●すれ違い
「喧嘩の原因はやっぱりあの天使のこと?」
砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)の忌憚のない問いかけに、さくらが苦笑いで答える。
『…やっぱり解っちゃうかしらね』
「ボクでよければお話聞きますよ♪」
藤井 雪彦(
jb4731)に促され、行きたいと言ったすみれに反対した事と、その胸中を語る。
さくらの立場から見れば、反対するのは当然かもしれない。子を思えばこそ引き留めたいのだろうとテレジア・ホルシュタイン(
ja1526)は感じた。
「すみれの見舞いに行ってくる」
「あ、ボクも行くよ。さくらさん、心配しないで。また後で☆」
さくらの話を聞いて、恙祓 篝(
jb7851)が踵を返した。雪彦も手を振りながら去っていく。
少し困ったような顔をしていたジョン・ドゥ(
jb9083)も、それに続く事にした。
「ウチに有り余ってるリンゴを持っていくか。お見舞いといえばリンゴだからな」
「やべ、俺もリンゴにするところだった。別のを買っていくか」
三人が去ってさくらの話も途切れ、沈黙が訪れる。
リョウ(
ja0563)がその沈黙を裂くように、口を開いた。
「…貴女がどう思っているのかを話して頂けませんか。天使への憎しみも、母としての想いも。僭越ですが、一人で抱え込むより誰かに話してみる事が今の貴女には必要かと」
十前後も年下の彼らに心配をかけてしまった事が情けない。
でももう、ごまかせなくなってしまった。
『そう、ね。聞いてくれる?』
●母
よくある天魔事件だった。
天魔に連れ去られ、精神を吸収するために結界の中に閉じ込められた人々。
普通なら、生かさず殺さずそのまま精神を奪い取られていく。
だがさくらの夫、紫苑は殺された。
生き残った人の後の話によると、精神の吸収で感情が薄れてきた頃、見せしめのように殺されたという。強い恐怖の感情を刺激しようとしたのだろう。体をバラバラに引き裂いて。
『…憎いに決まってる。怒りや悲しみなんて言葉じゃ表しきれない。でもそれ以上に、すみれだけは喪いたくないと思った…私の憎しみをすみれに知られたら、私の事を心配させてしまう。私のために無茶をしてしまう。だから、隠すと決めたの』
依頼仲間を傷つけられ、自分も重体だというのに目の前が見えなくなるような子だから。悲しみも憎しみも、なるべく触れぬよう暮らしてきた。
いつか時間が、少しでも痛みを和らげてくれるまで。
『復讐なんて出来なくていい。ただ、生きて欲しいの』
「…まー心配するのは仕方ないと思うし、反対する気持ちも分からなくはないよ。でもさ、別れなんて何が原因になるか解らないよね」
冷静に言葉を紡ぐジェンティアン。
「大事に守ってても、病気や事故で不意に逝ってしまう可能性だってある。鈴木ちゃんの敵討ちを止めて、燻らせたまま別れが来て、それで鈴木ちゃんママは後悔しない?『こんな事なら敵討ちさせてあげれば良かった』と思わない?」
『それは…』
何も言えないさくらに、テレジアがゆっくりと語りかける。
「私も、すみれさんが望むのならその意思を尊重したいと思っています。心配なのは解ります…ですが撃退士を続けるなら、天使や悪魔との戦闘は遠からず経験すること。それならば、今回はそれを経験する良い機会です。そしてその経験は、これから生き残るために役立っていく筈ですから」
『そうね…解っているの。行って欲しくないのは…ただの私のエゴ』
テレジアの言葉に目を伏せる。
今後も、危険なんていくらでもある。いつまでも一緒にいられるわけでもない。
歩き出そうとする我が子を抱きあげるなど、してはいけないのに。
