その日。小筆ノヴェラの求めに応じて、5人の学生が集まった。
場所は空き教室。人数分の机が円状に並べられて、それぞれ席に着いている。
「……で、なんなんスか、これは」
集まった顔ぶれを眺めて、名古屋丈はノヴェラに訊ねた。
「きみの再起を願ってるのは学園側だけじゃないってことさ。まずはみんなの話を聞いてほしい」
「ったく、よけいなお世話なんスけどね」
丈は面倒くさそうに横を向いた。
「ではまず、俺の話を聞いてくれますか」
口火を切ったのは、雪ノ下・正太郎(
ja0343)
今回、彼は要請に応じて真っ先に名乗りを上げた。
個人的な事情で、アウル覚醒者の問題を無視できないのだ。
「はじめまして。俺は雪ノ下といいます。高3ですが、撃退士としてはそれなりに経験を積んできました」
「……で?」
「小筆先生から聞きました。どうしても撃退士になりたくないそうですね。理由はあえて聞きませんが……いま世界では毎日何千何万もの人が天魔の犠牲になっていることは御存知ですか?」
「知らねーよ。俺には関係ねー」
「関係はあります。名古屋さんは今まで天魔の被害に遭わずに来たのかもしれませんが、日本は特に天魔の出現率が高いんです。京都や群馬、四国、東北……日本中あちこちで天魔との戦いが繰り広げられてきました。名古屋さんの周囲の方々にも、いつ被害が及ぶかわかりません」
「俺には友達も家族もいねーよ」
「でもボクシング関係の知りあいは大勢いますよね? ファンだっているはずです。そういう人たちを天魔の脅威から守るためにも、撃退士になることを考えてみてください。握った拳は、あなたのまわりの人たちや誰かの幸せを守るために振るってみませんか?」
「俺は正義の味方になりたいワケじゃねーんだよ。誰が死のうと知ったことか」
このあたりの思想は、正義のヒーローリュウセイガーである正太郎と大きな断絶があるようだ。
「いま話を聞いてて思ったが……我々は正義の味方などではないぞ」
ファーフナー(
jb7826)が話を継いだ。
その迫力ある風貌に、丈は思わず口調を変える。
「あんたも、ここの生徒なんスか?」
「ああ。おまえのために忠告するが、その腑抜けた考えを改めて今すぐ撃退士のライセンスをとれ。いじけてダダをこねていてもどうにもならんぞ。天魔から人類を守るなど、ご大層な動機は不要だ。おまえが殺した相手の遺族に謝罪するためでも、墓参りに行くためでもいい。遠回りにも思えるが、状況を動かすには撃退士になるのが近道だ。力を制御できなければ、また誰かを傷つけ殺してしまうかもしれないしな」
「だから刑務所にでも入れてくれりゃいいンすよ」
「そうやって現実から逃げるのか?」
「べつに逃げてるワケじゃねーんスけど」
「ほう……。ところでおまえには、なにか守りたい存在はいるか? いや答えなくていい。どうせ『いない』と答えるだろう。……だが今はいなくても、いつかできる」
「まぁいないっスけどね」
「では、ある男の話をしよう。その男もアウルの力で望まず人の命を奪ってしまった。そしてその事実から逃げ続けた。不幸に溺れ、殻に籠り続けるのは楽だ。男は若さを無駄にした。そして守りたい存在ができたとき、守ることができなかった。力と向き合い、踏み出すのが遅すぎたのさ」
「あんたの話っスか?」
「さぁな。いずれにせよ、人を殺したトラウマがすぐに消えるわけもない。たとえ不慮の事故であろうと、事実を受け入れられるまで相当な時間がかかる。……おまえがほしいのは『赦し』か? それとも『罰』か?」
「小難しい話は苦手なんスよ」
「そうか。いずれにせよ相手は死んでいる。もはや相手から罵られることもないが、赦されることも永劫にない。悪夢には出てくるかもしれないが、な。相手がいない以上、自己満足と言われようが、自身が納得のいく償いをするほかはない。……すなわち、どう生きるか、だ」
「だから小難しい話は嫌いなんスよ」
この説得も、丈の胸には届かなかったようだ。
「じゃあここで、もっと小難しい話をしよう」
そう言って、咲魔聡一(
jb9491)は微笑んだ。
手元には科学系の専門誌が数冊。
「はァ?」
丈は露骨にイヤそうな顔をした。
だが、気にせず聡一は話し始める。
「いいかい? 君は覚醒者になったことを嘆いているけれど、これは大変な奇跡なんだ。もしも将来アウルが発現する人間を見極められるようになれば、天魔との戦争が有利になる。そう思って人類は幾度も調査をおこなってきた。まずイギリスの大学が前世紀後半に……」
「なんの話をはじめる気だ?」
「小難しい話は苦手なんだよね? わかってる。君に知ってほしいのは研究の内容そのものじゃない。撃退士という職業が確立して何年たっても、アウルの発現を事前に察知するのは未だ至難……およそ不可能だ、ということだ。だからアウルの発現は時に奇跡であり、魔法であり……天災ともなりうる。それを止められなかったからって、誰も責める必要なんてないんだよ。わかったかな?」
