●
日差しを受けて輝く雪に、撃退士たちの影が落ちる。
サクサクと音を立て、新雪につく足跡を楽しそうに眺めるRobin redbreast(
jb2203)の髪を風花が滑っていった。
「きれいな雪がたくさん積もってるね」
目指すのはセツ子のかまくら喫茶だ。
今年もRobinはかまくらに縁があるようだが、去年と違い辺りは静かで仲間以外の影もない。
「カイロ、みんなの分持ってきたよ」
もこもこのマフラーや手袋をつけた少女は微笑む。
「かまくら内の喫茶店ですか……楽しみですね」
Robinのカイロを防寒具にしまい、雫(
ja1894)はレンズを雪原へ向けた。
集客アップのために動物の写真を撮りたい。
――開店休業。それが彼らが雪山に招待された理由だった。
「かまくらか……」
ファーフナー(
jb7826)がネットで調べた話によれば、幻想的だが昔ながらの温かみのあるところらしい。かまくらは初めてなので情報を集めたのだが、それは彼の心にも多少浮き立つものがあったのに違いなかった。
だが、今年は妙なことが起きるらしくて行けない、というコメントが目に付いたのが気になる。
「そういえば雪だるまが襲ってくる、みたいな噂があるね」
Robinの言葉にファーフナーが頷く。
「ああ……雪玉を放って逃げたとか」
負傷者は出ていないようだが。
「悪戯だろうか……?」
「お客さんがいなくて、雪だるまもヒマしてるのかな」
Robinは無垢な顔で首を傾げる。怪我人がないなら、驚かせて楽しむ変態さんなのかな? などと天然発言をすれば、笑いが漏れた。
ひょっとするとお茶の前に、一運動することになるかもしれない。
それにしても日差しを反射する雪は眩しい。
「今日は一日いいお天気みたいですよ」
レティシア・シャンテヒルト(
jb6767)が木々の間の空を見上げる。いつも依頼前に念入りに準備をするレティシアは、今度も情報収集にぬかりはない。万一の際に野営出来そうな場所に、山に纏わる伝承――雪女や雪んこの話などもあるようで、妖なら縁を結びたいものだと思うが、今回の件と関係があるのか果たして。
透過を使用して雪の中を一人悠々と進む。深いところでは愛らしい顔がまるで生首で、本人が新たな怪談となりそうだがのほほんとしている。
龍崎海(
ja0565)の吐く息が、白く浮かんで消えた。
防寒着で寒くはないが、木々の影が山道を冷やしていた。
雪が音を吸い込み、山は一種独特の静寂に包まれる。白銀の雪山を「美しい……」と各務 翠嵐(
jb8762)は眺めた。しんしんと積もった雪の白さはどこか神性さえ感じる。
噂話のせいで客が寄り付かないということだが――この静寂が守られるなら、このままでいた方が、という思いが心によぎり、けれど彼は慎みをもって口を噤む。
そういえば、今回の依頼は喫茶に来ることで、噂のものを退治する話は出ていない。
依頼人はどうやら噂を知らないようだ。なかなか変り者なのかもしれない。
「あ」
と雫の声が上がる。
指差す先に白い煙が見えた。焚き火をしておくと連絡があったから、きっとその煙だろう。
噂が気になり、注意深く辺りを眺めていたファーフナーがそこで顔を上げた。
「何か物音がしなかったか」
動物かもしれないと雫が集中力を高めると、少女はすぐ近くに何かの気配を感じた。
思い過ごしだろうか。否――。
ひょこり。そこに現れたのは一体の小さな雪だるまだった。
●
撃退士たちは肩透かしをくらった思いで来訪者を見つめた。
人間の悪戯の可能性も考え、ファーフナーが雪玉を近くに放る。雪だるまは横に移動して逃げた。
レティシアがマインドケアを使いつつ、慎重に近付く。
「怖くないよー」
距離が少しずつ縮まり、そして――あと少し、というところで雪だるまの目が光った。
「危ないっ」
はっとして海がレティシアをガードする。その瞬間、雪だるまは猛然と突進してきた。受け止めてもダメージはさほどないが、やはり天魔だろう。――雪だるまの姿の。
正体を探るように翠嵐とRobinが直接雪玉を投げると、雪だるまはそれをくらってあっさりと崩れそのまま動かなくなった。
あれ、と思っていると、すぐにまた現れ、彼らを見つめる。
同じ固体だろうか。それとも?
