●
依頼遂行のためこの街に撃退士が訪れたのは夕刻だった。
「ふむ……、百目鬼とはまた……良い出逢いだと嬉しいのですが……」
感慨深く宵真(
jb8674)が微笑みそう言った。
「百目鬼も百々目鬼も数ある伝承の同じ百目ですからねぇ。ですけど、今回の相手は区別のため百々目鬼ってことでひとつ。俺のアイデンティティが危ういですからね」
すかさず言を呈したのは今回の敵と同じ名を冠する百目鬼 揺籠(
jb8361)である。
「ふふ……そうでしたね。今回は報酬もまずまずです。百目鬼くんの活躍には期待していますよ」
そんなやりとりの二人に声を掛けたのは品行方正な眼鏡の青年、両儀・煉(
jb8828)。彼は警察からこの街の地図を受け取ると各班へと配り出発の準備を整える。
「ボクは両儀・煉。よろしく」
なぜかこの人たちには不思議な懐かしさを感じる。
彼は初めて出逢った今回の仲間の多くにこの感情を抱いていた。
児童を拐かすとされる此度の敵、百々目鬼。その名に呼ばれたのか、それとも血が引き合ったのか。今回の依頼には『妖【あやかし】』と呼ばれる物の怪の血を引きし撃退士が数多く参加していた。
妖というのは、元は天魔か怪物か。古来より伝わる人智の知らぬ謎深き人ならざる者たちであるという。
先の宵真、百目鬼たちはそれを解する同志であった。
そして、両儀もまた自身が同じ類であることを肌で感じていた。
「おや……両儀くん、君からは同胞の香りがしますねぇ」
宵真の穏やかな台詞を馴染みがあるかというほどに自然に両儀は受け入れ、三人は調査に乗り出したのだった。
「さて、宵真の旦那らに遅れを取ったらあかんな。わいらもはよ行こか」
鋭い目つきとメッシュの入った髪が粗暴なイメージを与えるものの、その表情はどこか憎めないところがあり、人懐っこそうな自称エセ関西弁で霹靂 統理(
jb8791)は明るい声を出した。
「そうですね。しかし、既に調査を行っている地元の警察からもっと詳しい情報を得られないか交渉したいところです」
冷静にそう返したのは大きめの帽子を被り、角を隠した各務 翠嵐(
jb8762)だった。
この二人もまた妖としての一面を持つ撃退士である。
「賛成ね。まずは有力な情報を元に信憑性の高いものを選別していきましょう」
各務に劣らず冷静に場を見詰めるのは藍沢 葵(
ja5059)。
まだ年端も行かぬ少女にも見えるが、その実幼き頃よりの英才教育と学園で培われた心は歳相応以上に熟達している。
彼女らは瑣末な情報も見逃すまいと、今起きている事件への手掛かりを得るべく歩を踏み出した。
「ほな、うちらも行かはりましょう」
今回の依頼で葵に並び貴重な女性陣である織笠 環(
jb8768)がおっとりとした声を出した。その優雅な佇まいは多くの男性の中にあり花一輪といった様相だ。
簡易な情報を警察から得た織笠たちは怪しいと睨みをつけた町内会参加者を当たる。
同行しているメンバーはやはりいずれも物の怪の血を引くとみられる撃退士たち。
「……今回の敵は妖怪か? ふん、俺の知り合いには子供を攫ったりする奴はいねぇな」
織笠の和風とは打って変わり、スラム街を闊歩していそうなルーズな洋服を着こなす大柄な男性、野襖 信男(
jb8776)。
「あ〜、まずは町内会の人たちね。依頼もそっからみたいだし、気になる人とか噂とか集めてくか〜」
少し楽しげに口の端を上げるのは某 灼荼(
jb8885)。織笠や野襖の落ち着いた雰囲気とはまた違い、依頼を無邪気に楽しむかのような様はまるで純粋な子供のようだ。
