●一日目
○
初日の朝の美術室にて。
「これより、制作に入ってもらう。飛び道具や遠距離系のスキルを使う者は、他の者や室内の備品に注意するように」
出欠を取り終えた巳上が撃退士達に注意を伝えると、教室の時計が9時を告げた。
○
開始と同時に、沙 月子(
ja1773)は一心不乱にキャンバスを黒く塗りつぶし始めた。
「うきうきるんるんぺたぺた」
程なくしてキャンバス一面を黒く染め上げると、沙は絵の具を作り始めた。
彼女の描く絵は極めてシンプルなものだ。シンプルだからこそ、一切の妥協は許されなかった。
(時間はたっぷりあります。納得行くまで、徹底的にやりますよ)
沙の瞳が、子猫めいた悪戯っ気のある光を放った。
酒守 夜ヱ香(
jb6073)は、両手に収まるサイズの細長い木材を手に取った。
「鑿……、彫刻刀……、道具がたくさんある……ね」
夜ヱ香は彫刻刀の切れ味を確かめ、気に入ったものを選ぶと、早速木を削り始める。
「綺麗なニジマスを彫りたい……な」
渓流の清水と釣り上げられるニジマス。それが夜ヱ香の題材であった。作品に込めるのは、かつて友達と渓流釣りを楽しんだ思い出である。夜ヱ香は鑿で木を彫り、素材の大まかなカットを終えると、磁力掌で彫刻刀を引き寄せ、胴体と組み合わせる鰭のパーツを彫り込んでいった。持ち込んだゼリー飲料を時折口に含みつつ、こつこつと……
ラナ・イーサ(
jb6320)が絵の題材にしたのは「秋」そのものである。人間の世界に来た頃のラナの心を捉えたのは、「季節」という概念だった。彼女は四季のひとつである秋の光景を、余すところなくキャンバスに落とし込もうと考えたのだ。
緩やかに衣を赤く緋く染めてゆく紅葉。冷たくなる風が一吹きする毎に黄色になる銀杏。橙の実を実らせる柿……鮮やかな暖色のコントラストを脳裏に思い描きながら、ラナはキャンバスに筆を走らせた。
「……狭い」
野襖 信男(
jb8776)は野太い声でぼそりと呟いた。自身の巨躯と持ち込んだ道具類が部屋を占拠し、身動きが取れないのである。
「……とりあえず、砕くか」
野襖はそう言うと、部屋に持ち込んだ漆喰を壊し始めた。砕かれた漆喰が塊から破片へ、破片から粉へ変わってゆく。
「こんなもんだな」
程なくして野襖は漆喰の粉末を一か所に集めると、漆喰と一緒に持ち込んだスクールシールドと向き合うように座った。盾をキャンバスに、漆喰を絵画にして描く。それが野襖の作品だった。彼は皆を守る盾と壁の象徴として、このふたつの素材を選んだのだ。
部屋に閉じこもり、制作に没頭する野襖。中からは時折、激しい破壊音が響いた。
只野黒子(
ja0049)のテーマは自分の過去と今だった。過去の自分と今の自分。それを絵画で表現したいと思ったのだ。絵を描くのも久しぶりなせいか、イメージをキャンバスに落とし込む作業が中々うまく行かない。しかし黒子は落胆する風もなく、顔に笑みを浮かべた。
「のんびり、いきましょう」
じっくりと時間をかけて、自分の内に秘めたものを絞り出す。創作という行為においては、悩み苦しむ過程も楽しみのひとつなのだ。
窓際のスペースでは、雪室 チルル(
ja0220)が彫刻の作成に励んでいた。
彼女が題材に選んだのは、雪の結晶である。チルルは白い石材に結晶の形を下書きすると、背後の窓を開け放ち、両手突剣を手にした。
