プロローグ
舞台は九州の南に浮かぶ、種子島。
この地に降り立った一人の天使がいた。
「うち……決めた、この島をうちのものにする」
彼女の名はジャスミンドール。とある失態から中央を追われ、左遷を余儀なくされた元エリート。
「そうすれば中央に戻れるに違いないんよ。檀も、そう思うやろ?」
ジャスミンの花香る彼女の傍らには、物静かに佇む使徒の姿。
「わかりました。ジャスミン様がそう仰るのでしたら……私もお手伝いいたします」
「ありがとなあ。檀ならそう言ってくれると思ったわあ」
主の嬉しそうな声を聞きながら、使徒八塚檀は視線を海に向ける。
その憂いを帯びた瞳には、遙か昔の記憶がさざ波と共に映し出されていた。
一方その頃、冥魔側でも動きがある。
悪魔シマイ・マナフが、同じくこの種子島に目を付けていたのである。
「なあ、楓。お前にね、ちょっといい話を持ってきてやったよ」
彼の傍らには、従者である青年の姿。不機嫌さを隠そうともせず、ヴァニタス八塚楓が応える。
「どうせくだらねぇことだろ」
「おいおいつれないね。お前の兄貴のことだけど、聞きたくないか?」
兄という言葉に、楓の表情が一瞬にして険しくなる。
「……あいつがどうかしたのか」
シマイは愉快そうに笑いながら。
「今種子島って言う所にいるらしい。俺もこの島が気になっていてね」
交差する視線。悪魔はまるで、興じるかのように。
「そんなわけで楓、ちょっと行って引っかき回してきてよ」
種子島に降り立つ、二人の従者。
全く同じ顔でありながら、使える先は天と冥。
人だった時の、悲しい記憶。
そしてそれぞれの思惑に挟まれるのは、何の罪も無い島民達の姿。
「緊急です! 種子島が天魔に襲われています!」
久遠ヶ原学園に入ってきた、一報。
故郷が蹂躙されている事実を知り、宇都宮 宙は愕然となる。
「助けなくちゃ……みんなを……!」
あの美しい島を、壊させはしない。
これ以上、犠牲者を増やすわけにはいかない。
宙は依頼斡旋所へと走る。
「みんな、力を貸してください!」
(執筆 : 久生夕貴)
第一フェイズ――憂いと心火――
Episode.1
まばゆいほどの陽差しだった。
周囲を取り囲む大海は、鮮やかなコバルトブルー。
水深十メートルを遥かに見通せる透明度は、この国ではごく一部でしか見られない。
「……綺麗な所、やねえ」
光を反射する水面を眺めながら、ジャスミンドールは呟いた。見た目は十五歳位の少女だろうか。
陶器のような肌を持った、美しい顔立ちである。
彼女は妖艶とも神秘的とも取れる虚ろげなまなざしを、自身の隣に居る青年に向ける。
「なあ、檀もそう思う?」
檀と呼ばれた青年は、どこか憂いを帯びた瞳でじっと海を見つめていた。
沖からの風に、彼の艶やかな髪がさらさらと流れる。
「檀?」
再び呼ばれた青年は、はっとした表情でジャスミンドールを見つめ返す。
「えらいぼうっとして、何かあったん」
「……いえ、申し訳ありません。少し……昔のことを思い出していました」
「もう。また『かえで』のこと考えてたんやろ」
ちょっと拗ねたような彼女の言葉に、檀は苦笑してみせる。しかしその目元から憂いが消えることは無く。
「……美しい島ですね。とても」
「でも、退屈やわ」
言ってから、うつむく。黙り込んだジャスミンドールを、檀はどうすることも出来ずにただ見つめていて。
「……こんな所で何せえって言うん?」
こんなはずでは無かった。
対冥魔作戦で犯した痛恨のミス。敵の罠を見抜くために起こした行動が、逆に罠にはめられる結果となった。
独断でやったしまったがため、上官がそれを許すはずも無く。
ジャスミンドールは階級を剥奪され、ここ種子島に左遷されることとなった。
人口三万程度の小さな島である。
ここを制圧したところで、何の功績にもならない。要するに、戦力外通告をされたようなものなのだ。
「……ジャスミン様、せっかくの機会ですしお身体を休められては……」
「うち、誰にも何の役にも立たんのは嫌なんよ」
檀の言葉を遮るように、ジャスミンドールは続ける。
「何とかして、中央に戻りたい。なあ檀、どうすればええやろ?」
自身を見つめる視線に、檀はどう応えて良いかわからなかった。
●種子島本土
島を探索していた使徒・八塚檀は、南東の端を通りがかった時にふと足を止める。
大きなロケットが、地面から宙へ向けて立っているのが見えたから。
「……宇宙センター……?」
そう言えばここ種子島にはロケットを飛ばす施設があると、聞いたことがある。
遙か昔、自身が人だった頃の事ですっかり忘れていた。
「ああ……楓とここに来てみたい、と話しましたね……」
もう二度と戻らない、平穏の日々。
憂いを帯びた瞳が、さらに深い色を映す。
檀は人目に付かぬよう気を付けながら、施設に足を踏み入れてみる。
角張った大きな建物が、幾つか並んでいる。他の地域と違い、ここだけがどこか異質な空気だった。
――異質?
檀はこの違和感が、単なる施設の存在だけでは無い感覚をおぼえた。
この辺り一体の『気』が、妙に濃い気がするのだ。これは、以前どこかで感じたのと同じ気質。
「これは……ジャスミン様にお伝えした方がよさそうですね」
檀はそっと施設を離れると、ジャスミンドールの元へと戻っていった。
●
「檀、ここ凄いわあ」
宇宙センターまで来たジャスミンドールは、ふわりと微笑んでみせる。
ジャスミンの香りが、微笑が咲くと共に広がっていく。
「ほら、前にゲート展開に必要な地脈を調べたことがあったやろう? あの時強い地脈がある場所で、ここと同じような感覚を感じたの覚えとる?」
「ああ、あれでしたか。私もどこかで感じたような気がしていたのですが……」
けれど、ここの『気』はあの時とは比べものにならないほどに強く、濃い。
「ここはねぇ、いわゆるパワースポットなんよ。うちら天使の力を強めてくれる貴重な場所や」
この地を有効利用すれば、天界にとって有利なモノを作れるに違いない。どう使うかは上が決めることであるため、今自分がすべきことは――。
「檀、うち決めた」
紅い唇がしなやかに動く。
「この島を、うちのモノにする」
そう言って無邪気に瞳を細める姿は、少女そのものでさえあって。
檀は紫水晶のような彼女の瞳を、ただ見つめ返すことしかできない。
「ここを手に入れたら、きっと中央はうちを認めてくれる。そしたら戻れるに違いないんよ」
「……わかりました。ジャスミン様がそう仰るのでしたら……私もお手伝いいたします」
それを聞いたジャスミンドールは、嬉しそうに。
「ありがとなあ、檀ならそう言ってくれると思ったわぁ」
それを聞いた檀は、苦笑する。素直に命令をしないところが、彼女らしかった。
「それならなあ、ここに近い南種子町を制圧してくれるやろか。あそこを拠点にしたら、ええ感じになりそうやから」
その言葉に、檀はうなずいてみせるのだった。
●??