「俺は各方向から得た情報を纏めよう。もし救援が必要になったら言ってくれ。まずは事件について洗いなおしてみる」
敢えて自由に動き、情報の中枢となるべく纏め役を買って出たのは一柳 春樹(
jb5662)。生粋の人間である春樹が自ら警察とコンタクトを取ることでスムーズに情報の伝達も機能するだろう。
個性溢れる面々が自分の役割を全うするために一丸となり歩み出す。この事件の真相、真実の扉をこじ開けるために。
●
「先ずは駐在所と派出所を押さえましょう。何か隠していそうなら署や本部に働きかけも必要かも知れないわね」
「局地的な地方の事件だし、天魔の可能性もある以上きっと丁寧にお願いすれば情報は提出してもらえるだろう」
「何はともあれ情報やな」
葵、各務、統理の三人に春樹を加え、それぞれが詳しい情報を得るため警察へ。
とにかく今は情報がほしい。
四人はこの事件に当たっている警察官の元へと移動。
「事件発生の時刻、場所、それに目撃者の情報をお願いします」
春樹が事件の詳細を、
「不審人物の特徴は?」
葵が首謀者とみられる不審人物の情報を得、プロファイリング。
「この町にもし不審人物が居着いているなら住処があるはず……。この付近にゲートは? ないならば犯人が子供を匿っている可能性もあります」
各務は攫われた子供へと焦点を当て、各自情報を取得。それらの情報から一組の親子が浮上した。石塚親子である。
特に息子の史人は不審者の目撃を複数回しており、警察も慎重にこの親子に対し事情聴取を繰り返しているということらしい。
「さて、そういうことらしいな。ほな、目的は決まったな。行くで。わいには秘策もあるしな」
にやりと笑みを浮かべ統理は逸早く足を踏み出した。
得た情報を纏めた春樹が他に出動している班へメールで連絡を送る。様々な憶測が飛び交う中で統制の取れた連絡網は必須だった。
「なるほど。了解っと」
連絡を受けた百目鬼は情報を宵真と両義にも伝える。
「不可解なところのある事件ですね。さァて、此度は人か妖か。まず会長サンのお話を聞いてみましょうかねぇ」
三人は依頼主でもある町内会長を訪ねた。町内会名簿と照らし合わせ、会長との会話から数人に絞り宵真と両儀は更に移動を開始する。
宵真が向かった先は川本という女性の元だ。百目鬼が受けた連絡で出た石塚親子とも縁の深い瀬島という男。その男の目撃情報を持つという川本に狙いをつけたのだ。
「こんにちは。今時珍しい着物姿ではありますが、怪しいものではありません。私、調査でこちらに来ました撃退士の宵真と申します。よろしくお願いしますね」
戸惑う川本に丁寧に挨拶をすると宵真は社交辞令も交えつつ不審人物や瀬島の話、攫われた子供がよく遊んでいた場所などを聞き出す。
「そうですね……特に怪しい人は見たことがありません。瀬島さんは最近よくスーパーで見掛けますね。一人暮らしなはずなのに沢山お買い物をしてらっしゃるみたいで。子供については近くの公園などの声が静かになった気がします。まぁ、攫われた子供がいたかどうかはわかりませんが」
「そうですか。ご協力ありがとうございました」
川本の家を離れた宵真は顎に手を当て独り言ちる。
「ふむ、やはり瀬島という男は要注意ですね。それと公園、ですか」
彼は不慣れな携帯電話をなんとか使い情報を回した。
その頃、両儀は町人より話を聞いて回っていた。
「それではボクは瀬島家を張り込むことにします。もし外出するようなら尾行して、逐次連絡を入れます」
町人からも断片的にだが瀬島の情報は入ってきている。絶対に取り逃すまいと彼は眼鏡を軽く押し上げた。