翠嵐は橙の瞳をちらりと向けた。かまくら喫茶はもうすぐそこだ。影響がないよう派手には戦いたくない。幸い、今そこにいるのは一体きりだ。雫は先程のように雪玉で対応しようと構える。
すると、どこからともなく地鳴りのような音が聞こえてきた。
「!」
突進してきた雪んこの後ろから湧き上がるようにして現れたのは十数体もの、やはり雪だるまたちだ。
撃退士たちはさすがに唖然として目を見開いた。虚をつかれたというよりも、――何だこれは。
現れた雪んこたちは雪の上を縦横無尽に飛び回る。
誘き寄せようと、海は手近な投擲物として雪玉を投げた。敵は木々の間をすり抜け、飛んでくる。どうやら阻霊符も必要になりそうだ。
「なるほど、客足が遠退いたのはサーバント達が原因のようですね」
雫は素早く召喚獣たちを呼び出し、スレイプニルの背に乗る。
予感的中。お茶の前に、一仕事だ。撃退士たちは身構えた。
向かってきた雪んこに海は魔法書で雷の槍を放つ。雪んこは簡単に砕けた。が、それで終わりではなかった。
崩れた破片が震え、周りの雪を巻き込んで一回り大きな雪だるまに戻っていく。あっけにとられていると、復活した雪んこは再び彼らを追い回し始めた。
海が槍に持ち替えてもう一度砕くと、鉄球を叩いたようなひどい衝撃が響く。そこでようやく大人しくなったが――これはどういうことだろう。
ファーフナーは先程の光景を思い出し、まさかなと手の中の雪玉を見た。
翠嵐と頷き合い雪玉を投げつけると、崩れた雪んこは先程のようにそのまま動かなくなる。
やはり先程の一体は、これで消えたのだ。ということは。
「雪合戦ですね」
レティシアが頷く。
そうとなれば、後方に回りせっせと雪玉を作り始めた。一人一人の手にジャストフィットするようぎゅっぎゅと微調整する。
その投げやすい雪玉を使い、Robinが次々に突進してくる雪んこにぶつけていった。
しかし、雪の中だと雪んこは保護色だ。向こうから突進してくるのを待った方がいいのかな? とあえて立ち止まって雪んこを待ち受けた。
雪の上をどうやって移動してるんだろうと、向かってくる敵を見つめる。突進してくる時は滑っているようにも見えるし、飛んでいるようにも見える。
「どっちでもいいや。かまくら喫茶には近付かせないようにしないとね。せっかく作った場所だし」
雪玉を投げつけると、見事に命中した。
翠嵐も雪んこの保護色を警戒して、奇襲されないよう遮蔽をとれる位置取りで雪玉を構える。
偵察に飛び上がったヒリュウが、上空から雪玉を爆撃する。雫もヒリュウの目で雪んこの位置を把握しながら、雪玉を投げた。しかもレティシアの雪玉を更に闘気解放で圧縮し、その破壊力たるや一発で雪んこを粉々に出来るほどだ。
だが、白の中の白はやはり保護色で見つかりにくい。
海も飛行して見渡すがつい見失いそうになる。下り様に異界認識を使い位置を把握して、雪が高く積もった場所に陣取った。
雪んこたちも負けず、撃退士たちの死角に回っては突進を繰り返した。
やがて武器がレティシアの雪玉だと気付いたのか貯蔵した雪玉の山にも突進していく。だが、レティシアの目が鋭く光り、すかさず雪んこをレシーブよろしく両手で上空に弾いた。
雪んこや雪玉があちらへ飛び、こちらへ飛び、その様子はまさしく雪合戦。
そして最後には。
「皆さん、避けて下さいっ」
はっとして撃退士たちが雫の方を見ると、雪んこを踏み潰しながら転がってくる巨大な雪玉が見え――視界から消える。