闇が心地良い、と気付いたのはいつからだろうか。
物心ついたときには、既にそうなっていた気がする。
自らの存在すらも分からなくなるほどの、深くて濃い――闇。
「なあ、楓」
自身を呼ぶ聞き慣れた声に、ヴァニタス・八塚楓は振り返った。
視線の先には、主である悪魔の姿。
「お前にね、ちょっといい話を持ってきてやったよ」
緩い笑みを浮かべるシマイ・マナフに、興味なさそうに返す。
「いい話? どうせくだらねぇことだろ」
「おいおいつれないね。お前の兄貴のことだけど、聞きたくないか?」
その言葉に楓の表情が一瞬にして強ばる。シマイをその鋭い目で睨み付け。
「……アイツがどうかしたのか」
「今、お前の故郷にある『種子島』ってところにいる」
「なんでお前がそんなこと知っている」
明らかに興味を示す楓を見て、シマイは愉快そうに笑む。普段は何を言っても面倒臭そうな反応しか返ってこないからだ。
「あの島に最近、天界の人間が飛ばされてきたってんでね。興味あって調べてたところだったのよ。
それがお前の兄貴とその主だったってわけ」
不機嫌そうな表情を崩さないまま、楓は主を見据える。早く先を言え、とでも言いたげだ。
「それでさ、楓。お前もその島に行ってきてくんない?」
気軽な言い方だが、命令されているのは分かっていた。
「……行ってどうしろと?」
「多分、天界のお嬢さんはあの地を支配するつもりだから。ちょっと行って、引っかき回してきてよ。
まあ、平たく言えば横取りしてこいってことね」
横取り、と言う言葉に楓の表情が反応する。つまりは天界の人間と敵対して来いと言うわけで――
「ほう……好きにやっていいんだな?」
「俺は成果主義だって知ってんだろ? 結果出せば口出しするつもりは無いよ」
それを聞いた楓は、にやりと口の端を上げ。
「……悪くない。いいだろう、お前の望み叶えてやるよ」
闇はいい。
自分の姿を誰にも見られない。
この顔を見て、何かを言われることも――
●久遠ヶ原学園
それは、突然の報せだった。
自身の生まれ故郷である種子島。ここが使徒の脅威にさらされていることを、宇都宮 宙(うつのみや そら)は学園の発表で知った。
通報を受けた撃退庁からの緊急要請だったそうだ。既に斡旋所では、使徒対応のための緊急招集が始まっている。
「なんでなの……?」
思わず、言葉が漏れる。
人口三万程度の小さな島。自然豊かで美しい場所だが、襲うメリットなど到底高いとは思えない。
それをわざわざ何故?
宙は不安だった。
京都や四国の時と違い、今回は目的すらはっきりいない。現れた天使や使徒の強さもまだわかっていないのだ。
この状況で、一体どれほどの人員があの場所に割かれると言うのだろうか。不安で心が押しつぶされそうになる。
宙は無意識に走り出していた。自分に何が出来るかはわからない。
けれどいても立ってもいられなかった。
(行かなくちゃ……!)
いつか宇宙へ行くと夢見た場所。この美しい地球を守ると決意させてくれた、大事な故郷。
誰にも、壊させはしない。
その固い決意を胸に、作戦本部のある斡旋所の扉を叩いた――
第二フェイズ――三つ巴の思惑――
天魔襲来を受けた種子島は、北が冥、南が天、そして中央が人間という戦況図を保ったまま小康状態が続いていた。
この状況を鑑み、指揮官九重 誉は両者の目的を探るために動き出す。時同じくして八塚檀・楓両者も各々の思惑で行動を開始。
人と天冥。
三つ巴の思惑が、この小島で交差することとなる。
<2014年2月までの戦況>
【北】……「西之表市」中央部をヴァニタス・八塚 楓が占拠中。周囲は冥魔に占領された状態となっている。
南方へ向けて威力偵察を行うも撃退士に邪魔をされ、途中で断念をする。
帰路の途中で兄である八塚 檀と遭遇。一触即発の状態になるが、シマイに阻止される。現在戦況を様子見中。
―――――――――――――――
【種子】三つ巴の思惑/楓(久生夕貴MS)
―――――――――――――――
【南】……「南種子町」中央部を使徒・八塚 檀が占拠中。周囲はサーバントが徘徊する状態。
北方へ向けて威力偵察を行う途中で撃退士と遭遇。目的が冥魔であるならば手を組まないかと打診され、天使ジャスミンドールに報告。
ジャスミンはそれならば人間を試してみようと提案し、その命の元檀は撃退士達と接触。彼自身は人間と言葉を交わしたことで内的歩み寄りを見せる一方で、主に種子島を支配する意思に変わりは無いことも伝える。
この点に関しては「冥魔を退けるまでの非戦協定」の話も出ているが、撃退士側も意見の相違が見られ方向性は未定。
―――――――――――――――
【種子】三つ巴の思惑/檀(水綺ゆらMS)
【種子】揺らぐ想い、力の在処(水綺ゆらMS)
―――――――――――――――
【中央】……「中種子町」に拠点を置いた司令官九重 誉の命により、各地の偵察が行われる。
その結果、天界の狙いが南東にある宇宙センターであり、ここはなにか特別な能力がある場所なのでは無いかと言う結論に至る。
しかし何故かゲートを開かない、付近のサーバントの性能がまちまちであることから天使側に『事情』があるのではと推測する。
―――――――――――――――
【種子】三つ巴の思惑/誉(STANZAMS)
種子島炊き出しツアー!?(小田由章MS)
種子島、謎だしツアー!(小田由章MS)
種子島、敵狩りツアー(小田由章MS)
―――――――――――――――
各々の思惑が交差する中、悪魔シマイの強かな悪意が彼らの動向をさらに乱していく。
冥魔が大きな動きを見せようとしている中、誉も天界へ向けての次なる一手を打ちだそうとしていた――
Episode.2
――地獄への道は善意で舗装されている――
私は常にこの言葉を肝に命じている。
正解、というものは難しい。
善意が全て正しい方向だとは限らない。悲劇を善意が生み出してしまうこともある。
行き過ぎた正義、平等と言う名の抑圧。誰もが正しいと信じ続け、気がつけば地獄の縁に立っている。
これまで人類が何度も繰り返してきた過ちの歴史を鑑みればそれは明らかだろう。
信じることは尊いことだ。同時に、危ういことでもある。
そこに悪意が潜んでいれば――なおさらに。
●西之表市
「いやあ……面倒なことになってきたねえ」
偵察用に放っていたディアボロから得た情報に、悪魔シマイ・マナフは独りごちていた。
細身の体躯を大きなダッフルコートで包み、首にはぐるぐるとマフラーを巻き付けている。マフラーから覗く顔は、壮年の優男だ。
「上手い具合につぶし合ってくれるかなあと思ったんだけどね。なかなか上手くいかないもんだ」
天界と撃退士の接触。
漁夫の利を狙う彼にとって、それは全く理想的とは言えない状況。しかしその表情に苦悩の色は見えず。
「まあ、いい。せっかくだからちょっと楓に働いてもらおう」
シマイは一旦のびをすると、口元に孤を刻む。気怠げで何を考えているのかわからないまなざしが、微かに闇を帯びる。
兄との再会でなお一層、心火を燃やす僕。
「あいつのことをわかってるのは、案外俺の方かもしれないねえ」
人としての生を捨てながら、人に執着する愛すべき存在。
だから、簡単に。
傷つけられる。
「楓、いいことを教えてあげよう」
それはまるで、世間話をするかのような気安さで。
「お前の兄貴なんだけどさ、人間と手を組もうとしてるらしいよ」
「……何?」
怪訝な表情を浮かべる楓に対し、ゆるい笑みを崩さずに。
「お前は人間を恨んで人としての生を捨てたってのにねえ。その人間と組んで俺たちを追い詰めようなんてさ、お前の兄はなかなか容赦無いよね」
一瞬唖然とした表情が、やがて険しいものへと変わる。
「……それは事実なのか」
「俺が嘘言って得することでもあんの?」
探るような視線を訳も無く受け止めて。何気ない言葉に忍ばせる善意の悪意。
「気になるんなら、確かめておいでよ」
知らぬ間に滑り落ちていく。
地獄への道は。
●中種子町
どんなに酷いことが起ころうと、必ず朝はやってくる。
夜明けに救われもう一度立ち上がることもあれば、朝陽のまぶしさに目を背け罪悪感に打ちひしがれることもある。
生きていることを知り、死を置き去りにし、前を見続けることに少しの疲弊も無いかと問われれば嘘になる。
それでも、朝はやってくる。