「芸術は爆発って偉い人が言ってた!」
剣先から氷砲を放ち、石材を削ってゆくチルル。氷砲と氷剣のアウルを吸い込んだ彫刻は、傍に立つだけで冷気が伝わってきた。
「次は細部ね!」
チルルはナイフを手に取ると、彫りの仕上げに取り組み始めた。素早く、それでいて無駄のない動きであっという間に細部を仕上げると、
「最後の仕上げね! 括目してよ!」
チルルは彫刻の土台に、翔閃で自らの名を刻んだ。
「芸術は良いものだ。心が豊かになる」
鴉乃宮 歌音(
ja0427)は眼前の仲間達の製作風景をさっと見ると、手早く鉛筆でスケッチを行った。脳裏に残る風景をキャンバスに素早く転写し、下塗りに取りかかる鴉乃宮。まるで完成した絵が見えているかのように、彼はすらすらと絵を書き上げていった。風景の配色は、脳裏に焼き付けてある。
(刻み込むのは一瞬で十分だ。長々と見るのは良くない)
下塗りを終えると、鴉乃宮は作品を汚さないよう丁寧に布をかぶせ、脇に避けた。今日の作業はこれで終わりだ。続きは、絵の具が乾く明日になる。
鴉乃宮はクッキーと紅茶を用意して、仲間たちが製作に没頭する姿を眺めていた。
(制作過程もまた美しいもの。一服しながらこの光景を眺めるのも、眼福というやつだ)
「こういう依頼を待ってたんですよね……文化祭の成功の為に、頑張ります」
フレデリカ・V・ベルゲンハルト(
jb2877)は目を輝かせながら、すぐさま製作にとりかかった。
彼女が選んだのは、彫像である。石材を運び込んだフレデリカは、設計図となるスケッチを作成し、石材にも書き込みを入れていった。
(撃退士らしさという事ならば、ディバインナイトをイメージした像を作りたいですね)
デュアルソードを抜き放ったフレデリカは、石材目がけて次々とエメラルドスラッシュを放った。白い石が豆腐のように易々と切り裂かれ、次第に人間らしきシルエットを形作り始めた。
「大まかな切り出しはこんなところでしょう」
剣を鞘に収めたフレデリカは、小刀を手にした。
「まずは穿つところから……」
フェンシングを放ち、必要な箇所に穴を穿つフレデリカ。手馴れた手つきで作業を終えると、彼女は最後の仕上げに入った。
「ここからが本番ですね」
小刀を手に、服のシワや武具の細部の造りを再現し、髪の質感を表現し、顔にはディバインナイトの力強さ、頼もしさのイメージを落とし込んでゆく。この間、彼女は一切のスキルを用いなかった。いま彼女は、アウルではなく自らの感情を込めていたのだ。自らの趣味や好きな事を活かせる喜びと、その思いの丈を以って1つの作品とする情熱。それは彼女にとって、至福の時だった。
創作に熱中する者達にとって、時間は瞬く間に過ぎる。
こうして初日は終了した。
●二日目
○
開始から丁度1日が過ぎようという頃。
美術室で、袈裟を着込んだ男性が頭を抱えて悩んでいた。天険 突破(
jb0947)である。彼は、初日にクレヨンで描いた故郷の風景画と先程描きあげた水墨画、どちらを提出するか迷っていたのだ。
(よし、こっちにしよう)
さんざん悩み抜いた結果、彼は初日の故郷の絵を提出することにした。
(でも、その前に。ちょっとみんなの力を借りることにしよう)
――クレヨン画と墨汁を持って他の作成者のところを巡って手形を付けてもらう。
