漆黒の帳が降りた、丑三つ時。
闇の中を秘かに奔る七つの影があった。
「……何だか罠臭いですね、このお誘いは」
影の一人が、ぽつりと呟く。
「確かに。夜のビルに潜入なんてわくわくするけど、なーんか引っ掛かるな……」
「ボク、先に屋上に行ってるね ……何か嫌な予感がするもん。あの天才ニンジャが後をつけてるかも知れないし……」
頷く影に、走り出す影。彼の後姿を見届けて、長髪の影が「Sorry」と謝った。
「謝ることではないと思います。ただ……」
金城と隠がグルではないか、という疑いが拭えない。それはこの場にいる七人共通の懸念だった。
だが今は、まず先にやらねばならぬことがある。
「潜入は得手ではないが、余計な被害を出さないためにも極力穏便に行くべきだな…」
目の前に聳え立つビルディングを見上げ、彼らは足を止める。
第弐の巻物は、この中に。
「さあ……慎重に、かつ迅速に参りましょうか」
●
――ころん。
「何だ……?」
「なんすかね」
何かの落ちる音がして、ビルの入口にいた二人の警備員は、懐中電灯をそちらへ向ける。
ヒリュウがいた。
「召喚獣っ……!?」
「はい、とりあえず一人っ!」
驚くのも束の間、次の瞬間にはその警備員がばたりと昏倒する。
「誰だっ!」
慌てて光を当てるもう一人。照らし出される紅い瞳の少女、緋伝 瀬兎(
ja0009)。
「貴様っ……」
「恨みがあるわけじゃないけどごめんなさいにゃ」
咄嗟に警棒を構える警備員だが、同時に背後から殴られ地面にぶっ倒れた。
倒れながら、彼は相手の姿を確認する。両手に猫のような肉球が微かに見える。
「く、そ……」
起き上がる間もなく、ヒリュウと二人の撃退士が追撃を加え気絶させた。
「ちょっと眠っててにゃ。後……服を借りるにゃっ」
猫野・宮子(
ja0024)は謝りつつ、気を失った警備員の制服を脱がしていく。
「あ、カードキーあったよ!」
緋伝は制服のポケットから一枚のカードを抜きだす。通信機器も没収だ。
「制服はもう一組あるが、どうする?」
先程のヒリュウの主、戸蔵 悠市(
jb5251)は問う。男性用のサイズだ。
「俺にはこのNINJA装束があるからな! 遁甲も使える!」
炎條はあっさりとそれを断り、
「あぁ……俺も遠慮しておくよ」
少し考え、相馬 晴日呼(
ja9234)もそう答える。
「あんたが着る方がいいんじゃないか?」
「……教えて、都市(まち)の動物達」
壁面から屋上に駆け上がった犬乃 さんぽ(
ja1272)は、忍法によって隠がいないかを探る。しかし。
『そちらは何か掴めたか?』
「……うぅん。駄目だった」
相馬からの連絡にしょんぼりした様子で答えつつ、犬乃は壁面を駆け下りる。
『そうか。こっちも大した情報はなかったが――』
やがて降りてきた犬乃を見つけ、相馬は軽く手を挙げる。
「大した情報はなかったが、少なくとも入口開けてすぐ警備員、ってことはなさそうだ」
入口に二人いる分、エントランスの見回りは少ないらしい。
「ただいつ来るかは分かりませんし、急いで次に移りましょうか」
警備員を縛って隠し、着替えも終わったことを確認して、彼らはビルへと侵入した。
●
照明の落ちたビルは暗く、不気味であった。
音らしい音も殆どなく、ただ機械の唸る音だけが静かに響く。
「よっ……と」
緋伝は壁を伝い、監視カメラを躱しつつエントランスを進む。
「あったあった。えーっと……多分ここ、かな」
目的は、案内所にあったビル内の地図だ。
地図は簡易的なものだが、並びや表記によって大体何に使う部屋なのか想像はつく。
「成程、ではこのルートで行くのが良さそうですね」