一番低い場所にいたRobinにだけ、木と雪玉にサンドイッチされる最後の雪んこが見えたとか見えなかったとか。
隠れた雪んこがいないか翠嵐が周囲を確認する。
海が生命探知にも反応はなく、ようやく雪合戦は終わりを告げた。とはいえ、改めて捜索を行ってもらったほうがいいかも、と海は一人頷く。どちらにせよ、しかるべきところに通達しなければ。
レティシアが癒しの風を漂わせながら、雪んこの成れの果てを見つめる。主は何を思って作ったのだろう。考えても詮無きことであるが。
かまくらの方へ行かせまいと山道に立ちはだかって、突進してくる雪だるまをシールドで受け止めていたファーフナーがやれやれと首を振った。
目に映るのは、すっかり雪にまみれた仲間たちだ。
「不思議なサーバント……? だったな……」
●
「まあまあ、その格好どうなさったの?」
店主は雪合戦にもまるで気付かず、彼らをきょとんと迎えた。
今年は人が来なくて、物寂しいし、残り物で太っちゃうんです、と言葉とは裏腹に朗らかに笑って案内するセツ子にあぁ、とレティシアは胸中で合点する。
何となくいっぱい注文しないとみたいな気持ちになりますねっ、と表に出された手書きのメニューに目を向ける。
ファーフナーが事情を説明し、ようやく理解したセツ子は「あら! じゃあ疲れたでしょう、ごめんなさい」と不手際を詫びるような顔で彼らをかまくらの中に招いた。
中は雪合戦の熱が冷めるに従って凍えてきた体がほっとほぐれるくらいの温かさがある。
翠嵐は中の座布団に腰を下ろし、火鉢の素朴で少し懐かしい雰囲気に僅かに微笑した。
海が温かい物をと豚汁を頼むと、セツ子が嬉しそうに根菜たっぷりの豚汁をよそう。流石に凍えていたRobinもセツ子にすすめられて豚汁を受け取り、田舎味噌の香りが鼻をくすぐられた。
「天魔が出たけど倒したって告知されれば状況は改善するんじゃないかな」
海が言うと、ファーフナーがあぁ、と答えた。
「今後はまた客が増えてくるだろう。サイトにも書き込んでおこう」
かまくらの中でくつろいで、撃退士たちは雪原を眺める。
白銀は太陽を照り返して輝き、周りの山々は風の巻き上げる不香の花に白くけぶっている。
幻想的な光景に目を細めるレティシアは山の話を思い出し、セツ子に尋ねた。
「この辺りには雪女の伝承があるそうですけど、ご存知ですか?」
雪んこに繋がるものが何かないかなと考えてのことだ。
「昔話ですね。珍しいんですよ、その雪女――『雪姉さ』と言うのだけど、雪色の翼を持っていたんですって」
セツ子がのんびり答えると、レティシアは目を瞬かせた。
雪んこのことを思い出しながら、甘酒に口をつける。言葉はなく、ただ静かに息を吐いた。
七輪で餅が膨らみ、その周りにはセツ子がはりきって用意した料理や甘味が並んでいる。ある皿からは曇るほどの湯気が上り、ある皿からは一足早い春の息吹が感じられた。
お任せする、と言ったファーフナーにセツ子が渡した木皿には、選びきれなかった料理が少しずつ乗っている。黄ゆずや檜葉で少しばかり彩を添えて、喫茶らしい控えめな飾り気があった。
「かまくらは、一人で作ったのか……? 見事だな」
ファーフナーはかまくらの天井を眺めた。丁寧で頑丈な作りで、少し薄暗いが秘密基地めいた楽しさもある。
