●事前調査
北風が裸同然の木の幹を揺らす。春はどこまで来ているのか、まだ遠くで足踏みしているのかもしれない。
久遠ヶ原学園中等部の生徒が身をすくめて行き交う中、長身の女性が寒さをものともしない様子で立っていた。
「あ、ちょっとイイです? 少しお聞きしたいことが」
呼び止められた中等部生は、質問主の服装を見て大学部生と認めると、やや緊張した面持ちで応じる。
「何でしょうか」
「ここで告白すると上手くいく、なんて噂話はあったりしません?」
首をかしげながら言葉を紡ぐ者もいれば、つばを飛ばす勢いでいくつもの噂話を披露する者もいる。
青い髪の大学部生は、回答の一つ一つにうなずき、やがてどこかへ消えた。
●いかに書くか、それが問題だ
「あー……今どき手紙で告白しようなんて、奥ゆかしいし、それ自体悪いとは思わんが」
時迅 輝結(
ja5143)が長い黒髪をかき上げ、こめかみのあたりを押さえて言う。
「……君、テストのときでも見直しとか検算とかしない性質だろ?」
テストと聞いた梨本太郎の眉がぴくりと上がる。
「お、俺だって、見直しくらいするぞ」
ほう、と輝結がわずかに首をかしげる。
「でも見れば見るほど頭がこんがらがってくるんだよ! だから俺は、最初に書いた答えが合ってるってことに決めたんだ。何度も消したり書いたりしたら紙が汚れるしな」
「テストの解答なら思ったとおりに書けばいいが、手紙に『俺ルール』はなしだ」
口を開いたのは、添削チーム唯一の男子生徒、鐘田将太郎(
ja0114)だ。
「いいか、梨本、歯の浮くような愛の言葉並べろとは言わん。誤字なしのものを書け。みっちり添削指導してやるから覚悟しろよ?」
おおよろしく頼む、と素直に頭を下げた太郎だったが、
「まずは『変』じゃなくて『恋』だ! こんな誤字、今どきの小学生でもしねぇぞ。それから『弟』でなく『第』三! 似ているが間違えるな!」
「むむ」
初っ端から怒涛の勢いの将太郎に面食らっている。
「寮くらい漢字で書け。違う、うかんむりだ」
将太郎の赤ペンがうなる。
「基本その一。高校生として恥ずかしくない程度の漢字を使え! 誤字脱字は厳禁だ!」
スパルタ指導に輝結が加わる。
な、な、な、と太郎が口をぱくぱくさせる。
「その二。差出人と宛名はきっちり明記しろ。これでは誰からの手紙かわからん」
「違う! にんべんじゃなく、ぎょうにんべんだ。おい、自分の名前を間違える奴があるか!」
輝結の鋭い指摘にかぶさるように、将太郎の駄目出しが炸裂する。
左から輝結、右から将太郎、二人の容赦ない熱血指導に、太郎は呼吸を荒くしながら食らいつく。
「鐘田さん! 俺も鐘田さんに授かって、『太郎』改め『将太郎』って名乗りたいっす!」
「それを言うなら、あやかって、だ」
「全く…同じ男として情けないぜ」
思わず将太郎は頭を抱える。
「むむ、俺ってそんなに恥ずかしくて情けない奴だったのか……ううう、サクラちゃんにはもったいない男だ……」
「言葉の使い方が違う」
輝結にさらなるツッコミどころを与える太郎であった。
「よし、じゃ、女性陣に見てもらうか。時迅さん、お疲れ」
まずは原文のどこがおかしかったか、太郎に認識させる第一段階、完了である。
「私も女性なんだが」
苦笑する輝結をねぎらうように、将太郎が気さくな笑顔を見せた。
「失礼、他の女性陣にも、だ。皆、お待ちかねのようだな」
「買ってきたよ…」
常塚 咲月(
ja0156)が取り出したのは、ワンポイントに蝶がプリントされた水色のレターセットだ。
「こ、これを俺に? ありがたいっ」
レターセットを胸に押しいただく太郎だが、
「こら、しわになっちゃう…。それは清書用だからね…?」
やわらかくたしなめられ、あわてて机の上で透明な袋に入ったレターセットを伸ばす。
「冗長な手紙は御免こうむるだろうけど…簡潔すぎる手紙というのも考えものだな……」
ステラ・七星・G(
ja0523)がつぶやく。
第二段階は、愛の言葉の吟味である。
机に並んでいるのは、真っ赤に添削されたノートの切れ端、新品のレターセット、学園生らしいルーズリーフ、そして各種筆記用具だ。
「切れ端とか、減点対象…」
赤ペンで修正された原本を見やると、咲月は言った。
「まず確認したいんだけど…佐藤さんのこと、図書館以外で知ってる…?」
咲月が尋ねた。
「サ、サクラちゃんがどんな子かって? 女神だよ! 地上にまいおりた神!」