「九重さん、どうしました?」
ふいにかけられた声に、学園教師九重 誉 (jz0279)は我に返った。振り向くとそこには誉と同じく種子島出向をしている朝比奈 悠(jz0255)の姿がある。
「ああ……朝比奈君か。少し、昔のことを思い出していた」
「昔……前線に立っていた頃ですか」
誉は元々最前線部隊で戦うエリート撃退士であったことは学園内でも知られている。戦いの中で瀕死の重傷を負い、現在は第一線を退かざるを得なくなったことも。
「生徒達を送り出す度に、私は毎回あの時の悪夢が再現されるような恐怖を感じている。まあ生徒の前ではとてもそんなことは言えないが」
苦笑する誉に対し、悠は微かに視線を落としながら。
「あの作戦の失敗は九重さんのせいではないでしょう。あまり自分を責めないでください」
「……あの時はあれが最善で正解だと誰もが信じていた」
地獄への道だとはつゆ知らず。
「そして、結果的に全滅を招いた」
自分だけが生き残って。
今も身体の中で動き続けている人工臓器が、毎朝自分は『生かされている』という事を思い出させる。
「人は過ちを繰り返す生き物だ。私も繰り返さないとは限らない」
「……でも過ちを知らなければ、教えることもできませんよ」
悠の視線は誉のそれよりずっと強く。何も言わずただこちらを見つめる誉に対し、はっきりと告げる。
「私はあなたが指揮官で良かったと思ってます」
失ったものの大きさを、知っている。
知っているから、信じられる。
●種子島北部
その日、僕は友達と近くの空き地でサッカーをすることになっていた。
天魔がいるかもしれないのは怖い。けれど撃退士の人達がパトロールをしてくれているおかげで、この辺もだいぶ落ち着きを取り戻している。
だから、今日もきっと大丈夫。
もし天魔が現れても、撃退士が何とかしてくれる。だって彼らはヒーローだし、実際にとても強い。
みんなそう、信じていた。
だから目の前で起こったことが信じられなくて。
「お前らに聞きたいことがある」
赤い目をしたその人は、見た目は人間と変わらない。
けれど血まみれで倒れている撃退士を見下ろす姿は、悪魔にしか見えなくて。
あんなに強い撃退士がやられるなんて。
あんなに血を流して倒れるなんて。
僕らはみんな、信じてた。
信じることは、大切なこと。学校でもそう教わった。
でも、本当は何もわかっちゃいなかったんだ。
信じることと、考えないことは違うんだってことに。
何事かを話し終えたその人は、とても怒っているように見えた。
最初から怒っていたけれど、今はもっと、もっと怒っている。
でも……なぜか、とても悲しそうにも見えた。
その人は僕らの方を見た後、口だけを動かして言ったんだ。
「ちょうどいい。お前らにも人質になってもらおう」
(執筆:久生夕貴)
第三フェイズ――天か冥か――
Episode.3
仄暗い闇の中。
「なるほどねぇ、これはなかなか面白そうだ」
浸食の悪魔は人知れず微笑する。
視線の先には新たなディアボロの姿。先日の結界術教授の見返りとして手に入れたものだ。
その特殊な性能はまさに自分向きと言え、送り主のセンスもなかなかのものだと思う。
「もう少し、この地で愉しめそうだよね」
「……そう言えば、天界は人間と手を組んだとお聞きしましたが」
かけられた声に、シマイは再び微笑する。
いつも通りのはり付けたような、曖昧で醜悪な笑み。
天界と撃退士側が一時的に共闘したというのは、彼の耳にも入ってきていた。
「どうせあのお嬢さんは、利用する事しか考えてないだろうにねぇ」
自分たちを追い払えば、途端に敵対する事など目に見えている。けれど人間側だって馬鹿じゃない。それくらいのことは予測した上で、なお手を組む事を選んだのだろう。
そも天魔両方を相手取るよりは遥かにマシなのだから。
シマイは思案していた。
一時的とは言え、両者の目的がこちらである以上まともにやり合っても勝てるとは思えない。
自分の目的は天使と同じ宇宙センター下に眠るパワースポットであるとはいえ、そこまで欲しいかと言われればそうでもない。
ハイリスクを負ってまで手に入れようとしないのもまた、彼の処世術の一つでもある。ならばさっさとこの地を捨てる事も考えたのだが、それでもこの地に未だ残ってみようと思うのは、まだここで楽しめる事が多いからに他ならず。
こちらを見つめる少女に向けて、ゆるゆると嗤う。
「彼らが必死に手に入れようとしているものを、横取りするのが楽しいんだよ」
天使が欲しがるこの地も。
彼らが望む未来も。
その願いが強ければ強いほど、壊すのもまた至福の蜜を与えてくれる。
「……そうですか」
返す表情に変化はない。黄金色の髪が闇の中でさらりと揺れる。
「墜ちていく楓を見るのも楽しかったよ」
あの繊細さが血に汚れるたびに、濁り淀んでいくさまを観てきた。そんな従者が自分の支配から逃れようとする姿もまた、己を愉しませると分かっているから。
「楽しみだよねえ」
これから起きる事が、波紋のように広がりどう影響していくのかが。
「私にはその辺りの感覚はわかりませんが。お呼びいただいた以上、助力となれるよう努めます」
「期待しているよ」
気が付けば、悪魔はそこにいる。
心の隙間に。
宵闇の狭間に。
りいん、とどこかで鈴の音がした。
(執筆:久生夕貴)
幕間
撃退士の努力の末、種子島で久しぶりの夏祭りが行われる。
立ち並ぶ屋台に、上がる花火。
懐かしいその光景に誘われるように、現れた影があった。
使徒八塚 檀とヴァニタス八塚 楓。
互いに会うことはないけれど、かつて共に見た光景は彼らの心に確かに響いていた。
そんな二人の前に現れたのは、撃退士たち。
つかの間の夏祭りを共に過ごし、それぞれの口から告げられた真実に撃退士達は決心をする。
――悪魔シマイ・マナフとの決着を。
追憶の花火が、彼らを淡く照らしていた。
―――――――――――――――
【種子】追憶の天花・檀(水綺ゆらMS)
【種子】追憶の天花・楓(久生夕貴MS)
―――――――――――――――
第四フェイズ ――浸食思考の悪魔――
悪魔シマイは滋賀で起きた一件のために一時的に種子島を離れていた。
そこで出会った四国の悪魔勢に請われ、結界術を教える事になる。
その見返りとして手にしたのは二つ。
一つ目は、通称『赤い靴』と呼ばれるディアボロ。意識のない人間に履かせると自由に操れるという代物である。
二つ目は、高い誘眠スキルを持つヴァニタス・リーン=リインの借り受け。
シマイはこれらを利用し、楓の幼馴染みである「七条梓」を手中に収めることを目論む。
目的は人になびき始めた楓を追い詰め、支配下に置くこと。そのために、赤い靴の調製を兼ねた実験を始めるのだった。
―――――――――――――――
【種子】踊る人形【赤靴】(離岸MS)
【種子】乙女心と秋の海(STANZA MS)
【種子】Just call my name(水綺ゆらMS)
―――――――――――――――
赤い靴の存在を知った撃退士は、シマイの狙いが七条梓にあると看破する。
当の梓は、過去の事件で半植物状態になっていた。彼女を病院から学園へと移送し保護することを撃退士は提案。
そのためには八塚檀・楓の父である八塚家当主・八塚 柾の説得が必須であった。
撃退士はまず使徒・檀に協力を要請し、彼の紹介状を手に八塚へと赴くことに。
生徒達の真摯な説得により、梓の引き渡し交渉は成功。彼女の移送を行うこととなった。
―――――――――――――――
【種子】茨姫へと至る糸【赤靴】(離岸MS)
【種子】碧落の絆、夜天光の涙(水綺ゆらMS)
【種子】Bad Apple(離岸MS)
―――――――――――――――
Episode.4
――Je te veux――
あなたが欲しい
誰が 誰を?
何が 何を?
●西之表市
「……お前、今なんて言った?」
種子島・西之表市。
年季の入ったビルの一角で、八塚 楓(jz0229)は愕然とした表情で立ちすくんでいた。
「あれ、聞こえなかった? 七条 梓っていう子についてさ、お前とちょっと話したいんだよ」
「ふざけるな、どうしてあいつの名前が出てくる!」
激高する楓を前に、シマイ・マナフ(jz0306)はいつも通りの気怠げな笑みを刻んでいた。その表情は「予定通り」と言わんばかりで。
(一体何が起きている……!)
