕に纏わり付いた。Lumina Lunii、月光の名を冠した一撃は、アイリスの全ての力を込めた一撃。
「I deserted the ideal!」
理想の棄却。重力と共に叩きつけられた『絶望』の剣は、ディアボロを無慈悲に両断する――。
●みてる
「なんですかね。見られたら恥ずかしくて死んでしまう、を殺してしまうにしたようなディアボロだったんでしょうかね」
アイリスは動かなくなったしせんを剣の先で突っついていた。
と、そこへ、ドスリ。しせんにシャインセイバーを突き立てたのは鈴音。
「見ただけで理解したつもりになるなんて傲慢で不愉快だわ」
言いながら何度でも何度でも、少女はディアボロが原形を留めなくなるまで剣を振り下ろしていた。
一方ジョシュアは救急箱を手に、味方の治療であっちへこっちへまだまだ随分忙しそうだ。嫌がられようが治す気満々。
対照的に胡桃とタマモは一段落、前者は伸びをし、後者は鳳凰の咽を撫でて労っている。
ジョシュアによって回復したゼムはというと、住民を安心させる為に彼等へ任務完了の旨を伝えに行っていた。
本当? 不安げに問うてきた子供に少年は笑う。怖い夢を見る事なく眠れるように、タヌキの腹話術人形らっ君を介してこう言った。
『良かった。オバケが居なくなったから、もう怖くない。オイラも安心して眠れるよ♪』
返って来たのは笑顔と感謝と。ちょっと照れたゼムは、照れ隠しにやはり笑うのであった。
さて。
一息吐いたアイリスはマリスをもふもふ、もたれかかる。
「はむぁ、お疲れ様でしたなのですよ〜……。義姉さんはもうくたくたですー……。一緒に帰りましょうです」
「はい……一緒、るんるん……お帰る、します……っ」
一緒にもふもふ、引っ付いていれば冬だってあったかい。
『了』