●肌寒い海
「海ですね! 寒い!」
既に海水浴にはもう些かキツイ肌寒さとなってきたが、まだ諦めずに商売しようと目論む欲深い親父によって、四人の撃退士が浜辺に集結していた。
それぞれがこの辺りの地図を確認したり浜辺から見えている敵影を確認したりしているが、一番目立っているのは、ここへやって来て即カソックを脱ぎ捨ててこの寒いのに海パン姿になった神父さんエルディン(
jb2504)であろう。
彼は囮役として観光客を装う作戦なのだが、如何せん寒いのでさぶいぼ――鳥肌が立っているのだった。
「では、行ってきます」
エルディンは、まず一人で海へと入っていく。まだ冬ではないので最悪と言うわけではないが、それでもなかなかの冷たい水にぶるぶる震えながらゆっくりと海へ、つまり敵である鮫の元へとゆっくり泳いで行った。
「ああ、足が攣りました〜」
ある程度進んだところで、急にエルディンは苦しみだした。まあそれ以前に寒さで結構苦しんでいたのだが、足を抱えて悶え始めたのだ。
言うまでもなく、演技である。囮役として、少しでも敵を油断させるのが目的だ。
だが、肝心の鮫型ディアボロはあまり食いついてはくれなかった。ぶっちゃけ、かなり警戒していた。
そりゃそうだ。この天魔被害で人っ子一人いなくなったこの海でいきなり男が一人で泳ぎだし、しかも食ってくださいと言わんばかりに苦しみだしたのだ。そりゃ警戒するだろう。
「では、行くか」
そんな光景を、いつの間にか浜辺から移動した他のメンバーから離れて一人見ていたファーフナー(
jb7826)が動き出した。
元々、こんな客のいない海水浴場で観光客を装っても違和感があるのはわかりきっていた。だから、まずエルディンが注目を集め、その後にファーフナーが第二の囮として動く計画だったのだ。
断じてエルディンがこの寒いのに一人海パン姿となり、そしてディアボロにも引かれる一人芝居をしていた可哀想な天使だったわけではないのだ。
そして、ファーフナーは通常の撃退士としての装備だ。魔具は収納しているが、おおよそ観光客には見えまい。
だからこそ、ここで鮫は安心した。この鮫は、小癪にも目の前の人間が獲物か敵かを考える脳みそはあったのだ。
謎の海パン男が一人海で悶えている様子が何なのかわからずに混乱してしまったが、こうやって直接やってくればもう単純だ。
敵と思われる何者かがたった一人で向かってくるのならば、返り討ちにしてやろう。そんなことしか思わないのだった。
「来たか」
そして、狙い通りに鮫が自分に向かってくることを確認したファーフナーは、ゆっくりと後退しようとする。このまま自分をエサに、鮫をテリトリーである海から陸地まで誘導する作戦だ。
そこで、まず背中に悪魔ハーフとしての力である翼を出した。これで水面ギリギリを飛び、敵を引き付ける作戦だ。
だが、残念ながらここでは少々情報不足が響いた。そう、この鮫の戦闘における引き出しを見誤ったのだ。
「グッ!?」
空を飛ぶファーフナーに、鮫はその巨体を震わせてジャンプ体当たりを仕掛けてきた。
その突撃に、ファーフナーは直撃ではないにしろダメージを負う。海の中にさえ居なければ多分大丈夫だろうと言う心の隙を突かれたのだ。
ここで、鮫は更に追撃を加えようと、自身最大の武器である鋭い歯が並んだ口を開いた。衝撃で安定を失ったファーフナーに噛み付くつもりなのだ。
だが――
「それはさせん」
鮫の歯が体を引き裂く直前、ファーフナーは翼動かし、一気に攻撃範囲から逃れた。初見ではその能力を見誤ったが、流石に二度目の攻撃まで甘んじて受ける理由などないのだ。
「ぐぅ……」
だが、思ったよりもダメージが大きかったのだろうか? 彼は空を飛びながらもふらつき、そのまま海面ギリギリを飛びながら後退を始めた。
それを見た鮫は、勝機と見て再び追撃を仕掛けようとする。今度は最初から必殺の歯を使い、確実に仕留める算段だ。
だが、何故か差は縮まらない。まるでギリギリ攻撃できない距離を計算されているかのごとく、鮫の泳ぎは悪魔の翼に追いつけなかった。