悪魔の口から彼女の名が出たことで、楓の心中は混乱を極めていた。
七条 梓。
かつての幼馴染みであり、自身が想いを寄せていた相手。楓が人を止めるきっかけとなった事件で、彼女も大怪我負ったまでは知っていたのだが。
「単刀直入に言うとさ、彼女今、昏睡状態のまま眠り続けてるんだよ。お前は知らなかったかもしれないけれどね」
「……何が言いたい」
敵意を隠そうともしない従者に向け、シマイは飄々と告げる。
「まあ、せっかくだし、君も彼女が近くに居たほうがやる気出るんじゃないかと思ってね。ちょっと彼女を連れてこようと思ってさ」
「なっ……!」
「その方がさ、お前も俺の言うこと素直に聞けるだろ?」
聞いたと同時、楓の瞳が見開かれるのがわかる。こちらへ向けられた紅い心火が、絶望に塗り替えられる瞬間。
悪魔の口端に悦楽が浮かぶ。
「ま、そういうわけでさ。俺はしばらくここを留守にするんだけど、その間撃退士が放って置いてくれるとも思えないんだよねえ」
だからさ、とゆるい調子で命令する。
「お前はここで、しっかり防衛してて欲しいんだよね」
対する楓は、状況を受け入れられずにいるようだった。しかし、自分は主の命令を聞くしか無いのだとわかってはいるのだろう。
裏切れば、梓の命がなくなるということも。
「最初からそのつもりで……」
「え、何か言った?」
楓は言葉を発しようとしたが、やがてその目から力が失われるのが見て取れた。虚ろな表情でただかぶりを振ると、ただ一言。
「……わかった」
聞いた悪魔は満足げに、頷いてみせる。
「お前は物わかりがよくて助かるよ、楓」
そう、シマイはいつもこうやって、楓から思考を奪ってきた。
追い詰めれば追い詰めるほど紅い瞳には怒りと混乱が生まれ、それはやがて諦めへと変わる。
人が墜ちていくさまを愛でる、浸食の悪魔。
底知れぬ笑みが、闇の中で淀み濁っていく。
●中種子町
種子島対策本部。
学園教師・九重 誉(jz0279)は朝比奈 悠(jz0255)を始めとした教師陣に一人の男を紹介した。
「今日からここに赴任することになった、三連沢君だ」
「三連沢です。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げる三連沢 時雨(jz0285)は、見たところ悠と同世代と言った所だろうか。
「朝比奈です、種子島へようこそ。ここの戦線もいよいよ大詰めですから、一人でも人員が増えるのは助かります」
声をかけた悠に、時雨も頷き返す。
「先程九重先生から冥魔掃討作戦が近いと聞きました。お役に立てるよう尽力します」
「ええ。やるべきことは山積みですが、頑張っていきましょう」
一通りの自己紹介が済んだのを見計らい、誉は本題を切り出していく。
「では、作戦会議に入る。昨日八塚家当主・八塚 柾から連絡があった。『七条 梓』の移送手配が整ったとのことだ」
その言葉に、集まった面々の表情が引き締まるのがわかる。誉はこの件を担当していた悠を見やり。
「朝比奈君、続きを頼めるか」
「わかりました。七条 梓の移送自体はそう大したものではありません。梓が入院している病院からドクターヘリを使い、学園へと移送する。以降は学園内の保護施設にて匿う予定です」
「七条は一時的に死亡したことにするんだったな」
「ええ。表だっての移送を避けたいという八塚の意向です」
すべては世間の好奇な視線から八塚家を護るために。聞いた時雨は軽く息をつきながら、呟く。
「息子二人が天魔の従属に身を堕としているというのに、それでもまだ『家』を優先するんですね……」
檀と楓を失ってなお、頑なに『当主』としての役割を演じ続けてきた。個としての自分を捨ててきた柾もまた、『家』に縛られた一人ではあるのだろう。
誉は書類の束に視線を落としたまま。
「この報告書を読む限り、梓の移送に承諾しただけでも上出来だと言えるだろうな」
「そうですね。八塚檀の協力と生徒達の熱意が、響いたのだと思います」
わずかに残っていた、父親としての情に。
誉は報告書から顔を上げると、悠を再び見やる。
「段取りの件は了解した。問題はこの移送だが、恐らく悪魔が狙うだろうな」
「ええ。元々梓の移送を生徒達が提案したのも、シマイ・マナフが彼女を狙っているからという理由ですので。もちろん、その当たりの手は打つ予定です」
「わかった、この件は朝比奈君に一任しよう」
誉はそう言って軽く頷いてから、メンバーを見渡す。
「さて、諸君。今回の移送作戦は、悪魔が島を離れる好機でもある。そこで我々は、移送と同時進行で冥魔が占拠する西之表市の奪還を目指す」
その言葉に、会議室内はわずかなざわつきを見せる。一人が手を挙げ。
「冥魔陣営が手薄になるのは確かでしょうが…病院へかなりの戦力を割く以上こちらも島内が手薄になるのは避けられないのではないですか」
聞いた誉はあっさりと返す。
「足りない部分は補えばいい」
「しかし、こんな急に手配できるでしょうか」
「既に戦力は島内にいる」
「え?」
「”天界”だ」
誉は一時的な共闘関係を結んでいる天界側へ、作戦参加を打診したのだと言う。
「生徒達によって、既に使徒・八塚 檀(jz0228)との話はついている。主であるジャスミンドール(jz0317)の返事を直接は聞いていないが、冥魔掃討となれば嫌とはいわんだろう」
ただ、と誉はわずかに視線を鋭くし。
「いずれ天界とも雌雄を決する時は来る。今回はあくまで共通目的のための一時協定であることを、忘れるな」
この地を支配し続ける限り、冥魔を排せば次に相手取るのは天界勢となる。
そう、今は両者納得の上での相互利用期間。
最初の脱落者が出れば、すぐさま壊れてしまう砂上の関係。
けれどもし――
立場上口にはしなくとも、誉は関わってきた生徒の多くが抱く想いも理解していた。
すべての戦いが終わった先に――ひとつでも、信じられるものが残るのなら。
「……以上だ。詳しい作戦内容は、追って説明する」
それぞれの望みがすれ違い、思惑が交差する。
最後に残るのは、誰の『欲』なのか――
(執筆:久生夕貴)
第五フェイズ ――Je te veux――
梓は八塚・久遠ヶ原の細工で「突然容態が悪化し死亡」というデマを流布。
表向きには死んだことにして、こっそり久遠ヶ原へと移送する事が決定する。
しかし、移送当日悪魔シマイが襲ってくる事を予想し、迎撃態勢を整えつつ当日に臨む。
一方、種子島内では冥魔の拠点が手薄になるであろうと判断。同時進行で西之表市奪還を目指すことに。
まず行ったのは、天界側の協力を得ること。
使徒檀との接触を経て、冥魔拠点奪還作戦へ共闘者としての参加を取り付けることに成功する。
―――――――――――――――
【種子】動き出す季節(水綺ゆらMS)
―――――――――――――――
移送を阻もうと病院にやってきたシマイを撃退士達は退けることに成功。
一方、種子島内では天界の協力のもと、北上を成功させる。
最終的に市役所内で待ち構えていた楓を説得し、冥魔拠点奪還は成功を収める。
しかし、このままでは不利を悟ったシマイに逃げられてしまう。
生徒達はシマイを逃がさないために、楓へ協力を願い出たのだった。
―――――――――――――――
【種子】Je te veux/病院・迎魔(離岸MS)
【種子】Je te veux/病院・陽動(BarracudaMS)
【種子】Je te veux/病院・隠密(小田由章MS)
【種子】Je te veux/島内・朷烙(久生夕貴MS)
【種子】Je te veux/島内・朷澪(水綺ゆらMS)
【種子】Je te veux/島内・想蕾(STANZAMS)
―――――――――――――――
様々な欲と願いが交錯する中、シマイを討つために撃退士達は動き出す。
楓の協力の下、市役所内へおびき寄せたシマイと直接対決をすることに。
シマイはこの罠にかかり撃退士からの包囲を受けるも、意識を奪った楓を連れ逃走を謀る。
しかし役所内での攻防の末、撃退士達は楓の奪還に成功。
追い詰められたシマイはひとまず撤退を選ぶが、いずれ取り返しに来ると宣言する。
また、別戦域ではリコ・ロゼの主悪魔が彼女を連れ戻しに来ていた。
撃退士の説得の末、一時的に手を引かせることには成功するが、この先どうなるかはわからない――
―――――――――――――――
【種子】焔に手を翳す(離岸MS)
【種子】想蕾の行方(STANZAMS)
―――――――――――――――
西之表市役所での攻防の末、一度は撤退したシマイ・マナフだったが宣言通り再び種子島に姿を表す。
島北部に突如現れた巨大結界。それはまさに、悪魔の執念そのものであった。
妄執の連鎖を断ち切るべく、撃退士達は結界突入を決行。