百目鬼が探りを入れる会長の元へ織笠、野襖、某の三人が到着。近辺の情報を手に入れるとすぐに町内会議へと足を運んでいた者たちの元へと向かう。
「夕方になってよーけ人も出とるさかいに商店街の方から回るのがいいと思いますぇ」
織笠の提案で先日会議へと顔を出していた小畑と佐竹が営む店へ。
「俺ら撃退士なんだけどこの町の調査に来たわけ。ちょっと協力してくれないかな〜」
「えっ、あ、はい」
表に出ている花を屋内へと移動していた小畑へと某は軽く声を掛ける。
西の山からの不審人物などの話を聞くがどうも要領を得ない。どうやら小畑も尾ひれのついた噂を掴んでいただけに過ぎないようだ。
仕方なくすぐに今度は肉屋を営む佐竹の元へ。
一歩引いた所から野襖が認識能力で持って佐竹を見定める。
「……間違いない、な。こいつも人間だ」
天魔が町の住人になりすましていないかのチェックも野襖は欠かさず行う。
話を聞いてみると警察から得た情報と一致。不審人物はフードを被った女性ということらしいがこちらも小畑同様歯切れが悪い。
「……で、それは誰から聞いたんだ。思い出せ」
野襖が業を煮やし聞いてみるが、その威圧感に焦り佐竹はより言葉が出なくなる。
「まぁまぁ、信男ちゃん。そんな怖い顔したって出ないもんは出ないよ。ゆっくり行こう」
「……む。別に威嚇していたわけではないのだがな」
野襖と某のやりとりを見て織笠も一息つく。
「なかなか難しいもんどすなぁ。次は寺内さんとこでありんす。難儀なことにならんとええどすなぁ」
春樹を経由し、宵真からの情報を得た統理は公園を訪れた。
「わい、ちょっとおばちゃんたちからの人気あるんやで?」
そう言い悠々と噂話を手に入れに行った統理と離れ、葵と各務は石塚家へ。
「僕たちは誘拐事件を調査している撃退士なのですが、少しお話よろしいでしょうか?」
「ええ……どうぞ」
各務が礼儀正しく挨拶をすると、少し疲れたような表情を浮かべた男性が迎え出た。男は石塚正則と名乗り、連日の警察の聴取の対象となっていると告げた。
「お子さんの史人君は今どちらに?」
葵が聞くと、どうやらいつものように夕食の買い出しに出ているという。
各務と葵は頷き合うと葵がすぐに礼を言い史人の後を追った。
「息子さんの前では話しづらいことがあるのでは? 良ければ聞かせていただけませんか?」
残された各務はゆっくりと正則に事件のことを諭すように尋ねた。
「撃退士……撃退士ですか。そうですね。あなたたちになら……」
正則は何かを決心したように口を開いた。
「妻……栄子は、9年前、天魔によって殺されました」
「あかんかった。おばちゃんから人気は出たけど肝心の情報はさっぱりやった……」
井戸端会議に華を咲かせるおばちゃんたちとの会話を終え移動していた統理に葵が合流した。
「史人君は買い物に出ているみたい。まずは彼の身柄を確保しましょう。確かな目撃情報を持つのは今のところ彼だけだわ」
「せやな」
二人は近くのスーパーに入ると拍子抜けするほど簡単に史人を見つけ出すことができた。警察からもらった写真と見比べ確認する。
「行くで。藍沢のお嬢」
「ええ」
統理は葵を妹ということにして史人から情報を聞き出すため世間話をしようと近づいた。
「お、ぼんは一人で買い物か? えらいな〜。わいらも兄妹で買い出しにきてんやけどな……」
「石塚史人君ね。私たちは久遠ヶ原学園の撃退士よ。撃退士のことは知っている?」
「……お嬢、真面目やな……」
目をぱちくりさせている史人の前で毅然に振る舞う葵と頭を抱え苦笑いを浮かべる統理。
撃退士たちはとにかく石塚親子との接触には成功したようだ。
