1月25日更新分
地球の命運を賭けた日――その朝もひどく冷え込んだ。
●
「いよいよ、来てしまいましたね」
まだ日が昇り始めて時間の経たない空気は冷たく、久遠ヶ原学園生徒会長・神楽坂茜の吐く息は白く砕けて溶けた。
ミカエルから学園に、天王による大侵攻作戦が知らされたのはほんの昨日のように感じられる。
茨城県ひたちなか市の南。その辺りののこぎり歯状海岸一帯は「神磯」とよばれ古来から神聖な場所とされ、その一角に清浄石と呼ばれる石が存在する。
彼女が在籍する久遠ヶ原学園への入り口は、その側にあった。
久遠ヶ原私鉄・清浄駅
学園と本土を結ぶ唯一の陸路はここにつながっている。
海岸を護るために妙な作りになった駅は大きく、見る人によっては空港と間違うかもしれない。
駅前には久遠ヶ原の門前町とでも言うようにそれなりに栄えた町並みが広がっていた。
しかし、現在は人の気配は殆ど無い。
当然だ。これからこの辺りは戦場になるのだから。
茜は駅の正面に広がる大きな階段の上に立ち、朝もやに霞む風景を心静かに眺めていた。
数日前。
学園に一人の少女が複数の撃退庁職員に護られて、この駅をくぐった。
天姫アテナ。
彼女は学園が、天使達の行う奪還作戦を信じ力を貸してくれた事への礼と、天使達の行動の保証として学園にやってきた。
無論、三界会談の為でもあるのだが。
彼女は言った。
「共に歩ける道を、私も目指したいとおもいます。かつての、父王を超えた道を」
その言葉を聞いた茜は、こみ上げる熱を感じた。
ベリアルとの対話を経て、もう片方の手も繋がろうとしているのだ。
目指す未来がそこまで来ている。
「ここで、未来を潰させはしない」
『美味しいとこ独り占めはずるいじゃないか』
「えっ」
独り言に答えがあって驚くと、光信器を持った大塔寺源九郎がそこに居た。
そして、先程の声は、
「ベリアル?」
『約束通り、あたしの力を貸してやる。うちの馬鹿野郎どもも出番と聞けば飛んでくるさ。・・・・っつっても、前哨戦の間あたしは留守番だろうけどねぇ。
あたしが出るとなると何かと面倒が多いだろ?』
多分、通話の向こうで身振り手振りをしながら話してるのだろうベリアルが想像できる。
それを思うと少し微笑ましい。
「そうですね。一緒に、戦って下さい」
――目指す、未来のために。
●
さて、これは余興。
君が苦戦し、価値を認め、冥魔共や、果ては我が愛しき妹が頼りにするという彼らが何処まで余の力を使うに値するだろうか?
冥王ですら、屈した力に。
「恐らくは。陛下の期待は裏切らないかと」
(執筆:コトノハ凛)
1月20日更新分
●四国・ツインバベルゲート
「『内通者』とのコンタクトに成功いたしました」
ベロニカから告げられた言葉に、ミカエルとアテナはやや驚いたように目を見開いた。
「そうですか……やはり、あの方達の情報は本当だったのですね」
アテナの言葉に秘書官はにっこりと微笑みを返す。
王権派の中に潜む内通者の存在は、撃退士からもたらされたものだった。直接話を聞いていた彼女は、執務を取り仕切る傍らで、その者との接触を模索していたとのだという。
とはいえ相手が誰かわからない以上、うかつに動くことはできない。正体が明るみになってしまえば、その者の命が危ぶまれるからだ。
そこで試みたのが、天界へ偵察部隊を送る中で向こうからの接触を待つというものだった。
恐らくは向こうも、こちらとコンタクトをとりたいだろうと踏んでのことだった。
「その結果、相手からの接触があったと……。ベロニカ、相手は一体誰なのですか?」
ミカエルの問いに、彼女はやや慎重気味にその名を告げる。
レギュリア。
名を聞いたミカエルが、なるほどと言った様子で頷く。
「確か彼女は、ザインエル殿の元で働いているのでしたか」
であれば、出雲の件が学園にリークされたのにも納得がいく。彼女であれば、その情報をいち早く手に入れられる立場であるはずだからだ。
「あの方は元々、ウリエル様のご友人でもあります。ツインバベルに身を寄せていた時期もありますから、恐らくは我らの現状を見過ごせなかったのでしょう」
ベロニカは若き天使をそう慮ってから、本題へと話を移す。
報告によれば、レギュリアは潜入したばかりの偵察隊に対して早期に接触してくる危険を犯して、ある重大な事実を伝えた。
それは、一刻を争うような凶報。
「近々、天王が地球へ向け大規模な侵攻を行うとのことです」
口元を引き結んでいたアテナが、険しい表情で呟いた。
「……狙いは私、ですね」
「ええ。ザインエルを伴うとなれば、撃退士達との決着も加わると見てよいでしょう」
密告の内容によれば、その時期は奇しくも関東で三界会談を予定している時期だという。
天王直々に出兵するとなれば大軍が来ることが予想され、仮にアテナが素直に投降したとしても、地球をそのままにしておく保証はどこにもない。
――いや、大軍を率いてくるのだ。そのままこの地を制圧しつくすつもりで考えたほうがいい。
打開するには、何か大きな手を打つ必要がある。
大きな、それも大胆で、強い手を。
ミカエルはしばし黙考したあと、はっきりと切り出した。
「どうやら会談の前に、目前の脅威を払いのける必要がありそうですね」
とはいえ集積エネルギーを独占し、勢いを増し続ける天王軍を各個で対応していては、とてもではないが太刀打ちできない。
恐らくは人と天、そして冥魔さえも巻き込んだ共闘態勢を取らざるを得なくなる――ミカエルはそう、予感していた。