檀と楓、そしてリコの助力を得て、ついにシマイの討伐を成功させる。
そして浸食の悪魔から解放された八塚 楓は、撃退士に最後の約束を果たしてもらう。
彼の望み通り、撃退士の手でその生に終止符を打つ。
こうして、冥魔掃討作戦は終わりを迎えたのであった。
―――――――――――――――
グランドシナリオ:【種子】錯双乱的玩具箱
グランドシナリオ作戦概要
グランドシナリオリプレイ
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様々な欲と願いが交錯する中、シマイを討つために撃退士達は動き出す。
楓の協力の下、市役所内へおびき寄せたシマイと直接対決をすることに。
シマイはこの罠にかかり撃退士からの包囲を受けるも、意識を奪った楓を連れ逃走を謀る。
しかし役所内での攻防の末、撃退士達は楓の奪還に成功。追い詰められたシマイはひとまず
撤退を選ぶが、いずれ取り返しに来ると宣言する。
また、別戦域ではリコ・ロゼの主悪魔が彼女を連れ戻しに来ていた。撃退士の説得の末、
一時的に手を引かせることには成功するが、この先どうなるかはわからない――
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【種子】焔に手を翳す
【種子】想蕾の行方
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西之表市役所での攻防の末、一度は撤退したシマイ・マナフだったが宣言通り再び種子島に姿を表す。
島北部に突如現れた巨大結界。それはまさに、悪魔の執念そのものであった。
妄執の連鎖を断ち切るべく、撃退士達は結界突入を決行。
檀と楓、そしてリコの助力を得て、ついにシマイの討伐を成功させる。
そして浸食の悪魔から解放された八塚 楓は、撃退士に最後の約束を果たしてもらう。
彼の望み通り、撃退士の手でその生に終止符を打つ。
こうして、冥魔掃討作戦は終わりを迎えたのであった。
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グランドシナリオ:【種子】錯双乱的玩具箱
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Episode.5
望むならば断ち切ろう、その鎖を。
●中種子町
「――そうか、ご苦労だった」
中種子高校・種子島対策本部。
学園教師・九重 誉(jz0279)は、西之表市に突入していた生徒からの報告を受けていた。
『冥魔拠点奪還、成功』
安堵のため息、一つ。
報告によれば深刻な深傷を負った者はおらず、想定以上の成果をあげたと言っていい。
病院戦の指揮を執っていた朝比奈 悠(jz0255)からも、先だって作戦成功の連絡を受けていた。
こちらは苦戦した戦域もあったようだが、悪魔と直接対決をした以上、致し方なかった部分もある。何より、あの状況下で一般人に被害が出なかったのは大きい。
そして――
「やはり、シマイを討ちに出ることを選んだか」
悪魔シマイ・マナフ(jz0306)の討伐を、誉は敢えて明言しなかった。
これまでの動向を見るに、シマイは島の覇権に重きを置いているようには見えない。拠点を奪還され、不利を悟ればそのまま撤退する可能性もあっただろう。
しかし、生徒達は八塚 楓(jz0229)を説得し、シマイをおびき寄せる手段を手に入れた。
それ程までに、討伐への強い意志を示してみせたのだ。
(……すべては、あの双子のためなのだろうな)
戦争とは最も最適な手段で勝ってこそ。
長く対天魔戦線にいた誉にとって、あえて危険を冒す生徒達の選択は、本来褒められるべきものではない。
けれど、彼らが命懸けでつかみ取ろうとしている姿を、ずっと側で見てきた。
教師として、ひとりの人間として、生徒達に心動かされなかったと言えば嘘になる。
シマイは受話器を取ると、電話口の生徒へ作戦実行の旨を伝える。
「ではこれより、シマイ・マナフ討伐へ向けての作戦を実行する」
作戦内容は以下の通り。
まず、シマイが戻ってくる前に撃退士は市内中心部より、一時撤退。
楓には西之表市役所内に残ってもらい、「拠点が落ちていないように見せかける」状態を作り出す。
何も知らないシマイが戻ってきたところで、楓から連絡を受けた撃退士達が一斉突入するという算段だ。
不確定要素が多い上に、シマイが騙されてくれるかどうかもわからない。
仮に包囲できたとしてもあの悪魔のことだ。何らかの手は打ってくるだろう。
それでも、誉は生徒達の賭けに乗ることにした。
「諸君等の選択に、期待しよう」
告げる口端には、いつの間にか笑みが浮かんでいた。
●西之表市郊外
「檀さん……本当に楓さんの側にいなくていいんですか」
生徒の一人にそう問われ、八塚 檀(jz0228)は顔を上げた。
「心配なら市役所に残ってもよかったのに。周辺域の守りについてくれるのはありがたいけど……」
他の生徒にも言われ、苦笑する。相変わらず自分は不安そうな顔をしていたのだろうか。
「いえ、楓には撃退士の皆さんがついていますから。私がついているよりも、ずっと心強いはずです」
庁舎前で楓との再会を果たした檀は、一旦撃退士と共に退却していた。
サーバントを使って広域監視できることもあり、現在は中心部周辺の護衛に当たっている。シマイとの戦闘が始まった際、他の敵が役所に向かうのを防ぐためだ。
「私は皆さんを信じていますので」
そう応える檀の表情は、以前よりずっと強くなった。
相対的に見れば未だ憂いを宿す瞳も、光を帯びる機会が増えたようにも思う。
同時刻、同じく周辺域の護衛に当たるリコ・ロゼ(jz0318)は、ふんすと気合いを入れていた。
「リコ、ふー様を幸せにするために頑張るからね!」
彼女の周りには、”トモダチ”である撃退士の姿がある。
みんながふー様のためにシマウマ※を倒すって言っていた。※シマイのこと
だから、リコもトモダチと一緒に手伝うことにしたのだ。
ふー様が苦しむのは、もう見たくない。
トモダチが悲しむのも、見たくない。
だから、頑張るんだ。
●西之表市中心部
陽が昇りきった市街地に、シマイ・マナフは降り立った。
「……思ったより静かだね。楓は頑張ってくれたのかな?」
市街地随所に戦闘の爪痕が残されているところをみると、それなりにやり合ったのだろう。
シマイは市役所まで移動すると、少し離れた所から様子を伺う。
付近に撃退士の姿は見えない。庁舎前の駐車場には、護衛ディアボロの姿も見える。
「……ここが奪われた様子はなさそうだねぇ」
いつも通りの軽薄な笑みを刻み、シマイは庁舎内に入っていく。
しばらくの後、撃退士の元へ楓からの連絡が入った。
(執筆:久生夕貴)
Episode.5-2
「――あっ、目を覚ましましたよ!」
どこからか響いてくる声に、ゆっくりと意識を浮上させる。
いまだぼんやりする視界の中、自分を呼ぶ声だけがはっきりと入ってきた。
「大丈夫ですか、楓さん。気分は悪くないですか」
目を覚ました八塚 楓が最初に見たのは、自分を心配そうに見つめる少女の姿だった。
「……ここは」
ようやくそれだけを口にすると、目だけを動かし周囲を確認する。
見たことの無い天井、見たことの無い壁。どうやら自分は見知らぬ場所で寝かされているようだ。
「中種子町にある中種子高校です」
空色の瞳をした少女は意思疎通ができたことにほっとしたのか、微かに笑みを浮かべる。直後、別の声が頭上に落ちてきた。
「ついでに言えば、”種子島冥魔対策本部”と言っておこうか。八塚 楓」
視界に現れたのは長身の男だった。鋭い視線に、引き結ばれた口元。少女が「九重先生……」と呟くと同時に、口を開く。
「何故自分がここにと言いたげだな」
男の言うとおり、楓は上体を起こしながら記憶を辿っている最中だった。
西之表市役所内でシマイをおびき寄せた。撃退士に連絡し、初めて主に刃を向けたまでは覚えているのだが。
「……何があった」
「楓さんはずっと気を失っていたんですよ」
宇都宮 宙と名乗った少女は事の次第を説明し始めた。どうやら自分はシマイに意識を奪われた挙げ句、そのまま連れ去られそうになったらしい。
「そんな楓さんを、みなさんが連れ戻してくれたんです」
宙の言葉に思わず言葉を飲み込む。続く彼女の説明によれば、意識が戻らない自分を西之表市に放置するわけにはいかないと、中種子町へ運び込んだとのことだった。
「あいつは……シマイはどうなった?」
「すんでの所で逃げられました。でも……彼は必ず戻ってくると思います。そう言ってたようですから」
――俺は、諦めないよ。
はっきりとそう言い切った顔からは、いつもの軽薄な笑みが消えていたと言う。