「では少し話を聞かせてもらおうかしら」
二人は史人から不審人物の情報を入手するため落ち着いた場所へ移動した。
最近の周りの出来事や、母に似た人物、度重なる聴取などで完全に萎縮している史人の手を取り統理は和やかに問いかける。
落ち着いた史人はゆっくりと最近の出来事を語り始めた。
これぞ統理の奥の手、忍法による柔和成分フェロモンであった。
葵、各務、統理の班から連絡を受けた春樹は一つの想定を頭の中に思い浮かべていた。9年前天魔に襲われた史人の母・栄子。そして、母に似た不審者を何度も目撃したという史人の証言。児童誘拐が頻発するこの事件。それらを一つの線に結ぶと一つの形が見えてくる。
「つまり、天魔に襲われ亡くなった母・栄子は天魔にされるが、息子・史人に逢うために児童を攫い続けていた。だが、まだ赤ん坊だったころの史人しか知らない彼女は息子を認識できていない……?」
そうだとするならばなんとも悲しい事件ではある。しかし、天魔を律するのが撃退士の務め。春樹は、その栄子らしき人物に狙いを絞り警察の資料に目を通した。
●
「うちもそう思いますぇ」
最近出没する不審人物、それはフード被り、幾つもの瞳を腕に宿した姿だという。
春樹からのメールを受けた織笠は春樹に同調し、そう呟いた。
「子を想い、探し続ける気持ちが瞳となって現れたのかも知らんおすなぁ」
そうこうしている間に辿り着いたのは寺内宅。
すぐに某がチャイムを押し、インターフォン越しに声を掛けた。
「もしもし〜? 寺内さん? 町内会の人に聞いて来たんだけど天魔の怖さってのを知ってるみたいじゃん? 何かあった〜?」
するとすぐに返事が来た。
『な、なんなんだ、キミたちは! ぼ、僕には構わないでくれ!』
どうやら籠城の構えは崩さないようだ。
「……天魔は引き篭もっただけじゃ防げない。壁を壊すことも抜けることも簡単だ。どっちが好みだ?」
『うっ……! まさか、アンタたちも天魔だっていうのか!?』
どっしりとした重量のある野襖の声に怯える寺内。
「まぁ、天魔言うてもうちらは撃退士どすぇ。何を怖がってるか知らはりまへんが撃退士なめたらあきまへんぇ。こちらには強そうなのが二人もおりんす」
織笠はカメラに向かって二人をずずいと押し出して見せる。
「俺たちは一応正義の味方の撃退士ってやつだからさ〜。ほら、君のことも守ってあげられるしさ?」
「……早くしないと、ドアをぶち破るぞ」
『ひぃ!』
「ちょ、信男ちゃん」
こんなやりとりをしながらも、寺内はしぶしぶ三人を招き入れ先日見たものを話すことにした。
宙に浮かんだ、フードを被った女性と、彼女と話すその十倍はあろうかという巨体の天魔の話を。
「……で、会長サン。事件の前後で何か変わったことなどは?」
「わしゃあ、なんにもわからん!」
「では、顔や身体を隠す怪しい人物などを見たとかは?」
「そんなもん知らん!」
町内会長に話しを聞いていた百目鬼だったが、知らん、わからん、の一点張りで情報は何も掴めなかった。依頼主がこれでは先が思いやられる。
そこへ宵真が合流した。
「随分手を焼いているようですね。百目鬼くん」
「なんとも算盤通りの計算とはいきませんねぇ」
溜め息を吐く百目鬼。会長は会長で早くなんとかしろと喚いている。仕方なく、皆と連絡を取り、今までわかったことを纏め、それを宵真がメモに書き留める。ペンを走らせる音と平行して百目鬼の携帯が鳴った。
両儀からの連絡だった。
『瀬島が動きました。恐らく買い物のためにスーパーに向かったものと思われます』
