●序回ライントレイド
平伏している。跪いている。かしずいている。傾いている。酔焦がれている。そうあることになんの疑問もない。経緯に間違いはあろう。後天に問題はあろう。しかし、生来に悪などありはしないのだ。
流石にそろそろ、日が沈んでも上着を必要とはしなくなってきた。白くはならない呼気にそんなことを思いながら、空を仰ぐ。曇天。見える星はない。街灯のあかりが、闇を薄い紫色に見せていた。
「その心酔は、恐怖からの転化に過ぎません」
マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)は思う。服従、信仰、被虐の性。どれをとっても、それを肯定する手段でしか無いのだと。他者に理解を求めるのも同じ事なのだ。理由がなければ、自分の是すら盤石とは信じがたいのだ。
「そしてそうであるなら――貴方の心酔は偽りであり、自愛から生ずる自己肯定の形でしかない」
それはまた、浅ましく。敷いては憐れでしかないのだと。
「貴方ァ、自虐趣味があるのねェ……あはァ、存分に弄れそうだわァ」
黒百合(
ja0422)の顔が、愉悦に歪む。痛みだとか。苦痛だとか。そういうものを好むらしい。それを受けいれてしまうらしい。だったら、自分の責め苦も快楽と受け取るのだろう。そういう相手なのだから、きっとそうするのだろう。思う。思う。思う。戦いの喜びを。虐殺の歓びを。屠殺の悦びを。緩んだ口元を、暗がりの中でそっと戻していた。
「行動の目的が不明瞭ですが……何にせよこのような凶行許せませんね」
ファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)は言うものの、まるで検討の付かないというわけではない。シュトラッサー。そうであるというだけで、予測は立つものだ。所謂、相場が決まっているというやつである。信仰の強要、採取、殺戮。どうであれ、どれかには行き着くのだろう。当然ながら、そのどれもが歓迎しかねるのだが。
「盲目な奴は周囲の迷惑考えろッつうの」
忌々しげに、アラン・カートライト(
ja8773)。心酔、信仰、盲慕。大いに結構。だがどれもこれも自己完結で済んでいればの話である。それが他人に飛び火しては敵わない。自分の中で、自分の思考のみで、自分の願望のみで完結していればいいものを。だいたい、何が姉だ、そもそもが、
「俺の妹が一番素晴らしいに決まってるだろ」
まったく、真意から遠いにも程がある。
「うるさいな」
ニージェ(
jb3732)の感想は、集約してそれに尽きた。感情のこととなると、自分にはよくわからない。声高に己が主を褒めちぎり、それを理解しない他者へと怒りを顕にする。強要する。共有しようとしている。他人の性質を是とせず、暴力も辞さないその行動。それは。それには。行き過ぎているものだと感じていた。そこに抱いた嫌悪感だけが、胸の中で渦巻いていた。
久永・廻夢(
jb4114)は、出発前に確認した防犯カメラの映像を思い出していた。髪を掴み、アスファルトへと何度も何度も叩きつけていたあの男。聖職者に近い格好をしていたことを覚えている。その見てくれが、不慣れさを思わせるようなことはなかった。着こなしから、職業的に日常的に、あの衣装が染み付いているのがわかる。だからこその、違和感。見たままの性質が、見たままの本職が、彼のそれであるというならば。
「どうしようもないですねぇ」
システィナ・エスヴァール(
jb4791)の言葉には、もうひとつの意味が含まれていた。すなわち、どうでもよいですね、と。シュトラッサー。天使の使徒。元人間。ヴァニタスとの大きな違いは、望んでなったということだろうか。その願望が、本当に自己のものとは限らないのだが。それには愛着がある。愛している。しかし、
「シュトラッサーは好きですけどシュトラッサーの性癖に興味はありませんからぁ」
装備確認、心拍計速、精神状態。各々が準備を整え、メンタルをフィジカルを死地にあるものへとシフトさせていく。そこに向かい、呼吸が重なっていく。
影野 明日香(
jb3801)が顔を上げた。それでやっと、吐息の乱れはひとつもなくなり。
日常は非常のそれに。世界が戦地に置き換わる。
●次決テイクエヌジィ
あの方を賛美する言葉をいつも考えている。素晴らしい。素敵だ。お美しい。ありきたりな言葉ではきっと飽きてしまうだろう。だから考える。矮小な自分の脳を回転させ、言語野の奥の奥から捻り出している。
「嗚呼、そろそろ来る頃だと―――お待ちしておりました」
その男は、驚いた風もなく。自分の討伐に来たであろう八人を、柔和な顔で出迎えた。
