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美森 あやか(
jb1451)はふと、簡素なポスターの前で足を止めた。
届かない誰かへの手紙という言葉。
何とはなしに興味を引かれた。
(……旦那様も親友も確かこの日はいないし……特に約束も、ないし……)
考えてみれば、一人でこういったイベントに参加したこともないと思い至る。行ってみようか、と。
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「天燈……スカイランタン。夜空へ放つイベントか」
世界には様々なイベントがある。そして、各国の行事をすぐに取り入れる日本という国は逞しい、と思いながら、ファーフナー(
jb7826)は小高い場所へと続く道を歩いていた。
開催の日。覗いてみようかと立ち寄った会場はランタンを点々と並べ、ファーフナーを誘う。
こんな催しを聞いたところで「バカらしい」と一蹴していただろう。かつての男なら。
けれど、今のファーフナーは何にでも興味を持って参加してみようと心がけていた――長い間押し殺してきた時間を取り戻すために。
日が暮れ、星は輝きを増す。
その星空の下、Robin redbreast(
jb2203)も会場で一人、空を見上げる。
ポスターを見つけた時、何となく浮かんだのはいつか流星観測の下見で同行した金髪の少年だった。
八月で学校を去るひともたくさんいて。
今まで学園で幾つも依頼を受けて、色んな人に出会ったことを思い返す。
Robinは今後も大学卒業まで学園に留まって撃退士を続けると決めた。これからもきっと色んな出会いがあるだろう。そんな未来への思いと、今までのことが、静かに胸を巡る。
視線を下げれば、そこかしこで手紙を書く人たちの姿がある。
そんな人々の中にはペンを手に首を傾げるSpica=Virgia=Azlight(
ja8786)の姿もあった。
――「いつかの、私への……手紙……?」
手紙を飛ばすと聞いた時、頭に浮かんだ過去の自分。
手紙を書こう。今日でない日の自分へ。そう思ってここへ来たのだけれど。
書こうにも今までの戦いや思い出が蘇り、なかなか思うようには進まない。書いては消しを繰り返し、このままでは煮詰まりそうで、その前に席を離れた。
ランタンが揺れ、祭りの提灯とはまた違った幻想的な風情で屋台を彩っているのが見える。
和紗・S・ルフトハイト(
jb6970)は、祭りの様子を眺め、目を細める。
――ずっと自分が嫌いだった。
体が弱く跡取としては頼りない自分。
本当は男ですらないと知らされ、生きる意味が無いとさえ思えた。
そんな中に現れたアウルの力。まだ誰かの役に立てるのかもしれないという光明。
けれど、また役に立てなかったらと思い悩み、それでも希望に縋り高校を中退し学園に編入した――そんな記憶を思いながら、賑やかな雰囲気の中を歩く。
「すぐにお祭り騒ぎになるところも『久遠ヶ原』ですね」
くす、と微笑むと、連れ立って歩いていた不知火あけび(
jc1857)も楽しそうに頷いた。
「本当に」
二人一緒に祭りを楽しんでいると、呼び込みが聞こえてあけびが顔を向ける。
「あっ、和紗さん、たこ焼き!」
お馴染みの丸いフォルムに気付いてあけびが指差した時には、和紗はすでにソウルフードに引き寄せられ、屋台へと向かっていた。
あけびは一瞬きょとんとし、笑う。
戻ってきた和紗の手のたこ焼きには、二人分の爪楊枝が刺さっていた。
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祭りめいた匂いの溢れる中、ふわり、と甘い香りがした。
Spicaが誘われるように振り返ると綿飴を売る出店が見える。
「綿飴……そう言えば、あの時も……」
真珠色の頬にふっと紅が差す。
そっと距離が縮まり、花火の音が遠ざかって聞こえたあの時。
どれも、大切な思い出。
席に戻ると煮詰まっていたのが嘘のように自然と言葉が浮かんでくる。
「こんにちは。
自分に手紙を書くのは変な感じもするけど、迷わないように。
いろんなことがあって、つらい思いも数えきれないくらいすると思うけど……でも、同じだけ希望はやってきます。
だから、決して折れないように。
いろんな事を経験して、そのたびに強くなって、大事な仲間もできて……つらい事も乗り越えてきたんだから、きっとできるはず、そう信じています」
書き上げた手紙を眺め、けれどSpicaはペンを置くことなく、またゆっくりと紙に綴り出す。
「こんにちは。手紙をするのは久しぶりだけど、どうしても伝えたいことがあって書いてます……」
恋人にこんな機会でないと伝えられない、感謝の言葉をしたためる。
これまでの一つ一つを振り返り、それが今の自分を作ってくれたこと。あなたがいてくれたこと。
今まで、そして、この先に、思いをはせて。
「……これからも、よろしくお願いします!」
手紙を見返し、また少し恥ずかしげに銀色の睫を伏せ、Spicaは「その時」が来るのを待った。
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同じ頃、あやかも筆をとる。
特に何かあった時、仏壇に報告はしているけれど、しっかり両親に話した事はない。
ならば、ちゃんと一人で今までの感謝の言葉を、と紙と向き合う。
「お父さん、お母さんへ。
まずは……あたしを生んでくれて、あたしを育ててくれて、まだ赤ちゃんの頃に万一の事を考えてくれててありがとうございます。そのおかげで孤児となってもある程度生活基盤がありましたし、保護者をやってくれた旦那様と出会えましたから。
結婚したら親の責任はそれまで、って考え方もあるそうですけど……本当なら、親孝行とか、孫の顔を見せたかったです」