それが最後の仕上げだった。幸い仲間達も、マイや学園長も快く応じてくれ、手形はすぐに集まった。
「よし、完成だ。タイトルは『俺達の手で救ってみせる』」
採点基準には合わない絵だが、構わなかった。自分にはこの絵が最もいい。
晴れやかな達成感とともに、天険は自分の作品を提出した。
天険と談笑するマイの背中を見て、華澄・エルシャン・御影(
jb6365)は奇妙な感覚に襲われた。
(あれから、まだひと月も経っていないのね……)
かつてマイと共に赴いた、とある任務。華澄にはそれが、遠い昔の事に感じられた。
華澄は学園に馴染んだマイへ友情と希望を込め、誰もが共に生きる未来を表現する事にした。選んだ技法は、コラージュ絵画である。桜、輝く水、紅葉、雪。華澄は自分で撮影し撮り貯めた学園の一年間の写真の切り抜きと共に、四季を表すモチーフをカンバスに円くちりばめた。クーゲルシュライバーと水彩絵具で円の中央に描くのは、全種族の生徒が談笑する姿だ。ふざけ合い、肩を寄せ、穏やかにそれを見ている幸福な日常……
(心にも虹の橋が架かればずっと一緒にいられるわ)
華澄は「視覚芸術」を筆に込め、筆で月虹を放った。心の繋がりを表す、四季を結ぶように描いた虹。普段手にしている剣とは幾分要領が違ったが、今の自分の心を表すものと言えば、やはり月虹しかない。
「これは自分だって観る人が思ってくれたらいいな」
華澄は作品を完成させた。
華澄の隣では、天羽 伊都(
jb2199)が絵画に取り組んでいた。
彼のテーマは「平和な世界」である。
天魔との戦いが終結した時の世界。天羽は、その世界をイメージして絵を描くことにしたのだ。
(人間が天魔との対等な関係を結んで、人間界が天使からも悪魔からも干渉されない中立な世界になって……ボクが考えるのは、そんな世界だ。となると……)
天羽の考える世界の象徴。それはやはり、久遠ヶ原の風景こそが、あるべき姿に思えた。
(美術室に来る前に、何枚か取っておいた学生たちの登校の風景。場所は校舎前だ)
程なくして、モノクロで描かれた風景の中、人と天使と悪魔の学生がカラーで描かれている絵が完成した。
「よし、出来た。あとは……」
――平和を願って。
天羽は絵の片隅に、自らの願いと祈りを込めてその一文を書き、作品を完成させた。
その隣では、長田・E・勇太(
jb9116)が頭を抱えていた。
「ミーの思いの丈を存分に込めて作った作品カ……其れでいて武器作った作品……フフ……キメタネ!!」
長田はひとしきり悩むと、肖像画を描くことにした。モデルは、彼の恩人であり師匠でもある人物である。
「今までの……感謝! そう、感謝を込めて描くことにスルよ」
師匠への感謝。だが、そう呟く長田の両目には、獲物を前にした肉食獣のような危険な光が宿っていた。
そうこうする間に、長田は彼の師匠―いかにも古強者といった風情の漂う老いた女性―を描きあげた。
そして――
「完成! ……でも唯描くだけじゃつまらないネ」
長田はおもむろに銃を取り出すと、絵の人物に狙いを定めた。
「受け取るといいネ。ミーの思いっキリの『感謝』!!」
アウルのマズルフラッシュと共に、銃声が二発響いた。肖像の頭にふたつの風穴が開いた。
(ババアめ……自分だけバカンスだと!! 舐めやがって!! ファ**!!)