映像で見かけたような残虐性は、影も形も見当たらない。至って温和な、どこか抜けているようにさえ思える、普通のようだった。
「ふむ、いかがなさいました? お探しのシュトラッサーですよ。民草を殺します、心を主に献上いたします」
だが、口からは剣呑な言葉。思わず身構えた。
「そう、それでよろしい。では始めましょう。血を血で洗うような―――闘争を」
●複痛ロケンロゥル
あの方のことを考えているだけで日が暮れることすらある。いけないな、仕事に精を出さねば、またどやされてしまう。それはそれで快感であるのだが、主の機嫌を損ねるのは。嗚呼、よくない。実によくない。
言葉が通じると、思っていた。
口をひらいたマキナの正面に、突き出された腕が見えた。痛み、回る視界、混乱した中で続いた頭部へのそれが、殴り倒されたのだという事実を告げる。
状況を認識しようとする間もなく、腹部に衝撃。踏み抜かれたのだろう。激しい嘔吐感に苛まれた。
「―――んん? 今何か、おっしゃいましたか?」
頭部を蹴り飛ばされる。アスファルトを転がって。幸い、距離ができた。痛みは逆に、自分の意識を置き留めてくれる。
攻撃による激しい頭痛。喉の奥で感じる苦いものが、常に不快感となって精神を鷲掴みにしている。
ここに来て、理解した。ようやっと、理解した。こいつは奪い、犯し、食い千切るためにここにいる。他の天魔がそうであるように。人間を食い物としてここにいる。
話すはずもない。既に闘争を始めると言ったのだから。それ以外はないのだから。
メンタルを、戦闘にシフト。
今更間に合う筈もなく、再度迫る拳が自分に突き刺さっていた。
既に攻撃をしかけてきた男に対し、廻夢は防護の力を送っていた。
「…………何のおつもりですか?」
流石に、違和感を覚えたのだろう。男が一時、足を止める。廻夢はそこに、己の疑問を投げかけようとするのだが。
「穏やかな方のようですが 、何故ああも残酷な殺し方を? ただ殺すだけなら―――」
靴の裏。眼前に迫ったそれを、慌てて受け止める。攻撃を止めてはくれない。それでも、言葉を投げかける。
「誰だって傷付くのは怖い。でも何かを守る為なら耐えられる。貴方は痛みに耐えることで、彼女と出会う前の自分を守って―――」
そこで台詞は途切れた。転がされて、顔を踏みつけられたからだ。
「ねえ貴方。私の親兄弟か何かのおつもりですか? 見ず知らずが寄って集って何かをおっしゃって、それで私が留まるとでも? 貴方、豚の懇願に耳を貸しますか? 今こうして私が話している事自体が滑稽だとどうして思わないのです? はは、はは、はははははははは!」
これ以上、続ける意味は無い。
問答無用で攻撃を仕掛けてくるシュトラッサーに対し、アランはそう判断を下していた。自分達の声で、言葉で、どうにかできる相手ではないと。
衣服内の携帯端末で、潜んでいるはずの味方にすかさず連絡を送る。そのまま、駆け出していた。
「今時布教は流行らねえだろ、独占欲が依存の新しい恋人さ」
倒れた仲間と敵との間に割って入る。これ以上攻撃を受ければ生命にも関わるだろう。
「紳士の欠片も無いな、いつか愛想尽かされるんじゃねえの」
「お気遣いなさらず。愛とは受けるものではなく、与えるものですよ」
愛情。なのだろう。この曲がった精神性であっても、それは間違いなく愛なのだ。それが分かる。分かるから、無性に腹がたった。
重い一撃。それでも歯を食いしばる。知っている。ここで退けば、矛先は他所へ向くだろう。
後ろに立つ、守るべき仲間へと声をかけた。
「おいニージェ、怖がるなよ。お前には頼れる紳士が居るだろ?」
「怖がってるのはきみの方だよ」
気がつけば、自分の前で敵の攻撃を受ける彼。ニージェの答えはそれであった。ここまで傍にいなくたって、自分は倒れたりしないのに。
護られていること。庇護されているということ。それには少しだけ、不満の念もわくものだ。
大切な人の、大切なもの。それを自分が同じようにしなければならないことは、理解しているというのに。
傷ついた味方を癒していく。十二分とは言えないまでも、こちらの生存性を引き上げてはくれるだろう。援護。サポート。それが自分の役割だ。
言いたいことはあった。声にして言ってやりたいことはあった。だが、無意味だ。これでもまだ、話をしようだなんて誰が言えるだろう。
距離を確認する。あの殴打が自分に届けば、暴力に塗れれば。ひとたまりもないだろう。倒れ伏してしまうだろう。それはだめだ。そうなったら、誰がこの傷を癒すというのだ。
少しでも、生きる。生きて、誰かの役に立てるように。
「さてェ、首を刎ね飛ばされても、身体は喜べるか試してみようじゃないのォ♪」