「まずはこのことを学園に伝えましょう。お願い出来ますか、ベロニカ」
「仰せのままに」
そしてミカエルは全員を見渡すと、整った目元にわずかな力を込める。
「先手を打てる機を得た以上、我々も何もせず待つほど愚かではいられません」
侵攻に備え、打てる手はすべて打つ。
ミカエルが言葉を紡ぐさまを、皆固唾を呑んで見守っていた。彼の口から提示されたのは、
”事前に天界へ乗り込み、戦況を有利にするための工作を行う”こと。
そして可能ならば、と若き司令官は皆を見渡した。
「撃退士へ協力要請したいと思っています」
人間を天界に連れていくという前代未聞の案に、驚きの声が上がる。
「この案を推す理由は、主に二つ」
一つ目は、作戦の隠密性から、顔が知られていない撃退士と行動したほうが、成功率が高いだろうということ。
二つ目は、後々のことをふまえ、天界に撃退士が入っておくのは、互いにとって利になるだろうということ。
「我々と学園は協力関係を結んでいますし、既に実績もある。いずれ訪れるであろう大戦へ向け、彼らとの信頼関係をより強固なものにしておくのは、決して無駄ではないと考えています」
とはいえ、王権派が多く待ち構える天界での行動は、かなりの危険を伴う。万が一失敗でもすれば、彼らの命すら危ぶまれるだろう。
「故に学園側の協力が得られなくても、致し方ないと思っています。その場合は、我らだけで事を成しましょう」
実際のところ、もし協力が得られなければ達成の難しいものや、大軍に対して十分に影響を与えられる成果を得るのは難しくなるだろう。
それでも、自分たちにはやるという選択肢しかないのだからと。
「あの方達は協力してくれるでしょうか」
アテナの問いに、ミカエルは提案してみる価値は十分にあると答える。
人は強い。
彼らはいつも真摯で、明晰で、どんなときでも前を向いていた。
そんな姿を見続け、いつの間にか感化されていたのは自分の方だったから。
「きっと彼らなら、我らの呼びかけに応じてくれるでしょう」
ミカエルの中には今、己の部下を護りたいという想いだけでなく、この世界も護りたいと言う感情が息づきつつあった。
(――貴方も同じだったのでしょうね)
今は人の元で暮らす、かつての騎士団長を想い。
話を聞いていたアテナは、静かに、けれど王族としての気品を持ち合わせた声音で告げた。
「わかりました。兄王の凶行を止める為、天に安寧を取り戻す戦いを始めましょう」
●久遠ヶ原
「そうか。ついにこの日が来たか……」
報告に来た西橋旅人(jz0129)の前で、オグンはわずかに吐息を漏らす。
「ええ。ツインバベルとの話合いで、近日中に騎士団と学園生は、天界へ向かうことに決まりました」
先方からもたらされた天王侵攻の情報に加え、あまりにも大胆な提案には、同席していた太珀すら、一瞬言葉に詰まらせるものではあった。
しかし、迷っている暇は無かった。
学園としても、生徒の三分の一を失った10年前の悲劇を、くり返すわけにはいかない。迫る脅威を退けるためには、打って出るしかないのだから。
「ベリンガム王が政変を起こしたと聞いたときから、いつかこうなるのではと危惧しておったがな」
刻々と事態が進んでいく中、既に天界は己の手が及ばぬところまで分断が進んでしまった。そう呟く老将を、旅人は複雑な想いで眺めていた。
今の状況は各々が最善を目指し、選び続けてきた結果だ。ツインバベルと学園が協力関係を結んだことは画期的であったし、オグン自身もそのために尽力してくれた。
だからこそ、彼は己以外の存在を認めようとしない天王のやり方に失望したであろうし、こうなることを避けられなかった無念さも、きっとあるはずで。
(でも今の状況はむしろ、三界を結びつけようとしている)
皮肉にも最大の脅威を前に、人と天冥は今、かつてないほどに協力体制をとろうとしている。先日の高松ゲートの件を見ても、それは明らかであり。
オグンはちらつき始めた雪を見ながら、ほんの少し瞳をほそめた。
「これも時代なのかもしれんな」
手を取り合う相手は種で区別するのではなく、同じ志を持つ者であるべきなのだと。
時は進み、二度とは戻らない。
道を拓くのはいつだって信じた者たちだと、若き者達が教えてくれたから。
「託して逝った者たちのためにも、私に異論はない。あやつらのこと、頼んだぞ」
●そして時は進み
ツインバベル・謁見の間。
出陣の準備を済ませた”焔劫の騎士団”現団長・アセナス(jz0331)は、主であるウリエルへその報告を行っていた。
「ではこれから、我らは撃退士と共に天界へ向かいます」
彼らに与えられた任務は以下の通り。
・王宮にある備蓄庫を奇襲し、エネルギーが集積された”霊石”を奪うこと
・要人捕虜の奪還
・アドヴェンティ改造のための素材収集
すべて成功すれば、近づく天王侵攻に対して、強力な対抗力やバックアップを得られるだろう。
「私も行ければよかったのだがな」
そうため息を漏らすウリエルは、あまりにも顔が知られていることと、留守を預かるためにツインバベルへ残るようミカエルに命じられていた。
「ご安心を。我らの力で必ず使命を全うしてみせます」
何度も撃退士とまみえ、言葉をかわしてきた騎士団だからこそ、やれることがある。アセナスはそう信じているし、きっと団員も同じはずだと。
そう告げる彼を、ウリエルは感慨深げな表情で見つめていた。
