8月18日更新分
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夕方になって降り始めた雨は、激しさを増し時折雷が空を走るほどに悪化していた。
「止みそうに、ないか」
九重 誉(jz0279)は厚く暗い雲が広がる空を睥睨していたが、休憩終了の声により意識を広げられた作戦地図に戻した。
島根県出雲市。
その日の午前から始まった天使による一度目の侵攻は、撃退士達の活躍により大きな被害も出ること無く防衛することができた。
そして、現在夜7時。
昼の戦いの中、避難する人の為にと生徒が確保した出雲市中央の大きな避難所は、そのまま学園生徒の為の拠点として機能していた。
誉はその一室で、生徒たちから戦況についての報告を受けているところである。
生徒によって定められ防衛ラインとなった斐伊川。そこより東の住人は全て避難が完了し、市内に残っているのも研究施設関係者や、消防隊、警察、役所関係者等のみとなっていた。
敵の目的がエネルギーの吸収であるならば、避難が完了した土地は意味をなくすところである。しかし、『密告』によれば彼らの目的は人ではなく、土地に眠る遺構であるという。
一度退けた程度で諦める相手だとも思えない以上は、次に備えなければならない。
「天使同士、天魔同士で争ってくれている分には、勝手にやってくれと言えたのだがな」
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ザァアアアアアアアア
吹き付ける雨風をものともせずにいる影が二つ。
雷雨の中でもまだ視線の通る、山の頂の更に上に彼らはいた。
「それで引き返してきたってのか」
「いやいや、シリウス君の所にも来たんでしょ? だったらおっさん一人じゃ骨なの解るでしょーよ」
やや険のある声音の獣人と、それに対しへらりと笑う壮年の武人と呼べる姿のもの。
軍を二手に分けての侵攻はきっちりと防がれた。
個々の力で言えば、圧倒出来るだろうと思えた人間に、余力を残してとは言え自分たちは撤退に追い込まれた。
しかし、彼らに動揺はない。予め予見し、そのつもりで戦力の調整を指示した者がいたからだ。
「動きはあったか?」
足元からかかった声に、二人の天使は大地へと降り立つ。迎えたのは、くすんだ紅の髪の美丈夫。
「ザインエル殿。いんや、少なくとも視得る範囲にゃ居ないね」
「こっちも確認できねぇな。まぁ、どうせ俺らが来るのを待ってるんだろ」
シリウスと崇寧真君の言葉にザインエル(jz0247)は頷いた。
京都を中心に幾度と無く撃退士と刃を交えている座天使ザインエル。彼こそが、今回の侵攻の王命を受けた人物であり、久遠ヶ原の撃退士という存在を王権派とも呼ばれる派閥に備えさせた人物である。
「予定通りに進める準備は整った、異論が無ければ再度の攻勢に出るぞ」
勿論二人の天使に異論が在るはずもなく、承知の意を返した。
崇寧真君は、ザインエルと共にやってきた小柄な影にも挨拶をする。
「おや、後ろにいるのはトビト殿。ひと月ぶりくらいですかねぇ、色良い返事で嬉しいですよ」
ひと月ほど前、丁度各地のゲートを襲い始めた頃に崇寧真君はトビトへの『勧誘』に赴いたのだ。
その結果、トビトは天王への帰順を決めた。それも対ルシフェルとして、メタトロンがトビトに貸し出したサーバント軍を丸ごと抱えて。
「誘った俺が言うのもなんだけど、随分と思い切ったねぇ。メタトロン殿も頭が痛いんじゃないかね」
「我らが天の王に改めて帰順するんだから手土産くらい、当然さ。僕は礼節を重んじるからね?」
にっこりと笑顔でいうトビトに、崇寧真君は軽く肩をすくめて答えるにとどめた。
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「チッ、こっちは酷い雨だな」
身の丈を大きく超えた奇妙な槍を担いだ童子、太珀(jz0028)は出雲に到着早々豪雨に出迎えられ眉間の皺を深くした。
姿を認めた誉は、アンバランスさに内心で苦笑する。
しかし、口に出そうものならどんな皮肉で返されるかを知っているので、おくびにも出さぬように微笑で声を掛けた。
「ご足労でしたね、太珀先生」
「全くだ。レミエルが巣篭もりしてなきゃ、アイツに押し付けたんだがな。コレを扱える者が少ないのは問題だな」
槍――『祭器・千億星の光旗槍』は、強力な能力上昇をもたらす呪具ではあるが使い手を担えるだけの実力者は学園であっても限られる。
今回は開発者であり、その数少ない使用者であるレミエルが研究室に篭ってしまった為に太珀が出雲に来た。
普段は学園の智者として、護り手として現場に出ない彼も、数少ない使い手の一人であるからだ。
