●2014年2月14日
その日がきた。
恋の祭典ヴァレンタインデー。
実る恋、実らぬ恋、深まる愛、青い果実の酸味。様々な恋模様が浮かんでは消える特別な日。儚きその日に若者は何思う。青春の一ページ、ここに開幕。
「……なんだ、この騒ぎは?」
ある街の一角を歩いていた時雨 八雲(
ja0493)はその異様なステージと雰囲気に思わず声を出した。
「ぶいえーぶいえー?」
八雲の横を歩いていた少女、橘 一華(
ja6959)も何事かと目を丸くしてそのイベントに注視する。
でかでかと飾られたハートマークの看板の下で熱い女同士のバトルが繰り広げられるそのイベントを見て八雲は苦笑いを浮かべる。
「はは、なんつー大会だよ……なぁ?」
隣にいたはずの一華に語り掛けるが返事はない。はっ、と周りを見回してみると受付を済ませ会場に入場していく一華の姿が。
「はぁぁぁぁ!? って、橘! お前本気か!?」
迷うことなく突き進む彼女を見て八雲は叫ぶが、その声も虚しく一華は無事入場を果たす。
呆然としている八雲に数人の女性が声を掛けた。
「あの、エントリーされた橘 一華さんの対象の方ですよね? こちらへどうぞ〜」
「えっ、あ、ちょ……!」
そして、わけもわからぬまま八雲はスタッフに拉致されたのだった。
「このイベントを逃す訳には行くまい……!」
朝早く目覚めたライアー・ハングマン(
jb2704)は燃えていた。
彼には意中の想い人がいるのだが、どうしてなかなか一般的な女性と違い苦労を強いられていた。だが、この日は特別な日。待っていても埒があかないと彼は思い切って電話を手に取る。
「あ、もしもし、〜〜で今日なんだけど……え、格闘大会?」
なぜかお目当ての相手は格闘大会に参加するらしい。
「それなら応援に行かせて貰うぜぃ」
そして彼は用意を済ませるとすぐに寮を飛び出した。
想い人、藤谷 観月の応援へ向けて。
ここにもう一人、VAVAへの挑戦を表明する者がいた。
こと格闘大会となるとその情熱は天をも焦がす。
長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)、その人である。
「ボクシング大会があると聞いて!」
彼女は、先日の依頼で重体になるほどの深手を負ってはいたが、居ても立ってもいられず受付へと特攻。
その姿に刺客としてのエントリーと勘違いしたスタッフは彼女を刺客室へと案内したのだった。
「あはは、楽しいね!」
「あ、ああ……」
ところ変わって遊園地。カップル優待チケットを所持していた天宮 葉月(
jb7258)は、好意を寄せている幼馴染の黒羽 拓海(
jb7256)を誘って絶叫コースターのハシゴをしていた。
コースターを降りた葉月はくるりと回って見せ、照れながら言う。
「ねぇ、今日の服装どう、かな? 似合ってる?」
いつもの快活な印象とは異なるロリータファッションに身を包んだ葉月を見て拓海は初め驚いていたが、その姿に一人の少女のことを重ねてしまっていた。
「その、よく似合ってはいるが普段と随分違うな。……アイツと並んだら絵になりそうな格好だ」
その言葉にちくりと胸を痛める葉月だったが気丈に笑顔を灯すと拓海の腕に自らの腕を絡ませ、明るい声を出した。
「えへへ、クリスマスには見せられなかったからね。今日はたくさん付き合ってもらうんだから!」
「仕方ないな。でも、絶叫系は5本までが限度だからな」
クリスマス。
彼は義理の妹に付き合い一日を過ごしていた。そこで義妹からの告白。拓海の心は不安定に宙吊りにされたままだった。
葉月は告白のことなど知らないが、あの娘と何かあったのではと胸内をざわめかせていた。
『それでも、私はこのまま仲のいい幼馴染でなんて終わりたくない』
葉月の呟きは彼女の中で反響し、冬の乾いた風に乗り溶けていった。
●
「ウィーーーーー!!」
『おおっと、橘選手! 豪快なウェスタンラリアットで自分の数倍はあろうかという巨体の刺客をぶっ飛ばしたああ!』
(いつまでもうじうじしていられない! 今日こそこのイベントの頂点であの時の返事、返します!)