だが、こんな山奥に若い女性一人では危なくないだろうかという気がした。セクハラにならないか意外にも気にして「動物は好きか?」などと遠回しに番犬をすすめてみたりする。セツ子は雪山に一人の寂しさを気遣って紳士的な言い方で提案をしているのだと思って、乗り気の様子で大きな犬がいいですねと少し目尻の下がった瞳を輝かせた。
「こんな山奥に、こんなにたくさんの食材を用意するの、すごいね」
Robinが素直な感想を述べると、セツ子は嬉しそうに保存食や貯蔵庫の話をする。
「おねえさんは、山が好きなの? 料理が好きなの? 雪が好きなの?」
「そうねえ、全部好きですよ。でも、料理で喜んでもらえるのは特別嬉しいかしら」
「あたしは料理が豪快だって言われるから、おねえさんみたいな繊細なお料理、見習いたいと思うよ」
Robinの料理といえば、ぶった切る、焼く、以上である。まあ、豪快なお料理見てみたいわとセツ子はにこにこと笑った。
「おねえさんは、雪のシーズンが終わったら、普段は何をしているの?」
尋ねると、基本は山小屋にいるが、冬以外は町で過ごす時もあるらしい。個人的に料理を習いたいとRobinは思う。セツ子がそれを聞いたら、やはり嬉しそうに笑う気がした。
雫がまた集客アップのためにカメラを料理に向ける。丁寧にほうじ茶を煎れるセツ子の姿も入れれば安全性のアピールにもなるだろう。だけど。
「ここが話題になってお客さんが押し寄せたら、いまみたいにゆったりと楽しむ事が出来なくなるかも知れないんですよね……少し、残念な気もします」
膨らむ餅を眺めながら、雫はじんわりと木椀ごしにお汁粉の温度を感じる。
頷く海に、セツ子が懐紙に載せてどうぞと氷餅を差し出す。折角の雪山なのだからと頼んだそれは軽く、齧ると冷たくない雪のようで、口の中でほろりと柔く溶けていく。
翠嵐も気に入った様子で、雪景色を小さく閉じ込めたような氷餅に、目を細めた。
「なぜ、この地で喫茶を?」
花を纏った青年は、ふと遠慮がちにその言葉を口に乗せる。
お盆にほうじ茶を乗せてセツ子は撃退士たちを見た。かまくら喫茶の中で、大自然を眺め、温かさに心を任せる姿を。
「冬の山は綺麗だけど、綺麗なだけじゃないから――ここでほっとしてくれたら嬉しいなって、思ったんです」
山を愛して欲しいから。
翠嵐は小さく頷き、口を噤んだあの言葉をそっと胸中で打ち消した。
●
温まった後も彼らは思い思いに雪山を楽しんだ。
日が傾き始めた頃、雫と共にボードをそり代わりに滑って遊んでいた海がそろそろ帰ろうかと仲間たちに声をかける。
雪んこたちが出たあたりで雪灯篭を作っていたレティシアが振り返る。
雪解けまでの淡い存在ではあっても何かしら残してあげたいなという気持ちだった。セツ子に言えば毎夜火を灯して更に雪山を幻想的に彩るだろう。
「ここの景色はきっと夜も美しいだろうね」
半ば独り言のつもりで翠嵐が呟くと、ええそれはもうとセツ子の応えがある。
山小屋に泊まることが出来るなら、一晩ここで過ごして、月が照らす銀世界の夜を堪能したい。その光景を見つめるかのように、目を細める。
「……食事、旨かった。ありがとう。楽しい体験ができた」
ファーフナーの言葉に、セツ子の顔がほころんだ。
「いつかまたいらして下さい。今度はきっとわんちゃんとお出迎えします」
番犬の案が気に入ったセツ子はすっかりその気だ。
――ただしファーフナーは知らない。動物を飼うと、婚期が遠のくということを。
ともあれ、きっとかまくら喫茶にお客の戻る日も近い。
どこまでも白い山肌に、撃退士たちとかまくらの影が伸びていた。