目を離したら二度と会えないような疑心暗鬼が、刷り込まれた不安感が頭を離れない。
「ただ行くなと言われても、すみれさんも納得出来ないでしょう。今話してくださった想いを、伝えるべきです」
『でも…』
迷いが消えない。今を壊すのが怖くて、踏み出せない。
不器用な母娘だと、リョウは思った。
すれ違っているのに、確かに繋がっている絆。
「…喪う痛みを恐れ動けないでいる…それが悪い事だとは思いません。ですが、すみれ嬢はそれでも前に出ると決めてしまった。なら、貴女が出来る事は2つです」
母娘の気持ちの源は同じ。喪った痛みと、家族への愛情。
戦いたいと願ったすみれと、戦って欲しくないと願ったさくら。
「止めろと俺達に縋るか。護ってくれと俺達に頼るか…個人的には後者をお勧めします。貴女が前に進む為には、未来を信じる心を思いだす事が必要でしょうから」
『未来を、信じる……』
「ねえ、鈴木ちゃんママ」
指が白むほどきつく袖を掴むさくらに、ジェンティアンが先程よりは柔らかい表情で。
「旦那さんを天魔事件で喪って親子揃って撃退士にって、確率的には凄いことだよ。鈴木ちゃんママ達は可能性を体現しちゃってるの。あまり自覚ないかもしれないけどね。だからさ、僕は二人ともに後悔して欲しくないんだ」
思いも寄らぬ事を言われて、さくらが呆けた顔をする。
考えた事も無かった。すみれの傍についていたくて必死だったのだ。
「『待つ』のが心配なら一緒に行っちゃえば?(…僕もはとこが心配で来たんだよ。本人にも誰にも言ってないから内緒ね?)さて、鈴木ちゃんの顔見てくるかな」
『え、あ…』
さくら以外には聞こえぬよう耳打ちされた言葉。驚いている間にすたすたと歩いていってしまう。
おろおろと戸惑うさくらに、リョウが言葉を続けた。
「…もし、俺達を頼る事を選ぶのなら―『約束』します。誰一人欠ける事無く貴女の元に戻ってくると。旅団の名と、この羽に誓って」
リョウの持つ黄金の羽根が優しく淡く光る。魂に刻まれた約束の証。
「今が貴女にとって最も重要な『戦い』の時です。貴方達二人が心から笑い合える世界はその先にあります。すみれ嬢の所へ行きましょう」
「きっと解り合えます。お二人の絆をここで壊してはいけません」
信じられるだろうか。
彼らを。その約束を。可能性を。未来を。
でも、どうせ解らないなら。
後悔したくない。後悔させたくない。
さくらはゆっくりと、一歩踏み出した。
●娘
「ういーっす」
「すみれ、調子はどうだ?」
「元気にしてる〜?」
たくさんの果物を抱え、軽い調子ですみれの病室へ入る篝とジョンと雪彦。
すみれは慌てて目を擦り体の向きを変えると、ベッドから足を下ろした。
『平気よ。寝てるのが退屈なくらい』
「そうか。適当に果物買って来てやったから有難く思え」
『有り難いけど、何で偉そうなのよ』
どさぁっと買い物袋の中身を広げながら言う篝に、すみれがつっこむ。
ジョンも家から持ってきたリンゴをテーブルの上に置きながら、思案した。何か言うべきなのだろうが、家族とか、そういう話は苦手なのだ。
篝と雪彦は話があるようだし、とりあえず聞き役にまわろうと決める。
「リンゴ食べるか?」
『うん、ありがと』
付き添い用の椅子に座り、テーブルに置いてあった果物ナイフでリンゴの皮を剥きだす。
篝と雪彦も残っている椅子を引いてすみれの前に座った。
「さてと…最終意思確認といきますか」
すみれの眉がぴくりと動く。
『もしかして、お母さんに何か言われたの?』
「別に反対するわけじゃねえよ。ただ、さくらさんの懸念も解るからな」
無茶した分の説教を引きずるつもりもない。そして一人で無茶されるより、誰かを頼れるのならその方がいい。
