●山中の川付近
静かな山中を流れる一本の川。そこに、三人の男女が腰掛けて釣りに興じていた。
もっとも、普通の釣りでは無いが。なんと言っても、彼らが手にしているのは常人では持つことも困難な対化け物用の手作り鉄製釣竿なのだから。ちなみに、材料は廃材の鉄棒とワイヤーである。
「さて、一本釣りは可能かねぇ」
釣り糸と言う名のワイヤーを垂らしながら、麻生 遊夜(
ja1838)が楽しそうに呟いた。
「今度皆で釣りに行くのもいいねぇ」
そして、その隣にいる女性、来崎 麻夜(
jb0905)が麻生に甘えつつ擦り寄りつつそう呟いた。
「ん、釣れるまでは、のんびり……」
更に麻生の背中でも、やはり甘えながらヒビキ・ユーヤ(
jb9420)が鉄の釣竿を手にしていた。
彼らが何をしているか。手にしている物に目を瞑れば家族で釣りに来ているようにも見えるが、これは正式な撃退士としての仕事だ。
この川の中に潜んでいるとされる、半魚人の姿を持つディアボロを討伐する為の真剣勝負なのである。
とは言え、この川は広い。はっきり言って、今目の前の川の中にターゲットがいる保証は無い。
ならばこんなところで釣り糸を垂らしても仕方が無いような気もするが、件の標的は水中におけるステルス能力を保持しているのだ。つまり、釣り針に食いついてくれないと戦うこともできないと言うことである。
「釣れるまでって、退屈なものですねぇ」
そんな静かな、敵がいるのかもわからない戦いを静かに見守っていた落月 咲(
jb3943)が退屈そうに呟いた。彼女の役割は標的を倒すこと。つまり、戦闘の前段階では暇なのであった。
故に今はすることがなく、川をただ眺めているだけで実に暇そうだ。まあ、それでも目の端々が些細な波を感知し、不自然な動きが無いのか観察しているのは流石だが。
「こういうのも落ち着きますわね……そうとばかりも言っておられませんが」
「今はディアボロ退治の最中ですしねぇ……」
そんな釣り人達が静かな戦いを繰り広げる対岸で、二人の女性が緊張感があるのかないのかわからない会話をしていた。
背中に翼を生やすことで対岸まで飛んできた黒百合(
ja0422)と、彼女に一緒に連れてきてもらった長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)。彼女達もまた、戦闘が始まったら反対側から攻撃するのが役割である。
つまりは、やっぱり釣れるまで暇なのだ。黒百合は静かに待機しているが、アレクサンドラは何故か紅茶を飲んでいる。貴族のたしなみなのかもしれないが、わざわざ持ってきたのだろうか?
そんな一見緊張感の無い、しかしそれぞれがいざとなったら即戦闘体勢に入れる布陣を維持していた時、ついに状況に変化が起こった。麻生の竿が、大きくしなったのだ。
「さぁこっちだ、全力で来いやぁ!」
食いついた獲物の手ごたえからして、間違いなく本命の半魚人がかかったと麻生は確信する。
彼は既に釣り針に対して追跡スキルを使っている為に、食いついた時点でターゲットの補足自体は既に完了していると言ってもいい。
だが、それでもできれば釣り上げたい。水中は敵の領域なわけだから、陸に引きずり出すことができることに越したことはないのだ。
まあ、前準備とは言え釣り竿を手にしたものとしての意地もあるかも知れないが。
「さぁこっちだよー、捌いてあげるから出ておいでー」
「一本釣り……どっちが勝つか、勝負」
獲物がかかった事で、釣り組の残り二人も麻生の竿に集まった。彼女達は、クスクス笑いながら麻生と共に竿に力を込めるのだった。
撃退士三人分の力。これを前にすれば、普通の魚など抵抗することすら許されないだろう。
だがしかし、相手は四肢を持った半魚人。口に釣り針を加えつつも、両手両足を使って川底にしがみ付くこともできるのだ。
お互いに全力を振り絞る攻防。鉄製の特製釣竿でなければとっくに千切れている力の均衡を破る為か、あるいは単に力を入れすぎてキレたのか、ヒビキの体に異変が起こる。額に一対の角が生え、目が金色に染まったのだ。
これこそが彼女の持つ自己強化スキル、鬼降しだ。今のヒビキの腕力は、この力によって均衡を崩すに足るものへと強化された。
これによって、ついに半魚人は豪快に水中から引きずり出されたのだった。
「行きますわよ!」
そのタイミングを狙い、アレクサンドラは背中から蝶の羽のようなアウルを放出し、爆発的に移動力を高めて水面を滑るように進んだ。
「今だぜ」
水中から引きずり出したとは言え、今だ敵は目に映る事は無い。しかし、釣り針に追跡をかけている麻生だけは大体の位置を把握している。
