●雨雲の間奏曲
仄暗い空から差し込む光も遠く、思わず気が滅入ってしまいそうな重たい梅雨の空。
だからこそ、鈍色の空に映える其れが綺麗で。
「まぁ……これは見事な……。素晴らしいです……」
最も右のエリアを歩く6人。到着するなり、漏れたのはミルシェ・ロア(
jb6059)のそんな呟き声。
変わりゆくものだから美しい。緩やかに咲き誇る瑠璃色は時を閉じ込めたような優しく、綺麗。
「こんな所まで出てくるとは熱心だな。さっさと駆除するか」
「子供の楽しみと、紫陽花園の地主さんの善意を台無しにするわけにはいきませんからね」
「はい、なんとか8時までに全部倒したいですね」
その為に頑張ろう。天川 月華(
jb5134)とカミル・ハルトシュラー(
jb6211)の言葉がジェイン・ディーネット(
jb5901)の声に重なる。
(花は散らせません……)
そうして、眼前の紫陽花を見つめた九十九 癒姫(
ja9119)はその想いをただ、強くする。十字架を握るその手にも力が籠もる。
カミル達が歩いていると探すまでもなく飛び出してきたのは黒い羊。
すかさず月華が阻霊符を展開し、ミルシェが牽制攻撃を放つ。その隙にサイドステップで敵後方へと回り込む藤村 将(
jb5690)。
(前門の虎、後門の俺……ってか)
そのまま踏み込みメリケンサックを嵌めた拳で足関節を狙い繰り出す。たった、一撃。重い拳は敵の生命を大きく削り、その反動で仰け反る。しかし、素早く動いたのは挟み込むように待ち構えるジェインの背後にはハンドガンを構えるカミルの姿。
「紫陽花は傷付けられないからな!」
「ええ、気持ちも花も踏みにじらせたりなんかさせません……援護します」
カミルの援護射撃を受けて、ポニーテールを揺らし大剣を振りかぶる。紫陽花は傷付けないようにと気をつけて、羊の身へとたたき込まれる斬撃。
しかしディアボロもやられているだけじゃない。将に渾身の体当たりを喰らわせる。角が肌を剔り、掻き乱される将の思考。
「私は九十九、一が為の支え!九十九 癒姫」
先程までの穏やかな雰囲気から一変、凛と告げる癒姫。毅然と立ち向かいブライトチェーンを振るう。その軌跡にあわせ宝石が煌めけば十字架の鎖は彷徨える羊の道を、正しい方角へと導くように。
「……おいでなさい。この場に、貴方は……相応しく、ありません……」
何処か詠うように流れ紡がれるミルシェの言葉。構えた弓から放たれた矢は雨粒を切り裂いて敵の身を穿つ。
「え、っと、どう……したんですか?」
月華を狙いディアボロをすり抜けてこちら側へやってくる将。すると、ミルシェは月華を庇うように立ちはだかる。
「……目覚めて、くださいっ」
そう将の頬へといい音を平手打ちが繰り出された。
落ち着きを取り戻した将はそのまま振り返り、月華とカミルの支援攻撃を受けつつ撃破した。
空から見下ろした紫陽花が思い出を微かにくすぐる。
白い羽根を広げて朔卜部月(
jb6055)は思い出すのは過去のこと。以前にも見に行ったことがある。現在は既に閉ざされてしまった京の都。
もう逢えない人とともに見た紫陽花は、今日も変わらず可愛らしく綺麗で、そして悲しい。
従者である冬片 源氏(
jb6030)から一報が入る。ディアボロを見つけたと。
しかし地上班は遠く、または戦闘中。すぐに集まれそうな飛行斑で対処することになり、羽を広げた仲間達が集まってくる。
「彼処に居ます。よく手入れされた紫陽花ですから……ディアボロも花に魅せられたのでしょうか?」
