●里
「忍びの里かぁ……何気に行くのは初めてなんだよね」
宵闇の中を駆けながら、緋伝 瀬兎(
ja0009)はぽつりと呟いた。
彼女も忍びの一族の出身であったが、里に住んでいたわけではない。むしろ一族の問題から遠ざかる為に学園に来たようなもので、まさかこんな機会があるとは考えていなかった。
「それで……詳しい事情、聞いても良い?」
「出来るだけ情報は持っておきたい。……話したくないこともあるかもしれないが」
相馬 晴日呼(
ja9234)は、炎條忍(jz0008)の様子を見て付け加える。
彼は普段の炎條の事を知らない。だがそんな相馬の眼にも、炎條は苦しげに見えた。
「凄腕のニンジャ! そんな人がどうして……そして巻物の魔忍って何だろう?」
水晶隠、そして『魔忍之書』のことを聞き、犬乃 さんぽ(
ja1272)は首を傾げる。
「分からない。まだ巻物の全てを解読したわけじゃないしな。……隠のことも」
分からないことだらけだ。まだ何もかも。
(……らしくない表情だな)
戸蔵 悠市(
jb5251)は思う。屋上で見る彼の顔はもっと明るかった。不敵ともいえるあの笑みが、彼には一番似合っているというのに。
「……さて。懸念事項ですが……」
炎條の話を元に、宮鷺カヅキ(
ja1962)は考える。まず何に注意するべきか。
「やはり、炎條さんのお父さんは捕えられている可能性が高いですね。彼が巻物を持っている、と踏んだのかもしれません」
「敵の目的がもしその巻物だとしたら……忍君が持ってる事、バレないようにした方がいいかもね」
「とりあえず巻物の事に関しては僕たちも何も知らない事にしておかないとだね。明らかにそれを狙ってきた感じだし……」
宮鷺の懸念に、緋伝や猫野・宮子(
ja0024)はそう提案する。
兎にも角にも巻物だ。理由は分からなくとも渡してはならぬというのなら、それを危険に晒す必要は無い。
「あまり、前に出すぎないようになさってくださいね。いくら心配とはいえど、感情に流される者をNinjaとは呼べません。」
「……OKだ。なら俺は後ろでディアボロを相手するぜ」
宮鷺に釘を刺され、忍は静かに頷く。
「……ヴァニタスの行動は元の人間が「本当に」望んだ物であるとは限らない」
見かねて、戸蔵は炎條にそう言葉を掛けた。
「ヴァニタスは死者の肉体で作られた、ただの抜け殻だ。例え忍の大切な者の姿をしていようと」
『隠はそんな奴じゃない』。そう信じる炎條の気持ちは正しいのだと、戸蔵は言外に伝える。
「分かってるぜ。……ヴァニタスは、ヴァニタスだ」
「……」
答える声は言い聞かせるようで、戸蔵は少し不安を覚える。
(……やはり、安易な気持ちで受ける依頼ではなかったな……)
古くから伝わる巻物、と聞いて居ても立ってもいられなくなってしまったものの。
事態は思った以上に深刻に、目の前の若者の心に影を落としている。……興味本位で受けるべきでは、無かった。
(ヴァニタスがいるならそれを作成した悪魔がいる)
本当に憎むべき敵がいるとすれば、遺体を汚し死者の想いを踏み躙るそいつの筈だ。
若者の憂いを除く為、必要だというのなら……身を削り手を汚す事を、厭うつもりは無い。
●宵
「……いつも通り油断せず行きましょう」
宮鷺は言い聞かせるように呟くと、白衣の襟をきゅっと正す。
そこは既に里の中だった。目に映る光は、月と蔵の灯りだけ。だがこの闇の何処かに、強力な敵達が潜んでいる。
「やっぱり蔵の辺りが気になるよね。あからさまに灯りが付いてるし……」
捜索、開始だ。
「あ、その前に一つ忍君に質問」
と、行動の直前、ライトを点灯させつつ緋伝は忍に問うた。