「俺はエレベーターの方に行くよ。囮として乗り込めれば」
情報を元に、彼らは進む方向を決定。
カツ、カツ、カツ。
人数よりもちょっと少ない足音が、虚空に響く。
「あれ、お前らどうしたんだ?」
突如、廊下の向こうから光が浴びせられた。見回りの警備員だ。
「な、なんでもないにゃ――ないぞ!」
声を掛けられた猫野は、極力低い声を出して誤魔化そうとする。
「にゃ……?」
が、流石に女子の声だ。変化で声色は変わらない。
「……少し風邪気味らしくてな」
と、咄嗟に同じく制服姿の戸蔵がフォローを入れる。
「そりゃ災難だな。……ん? つかお前、誰――ッッ!!」
首を捻りかけた警備員は、突如耳を塞いで蹲る。
「すみませんが、眠ってください」
すかさず宮鷺が飛び出し、彼の首元に手刀を叩きこむ。警備員は音も無く崩れ落ちた。
「Goodな手際だな!」
炎條の声に答え、ヒリュウがビシっと得意気に胸を張った。
「ここ……ですね」
やがて到着した一つの扉。撃退士達はタイミングを合わせ、突入する。
「何だお前達っ!?」
声を上げる警備員だが、すぐに身を竦ませ動けなくなる。またヒリュウが超音波を放ったのだ。
緋伝達が素早く彼らを拘束する中、宮鷺はモニターをじっと確認。
「……社長室にはカメラが無いようですね」
見渡しても、それらしい映像は無い。惜しい所だが仕方ない。代わりに、詳しい通路の構造や警備員の動きを見ておく。
エレベータの中に、相馬の姿が見えた。そして、エレベータの辺りに向かう警備員達。
「非常口側は手薄のようです」
相馬が囮になってくれたのだ。このチャンスを逃す手は無い。
「通信機没収完了ー! 電話線も切っちゃうね!」
ちょうど、緋伝たちの作業も終わったようだ。
「了解です。では社長室に向かいましょう。相馬さんにも連絡しておきますね」
「……分かった。俺もすぐ向かう」
報告を聞き、相馬は短く答えた。エレベータは唸りを上げて上昇する。
そろそろ目的の階だ。相馬は扉側の隅に身を寄せて、構える。
ちん。小さな鈴の音が鳴って、ドアが開く。
「動くな! ……っ!?」
警棒を構えた警備員が飛び込んでくるが、足を払って転がすと、そのまま馬乗りになる。
「貴様っ……! 何のつもりだっ!」
「あんたらのトップが仕向けたことだ。大人しくしておいてもらいたいな」
暴れる相手を抑え、殴る。手は抜いているが、撃退士の一撃だ。警備員はたまらず意識を手放した。
(無闇に傷つけることはしたくないが)
もう何人か走ってくる音がする。
(敵の掌で踊らされるってのは、面白くはないな……)
手早く済ませよう。軽く頭を掻いて、ひとまず相馬は目についた監視カメラを塞いだ。
●
そして辿り着いた、社長室の扉。
「……どうにも嫌な予感がするのよね」
緋伝は違和感を拭えないまま、ドアノブに手を掛ける。
がちゃり。
ノブを回し、扉を、開く。
「……来たか」
部屋の中心。目に入る。両足を揃え、天井に立つ男の姿が。
「隠ッ……!!」
「やはりね……」
驚く炎條に、納得した顔で八岐大蛇を握る犬乃。
(巻物は……)
炎條が飛び出さぬよう軽く制しながら、宮鷺は室内を見回す。
「……既に取った後、か?」
戸蔵は隠に問い問い掛ける。隠は懐に手を入れつつ、平坦な声で「そうだ」と答えた。
「待ち伏せって事は狙いは巻物奪取だけでなくあたし達……いや、忍君にも用があるんだよね。一体何をしようっていうの?」
じっとその顔を睨み付けながら、緋伝は隠に問いかける。
「何を、か。……ただの、簡単な、ゲームだよ」
瞬間、彼の背後から二体の影忍者が飛び出した。その内の一体が非常ベルに指を掛け、押す。
ジリリリリリリリ!