源氏が指差す先、蠢くのは黒狼。
「壊すのはいいんだがなぁー。ディアボロの後始末どうするんだよ?剥いで売るか?」
「そもそも、売れるのですか?」
「解らん」
言い捨てるような紅鬼 優夜(
jb6010)に冬片 淡雪(
jb6032)が投げかけた質問。
そのやり取りの傍ら日比谷ひだまり(
jb5892)は地上の光景を見て、決意を新たにする。
「とりあえず、子ども達には楽しい思い出を作って貰いてーのですわ。だからひだまり、頑張るですの!」
強気なひだまりの心の内。戦闘は初めてだから緊張する。けれど。
(怖いって言ったら、きっと不安が伝染しちゃいますわ。――だから、ひだまりは怖くねーですの)
怖くない。そう自分を奮い立たせて白色の杖を握る。
「さて、ぼこぼこにするか」
優夜は降下。ディアボロを陽動し予め決めておいたポイントへと誘き出す。
「大切なアジサイの花、絶対に傷つけさせませんわよ!」
蛇の赤き心臓から放たれる光の弾。紫陽花を傷付けぬことが最優先事項、間違っても。そして、牽制となるように。
その光弾の流れにのって、双子の悪魔が氷と雷の双撃を放つ。
そこに月の鎌と優夜の盾での一撃が叩き込まれて、波乱もなく戦闘を終えた。
「お怪我は御座いませんか?お嬢様」
弟を弾き飛ばして月に傘を差す源氏。
「風邪を引いてはいけませんわ」
「お嬢様もですけど姉さんも風邪をひいたら大変ですよ」
そんな源氏に傘を差す弟。淡雪は早く散開なさいと言おうとしたら、月が淡雪もと誘ったから渋々迎え入れる。
「まだ、敵は残っていますから探しに行ってきますね」
「源氏ちゃんと一緒に行きたいけれど、また後で逢いましょう」
名残惜しそうにそう告げた月。ふたりは飛び立っていく。
(信頼はしているけど、やはり心配だわ……)
遠くなる主人と片翼の背を見送り、源氏は少しだけ不安そうだった。
雨は相変わらず降っている。
鈍色の空から落ちる雫は泣き虫で我が侭な子どもの涙のよう。
最近、雨の中の出撃が多い。梅雨という時期柄なのか、それとも――。
「誰ぞ、雨女か雨男がおるんとちゃう? まあ、エエわ。とっとと片付けて花見で一杯いこ」
右翼班。小さな水筒に入った日本酒をチビチビと呷る桃香 椿(
jb6036)。一見やる気のないように見える彼女のその瞳には真剣な色が宿っている。
「ほんに、花は綺麗ぢゃのう。護らねば」
記憶のはじまりにあるのは満開の桜色。心奪われたあの日の桜も、今日の雨の中の紫陽花も綺麗なことには変わらない。
だから、散らせることも
「ええ、子ども達の楽しみを奪わせる訳には行きません、初陣にはなりますが臆せずいきましょう」
子ども達の楽しみも護る為、紫陽花を傷付けてはならないと付け加えてアストリット・ベルンシュタイン(
jb6337)は歩みを進める。
「あっ! はい。紫陽花は傷付けないように、ですね……はい、善処しますっ」
天魔を討伐する依頼ならばと張り切っていた黒崎 啓音(
jb5974)が居た。
天魔を倒すこと、それだけに思い巡らせていた為、いきなり掛けられた形になったアストリットの声に少しだけ驚くが、とりあえずやるだけはやってみようと決意を新たにした。
「依頼は確実に行こう、啓音」
(……とっとと済まして帰って寝たい)
戦意を漲らせる啓音に比べ義兄である音羽 海流(
jb5591)は何処か眠たげな表情を浮かべていた。早朝だ、眠たい。
飛行斑から見つけたとの連絡が入り、皆で広場に追い詰め海流は阻霊符を展開する。