「さァて、鬼が出るか蛇が出るか……おっと、相手が百々目鬼なら鬼に決まってましたねぇ」
そして、まだ喧々と喚く会長を残し、百目鬼と宵真は瀬島が向かったと思われるスーパーへ。
すぐに春樹もそこに合流した。メールだけでは知らせづらかった情報を皆で照らし合わせる。
「大体の調べはついた。不審人物と思われているのはフードを被った石塚史人の母親似の女性。事件発生時刻は近くの学校から児童が帰ることの多い夕刻。そして事件の起きたであろうポイントを結ぶとこうなる」
春樹は淡々と地図に印を書き込んでいく。
「これは……」
事件発生場所の点を結んだほぼ中心部、そこには瀬島の家があった。
春樹は、各務が石塚正則から栄子の死の謎、事件発生と瀬島の挙動の変化時期が一致していること、それらから瀬島が天魔と化した栄子を匿っているのではという考えをもっていることを話す。
この図はその考えを肯定しているかのようだった。
スーパーに入った撃退士たちは、先に店へと入った瀬島への距離を徐々に詰めていく。尾行していた両儀も今は包囲に加わっている。
情報では一人暮らしだという瀬島が噂通り大量の食品を買い漁っていた。商品を詰める瀬島に後ろに、すっと両儀が陣取る。
「随分買われたんですね。お子さんがたくさんいらっしゃる、とか?」
びくりとした瀬島だったが、子供などいないと否定。
すぐに百目鬼も詰め寄った。
「何か隠しているよォですが、其れは本当に貴方の手に負える代物で?」
「なんなんだお前たちは!」
「いやね、ちょっと人を探してまして。その人、こォんな姿じゃありませんでした?」
百目鬼は自身の左腕を瀬島の前に晒した。
そこにはびっしりと百の瞳を思わせる朱の紋様が刻まれている。
「お……お前、栄子の……いや」
そこまで聞いてすぐに両儀は走りだす。
「瀬島の家までの地理は頭に入っています。ボクが乗り込みます!」
ボロを出した瀬島を、残された三人が取り押さえ話を聞きながら瀬島家へと案内させる。事件は真相を迎えようとしていた。
●
史人から話を聞いた葵と統理は彼を家まで送っていた。
陽が落ちて暗くなった道路に人影がふらりと通り出た。
「……まさか!」
葵は史人を背に庇い人影に対峙する。
「あれは……お母さんじゃない……」
「なんやて……?」
統理が史人に一瞬目を移した瞬間だった。
人影から伸びた黒い何かに統理は胸を打たれた。
「ぐぅっ!」
膝が落ちそうになるのを何とか耐え、統理は声を飛ばした。
「ここでは一般人が巻き添えを喰う! さっきの公園までわいが引っ張る! 藍沢のお嬢はぼんを送って後から来てくれ!」
すぐに統理は踵を返し駆ける。
人影は統理を追ってその場から消えた。
葵は史人を家まで送ると、各務に敵と接触したことを告げ家を飛び出る。
「必ず戻ります。その時は史人君も交えてゆっくり話し合いましょう」
葵に続いて各務もそう言い残すと家を出る。
「お父さん……」
「……」
石塚親子は撃退士たちの背中を固い表情で見送っていた。
「うぅ……なんでこんなことに……」
寺内宅前。
フードを被った女性と思しき者と撃退士たちが交戦していた。
「寺内さん、あんた家の中に入ってな。ここからは俺たちの仕事だ」
某はにやりと笑みを浮かべると、織笠と野襖が包囲している敵の背後へと塀の壁を走り接近。
「はぁい! 余所見しちゃダメよ!」
某の飛ばした手裏剣が敵を穿った。
しかし、敵は怯むことなく撃退士に襲い掛かる。織笠へと狙いを定めた敵は素早く距離を詰めるが、そこへ野襖が壁のように立ちはだかった。
野襖は身じろぎ一つせず攻撃を受け止める。