「いくよ、ストレイシオン!」
そんな追いかけっこを続けた為に、気がつけば鮫は大分陸地に近づいていた。
ちょっとまずいかも知れない。小さな思考能力でそう思う鮫だが、それを察したかのように、いつの間にか背後にいた陽波 透次(
ja0280)が召喚した水中を自在に泳ぐ竜と共に手にした刀で鮫に斬りかかった。
そう、全ては作戦だったのだ。ファーフナーが大ダメージを負ったように見せたのも、全ては背後からの奇襲に気づかせないためだったのだ。
その目論見は見事にはまり、この鮫は本来のテリトリーである海の端まで自ら来てしまった。しかも、囮二人に注目しすぎたせいで、こっそり背後に回っていた透次を完全に見逃してしまったのだった。
「シャー!」
「わっ!」
透次の刀により、鮫の体から噴出した血が海へと流れ、そして消えていく。だが、決して背に負った切傷が消える事はない。
形勢は不利。そう判断した鮫は、即座に下へと逃げ出す。既に囮役の二人に前面を、奇襲してきた透次に背後を塞がれ、更に召喚された竜によって他の逃げ道も塞がれている。
だが、ここはあくまでも海中だ。随分陸側に誘導されはしたが、まだ海の中と言う絶好のルートが残っている。
鮫型ディアボロは、そのルートを即座に選択し、逃亡したのだ。自分を追い詰めた気になっている馬鹿な撃退士を内心で嘲笑いながら。
「邪魔と嫌がらせは得意分野や。さぁええ顔見せてくれよ?」
「ッ!?」
しかし、本当に笑っているのは鮫などではない。真に笑っているのは、予め敵の動きを計算、予測して逃走ルートを潰そうと透過能力を使って海中に潜んでいたゼロ=シュバイツァー(
jb7501)その人だ。
彼は海中に逃げ出した鮫に対し、『こっちは行き止まりやで』と意地悪く笑うように手にした大鎌をその体に突き刺したのだった。
「シャー!?」
「おわっ! 暴れんなや!」
流石にこれは効いたのだろう。鮫は体に突き刺さった鎌を何とか抜こうと必死の抵抗を始めた。
だが、流石にせっかく打ち込んだ武器を早々抜かせるわけもない。ゼロは、暴れる鮫の抵抗を何とか押さえつける。
その結果、ゼロと鮫の格闘は膠着状態となったのだった。
それは、つまり鮫にとって不利な状態だ。暴れれば暴れるほど傷口が抉られていくような状況が続くのがいいわけがない。
しかし、流石に鎌が刺さった状態ではまともに力など出せない。このままではずるずると傷口を広げるだけだろう。
そこで、鮫は方針を変更した。鎌が抜けないのならば、ゼロごと海中に引っ張り込み、自分に有利なフィールドで対処してやろうと強引に潜水を再開したのだ。
「隙あり!」
「深みのほうには逃がしませんよ」
だが、それを他の撃退士が黙ってみているわけもない。
この戦いでは、何よりも敵の逃亡を阻止するのが大前提。それを念頭に置いている以上、もっとも追跡が難しい海中への逃亡だけはさせるわけにいかないのだから。
「縛れ!」
「捕らえなさい!」
ゼロと格闘していたほんの僅かな時間。その間に準備を整えていた透次とエルディンが、それぞれアウルの鎖で鮫の体を捕縛する。
透次が出したのは鉤爪のついた鎖だ。それと同じものが複数出現し、鮫の体をぐるぐる巻きにすると同時に緋色に輝き、捕獲成功を知らせている。
そして、エルディンが出したのは審判の鎖、ジャッジメントチェーンと呼ばれるものだ。この聖なる鎖は鮫を捕縛すると共に痛みを与える魔法の鎖であった。
「――シャー!」
「う!」
「わっ!?」
完全に詰み。状況はまさに勝利目前まで迫っていた。だが、この鮫もただでやられるつもりはなかったらしい。
拘束を退けようと激しく大暴れし、ほんの僅かではあるが二人の鎖による拘束を緩ませる。そして、その緩んだ隙を狙って思いっきり口を開き、なんと一噛みで鎖を砕いてしまったのだった。
「……でかいとは面倒なことだ。だが、ならばこうするまでだ」
下手に拘束を仕掛けても、巨体を生かした力技で対処されてしまう。ならば、確実にダメージを積み重ねればいい。
そう判断したファーフナーは、槍を取り出した。そして、その穂先を躊躇なく鮫の眼球に突き立てたのだった。