街灯が割れる。不意に暗闇となった舞台で、黒百合が躍り出た。
防御を考えぬ全霊の双撃。大鎌のそれは闇の中で弧を描き、その首を引き裂いていた。
それで殺せるとは思っていない。再度一太刀浴びせると、そのまま後方へと引く。引く。引いた。だから、それは助長の結果にもなっていた。
「良い攻撃です。躊躇いがない。これまでのどれよりも気持ちがいい。気持ちがいい。気持ちがいい。ははははは! 嗚呼、高揚してきたぞ!」
変貌する男へと、その頭上高くから再び躍りかかる。頭頂部を狙った上段の一撃。確かに命中する。だが、先程よりも手応えがない。強くなっているのだろう。今の攻撃さえも悦に感じて。
「もっと、もっとだ! どうして手を休める。どうして体を引く。それでは私を殺しきれんぞ! 嗚呼痛みよ、麗しきかな麗しきかな麗しきかな!」
塞がっていく男の傷が、不安感だけを掻き立てた。
「ここから先ぃ〜常世への一方通行になりますぅ〜? 回れ右、ですよぅ〜?」
間延びした声でありながらその実、システィナの発した意味は常軌を逸した者だった。
第三者の気配を感じたのだ。増援の予定は聞いていない。伏兵の可能性は有り得ない。であれば一般市井であると考えるのが自然だろう。これが彼女なりの避難誘導であった。
極細の糸。その殺意を持ってシュトラッサーに攻撃する。流石に、側背面に人員が固まりすぎたのか。不意を討てはしなかったものの、それは男の身に巻き付き、肉を食らう。
男は笑っている。嗚呼、笑っているだろうとも。だってこんなにも愛しいのだから。そうであるだけでなんと素晴らしいことか。
愛おしい。愛おしい。愛おしい。だからこそ殺そう。引き裂こう。刺し貫こうぶつ切りにしよう極刑にしよう。
男は笑う。笑いながら死を纏う拳を突き出してくる。自分はそれを受け、それでも貫くのだ。そうだ、自分もきっと笑っている。
明日香の生み出した光が、暗闇をもう一度薄紫のそれへと引き戻した。
いつまでも暗黒の中で戦っているわけにもいくまい。気づかれた伏兵にとって、それがいつまでも自分達の地理的優位となってくれるかはわからないのだ。
敵の動きを観察する。痛みに興奮し、性能を上げるのだという敵の異質。それがどういった種別。性別、年齢、物理、霊的、状況、気分、攻撃手段、迎撃手段。
それを観察していて、気づいた。だから、やってくるであろう絶望的な状況に気づいてしまった。
「…………攻撃が、足りていない」
間髪入れてしまった攻撃。こちらが体勢を整える前に行き着いた戦闘状況。倒れた味方。見ている自分。最早取り返しの付かないほど、強化された敵。
思考を生存へと切り替える。このまま長引くほど自分達の帰還率は落ちるだろう。倒れた仲間。まだ立っている味方。それを計算に入れ撤退を提案しようとしたその時に。
不吉な音がした。肉と骨を裂くような。
腹部に突き刺さった拳。ファティナは肋のひしゃげる音を聞いた気がした。
咳き込んで、膝をつく。口から赤いものを吐き出して、それでも詠唱を繰り返した。
虚空から生えたヒトならざるものの手。それらがしがみつき、抱きついて、シュトラッサーの自由を奪う。だがそれも、多少の時間稼ぎにしかならないだろう。
男はとうに打ち倒せぬレベルまで強化されており、ここに至り撤退以外の選択肢は有り得なかった。
動ける仲間の肩を借りて、立ち上がる。痛い。痛みは収まらない。それでも、逃げなければならない。屈辱にまみれてでも、生きてさえいれば覆す機会はあるのだから。
急がなければならない。不利となるあらゆるを解除するというこのシュトラッサーの異質。稼ぐことのできる時間は、こちらが本来なし得るよりも遥かに短いだろう。
ほんの少しの間だけ、振り向いた。
温和そうな見た目の彼。高揚し、変貌した彼。いずれ打ち倒さねばならないそれを、脳に刻みつけていた。
●繰返プレイングプレイ
今日もただ、あの方の為に。
「…………逃げられましたか」
そこに感情の機微はなく、ただ事実を事実として確認するように、男は呟いた。
衣服の中で、筋肉が収縮していくのが分かる。戦闘という刹那的空間の中でのみ働き続けるその異質。それが終わり、元に戻っていくのだ。
「また来るでしょうか。来るのでしょうね。その時は、もっと純粋な戦闘であればいい。もっと気持ちのよいもので、あればいい」
男は歩き出す。目的を持って、目標はなく、歩き出す。幾ばくか進んだ頃、目当てのものを見つけて。彼はその服装に相応しい、温和な笑顔で持って。それを蹂躙した。
「ねえ、あなたもそう、思うでしょう?」
後日。増えた被害数だけが、撃退者達に伝えられた。
了。