VAVAは盛り上がっていた。
颯爽とリングに上がった一華は次々と刺客を打ち破っていく。
「彼氏なぞ作らせるものかー! 喰らえ! 彼氏いない歴38年の女の拳をぉぉ!」
第五の刺客、バズーカ繁子が襲い掛かってくるがそこは一般人と撃退士の差。あっさりと一華は勝利を収めた。
「……なんであんなにもサマになってんだ」
これには景品席に座らされている八雲も不安を覚え言葉を詰まらせた。
出場トーナメントを制した一華はマイクを手に、八雲に向き直ると深呼吸してから言った。
「時雨八雲さん! 少し時間を下さいって言ってからだいぶ経っちゃってごめんなさい! 今から返事をします!」
その姿を前に八雲は息を飲んだ。前に告白した結果を聞く時がついに来たのだ。
「好きだって言ってくれて本当に嬉しかったです! 八雲さんみたいな素敵な人があたしに言ってくれたのに、あたしみたいなどうしようもない子が本当にいいんだろうかって……ずっと悩んでました。でも、もう悩むのは止めです! 妹にも怒られましたから!」
八雲はその姿から目を離せない。
「がさつで胸も小さくて勉強もちょっと苦手で、料理と身長くらいしか妹に勝ててないあたしでも好きって言ってくれるから、それでいいって思ったんです。だから!」
一華は一呼吸を置いてしっかりと八雲を見詰める。
「……あたしも八雲さんのことが好きです。こんなあたしでよかったら、この後一緒に遊園地を回ってくれますか……?」
「なんかあっちは盛り上がってるな」
隣では大告白があったらしく会場が湧いていた。
この大会は告白者を作るために複数のトーナメントに分かれているらしい。パンフレットを手にしたライアーはこの大会の趣旨を知り、ワクワクが止められずにいた。
「お、出た! 観月さん! ……たとえ脈はなくとも、俺の想いに変わりはねぇ」
一体観月は優勝したら誰に告白してしまうのか。
期待と不安に身を焦がしつつ、彼は観月の活躍を応援する。
「観月さん、頑張れー!」
観月が負けることなど全く心配はしていないが、無垢な笑顔でライアーは観月の応援に勤しんだ。
「うむ。今日も観月さんは可愛いのぅ」
などと頷いている間に観月は決勝へ進出。
会場が盛り上がった隙を突いて「観月さん、愛してるー!」とか叫びながらちゃっかり手を振るライアーであった。
しかし、当の観月は参加者が一般人ばかりで簡単に優勝してしまい不服そうな表情。司会者の『誰に告白するのですか?』という質問にも『特にそういうのはありません』とだけ答えるとステージを降りた。
そこで観月は観客からライアーを見つける。
そしてライアーの手を握り、ずんずんと会場を出るため歩き出すとこう言ったのだった。
「ライアーさん、私とお付き合いしていただけますか?」
「さて、次はわたくしの番ですわね」
他の刺客に比べて華奢であるみずほ。加えて身体には前回の依頼で負った痣などがあり満身創痍にも見える。
これならば勝てそうだと次々にみずほのいるブロックには参加者が続出していた。
「他の刺客の方に比べて威圧感が足りなかったのかしら。まあ、ボクシングルールで試合ができるならなんでも構いませんけど」
リングに上ったみずほは華麗なフットワークを見せつける。
時にはパワフルなコンビネーションフックを。