「ボクも、否定はしないよ。似たようなもんだしね♪」
『行きたい。けど…』
さくらに指摘された事が頭をよぎる。
『もう誰も死んで欲しくない…アイツのやることを止めたい。でも、私が足手纏いになって、迷惑かけて……皆が怪我するのも嫌』
最後の方は声を小さくしつつ、顔を隠すように掛け布団を口元まで引き寄せる。
雪彦がそんなすみれに笑いかけた。
「足手纏いとか、気にしなくていいんだよ♪最初はみんな迷惑かけながら経験を積んでいくんだ。参加したい気持ちがあるならウェルカムだよ♪ 」
『そう、なの?行っても、いいの?』
その反応を見て、やはりすみれの心は既に決まっているのだと知る。
ただ、さくらに認められなかったことと、自分の力不足への不安が二の足を踏ませているだけ。
「…ただ、大事な人へ言っておかなきゃいけない事があるよね?それは、ボクらが手を出しちゃいけない部分だって思うんだ」
力不足は、自分達がフォロー出来る。でも。
「ボクは敵討ちを否定しないって言ったけど、肯定もしない。だって、すみれちゃんには復讐以外にも大切なものがあるんだから。すみれちゃんがさくらさんを説得しない限り、連れていけないかな」
大事な人を失った時に、復讐しか無かった自分とは違ってと、心の中で付け加えて。
「ああ、さくらさんとは話をつけろ。さくらさんが抱える不安と恐怖、お前なら、一緒に背負えるだろ」
『説得っていっても…反対されるだけだもん』
不貞腐れながら布団を抱き込む。今まで敵討ちの話すらまともに出来なかったのに、説得なんて無理だ。
ジョンが手を止めて、おもむろに口を開いた。
「すみれは、ただ敵討ちの為だけに二ドルグとやり合う訳じゃないんだな?自分と同じ目に遭う人を作らない為に戦うのなら…それをちゃんと言った方がいいんじゃないか?」
『…どういうこと?』
「復讐のためだけじゃないんだって、言ってないんだろう?それじゃさくらも心配するさ」
『そう、なのかな?』
言い終えて、再びナイフを滑らせる。リンゴの皮が輪を描いて落ちていった。
「すみれ」
篝が短く呼びかけた。
「一緒に行くつもりなら…自分の力を、出来る事と出来ない事を認識しろ。お前なりの戦い方を見つけろ」
『私の戦い方?』
「俺はアイツの力の特性を引き継いだのか攻撃性の強い炎系に偏りがちだが、戦うってそれだけじゃない。仲間を護ったり、連携やサポートに徹する手もある」
『…アイツって?』
今の話でそこに食いつくのかと思いつつ。
笑顔で消えた少女の事が頭をよぎる。
「…俺の力は、貰いもんだからな。でもお前のは違う。お前の意思で力の向きを決めろ。その手伝いぐらいならしてやっから。何なら抜刀術も少し教えてやる」
『うん…』
まだ、出来ないことばかりで。何が出来るかなんて解らない。
でも、これだけは解る。
強くなりたい。誰かを護れるくらい。
そこまで話したところで、ドアをノックする音が響いた。
●親子
リョウ、テレジア、ジェンティアンと共に現れたさくらの姿を見て、すみれがぎゅっと拳を握った。
『お母さん…』
『すみれ。やっぱり…行きたい、のよね?』
不安そうな問いかけに、ただ小さく頷く。
解ってもらいたい。その気持ちはあるのに言葉がうまく出てこない。
ジョンがさくらに振り返った。
「俺達は止めるつもりはない。すみれがさくらを説得するならついてきていい、って事で纏まったよ」
『そう…。すみれの話を聞いてくれてありがとう』
ぎこちない笑み。何となくすみれへの距離を感じて、ジョンは怪訝そうに眉をしかめる。
「さくら。俺、マトモに親子ってものをしたことが無いから訊くんだけど…親子は喧嘩をしちゃダメなのかな?」