再び銃声が響いた。肖像の心臓にふたつ、風穴が開いた。
「フウ……完成ネ……題名は『サンクス』!」
爽やかな達成感を胸に抱きながら、作品を提出した長田。
「ま、見るのは一般客ダシ。でもまぁ……師匠に見られたら……」
その光景を想像し、長田は身震いした。
「よいしょっと」
篠倉 茉莉花(
jc0698)は席に着くと、アウルを纏って氷結晶を生成した。彼女が挑戦するのは氷の彫像。題材は篠倉の愛してやまない、桃色頭巾のうさぎのマスコットキャラクターである。
「愛情を込めて可愛く作ってあげる」
普段はポーカーフェイスの彼女の頬が緩んだ。
氷像の作成は、時間との勝負である。氷が次第にうさぎの姿を鮮明にしてゆくその過程を、篠倉の雪うさぎと白兎のイヤリング、そして机の上のパペット・ラビットが無言で見守っていた。
程なくして――
「よし、完成」
篠倉が愛情を込めて作り上げた氷の兎は、微かな冷気を周囲に漂わせながら、透き通るような透明さと、いずれは溶けて消えてしまうという儚さが、調和を持って同居していた。
(大切に扱ってあげないとすぐに溶けて消えてしまう……そういう儚さと脆さもひっくるめて、あたしの作品なんだけどね)
篠倉はドライアイスを敷き詰めたクーラーボックスに氷像をしまい込み、提出スペースへと向かった。
影野 恭弥(
ja0018)が提出したのは、絵画であった。
タイトルは『月狼』。一匹の狼が遠吠えをしている絵である。狼の金色の双眸と背後に浮かぶ月の明かりが、美しい白銀の毛並みを淡く映し出していた。
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が提出したのも、絵画である。
「タイトル、『この道我が人生』」
マステリオのキャンバスに描かれていたのは、タキシードにシルクハット、ハロウィンのカボチャマスクをかぶり、左手で扇状にトランプを広げている人物……そう、彼自身だった。
絵の中のマステリオは、どこまでも長く続く果てのない荒野の道を歩いていた。
その道中の至る所の物陰には、何者かが潜んでマステリオの方を伺っていた。背後には屍が山と積み上げられ、切り刻まれ、体中にトランプが差さり、そこから流れ出た血が死山血河との有様と化していた。
○
提出を終えた生徒達の傍では、点喰 因(
jb4659)と百目鬼 揺籠(
jb8361)が製作を続けていた。
「アウルを使う、てぇのは想像がつかないもので。今まで培った手段で勝負させてもいましょーか……よろしくお願いします、揺籠さん」
「こっちこそ、因サン。ゲージュツってぇのはあんま馴染みねぇんですがね」
揺籠は持ち込んだ竹を鉄下駄の蹴りで幾つかに分断すると、それを脇に置いて足元に座り込んだ。素材の準備は整った。次はモデルである因を描く番だ。
揺籠の作品は、竹を使った細工である。彼は簡単なクロッキーを行いながら作品の設計図を描くと、素材となる竹の形を整え、木炭でアタリを入れていった。
因もまた地べたに座り、使い込んだ鉛筆で対面の揺籠を軽くスケッチすると、因は想像を巡らせた。それは揺籠が暗がりに佇み、自分を見ている光景。かつて人が人里でない領域に、町に明かりが満ちても隙間にふと落ちた暗がりに見た、違う領域にいるモノ……すなわち『妖』である。
揺籠が因に尋ねた。
「因サン。テーマは何です?」
揺籠の問いに答える因。それを聞いた揺籠は、悪戯っぽい笑みを浮かべると、
「見てみます? 隙間の闇のその一片」
そう言っておもむろに左腕をかざした。
すると次の瞬間、揺籠の腕に描かれた目が一斉に因を睨んだ。比喩ではない、本当に「睨んだ」のだ。そして、揺籠の左腕は、変幻自在に伸縮し、因の周囲を翻弄するように動き回った。
そんな自分を凝視する因を見て、揺籠はふと懐かしさを覚えた。彼女の眼差しが、彼女の先祖であり、彼の親友のそれと瓜二つだったからだ。
「ありがとうございます、揺籠さん」
それだけ言うと、因は制作に没頭した。自分が脳裏に焼き付けたイメージを紙の上に描き出そうと懸命に格闘する因の姿を見た揺籠は、
(こいつは、邪魔するのは野暮ってもんだ)
そう思いながら、下準備を終えた竹を慣れた手つきでくり抜くように削り始めた。
「ふう」
しばらくして、因が筆を置いた。
「出来上がりですか?」
因は頷くと、完成した絵を揺籠に見せた。自身が妖怪に対して抱く畏れの心を筆先に込めながら、面相筆を速乾性の岩絵具に浸してひたすらに描いた絵。モデルは無論、揺籠である。
「いいですねぇ。俺のも見て貰えます?」
「はい。是非」
「こいつです」
そう言って揺籠が見せたのは、幾何学模様の刻まれた数個の竹燈籠だった。
「こいつを、こう……」
揺籠が煙管の紫煙を灯篭の中に吹き込むと煙は淡い炎となり、並んだ灯篭に、因の横顔のシルエットを象らせた。
「テーマは『憧憬』、組まれ繋がりあうことで続いていく『人の強さ』です。夜に見える明かり窓が『家族』でしょう?」
因は言葉を忘れ、揺籠の作品にただただ見入っていた。
一方、その隣では。
「ふっ、俺の腕前を見るがいいぜ!」
麻生 遊夜(
ja1838)がガトリングを手に、石材目がけて弾を発射し始めた。
「俺の愛情を……全身全霊を使って、最高の仕上がりにしてやんぜ!」
遊夜のモチーフは、彼の婚約者である。一片の妥協を許さず、見た者全ての心を奪うような一品を作り上げるべく執念を燃やす遊夜。大雑把な削りを終えると、双銃で細部を整える。仕上げはクーゲルシュライバーだ。
「ククク、最高の出来あg……」
だが。
「……何……だと!?」
何故か完成したのは――学園長の彫像だった。
(何だこれ、呪いか!?)