(随分と、頼もしくなったものだ)
先人達の背を追っていたあの頃とは、別人のようで。
「ウリエル様、どうかされましたか?」
「いや、なんでもない。頼んだぞ、アセナス」
彼女の言葉に、若き騎士団長は強く頷いてみせるのだった。
(執筆:久生夕貴)
1月13日更新分
年が明けて2017年。
昨年の暮、高松ゲートを巡る一戦の後冥魔は告げた。
『近いうちに、人間に話があると閣下から伝言を受けている。地球と、冥魔界…そして天界の全てに関わる話との事だ』
閣下とは即ち、大公爵・メフィストフェレスの事であり、ベリアルによればルシフェルが冥魔界に戻っている今地球の悪魔の中で一番の地位を持つのが彼女になるのだという。
その彼女、人間とりわけ学園の撃退士にとっては、間接的に長く縁のある悪魔でもある。
2013年、およそ4年前四国地方で起きた冥魔との争い。
それを仕掛けたのが、彼女だったという。
最近で言えば、所謂『メイド軍団』とも称される悪魔のメイド達、その主人がメフィストフェレスなのだ。
伝承では、錬金術師に呼び出された大悪魔として、人と取引をした悪魔。
そして部下である悪魔達の様子を信じるならば、彼女は早い段階から人を搾取する対象ではないと判断していたという。
メフィストフェレスのゲートについても触れておこう、因島ゲートは悪魔的な穏健派ゲートといえなくもない。
かの島では、悪魔と取引が出来るのだ。
悪魔は自ら襲うのではなく、ゲームに誘うのだ。
勝てば、望むものを与えようと。
金、力、或いは快楽を見返りに命を賭けたゲームが行われる。
悪魔の賭博場、それが彼女のゲートの在り方である。
●
「その、メフィストフェレスからの親書が、届けられた」
鈍色の空から生徒会室の窓へと差し込む光は弱く、凝った装飾が描かれた新書を手にした太珀の表情はよく見えない。
今朝、メイドの一人が使者として書状を持って学園の前に立っていたのだという。
「内容はなんですか?」
先だって宰相の妻であるベリアルと会談を果たした生徒会長の茜は動じる事無く、先を促した。
「人界、天界、冥魔界の共通の敵『天王』と対抗する為の会談を持ちたく思う。
冥魔と天の軋轢はあるが、そのどちらでもない人の子の手で我らを仲立ちしてはくれぬだろうか。
だ、そうだ。
フン、冥魔界側は結構天王に押されてるようだな?」
「確かに、最近複数の冥魔のゲートが放棄され悪魔自身が冥魔界に戻ったのではないかと見られる報告もありますね」
冥魔も地球を維持するのに力を割く余裕がなくなってきているとも見える。
であれば、順次ゲートを攻略していく機であるかもしれない。否、機であったかもしれないというべきか。
太珀は、もしその選択を茜に示したとしても今は難色を示すだろうと思った。
なにしろ、天魔であっても良いものであれば手を取り合える未来を選びたいと決めているからだ。
恐らくこれまでの選択の中で、違う道を行けばこの機を好機として戦いを始めた未来もあっただろう。
もっといえば、仲間も救いも得られないまま成長していれば、茜も敵殲滅の機としてしか、この状況を見ることは出来なかったのかもしれない。
そうはならなかった。
多くの仲間による影響が、短い時間の中で考えを、視界を、変化させた。
だから選べる道がある。
「天界も疲弊し、共通の利害が生まれる今なら話あいができますね」
それだけのことなのだ。
「やはり、人の歴史は面白い」
「え?」
「いや、なんでもない。なら、どうする?」
まずは学園生に周知しなければいけない、ベリアルの一件もあり、きっと大きな反対はされないだろう。
でも、心配はされる。
当然だ、今は敵対的に接してこないとはいえ天魔なのだから。
会談の席を設けるとして場所はどこにするべきか?
学園がホストとなって、三界会談の実現をするのであれば、何が必要だろう。どんな対策をすればいいだろう。
様々な事を巡らせ、思い至る。一人で決める必要はないのだと。
「少し、皆で考えてみます」
●
同時刻、四国、愛媛ゲート《ツインバベル》
「私は、この会談を受けたいとおもいます」
学園に届いた親書は、ここ四国の天使達にも同様に届けられていた。
学園が応じれば、是非席についてほしい、と先触れの親書を携えたメイドが現れたのだ。
その対応を決める会議が、まさに行われているのだ。
一番の上座に坐する銀髪の幼い少女アテナは、凛とした表情で控える大人達に告げた。
「状況はわかっています。ですが、メタトロン殿は王城と直接つながる門を護る要、動けないでしょう?」
地球に開いた天界門、その司令長官であるメタトロンのゲートは特別な門である。
エネルギーラインの要であり、そしてゲートの先は天界の王城に繋がっているのだ。
本来は、司令長官を直接王が管理する為のものだが、その王が乱心した今は一番大きな前線門と言えるのだ。
幸い、メタトロンは変事にその門を固く閉ざした為、現在の所天界からの侵攻はないが。
「……メフィストフェレスは、この為に高松を明け渡したのでしょう。私達に対して貸しと、協力できる実績を示してみせた」
その端麗な顔を難しく歪めたミカエルが話すのは、先日の高松の一件だ。
メフィストフェレスの指示で、高松ゲートに侵攻する王権派との戦いの助力を学園にし、その見返りに高松を開放するという。
これは、人間にとっても約束を守るという証明を見せた形にもなり、今回の話を進めやすくするだろう。