『え?ええと、そんなことはないけど…』
「なら、思ってる事を正直に言えば良いんじゃないか?喧嘩になっても良いじゃん。話し合ってお互いに納得して決めた方がいいと思うけどな」
自分が、親とかをよく知らないからそう思うのかもしれない。
でも、喧嘩になるからと言葉を飲み込んでしまうのは、何か違う気がした。
「…それでもすみれが来るなら、手を貸すよ。以上、赤毛のお兄さんが思ったことでした、ってな」
明るく言い終えるジョンと、まごまごしているすみれを見て、さくらが自嘲するように笑った。
『…ええ、そうね』
怖がっていても、何も変わらない。それでいいと思ってた。
でも、折角皆がくれた機会だから。皆がすみれに手を差しのべてくれているから。
すみれに歩み寄り、床に膝をついて、その手を両掌で包み込んだ。
『すみれ、ごめんね。すみれが、お父さんみたいに帰ってこなかったらって、怖くて堪らなかったの。ただ生きていてくれればって思ってた…。お父さんの、敵を討てなくても』
いつもは温かい筈の手が、冷えて、震えていた。
『な、何?お母さんは、仇なんてどうでもいいんじゃなかったの?』
『そんなわけない。私だって憎いわ。許せない。でも、すみれが私のために無茶をしそうで言えなかった…。どこにも行かないで欲しかった』
まるで懺悔のように、目を閉じ告白する。
『そんなの…バカじゃないの?私、お母さんはお父さんのことが悲しくないのかと思ってたのに…言ってくれなきゃ、解んないわよ』
心配されてることは解ってた。でも、自分と母の気持ちには隔たりがあるのだと。それが悲しかったのに。本当は悲しみも憎しみも同じだった。
たださくらがその気持ちよりも、すみれを選んだだけで。
固まってしまったすみれを後押しするように、テレジアが声をかける。
「すみれさん。親は子を心配するものです。復讐を止めるのは、ある意味当然の事…。納得してもらいたいなら、安心させるしかありません」
言わずに、伝えずに、納得出来るわけがないから。
すみれは深く呼吸して、ぎゅっと手を握り返した。
『お母さん。私、戦いたい。敵討ちのためだけじゃないよ。お父さんみたいな人や、お母さんみたいに悲しむ人が増えないように、アイツを止めたい。この力はそのためにお父さんがくれたものだと思うから。ちゃんと生きて帰るよ』
昔見た、誰かと同じ澄んだ黒い瞳。
いつかのような危うさはもうない。助けてくれる人達もいる。
あとは、送り出す勇気だけ。
『…本当に大丈夫?』
『もう。心配性ね』
「理屈と感情は違うよね。心配はどうしたってしちゃうし絶対の安全の保障はない…だから…」
二人のやりとりを見守っていた雪彦が、横からそっとさくらの手をとった。
「すみれちゃんは絶対に護る…必ず帰すよ…さくらさんの元にね!約束です♪」
『雪彦君…』
指切り、誓う。
ふと気付いた。こんなに簡単な事だったのに。
信じられるかじゃなくて。
信じたい。
何度も自分達を助けてくれた彼を、彼らを。娘を。
『絶対よ』
「はい♪」
瞳に涙を湛えるさくら。
リョウがふっと笑んだ。
「…お二人の覚悟に、敬意を。約束は必ず果たします」
「ね、一つ確認。鈴木ちゃん、僕達に何かあっても自分の所為だって後悔したりしない?」
ジェンティアンの問いに、すみれはキッと顔をあげて答えた。
『しないわ。皆で生きて帰るんだから』
「…そう。鈴木ちゃんママは?」
来なくてもいいの?と言うように。
『…皆を信じるわ。大丈夫、待つのは慣れてるの。だから…ちゃんと、帰ってきてね?』
『うん』
指を絡めて契る。
今度こそ、交わした約束が、繋いだ手が、離れ離れにならないように。
『約束だよ』
続く