すぐさま新たな石材を用意し、作成に取りかかる遊夜。しかし完成したのは、またしても学園長だ。
再び石材を用意し、作成に着手。3体目の学園長が完成。
更に作成。4体目の学園長。
再度作成。5体目の学園長。
作成。6体目。
遊夜は目を瞬くと、クーゲルシュライバーを放り出し、床のシートに寝転がった。
そのすぐ傍で、遊夜を見つめるふたりの少女がいた。
「さて、ボクは……愛情込めて先輩の全身木製彫像作ろうかな」
ひとりは来崎 麻夜(
jb0905)である。彼女は昨日撮影した遊夜の写真をモデルに、上機嫌で作成にとりかかった。手にした鎖鞭によって、瞬く間に木材が削り取られ、人型の輪郭が形成されていった。
「ん、色の劣化はない、大丈夫」
もうひとりはヒビキ・ユーヤ(
jb9420)である。
1日目にヒビキが描いた絵のインクは、問題なく乾いていた。彼女の宝物であるクーゲルシュライバーを握って丁寧に描いた、写実タッチの絵だ。
これまで彼女は、少し描いてはケセランと休みつつ、着実に絵を仕上げてきた。ここから先は、一気に仕上げる段階である。失敗は許されない。
ふたりはお互いを見て頷くと、製作に取り掛かった。
程なくして、遊夜も不貞寝から起きた。麻夜とヒビキに触発されたのか、今の自分には凄い作品が作れると言う確信が、彼の体中に漲っていた。
「怨念を、怨念を込めろ…俺の無念を知るが良い」
遊夜は開き直って学園長像を作ることにした。怨嗟と歯軋りのコーラスを奏でながら、ガトリングで石材を削り始める遊夜。彼は己のアウルと魂の全てを銃弾として撃ち尽くし、斬撃で石を削ることだけに費やした。そして完成する、7体目の学園長の像。
だが、これで終わりではない。まだ最後の「ハナ」が残っている。僅かに残った最後の魂に火を点し、腐爛の懲罰を彫像に放つ遊夜。学園長の眉間に赤い蕾が芽吹き、瞬く間に花開いて周囲を赤黒く染め上げた。
「禍々しくも神々しい像だろ?……俺はもう、ここまでだ」
遊夜は真っ白に燃え尽きた。
一方、ヒビキと麻夜の製作も佳境を迎えていた。
「……仕上げる」
ヒビキの青い瞳が金色に染まった。ここからは、時間との勝負だ。1秒たりとも無駄にはできない。
黄泉路渡りで感情の箍を外した彼女は、己の全てをキャンバスにぶちまけた。渇望、欲望、情念、愛情。その全てを。
「家族……欲しいの……手に入れた……失くさないわ……」
描線と色の集合体が、ヒビキによって命を吹き込まれていった。
「負けないもの……守るの……愛しい……ユーヤ……愛を、愛を、愛を、愛を」
こうして彼女の絵は完成した。
朗らかに笑う遊夜。安らかな寝顔を浮かべ、遊夜に背負われるヒビキ。遊夜と腕を組み、ほんのりと頬を染めて笑う麻夜。それは色濃い正と負の感情が矛盾なく同居した、見る者の心を揺さぶらずにはおかない絵だった。
麻夜もまた、全身にアウルを纏った。
「さぁ、綺麗にしてあげるからねぇ」
黒い犬を連想させる姿となった麻夜は、妖しい微笑みを浮かべながら木像の周囲を踊った。時折放たれる斬撃によって、像の輪郭が、表情が、服が、次第に遊夜の鮮明な姿となって現われていった。
(大事に大事に、綺麗に整えていくよー。愛情、情欲にちょっとの嫉妬を込めて)