「きっととても聡明な方なのでしょうね」
アテナはメフィストフェレスを多く知らない。それ故に、その言葉が素直に出たのかも知れない。
一瞬の沈黙の後、口を開いたのはミカエルの右腕であるベロニカであった。
彼女はアテナとは逆に、メフィストフェレスという者をよく知っている。
「えぇ。敵ではありますが、ルールが無いのは好まない性質の者。恐らく、何を仕掛けるにせよ予めこちらに開示してくるでしょう。面倒ではありますが、いい機会かもしれないです殿下」
確かに、いい機会なのだ。
願ってもないといえなくもない。
交渉相手としてメフィストと学園が同時に居るのも、交渉の場として学園に赴くのも、即戦いになることは考えにくい。
あとは、外交として天界の望むものをどれだけ引き出せるかになる。
「天界で偵察をしている部下からの連絡がそろそろ帰ってくるはず。私達から、人界、冥魔界への手土産の当てとしては、やや心もとないですが、無いよりはマシでしょう」
そしてベロニカは考える。学園から齎された『王権派に潜む内通者』の存在を。
今回の偵察には、可能なら内通者に接触するよう指示してある。恐らくは向こうもこちらとコンタクトを取りたいだろうからと。
「神器の修理の件はどうなっていますか? ベロニカ」
「報告によれば、修理は技術的には可能なのですが、炉エネルギーの問題が…とのことです」
そう思案する部下にミカエルはもう一つの懸念事項を口にした。
対する答えは、芳しいものではない。エネルギー問題。今の彼らを常に悩ませ、縛る問題だ。
「どうにか、出来ればいいのですけれど」
呟くようにこぼれたアテナの言葉。それはその場にいた全てのものに共通した想いだっただろう。
――そして、急報がもたらされる。
天界を、否、地球に居るもの全てに関わる緊急事態が。
(執筆:コトノハ凛)
12月28日更新分
●
年の瀬迫るその日、四国は高松を支配する冥魔のゲートを巡る数年に及ぶ戦いは終わりを告げた。
3エリアに分かれて、王権派天使からの防衛。
それもゲート内で冥魔と共闘をする形での作戦は、容易なものではなかった。
負傷者も多く、中には緊急搬送が必要となったものも出たが、それ以外のものは誰もが地面に腰をおろして互いを称え合っていた。
そして、各戦場の悪魔たちは最後にもう一つだけ付き合って欲しいと言い、この場所へ連れてきた。
高松ゲートの最奥。コアルームへと。
「謝罪をする、人間達」
案内された先で待っていたレディ・ジャムは、撃退士達を出迎えるなり、そう告げた。
体中に無数の傷を負い、片目を失う程の重傷を得ていたが、芯の強い響きを持つ声は変わらない。
「ここに天使共が至る迄、この場所からお前達の戦いを見ていた…素晴らしい戦いだった」
純粋な共闘を出来るだけの信頼のあったもの居ただろう。
同時に、信用しにくいものも居ただろう。
それでも、それでも。
例え、全てを赦す事は出来なくても。
例え、全てを肯定する事は出来なくても。
手を取り合った。背中を預けた。命をかけた。――共に戦った。
「お前たちは確かに、共に戦えるだけの度量を示した。今度は私が約束を果たす」
撃退士達が見守る中、ジャムは床に刺していた細剣を左手で引き抜く。
痛めたらしい右腕をかばいつつ、背後で静かに輝くコアと向き合う。
誰もが、声を噤み、その『儀式』を見守る。
無言の視線を背後に受けたジャムは、高く細剣を掲げ、垂直に蒼白の軌跡をコアに刻んだ。
キンッッ―――
年の瀬迫るその日、四国は高松を支配する冥魔のゲートを巡る数年に及ぶ戦いは終わりを告げた。
高松ゲートの開放。
それが成った瞬間であり、冥魔との協力関係が築けると示した瞬間ともなったのだ。
●
緩やかに崩壊し始めるゲートを後にし、悪魔たちはひとまず広島の因島へ向かうと告げた。
「近いうちに、人間に話があると閣下から伝言を受けている。地球と、冥魔界…そして天界の全てに関わる話との事だ」
一つの戦場は終わりを見た。
だが同時に、より大きな戦いが来ることをその場に居た誰もが感じつつ、帰路へとつくのだった。
(執筆:コトノハ凛)
12月14日更新分
●
「人間の皆さんと冥魔軍が協力している?」
四国、愛媛ゲート《ツインバベル》
その日、アテナはミカエル、ウリエル両門主と共に今後の計画を立てている時、その報告を受けた。
先日、学園の協力により保護された天界の姫アテナは未だこの地に留まっていた。
留まらざるを得ない事情があったと言うべきか。
「先日学園の撃退士が知らせてくれたのですね。宰相ルシフェルの奥方と学園が交渉したとか」
ミカエルの言葉に同意しつつも、ウリエルはやや不機嫌そうに腕を組みなおす。
「本命は冥魔につく…ということなのか?」
「そう、おもいますか?」
聞き返されて、ウリエルは少し考える。
兄が聞き返すという事は、何か意味があるということだ。
その真意を探ろうと表情をみれば、いつもと変わらぬ微笑みで。――少し殴りたくなる。
いや、そうではない。
思考が脇にそれる程度には、考えても真意は分からなかった。
それで仕方なく、自分なりの現状を並べてみる。
「…簡単に冥魔につくとは思えない。が……」
利害が一致してると言えなくもない。
こちらは防戦一方だ。
既に、天界にとって重要な姫を保護するにしても外部の駒を必要とした有様。
それを冥魔が知らぬ筈もなく、交渉というのがそれであってもおかしくは、ない。