時には流麗なカウンタークロスを。
次々と参加者をキャンバスへと沈めるみずほ。みずほに倒された参加者は担架で運ばれていく。もし、彼女が本調子ならこんなものでは済まなかっただろう。
「……あら、少しやり過ぎたかしら。……どうして皆様そんな顔をされてますの?」
恋愛イベントでここまで怪我人が続出するとは思ってもみなかった観客などもちょっと困惑した顔でリング上のみずほを見詰めていたのだった。
だが、ここで不思議な話が会場に流れ始める。
どうやら、みずほに倒された女の子たちは次々と心配してお見舞いに来た男性と良い雰囲気になり、告白も成功しカップルになっていくというのだ。
「なにかよくわかりませんが、このままでよろしいようですわね」
高笑いするみずほの前に決勝の相手が現れた。2メートル超えの巨体。
鬼瓦 権子(おにがわら ごんこ)。屈強な身体を持つ恋する乙女である。ちなみに相手の男性は目隠しに猿ぐつわをされてここまで連行されたらしい。ちょっと可哀想。
「我は、負けぬぞ……」
熱いバトルが始まろうとしていた。
「きゃー!」
叫びながら拓海に抱きつく葉月。今はお化け屋敷の中だ。
コースター系を封じられた葉月はなんとか二人の仲を近づけようとそれっぽいアトラクションを回る。
そんな時にも拓海の頭の中では、『今頃義妹からのチョコが届いているかも知れないな。今年は変なものを入れてないといいが』などという考えが頭を過る。
「次はあれにしよう!」
葉月が指差したのはミラーハウス。
少しでも近い空間でこの日を過ごしたい。
葉月の懸命なアタックはまだまだ続いた。
●
拓海たちのいる遊園地へやってきた八雲と一華。
八雲はあの時のことをまだ頭の中で反芻していた。
告白を受けた八雲。静まり返る会場。
八雲は俯き、手で顔を覆い隠しながら、
(やっべぇ、メッチャ恥ずかしいのに……顔が緩むのがとめられねぇ……。すっげぇ、嬉しい……マジで今の俺ヤバイ、マジで……)
と、呟いていた。
緩む顔を引き締め、顔を上げた彼は、
「どこへだって一緒に付いて行ってやるよ!」
と、一言。
その言葉に会場が沸いたのだった。
「……ねぇ、聞いてるんですか?」
「あ、ああ、わりぃ。ちょっとさっきのことを考えてて……」
「もう! 恥ずかしいなぁ。ふふ……なんか違う世界に来たみたい。ここってこんなに綺麗な場所だったかな。なんだか世界が輝いているように見える。でも、本当にあたしなんかでいいの、かな……?」
「バーカ」
そんなことを言う一華に照れ隠しのように軽くでこピンした八雲。
「あたしなんかでいいのかな……じゃねぇよ。他の誰でもねぇ……お前だからいいんだよ」
「八雲さん……あ、そうだ。……ハッピーバレンタインです。チョコレート、どうぞ。とっても甘いですよ?」
ハート型にラッピングされたチョコレートを差し出す一華。八雲はそれをすぐに開け、一口。
「……ホント、甘いな。……サンキュ、一華」
「あ、名前……。ふふ、早く行きましょう! 今日が終わっちゃいますよ!」
八雲が彼女を一華と呼ぶようになった今日という日が二人にとってのゴールでありスタート。
その日はチョコよりも甘い二人の記念日となったのだった。
観月に手を引かれ会場を飛び出したライアー。
(付き合って、て……え? ええ!?)