けたたましい音が耳を劈いた。
「警備員はちゃんと倒したか? ま、倒していても時間が経てば外の人間が気付く」
わざとらしく、挑発するように。
「だから短い間だけ、ゲームをしよう」
とん、と机の上に降りて、隠は懐から一冊の巻物を取り出した。
難解な暗号で書かれた題名。古び、朽ちかけた紙。それは間違いなく、炎條の家にあったそれと同じモノ。
「1分間。それまでの間、逃げずに相手してやる。巻物が欲しければ全力で奪いに来いッ!」
隠はカタナを振り上げ、炎條に斬りかかった。
「うにゃ、やっぱり罠だったのにゃねっ。邪魔な影は僕の方で対応しておくにゃよ!」
猫野は肉球グローブを装着し、片側の影忍者へ飛び掛かる。
「どの道戦わざるを得ないか!」
戸蔵も阻霊符を指に挟みつつ、ヒリュウを再召喚。
「隠! 何故っ……!」
隠の斬撃をスレスレで回避しつつ、炎條は悲痛な声を上げた。だが。
「簡単に決まっては面白くない、だろう」
返す隠の答えは、何処かズレていて。
「忍君!」
緋伝が炎條に呼び掛ける。直後、影手裏剣が二人の周りに降り注いだ。
「巻物が欲しいのは君と主人の悪魔、どっちなの?」
が、手裏剣の痕に隠の姿は無い。
「両方だ」
声が、緋伝の背後から答えた。振り向き様に、一閃。回避しきれず、緋伝の二の腕から血が噴き出る。
「痛ゥ……」
「ニンジャ鏡の中から、おいでもう一人のボク……♂双忍♀ダブル☆ステルス!」
犬乃の言葉に導かれ、1枚の鏡が煌めいた。
鏡に映るのは、性別の違うもう一人の犬乃。そして二人の犬乃さんぽは、互いにこくりと頷き合い、吠える。
「だったらっ……!! 一体お前は、何の為に巻物を狙うんだ……」
四つ。白い肌に生えるブルーの眼が、隠の姿を捉える。
「自分の欲望の為?」
「それとも主の為か!」
生まれた故郷に刃を向け。
親しい相手に憎しみを向け。
何が隠をそうさせるのか。犬乃達の問い掛けにも、彼は両方、と答える。
「だが敢えて言おう。欲望が俺を導いた。欲望故に、あの人にこの身を捧げることにした」
恐らくその主を思い出しての事だろう。振り返るように、隠は語る。
「人類を……忍達を、裏切ることになったとして。それが俺の、『最期の欲望だった』」
「っ……!??」
最期の。
その一言を耳にして、炎條は固まる。
「忍さんっ!」
「っ……! Sorry!」
宮鷺に呼び掛けられ、ハッとする。今は考えている場合じゃなかった。何より、まず、巻物を。
(危なっかしいですね……)
ふぅ、と息を吐きながら、宮鷺は視線を周囲に戻す。
(影忍者、あまり離れませんね……)
影忍者達の動きは慎重だった。室内がさほど広くないのもあるが、あまり隠との距離を離そうとしない。
(巻物は本物、と見て良さそうですね)
「にゃにゃにゃっ!」
壁を使い、猫野が器用に敵に飛び掛かっている。
彼女の素早い身のこなしには影忍者でも追い付けないようで、斬りつけてもするりと回避されているのが見て分かる。
(あちらは任せても大丈夫そうです)
ならば、もう一体。
拳銃を構え、二体目の影忍者に集中する。
「すまん、遅れた。凄いことになってるな」
と、その場に駆け込んできたのは相馬だ。
「大丈夫です。警備員はどうなりました?」
「大体片付けた。しばらくは問題ないが……」
警報が気にかかる。警備員は今気絶しているが、あまり長く鳴っていると外から警察を呼ばれてしまうだろう。
「えぇ。ですから素早く、確実に」
拳銃を、影忍者の脚に向けて放つ。ばすん、と気の抜けた音がして、影忍者の足から墨か零れた。
相馬もそれに合わせ、アサルトライフルをぶっ放す。警備員と違ってディアボロだ。容赦は、要らない。
「これならどうだっ!」