柔らかい風が吹き、あやかの緑髪を揺らす。
「住む所の関係で、小さい頃はお母さんが若い頃生活してた地域で暮らしてましたけど。そのおかげで、今でも付き合いのある親友や幼馴染と出会えましたし……旦那様や親友に庇われて、殆ど戦闘依頼に参加する事は少なかったですけど、万一の時に何とか出来る下地は出来たと思います。
旦那様が悪魔って事で、今将来の仕事を島で出来るものにしないと、という事で一寸模索中だったりしますけど……今、あたしは幸せです。
其方に行った時に、人生の事を笑って話せるように……しておきますね。
多分、旦那様と一緒に行く事になると思います。その時に動揺しないで下さいね」
何だか上手く纏まらない、と首を捻る。
「やっぱり難しいですね、親への手紙って」
だが、手紙にはあやからしい控えめで、けれど熱を秘めた文字が躍っていた。
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「自分もしくは誰かへの手紙、か……」
他の生徒たちに倣ってランタンを受け取ったファーフナーは、手元を見つめて呟いた。
そもそも手紙を書くという習慣がない。
伝えるというよりも、偽る、隠す、消すことが重要だった。今までは。
素直に、正直に伝える、ということは、大切なことだと分かりながら、今でもなかなか慣れず、眉を顰める。
伝えたいことは何だろう。伝えたい人は誰だろう。
天燈を前に、ファーフナーは考える。
ずっと深い人付き合いを避けて来た彼にとって、心を預けられる相手は少数しかいない。そして大半が、学園で出会った者たちだ。
初めて幸福を教えてくれた女性。
自身を変えてくれた年若い友人。
敵陣営にいた純粋な少女。
日々幸せをくれる愛猫。
ひとりずつ顔を思い浮かべ、相手へ伝えたい言葉を考える。
やがて、ファーフナーは静かに文字を書き始めた。
宛名はなく、ただ一言。
「ありがとう」
誰か一人だけは選べず、大切に思う者たちへ宛てたたった一語。
――たぶん、伝えたい気持ちはそれだけだ。
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手紙を書き上げていく人々から少し離れ、誰かを想う彼らの横顔をRobinは眺める。
組織にいた時は、出会う相手とは標的を意味したし、どれも仕事としての作業だったから、特に思うところもなかった。
思い返すことも、もちろんない。
学園にきても、はじめのうちは、捨てられないために働いていた。
でも、少しずつ変わっていくことができた、とRobinは思う。
子供のときに捨てたものを取り戻すことができたのは、色んな人のおかげでもあるんだけれど――最初のきっかけになったのは、と思い出したのは、依頼で出会った老婦人だった。
その温かさや優しさに触れて、過去のこと、家族のことを思い出して、「帰りたい」という自分の願いを取り戻せた。
依頼を出すってことは、困ったことがある、ってことだから。
おばあさんから依頼がないってことは、きっとおばあさんは元気に暮らしているのかな。
使用人のおじさんと仲良くしているのかな。
Robinの胸に、何かが込み上げ、静かに目を閉じる。
もう会えないかもしれないけれど。
感謝の気持ちと、幸せを願って天燈に手紙を書いた。
「おばあさんの、やさしいこえとまなざしが、とても大好きだよ。
あたしはもう寂しくないよ。ありがとう。
ずっとおばあさんの幸せを願っているよ」
今も元気でいるだろうけれど。その居場所もきっとわかるのだろうけれど。
――でも届けることのない言葉。
Robinは書き上げた天燈をそっと腕に抱いた。
「Robin?」
そこで聞き覚えのある声に呼ばれ、振り返ったRobinは少しだけ驚きの表情を浮かべた。
先ほど思い浮かべていた少年――ポリューがそこに立っている。
「やっぱり、Robinだ。久しぶり」
そう、出会いはやがて離れ行くだけのものではない。繋がって、続くものもある。Robinは久しぶり、と再会に喜ぶ少年に顔を向けた。
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淡い色彩で海の蒼、森の緑、空の青、そして虹。
夫と対の虹霓の指輪の意味を思いながら、和紗は貰った天燈に持参の道具で絵を描く。
一頻り祭りを楽しんだ後、あけびと別れたが、彼女もきっと近くで手紙を書いているだろう。
描きあげると、その上に文字を重ねた。
「十二歳の和紗へ
顔を上げて前へ進んでみて
あなたを待ってくれている人がいるから」
そして、同じ天燈にもう一つ、手紙を記す。
「七十歳の和紗へ
彼と願った世界に 少しでも近づけたと信じています
あなたが彼と一緒に笑いあえるよう 今を頑張ります」
和紗は指輪と同じく夫と対である懐中時計を見つめ、この針が数多回った先にいる自分の姿を想う。
学園に来たことで出会えた人。
様々な想いを交わしながら、けれど恋にはずっと気づけなかった。
恋心を自覚したのは今年の春で――すぐに求婚し、受けて貰えた。
我ながら一気に飛び過ぎだとは思うのですけど……ね、とその時を振り返り、和紗は苦笑する。
けれど、一年半以上同じ屋根の下で暮らし、それ以上の日々を交友を重ねて過ごしたから、少しも迷いは無かった。
「今は自分を好きになれました……」
呟き、和紗は書き上げた天燈を見つめた。
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それぞれの思いを乗せ、天燈が言葉や気持ちで彩られていく。
一つ一つに、記憶を、感情を、自分を、思いやりを、愛情を重ねて。
やがてふと、星の輝きを彷彿とさせるような鈴めいた音を聞いた気がしてSpicaは首を傾げた。
どこかから響いてくる旋律。
これは――……?