「使用中は動けん。バックアップ指揮と判断はお前に任せたぞ」
「えぇ。現場はお任せします」
降りしきる雨の中、神代の洲・出雲を巡る攻防の第二幕が上がろうとしていた。
(執筆:コトノハ凛)
8月3日更新分
それは、ひとつの密告から始まった。
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蝉の声が盛況を誇り、夜半を過ぎても空調を切れなくなってきたある夏の日。
人類における対天魔の城、久遠ヶ原学園にある連絡が入った。
「密告? なんの冗談だ」
『真偽はそっちで確かめとくれい。少なくとも回線の特定が霊的に遮断されとる…相手が高位の天魔である事は間違いないぢゃろう』
学園内の内線を受けた太珀(jz0028)は、受話器の向こうの魔女――アリス・ペンデルトン(jz0035)から、ある連絡を受けていた。
それは、ザインエルの次の目標を密告したいという連絡が来たという内容で、数時間後にもう一度連絡をするからそれまでに対応を決めろと言ってきたらしい。
わざわざ対応を検討する時間を用意する辺りに、学園の体制をよく知っている気配が感じられると言えた。
『確か、鳥海山の動きについても密告があったのぢゃったよな』
「ああ…。どうにも、気持ちの悪い状態だな」
――鳥海山の力天使・トビトがメタトロン達を裏切り、ザインエル達の勢力に寝返る。
この情報も、《密告》によってもたらされたものであり、真偽は今のところ不明だが不穏な動き事態は確かにあったという報告を受けて、現在対応中の案件だ。
そこにさらなる《密告》だという。
『なににせよ、聞くだけは聞くのぢゃろ?』
「ああ、無駄だろうが逆探知はやってくれ」
受話器を置いた太珀に、驚愕の表情で固まっていた篝 さつき(jz0220)は恐る恐る尋ねた。
「太珀先生とアリス先生は、まじめに話すことも在るんですね?」
「疑問に思うのはそこなのか」
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危険を犯している自覚は在る。
けれど、それ自体はもう何年も自身の中にあるものだった。
(間違いなく疑う。それでもきっと、彼らは動くはず)
そちらは問題ない。
(でも情報が漏れた事に、内通者がいることをザインエル様は疑う。けれど、離反者を多く受け入れてる現状では、きっと特定するのは難しい)
この先はもう少し慎重に動く必要があるだろうが、と内心で付け加える。
(オグン殿が生きている…ね。ザインエル様の耳に入るのも時間の問題だろうけど…)
「―…報告をどのタイミングでするか迷い所ね」
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大小様々なサイズの白い蛇が、それぞれ球状の塊のような形で宙に浮かんでいる。
時折内部から赤い輝きを明滅するソレは、美しいとも禍々しいともいえた。
「大分集まったようだな。幾つか失敗もしたようだが」
大柄の美丈夫――ザインエルは、輝きを見聞していた視線を同朋達に向ける。
それに反応したのは青銀の毛並みの獣人――シリウスだ。
「予想の範疇といえば、範疇だろ。それを見越して大分おとなしくしてやったしな。もっとも、大口叩いて失敗するような予想はしてなかったがなぁ?」
「うるっさいよ、こっちは大分ネタが割れた状態だったんだから仕方ないだろ。誰だよ真っ先に見つかった奴はさ?」
噛みつくように吠えたのは黒髪の少女――エステル。
共に岡山と四国で、目撃された天使である。
「喧嘩はよろしくありませんわ」
古代ギリシア風の白い衣装を纏った女――リーネンが柔和な笑みのままやんわりと二人を止めると、ザインエルに話の続きを促す視線を送った。
促される形でザインエルは頷き、同朋を見回す。
天界から新たに顕現した者も増え、この場に居ない者を含めてもそれなりの勢力となった。
だからこそ、次の段階へ進める。
「これより、エネルギーの高度精製の準備に入る」
『出雲に眠る、人間どもが占領している遺構を制圧。京都に続く我らの拠点とする。
――全ては、我らが王の望むままに』
(執筆:コトノハ凛)
7月29日更新分
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関東の例年より長引いた梅雨明けが漸く出され、学生諸兄は夏休みという開放感と容赦のない宿題の両方を味わっていた。
『そうか、やはりゲートを襲っていたのは【天使】なんだな(カシャン)』
「えぇ、最初の2件両方の報告からそのように断定できますね。そして、地球の天使と悪魔両方と敵対行動を取っています」