海流がゴーストバレッドで撃ち抜こうとしたが、躱されその勢いで狼の身は紫陽花の方へと飛んでいく。
「綺麗な花、散らせないのぢゃ!」
咄嗟にディアボロと紫陽花の間に踊り出、身を挺して庇った木花咲耶(
jb6270)。
身体の小さな天使の身を襲う衝撃を必死に堪えて持ちこたえ、なんとか押しとどめた。
椿がサンダーブレードで切りつけ、ディアボロを麻痺させると其処からは撃退士達が。
咲耶も負った傷を吸魂符で癒して、アストリットの前衛支援もあり、こちらも、すんなりと討伐が成功した。
入り口から、最も左のブロックを歩く4人。
一面に広がる青紫の花々。手毬花の合間を縫うように歩き、葉を捲りディアボロの姿を探す。捜索活動ではあるが見事に咲き誇る花には、つい目が行ってしまう。
「わあ……! 紫陽花、とっても綺麗ですね。この光景、子ども達に見せてあげたい」
「皆のもの、安心するがよい。まろが受けた時点でこの依頼は成功以外にはならないのじゃ」
風早花音(
jb5890)の呟きに、胸を張って答えたのは崇徳 橙(
jb6139)。
「はい、頑張りましょうっ!」
呼び出したヒリュウと視覚を共有し、進む紫陽花の影、ひそむ黒い体毛を見つけて自信ありげに言い放つ。
「まろのヒリュウが敵を発見したのじゃ、皆まろを崇めるとよいのじゃ!」
「これより作戦を開始する! 皆、準備はいいか?」
発見した旨をスマートフォンのアプリを使用し他のメンバーへと連絡をいれた赤糸 冴子(
jb3809)に、何かさらりと流されたが、それでも挫けない。
はい、行きます。と心を静めて茂みから飛び出でてくるディアボロにいち早く反応したのは花音。
「赤糸さん、今ですっ!!」
「死ねッ、ブルジョワの飼い犬め!」
花音の手から放たれるのは蜘蛛の糸。獲物を絡め取り、その動きを鈍らせると同時天から降りた冴子が黒狼の身に銃口を押し当てて撃ち抜く。
散らさないように首筋を狙い撃ったがその狙いは見事功を奏した。悶え苦しむディアボロから放たれる攻撃が皆に当たるけれど、損傷は軽微。
そして、勢いのまま紫陽花に飛び込もうとした狼の行く手を威嚇するようにヒリュウがブレスを吐き出す。そして、阻むように、宗像 神薙(
jb5848)が素早く回り込むと。
「嗚呼、折角の綺麗な紫陽花だというのに無粋な真似を……」
雨の中、りぃんと澄んだ鈴の音が響いた。数々の碧き剣閃が人狼の身を刻む。それはまるで、ひとつの舞。
倒れ伏したディアボロを見て花音がふと、こんなことを呟いた。
「う、ううん……ところで、飼い犬なんでしょうか?」
「デビルの飼い犬かもしれませんが……」
その口を止めて、神薙は視線を花に向ける。
鮮やかに咲き誇る色彩豊かな花。けれど、蒼い空を閉じ込めたような藍色の花に心奪われるのは何故だろう。
ただ雨は降り続いている。
「紫陽花に天魔……無粋だ。天魔は要らぬよ」
顎に手をあて呟いた冲方 久秀(
jb5761)が行動を共にするのは左翼チームのメンバー。
「ガキが花見て何楽しいのか知らねーが楽しみにしてたんなら仕方ねえ。とっととぶっ飛ばして終わらすか」
その隣、暁 陽空(
jb6082)の歩みとともに、軽く泥が撥ねる。空は憂鬱な鈍色を湛えている、降りしきる雨は止む気配を見せずに大地を今日も濡らしている。
面倒臭いだけの雨だけれど、子どもはこんな天気でも楽しめるのかと素直に疑問。
「そうだね、子どもの頃の思い出は、大人になっても心の奥深くに残るから、大切にしてあげたいな」