その話を聞いた楓は、戸惑いを隠せないでいた。
「なぜ……」
正直なところ、それ程まであの男が自分に固執するとは予想していなかった。
現にこれまでは互いに利用しあう関係を築けていたはずだ。自分に利用価値がないとわかれば、簡単に見切るだろうと認識していたし、それでいいとも思っていたのに。
「自分のものを奪われそうになった途端、惜しくなったんだろう」
九重と呼ばれた男が、特に面白みも無いといった様子で言いやる。
「奪う事でしか他者と関係を築けない者によくある話だ」
差し出すその手で壊してしていることにも気づかずに。
「とはいえ、お前も似たところがあったから今までうまくやれていたのだろうが」
「ぐ……」
言い返せないでいる楓を見て、宙があわあわとなり。
「先生容赦ないですね……」
「事実を述べたまでだ」
誉はあっさりとそう言い切ると、楓へと向き直る。
「八塚 楓。種子島指揮官として、私はお前に言っておかねばならないことがある」
「……何だ」
問い返す瞳に、表情を変えることなく淡々と告げる。
「今回の作戦で、生徒達に手を貸してくれたことは礼を言おう。だがこのこととお前が背負った罪とは別の話だ」
有無を言わさぬ口調。
「仮にシマイ・マナフの討伐に成功しても、学園でお前の保護をする事は出来ないし、この決定が覆ることは無い。そのことは認識しておいてもらう」
聞いた楓はわずかに視線を落としつつも、はっきりと頷く。
「わかっている。俺は今さら自分の罪から逃れるつもりはない…それだけのことをやってきた自覚はあるつもりだ」
「それでも、お前はシマイの討伐を望むか。生への可能性を捨ててまでも」
誉の率直な問いに、迷う事なく答える。
「元々人間を止めた時点で俺は死んでいた。これ以上、悪魔の従属として生き延びるつもりはない。それに……」
燃えるような瞳が、再び誉を捉える。
「もう俺の望みは叶った。それで十分だ」
――自由になりたい。
悪魔の支配から解放されなければ、手に入らないと思っていた。
でも本当はそうじゃない。
たとえ悪魔にその魂を汚されようと、呪わしき運命に捕らわれようと、奪えないものがあった。
それは他者を想い、他者から想われるということ。
ただそれだけで、自分は自由なのだと思える。
ただそれだけで、自分は幸福なのだと信じられる。
何かを願うことさえ諦めてきた自分にとって、そのことに気づけたのは奇跡にも近いことで。
「俺がシマイ討伐を望むのは、あいつを生かしておけばろくなことにならないからだ」
「せめてもの贖罪と言うつもりか」
「どうとでも言え」
ぶっきらぼうに応える楓に、誉はしばらく沈黙した後。
「人だった頃のお前は……いや、いい。今さら聞いても詮無きことだろう」
楓に対してわずかな興味を抱いた自分に、内心で苦笑する。自分も所詮は生徒達と同じ目でこのヴァニタスを見ているのだと、自覚しつつ。
「本来であれば、討伐対象であるお前に言うべき言葉を私は持たない。だが、ひとりの人間としてお前に言っておく」
かつて人であった男に告げる言葉。
「多くの命を奪ったお前を、私は許すつもりはない。だがそんなお前のために、私の生徒達は命を賭けた」
こちらを向く紅は、わずかに熱を帯びただろうか。
「そのことを、死ぬまで覚えていろ」
(執筆:久生夕貴)
最終フェイズ ――Who is the black sheep?――
冥魔掃討作戦の成功を受け、島の北部は開放された。
しかしそれは、天界と結んでいた一時共闘も自動的に解消されることを意味している。
指揮官の誉は北部の復興や残党狩りを進めつつ、南部の警戒にあたっていた。
そんな最中、島の調査に訪れていた四国のメイドが謎の天使に襲われる。
撃退士達はメイドを救出し、彼女達はいずれこの礼はすると言い立ち去っていく。
新たな不穏の影を撃退士達が感じ取った直後、宇宙センターにてゲートが出現。
種子島最後の戦いが幕を開けようとしていた。
―――――――――――――――
種子/さよならのカウントダウン(九三壱八MS)
―――――――――――――――
―――――――――――――――
【種子】嘆きの女と忿怒の鉄槌(九三壱八MS)
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一方、突然ゲートが出現したことで、八塚 檀は困惑していた。
ジャスミンドールは使徒である自分に何も言わず、ゲート展開を決行したのだ。
不穏なものを感じた檀は、彼女に会うために急いで南部へと帰還する。
しかしその途中で出会ったのはファウルネス。ジャスミンドールの古い知り合いだった。
この天使の策略で檀は帰還を阻まれ、人殺しの罪まで着せられそうになる。
しかし撃退士によって救出されたことにより、彼もまた、最後の戦いを決意するのだった。
―――――――――――――――
【種子】13番目の羊(水綺ゆらMS)
―――――――――――――――
ゲートが出現した大型ロケット発射場は、数日後には厚い霧で覆われてしまった。
発射場に何かあると睨んだ誉は、生徒達に調査を頼む。
しかし、敵陣中枢への潜入は、まさに死と隣り合わせ。
突如同行することとなったメイドと共に、彼らは決死の潜入捜査に挑む。
その結果、巨大な『兵器』の存在が発覚する。
事態を知った誉は、学園本部に連絡。ゲート破壊へ向け、全校生徒招集の決定が下された。
―――――――――――――――
【種子】霧中の羊は時を駆ける(久生夕貴MS)
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Episode.6
――Who is the black sheep?――
裏切り者は誰?
●宇宙センターゲート内部
「――ふうん。それで結局、その悪魔には逃げられたん?」
静まりかえった最深部。
真っ白な壁に、淡い藤色で統一されたアール・ヌーボー調の調度品が並ぶ。
甘い芳香がむせかえる中、天使ジャスミンドールは隣で身体をくねらせる男に視線を向けた。
「邪魔する奴がいたザマァァァス。せぇぇっかくジャスミンちゃんのゲート祝いに、腹を裂いてあげようと思ってたのに!」
そう言ってくるくると独楽のように舞わせる天使は、名をファウルネスという。
のっぺりとした顔、ひょろりとした体躯。
見るからに奇天烈な服に身を包むこの男は、かつてとある研究機関に身を置いていた。現在はそこからは抜け、ジャスミンドールに手を貸すために種子島を訪れている。
「あンの家畜共の仕業に違いないザマス。万死に値するザマスネェェェェ」
そう言いながらもどこか愉しげに見えるファウルネスに、ジャスミンドールはため息を漏らす。
話によれば、島北部に新たな悪魔が現れたというのだ。遭遇したファウルネスが捕らえたものの、撃退士によって解放されたらしい。
「せっかくシマイと楓がおらんなったと思ったら、これやわ……。逃がした以上、悪魔が報復に来るかもしれん」
「ンフvンフvンフv心配無いザマァス。このワタクシが開発した『秘密兵器』があるザマスからァァ♪」
うっとりと気持ち悪い笑みを浮かべる相手に、ジャスミンはやや疑いのまなざしで。
「それ、ほんとに大丈夫なん? いざというときに使えんとかならんの?」
「ンマァァァァ。ジャスミンちゃんッたら疑り深いザマスねェェェ」
「完成するまで二年も待ったんよ。これで失敗したらうち……」
そこまで言って、思わず唇を噛む。
――そう、二年も待ったのだ。
対冥魔作戦で犯した痛恨のミス。敵の罠を見抜くために独断で起こした行動が、逆に罠にはめられる結果となった。
(階級を剥奪されてから、うちは何もかも失ってしまった)
けれど左遷されてきたこの地で、特殊なエネルギーを発する地脈を発見したのは幸運だと思った。
うまくいけば元の階級に戻れるかもしれない。
それだけを支えに、今までやってきた。
「んフんフんフフゥゥ♪ 大丈夫ザマァ↑ス♪ ワタクシの言う通りにしていれば、すぐに中央復帰できるザマァス♪」
やたらと不気味なテンションの相手に、ジャスミンドールはすがるように問う。
「……ほんとに? ここを手に入れたらほんとに戻れるんやね?」
「ちゃんと『上』にも話をつけてきてるザマァァァス♪」
自信たっぷりなファウルネスに、彼女は安堵したように頷いた後。
「……そう言えば檀は? 楓が死んだら戻って来るように遣いを出してたんやけど」
シマイと楓の討伐が終わり次第、人間との同盟も終わる。すぐにこちらで戻るよう伝言用のサーバントを飛ばしていたはずなのだが、まだ姿を見ていない。
「随分遅いザマスネェェ? きっとどこかで道草食ってるに違いないザマァァス」
(――まさか裏切った?)