「……俺は超えられない壁だ。身をもって知れ」
すぐに距離を取った敵に後方から織笠の炎球が迸った。
「これはどうやら寺内さんの言うとった天魔の従者みたいどすなぁ。某さん、一般人の退避を」
「了解了解。おっと、こっち来ないでね〜」
某はすぐに周りにいた一般人を避難させ戦闘に復帰する。
戦闘は激化の一途を辿った。
両儀は完全に黒と見越した瀬島の家へと踏み込んだ。一人暮らしの男性が住んでいるというのが見た目で分かってしまうほど散らかった室内に両儀はぞっとしないものを感じた。
その部屋の隅に両儀は発見する。
一人佇むフードの女性の姿を。
「ゲキ……タイシ……」
虚ろな瞳で両儀を見据えた彼女はそう発すると硬質化させた髪の毛で両儀を襲う。
「ちっ!」
それを回避した両儀はすぐに壁を透過し、外へ出た。眼鏡を外し、落ちないよう内ポケットへとしまう。
「さて、これがどういうことかはっきりさせないといけないな」
交戦する両儀の元へ瀬島を引き連れた百目鬼たちも駆けつけた。
「話は瀬島サンから聞かせていただきました。どうやらそれが此度の事件の真犯人、百々目鬼サンらしいですねぇ」
そう言うと百目鬼は百々目鬼の懐まで踏み込み、青銀の下駄を振り上げた。その鋭さに百々目鬼が着ている着物の裾が破れ、その腕には無数の瞳。
隙を縫うように春樹が無骨な大剣を一閃。
ビッ、と百々目鬼から血のような液体が地に飛び散り、フードと思われていた和風な頭巾も撥ね飛ばし顔を出させた。
「人と話すときは目を見せるもんだ。……もう沢山の目がこちらを向いているようだがな」
春樹はそう言って剣の柄を握り直した。
「あなたとこちら、どちらが本物か、試してみましょうか……」
百目鬼は左腕を露わにすると、力を解放。朱の紋様であった瞳が蠢くとそれぞれが生きているかのように眼を見開いた。
それらが放つ一種結界かのような恐怖感に、その一帯は支配され人通りがなくなる。
「この眼は鳥目と言いましてね。銅銭の穴のことを指すんですよ。さて、あなたを始末して依頼料でも戴きましょうか」
「え……栄子……」
力なくその場に崩れ落ちた瀬島を尻目に撃退士たちは戦闘の渦中へと身を投じた。
嵐のような銃弾が宙を舞った。
高速回転アウルモーターを2基搭載したガトリング砲。葵の得物である。
「これ以上、史人くんの心を乱させない」
葵は自身も父子家庭であるという境遇を史人に重ね、共感するものを覚えていた。だからだろうか、此度の事件に対する想いにも冷静な面持ち以上に並々ならぬものがあった。
「ここならば思う存分力を発揮できる」
各務は大ぶりな扇子を空に舞わせ、風とともに天魔を裂く。そこに仕込んでいた符が、扇子が手元に帰ってくると同時にいくつもの爆発を起こし天魔の肉体をも爆ぜさせた。
統理は二人と息を合わせ、隙を作るように出入りを繰り返す。
消耗した天魔の身体は泡立ち、もくもくと煙のようなものを噴出する。
「ちぃ、厄介なやっちゃで。これならどや」
統理は手応えのなくなった太刀を眼前に掲げ指を這わす。指が通った下の刃が七色の光に染まった。
「これが忍や、とくと御覧じや」
鮮やかな光を帯びた一撃が煙を引き裂き、それに呼応するように葵が雪を、各務が雷を纏う護符の攻撃を繰り出す。
雷雪と化した現象はその煙を大気中に掻き消したのだった。
「……効かんな」
天魔の攻撃を一手に引き受けた野襖は悉くそれらを受けきる。その硬さは天岩戸にも似た絶対感があった。
「岩戸から出づるは太陽の化身ってね。おっと、これは神違いか」
野襖の後ろから某が飛び出る。