自分のかつての記憶は病院の光景だけ、だからこそ子ども達には綺麗な風景をいっぱい見て欲しい。
それは口には出さなかった。だから、何処か遠くを見つめながら雨に吐き出された田中恵子(
jb3915)の呟きに、こくりと頷いた春野 小鳥(
jb6283)が腕を掲げる。
「うん、綺麗なものは綺麗なままで見せてあげたいし、がんばろー!」
雨の中、紫陽花を傷付けないようにと気をつけて探していれば、ハンズフリーにしていた携帯電話に飛行斑から連絡が入る。
飛行斑が姿を見つけたという場所を地図と照らし合わせて、そのポイントへと向かうと通路を徘徊している影を見つけた。
「あ、濡れ羊はっけーん。ほら、そこそこー!」
小鳥が指差す先、黒色の体毛に身を包んだ羊が居た。そのまま羊を茂みに逃がさぬよう気をつけ、予め来栖 蒔菜(
jb6376)が見つけた開けた場所へと追いやって陣形を組み、素早く阻霊符を展開する。
「キューちゃん、ごーごー」
まず動き出したのは恵子。
ぱたぱた、と羽ばたいた恵子のヒリュウから放たれるブレス。
その攻撃で生まれた一瞬の隙を蒔菜は踏み込んでニンジャブレードで切りつけ機動力を落とす。
「みんなー、花、傷付けちゃダメだからねっ!」
「ったく、花を潰さないようにすればいいんだろっ」
「花を踏みにじるのは美しくはないからね……」
陽空が放つ氷の鞭は黒い羊の身を撃ち、続くように小鳥が放つ雷の剣と久秀の振るうアウルを込めた一撃が敵を穿ち、戦いの終わりを告げた。
「おっわりー! お疲れー。チビちゃんたちに混じって紫陽花見たいけど……はは、びしゃんこだよね」
戦いが終わりすぐ、んーっと背伸びをする小鳥。
雨の中の戦いだったから服は濡れてしまっている。タオルくらいは貸して貰えるかもしれない。とりあえずはこの服をどうにかしないとと思う。
炎刀を鞘に収めた久秀は傍らに居る蒔菜に訊ねた。
「ところで、他の班はどんな様子であろうか?」
「他の班も戦闘を終えたそうですよー。私も確認ついでに散策してこようかと思います」
意思疎通を使用し他の班へと連絡を取り確認した蒔菜。そして、キョロキョロと辺りを見渡して何処へ行こうと少し、悩む。折角の美しい庭園だ。確認ついでに見てまわりたいから。
雫に映る藍紫色は、色鮮やかに輝いている。
――午前7時48分、全てのディアボロは討伐され依頼は達成された。
●雨詩ナーサリーライム
「ぶれいかーさんだぁ!」
「かっけー! ほんものだぜ、ひーろーみたいなんだぜ!」
後始末を終えて撃退士達が入り口へと戻ると、少しだけ早めに来た幼稚園児と先生。そして、畑主の男性が其処に居た。
駆け寄ってきた子どもをジェインは受け止めて、少し離れた場所で相手をする。
「ふぅ、開園に間に合って良かったのぢゃよ」
「本当に有難う御座いました。けれど、何故このような場所に天魔が出現したのでしょう?」
そんな平和な光景を眺め、一仕事を終えた咲耶はほっと一息ついた。そんな彼女にきょとり、と首を傾げるのは先生。
「ここの紫陽花があまりにも綺麗で、ディアボロも楽しみたかったのかのお」
「確かに……綺麗です。大切に、育てられたからでしょうか……」
花に顔を近づけてそう語ったミルシェ。嬉しいと畑主は笑った。
そして、ひとりだけ園内に残ったのは椿。木に登り紫陽花を楽しみながら酒を口にする。
雨のひとり酒も悪くはない。
朝の紫陽花園。生憎の空模様でも子ども達の明るい笑い声と歌声は変わらず其処に響く。
きっと、梅雨明けはもうすぐだ。