すっかり気が動転したライアーだったが、到着したのは運動場。
「消化不良ですので、一つお手合わせお願いします」
どうやら観月はライアーと戦闘訓練をするためにここに連れてきたようだ。彼女は竹刀を手に構える。
(ですよねー)
淡い期待を砕かれ、心で涙を流しながら竹刀を振るうライアー。しかし、彼は諦めずに彼女をデートに誘った。
ひと暴れして気が晴れたのか観月は『特に予定がないので構いません』と承諾。
観月が楽しんでいるのかどうかもわからないままライアーはモールや商店街を回ったりねこ喫茶に入ってみたりと必死に場を盛り上げようとした。
もういい時間になり、ここまでかと肩を落とすライアーだったが、それを観月が呼び止めた。
「そういえば、今日は女性が男性にチョコレートを贈る日だそうです。今日のお礼です」
買い物の最中に何気なく買ったチョコレート。バレンタインを理解していない観月は特に考えもなしにハート型のそれをライアーに手渡す。
「お、おお……うおおお!」
ライアーは泣きながらそれを受け取った。
なぜそんなに喜ぶのか。
不思議そうに首を傾げる観月だった。
「うぬぅ……我に膝を着かせるとは……」
みずほは権子を激しく攻め立てていた。
いくら権子が強くとも所詮一般人。みずほの敵ではない。
コーナーに追い詰め、怒涛のラッシュが炸裂する。
「これでKOですわ!」
とどめとばかりに黄金の帯を棚引かせた右ストレートが権子の顎を捉え、みずほの優勝が決定した。
優勝賞金を手にしたみずほに負傷した女の子たちが感謝の言葉を掛けるため大勢押し寄せた。あなたこそ恋のキューピッドだ、ありがとう、と。そこはちょっとした恋のスイートスポットと化したのだった。
「今日もいい仕事をしてしまいましたわ」
そう言って金髪をさらりと流すみずほに会場の男たちは『彼氏いないのかな。俺にもチャンスがまだ……』とか言っていたりいなかったりしたそうな。
ちなみに権子の恋だけは実りませんでした。強く生きてください。
遊園地に日が沈む。
拓海と葉月は最後に観覧車に乗り込んだ。
これが恋人ならロマンチックな一場面だろう。元気に振る舞っていた葉月も静かな観覧車の中では弾けることもできず、静かに時が経つのを待った。
拓海は優しい目で葉月を見ていた。
拓海はきちんと私のことを見てくれている。
観覧車が終点に着く前に葉月は決心を固めた。
「そろそろ帰らないとな……」
日の沈んだ誰もいない公園のベンチ。そこに拓海と葉月は座っていた。
「拓海、だいぶおそくなっちゃったけど、誕生日おめでとう」
葉月はクリスマスの日渡せなかったプレゼントを取り出す。
紐を通したリングネックレス。
それを拓海の首に掛ける。
「ああ、ありがとう」
「それと、これ……」
彼女の手にはハート型のチョコの箱。
「その指輪にも掘ってあるけど私から愛を込めて。好きだよ、拓海……一人の男の子として愛してる」
『with Love from Hazuki』
首に掛けられた指輪に彫られた文字。手の中のそれを見て拓海は顔を伏せた。
「ごめん、俺……」
拓海は己の胸に秘めた想いを吐露する。
「ずっと考えてた。今日、葉月からも義妹と同じようなことを言われるんじゃないかって。その時、俺はどう答えるべきなのだろうって。俺には……選べない。葉月も義妹も好きだから……今の関係を壊したくない」
葉月は黙ってそれを聞いていた。
「我侭な言い分だってのは分かってる。それでも俺には二人とも大切な存在だから、軽い気持ちでは答えは出せない。わかってくれなんて言わない、でも、それが今の俺の答えなんだ」
暫しの沈黙の後、眉をハの字に曲げながらも葉月は微笑んだ。
「そっか……。じゃあ、私、拓海の答えが出るまで待ってる。ずっと……。それまで私は拓海のそばにいるから」
「葉月……」
甘いだけじゃないビターな恋も、こうして空に溶けていくのだった。
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ヴァレンタインデー。
それは甘く切ない恋の物語。
今までも、そしてこれからも、赤い糸の物語は紡がれていく。