そんな考えが浮かびかけ、ジャスミンドールはかぶりを振る。あの檀が自分を裏切るなどあり得ない。
それはわかってはいるのだけれど。
「仕方ありマせェェン?ワタクシが様子を見てくるザマァス!」
「お願いするわ。どのみち、うちはここから動けんし」
「任せるザマスヨゥウウウ♪」
気前よく出ていくファウルネスの背中を見送り、ジャスミンドールは口元を引き結ぶ。
ここまで来たのだ。
もう後には、引けない。
●中種子高校
――宇宙センターにゲート出現。
その事実を知って最初に抱いた感情はついに始まってしまったという諦観よりも、何も知らされていなかったことに衝撃を受けた。
怒りは感じない。というよりも、あまりにも急で思考が追いつかない。
「――つまり、何も知らされていなかったと」
「はい……」
種子島指揮官・九重 誉(jz0279)の言葉に八塚 檀(jz0228)は苦々しく頷いた。
思えばシマイ・マナフの討伐が終わった時点で、ジャスミンドールから帰還を命じられなかったのが不思議ではあった。
しかし北部は開放されたとはいえ、いまだ各地ではシマイが遺した残党狩りが行われている。最後までやり遂げてこいという主の意向なのだと、檀は解釈していたのだが。
(……どう言えば、信じてもらえるだろう)
言葉が続かないでいる使徒の耳に、少女の声が届く。
「私は……檀さんが嘘を吐いているとは思えないですから、信じます」
思わず顔を上げた檀の視線先、宇都宮 宙(jz0282)が真剣な表情をしている。
「だって、檀さんの顔がそう言ってますから」
「……私の顔、が?」
宙の言葉に首を傾げた檀は軽く自分の頬に手をあててみて、表情を探ろうとしてみた。
その様子が少しおかしくて宙は思わず噴きだす。
「すみません。今笑っちゃうなんて不謹慎ですよね……けど、檀さん。ずっとずっと、考えていることが顔に出てますから」
先日亡くなった楓と同じように。
「九重先生もそう思いますよね?」
宙の問いに、誉はわずかに嘆息する。
「その態度が演技でなければな」
「そ、そんな演技だなんて……!」
抗議の表情を浮かべる宙に構わず、誉は檀へと向き直る。
「まあ、いい。私にとってはお前が主の思惑を知っていたかどうかなど、今さらどうでもいいことだ」
顔を上げた檀に誉は淡々と告げる。
「天界との同盟は、冥魔掃討までの話。冥魔どもがいなくなったタイミングで天使が動き出すのは、当然と言えば当然だ」
むしろそれを予測していたからこそ、檀を中種子町にとどめておいたとも言える。人と天の間で揺れているこの使徒を、ここで監視する方が得策だと誉は判断していた。
もちろん、そのことを檀本人に伝えはしないけれど。
黙り込む使徒を一瞥してから、口を開く。
「八塚 檀。私がお前に聞きたいのは、一つだけだ」
檀を捉えるまなざしが、いっそう鋭さを帯びた。
「お前はこれから、どうするつもりだ?」
空気が冷えた気がした。
「私は……」
口を開き、言葉に迷う。
ここで答えを間違えれば、自分の命は危ないかもしれない。誉の視線の強さが、それを物語っている。
けれど檀は、その場しのぎの嘘をつくつもりはなかった。
そんなことをしたところで、誉の目をごまかせるとも思わない。何より楓に対してあれだけの誠意を見せてくれた彼らを騙したくなどなかった。
檀は決心したように顔を上げると、ひとつひとつ、正直な気持ちを言葉に乗せる。
「私はあの時楓に生きろと言われ、どうすべきか考えました」
以前の自分は、楓さえ救えればどうなっても良いと思っていた。
けれど撃退士と向き合う中で変わっていった弟を目の当たりし、そして自分自身も彼らと会話を重ねる中で、棄てたと思っていた人への未練や感情がわき上がってきたのも確かで。
「主であるジャスミン様には感謝しています。彼女を裏切れと言われれば……私にはできません」
ですが、と一呼吸置き。
「楓を救ってくれたあなた方を傷つけることも、私にはできません」
はっきりとそう言い切ってから、困ったように視線を落とす。
「じゃあどうするんだっていう話ですよね……」
結局、自分は選べないでいるのだ。
人をこれ以上傷つけたくはない。けれど、己を拾い、必要としてくれた主を裏切れるほど、自分は割り切れない。
そもそもそんなに簡単に切替られるのなら、弟を追って使徒に身を堕とすこともなかっただろう。
その時、はっきりとした声音が響いた。
「全部、望んじゃえばいいんじゃないですか?」
「え……?」
きょとんとなる瞳に、宙は頷いてみせる。
「楓さんもそうでした。梓さんの命と、自分の自由。どちらかを選ぶんじゃなくて、どちらも望んだからこそあの結果に繋がったのだと思います」
両方を望む勇気を撃退士が与え、己の意志で選び取った。だからこそ、両方を手にできたのだと。
「檀さんも、両方手に入れる道を探せばいいんですよ。人はちょっとくらい我が儘なのが、丁度いいですしね!」
檀はしばらくの間、驚いたように黙り込んでいた。やがて蒼い瞳をまっすぐに向け。
「わかりました。一度、ジャスミン様に話してきます」
「檀さん……!」
「説得は無理かもしれません、けれど、何も解らないよりはマシですから」
誉は何も言わない。無言の承諾ということなのだろう。
「じゃあ、これ! 携帯と無線通信機です。余計な心配なのかもしれませんけど、備えあれば憂いなし、ですから!」」
宙から手渡されたものを、檀は素直に受け取る。
「ありがとうございます。行ってきます」
そのまま出ていこうとする檀の背に、届く声。
「お前は弟とは違う」
「え……?」
振り向いた檀に誉は表情一つ変えず告げる。
「そのことを忘れるな」
誉の言葉が何を意味しているのかは、わからない。けれど檀は頷いてから、駆け出していく。
勧めてくれた人も居たが難しく、諦めた道だ。
実際、上手く行く確率は限りなく低いだろう。
人は羊。主にとって羊は羊でしかない――かつての自分の言葉はちっとも揺らいではいないのだろうけれど。
(信じてみよう。可能性と、自分自身を)
人を信じられたように、人に信じて貰えたように。
(執筆:水綺ゆら・久生夕貴)
Episode.6-2
――Who is the stray sheep?――
迷える子羊は誰?
●宇宙センターゲート内部
胃の裏が奇妙に冷えるような、得体の知れない感覚がした。
(なんで、戻って来んの……)
警備を妙に上機嫌なファウルネスに任せ、ゲートの境界近くにまで足を向けても使徒の姿は無い。戻らないはずがないのに。彼は、自分の使徒なのだから。
(何かあったん……?)