「今悪魔と手を組めばエネルギー問題を抱える天使を制圧する事も叶う」
渋い現状に眉間の渓谷が深くなりつづける妹を十分に観察してから、ミカエルは話を続けた。
「それは少しこれまでの彼らの行動に矛盾しますよ。彼らは…そう、今までの彼らを見れば判るでしょう。彼の者達の中には、私達天界から堕ちたもの、冥界からはぐれたもの、どちらも居た」
同じ、撃退士として。
それまで二人の話を聞いていたアテナは、少し驚いた表情でミカエルに問う。
「つまり、人間の皆さんは私達に協力してくださったのと同じように、冥魔軍にも協力している……という事ですか?」
その言葉を聞き、今度はミカエルが驚く。
なぜなら、天界に長く属するものがこの話を聞けばウリエルのような反応をするほうが一般的だからだ。
それは穏健派であれ、武闘派であれ変わらない。
表舞台から隠されて居たから育ったのかもしれない幼い君主の素質に、思わずミカエルは目を和ませた。
「はい。どちらか一方ではなく、恐らく中立の位置から協力し合える時はする。そういう立場を取りたいのだと思われます」
「そうですか。冥魔とも…」
なにやら考え込むアテナの次の言葉をミカエルは待つ。
その光景にウリエルは、優秀な生徒を見守る家庭教師のように見えなくもないと少し懐かしい気持ちを思い起こした。
そして思う。全てが落ち着いたら彼女を支える家臣が必要になるのだと。その道程は、想像よりも間違いなく険しいだろうと。
そこへ部屋の扉を叩く音が響く。
「おや、ベロニカですか? 何かありましたか」
現れたのはミカエルの右腕、文官のベロニカ。ベロニカはアテナの姿を認めると、まず完璧な臣下の礼をし報告を始めた。
「御前失礼致します、殿下。只今シスから連絡がありました。高松をシリウスが攻める、と」
高松。
数年前、他でもない《ツインバベル》に対する前衛基地として、広島の大悪魔メフィストフェレスが直属の部下に作らせたゲート。
その時の女悪魔の盤上に居た駒は、間違いなく天使と悪魔だけだった。
如何に四国の天使の目を欺き、大ゲートを作るかと暗躍され、設置を許した。それが高松のゲートだ。
「見立てでは……、現状の高松の推定戦力で、シリウスに対して守り抜くのは難しいと思われます」
「そう、でしょうね」
文官の言葉に、ミカエルは慎重に頷く。同様に報告を聞いたウリエルは先程より厳しい顔になる。
「高松にシリウスの拠点が出来たとなれば、今後《ツインバベル》の守りは難しくなってきます」
兄様、やはり殿下を九州にお連れするより他ないのでは? そう、言葉を続けようとしたウリエルをベロニカが制した。
「守り抜くのが難しいのは、高松の戦力のみの場合です」
「メフィストが動くのか?」
「いえ、彼らは別の手を取りました。動いたのは――学園です」
高松ゲートの『開放』を条件に、高松の防衛協力の要請を学園にした。
「これは……やられました」
部下からの報告を十分に理解したミカエルは、顔を手で覆い本音の言葉を漏らした。
それに驚いたのは、ウリエルとアテナだ。
「どういうことだ? 気分は良くないが、むしろ好都合じゃないか?」
「そうです、好都合なのですよ。これは、ちょっと考えなければいけませんね」
つまりそれは、メフィストフェレスが天界に対して『貸し』を作ったという事になる。
それが、どういう意味を持つのか。
後で説明すると言い、ミカエルは片腕たるベロニカと騎士団の主であるウリエルに指示を始める。
「どちらにしても、高松の行方次第です。高松の状況は厳重に監視して下さい。万一の備えも」
一人、残ったアテナはまだ先程の言葉を思い返していた。
人間の皆さんは、協力しあえる。
…私達は――?
(執筆:コトノハ凛)
12月5日更新分
物事には原因と結果がつきものだ。
一件偶発的に見えるそれでも、見方を変えれば確かな裏打ちがなされていることもある。
ある悪魔はそれを”偶然という運命”だと言った。
ある天使はそれを”一生を賭けるに値する”と評価した。
真実は求めるひとの数だけある。
何を見つめ、何を選んできたのか――君たちが臨む景色は、今どんな色を映しているのだろうか。
●四国
「――天使どもがここを狙っているだと?」
報告に来た黒猫面の悪魔(
jz0145)へ、レディ・ジャムは氷のような視線を向けた。
「確かなのか」
「ええ。私が調査した限り、あの者達は貴女の城を”乗っ取る”つもりのようですよ」
それを聞いたジャムは、僅かに眉根を寄せると忌々しそうに呟く。
「……成る程。目的はツインバベルか」
「でしょうね。元々”このゲート”は、そのために創ったのですから」
香川県高松市。
三年前、この地で冥魔による大規模なゲートが開かれた。
目的はツインバベルへの抑止。事を構える事態になったときは、前線基地としても使用する予定で築かれた牙城だ。
「貴女も知っての通り、ツインバベルは守りの堅い要塞ですからね。”王権派天使”とやらは、ここを足がかりにして攻略するつもりなのでしょう」
「ふん。天界で内乱が起きたと聞いたときから、その可能性は見ていたがな……」
どのみち両ゲートを落とすのなら、先に冥魔を奪ってしまった方が効率がいい。天界がゲート主を書き換える技術を持っていると聞いたときから、いずれここが狙われることは予測していたのだが。
「思ったより早い、と思っているのでしょう?」
見透かしたような瞳を、ジャムは無言のまま睨む。