緋伝の掛け声と共に、薄い霧を纏った炎の刃が無数に水晶隠へと迫る。
「忍術書に、術……」
呟く隠の首を、刃の一つがすとんと切り落とした。……と、思ったのも束の間、その首は霧と共に消える。
「また空蝉っ……!」
「忍者だからな」
悔しげな緋伝に、隠はさらりと返した。同時に、墨を固めたような小さな杭を犬乃へと撃ち込む。
「ボク達だって立派なニンジャだよっ!」
が、犬乃も犬乃で九十一式エクソダス☆シャドーを使いこれを回避。
すかさず、表犬乃ともう一人の犬乃が両脇から斬りかかる。
「……空蝉に分身。向こうの猫は変化も使っていたな」
「それがどうしたっ!?」
隠はもう一度空蝉でこれを避け、正面から放たれた火遁・火蛇を身を翻すことで流す。
「どうとも思わないのか、忍? 大体、分身はお前の専売特許だったろう。お前は使わないのか?」
「それは……」
奥義スキル、影分身。炎條忍は実際の所、スキルとしての分身をマスターしていなかった。
「……いくら忍術が使えたとして、アウルが無ければただの手品と変わりない」
つまらなそうに、隠は続ける。
「厭になるだろ。だからだ。俺はお前が――いや、お前達『撃退士』が、妬ましくて、大嫌いなんだよ」
「うにゃにゃあっ!」
猫野は叫ぶと共に、影忍者へと一気に距離を詰める。
「これで終わりにゃ!」
振り上げた肉球が、七色に輝く。叩き込む一撃の軌跡が、鮮やかな虹を描く。
『――ッッ!』
声も無く、影は崩れ落ちた。
同時に響く銃声。もう片方でも、影忍者の殲滅に成功する。
「……ちっ」
何処か諦めたように、隠は舌打ちする。
「そんなのっ……!」
瞬間、再び犬乃の斬撃。一撃は空蝉で躱されるが、もう一撃が、反応を超えた。
ざしゅっ。刀が隠の肉を裂き、黒い血が噴き出る。
「ぐっ……」
片手で傷口を抑え、隠は表犬乃へ斬りかかる。が、その手首にもう一発、銃弾が叩き込まれた。宮鷺の銃撃だ。
「――今だ!」
声を上げる戸蔵。すかさずヒリュウが隠の懐へ迫る。
「舐めるなッ……!」
ぐ、と倒れ込むように、隠は寸での所でそれを回避、する、が、
「まだまだっ!」
刹那。
天井から一つの影が隠に飛び掛かり、懐から巻物を奪い去る。
「これでゲームはあたし達の勝ち?」
巻物を掴んだのは、緋伝瀬兎。この猛攻の最中、気配を消し天井から飛ぶ。……隠は、気づくことすら出来なかった。
「……あぁ」
こくり。隠は頷く。
「それは好きに持って行け」
隠は撃退士達に背を向け、手裏剣で窓を破壊する。
「待てっ!」
逃がすものか、と宮鷺がその背に銃弾を叩きこむが、命中すると同時に隠の姿が消える。
空蝉を、もう一度分隠し持っていたのだ。
●
巻物はいくつあるのか。ビルから脱出した撃退士達は炎條と少し話をした。
「恐らく、五つ」
炎條は答える。炎條、水晶と関わりの深い家は、金城を合わせ三つ。
「場所は分かるか?」
相馬は更に問う。
「場所がわかれば今度は先手取れるかもだしね」
猫野達も同じ考えのようだ。後手に回るのは不利である。
「OK。連絡を取っておくぜ」
こくり、頷いて炎條は答えた。
「ちなみにその家の名前って……?」
何か考えていた緋伝は、ついでとばかりに聞いてみる。
「一つは林縁。もう一つが、土門だ」
「忍。……戦わなければならないのは確かだが、辛いなら弱音くらいは聞くぞ」
島に戻った頃、何処となく沈んだ炎條の様子を見て、戸蔵は言葉を掛ける。
「……Thanks」
薄く笑って、小さな声。
「最期の、って言ったぜ」
「……あぁ、聞こえていた」
炎條は、前の依頼で戸蔵に言われた事を思い返していた。
ヴァニタスの意志が本人の意思とは限らない、と。だが。
「……あれは、俺の知ってる隠の意志だぜ」