「わからねーっつの。オレは頭が悪ィんだよ。だれがどう言おうと、オレが人を殺したのは事実だろ」
丈は態度を変えなかった。
そもそも理屈が通じる相手ではないのだ。
それでも諦めず、鳳静矢(
ja3856)は説得のバトンを引き継いだ。
「どうやら人を殺してしまったことに大きな責任を感じているようだが……君が逆の立場ならどうだ? 相手を恨むか?」
「実際なってみなけりゃわからねーよ」
「君の知る千葉という男はどうなんだ? そんなに器の小さい男だったのか?」
「………」
「今回はタイミング悪くアウルに目覚めたゆえに悲劇が起きたが、試合中に相手のパンチで死ぬことはプロのボクサーなら覚悟しているものと思うが? 君は違うのか?」
「オレはリングで死ぬなら上等だよ。でもそういう問題じゃねーだろ」
「ではどういう問題なんだ?」
「ンなことわからねーよ。でもなぁ……」
丈は苛立たしげに頭を掻きむしった。
彼にも自分の気持ちが把握できていないのだ。
「ああもう。大の男がいつまでもぐちぐちと。情けない」
そんな丈の姿を見て、あきれたように満月美華(
jb6831)が言った。
その豊満すぎる体格に、丈は眉をしかめる。
「あァ? なんだこのデブ」
「あなた、要するにボクサーのライセンスを取り上げられたのが悔しいんでしょう? でも言っとくけど、アウルに覚醒したからってボクシングやめなくてもいいのよ」
「なに言ってんだ、このデブ。オレは協会から除名されたんだよ」
「デブデブ言うけど……撃退士にはこんなこともできるのよ?」
そう言って光纏すると、美華は一瞬で丈の背後に回りこんだ。
プロボクサーであった丈でさえ、反応できないほどの速さ。
「けっ、動けるデブかよ」
「あなたも撃退士になれば、これぐらいできるようになるわ。それに……この学園でもボクシングはできるわよ」
「どうせガキの遊びだろ」
「それはどうかしら。ともかく、あなたに見てほしいものがあるわ」
美華が言うのと同時に、教室の扉が開かれた。
現れたのは、染井桜花(
ja4386)と長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)
「まだいたのか。オレひとりのために必死だな。笑えるぜ」
ぴくりとも笑わず、丈は吐き捨てるように言った。
それを見て、みずほが哀れみの目を投げかける。
「久遠ヶ原へようこそ、尾張のジョーさん。随分やさぐれてしまいましたのね」
「オレのこと知ってるのかよ」
「もちろんですわ。正直あまり好きなボクサーではありませんけれど」
「そうかよ。で、なにを見せたいってンだ?」
「美華さんの言ったとおり、久遠ヶ原でもボクシングができるということをお見せしますわ。拳闘部を紹介しますので、ついてきてくださいません?」
「いいぜ。どれだけくだらねぇ遊びか見てやるよ」
──数分後、彼らは拳闘部の部室にいた。
部屋の中央には真っ白なリング。
サンドバッグやミットなどのボクシング用具が、あちこちに置かれている。
「ほー、意外と立派なジムじゃねーか」
周囲を見回して、丈が言った。
「正式な試合もできますわ。せっかくですので実際ごらんに入れましょう」と、みずほ。
「おまえが試合やるのかよ」
「ええ。わたくしと、こちらの桜花さんとで試合をしますわ。丈さん、わたくしのセコンドについていただけません?」
「セコンドねぇ……まァいいけどよ」
「では始めましょう。桜花さん、リングへどうぞ」
「……その前に……ひとつ訊きたい」
桜花は真剣な眼差しで丈を見た。
「……あなたは……人を殺してしまった。……その力を、恐れている」
「あ?」
「……力を恐れるのは……正しい。……強い力は、人を容易に殺す……だからこそ、使いこなすための第一歩が……『恐れる』こと」
「また小難しい話かよ」
「……そして次の一歩は……『その恐怖を乗り越えること』……必要なのは……『強い意思』」
「べつに乗り越えたいと思ってねーし」
「……では、あなたに問う。……あなたは何がしたい? どうしたい?」
「べつに、なにも」
「……では、いまから……試合をする。……それを見て……なにか感じてほしい」
「どうせ時間の無駄だぜ」
丈は減らず口を叩くばかりだ。
そんな会話のすえ、ゴングが鳴らされた。
と同時に桜花は光纏。躊躇なく撃退士のスキルを使って、みずほに襲いかかる。
「……参る」
「受けて立ちますわ」
迎え撃つみずほは、あえて光纏しなかった。
その真意は彼女以外わからない。
だが何にせよ、『心技・獣心一体』で獣と化した桜花を止めるのは不可能だった。
容赦ない猛攻を浴びて、あっというまに血みどろになるみずほ。
そのまま、開始10秒でダウンしてしまう。
アウルを封印しているのだから当然だ。試合になるはずがない。
「なんだこりゃ。一方的じゃねーか」
丈の言うとおりだった。