細部の形成を終え、仕上げに放った麻夜の七色の光球が、遊夜の木像の周囲で破裂し、鮮やかな彩を加えた。
「うん、良い出来良い出来」
麻夜は会心の笑みを浮かべると、背後にいる生身の遊夜を振り返った。
「先輩は上手く作れ……? せんぱーい!?」
麻夜の視線の先には、微笑を浮かべて教室のチョークのように真っ白になった遊夜がいた。
安瀬地 治翠(
jb5992)が選んだのは水彩の風景画だった。キャンバスのサイズはP20。モチーフは彼が子供の頃、幼い当主を連れて行った近くの田園の風景である。田園の遠くには、金色の長髪の女性の後姿があった。既にこの世を去った、治翠の憧れの女性だ。素人目にも、丁寧に大事に想いつつ描かれたのがわかる絵だった。
(よし、完成。まあ、こんなところですかね……おや)
絵を描きあげ、どうしようかと考えていると、彼の近くで製作に没頭している少女の姿が目に写った。
樒 和紗(
jb6970)である。
彼女が選択したのは点描画であった。
点描画は文字通り、点の集合によって絵を描く技法である。用いる道具は筆やペンが一般的であるが、中には釘を使って描いた者もいるという。
(撃退士……それもインフィルトレイターの俺としては、これで描きたいところです)
樒は木製パネルを用意すると、足元に置いた色取り取りの絵具に、矢の先端を浸し始めた。
「思い通りの箇所に点を打てるか……インフィの命中力が試されますね」
彼女のテーマは『紅葉の森』。美しい日本への誇りを込め、秋の風情、郷愁を、矢による点描で描こうと言うのだ。
赤い木々と舞い散る紅葉を弓矢を用いて点描し、スターショットとダークショットを用いて木々に陰影を加えていく樒 。その光景を、たまたま近くを通った巳上と治翠は言葉を忘れて見入った。
「大したものだ。全ての矢を一点の狂いもなく命中させるとは」
「ええ。絵そのものの素晴らしさもさることながら……何より凄いのは、力加減でしょう」
「力加減?」
「彼女のパネルサイズは恐らくF6。となると、板の厚さは2センチ弱しかありません。丁度、人差し指と同じ程度の幅です」
それを聞いた巳上は、自分の指をしげしげと見つめ、呟いた。
「放物線を描いて飛び、鋼板すら穿つ矢を、寸分違わず薄い木の板に当てる。一発も過たず、絶妙の力加減で……か」
「ええ。まさに神業です」
精緻かつ大胆にキャンバスに描かれた樒の点描を見て、巳上は心の底から驚嘆した。
樒は目を閉じて大きく深呼吸すると、クイックショットで一気呵成に絵を仕上げにかかった。
自分達の会話で樒の集中を乱さないよう、巳上と治翠の2人は、無言でその様を見守った。
程なくして絵を完成させた樒に、ふたりは惜しみない賛辞を送った。
○
日が西に沈み始める頃になると、残った生徒達も、次第に作品を完成させ始めた。
「完成です」
黒子が絵を仕上げた。
彼女の絵の中には、仕立ての良いワンピースと麦わら帽子の少女が、絵の端に描かれた気品の漂う庭園を踏み出し、外に広がる荒野に佇んでいた。
旧家の一般人だった頃の自分にとって世界の全てだった、美しく小さな箱庭。そこを放り出され、撃退士として荒野で生きることなった。そこから逃げ出す事なく戦い続けて、ようやく自分の生き方が見えてきた――そんな彼女の内面を描いた絵である。