梨本 太郎は斜め上を見上げ、太い指を祈りのポーズに組んだ。
「―─……」
咲月のまなざしに憐れみが混じる。もちろん太郎はそれに気づかず、あさっての方向を見つめている。
「ネ申とか書くなよ」と、輝結。
「佐藤さんに対して自分が言いたい言葉…ある? 好きはもちろんだけど…どんなところを見て好きになったとか…」
「……綺麗、なんだ。サクラちゃんの周りだけ光がふわふわして」
「それって」
光纏状態ではないのか、と言いたいのを我慢し、チームは太郎の次の言葉を待つ。
「すっげーまぶしくて。何かホント、太陽みてぇな。でも真夏のぎらぎらしたヤツじゃなくて、春の光っつーかさ。あーうまく言えねえけど!」
咲月の口元に微笑が浮かぶ。太郎は続ける。
「遠くから見てるだけでも好きになっちまうんだから、サクラちゃんが俺の隣で本読んだり、喋ってくれたりしたら、俺の毎日、バラ色っつーか桜色になるだろうなぁって思った」
咲月は左右の手にそれぞれ異なる色のペンを持ち、ルーズリーフに太郎の言葉を書き出していく。両利きなのだ。
「桜色の毎日…いいですね、きらきらして…」
こんなところかな、と咲月が二本のペンを置いた。
「言い忘れるところだったが、」
輝結がびしっと人差し指を立てる。
「呼び出す場所、日時は相手に配慮せよ」
「ん、どういうことだ?」
「手紙が渡ってから、サクラさん本人と梨本くん対面まで、ある程度時間をおけるよう配慮する必要がある」
うんうん、と桐原 雅(
ja1822)もうなずく。
「返事をもらうために呼び出すなら、場所と時間を考えないとね。女の子一人でも来やすいところで、寮の門限に余裕を持った計画にしないと」
「なるほど。どうしたらいいんだ?」
チームが一瞬、口をつぐむ。そこへ現れたのはカタリナ(
ja5119)だ。物語の冒頭で情報収集を行っていた大学部生である。
「お、ちょうどいいところに。カタリナさん、場所探しはどうだった?」
将太郎の問いかけに、カタリナが落ち着いた声で答える。
「佐藤さんの通学路を下見してきました。途中にいい場所がありました。それから恋が叶う場所、告白がうまくいくと中等部生が噂をしている場所も聞いてきました」
「ばっちりだな」
「うおお、うまくいく気がしてきたぜ! 待っててくれよ、サクラちゃーん」
遠吠えする太郎を見て、カタリナが後ずさる。
将太郎、輝結、咲月、ステラ、雅の五名は既に太郎のハイテンションには慣れた頃である。
「はい、見本…。上手くいくようにがんばろ…?」
咲月が書き終えた見本を太郎に渡す。
一度、ルーズリーフに見本を作製し、太郎に練習させてからレターセットへ清書してもらわないと失敗しそうだから、との心遣いなのだった。
●手渡しレッスン
「では、私がもらったつもりになって、読んでみますね」
完成した手紙を手にしたカタリナが、神妙な顔つきで視線を落とす。
『佐藤サクラ様
九月、入学してきた君を初めてホールで見た。まぶしかった。
その後、図書室で本を読んでいる君を何度も見るうちに、恋していると気づいた。
君が俺の隣で本を読んだり、ときどき話したり、そんな毎日を送れるなら俺は嬉しいが、どうだろうか。迷惑でなければ嬉しい。
来週月曜日の放課後、5:00に中等部第一校舎裏の蛇口横で待っている。答えを聞かせてほしい。梨本太郎』
沈黙がしばらく場を支配する。
「あ……これは、ちょっとドキッとしました。これならイイと思います!」
ホントか、と太郎が身を乗り出す。
手紙がカタリナから雅の手に渡る。
「うん。誰から誰へ宛てたものなのかちゃんとわかるし、素直な気持ちが書けてると思うよ」
「よし、誤字はないな」
将太郎のチェックもクリアし、水色の便箋はそろいの封筒に収められた。
咲月がほっと一息つく。
「次は、自分がどうやって渡したいか…教えて…? 変な渡し方して、嫌われたり…したくないでしょ…?」
そうだなぁ、と太郎が思案顔になる。
「靴箱は、もう懲りた。サクラちゃんを呼んだのに男が出てくるなんてよ」
「梨本でも懲りるんだな」と将太郎が笑う。
「直接渡すなら、カタリナ先輩が調べてくれた通学路の途中、下校するときがいいと思うよ」
雅の提案に、誰も異論はない。
「それでね、これから梨本先輩に練習してもらおうと思うんだよ。問題なければボクが練習相手を務めさせてもらおうと思うんだけどいいかな?」
「おう! よろしく頼む!」