彼は八咫烏を名乗る妖。陽の化身を模するように彼の銀髪は街灯に煌めき、その足は加速を止めず縦横無尽に動き回る。
彼が繰り出す双魔の剣は、天魔の状態変異などもお構いなしに塵と化すが如く狂喜乱舞の装いを見せた。楽しそうに天魔を裂く某には言い得て妙な表現と言えるだろう。
某のタイミングに合わせ、織笠は溜めていた魔力を一気に放出。天魔の半身を吹き飛ばした。
動かなくなった天魔の腕の裾を捲る。
「眼がのうどすなぁ」
「……敵が一体とは限らない。他の連中も戦っているかも知れんな。……信じよう」
まだ脅威は去っていない。
そのことを胸に三人は仲間の元へと駆けた。
「あんたに恨みはないが倒させてもらう」
眼鏡の奥に潜んでいた青い瞳が今では爛々と光を帯びていた。
両儀は暗闇に身を溶かし、美しい軌跡を描いたアウルの矢を放つ。
それに身体を貫かれながらも、遠方にいる宵真に向かって百々目鬼は駆け出し髪の毛による強力な一撃を浴びせる。
すぐに宵真は法具より魔力を放出して攻撃。窮地を脱する。
「ぐっ……油断しましたねぇ……」
弾かれた百々目鬼に春樹が斬り込む。春樹の攻撃は確実に百々目鬼を捉え、その行動力を封じていく。
「仮に息子を捜す母の親心だとしても、そのために他人を犠牲にするのは見過ごしておけない。撃退士としても、人としても、な」
飽く迄淡々と春樹は百々目鬼を追い詰めていく。その剣筋には一切の迷いがない。
離れれば時として銃器を用い、目の前の敵を倒すという仕事を確実に遂行していく。
「こっちもお忘れなく」
百目鬼は煙管の中身をとんと落とし、裾を気にすることなく足技主体の格闘術で百々目鬼に文字通り蹴散らさんとばかりの果敢な攻めを見せる。
だが、百々目鬼もやられているばかりではない。
両手から突き出た鋭利な角のようなものが春樹、百目鬼の身体を突き刺した。
そして幻術を掛けようと特殊な陣を生成する。
その攻撃から身を護るように宵真は障壁を展開。
百目鬼は幻術返しとばかりに印を組み、幻惑を与える魔性の微笑を浮かべる。だが百々目鬼はそれを振り払い距離を取る。
隙をみて両儀が死角に回り弓を射る。
「俺の弓から逃れられると思うなよ」
普段の温厚な姿からは想像もできない両儀の猛々しい様が戦闘では如実に現れる。
彼は月の軌跡を描く弓の弾道に光を灯した。綺羅びやかに瞬くその光に百々目鬼の視線が奪われたところに至近距離からの一撃。
百々目鬼の身体がぶくぶくと泡立つ。
「これで終わりだ」
「そろそろ幕引きとさせていただきましょう」
春樹がアウルより生み出し光と闇の矢を放つと、宵真が数珠よりいでし光と闇の魔力の集合体を合わせて打ち込んだ。
大きく吹き飛ばされ、息も絶え絶えなところに宵真は史人の写真を取り出し、百々目鬼の前へと翳してみせる。
「これに見覚えは?」
「コロ……ス……」
しかし、百々目鬼は写真ごと宵真を貫こうと手から生えた突起物を突き刺した。
それをぎりぎりのところで見切り、躱わした宵真は残念そうに呟く。
「これで決まりですね」
嘆き足に縋る瀬島を退け百目鬼は前に出る。
その時、撃退士たちの頭の中には依頼前の教師の言葉が浮かんでいた。
『ディアボロもサーバントも人の心を持たぬ人類の敵であることを忘れてはならない。人間の魂、肉体を踏みにじり辱める天魔を決して我々人間は許してはならない』
百目鬼は片手で軽く拝むと百々目鬼にとどめを刺した。
連絡を受け、散り散りになっていた撃退士たちが全員瀬島家の前へと集まった。
野襖は全員が無事であることを認め、こくりとひとつ頷くと解決をみせたであろう百目鬼に親指を立てて更に深く頷いた。