タイトルは『郷愁と初限』。作品を完成させた達成感と共に、黒子は筆を置いた。
夜ヱ香もまた、ニジマスの木彫りを完成させた。
「友達にも見せたい……な」
瞳に満面の喜びを湛えながら、夜ヱ香はバストを揺らして跳ねた。
鴉乃宮も、下塗りの絵具が乾いた事を確認すると、最後の仕上げに取りかかった。
彼のキャンバスに描かれた風景は、生徒達が製作に取り組む一瞬を切り取ったものだ。セピアを含む暖色の色使いが施されたその絵は、見る者の心を暖かくさせた。
満足いく色の絵具を作り上げた沙も、筆を手に取った。絵具を着けた筆先は、煌びやかな金色に輝いている。
「一点集中です」
沙はキャンバスの上にふたつの半球を描いた。正確な筆致で描かれたそれは、動物の瞳だった。縦に細長い瞳孔から、黒猫の金色の瞳だと分かる。
猫への愛を存分に込めた作品を仕上げて、沙は大いに満足した。
一方、秋の風景画を描いていたラナは、今ひとつその出来に満足できなかった。絵具での製作は順調に進んでいたが、自分のイメージする「秋」を表現するには何かが決定的に足りないのだ。
「ん。輝きも、入れたい」
ここはひとつ、絵具以外のもので輝きを表したい。だが、果たして何を使ったものか。あれこれと思案するラナの頭の上に、ふと電球が浮かんだ。
程なくしてラナが用意したのは、色石とビーズであった。
ラナは同色の石が入った幾重にも重ねた袋を複数個用意すると、おもむろに、
「唸れ! 私の黄金の右!」
インパクトで石を袋ごと粉砕した。色砂の袋が一個できた。
「輝け! 私の金色の左!」
レイジングアタックで、次の袋を粉砕。二個目の砂袋ができた。
「もう一度唸れ! 私の黄金の――」
程なくしてラナは、完成した六個の袋から粉々になった色砂を取り出すと、絵の上に振りまいていった。風で飛ばないように注意を払いながら、崩れを防ぐために定着液を使用する。
程なくして、ラナの絵が完成した。タイトルは、『彩の山河』である。
「むふー」
ラナは満足気に微笑んだ。
●三日目
○
朝。
部屋にこもって制作を続けていた野襖の作品が、ついに完成した。
盾に漆喰を塗り固めては、開けた窓から盾目がけてコメットを撃ち込み、砕け散った漆喰をさらに塗り込むという作業を何度も繰り返して作り上げた一品だった。幾重にも塗り込められた漆喰が表現するのは、どれだけ砕かれても倒れない、不屈の壁である。一見した華やかさとは無縁の作品であるが、そこには製作者である野襖の密かな葛藤や情熱がじわりと込められていた。
野襖の息遣いと情熱を存分に吸い込んだからか、漆喰の乾きは、考えられない程に早かった。
「むう」
最終日を迎え、一川 夏海(
jb6806)は唸り声をあげていた。その足元には、制作に失敗した木片が散らばっている。彼は生来の不器用さが災いし、未だ満足のいく物を作れずにいた。
「もう一度だ!」
夏海は持参した丸太の一本にノミを突き立て、豪快に木を彫り上げた。モデルは眼前の藍那湊(
jc0170)だ。
(藍那の顔の彫像を作って仕上げに緑葉をアホ毛に見立て、てっぺんに差し込む。それが俺の作品だ!)