その時だった。
ポッと、一つのランタンに火が灯る。
「!」
それを抱えていたあやかが、驚いて自分の手元を見た。
手の中のランタンが彼女の頬を照らす。
それを切欠に、次々に天燈に火が灯り、まるでさざ波のように広がっていく。
「合図だね」
Robinは天燈を抱える手を差し上げ、送り出すようにそっと離した。
天燈がふわりと浮かび上がり、その翡翠の目の中に灯りを残して遠ざかっていく。
それは幻想的な光景だった。
いくつもの天燈が空へと舞い上がる。
いくつも、いくつも、その小さな燃える灯りが、託した思いを抱えて旅立つ。
夫や友との出逢いに感謝しながら、和紗は天燈を空へ放った。
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あけびの手を離れたランタンが、空に吸い込まれるように浮かび上がっていく。
――「喪失感を抱えて学園に来たね。それでも格好良いサムライガールになるって決めて門を叩いたね」
手紙に綴った思いが、彼女の胸に浮かんでくる。
師匠はあけびから自分に関する記憶を消した。
それでもあの人みたいに格好良い侍になるんだ、と誓っていた。誰かを救う刃であれという教えを胸に。
「大切な友達が沢山出来る。どうしても救えなくて斬った相手もいる」
敵との力の差に愕然として、仲間の足手まといになってないか不安で、その度「お前は笑っていろ」という言葉を思い出してどんな時でも前を向いた。
――……最終決戦、お師匠様は私を庇って重傷を負った。
私は結局護られてばかりで誰も救えなかった。
そんな私にお師匠様は「お前は俺を救った」って言ったんだ。
お前を使徒にしていたら、俺は今頃ただの駒として共に命を落としていただろうと。
一介の天使である俺を師匠に、駒ではない特別にしてくれたと。
あけびと兄貴分と共に生きて行く末を見届けたいと。
「あなたの望む未来を目指して走り続けて」
あけびは腰の守護刀を見た。「小鳥丸」、師匠が彼女に託した刀。
当時記憶を消されたあけびには何も分からなかった。けれど自分に託された刀だということだけは理解出来た。でもこれはお守りだから一度も抜いたことが無い。
「小烏丸はあなたの心。誰かを救う刃であれ」
――ああ、そっか。
お師匠様の意思は……私の人の心はずっと傍にあったんだ。
私は忍生まれの侍、侍の心を持った忍だ。今度こそ、この刀で沢山の「誰か」を救っていく。
再び空を仰ぐ。光で溢れる空の中、どうしてかあけびには自分の天燈がどれなのかわかる気がした。
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小高い会場で、ファーフナーは周囲の人の様子を見ていた。
幸せそうな表情の者。
決意をこめた表情の者。
哀しい表情をしている者。
さて、自分はどんな表情をしているのだろうか。
ありがとうを伝えたい相手を少しずつでも増やしていきたいと、自然にそう思えた。
見た覚えのある不健康そうな横顔に気付いたのも、そのためだろうか。
「見事なものだな」
以前、依頼で会った相手に声をかけると、空を見ていた浦見ヒガミはげっという顔をした。
けれど、逃げる様子はないので、近況でも聞いてみようかとファーフナーが口を開きかけると、それよりも早く暗い面立ちの男が声を絞り出す。
「お前に言われたからじゃないが」
ん? とファーフナーはヒガミを見る。
「企画の勉強をしてる。イベント、だとかの」
しかしこれには偉大な計画が、などと言い訳をするヒガミにファーフナーはふ、と笑い、「そうか」と答えた。
彼らの見上げる空の中、天燈はどこまでも高く舞い上がり、銀河の仲間のように輝く。
まるで思いを託した彼らそのもののように、温かくも、尽きるまで燃え続ける。
「終わっちゃうな」
次第に消え行く天燈を眺めてポリューが呟くと、Robinは小さく微笑んだ。
「うん。でもきっと、ここからまた始まるんだね」
天燈が一際大きく輝き、やがて消えるまであけびは空をじっと見つめる。
――誰かを救う刃であれ。
その輝きを目に焼き付けるように、明ける日の少女は静かに瞼を閉じた。