「予行演習だな」
将太郎たちはカタリナの案内に従い、佐藤サクラの通学路へ向かった。ちょうど夕暮れどきだ。
道すがら、雅が尋ねる。
「サクラさんは眼鏡はかけてる? 髪型は?」
「眼鏡はかけてない。髪の長さは、桐原と同じくらいで……二つに結わいてる。何ていうんだ、そんな高いところじゃなくて、落ち着いた感じで。あー……女子の髪型って難しいな」
雅の指が器用に動き、黒髪を二つにまとめる。
「こんな感じかな。背格好は?」
「……桐原より、一回りでかい」
よし、と雅が小さく握りこぶしを作り、背伸びをする。
カタリナが探してきた場所は、サッカーコートが広がる河川敷だった。日が沈んだ後は照明もつくようだ。
「ここなら警戒されづらいですし、練習を眺めるふりをするか、ボールを蹴っていれば自然に待てます。それほど目立ちませんし、少しくらい声が大きくなっても大丈夫だと思いますよ」
カタリナの説明に、太郎は満足そうだ。塗装のはげた木製ベンチに腰を下ろす。
「じゃ、行ってみるか、梨本。桐原はあっちから歩きだな」
将太郎の合図で、雅が歩き出す。
太郎がベンチから立ち上がり、雅に駆け寄る。
「…………」
「あの……わたしに何か御用でしょうか……」
何も言い出さない太郎をいぶかしむように、雅が切り出す。胸元に抱えたノートは本の代わりだ。いつもの元気さはなりをひそめ、すっかり文学少女の態である。
「誰かと思った」
輝結が目を丸くする。
雅が小さく唇をとがらせる。その頬はかすかに上気している。
頬の紅潮といえば、太郎の方がひどい。あくまで雅はサクラの代役であり、恋の相手ではないにもかかわらず、明らかに舞い上がっているのが丸わかりだ。
「あの……」
「梨本、返事返事! 何か言え!」と、ギャラリーが指示を出す。
「い、いや、き、桐原がサクラちゃんに見えて、言葉が出なかった」
「おいおい」
「もう一回いきますか」
脱力するチームの中で、雅一人は満足そうだった。
「ボクだって女の子らしくできるんだからね。日々こっそり練習してるんだから」
●春に近い場所
翌日、彼らは再び河川敷に集合していた。即席のサッカー練習チームだが、その実は恋文添削チームである。
昼間に気温が上がったおかげで、夕刻になってもそれほど寒さはなかった。
輝結がボールを蹴る。将太郎が返す。土ぼこりが舞う。太郎が外す。カタリナがパスを通す。咲月が止める。
グラウンドを照らす照明がついた。
将太郎の携帯電話が震えた。
「来た。桐原からだ」
「おお」
「『サクラさんが図書室を出たよ』だそうだ」
「いよいよ…」
咲月が拾い上げたボールを抱える。
「なんだか、こっちまでどきどきしてきました……」
カタリナも緊張した面持ちで、笑顔の缶バッチを握りしめる。
「玉砕覚悟で渡せ! 振られたらなぐさめてやる」
将太郎が太郎の背中を押す。太郎はチームの輪を外れ、制服についた土ぼこりをはらった。
「桐原から続報。『サクラさんは予想通り、まっすぐ下校ルートに向かったよ』。十分ほどすれば、ここに差しかかるだろう」
果たして佐藤サクラは梨本太郎の書いたラブレターを受け取ってくれるのか。できれば拒絶することなく受け取って、読んでほしい。願いは一つだ。
ベンチに座った太郎は前日の練習の成果か、落ち着いているように見える。
「私たちは自然にボールとたわむれていよう」
輝結が言い、チームはグラウンドに散った。
心ここにあらず、といった頼りないパスの応酬が、ゆるゆるとボールの軌跡を描く。
咲月はちらと遠くに目をやった。
小さかった女生徒が徐々に大きくなってくる。街灯に照らされた制服姿……。雅ではない。あの子が佐藤サクラか……。両手に重そうな鞄を抱えている。中身は本だろうか。
女子の目から見ると、かなりぽっちゃり、太めの体格だ。
咲月はカタリナに視線を送る。カタリナはどう感じているのか、表情が読めない。
太郎が立ち上がる。
二人の距離が近づく。
サクラが足を止める。
一言、二言。交わした言葉は聞こえない。
そして現れた水色の封筒を――
サクラが受け取る。
その口が、ありがとうございます、と動いたように見えた。会釈し、太郎から去ってゆく。
土手からそれたサクラの後ろ姿が完全に見えなくなったとき、よっしゃー、と太郎が吠えた。
チームは駆け足で集まる。ミッションを終えた愛すべき馬鹿を囲むために。
穏やかな風には春の気配がかすかに漂っていた。