扇風機がぬるい空気をまぜ返す部屋で、電話に応えたのは九重 誉(jz0279)。学園の教員である。
「目的は、エネルギーのようです。東北のゲートは未遂でしたが、岡山のゲートはエネルギーが完全に抜き取られていたそうですから」
手元の資料を捲ると、生徒が撮影してきた現場の写真のコピーが幾つも目に入る。
陰惨な状況が切り取られた画からでも感じられた。
「どうにも暴力的ですね。天魔なんですから、当然なんですが…」
『どちらかといえば、こういう派手なのは悪魔が好むものだ。が、悪魔ならこうも組織的に動くのはあまり好まん(カシャン)』
ふと、誉は電話の向こうの音が気になった。
「どちらにおられるんですか? 太珀先生」
通話の相手は、同僚であり、師ともいえる悪魔、太珀(jz0028)だ。
その音声には定期的にプーやら、カシャンやら妙な音が混じっていた。
『退魔スキル総合実技用体育館だ。新しく実戦配備になるものの最終チェックに引っ張りだされてな……あぁ待て、10円が切れる』
「分かりました、後でこちらに寄って頂けますか? 見せたい資料が……切れてしまったか」
そういえば機械の類は苦手だったと、切れたスマホの通話画面にも公衆電話と表示が出ていて納得する。
新たな脅威が地球に現れているのは間違いない。
だが、こちらも日々強くなる生徒たちが居るのだ。恐れることはない。
万全の体制で戦えるように、教師としても動かねば。
「……今度、シニア向け電話でも勧めてみるべきだろうか」
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話は関東での大規模な反攻作戦が行われる直後まで遡る。
山形県と秋田県に跨る位置にある山、鳥海山。
かつては出羽富士とも呼ばれ登山客に愛された山も、今では天使の住むゲートがある場所という認識で広く知られてしまっている。
そして、その場所で天使、悪魔、そして人間の三つ巴の睨み合いが数か月以上に渡って続いていたのだが、その最前線にいる生徒会のメンバーはあることに気づいていた。
「そうですか、やはりルシフェルは見当たりませんか」
偵察に出ていた生徒の報告を聞いた、久遠ヶ原学園生徒会会長である神楽坂茜(jz0005)は、慎重に頷いた。
それに気付いたのは昨日夜の事。
関東へ向けての南進を警戒し戦陣を組んでいる生徒会と冥魔軍との散発的な小競り合いに、手応えがなくなったのがきっかけだった。
そこで生徒会はその原因を探るべく偵察を走らせてみたところ、敵の総大将であるルシフェルの姿はおろか、幾人かの有力な武将も姿を消していると判明する。
真っ先に警戒したのは、別働隊でこちらの押さえを抜けられたかという事。しかしその形跡も、また南からの目撃報告等もなかった。
そして、次に考えられたのが
「北へ後退、札幌での被害は無視できなかったようだね。なによりだ」
広げられた東北地域の地図を睨んでいた大塔寺源九郎(jz0013)は、置かれた冥魔軍を示す駒のキングを北にずらし置いた。
兼ねてから、冥魔軍の動きとして予想されていたのは、南進か、北退。
少なくともルシフェルが退いた今、大軍を率いて関東への侵攻を許すという最悪のシナリオは回避出来たといえるだろう。
それは札幌、苫小牧の戦いにおいてリザベルとソングレイの二柱を倒した事が、影響しているのは間違いないと言えた。
「アラドメネクも後退した模様との報告も入ったよ。これで少なくとも東北の膠着状態は解消だね……天使が守り切る形で、だがね」
地図に残る天使の駒。その置かれた数は人類軍を圧倒していることを示していた。
「メタトロンが守備に置いていったものですね」
「三つ巴でこそ、対抗のしようもあったけれどね。流石に今のここの戦力じゃ、抑えにもならないね。神器も祭器も、そして人員も足りていない状況だからね」
質だけは一級品のつもりだけれどもと、冗談めいた仕草をする源九郎だが語る瞳には真剣さが宿っている。
実際ここでの戦いは、他所で勝つ為の布石となるのが目的であり、寡兵で十分としてきたのだ。
膠着状態を長く維持させることで、札幌、関東、と学園の大戦力を投入する戦いを影で支えてきたが、戦局が変わった以上、役目も終わる。
「こちらも監視を残して撤退かな。久々に学園でゆっくり休暇としゃれこむ位のご褒美はあってもいいんじゃないかな、どうかな。特に会長はいい加減休んで下さらないと、ぶっ倒れますよ」
そうなったら、親友が鬼の形相で泣きそうだなんて想像して、茜は苦笑した。多分他にもきっと心配してくれるひとが沢山いる。
「わかりました。休暇、とまでは言わないでも少し休むことを努力してみます」