「恐らく”そうせざるを得ない事情”が生まれたのでしょうね」
「……どういうことだ」
問い返す視線へ、黒猫面はまるで他人事のように。
「詳しい事までは知りませんよ。ですがここ最近、四国内で天使同士が小競り合いをしていたのは、貴女も知っているのでは?」
「ああ……確か騎士団が松山へ出兵したのだったか」
「あれにはどうやら人の子が一枚噛んでいるようですよ」
「何だと?」
やや驚きをみせる彼女の反応を、悪魔は愉しそうに見守っている。
「ツインバベルと人間どもが手を組んだという話は、閣下から聞いていたが…奴らめ、一体何を企んでいる」
「ふふ……少なくとも”王権派が本気でツインバベルを潰しにかかるほどのこと”でしょうね」
考え込むジャムの肩で、金糸のような髪が流れた。いつも不機嫌そうな横顔を、悪魔は眺めつつ。
「で、どうするのですか。貴女のことですから、みすみす奪われるつもりもないのでしょう?」
「当然だ。奪いに来るというのなら、迎え撃つまで」
氷碧の瞳に強い意志がこもるのを見届けてから、悪魔は興が乗ったように問いかけた。
「ですがあの者達は、強力な神器を持っていると聞きます。迎え撃ったところで勝ち目は薄いのではないですか」
「そんなことはお前に言われなくてもわかっている!」
声を荒げたジャムは、苛立ちを隠せない様子で言い放つ。足下に咲く氷のような薔薇が、主に呼応するかのようにさざめいた。
「勝算が低いからといって、私が尻尾を巻いて逃げるとでも思ったか? ここを奪われれれば、閣下がおられる因島ゲートとて危うくなる。どんな手を使ってでも、奴らに渡すわけにはいかん!」
「――同感だね」
突然響いた声に振り向くと、そこには給仕姿をした三人の少女が立っていた。
「……お前達か。私に何の用だ」
ジャムの視線の先で、メフィストフェレス直属のメイド達は優雅に一礼してみせる。
桃色髪のリロ・ロロイ (
jz0368)は一歩前に歩み出ると、口元を小さく動かした。
「ボク達にとって最重要なのは、閣下のゲートが脅かされないこと。そのためにも、ここのゲートを天使に奪われるわけにはいかない」
続いて黒の狐耳を持つエメ(
jz0391)が、真剣な表情で告げる。
「ここしばらく、あたしとリロは周辺域の戦力関係を調査していました。敵の力は想像以上に強大です」
自分たちの力を持ってしても、打ち払えないほどに。
赤髪に丸眼鏡のシェリル(
jz0361)は、ジャムへ向き合うと微笑んでみせた。
「ジャム様は先ほど、『どんな手を使ってでも』と仰いましたよね?」
無言でこちらを見やる彼女へ、リロが静かに告げる。
「今のままでは、勝ち目が薄い。だからボク達も、『人間と取り引き』しようと思う」
「何だと……?」
その代わり、と少女は城の主を見つめた。
「キミにはこのゲートを”手放して”ほしい」
愕然となるジャムを見て、エメはほんの少し申し訳なさそうに。
「ここが天使の手に落ちれば、困るのはあたし達だけじゃありません」
だからこそ、このタイミングで取り引きをする意味があるのだと。
「防衛戦が成功すればこのゲートを解放し、後は人類の手にゆだねます。それを条件にあの方達から戦力を提供してもらう……あたしたちは、それが一番いいと結論づけました」
「なっ…馬鹿を言うな! ここが人間どもの手に渡れば元も子もない。ツインバベルと奴らが手を組んでしまえば、我らは終わりだぞ!」
気色ばむ氷碧の瞳へ、最近まで関東へ派遣されていたシェリルが言いやる。
「もしここが人の手に渡ったとしても、彼らは因島を無闇に襲ったりはしないでしょう。ケッツァーのことを鑑みても、そう考えております」
それに何より、と彼女は告げた。
「これは閣下からの指示でもありますから」
「――っ」
絶句するジャムに敢えて言葉をかけず、リロは要旨だけを淡々と述べる。
「この策には二つの意味がある。ひとつは人間と一時的にでも取引関係を結ぶことで、天界への抑止力になること。もうひとつは、『先へ向けての布石になる』ということ」
紫水晶の瞳が、その”意思”を告げる。
「閣下は既に、人類と戦争するのは益が弱いと考えている」
しばらくの間、ジャムは沈黙していた。
長きに渡りこの地を護っていた彼女にとって、いかに上官の命令と言えども、そう簡単に受け入れられるものではないのだろう。
美貌の頬が、微かに打ち震える。しかしそれも一瞬のことで、彼女の指揮官としての矜持が、感情に負けるということを許さなかった。
「……いいだろう。それが閣下の指示ならば、従うまでだ」
「おや、随分と物わかりがいいのですね」
くすくすと笑う黒猫面の悪魔をジャムは睨みつつ。
「天王軍の侵攻を受けた魔界が、芳しくない状況だというのは聞いている。己が力を過信するほど愚かではない」
ただし、とメイド達を見渡した。
「条件がある。お前達と違って、私は人間どもを信用してはいない。それは奴らとて同じだろう」
互いを監視するためにも、主要戦域にはすべて冥魔軍と撃退士、双方の戦力を置くことを提示する。
「その上で、冥魔勢の指揮は奴らに委ねてやる」
「……キミも結構大胆なことをするんだね」
意外そうなリロへ、ふんと鼻を鳴らし。
「やるからには、失敗は許されん。可能な限り懐疑の要素を減らすためにも、私が指揮権を譲ったほうが事は上手く運ぶはずだ」
それになにより、と。
「ここは私が命を賭けて護ってきた城だ。天使どもに乗っ取られるくらいなら、つまらんプライドなどいくらでも捨ててやる」