その麻生の指示に従い、アレクサンドラは右腕にアウルを集中し、一気に爆発させる事で脅威的な速度の右ストレートを放つのだった。
「あなたのリングで付き合う気は……ありませんのよ!」
「ギョー!?」
何かに拳が命中した感触と共に、悲痛な叫びを上げて対岸へと大きなものが吹っ飛んでいった。
大体この辺と言うアバウトな攻撃だったが、しかし大体わかっていれば十分だ。彼女の黄金の軌跡を残す拳には、当たりさえすれば吹き飛ばすに足る力があるのだから。
……まあ、その代償として勢いを失った彼女は水に落ちてしまうが、問題ないだろう。背中からのブーストで、水に濡れながらも進んでいることだし。
「よーし、あそこだぜ」
「んー、ここかな? ん……う・ご・く・なっ!」
麻生の指示、そして墜落した跡。それらを頼りに、今だ不可視状態の半魚人へと来崎が呪縛を仕掛ける。影から闇色の鎖が現れ、多分そこにいると言う狙いで縛り上げたのだ。
不可視化したところで消えたわけではない半魚人に、彼女の鎖を無力化する手段は無い。すなわち、ついに鎖によってその姿を捉えることに成功したのだった。
「出てきさえすれば撃ちこめるぜ」
拘束されてもがく何かに、麻生は手にした拳銃から一発の弾丸を撃ち込んだ。その正体は、アウルの塊。釣り針にも使った追跡スキルだ。
「おまけだ」
「ギョ!?」
自分一人だけが感知できると言うのも不安がある。そこで、麻生はついでと言わんばかりに用意しておいた粉風船を投げつけた。
中に込められた粉が散布され、水に濡れた半魚人の体を覆う。同時に水分が吸われ、水に頼った能力が消滅していく。
ついに、その姿を完全にさらけ出すことに成功したのだった。
「ギョ!!」
しかし、半魚人もやられてばかりではない。一呼吸で鎖を引き千切った半魚人は、そのまま拳を握って殴りかかってくる。
だが、それは空から戦場を見つめていた黒百合に阻止されるのだった。
「やらせませんよぉ……」
「ギョギョ!」
影を縫いとめる攻撃。それにより、半魚人は再び拘束された。
その隙を突き、一旦釣り組は半魚人の射程から離脱する。そして、入れ替わるように川からアレクサンドラが突撃してきたのだった。
「苦しい一撃、行きますわよ! ……半魚人にもレバーはあるのかしら?」
即座に間合いを詰めた彼女は、人体ならば急所であるわき腹へと強烈な左フックを打ち込んだのだった。
「か、硬いですわね!」
しかし、彼女の拳は硬い鱗に阻まれた。全く効いていないわけではないが、望んだダメージには届いていないようだ。
「硬そうな鱗だな? ちっと腐れろや」
半魚人の鱗防御を見た麻生は、素早くアウル弾を打ち込む。この弾丸の効果は腐敗。着弾点から花開くように侵食する、腐食の弾丸だ。
「行きますわ! 落月さん、守ってください……ませ!」
敵の防御が崩れたのを見定め、アレクサンドラはリスクを背負った大技を繰り出す。全身のアウルを一気に燃焼させ、肉体のリミッターを外した連続パンチだ。
「ギョゴブギョ!?」
目にも留まらぬ高速パンチが半魚人の体を捕らえる。腐敗した鱗を、腐敗などしていなくとも打ち抜いてみせると言わんばかりの迫力で殴りつける。そんな連撃を計四発叩き込み、最後の一撃をとアレクサンドラは拳を振りかぶった。
しかし、そこで半魚人は拘束を打ち破り、死なば諸共の覚悟でカウンターパンチを繰り出したのだった。
「クッ!」
「ギョ!」
互いの拳がお互いの体に突き刺さる。この最後の衝突は、お互いの体に思いダメージを残したのだった。
だが、まだまだ両者共に戦闘不能には届かないダメージだ。ならばここからは純粋な格闘戦となるはずなのだが……彼女の使用した大技には、一つ大きなリスクがある。リミッターを解除した反動によって、一時的に動きが止まってしまうのだ。
その隙を突くべく、半魚人はややふらつきながらもアレクサンドラへと再び拳を振りかぶるのだった。
だが、それを許すほど撃退士は甘くは無いのだ。
「やらせませんよぉ」
拳を振りかぶったことで開いた胴体に、大きな鎌が突き刺さる。事前にアレクサンドラのフォローを頼まれていた落月が両者の間に入ったのだ。
「ほら、こっち……よそ見しちゃ、やだよ?」
「ギョホ!?」
更に、ヒビキまでサポートに入った。彼女は棘付き鉄球を振り回し、半魚人を吹っ飛ばしたのだ。
そして、その隙に来崎が硬直しているアレクサンドラを退避させる。これで心置きなく攻撃できる条件が整ったのだった。
「さぁ、楽しみましょうかぁ……」
落月の体を、暗い紫のオーラが包んでいく。これは彼女の闘気。敵を斬ることで得られる快楽をより大きく得る為に、自らの体を強化する術だ。