「それは重畳。では、諸々撤退の準備をしてきますよ」
数日後、監視役を残し生徒会の一行は学園へと帰投した。
冥魔が去り、人間も手を引き、そして憂いのなくなった鳥海山の天使は、情勢を睨みある選択をするのである。
(執筆:コトノハ凛)
7月22日更新分
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長かった梅雨がようやく明け、青々と抜ける青空が本格的に始まる夏を告げた頃。
学園の依頼斡旋所には、最初に感じた異変の報告書の完成を待たずして、次々に同様ケースを疑われる依頼案件が舞い込んでいた。
「えぇ、はい。……そうです、申し訳ないのですが…えぇ」
学園のとある準備室。
元は理科準備室だったが、理科室が学園式の実験で吹き飛んだのが原因で移転し準備室だけが残っていたという、学園では比較的ポピュラーな経歴を持つ空き部屋の一つで、九重 誉(jz0279)は撃退庁の職員と連絡を取っていた。
「撃退庁の力を信頼しておりますから……えぇ、では失礼致します」
携帯を切ると、自然に短い嘆息が漏れた。
それを見て、そばで通話が終わるのを待っていた篝 さつき(jz0220)が気遣わしげにお茶を差し出す。
「あ、あのっ…大丈夫ですか? お疲れのようですが…」
「あぁ、ありがとう。なんという事もない。今、人類が置かれている状況を考えればな」
誉は受け取った茶を一口流しこみ一息付くと、恐縮しきりのさつきに要件を促した。
「四国も注意したほうがいいのは間違いないな。そちらはキミに任せる」
「解りました。あと、あのっ、神宮寺さんについても柔軟な対応をお願いしています」
示し合わせたのかは判明していないが、学園に帰属していたシュトラッサーの真宮寺 涼子 (jz0249)が失踪したとの報告があったのだ。
単純に処罰するのは、恐らく難しいことではないが処罰する以上のものを得られる可能性がある。
それゆえ、これらは生徒たち現場の判断に委ねるように手配していた。
どう転ぶかは解らないが、それを含めて任せるということだ。
「あと、10件ほどあった同様のケースが疑われるという案件ですが…、やはり関東での作戦直前ということもあり…」
「そちらは撃退庁に任せることを了解させた、ついさっきな」
先ほどの通話はそれだったのかと、さつきはホッと胸をなでおろした。
「撃退庁の方で、状況確認などをして貰えるなら負担は大分軽くなるだろう」
それでも、重大なケースや関わりが深い相手であるケースは学園で担当した方が良いという話になったらしく、誉の指示をさつきは手帳に二重線つきで記した。
ふと、その表情が曇り、ペンが止まった。
「やはり、この一件は京都の彼らの仕業なのでしょうか?」
「……報告書が揃えば分かることだ」
僅かに思案し、誉は明言を避けた。
そうは言っても、断片的に入る情報からもほぼ間違いなく、ザインエルの関わる一派によるものだろうと言える。
だが、その背景については、明確な情報がなく推測の言い回しが取り除くことが出来ない。
学園に帰属した堕天使達に聞きこみも当然行われたが、事を始めたのが天界の上層部である為か、推測以上の話は聞けなかった。
だが、実際に天使同士が戦っている状況を見るに、内戦に近い事が起こっているのは間違いないだろう。
(天使同士が戦っていたといえば、1年前のギメルの一件もそうだった。
あの時は、ギメルに対してザインエルが戦っていた―…)
「……ザインエルは裏切ったのだろうか?」
「え?」
「ザインエルは、これまでの報告からすれば義に篤い、所謂武人らしい性格だという話だ。京都に拘るのも部下を失った地であるのも一因だという見方もあるらしい。だとすれば、ザインエルは裏切るだろうか?」
いわれてさつきも、かの天使を思案してみる。
「確かに、もし裏切るのなら…よっぽどの理由が必要そうに思えますね」
「それも正当性の高いモノになるだろうな」
勿論、それはザインエルにとってであり、人類にとって脅威となるなら変わらないのだが。
近いうちに、こちらから彼らにアクションを取る必要があるかもしれない。
そこまで考え、誉は空になった湯のみをデスクに置いた。
「では、私は今後のことを太珀先生と相談してくる。生徒会とも連絡を取らなければならないしな」
「あっハイ! お疲れ様です」
なかなか人見知りの取れないさつきに微笑を返し、誉は準備室をあとにした。
一人残ったさつきは、使い終わった湯のみを洗っていた。
備え付けの小さな流しで簡単に洗い、広げたタオルの上に置く。ネコのアップリケが付いたそれは誉の私物である。
意外とかわいいところもあるのかな? いや、生徒からのプレゼントとかかな??