「ふふ……いい覚悟です。では私も貴女の賭けに乗るとしましょう」
「むしろお前はいなくていい」
そっけない返しに黒猫面の悪魔はさも愉快そうに笑ったあと。
「ああそうそう、先日ちょっとした実験を行いましてね。それを元にやってみたいことがあるのですよ」
「好きにしろ。各戦域のやり方はお前達に任せる。私はコアを死守するためにも、最深部から離れられんからな」
万が一奪われそうになった時は、コアと共に心中するつもりだ――
言葉に出さなくても、彼女の瞳はそう物語っていた。
●久遠ヶ原
「――今度は四国の冥魔どもから取り引き、か」
突然もたらされた”高松ゲート解放”への可能性に、窓口となった学園教師太珀(
jz0028)はふんと鼻を鳴らした。
「タイミング的に見ても、アテナの件が引き金になったんでしょうね……」
同席していた西橋旅人(
jz0129)の言葉に、太珀は同意しつつ。
「冥魔のゲートを乗っ取ってまでとは、天王はよほどあの王女が邪魔なようだ。とはいえ、冥魔どもも散々好き勝手しておきながら、随分と都合のいいものだがな」
「ですが……彼女達の言うとおり、あのゲートを王権派に乗っ取られれば、ツインバベルはかなり危険な状況に陥りかねません」
そうなれば、せっかく共闘盟約を結んだばかりの関係が失われかねない。おずおずと切り出した篝 さつき (
jz0220)に、太珀もため息交じりに。
「神器修理の件を見ても、ツインバベルが持つ技術や戦力は今後も必要になってくる。何よりあそこを王権派に奪われでもしたら、四国は焦土になってもおかしくないからな」
今までのやり方を見る限り、王権派に静的吸収などまず期待できない。恐らくは搾り取れるだけのエネルギーを搾り取った上で荒廃させられるのが関の山だ。
「保護に成功したアテナのこともある。四国を護るためにも、やはり高松ゲートを乗っ取られるわけにはいかないな……」
地図へ視線を落とす狩野 淳也 (
jz0257)に、太珀は記憶を辿るように。
「幸いあそこの冥魔どもは、メイドを通して懇意にしている生徒も多い。種子島での非戦闘区協定のことを鑑みても、協力を申し出る者はそれなりにいるだろう」
「そうですね。ここへきて彼女達が裏切るとも思えませんし」
頷いたさつきは、そう言えばと。
「ツインバベルへはどうしますか? 協力要請したほうがいいんでしょうか」
「いや、万が一のこともある。奴らには籠城して護りに徹しておいてもらったほうがいいだろう」
なにより天使の介入を現時点で冥魔が許すはずも無いと、太珀は言う。
「高松ゲートの解放に成功すれば、冥魔だけでなくツインバベルへも恩を売ることになるからな。うまくいけば――いや、ここから先は作戦が成功してからの話か」
含み笑いを漏らす教師に、旅人は思案げに頷いたあと。
「いずれにせよ、僕らにとって共通の敵が王権派である以上、取り引きするメリットは十分にある。僕はこの作戦、乗ります」
(執筆:久生夕貴)
10月27日更新分
物事には機というものがある。
それは勝手に、或いは運命的に起こるようにみえるかもしれない。
しかし、それぞれがそれぞれの望む物に手を伸ばしたからこそ起こり、時として目まぐるしく状況が変わるものなのだ。
●
久遠ヶ原学園のとある依頼斡旋所。
既に時刻は虫の声の響く時間帯であったが、教室二つ分程のその部屋に一人残って業務をしている女性が居た。
「…はい、分かりました。では、十分に注意して帰還してください。お疲れ様でした」
通信機越しに了解の声を聞いて、オペレーターは通話を終了した。
一息吐いてデスクのカップから酸味の強い珈琲を流し込む。その温度はぬるく、季節の移り変わりを強く感じさせた。
そこへ扉を叩く音が響く。と、同時にガラリと引き戸を引く音が続く。
「や、おつかれさん。そろそろ結果出たかなー思て、寄らせてもらったで」
扉から顔を出したのは、久遠ヶ原学園生徒会会計長・大鳥南(
jz0012)であった。
「南さん、こっちから報告にあがるつもりでしたのに」
「えぇってえぇって、別の用のついでやし。あと、源九郎……うちの書記が早よ知りたそうにしとったからな」
気にし始めるとしつこいからと冗談ぶる態度に、オペレーターも苦笑を返す。
「そんで? あちらさん、ホンマに直してくれるん?」
「えぇ、ツインバベルの技術なら修復は可能だそうです。詳細はこちらに」
先程の電話の相手が送ってきた電子ファイルをプリントアウトした資料を、南に渡す。
南が聞きに来た報告。
それは、出雲の作戦で『王権派』天使・シリウスに居られた神器の修復について、四国の天使で現在学園と停戦協定を結んでいるミカエルへの打診だ。
これまであれば、神器が使えないという事態を天使に明かすのはとんでもない選択だったろう。
生徒会でも危険だという声もあるにはあったが、遅かれ早かれ知れる事であろうという意見と、なによりも直せる可能性が一番高い相手であり、これまで生徒が信頼する姿を以って停戦を勝ち取ったという背景により、この件はミカエルに相談する事になったのだ。
ツインバベル。
愛媛県にあるそのゲートは、かつて戦器と呼ばれる神器に親しい兵器を創り出したゲートである。
騎士団などの印象が強いが、ツインバベルの本質は兵器開発にあり、所属する天使も非戦闘員の研究者が実は多い。