普段ならば飄々と返すところだが、百目鬼は神妙な面持ちで一つ頷き返すのみだった。
●
百々目鬼・栄子は既に感情のない天使の操り人形と化していた。肉体を完全に作り変えられ、サーバントという怪物と成り果てたそれは駆逐する他なかった。
結局瀬島は天魔に与し、人間への被害をもたらしたとして然るべき機関に身を委ねられた。
死して尚、栄子を思い続けていた瀬島の前に現れた栄子の顔を持つサーバント。瀬島は栄子といられるならばと盲目的に匿っていたという話だ。
一時期は攫った子供を家に滞在させていたこともあったようだが、遠く離れたゲートに連れて行かれ帰らぬ者となっているらしい。
史人の父・正則は、栄子が天魔に殺されたことを息子には知ってほしくなかった。母が殺されたからこそ天魔とは無関係な人生を歩んで欲しかった。
そう各務に告げたそうだ。
だが、もう何も語らないわけにはいかない、十分に現実を受け止められる年頃にもなった史人に全てを打ち明け、母・栄子の供養を一緒に行いたいと話しているという。
後日、別の事件で大型天使の討伐を成功させた撃退士により此度の事件との関連性が浮き彫りとなった。
その天使曰く、
『昔サーバントにした人間の顔をあまり改変させずに地元を襲わせることで、住民の感情を揺さぶり、より上質な吸精を行う予定だった』
ということらしい。
事件が全て落ち着いた頃、この事件に関わった撃退士たちが一同に会する機会があった。
「百々目鬼さんねぇ……沢山の目で何を見ていたのでありんしょう……」
織笠が空に流れる雲を眺め、そう語る。儚く移ろいゆく人の命というものに感慨を込めた一言であった。
「次の生はもっと平穏だと善いんですがねぇ」
百目鬼が供養された栄子を想い、ぷふーと一息紫煙を吐いた。
「これからも父子仲良く過ごしていけることを願っています。やはり親子とは斯くあるべきでしょう」
葵はいつも通り揺るぎのない表情をしていたが、気持ち柔らかなものに見えたのは一人や二人ではないだろう。
「考えさせられる事件だったな。どんなに深い情があろうとも従属した使い魔とは相容れること叶わぬ、か」
春樹は目を閉じ、思慮を巡らす。
「やはりゲートが別にあったとは。一筋縄ではいかない事件が多いものだね」
当時は人間の犯行も考えられるのではと訝しんでいた各務であったが、終わってみればより醜悪な事件であった。己の身に寄生させている妖花が黒ずんだことで、形としてその想いを確認することになった各務は天魔と人の在り方に一石を投じる。
「まぁ、何にしても一件落着やなー。皆そんな顔せんと笑っときぃ。笑う門には福来たる言うてな」
「そうそう、世の中楽しんだ者勝ちなわけよ。パーッと行こうよ。パーッと」
統理と某のオチャラケコンビは、一人いるだけで場が和むが二人揃うと二乗では済まない程に明るさが差し込む。まるで直列電池である。
「それだけ大きな事件でしたしね。やはりナイーブな問題ですよ」
両儀が眼鏡を押上げ、真面目にそう言うと、
「……聞いた話では戦闘中の両儀はナイーブとはかけ離れていたようだがな」
という、野襖のつっこみが炸裂した。
「何れにせよ、不安を煽るような行動はいただけませんねぇ。今時の妖怪は静かに暮らすのが賢いやり方です」
と、宵真が漏らすと今度は全員から、『妖怪じゃなくて天魔でしたけどね』と茶々が入った。
この世界に害為なす天魔との戦い。
この世界に生きとし生けるものとして、彼らは戦い続けるだろう。
正義の在処はどこか。
歴史がそれを証明するというのなら、撃退士は勝ち続けねばならない。
それがこの世界の一つの理なのだ。