手を動かしながら、埒もない事を考えている内に、先ほどの話を思い返していた。
ギメル、ザインエル、内戦、裏切り…。
「他にも…裏切る天使が現れたりするのでしょうか」
知らずに声に出た独り言は、やけに準備室に響いて聞こえるのだった。
(執筆:コトノハ凛)
6月30日更新分
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コォォォ…ン コォォォ…ン
掃き清められた石の回廊に鉄靴の音が響く。それ以外の音はない。
美しい彫刻が施された天井、規則正しく並ぶ石柱にもまた装飾が施されている。
伝統的な天界の建造美を随所に感じる回廊、だが注意深く見れば艷やかな白磁についた傷があちらこちらで見つかるだろう。
(静かなものだ、三月も前に此処で死闘が広げられたとは思えないほどに…)
回廊を乱れのない歩調でいく長身の男――ザインエルは、その場に広がっていたであろう光景を想像しようとした。
天界におけるベリンガムの居城。
その玉座から私室に続く回廊。城の主の部屋への回廊としては異常なほど長く作られたそこは、かつて城主ベリンガム本人を封じるために張られた術が幾重にも張り巡らされていた。
それゆえ、ザインエルが歩くこの場所こそが、最初にベリンガムが王権を復活させる為に最初に刃を振るった場所になるのだ。
「来たか、ザインエル」
「はっ」
「よい、楽にせよ。それゆえ、こちらに呼んだのだからな」
迎えられた主の私室は、数多の並行世界に力を及ぼす天界を統べる者である事を考えれば、驚くほど小さい。
また部屋をさらに小さく見せているのは、本棚の多さも要因だろう。長きに渡り幽閉されていた主が書を好むようになった過去をうかがわせた。
そしてその部屋の一番奥、窓辺に配置された長椅子に坐す若い声こそが、この部屋の主。
ザインエルが剣を捧げた王、ベリンガム王である。
「余は平気だというのに休めとうるさい爺がいてな、お前には悪いが休憩中という体をとらせてもらっているという次第だ」
休憩中と言いながらも、空中に広げた書に魔力で文字を綴りながら王は肩を竦めた。おそらくは各地の同志に向けての指示だろう。
早く、些事に煩わせずに済むようにしなければ。
ザインエルは気持ちを引き締めたが、それを見た彼の王は笑みをこぼす。
「フッ、お前は分かりやすいな。だが折角私室に呼んだのだ、要件を聞く前に茶くらいは付き合え」
そして書をしたためる手を下ろした。
「エネルギー、ですか?」
ザインエルが固辞したため、一組だけ置かれたティーカップから立ち上る湯気も大人しくなった頃合いで、ベリンガムは漸く要件を切り出した。
「そう、エネルギー。それも集めたばかりの鮮度のあるものが欲しいんだ、出来るだけすぐに」
天使たちが現在干渉している異世界はいくつもある。
ベリンガム達王権派は天界と異界をつなぐ主要供給ラインの大部分を掌握したが、ラインの先の掌握はこれからである。
補給を断った事で、(ラインの先にいるエルダーの残存勢力との戦いを)急ぐ必要がなくなったのもあるが、一番の理由は人出不足が大きい。
彼らの勢力は皆一騎当千の強さを持っているが、駒がまだ足りないのだ。
「地球なら既にお前が居る」
しかもエルダー共が長期的な利用する場所だと位置づけていた為、埋蔵量もまだ潤沢なままの狩場だ。
「更に都合がいいことに、懸念であったオグンは死んでいる。オグンが居なければ、メタトロンが余の手筋を超えることもないだろう。彼は優秀だが、攻め手に欠けるからね」
メタトロン、かつての上司の名にザインエルは何の感情も抱かない事に内心ですこし驚いた。
だが、同時に納得もする。
正しい場所に己がいるのだと。
「潰しても構わない。搾りたてのエネルギーを余に献上せよ。出来るな?」
「御意」
「あぁ、それと」
即座にゲートを何処に開くか、そう考え踵を返そうとしたザインエルを、王は呼び止めた。
手のひらに載せた奇妙な白く小さな蛇を差し出しながら。
「これを使え」
学園に、奇妙な報告が提出されるのはこれよりしばし後となる。
(執筆:コトノハ凛)
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