その技術によって、多くの不幸があったのは忘れることは出来ないが、ソレに囚われて前に進めなくなるのもまた不幸だろう。
出された紙パックの珈琲を弄びながら、南はなるべく明るい予想を口にした。
「まぁ、ミカちゃんがちゃーんと直してくれるんやったら万々歳なんやけどねぇ……」
しかし、オペレーターの表情は優れない。
「そうですね、天界の状況がまだ不透明ですし…出来るだけ万全の状態でいたいですよね」
状況が不透明。
これは、今年の春からずっと続いている不安材料である。
四国を巡る学園生徒達の行動と決断の末、穏健派の重鎮ミカエルとの休戦協定が成立した。
と同時に、ミカエルらが知る天界事情などの情報も学園に齎された。
これにより状況が明らかになると期待されていたのだが、彼らにも重要なものが欠けていたのだ。
即ち――天界の最新情報。
天界からエネルギーラインが切られ、同時に連絡も途絶えて久しいという地球に居る天使達は、事態の中心には居なかった。
状況を明らかにするには、結局ピースが足りない。
「天使同士の内輪もめも、こっちに影響ないっちゅーんなら、お好きにどうぞ〜って感じやけどね」
「スミマセン」
「いやいや、なんで謝るん!? あんたのせいちゃうやん!」
申し訳なさそうに頭を下げたオペレーターは、実は天使でありかつては天界に属していた。
学園にも、天界に縁のある者が随分増えた。天界に嫌気を感じ堕天したものも多いが、そうではないものも勿論いる。
人類からみれば他人事ではある天界の政変だが、学園生徒会からみれば生徒の実家問題でもある為、純粋な他人事と割り切る事は出来ない。
「ほんま、天魔もみーんな仲良しーって、簡単にシンプルに出来たらええんやけどなぁ」
珈琲にミルクと砂糖を混ぜたら飲みやすい味になるみたいに。単体でも美味しくて、混ぜても美味しい調和のようになんでもできれば困らないのに。
「あの……ベリアル達ってどうするんですか?」
話題の流れで、否。生徒会役員に最初から尋ねてみたかった話題を、オペレーターは口にした。
ベリアル。
つくばでの作戦は成功した、が問題が残らなかった訳ではない。むしろ大きな問題が残った。
船の魔器丸ごとを手に入れる事はできたが、停戦を悪魔は持ちかけてきた。
四国の天使達と同じようにみえるが、状況も経緯もまるで違う。
それ故、どう答えるかが緊急の課題になっている。その渦中に当然生徒会が無関係で在るはずがない。
「んー…その話は、来週にでも『皆』にする事になると思うわ」
ハッキリと答えられない事に、南は申し訳なさそうにしながら言葉を選ぶ。
「別の用ってのはそっち関連なんよ。元々近いうちにやろうとしとったはずが、そのせいで前倒しにせないかんし早よ対応しろーってなって、もーてんやわんや……」
どっと疲れを思い出したようにカウンターに脱力した南だったが、その視線の先にあった時計の針を見て今度は蒼くなった。
「うひゃっ! えっらい時間経ってもーた! さすがにもう行かなっ」
慌ててオペレーターが用意していた資料をカバンに詰めると、残った珈琲を一気に飲み込む。
「そしたらお暇するわ! 悪いけど、ミカちゃんの方進めといてな!」
来た時と同じように身軽な足取りで出ていった南を見送ったオペレーターは、早速指示のとおりにミカエルとの交渉の依頼を教室に出す準備を始めた。
●
「平定、ですか!?」
思いがけず上げた声が、響き渡った事でレギュリアはより一層畏まる。彼女は今、ベリンガムの居城の謁見の間に居た。
「さよう。最前線になっていた平行世界の平定は間もなく終わるとのご報告を頂きました」
しかし上段に王の姿はなく、あるのは王の側近である天使ラジエルであった。
上品な執事のような立ち姿の老年の天使だが、元はエルダー。レギュリアとの力の差は天地ほどもあり、王でなくとも気を抜ける相手ではない。
それでありながら、礼を失した声をあげたのは、その内容がそれだけの衝撃だったからだ。
最前線の平定。
天魔の戦争は、自身らの寿命の長さもありどちらか一方が圧勝することは少ない。
まして、戦場となっている世界そのものから撤退させるほどの事は、少なくともレギュリアが生まれてから一度もない。
「ザインエル様も、その最前線に?」
「えぇ、我が王はザインエル殿を高く評価されておられる。ザインエル殿の潜在能力は特殊ともいえるのです」
評価の言葉として、特殊というのは不思議に思えた。
「解りませんか? あれだけの力を持てば、凡庸なものは伸び悩むのが常です。しかし、彼は今なお成長を続けている。何処まで伸びるのか私も楽しみですよ」
それ故、王者の横で経験を得る機会を与えたのだと。
口外に肯定以外を認めない老爺の圧力に、レギュリアはただ黙して頭を垂れるより他なかった。
例えそこに言い知れぬ不安を感じたとしても。
「では、我々はゲートを護り待機の指示でしょうか?」
「我が王は言われるまでもなく、言われること以上の成果を上げる者を好むという事を忘れてはなりませんよ」
「……十分に肝に、銘じます」
慎重に答えるレギュリアを値踏みするように微笑む老獪な天使は、ふと思い出したように付け加えた。
「ところで、レギュリア殿。
もしも我々の制裁を恐れ天界から逃げ出した罪人に出会ったら、忠実な王のしもべのそなたはどうしますかな?」
(執筆:コトノハ凛)
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