「非常時にはここに行くって抜け道とか、決まってたりする? 敵はともかく、お父さんはそっちにいるかもだからさ」
「あぁ。抜け道は各家のUndergroundに用意されているが……」
場所は家によって様々だが、非常用隠し通路は整備されている。今回もその抜け道を使って逃げてきた忍びは多い。
「……もしDadがそこを使っていたなら……」
連絡があっても良い筈、なのだが。炎條の表情は暗い。
「大丈夫だよっ、ほら、怪我して動けないだけかもしれないし!」
「仮に捕まっていたとして、巻物が見つからない内は大丈夫だろ。助けるための俺達だしな」
たんっと炎條の肩を叩く緋伝。相馬もライトを手に持ちつつ炎條を励ました。
「私たちもいる。気負いすぎるな」
戸蔵は手持ちのナイトビジョンを炎條に手渡す。
「……Sorry」
彼の手からそれを受け取りながら、小さな声で、炎條は詫びた。
「……そうだな。俺はNINJAだが、俺達は撃退士だ。守り抜くのが、Missionだな!」
少しだけ。本当に少しだけだが、それはいつもの炎條だった。
「それじゃあ、ボクたちは先行して蔵に向かうね……?」
猫野や緋伝達はそういって、闇の中に消える。
他の仲間たちもある程度はばらけ、敵の捜索に集中した。
「忍法か、一つだけ覚えた奴が役に立つ時だろうか」
忍法、響鳴鼠。
相馬晴日呼は唯一習得した忍法により草むらに潜む鼠たちを捜索へと向かわせると、自身は索敵によって周囲を見回した。
「……」
闇。闇。闇。けれど相馬の眼には全てがハッキリと映る。
古びた、時代に取り残されたような里の風景。田畑は穏やかな風に吹かれ、草木がさぁぁと不気味に音を鳴らす。
その、中に。
しゅん、と黒い影が横切って。
「……いるぞ」
「敵、ですか。彼でしょうか?」
「いや……これは」
ビシュン!
草むらの中から、墨で出来たような黒い手裏剣が相馬の頬を切る。
「ディアボロだ。見つかった。二体だ」
「ちょっとあんた、なんでこの里を襲ったの?!」
一方で、先に蔵へ向かった緋伝の声が里中に響く。
「始まりましたね……」
戦いの火が、灯った。
●氷
「ちょっとあんた、なんでこの里を襲ったの?!」
結論から言えば水晶隠は蔵にいた。
蒼く冷たげな瞳を備えた、黒いウェーブがかった短髪の男。落ち着いた。ともすれば冷気すら感じさせる、鋭い気配の持ち主。
蔵は漁られた後なのか、木箱や行李、そして複数の書物が散乱している。――炎條の父も、そこにいた。
「すまんな、この様だ」
彼は体を縛られ、身動きが取れなくなっている。顔には青あざ。しかし未だ、健在。
隠は現れた三人の撃退士……特に炎條を睨み付けると、「なんで襲った、だと?」と呟いた。
「そこの忍者が知っていることだろう。それとも忍、お前話してないのか?」
「……」
炎條は答えない。ただ逆手に握ったカタナを握り、じっと隠を睨み返す。
隠は眉根を寄せると、ふっと思いついたように手の平からカタナを生み出した。筆で描いたような、黒く荒々しいカタナを。
刹那、飛び出す。
「……ッ!」
寸での所で刃を躱す、炎條。長い髪が僅かに斬られ、はらりと落ちる。
「よそ見は禁物にゃ!」
と、そんな彼の胴に肉球を思わせるアウルが飛来。猫野のネコロケットパンチだ。
「……わけの分からないものを……」
苦笑しつつ、隠はすぅっと足を引き、身を逸らす。肉球は隠には命中せず霧散した。
「今日の魔法少女はニンジャ風味にゃよ! どこかが」
「どこだよ。……そもそも魔法少女、なのか」
隠は困惑したように答えた。猫野の雰囲気は先程までの大人しげな雰囲気とは一変して、元気いっぱいで非常に目立つ。
「質問! 答えて!」