「シャー!?」
「流石に目をやられてはそう簡単には逃げられないだろう?」
あまりの痛みと衝撃に戸惑っている隙を突き、更にもう片方の目も潰す。実にえぐい攻撃だが、効果的なのは間違いないのだ。
相手の動きを封じる方法は大きく分けて二つ。
一つは先ほどのように拘束してしまい、物理的に動けないようにすること。そして、もう一つが精神的に動けないようにすることだ。
前が見えない。この事実は、間違いなく情報を遮断し、精神的に『本当にこのまま進んでいいのか?』と言う疑心暗鬼を引き起こす。
これで、この鮫はもう先ほどのように全力で逃げ出す事はできなくなったのだった。
「よっしゃ! 頼むで!」
「はい! ストレイシオン!」
痛みに苦しみながらも動きが止まったことで、ゼロが叫んだ。
実は、彼の体には最初からロープが巻きつけられていたのだ。その先は浜辺、つまり陸地である。
そんなものを何に使うのかと言えば、釣りだ。針は大鎌、エサはゼロと言う超大規模な釣竿。それを持って、この化け物鮫を一本釣りにしてやろうとしているのだ。
「それじゃ、いきますよ――ッ! 危ない!」
「なあっ!?」
全速力で透次が浜辺まで駆けて行き、ロープを掴む。そして、先ほど引き上げるついでにストレイシオンの体当たりで深く抉りこませた鎌を掴むゼロごと引っ張り上げようとした。
だが、そこで予想外の反撃にあった。なんと、動きを止めていた鮫の歯が突然一斉に飛び道具として発射されたのだ。
本来ならば痛みに泣き叫んでいてもおかしくはないはずなのに、不自然に沈黙していた鮫。その真意は、この奇襲の準備だったのだ。
「甘いですよ」
「だな」
が、その起死回生の奇襲も思った以上の効果は出さなかった。
今の鮫は視力を失い、まともに前を見ることすら出来ない状態なのだ。それ故に完全ランダム攻撃と化した歯の弾丸だったのだが、一歩引いて観察していたエルディンとファーフナーにはお見通し、とは言わないが対処可能なものだった。
多少掠るのは防げなかったが、それもエルディンの治癒であっさり回復する。あくまでも奇襲は奇襲であり、次につなげないこの状況では所詮悪あがきだったのだ。
結局、最後の切り札すらも通用しなかった鮫型ディアボロは、ついに諦めてゼロと、そして陸地でロープを引っ張る透次によって釣り上げられるのだった。
「いやー、大漁やなー」
「一匹だけですけどね」
無事に吊り上げられたこの鮫は、今はピチピチ跳ねながら陸地で苦しんでいる。
正直並の人間だったらこの飛び跳ねる攻撃とも言えない動きだけでも叩き潰されそうだが、流石に撃退士を前にしてはまな板の上の鯉も同然だ。
この先の顛末は、もはや語る必要もないだろう……。
●海の家
「いやー、やっぱ海の家で飲む酒はうまいわ」
「何故かこう言うところの食事って、いつも食べるのよりもおいしいですよね」
全てが解決した後、依頼主から手厚い――そして肌寒い歓迎を受けていた。
海の家経営なだけのことはあり、ここは食料豊富だ。見事依頼を達成した撃退士達はお礼として酒に料理の大盤振る舞いを受けていたわけだ。微妙に震える秋の風を肌に感じながら。
「やっぱり、そろそろ海の季節も終わりとちゃうんか? まぁ水着の美女は年中歓迎やけどな」
「そうですね……。あんな人はなかなかいないでしょう」
ゼロの美女云々はともかく、透次ももう海水浴はちょっと厳しいと言うのが感想だ。海の家でご馳走になっているだけでも少々肌寒いのだから、海の中に入れば流石に寒い。
だからだろう。三人の撃退士の目が、一人『安全アピール』の為に海パン姿で震えながら泳いでいるエルディンを暖かく見守っているのは。
「フハハハ! もう安全ですから、どうぞ遊びに来てください! 特にビキニの美女!」
「……ま、それには賛成やけどな」
こうして、和やかに、極一部はレジャーを楽しみながらこの海での戦いは幕を下ろした。
寒いなんて感覚、煩悩の炎の前では何の意味もないなんて、誰に格好つけているのかもわからない教訓と共に……。