彼の脳内には、完成した藍那の彫像が明確なイメージとなって存在していた。程なくして出来上がった荒削りの輪郭。次は表情を刻み込む番だ。
「おりゃあああ!」
夏海は入魂の気合と共に、ノミに槌を振り下ろした。
ガツッ。頭の上半分が砕け散った。
挫けることなく、新たな木材で輪郭を彫り上げ、再度挑戦する夏海。
「もう一度だ!」
ガツッ。今度は粉砕は免れた。だが――
「ダメだ!」
鼻の横に口が、顎の下に耳がついた彫像を見て、夏海は再度丸太に手を伸ばす。
「まだまだ!」
ガツッ。
「ダメだ、もう一度!」
ガツッ。
「ダメっ……!」
程なくして……
「あー駄目だ、やる気が失せた」
丸太を全て使い切り、制作を投げ出した夏海。だが、その時――夏海の頭に、ふと閃くものがあった。
(待てよ? そうだ、細かい事が無理ならあえて抽象的に仕上げちまうか……!)
「夏海さん、どこに行くんですか?」
「ん? ああ、外だ外。すぐ戻る」
藍那の問いかけにそう答えると、夏海は愛剣のヴィルトカッツェを担いで出て行った。
程なくして鼻歌を歌いながら戻って来た夏海は、肩に大きな切り株を担いでいた。切り株の根は、全て鋭利な切り口で切断されていた。恐らくフェンシングで根ごと切ったのであろう。
根に付着した泥もそのままに、夏海はおもむろに傍にあったドリルを手に取った。
「よし。あとはこいつで……」
切り株の頂上部の真ん中に穴を開け、そこに葉の茎を差し込む夏海。
「完成だ! 作品名『青いスットコドッコイ』!」
結局何にも成らなかったが、それでも懸命に葉を扇ぐ。そんな意味を込めて作った、夏海渾身の作品の完成である。
(すごいなあ、夏海さん)
そんな夏海を、藍那は憧れの眼差しで見つめていた。藍那にとって、どんな時も自分を見失わない夏海は尊敬の対象なのだ。当然、彼が作品のモデルにしたのも、夏海だった。
「父以外を描くのは、初めてです」
そう言って赤面する藍那。彼が力強いタッチで描くのは、トレイを持って微笑むワインレッドの長髪の女性メイド――を装った夏海だった。
藍那は絵を完成させると、最後の仕上げに取りかかった。彼はトレイのグラスに、ちょっとしたギミックを施しておいたのだ。シリコンの透明粘土で作ったグラスの上に、氷結晶で凝固させて瓶の形に削った絵具を固定し、溶けた絵具の水滴が前もって貼り付けた透明な棒を伝い、グラスに注がれるという仕掛けである。
初日に作成したこのギミックをトレイに接着し、完成。グラスに注がれるのは、情熱の赤。夏海の髪と同じ色である。
「うーん、どうも納得いかないですね〜。何かが違いますね〜」
有栖川 妃奈(
jc0695)が挑戦していたのは、木材を用いたフラワーアートである。
「芸術とは……何なのでしょうか?」
既に時刻は5時を回っていた。提出期限はすぐそこまで迫っている。
「そうです! まずは自分が美しいと感じないと、ダメなんですね〜」
有栖川は考えた。自分にとって最も美しいと感じるもの。それをアートに落とし込むのだ。
「そう言えば、“芸術は爆発だ”という言葉を聞いたことがあります!」
「爆発」。有栖川の心に浮かんだのは、この単語だった。そうと決まれば行動あるのみだ。残された時間は少ない。彼女はすぐさま木彫りめがけて炸裂符を放った。
「儚いものほど美しく感じると言うし、儚く爆発させて見ようっと〜」
爆発に巻き込まれ、有栖川の木彫りは砕け散った。しかし有栖川は、大いに満足だった。人の手では決して生み出せないこの爆発の跡。彼女はそこに美を見出したのだ。
「これぞ芸術を感じるわ〜♪ 芸術はやっぱり爆発物なのね〜♪」
こうして、有栖川は最後の作品を提出した。
「よし、完成だ」
最後に作品を出したのは、勝太だった。
彼は新聞部のOBと一緒に、足りない分の作品を作っていたのだ。
かくして、30点全ての作品が揃った。
○
数日後。
「おかげで先方も、大変喜んでいたよ。『本当にありがとうございました。是非一度、文化祭にお越し下さい』との事だ」
学園長の口から、任務の大成功の報せが撃退士達に告げられた。