すぅ、と風の斬れる音。太刀のようなオーラが隠を襲うものの、隠はこれをしゃがんで回避。炎條父を片手で掴みあげると、蔵の外へ飛び出す。
「巻物だ! 【魔忍之書】。俺達はそれを求めている!」
「にゃあ!」
追撃する肉球。猫野も彼を追い、外へ。
「ちぃ……撃退士ッ……!」
カタナを握り、隠は猫野に斬りかかる。だが猫野は刃の軌道を読み、地を蹴って回避。
「にゃ、この人はかなり強そうにゃ……」
たった一振りの攻撃。回避することも出来た。けれど猫野はその身に怖気を覚える。そうだ。これは、『殺す気』の刃。
「忍。どうせお前のことだ。『持ってきてる』んだろ?」
隠は炎條に言う。父の身柄を指示して。「交換、するのならここで手を引けるが」
「忍に渡したと言った覚えは――」
「どうせそんな所だろう。最初っから此処にあるなんて思ってない」
ぶっきらぼうに、というより不貞腐れたように、隠は父に吐き捨てた。
里を襲ったのも、父を捕えたのも、ここに居座っていたのも……巻物がここへ来るのを、待っていたからだ。
「それで、どうする?」
「……っ」
炎條は、カタナを逆手に構えたまま動きを止める。考える。ぐっと隠は父を掴む手に力を込めた。「ぐぅ」と父が唸る。
「『もし俺が巻物を狙っていたとして』、『父を人質にされたら』。……お前がそう考えないわけは、無いからな」
「……ッッ」
炎條は、答えない。ただ苦しげに、隠を睨み付ける。
「……。お前……」
「水晶隠!」
首を傾げる隠に、緋伝が叫ぶ。
「欲しいのは、これでしょっ……!」
その手に持つのは、巻物。
「何っ……」
「お父さんと交換なんでしょ。これあげるから、忍君のお父さんを返して!」
「いや……だが待てよ、それ偽物だろ」
だが隠は、あっさりとそれが目的のモノでないと見破った。流石に新しすぎたのだ。
「舐めるなよ、撃退士。それくらいの判別はつく」
「にゃにゃ! よそ見は禁物にゃ!」
彼がそれに気を取られた間に、猫野は再び攻撃を仕掛ける。三度放たれた肉球を、隠はよけようとするがしかし父が暴れ、動きが鈍る。
「ちぃ……」
がず、と肩口に攻撃が掠め、隠は舌打ちする。……刹那、彼の身に、もう一つの感覚。
●影
「喰らい付け
……不可能ならば纏めて薙ぎ払う」
影忍者と遭遇した撃退士達は、即座に臨戦態勢を取った。
「そこの木の辺りに一体。畑からもう一体来るぞ」
「了解した」
戸蔵は召喚したヒリュウを木の下へ飛ばす。
「炎條は接近戦を挑まず、懐の物を護ることを優先しろ」
「OK。だが最大限の援護はするぜ!」
戸蔵に言われ、炎條はとんっと後方に下がった後、カタナを地面に突き立てる。
『ッ!?』
影忍者の一体が、その場に釘付けとなった。影縫いである。
「すまん、もう一体はまだ見つからない」
アサルトライフルで動きの止まった影忍者を撃ちつつ、相馬は言う。この周囲にそれらしい影は見当たらない。
「もしかしたらヴァニタスの元にいるのかもしれませんね」
射程ギリギリの距離から、宮鷺は推察する。
「ヴァニタスとディアボロか。速く合流した方がいいな」
「ええ。では……」
四人は影忍者と戦いつつ、蔵へと急いだ。途中、数人が蔵の外へ飛び出すのが見える。
「皆が蔵から出てきました。私は一足先に」
宮鷺は断ると、蔵へ……ヴァニタスらしき男へと、目を向ける。
片手に男性を一人抱えているところを見ると、やはり、彼が。狙いを定め、マーキング弾を発射する。
「……間違いありません。彼、です」
●表
「……合流されたか」
傷口を軽く押さえ、隠はぴぃっと口笛を吹いた。
屋根の上から、最後の影忍者が姿を現す。だが。
「他の二体は……駄目か……!」
「一体はさっき倒したよ」
続けて現れた相馬が、アウルを込めた弾丸を隠に向け、放つ。