試合は完全にワンサイドゲームで、みずほの拳はかすりもしない。
みずほは1ラウンドで10回もダウンした。次のラウンドまで続いたのが奇跡である。
「やはり厳しいですわね。丈さん、あなたならどう戦います?」
インターバルで、みずほは訊ねた。
「いやアウル使えよ。死ぬぞ?」
「心配は無用ですわ。本当に命の危機に陥った場合は否応なくアウルが働きますから」
「なにがしたいンだよ、おまえ」
「わたくしはストレートが得意なアウトボクサーで、千葉さんと同じタイプですわ。そんなわたくしにアドバイスを送ることが、なにかの罪滅ぼしになるのでは……と思いましたの」
「ワケわからねー。バカか、おまえ」
「あまり賢くはありませんわね。……さて第2ラウンドが始まりますわ」
「もうやめとけって」
丈が本気で心配そうな顔になった。
しかしゴングは鳴らされ、みずほは満身創痍のままコーナーを出てゆく。
「……再び、参る」
手加減することは無礼になるとばかりに、桜花は一抹の逡巡もなく殴りかかった。
上体を激しく左右に揺らしながら距離をつめ、体重を乗せたフックを連続でぶちこむ。通称デンプシー・ロールだ。
体を丸め、亀のように耐えるみずほ。
固いガードの上から、桜花は腕ごと叩き折るような勢いで殴りつける。
その攻撃が一瞬雑になったのを、みずほは見逃さなかった。
「ここですわ!」
瞬時に光纏し、Zoneを発動させるみずほ。
油断していた桜花の側頭部に、カウンターの左フックが命中した。
それでも止まらず、野獣のごとく攻撃を返す桜花。
その顔面へ、みずほの右ストレートが綺麗に入った。
ダウンした桜花はそのまま立ち上がれず、逆転のテンカウント。
「アウル使わないんじゃなかったのかよ、おい」
この結末には、さすがに丈も驚いたようだ。
「わたくし一度もそんなことは明言してませんわ」
しれっと言い放つみずほ。
だが次の瞬間、彼女もまた血を失いすぎて倒れてしまうのだった。
「いまの試合ちゃんと見てたかい?」
聡一が丈に話しかけた。
「一応な」
「知ってのとおり、彼女らはボクシングのライセンスを持ってるわけじゃない。覚醒者が一般人と拳を交えるのは不可能だし、覚醒者同士のボクシングにはライセンスなんて存在しないからね。でもこうしてボクシングはできる」
「そのとおり。ボクシングを諦める必要なんてないのよ」
聡一の言葉を、美華が後押しした。
「それはわかったよ。でもなァ……オレがやりてぇのはマトモなボクシングなんだよ! こんな無茶苦茶なもん、ボクシングじゃねえ!」
丈は大声を張り上げた。
そこへファーフナーが問いかける。
「おまえは真剣にボクシングを愛しているようだが……そうまでしてボクシングに全てを捧げていた理由を教えてくれないか? 名声がほしいのか? それとも闘争心を満たしたいのか? あるいは……」
「どれでもねーよ! オレには最初からボクシングしかなかったんだ!」
「そのボクシング歴を生かして、ここから新たな人生をやりなおそうと思いませんか?」
真摯な口調で正太郎が言った。
「何度も言わせンな。オレは撃退士なんぞなりたくねーんだよ!」
「しか、しあなたにも生活がありますよね? 千葉さんのご遺族をささえる気持ちもあるようですが……?」
「コンビニでバイトでもするわ!」
丈は完全に自暴自棄になっていた。
「ところで……さきほど君は『まともなボクシングがやりたい』と言ったな?」
確認するように静矢が訊いた。
「あぁ言ったぜ。それがどうした」
「ならば……君がその場所を作ればいい」
「なに?」
「前々から思っていたのだが、覚醒者同士でスポーツをするのなら何も問題ないはずだ。いずれ天魔の脅威が去るときが来れば、体力を持てあました撃退士たちにスポーツの需要は増えるだろう。そのときのために、覚醒者限定の階級やリーグの設置を公的機関に申請することは可能でしょうか……小筆教諭」
「ああ、申請するのは自由さ」
「であれば……名古屋選手がプロボクサーとして生きていきたいのなら、いっそ覚醒者限定の世界王座認定団体を立ち上げてしまえばいい」
「な、んだと……?」
その提案に、丈は衝撃を受けた。
あまりに大胆な発想。丈には思いつきもしなかったことだ。
「君が訴えかければ宣伝効果は抜群だ。決して夢物語ではないと思う。男なら、これぐらい大きなことをやってみたらどうだ?」
「そうか……それなら、オレはボクシングを続けられる……」
やさぐれきっていた丈の顔に、精気が戻ってきた。
その様子を見て、ノヴェラが言う。
「よし、今日はここまで。名古屋君も気力を取りもどしたようだ。あとは学園側で検討するよ。みんなおつかれさま」
こうして、ひとりの男が救われた。
このあと丈は歓迎会に招かれ、美華と桜花の絶品中華に思うさま舌鼓を打つのである。
いままで減量減量の人生だった彼は、そこで突如として美食に目覚めてしまい──激太りしてスーパーヘビー級になり果てるのだが、それはまた別の話。