兆候は前からあった。
妙に親しげに接してくる原住民。
その彼等との交流を重ねていた使徒。
嫌な気持ちにもなったが、こちらの準備が整うまでとして我慢してやっていた。本当はとても気に食わないけれど。
なのに――
ギリ、と、無意識に噛んだ唇からパッと血の味がした。忌々しい。
嫌な気持ちを抱えて踵を返す。もしかしたら別のルートから戻っているかもしれない。僅かばかりの希望を抱いて帰ったジャスミンドール( jz0317)は、ゲートに踏み入れるや否や絶句した。
「なに……これ」
先に見た腹部に亀裂のある大量の蛇女。冗談のように大きい大蛇と蠍。
「ファウルネス!」
「兵隊ザマァァス♪」
鋭い彼女の声に、ファウルネスは何を言われるのか分かっていたかのように笑う。
「先手必勝ザマス」
「先手、って」
「攻めて来るザマスよゥ? ゲートが成ったんザマスからァ。どうせ兵器の発射場兼前線基地にするザマスから、とっとと島中の家畜を駆逐して丸ごと頂いてしまうザマァス」
だからこその大量サーバント。
ゲートという直通ルートを使って、自身の持つコレクションを大盤振る舞いで。
「ゲートも、兵器も、狂霧装置も護らないといけないザマスし、素材集めに島に向けても放たないといけないザマスし、使徒に裏切られてボッチなジャスミンちゃんも守らないといけないザマスしあー手が足りないタリナイザマスゥ♪」
「勝手なことを……そもそも、檀がうちを裏切るはずが……!」
「使徒が裏切らないって、どうしてそう思うザマスゥゥ? 現にジャスミンちゃんの元には帰ってないザマァァス」
「それ…は……」
顔を歪め、言い淀んだその瞬間に、ファウルネスは無造作に言葉を放った。
「『私の使徒なんだから、当然』」
ジャスミンは思わず口を噤む。いつも思っていたことのはずなのに、何故、今こんなに嫌な動悸がするのか。
「プークスクスクス! ジャスミンちゃんってば! い〜つま〜でた〜って〜も、おんな〜じザマァス♪」
楽しげに。楽しげに。くるくる回る相手にジャスミンの頬が引き攣った。
ファウルネスは嗤う。
心から。
「『あいつは私の為に居るヤツなんだから私があいつに何したって文句言われる筋合い無い』。昔っから、ず〜っとずぅぅっと、そんな感じザマスよねェ↑? 分かってるザマスゥ? 気づいてるザマスゥゥ? それって、相手を『心も思考もある生きた者』として扱ってナイってコ〜ト〜にィ↑♪」
哄笑を響かせる相手に、ジャスミンは拳を握った。
手が震えている。侮辱だと思う心の裏側で、なにかが自分に忍び込んでくるのを感じた。どこか冷たく、重く、痛いものが。
「誰だって、自分や自分の大事な相手が他者から虐げられたり侮辱されたら怒るモノ♪ なのに『あいつらは私の「出世(カツヤク)」の為に存在するんだから当然』って考え方で、部下なんだから使徒なんだから下僕なんだからってま〜ったく理解しようとしなかったザマス。知ってるザマスゥゥ? そうやって自分の思想と立場と都合の為だけに縛りつけた相手って、使徒でも部下でもなんでもナイんザマァス」
頭の中の冷静な部分が冷たく囁く。
「そゥいゥのはァ〜」
――何故、この天使は、
「『奴隷』って言うザマァァス♪」
――今、それを、告げるのか。
「そんなコトされて嬉しい相手がいるザマスゥ? だからジャスミンちゃんってば天界で誰も庇ってくれなかったザマス。忠告されなかったザマス」
「……やめて」
「何故ザマスゥ? 嫌われる理由も事実も、直視しないと何も変わらないザマス。変わらなかったからの今ザマァス」
「やめて」
「全ては! 自らが引き起こしたコ・トッ♪ 素敵ザマス最高ザマスそれでこそジャスミンちゃんザマス! 無垢で気高く自らに自信があって他を顧みない! 自分が正義! 自分に追従する者以外は悪! 嗚呼ッ☆ 独り善がりでなんて完璧! それでこそジャスミンちゃんザマァス! プークスクス!」
「やめて!違うわ!」
「違わなかったから『今、こうなってる』ザマァス」
ニタァ、と。嗤う顔が奇妙に歪んで見える。
「いいんザマスよゥ? 目を閉じて耳を塞ぎ気持ちのいい言葉と気持ちのいい景色に浸っていればそれは幸せザマァス。そのままでいればイイんザマスゥ↑ ジャスミンちゃんってば、『ソレ』が『自分にとって当たり前』なんザマスからプクススス!」
「やったら、なんであんたはうちに協力してるん!?」
「んフ♪んフ♪んフ♪そんなジャスミンちゃんが大好きだからザマァス」
ぽっと頬染めて嬉しげに。その瞳に狂気を宿して。
「ぜェんぶ力でねじ伏せればイイんザマス。力こそ正義。誰もに分かりやすく単純な強者の証。悩む必要も何もナァァアイ♪ コレが成った暁には! 誰も彼もジャスミンちゃんを無視できないザマス。見返してやれるザマス。楽しみザマスねェェ?」
「……ッ」
そうだ。それこそを望んでいた。元の地位に返り咲くことを。見返してやることを。栄光を再び手にすることを。
なのに何故、これ程嫌な気持ちになるのか。
「そうなると家畜共が邪魔ザマス。どーせこう言うザマスよゥ?『おまえは騙されてるんダッ』『俺達と一緒に生きよウ!』『ガクエンに来るとイイよ』ぷーくすくすくすくす!! 家畜と一緒、家畜と一緒、ジャスミンちゃん、素敵ザマスねェ?」
「誰がッ!」
「もしかしたらァ? 裏切り者の使徒も一緒かもしれないザマスよゥ? 厚顔無恥にも連中と一緒になって説得に来るかもザマスよゥ? 素敵ザマスねェ↑? そォれェとゥもォ、別々にやって来て説得するザマスかねェ〜? 見ものザマスねェェ?? プークスクスクス!」
握った拳が痛い。噛んだ唇が痛い。
ただ血の匂いだけが強く匂う。
「んフ♪んフ♪んフ♪ さァ宴が始まるザマスよゥ? 嗚呼、楽しみザマスねェ? 因島に向けて『ジャスミンちゃんの』『業績』を放てる日が近づいてきてるザマスよゥ↑↑」
気味の悪い笑みを浮かべる相手をジャスミンは睨み据える。
後戻りはできない。あの日から分かっていた。
今更なんの躊躇いがある。胸に渦巻く、嫌な冷たさなど錯覚だ。
「……取り戻す」
何もかも。
その為のお膳立てが、今、整ったのだから。
※
ジャスミンは気付かない。
自分が落ちぶれたその裏側に何があったのか。誰が全てを知っていて嗤って見ていたのか。――糸を引いていたのか。
運命は加速する。
嘲笑う13番目の羊の前で、生贄はただ己の未来を信じて立ち続けていた。
●中種子町
種子島対策本部の一角で、指揮官・九重 誉( jz0279)はまなざしを険しくしていた。
手元にあるのは、霧で覆われたゲート周辺の調査報告。
生徒達が持ち帰った情報によれば、ゲート側には得体の知れない『兵器』らしきものが設置されているという。また、兵器及びゲート入口は結界が張られており、近づけないことも。
「奴らめ……これを隠すために霧を使ったのか」
調査が予想以上の成果を上げたため、霧の発生装置も既に発見済みだった。調査に同行させたメイド悪魔によると、結界の発生も恐らくその装置が担っているらしい。
誉は思案する。
ゲートを破壊するためには、恐らくいくつもの段階を踏まなければならない。
それらすべてを短時間でこなすには、相応の戦力が必要になることも。
(四国からの『遣い』があるとはいえ、それだけではとても足りんな)
先日この島を訪れた、冥府からの使者。
彼女達が提示した『相応の礼』は、最終決戦に大きな利となるだろう。
しかし。
天使との決着そのものは、人の手でつければならない。
そして生徒達にはその力があるとも、誉は固く信じている。
「どのみち、この島をくれてやるつもりはない」
彼の手が受話器へと伸びる。
繋ぐのは学園本部。
全校生徒への招集がかかるのは、数日後のことだった。
(執筆:九三壱八・久生夕貴)
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