闇の中輝くその弾は、さしずめ流星の如く隠の腹部を貫通する。
「故郷を襲撃とは穏やかじゃないな」
「人間の頃から穏やかな生活ではなかったもんでな!」
荒っぽく返答し、隠は兎も角目の前の猫野に斬りかかる。
「まずは周りからなんとかしないとにゃ。うに、ここなら使ってもいいかにゃ? マジカル♪ ファイヤーにゃ!」
猫野は紙一重でそれを回避すると、お返しに火遁・火蛇を放つ。
飛び出した炎は隠を影忍者を襲い……隠には命中しなかったものの、影忍者にダメージ。
「鬼さんこちら、にゃー。僕ばっかり見てたら危険にゃよー?」
「何……」
「そこだぁっ!」
「!?」
瞬間、焔の刃に包まれた隠は僅かに視界を失う。攻撃の主、緋伝はその隙を逃さず、炎條の父を奪い返す。
「ぐっ……」
「私の仕事は目の前一つ。……逃がしません」
感覚の鈍った隙を、宮鷺は見逃さない。その足を狙い、拳銃を撃ち込んだ。
「くそっ……撃退士がっ……たまたま力を持ったからって……!」
隠は素早く印を結ぶと、これまで以上の速さで踏み込み、駆け、炎條へと斬りかかる。
「俺はッ! 同じ力さえ、あればッ……!」
「……残念、ボク、炎條くんじゃ無いもん。どうしてこんな事するんだ!」
炎條が黒髪を揺らし、塀を蹴って上空から斬りかかる。
その声は、普段の炎條のものとは似ても似つかないものだ。
「貴様っ……」
「ボクも忍者……犬乃、さんぽ!」
犬乃は変化を解き、真の姿を現す。……そう、彼はずっと炎條に化けていたのだ。
「好き勝手しやがって……!」
隠は手中で墨のような手裏剣を生み出すと、犬乃に向けて投げつける。
鋭く空を裂く複数手裏剣。数枚を避けた所で、残りの数枚
「ちっ……また、滅茶苦茶な技をっ……」が彼の胴体に突き刺さる――が。
ぼんっと煙が出で、後に残るのは一つの犬のぬいぐるみ。
「また空蝉かっ……!」
振り返る。犬乃は既に、次の攻撃の準備をしていた。
「降り注げヨーヨー達!」
天高く放り投げたのはアウルヨーヨー。
ヨーヨーは空中で無数に分裂し、隠達の頭上から降り注ぐ。
ぼぅん。再び煙が立つ。降り注ぐヨーヨーに、筆で描かれたかのような水晶隠の身代わりが砕けた。
今度は隠が空蝉で攻撃の手から逃れていたのだ。
ばたん、ばたん。
それと共に、二つの音。
一つは傍らの影忍者が倒れた音。犬と猫の攻撃により弱った影忍者が、相馬の銃弾によって倒れた。
もう一つは……
「……よくやった」
やはり、影忍者の倒れた音。但しその背には、小さなヒリュウがぴたりと張り付いていた。
「忍……!」
「……隠、兄貴……!」
……と。そこでようやく、本物の二人は視線を交わした。だが。
「……この様じゃ、な」
ふぅ、と隠は自嘲気味に呟くと、踵を返し逃げていく。
「待てっ……!」
忍は手裏剣を投げるが、命中しない。
「また今度だ、撃退士!」
●疑
「回復しなくて平気か?」
「私は攻撃されませんでしたから。それより、他の方を」
「分かった。お疲れ様」
戦いの後、周囲を警戒しつつ宮鷺は考えていた。
(どうして彼はヴァニタスになってしまったんでしょう)
第一、どうして彼は殺されたのか。裏に何か大きなものがいるような……
「やはり、巻物の解読が必要なようだな。出来ることなら、私も解読に協力したい」
「Thanks. ……だが忍語だぜ?」
「古語を暗号化したものであれば、現代語に訳す手間がかかるだろう」
忍語は読めないものの、それであれば協力することが出来るはずだ。
「OK、なら頼むぜ。……皆にも、解読が済み次第Contactさせてもらうぜ」
ここにいる誰もが分かっていた。
水晶隠は再び現れるだろう。……また、巻物を求めて。
●
「おかえり、隠」