「ふふ、うふふっ……さぁ、遊ぼう?」
続いて、ヒビキの体が再び変化する。感情を開放し、体に鬼の力を宿して半魚人へと迫ったのだ。
「あはははっ!」
「うふふふふ……」
鎌が鱗を裂き、鉄球が骨を砕き、打撃が内部を破壊する。二人の女性による楽しげでありながら暴力的な攻撃群は、確実に半魚人の命を削っていく。
とは言え、もちろん半魚人に黙ってやられる理由は無い。だが、半魚人は二人に全く反撃できていなかった。
何故ならば、攻め続ける二人の背後には的確な援護射撃によって敵の行動を封殺する麻生と黒百合がいるのだから。
「無駄な抵抗なんてダメですよォ」
「ハッ、俺とも踊ってくれや!」
腕を上げようとすれば打ち抜かれ、足で蹴ろうとすれば戻される。この援護射撃によって、半魚人はなす術無く攻撃を受け続けているのだ。
とは言え、ならば援護射撃に注意しつつ近接攻撃が届かない距離まで離脱すればいいだけとも言える。いずれも正面からの攻撃なのだから、後ろに下がる分には問題ないのだ。
そのくらいのことは半魚人にだってわかるだろう。それをやらないのはつまり、それすら事前に予測して動きを止めている者がいると言うことだ。
「さぁさ、闇と光に嫌われちゃおうね!」
半魚人の撤退を止めているのは来崎だ。彼女は様々な能力を使い、徹底的に半魚人の行動阻害に集中しているのである。
強化された近接攻撃。遠距離からの狙撃。そして、中間距離からの特殊能力による妨害。この布陣により、半魚人は全く抵抗できずにやられていくのだった。
そして、全身が程よくボロボロになったとき。後一押しで殺せると言う極限状態に達したとき、ついに半魚人は最後の抵抗を試みた。
後ろに下がることも四肢を動かすことも封じられた状況下で、それでも可能な戦術。今まで一度も見せていない、半魚人の隠し技が放たれたのだ。
「ギョプー!!」
「ッ!?」
半魚人は大きく息を吸い込み、口から圧縮された水弾を吐き出した。狙いは近接戦闘を行っていた、もっとも半魚人に近い位置にいた落月であった。
とは言え、予想外の攻撃だから直撃するほど彼女は弱くない。元々能力の関係上、遠距離攻撃の存在には気を配っていたのだ。
おかげで、間一髪のところで回避に成功する。が、同時に包囲網に穴が開いてしまったのも事実であった。
「痛っ!」
水弾を避ける為に仰け反った隙をつき、半魚人は落月を殴って強引に囲いを突破した。
既にボロボロの上に、殴ったと言うよりは突き飛ばしたと言った方が正しい攻撃。その程度では言うほどのダメージは受けなかったが、しかし半魚人は半死半生ながらも川へ必死に走る。
「しぶといねぇ……これでどうよ?」
「ギョ!?」
自分の方へと走ってくる半魚人に素早く対応し、麻生がほぼゼロ距離で拳銃を構えた。それも、急所である頭に向かってだ。
「さよならだ、良い旅を」
「ギュギョ!」
「おっと!?」
そして、一切の慈悲も無く引き金を引く。ゼロ距離から放たれた弾丸が半魚人の頭を捕らえるが、しかしそれでも半魚人は咄嗟に転がる事でギリギリ致命傷だけは回避したのだった。
死なない以外のことは考えていない緊急回避が功を奏し、半魚人は体中からダラダラと体液を流しつつも再び川へと飛び込んでしまったのだった。
「あちゃー……」
「これは面倒なことになりましたねぇ」
水の中に入った事で、またもや半魚人の姿は視界から消えてしまった。
今でも麻生の追跡スキルは機能しているし、再び補足するのは難しくない。だが、それでも敵の土俵に逃げ込まれたのは面倒だ。
そんな感想を撃退士達はそれぞれ漏らすが、その時上空の黒百合から声がかけられたのだった。
「みなさーん。ちょっと川から離れてもらえますかァ……?」
黒百合からかけられたのは、川から離れろと言う要請だった。
とりあえずそれに逆らう理由も無い撃退士達は、それぞれ自分の足で川から離れていく。それを全員分確認した黒百合は、ゆっくりと川の中心部の水面ギリギリまで降下していったのだった。
「何処に隠れようと、川ごと吹き飛ばせば関係ないわよねェ……水中で焼死しなさいなァ!」
その瞬間、黒百合を中心とした灼熱の劫火球が出現し、川をも焼き尽くす勢いで燃え上がった。更にそれで満足することなく、続けてもう一発連続でこの広範囲破壊スキルを使用する。
常の半魚人ならば、この攻撃にも簡単に対処できただろう。しかし、今のボロボロの状態では避けきれるわけもない。
全てが終わった後には、水中で煮立った半魚人がぷかぷかと浮いていた。死した事により、ステルス能力が無くなったのだろう。
それはすなわち、この諦めの悪い半魚人との戦いが撃退士達の勝利で終わった事を示しているのだった。